推理小説
推理小説(すいりしょうせつ)は、小説のジャンルのひとつ。主として殺人・盗難・誘拐・詐欺等なんらかの事件・犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの。小説以外にも漫画やアニメ、映画やドラマ、ゲームなどさまざまなメディアに展開されるミステリーというジャンルの元になった。
概要[編集]
「推理小説」という名称は、木々高太郎が雄鶏社にて『推理小説叢書』を監修した際、1946年5月刊行の第1回配本の後記で初めて用いた(後述)。このほか探偵小説(たんていしょうせつ)、ミステリー小説(ミステリーしょうせつ)という呼び名もあるが、前者の名称は「偵」の字が1946年11月から当用漢字制限を受けたためにあまり用いられなくなった。犯罪小説、サスペンス小説と重なる部分もあるが、完全に同義という訳ではない。
誕生と発展[編集]
推理小説誕生の前提となる社会状況[編集]
世界初の推理小説は、一般的にはエドガー・アラン・ポーの短編小説『モルグ街の殺人』(1841年)であるといわれる。しかしチャールズ・ディケンズもポーに先立ち、同年1月から連載を開始した半推理・半犯罪小説の『バーナビー・ラッジ』(1841年)を書いている他、100年ほど前に書かれたヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編「王妃の犬と国王の馬」も推理に重きが置かれている。さらには『カンタベリー物語』、『デカメロン』、聖書外典『ダニエル書補遺』の「ベルと竜」などにも推理小説のような話が収録されており、どこに端を発するかという議論は尽きない。
ただ、確実に言えるのは、1830年代のイギリスに警察制度が整い、犯罪に対する新しい感覚が生まれたということである。この頃一世を風靡した『ニューゲイト小説』(英語版)は、ニューゲート監獄の発行した犯罪の記録『ニューゲート・カレンダー』を元に書かれた犯罪小説であり、後の近代推理小説が生まれる基盤を作ったと言える。
権利と義務の体系が整い、司法制度や基本的人権がある程度確立した社会であることも、推理小説に欠かせない要素であろう。
推理小説というジャンルにとって警察組織の存在は大きい。法を手に犯罪者を捕らえる新しい形のヒーローが誕生したからである。その裏側には、急速に都市化が進むイギリスで、一般市民が都市の暗黒部に対し抱く不安が高まっていた、という歴史的事実がある。そして都市化に伴うストレスのはけ口として、「殺人事件」という素材の非日常性が必要とされていたという見方もある。
発展とメディアの越境[編集]
推理小説が誕生した後、様々なアイデアが生み出されてきた。そして下記に挙げられるようなミステリにおける「基礎・応用などの土台」が作られたのである。また、科学・医学が進歩するにつれて、それらの知識を用いたトリックなどが次々と考え出された。
また、ミステリの手法は小説にとどまらず、映画・ドラマ・舞台・漫画・ゲームなど多様なメディアに波及してきた。
歴史[編集]
ポー以前[編集]
『モルグ街の殺人』以前にも推理要素を含む文学は存在していた。
旧約・新約聖書[編集]
『旧約聖書』「列王記略上」第3章にはソロモン王が裁判で名判決を下す話があり、聖書外典『ダニエル書補遺』にも「スザナの物語」「ベルと竜」のようなミステリ仕立ての説話が含まれている。
古典文学[編集]
ウェルギリウスの『アエネーイス』には、ギリシャ神話の英雄ソクラテスが、盗賊カークスに盗まれた牛を、偽の手がかりを回避しながら見事に探し出す挿話がある。
また、『カンタベリー物語』、『デカメロン』、ヘロドトスの『歴史』などにも推理小説のような話がある。
アラビアン・ナイト[編集]
最古の例の探偵小説:『千夜一夜物語』の「3つの林檎の物語」 (The Three Apples) である。
ポー以前の西洋文学[編集]
ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』(1605年)には、債権者と債務者の言い分のどちらが正しいかサンチョ・パンサが裁判長として名判決を下すエピソードがある。
ヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編「王妃の犬と国王の馬」も推理に重きが置かれている。ボーマルシェ『セヴィリアの理髪師』(1775年)には、謎解き推理小説の要素が含まれる。
ヴィドックの『回想録』(1823年)はポーのデュパン探偵ものに影響を与えた。大デュマ『ポール船長』(1838年)は冒険ミステリの色彩が強く、のちのドイルの一連の海洋奇談ものにも通じる。