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新神戸オリエンタルシティ

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新神戸オリエンタルシティ(しんこうべオリエンタルシティ)は、兵庫県神戸市中央区の新神戸にある、ホテルと劇場とショッピングセンターが一体となった複合商業施設。1988年開業。地上37階・地下3階建て。下層階のショッピングセンター「コトノハコ神戸」、2階 - 3階の劇場「AiiA 2.5 Theater Kobe」、上層階のホテル「ANAクラウンプラザホテル神戸」の3施設で構成される。元はダイエーグループの施設であったが、ダイエーの経営再建により売却された。

地下3階で神戸市営地下鉄(西神・山手線・北神線)新神戸駅と接続し、隣接する山陽新幹線新神戸駅とは3階で結ばれていることから、交通の便の良さをセールスポイントのひとつにしている。

歴史[編集]

神戸市立中央市民病院跡地へのコンベンション用都市ホテル構想の始まり[編集]

当地には1981年まで

1981年(昭和56年)3月14日にポートアイランドに新病院が開院した神戸市立中央市民病院の跡地を同年秋の「元中央市民病院跡地処分先選考委員会」が市民が利用できるホテルなどの複合施設を建設する方針を決定したのが始まりである。 1982年(昭和57年)1月に神戸市が公募で売り出すことを発表し、同月末の説明会に大林組やヒルトンなど41社が参加した。 ところが、神戸市が「神戸の陸の玄関にふさわしい多目的機能を備えたハイグレードな都市ホテルをユニバーシアード神戸大会前の1985年(昭和60年)春までに開業する」という条件を付けたことから、 同年3月末の締切り日にダイエー1社だけが公募に申込み、委員会の選定を経てダイエーへ約112億2000万円で譲渡した。

この公募時に提出されていた建設計画案は、下記の5点が盛り込まれており、神戸市の「コンベンションシティ」構想を全面的に取り入れたものであった。

  • 約1,000室の客室を持つ大規模シティホテル。
  • 当時西日本最大となる約3,000人収容のコンベンションホール。
  • 地域発展の核となる施設。
  • 海外客の集客。
  • モータリゼーションへの対応。

この譲渡決定を受け、1982年(昭和57年)10月20日にダイエー100%出資で資本金20億円の「(初代)株式会社神戸セントラル開発(こうべセントラルかいはつ)」を設立して、事業化に乗り出した。

そして、1983年(昭和58年)初めの時点では、地下6階地上31階建ての建物に、客室数約1,000室のホテルと約3,000人収容のコンベンションホール、展示場、多目的市民ホール、スポーツ施設、商業施設、文化施設、娯楽施設などを併設した施設を計画していた。

ところが、この計画に対抗して、当時来島ドック傘下にあった神戸の名門ホテル「オリエンタルホテル」がメリケンパークへの高層ホテルを建設する計画を打ち出したほか、中内㓛の弟の中内力が経営する神戸ポートピアホテルが新館建設構想を打ち出すなど、三つ巴の神戸ホテル戦争と噂される事態となった。 そこで、1985年(昭和60年)にダイエーと神戸ポートピアホテルが各20%を出資し、両社のグループ企業が45%、関西財界の他社が15%を出資するホテル運営会社を設立して、共同経営することとなった。 この時点では、地下3階地上37階建ての建物に、客室数約700室のホテルと商業施設などを併設した施設を建設する構想となった。

新神戸オリエンタルシティの開業[編集]

竹中工務店の設計・施工で1986年(昭和61年)3月に着工し、1988年(昭和63年)9月に竣工した。 同月23日に「新神戸オリエンタルパークアベニュー・ŌPA」が開業して、同月29日に「新神戸オリエンタルホテル」が開業し、翌月10月5日に「新神戸オリエンタル劇場」が開場して全面開業した。

「新神戸オリエンタルパークアベニュー・ŌPA」は、傾斜地に建設されたことを活用して2階を除く全フロアに出入り口があり、横丁や路地・ブリッジなどを配して迷宮的な空間を持つことで、何度も訪れても新たな発見があるショッピングセンターを目指していた。 開業時には、新ブランドの実験店を数多く導入し、ディスコやライブハウスなどの夜型の施設も導入して一部24時間営業で開業した。 また、開業時点ではフロアごとにコンセプトが決められており、地下3階が「食を見る楽しみ」、地下2階が「タイム」と称する個人のライフスタイル提案、地下1階が新しさ、地上1階がパリのエスプリ、地上2階は「新神戸オリエンタル劇場」の表玄関があることから「アライブ」をコンセプトに活気あるアメリカ、地上3階は日本的なものとして江戸の街並みを模すなどフロアごとに雰囲気の異なる空間構成を目指していた。

「新神戸オリエンタルホテル」は、開業時には600室の客室と10軒の飲食店のほか、神戸市の「コンベンションシティ」構想に対応して、24室合計3,816m2の宴会場を設けていた。

表玄関は地上2階部分にあった「新神戸オリエンタル劇場」は、地下2階から地上4階までに開設されたヨーロッパのオペラハウスを模した馬蹄形の劇場で、開業当初は「神戸発のオリジナル作品の上演」を掲げて公演を行っていた。

阪神大震災とダイエーグループ再編[編集]

1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災の際には「新神戸OPA」は震災翌日から一部店舗の営業を再開し、同月27日から神戸市内のダイエーグループ大型店としては最初に通常営業を再開した。

同年10月5日に地下1階・2階のディスコ跡に「パンドラ新神戸オーパ店」を開店した。

当施設を建設した(初代)株式会社神戸セントラル開発は1992年(平成3年)7月に「オレンジページ」や「ダイエーレジャーランド」などに第三者割当増資を行って約250億円を調達し、ダイエーから「フォルクス」・「イチケン」・「ダイエーファイナンス」などの株式を取得した。

持ち株会社化の為にダイエーの保有していた(初代)株式会社神戸セントラル開発の株式11万株を中内㓛のファミリー企業の「株式会社サカエ」に譲渡し、同社が75%を保有するようになって(初代)株式会社神戸セントラル開発は中内家のファミリー企業化された。 そして、1997年(平成9年)12月17日に(初代)株式会社神戸セントラル開発は商号を変更して「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション (DHC)」となり、ダイエーやローソンなどから株式を取得して40社を傘下に置く持ち株会社となった。

1998年(平成10年)11月1日に(2代目)株式会社神戸セントラル開発は「株式会社ツインドームシティ」と合併して「株式会社福岡ドーム」となった。

ダイエーグループからの譲渡後[編集]

2002年に「新神戸OPA」は閉店し、跡地は「新神戸オリエンタルアベニュー」としてリニューアルされた(ただし地元では現在でも「新神戸OPA」と呼ばれることもある)。この間にはまだ「新神戸オリエンタルホテル」と「新神戸オリエンタル劇場」は長期休業することなく営業継続されていた。[要出典]

2003年(平成15年)12月2日に新神戸オリエンタルシティ·C3をアメリカの証券大手モルガン・スタンレー社に譲渡する契約を締結し、2004年(平成16年)にモルガン・スタンレー社に譲渡された。

2005年(平成17年)2月期に「株式会社福岡ダイエーリアルエステート」は清算され、2006年(平成18年)2月期に「新神戸開発株式会社」は清算された。 ダイエーホールディングコーポレーションも2002年に清算され、株式会社福岡ドームも2005年に清算されている。[要出典]

モルガン・スタンレーへの売却後、施設を運営する新法人として新神戸オリエンタルホテルが設立され、全面的な改装が行われた。一時期は景気回復も追い風となって商業施設はほぼ埋まり、新神戸オリエンタルシティが造られた当初のコンセプトや雰囲気を、まったく同じではないものの取り戻しつつあった。[要出典]

ショッピングセンター「新神戸オリエンタルアベニュー」は、2019年(令和元年)7月4日に「コトノハコ神戸」としてリニューアルし、医療モールや土産物店などがオープンした。 リニューアル時から運営管理はJLLモールマネジメント(現:JLLリテールマネジメント)が行っている。[要出典] しかし2019年9月時点では、地下2階、地下1階は閉鎖、1階は面積の約6割以上、2階は約5割、3階は約3割が空き店舗となっており、1階など一部では改装工事を実施していた。[独自研究?] JLLモールマネジメントの努力により一部に新テナントも誘致されたものの、館内に掲示されたフロアマップは古いまま更新されていなかった。ウェブサイトが運営管理会社ではなくビルの所有会社の管理下にあって手が出せないためであり、公式サイトには正しい情報が反映されている。[要説明]

なお、1階の新神戸ロープウェー乗り場への通路入口脇の外壁に「よい品を どんどん 安く より豊かな 社會を」という、中内功の直筆が刻まれた石碑が設置されている。また「新神戸オリエンタルアベニュー」に残っていた以下の店舗は、かつてここがダイエーグループだった証である。[独自研究?]

  • グルメシティ新神戸店 - 「新神戸オリエンタルパークアベニュー・ŌPA」の開業時から地下3階にグルメショップ「メルカートス」として出店していたスーパー。(旧ダイエー新神戸OPA店)[要出典]
  • パンドラ新神戸オーパ店 - ダイエーグループのパチンコ店として地下1階・2階のディスコ跡に1995年(平成7年)10月5日に開店した。店舗面積約1,026m2。2006年(平成18年)にグループ離脱、2018年(平成30年)に閉店して撤退。[要出典]

コトノハコ神戸[編集]

新神戸オリエンタルシティの開業と同時に「新神戸オリエンタルパークアベニュー・ŌPA」として開業した、地下3階 - 地上3階Fからなるショッピングセンター。

傾斜地に建設されたことを活用して2階を除く全フロアに出入り口があり、横丁や路地・ブリッジなどを配して迷宮的な空間を持つことで、何度も訪れても新たな発見があるショッピングセンターを目指していた。

開業時には、新ブランドの実験店を数多く導入し、ディスコやライブハウスなどの夜型の施設も導入して一部24時間営業で開業した。

また、開業時点ではフロアごとにコンセプトが決められており、地下3階が「食を見る楽しみ」、地下2階が「タイム」と称する個人のライフスタイル提案、地下1階が新しさ、地上1階がパリのエスプリ、地上2階は「新神戸オリエンタル劇場」の表玄関があることから「アライブ」をコンセプトに活気あるアメリカ、地上3階は日本的なものとして江戸の街並みを模すなどフロアごとに雰囲気の異なる空間構成を目指していた。

しかし、地下鉄で一駅の場所に三宮に行けることから、開業当初から物販店は苦戦することになった。

その為、1991年(平成3年)7月3日に地下3階の飲食店街を改装して新装開業し、その一角に同月6日にダイエーレジャーランドが運営するアミューズメント施設「アメリカンサーカス」を開設するなどのリニューアルが行われた。

1995年(平成7年)9月1日に「株式会社十字屋」が「株式会社ダイエー・アゴラ」を吸収合併し、同社の運営する「新神戸OPA」となった。

地下1階・2階のディスコは閉店となり、その跡には同年10月5日に「パンドラ新神戸オーパ店」を開店した。

2002年から[要出典]「新神戸オリエンタルアベニュー」を経て、2019年(令和元年)7月4日に「コトノハコ神戸」として新装開店した。

AiiA 2.5 Theater Kobe[編集]

新神戸オリエンタルシティ開業時に、「新神戸オリエンタル劇場」として地下2階から地上4階までに、ヨーロッパのオペラハウスを模した馬蹄形の劇場として開設された。

表玄関は地上2階部分にあり、開業当初は「神戸発のオリジナル作品の上演」を掲げて公演を行っていた。

阪神大震災後には、従来の会場だった神戸文化ホールが使用不能になったことから、日本生命保険が小学生を招待するミュージカル「ニッセイ名作劇場」の会場としても利用された。

演劇・ミュージカル・落語・コンサート・映画・舞踊など、あらゆるジャンルの公演を行っていた。また一般向けに貸館サービスを行い、演劇・コンサート・発表会・企業式典・学校説明会など、様々な催し物に対応していた。[要出典]

2009年(平成21年)9月より、キョードー東京の関連会社である「株式会社キョードーファクトリー」へ運営が移る。また同年にはわかぎゑふが「新神戸オリエンタル劇場」芸術監督に就任し、就任記念公演「ジョアンナ」では脚本・演出を務めた。2010年7月、円広志が「新神戸オリエンタル劇場」音楽アドバイザーに就任し、劇場で行われる音楽公演の企画プロデュースやプロモーションなどに携わった。[要出典] 2018年(平成30年)12月をもって「新神戸オリエンタル劇場」は閉館した。[要出典]

閉館の翌年に後に女性向けアパレルブランドとパズルゲーム雑誌出版を展開する会社「アイア」が運営を引き継ぎ、[要出典]2019年(令和元年)7月4日に2.5次元ミュージカル専用劇場「AiiA 2.5 Theater Kobe」として新装開館した。 2018年(平成30年)に閉館した「アイアシアタートーキョー」の後継劇場となる。[要出典]

ANAクラウンプラザホテル神戸[編集]

新神戸オリエンタルシティ開業と同時に「新神戸オリエンタルホテル」として上層階部分に開業。

神戸市の「コンベンションシティ」構想に対応して、開業時には24室合計3,816m2の宴会場を設けていた。

2004年にオリエンタルホテル経営母体のダイエーがオリエンタルシティの不動産をモルガン・スタンレーへ売却して、2005年(平成17年)9月にモルガン・スタンレーがパノラマ・ホスピタリティを設立し、2006年(平成18年)に「クラウンプラザ神戸」へ改称した(クラウンプラザはインターコンチネンタルホテルズのホテルブランドのひとつ)。 その後、2009年(平成21年)9月にタイのシャロエン・コーポレーションへ不動産が売却され、売却に伴ってANA-IHGの運営へ切り替えられ、2010年(平成22年)1月20日付で「ANAクラウンプラザホテル神戸」へ改称した。

当ビルにある22台のエレベーターのうち4台が当ホテル専用のエレベーターとなっている。

当施設がロケ地となった作品[編集]

  • 1989年の東映映画『べっぴんの町』に、オープニング・本編を含めて随所に開業直後の当施設の建物が登場する。[要出典]
  • 2000年の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の神戸の募金会場として当施設が使用された。[要出典]


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