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文化放送

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株式会社文化放送(ぶんかほうそう、英: Nippon Cultural Broadcasting Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とし、中波放送(AMラジオ放送)事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。

フジテレビジョン、産業経済新聞社などとともに、フジサンケイグループに属する。文化放送グループの中核企業でもある。

略称は開局当初の局名「日本文化放送協会」の英称、かつ現在の局名の英称の頭文字を取ったNCBであるが、1954年以降はコールサイン「JOQR」からQRを使用している。

2023年度は、『好きがつながる 文化放送』をステーションキャッチフレーズとしている。

概説[編集]

同じ在京ラジオ局のニッポン放送と共にフジサンケイグループのラジオ部門を構成し、ラジオネットワーク「全国ラジオネットワーク (NRN)」のキー局を務めている。

文化放送はフジサンケイグループの統一シンボルマークである「目玉マーク」を用いず、現在は『文化放送』および『&』をマイクに見立てて図案化した『& 文化放送』(2015年 - )のロゴマークを使用している。以前は、「QR」と電波をモノグラム化した旧社章(1956年 - 1983年。伊藤憲治作)、『JOQr』を図案化した物(1984年 - 2006年)、『』の部分をアンテナをモチーフとした物(2006年 - 2015年)を使用していた。

沿革[編集]

  • 1948年(昭和23年)
    • 10月 - 出版・放送を通じた布教を主務とする、聖パウロ修道会の日本管区長で、1934年から来日していたイタリア人司祭 パウロ・マルセリーノ(パオロ・マルチェリーノ)が、GHQから逓信省に下された「民間放送局解禁の方針」(ファイスナー・メモ)に呼応し、聖パウロ女子修道会を運営主体とする、宗教放送ネットワークを計画。電波法第5条の国籍要件を満たすため、マルセリーノは日本へ帰化したうえで「丸瀬利能(まるせ としたか)」に改名。
    • 12月 - 逓信省電波局に財団法人セントポール放送協会 の設立許可を申請。澤田節藏(外交官)、田中耕太郎(最高裁判所長官)、犬養健(政治家)ら、著名なカトリック信徒が発起人に名を連ねた。
  • 1949年(昭和24年)- 開局の見通しも立たぬまま、東京都新宿区若葉1丁目5番地の所有地に演奏所兼修道院「セントポール・ラジオ・センター」の建設に着手。設計者は清田文永で、構内には聖堂なども設けられた。
  • 1951年(昭和26年)
    • 1月 - 電波監理委員会に無線局免許申請書を提出。同委員会からは当初、外製宗教放送局の開設に強い難色を示された。また、他宗からの反対論が高まったためことを受けて、競合他願の東京ラジオセンター、ラジオ東都との調整を経て申請を一本化。さらに、土地も局舎も全て聖パウロ修道会から文化放送協会に譲渡する決断をしたマルセリーノ司祭の退陣(理事から監事に退いた)によって宗教色を薄めたうえで、一般向けの教育商業局として改めて申請した。しかし、別の競合他願の日本キリスト教放送協会、日本仏教放送株式会社、国民教育放送協会の3社が統合して日本文化放送株式会社として申請したことで電波監理委員会から統合を求められて来たが、不調に終わる。
    • 2月13日 - 名称を財団法人日本文化放送協会に変更。
    • 4月6日 - 東京ラジオセンター、ラジオ東都との3社合併が成立し、日本文化放送協会が存続会社となる。
    • 4月21日 - 電波監理委員会が出席した委員の投票により、賛成4、反対2、留保1で日本文化放送協会に対して予備免許を交付。局舎を明け渡した修道女たちのために、12月には埼玉県川口市の送信所敷地内に、女子修道院が設置された。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月18日 - 試験電波の発信を開始する。
    • 3月28日 - 電波監理委員会より放送免許が交付される。
    • 3月31日 - 午前5時30分より本放送を開始。全国8番目、東京では2番目となる民放ラジオ局として開局する。周波数1310kc、出力10kW。最初に放送された番組は「皆さんお早う」。娯楽番組は少なく、旺文社が提供する『大学受験ラジオ講座』など、教育・教養番組に重きを置く編成だった。
  • 1953年(昭和28年)
    • 7月 - テレビ放送免許を申請したが、周波数不足を理由に、却下される。
    • 8月15日 - 1130kcに周波数変更。1310kcは新規開局するニッポン放送に譲渡される。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月31日 - 午後11時04分、出力を50kWに増力
    • 7月12日 - 深夜放送を開始。
    • 7月23日 - 郵政省(現・総務省)の許可により、呼出名称を「にほんぶんかほうそう」から「ぶんかほうそう」に変更。
  • 1955年(昭和30年)6月19日 - 夏季手当要求と株式会社改組の際の身分保障に関し、午後4時から1時間の停波ストライキ決行。
  • 1956年(昭和31年)
    • 2月13日 - 財団法人日本文化放送協会解散。東京急行電鉄、旺文社、大日本印刷、小学館、講談社、東映等、財界・出版界の出資による、株式会社文化放送設立。
    • 2月14日 - 午前0時、財団法人日本文化放送協会から、株式会社文化放送に放送免許が引き継がれる。
    • 6月22日 - 日本フィルハーモニー交響楽団を結成。専属とする。
    • 7月 - テレビ放送免許を再申請したが、周波数不足を理由に、再度却下される。
  • 1957年(昭和32年)11月18日 -  関東広域圏のテレビ免許割当を受け、ニッポン放送と共同で富士テレビジョン(現・フジテレビジョン)を設立。1967年、フジサンケイグループを合同で組織する。
    • 日本の放送局で初めての道路交通情報を、『交通ニュース』というタイトルで放送。
  • 1959年(昭和34年) - 産業経済新聞社と報道面で提携。2月1日より、サンケイニュースの放送を開始。
  • 1961年(昭和36年) - ステーションソング「QRの歌」(通称:QRソング)発表。
  • 1962年(昭和37年)12月26日 - 東京消防庁の協力による『日本火災の救急速報』の放送を開始。
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月3日 - ニッポン放送などと共同で、全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク (NRN) を発足。土曜・日曜のプロ野球ナイター中継を本格的に開始。
    • 8月 - 『真夜中のリクエストコーナー』 開始。
  • 1967年(昭和42年)4月3日 - 24時間放送開始。
  • 1968年(昭和43年)
    • 10月 - 歌手の新人賞の一つである、『新宿音楽祭』開始(1994年で終了)。
    • 11月19日 - 深夜放送『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』 開始。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月 - 渡辺プロダクションとの合弁による、レコード会社 アポロン音楽工業を設立。
    • 11月 - 出力を100kWに増力。
  • 1973年(昭和48年) - 大相撲中継を復活させ、『大相撲熱戦十番』をレギュラー化。
  • 1976年(昭和51年) - 産業経済新聞社と東京急行電鉄の保有株式が旺文社に売却されたことによって、フジサンケイグループ色が薄まる。この売却を機に、定時ニュースも『サンケイ新聞ニュース』から、自社取材と共同通信社からの配信記事に基づく『文化放送ニュース』へ変更。
  • 1977年(昭和52年) - 『日本大相撲トーナメント』(日本相撲協会、フジテレビ共催)開始。
  • 1978年(昭和53年)11月23日 - ITU(国際電気通信連合)の取り極めで、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1134kHzに変更
  • 1979年(昭和54年)- テレビ朝日専務取締役の岩本政敏が、代表取締役社長に就任。テレビ朝日との交流が本格的になる。
  • 1982年(昭和57年)4月5日 - 平日のナイター中継『文化放送ライオンズナイター』を開始。
  • 1988年(昭和63年)9月 - 株式会社キューアールエステートを合併。
  • 1992年(平成4年)3月15日 - 午前9時から、AMステレオ放送の本放送を開始。
  • 1994年(平成6年)1月2日、1月3日 - 日本テレビ制作協力の下、『第70回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)』を放送。以後、毎年放送される。
  • 1995年(平成7年)4月2日 - 開局日以来、毎日続いていた『大学受験ラジオ講座』が終了。
  • 1998年(平成10年)6月10日 - 時の記念日を期に、時報音をピ・ピ・ピ・ポーンから「QRソング」をアレンジした物へと変更(2015年12月6日まで。その後、開局70周年記念企画として2021年3月29日より再使用)。
  • 1999年(平成11年)12月 - 東京都庁第1本庁舎45階(北展望室)に、サテライトスタジオ「スタジオSOLA」を開設。
  • 2000年(平成12年)12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネル「BSデジタル音声放送」の一つで、同局が制作を担当する「BSQR489」の放送を開始。
  • 2001年(平成13年) - 20%強保有していたフジテレビ株式の大部分を外部に売却し、その売却益で旺文社が持つ全ての自社株式を購入。直ちに消却して、長年続いた旺文社との資本関係を解消。
  • 2003年(平成15年)11月17日 - NTTドコモと共同でFOMAネットワークを使用したラジオ中継システム「FOMA高品位音声中継システム」を共同開発すると発表。2004年にNECが「mobilestudio」として実用化している。
  • 2005年(平成17年)9月16日 - ポッドキャスト サービス「Podcast QR」を開始。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月15日 - 秋葉原の「東京アニメセンター」に、サテライトスタジオを開設。
    • 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル「BSデジタル音声放送」撤退に伴い、BSQR489の放送を終了。
    • 7月19日 - 浜松町駅北口前に新築した自社テナントビル「文化放送メディアプラス」へ移転。2006年7月24日の『吉田照美のやる気MANMAN!』から、新局舎での放送業務開始。新宿区若葉の旧局舎は解体された。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月10日 - スポーツ担当のアナウンサーがスポーツ中継の番組制作も担当する「アナデューサー」形態を採用。男性アナウンサー8人が、アナウンス部からスポーツ部へ異動。スポーツ部の番組ディレクターらは他部へ異動し、スポーツ部はスポーツアナウンサーだけで運営する部門となった。
    • 3月12日 - 地上デジタル音声放送DigiQ+N93にて、アニメ・PCゲーム・声優関連の番組枠『Voice of A&G Digital 超ラジ!』を開始。
    • 4月2日 - DigiQ+N93のステーション ネームを、UNIQue the RADIOに変更。
    • 9月3日 - UNIQue the RADIOを大幅に改編。アニメ・PCゲーム・声優関連番組は、専門のチャンネル「超!A&G+」に独立させる。
    • 11月3日・4日 - リスナー感謝イベント「浜松町グリーン・サウンドFESTA」を開催。翌年より「浜祭」の愛称が付けられる(2019年より「浜松町ハーベストフェスタ 浜祭」に改称)。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月27日 - 旧局舎跡地に賃貸マンション「ランテンヌ四谷」竣工。
    • 5月19日 - 同マンション屋上に新非常用予備送信所を開局。
    • 9月29日 - 地上デジタル音声放送実用化試験局 東京地区9303chにて「文化放送プラス」が開局。
    • 10月6日 - 超!A&G+で、簡易動画の配信を開始。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月15日 - 他の在京ラジオ6局と共同で、インターネットのIPサイマル放送・radikoへの試験配信を開始(南関東 - 1都3県限定)。
    • 10月4日 - 平日の午前 - 午後帯にかけて、7.5時間にも亘る大改編を実施。
    • 10月15日 - 超!A&G+にて、iPhone向けアプリ 超!A&G+iを販売開始。
    • 12月1日 - 報道制作部とスポーツ部が統合、報道スポーツ制作部(現・報道スポーツセンター)を新設。また同日より、他の在京ラジオ6局と同時にradikoへの正式配信を開始。同時に、それまでの南関東(1都3県)から、サービスエリアを群馬県、栃木県、茨城県を含む関東地方全域(1都6県)に拡大。
    • 12月1日 - ラジオショッピング、ネットショップとは異なり、番組グッズやお勧め商品を販売するサイト「ショップQR」を開設。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 - 「東日本大震災」発生。全番組・CMを中止し連続38時間の特番体制に。
    • 3月31日 - 地上デジタル音声放送の実用化試験放送の終了に伴い、デジタルラジオの「超!A&G+」と「文化放送プラス」が24時をもって閉局。
    • 4月1日 - 前日に放送事業者としては閉局した「超!A&G+」がインターネット配信事業者として、0時よりネット配信を開始。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月6日 - AMステレオ放送を終了。radikoでは引き続き、ステレオ音声での配信を行う。
    • 5月22日 - 東京スカイツリータウンの「東京ソラマチ」イーストヤード1階に設置された、多目的型サテライトスタジオ「TOKYO SKYTREE TOWN STUDIO」からの放送を開始。
  • 2014年(平成26年)9月3日 - 総務省より、FM補完中継局の予備免許を付与される。周波数91.6 MHz、出力7kW。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月31日 - FM補完中継放送開始に備え、AMとFMの周波数を表した新コミュニケーションロゴを発表。一般公募の中から武蔵野美術大学新卒生による『& 文化放送』デザインが採用され、6月1日より公式サイトで使用開始。以後各所で新ロゴに移行。
    • 9月15日 - FM補完放送開始に備え、これを告知するためのPRキャラクター「キューイチロー」を発表し、ブログ および twitterアカウント 開設。
    • 10月5日 - FM補完放送の試験電波発射開始。
    • 12月7日 - 総務省より、FM補完中継局の本免許を付与される。13時より東京スカイツリーの墨田FM補完中継局から、FMによるサイマル放送開始した。これを記念して在京3局合同記念特番「FMでもキキマス!ゴールデンたまむすび」を東京スカイツリー天望デッキから生放送。また、ワイドFM開始にあわせて、ステーション ソングを尾崎亜美編曲版のQRソングから、浅川真洋作詞・作曲、山村響歌唱の新ステーション サウンドに変更し、放送開始・終了時やステーション ジングル、時報音、ニュースや天気予報、交通情報のアタックジングル・BGMも新ステーションサウンドを基にしたものに変更した(2020年3月30日より時報音、天気予報と交通情報のアタックジングル・BGMをリニューアルした際、周波数をアナウンスするステーション ジングルが「AM1134」を省略して「FM91.6」のみになるパターンが増えるが、2021年3月28日で後述の理由で使用を一旦終了した)。
  • 2016年(平成28年)10月11日 - 「radiko.jp」で「タイムフリー機能」の実証実験スタート。リアルタイムで聴き逃した番組の音源を、一部の番組を除いて1週間後まで再生できるようになった。
  • 2017年(平成29年)12月1日 - 「〜キミはひとりじゃない〜 文化放送受験生応援キャンペーン」をトンボ鉛筆をキャンペーンサポーター(スポンサー)にして開始。
  • 2020年(令和2年)
    • 3月27日 - 日本国内の民放ラジオ局では初めての直営事業 として、1972年から47年間にわたって続けられてきた「文化放送ラジオショッピング」(通信販売サービス)が『くにまるジャパン 極』内の放送でサービスを終了した。
      • 文化放送では、3月25日に『さよなら文化放送ラジオショッピング ~48年分の感謝を込めて~』という特別番組を11:00 - 13:00に放送。自社制作番組内のラジオショッピングコーナーについては、同月28日からグループ外の通信販売事業会社(ジャパネットたかたなど)に委ねている。
      • 「文化放送ラジオショッピング」としては、4月17日で全てのサービスを終了。7月1日から、インターネット上の通信販売サービス「文化放送ショッピング」へ移行した。
    • 10月1日 - 番組を制作する部署ごとに担ってきた番組や派生コンテンツのデジタル化関連業務を集約させる目的で、放送事業本部直轄のデジタル推進部を新設。同時に発令された人事異動では、アナウンサーの太田英明が、放送事業本部編成局のアナウンス部長からアナウンス職兼務のまま編成局長に昇格した。
    • 10月31日 - 東京ソラマチ内の「TOKYO SKYTREE TOWN STUDIO」の使用を終了したうえで閉鎖。跡区画は、店舗用スペースへの改装を経て、2021年4月22日からサーティワンアイスクリームが「東京スカイツリータウン・ソラマチ店」を営業している。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月27日 - 1968年11月19日から52年5ヶ月にわたって放送されてきた『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』がこの日で終了。
    • 3月29日 - 2022年3月31日に迎える開局70周年に向けて、「もっと過激に もっと優しく 文化放送」とのコンセプトの下で、「開局70周年アニバーサリーイヤー」企画を開始。その一環として、QRソングの開局70周年バージョン(ステーションサウンドを作詞・作曲した浅川真洋が編曲、歌唱する山村響が歌唱)を制作したうえで、交通情報・天気予報のBGMや各種コールサインなどで使用を開始。時報音についても、2015年12月6日まで使用していた音源に戻している。
    • 7月1日 - 社内組織を大幅に改編するとともに、社内の部署を4局1室、役員を3人にまで削減。改編前の部署のうち、経営管理本部、放送事業本部、メディア開発本部を廃止した。
      • 改編に伴って新たに設けられた部署は、「アドミニストレーション局」「カスタマーリレーション局」(関西支社を管轄)「コミュニケーションデザイン局」(アナウンス部や報道スポーツセンターなどを管轄)「メディアイノベーション局」「マネジメントイノベーション室」で、編成局は「コミュニケーションデザイン局」に改称。上記の名称は、A&G関連番組のプロデューサー、A&G事業部の部長、専務などを歴任した片寄好之(特別顧問)が考案した。編成局長の太田は前日付で編成局長を退任したが、アナウンス職を兼務したまま、局長級の待遇でコミュニケーションデザイン局のエグゼクティブ・プロデューサーに異動。
      • 『吉田照美のやる気MANMAN!』など多数の番組でディレクターを務めた後に、前年(2020年)12月から社長に就任していた斉藤清人は、役員削減を「『このまま立ち止まっていてはいけない』という危機感の下で、局・室長の責任・権限を明確に定めながら、意思決定のスピードアップを図った」 、編成局をコミュニケーションデザイン局に改称することは「ラジオ局には令和時代に入ってから、『番組』というコンテンツを作るだけではなく、『編成』という概念の少ないインターネットなどの世界に番組を広げていくことが問われている。放送局にとって忘れてはならない、捨ててはならない『編成』(という業務)を心に残しながら、放送局の心臓部であることを意味する『編成』という言葉をあえて乗り越えてでも、リスナーや出演者とのコミュニケーションを『デザイン』するという(方向性)を選択した」と述べた。
  • 2022年(令和4年)
    • 3月31日 - 財団法人日本文化放送協会による開局から、この日で70年に到達。 例年「開局記念日」として特別番組を編成しているこの日から、4月3日までの7日間を「開局70周年ウイーク」に設定した。さらに、「開局70周年」を記念した特別番組として、期間中(3月31日の22時から4月3日の20時まで)に『開局70周年 もっと一緒に!文化放送リスナー大感謝スペシャル「きっかけはラジオ」』を延べ70時間にわたって放送した。
      • この特別番組では、往年の人気番組を復活させる企画を相次いで編成。その一つとして、4月3日の14時から16時まで放送された『吉田照美のてるてるワイド』では、「入社前(中学・高校時代)は『てるてるワイド』のヘビーリスナーで、文化放送に入社するきっかけを与えた番組だった」と公言している斎藤が、前述した制作畑での経験を背景に、現職の社長としては初めて総合プロデューサーを務めた。
  • 2023年(令和5年)
    • 6月1日 - ウクライナの出身で、和歌山大学へ留学中の2022年に文化放送でインターンを経験していたパーダルカ・オリハを、契約社員(記者)として採用したうえで報道スポーツセンターに配属。日本以外の国・地域の出身者を文化放送が社員として採用することは「開局以来初めて」とのことで、本人は入社後に『オリハの今まで知らなかったウクライナ』(ポッドキャスト限定の音声コンテンツ)へ出演している。
    • 7月1日 - 社内組織を改編。2021年の大規模な組織再編で誕生した部署(前述)の名称が「分かりにくい」との指摘を設置当初から受けていたことを踏まえて、「総務局」(総務部・財務部・技術システム部を管轄)「コンテンツ局」(報道スポーツセンター・制作部・デジタルソリューション部・A&G事業部などを管轄)「メディアビジネス局」(営業部・営業推進部・ネットワークソリューション部・関西支社を管轄)「経営戦略室」から成る3局1室体制に改めたほか、「編成部」をコンテンツ局傘下の部署として2年振りに復活させた。その一方で「アナウンス部」(2014年1月から制作局→放送事業本部内の編成局→コミュニケーションデザイン局内に設けられていた「アナウンスルーム」)が廃止されたため、スポーツ中継を担当せずに「アナウンス部」へ所属していたアナウンサーは、主な担当番組に応じてコンテンツ局の制作部に異動している。
    • 7月10日 - 「アナウンス部」の廃止を受けてこの日に社内で開かれた懇親会へ(当時在籍していた)12名のアナウンサーのうち10名が参加したところ、6名が新型コロナウイルスへ感染したことが、13日から15日にかけてのPCR検査で相次いで判明。感染が確認された6名は無症状か軽症であったものの、1週間前後の隔離療養を求められたため、レギュラーで担当していた5つの生放送番組では代役を急遽立てるなどの措置が急遽講じられた。
      • 上記の事態を受けて、社長の斎藤は、18日の定例記者会見で当該番組の関係者やリスナーに謝罪。感染症関連の国内法における新型コロナウイルスの分類が(季節性インフルエンザなどと同等の)「五類感染症」へ移行した5月8日(月曜日)以降も、アナウンサー全員に社内や放送用ブースでのマスク着用を徹底させていることを明言したうえで、「(前述した)懇親会でクラスターが発生した可能性がある」との見解を示した。


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