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徹子の部屋

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徹子の部屋』(てつこのへや)は、1976年2月2日からテレビ朝日系列で、毎週月曜日から金曜日の13:00 - 13:30(JST)に放送されている長寿トーク番組である。前身の日本教育テレビ(NET)時代の1976年2月2日から、2023年現在、放送48年目、放送回数11000回以上を数える長寿番組で、

黒柳徹子が司会の冠番組でもある。番組開始当時の黒柳は42歳で、当番組の司会を人生の半分以上にわたって務めている。 2023年9月12日の加山雄三ゲストの回で同一司会者によるトーク番組のギネス新記録12,100回達成で番組内でギネス認定証の授与式が行われた。

概要[編集]

出演者[編集]

司会者[編集]

ゲスト出演者[編集]

通常、1回につき1組のゲストを迎える。1人で出演することが多いが、複数人で出演することもある。また2010年に出演したAKB48など、大人数での出演もわずかながらある。収録時間が長時間となったり(山村聡、大滝秀治、長嶋茂雄、ジャイアント馬場、メリル・ストリープ、ダスティン・ホフマン、トム・クルーズ)、トークが盛り上がった事により収録時間を大幅に超過した(さだまさし、小栗旬&岡田将生、石原良純&長嶋一茂)などの理由で2回に分けて放送されたケースがある。

ゲストの歴史・エピソード[編集]

  • 放送第1回目のゲストは森繁久彌(テレ朝チャンネルでの再放送の第1回目でも、森繁がゲストだった回が放送された)。なお、森繁は2009年の死去まで14回に亘って出演した。
  • 年間最初の放送では、加山雄三が1985年から1994年まで10年連続(1983年を含め計11回)出演していた。他の日も含むと、1978年から1995年まで18年連続で1月内の放送に出演していた。
  • 元々は伝統芸能や芸術関係者を中心にキャスティングされていたが、テレビ朝日の宣伝部と連携し、同局で始まる新番組ドラマに出演する俳優や、お笑い芸人をゲストに呼ぶことも増えた。
  • 黒柳が長年ユニセフなどの慈善事業に参加していることから、一般には知られていない各種市民運動団体やボランティア団体の関係者が出演することもある。
  • TBS系列『チューボーですよ!』に黒柳が出演した際、堺正章 が「『徹子の部屋』で気に入らなかったゲストとかいますか?」と尋ねたのに対し、黒柳は「気に入らないゲストはそもそも呼びません。ゲストは私が選んでます」と発言した。しかし、実際の所ゲストは基本的にスタッフが選び、黒柳が関与するのは最終段階のみとなっている。しかし、福本清三のように本来出演予定になかったものが、黒柳の意向で出演を依頼したケースもある。
タモリ[編集]
  • 1978年 - 2013年および2021年以降、年内最後の放送のゲストは全てタモリが出演(それ以前にも1977年8月11日放送分に初出演しており、出演回数は40回(特番1回を含む。加山雄三(50回)に次いで、同じく39回の永六輔と同率で2位)。
    • タモリが毎年末に出演する契機となったのは、本番組開始前年の1975年9月に『13時ショー』(本番組の前身)で放送した「珍芸スターお笑い大行進」に、当時赤塚不二夫宅に居候していたタモリが出演したことである。これは同年8月30日の『土曜ショー』で放送された「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」にタモリが出演し芸を披露、偶然、その番組を黒柳が視聴して興味を持ったことに起因する。 「タモリ#オフィス・ゴスミダ時代」、「土曜ショー#タモリのテレビ初出演」、および「13時ショー#エピソード」も参照
    • タモリがゲストとして出演する際には、テレビでほとんど見られなくなった何らかの「密室芸」の披露をしていたが、1980年代の放送では、「マヨネーズ石狩鍋」「たくあんを洗った水で作ったクリームソーダ」「チョコレートしゃぶしゃぶ」「あんこ鍋」など、通常では考えられないゲテモノ料理を2人で作って食べるのが恒例となっていた。
      • 以下はタモリが披露した密室芸の一部であるが、2012年以降はトークのみとなり、披露を行なっていない。
        1980年「竹村健一のものまね」
        1981年「久米明のものまね」
        1982年「在日外国人の弁論大会」
        1983年「浦辺粂子のものまね」
        1985年「ベッドシーンの外国人」
        1986年「ベッドシーンの外国人」(2年連続)
        1987年「在日外国人の弁論大会」(5年ぶり・再披露)、「滞日3年目の外国人牧師」、「両替機」、「ウルトラマンの顔芸」、「北京放送」、「コウモリの顔芸」、「鯛の顔芸」、「駐車場入口の駐車券発券機」、「誰でも弾けるバロック音楽」(再披露)
        1988年「救命胴衣の着用方法を紹介するスチュワーデス(CA)の外国人」
        1991年「音声を自分で変えてます」
        1995年「1人ジャングル」
        1999年「歴代受けなかったものまねベスト10」
        2002年「アザラシのタマちゃんのものまね」、「はとバスのバスガイドをする外国人」
        2003年「各国の料理教室」
        2004年「納豆を食べて感想を述べる外国人」
        2005年「ペ・ヨンジュンのものまね」、「各国のサンタクロース」
        2006年「子供からお年玉をねだられた外国人」
        2007年「浅草の仲見世に来店した外国人」
        2008年「各国のおばさん」
        2009年「骨董品屋に来店した外国人」
        2011年「手相占い師の外国人」 等他多数、放送参照。
    • しかし、2014年の『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系、1982年10月 - 2014年3月)の終了に合わせて放送枠を正午に移動すると、タモリの出演が一旦途絶えることとなる。この件についてテレビ朝日とタモリの両者とも一切コメントしなかったが、タモリが古巣に配慮したとみられている。結果、正午枠時代の出演は実現せず、現行の13時台移動後の2年目になる、2021年12月28日の年内最後の放送で8年ぶりに出演を果たした。
      • 2021年の出演時には、1977年の初出演当時の音声が写真とともに紹介されたほか、黒柳が1984年3月に『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に初出演し、当時最長となる43分を記録した逸話も振り返った。
  • トークは基本的にゲストの活躍している内容について行われるが、常連のゲストのさらに一部の相手とは、"お約束"と言えるような展開で行われる。例えば、小沢昭一が単独ゲストの場合、黒柳と小沢が何らかのテーマに沿った扮装をしてトークを行う「扮装シリーズ」が定番となり、2010年の小沢の最後の出演までに15回行われた。ただし、小沢の出演回のすべてが「扮装シリーズ」というわけではなく、例えば2008年8月14日放送でのゲスト時には戦争体験を語るためスーツ姿で出演した(その他2011年には永六輔と加藤武とともに3人で出演しているが扮装はしていない)。
    • 第1回「学生服とセーラー服」(1976年10月)
    • 第2回「国民服」(1977年8月)
    • 第3回「老後の茶飲み友達」(1986年3月)
    • 第4回「パイロットと客室乗務員」(1987年2月)
    • 第5回「医者と看護婦(現:看護師)」(1987年6月)
    • 第6回「神主と巫女」(1988年2月)
    • 第7回「コックとウェイトレス」(1991年2月)
    • 第8回「新郎新婦」(1994年8月)
    • 第9回「クレヨンしんちゃんとセーラームーン」(1996年1月)
    • 第10回「おひなさま」(1998年3月)
    • 第11回「茶髪少年とガングロ」(2000年10月)
    • 第12回「大国様と白うさぎ」(2001年10月)
    • 第13回「唐来参和とメイ・ウエスト」(2003年2月)
    • 第14回「恵比寿様と弁天様」(2007年1月)
    • 第15回「学生服とセーラー服」(2010年2月) - 初回の映像が残っていなかったことから、再び同じコスプレで過去の名場面を振り返った。
即席ユニット(松竹梅など)[編集]
  • 特別企画などの名目で、複数のゲスト(3名以上)が2日間に亘って出演する場合、黒柳の発案・命名によるゲストユニットが発生することもある。
    • 2015年より2019年まで、毎年1月の最初のゲストとして「松竹梅」(松岡昌宏(TOKIO)、大竹まこと、梅沢富美男)が2日連続でゲスト出演していた。番組内ではそのまま呼ばれていた(ただし番組表では「松竹梅」と記載せず、松岡・大竹・梅沢の氏名を記載)。リーダー役は松岡である(大竹・梅沢の暴走を止める役割を果たす名目もあった)。
      • 2020年は「祝!45年目突入SP」第1弾のゲストとして、1月31日と2月3日に出演。梅沢は女形に扮装して登場した。なお、これを最後に「松竹梅」は出演していない。
    • 2016年11月14日と15日の放送には、「秋の特別企画 仲良し!キラキラ女子会SP」と題して、平野レミ、清水ミチコ、森山良子の3名が出演。14日の放送で黒柳がユニットを発案し、それぞれの名字の頭文字をとって「平清森(たいらのきよもり)」と命名された(平清盛に因む)。
アナウンサーなど[編集]
  • テレビ朝日のアナウンサー・社員が出演したこともある。
    • テレビ朝日からは渡辺宜嗣、吉澤一彦、大下容子、富川悠太など、当代のアナウンサーが出演した。吉澤一彦が出演した1998年放送分は、朝日放送(ABC)では他の出演者の再放送に差し替えられた(朝日放送で『やじうまワイド』『新やじうまワイド』が放送されていなかったため)。他局所属のアナウンサーとしては、当時『小川宏ショー』で共演していた小川宏と露木茂がフジテレビアナウンサー時代の1976年5月5日に出演したことがある(他局の現職アナウンサーが出演した唯一のケース。小川はフジテレビとの専属契約アナウンサーだった)。
    • 2018年より『羽鳥慎一モーニングショー』MCの羽鳥慎一(フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー)と、同番組コメンテーターの玉川徹(テレビ朝日報道局ディレクター・リポーター・コメンテーター)もコンビで年末恒例ゲストとして出演している。2020年までの3年間は年内最終放送日のゲストで、それ以外の日も含むと2021年まで4年連続4回出演している。なお、玉川はNET時代も含めると、アナウンサー以外のテレビ朝日現役社員では唯一出演したことになる。
      • 2019年はドラマ『Doctor-X』にゲスト出演 した当時のエピソードを語った(前半では役柄の衣装で出演し、後半でスーツに着替えた)。
      • 2021年は前述の通りタモリ出演の復活に伴い、初めて最終日以外での出演となった(12月24日に出演)。
動物・キャラクターなど[編集]
  • 人間以外のゲストも出演したことがある。動物関連では、本来のゲストである著名人の同伴でイヌやネコなどのペットが登場した例もあるほか、ロボットが登場した例もある。
    • 架空のキャラクターでは、これまで正式なゲストとして出演を果たしたのは、テレビ朝日系の看板アニメ番組である『ドラえもん』からドラえもんのみ。いずれもCG映像での出演で、1999年12月31日(特番)と2000年2月11日の放送では大山のぶ代 が、2014年8月8日の放送では水田わさび がそれぞれを声を担当した。正式なゲストではない例では、ハローキティ、ケロヨンがサプライズで登場したことがある。
    • 2017年10月20日の放送では、黒柳を模して作られたアンドロイド「Totto」 が製作者の石黒浩とともにゲスト出演した。

各種データ[編集]

最多出演ゲスト
  • 加山雄三53回、2023年9月12日の出演分まで)
    • 通常放送のみの最多出演は永六輔の39回。
最年長出演ゲスト
  • 成田きん・蟹江ぎん(1998年12月23日、106歳
    • 単独出演では、日野原重明(2015年5月15日、103歳)が最年長。
      • 女性単独では笹本恒子(2016年12月19日、102歳)が最年長。
最年少出演ゲスト
  • 単独出演最年少は、芦田愛菜(2011年1月19日、6歳7か月
  • 単独出演以外では、尾上菊之助が生後2か月の時に母・富司純子と共に「出演」している。また鈴木福の妹・鈴木夢が2013年4月1日に芦田と同じく6歳7か月で出演している。
最多人数ゲスト
  • モイセーエフバレエ学校(モイセーエフバレエ団)(1997年7月18日) - 44人
歴代高視聴率ゲスト

視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。いずれも放送時間は13:15 - 13:55。

# 放送日 視聴率 ゲスト
1. 1981年4月10日(金) 14.5% 三浦友和
2. 1984年1月5日(木) 13.5% 武田鉄矢
3. 1981年11月3日(火・祝) 13.4% マッハ文朱
4. 1983年4月1日(金) 13.0% わらべ
5. 1982年9月15日(水・祝) 12.7% 江本孟紀
1985年5月6日(月・振休) 松田聖子
7. 1982年4月29日(木・祝) 12.6% ツービート
8. 1983年4月29日(金・祝) 12.3% 野々村真
9. 1983年9月16日(金) 12.2% あき竹城
10. 1979年8月23日(木) 11.9% 松方弘樹
1985年8月29日(木) ジェリー藤尾(坂本九追悼)

なお、特番では、2016年2月11日放送の『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』(19:00 - 20:54)が16.1%を記録している。

番組構成や収録のスタイルなど[編集]

ゲストとの会話はスタジオセットのソファに座って行われ、机には飲み物がセッティングされる。なお、ソファがとても柔らかいため、ゲストの姿勢や衣装が崩れたまま映ってしまうことがないようにとの配慮もあり、ゲスト及び黒柳が座るためのクッションには基本的にベニヤ入りの堅めのクッションを使っている。ゲストが歌手や音楽家、お笑いコンビの時には合間にパフォーマンスを披露することがある(歴代の部屋(セット)も参照)。

初期はゲストが“入室”する際に、黒柳も立ち上がって迎え、椅子を勧めていたが、黒柳が後期高齢者となってからは、両名共座った状態で、いきなり対談が始まる。

収録は放送の約1-2か月前に、毎週月・火曜日に計6〜7本のペース(月曜3・火曜4 という割合)で行われる。週1本分多く収録しているのは、黒柳がユニセフの仕事での出張や夏休み、出演する演劇などで収録を休んだり、突発的なアクシデントで放送を差し替えたりする時のストックとしてである。収録日の午前中はたっぷりと睡眠をとる。寝不足だとゲストの話が耳を素通りしてしまうからだという。黒柳の体調不良による休みは一度もない。

ゲスト選定は、スタッフらの会議で平等に候補を出し合い、それらを吟味してディレクターが事前にリサーチを行う。

話す内容は、黒柳がゲストについてその日担当のディレクターからレクチャーを受けた際に、その内容を特注のメモ用紙(紙の寸法はA6)に2Bの鉛筆で縦書きに書いたものを繋ぎ合わせたリスト(台本や質問稿ではない)をテーブルに置いて進行する。そのメモの上にゲストがコップを置くと除けたり、置かないようにあらかじめ釘を刺す。

本番組で黒柳は「たまねぎ頭」姿である。芸能界七不思議の1つと言われるこの髪型については理由があり、毎日髪形を変えると、視聴者の関心が黒柳の髪に集中してしまってゲストの方へ行かない、また襟足が出るので、黒柳の斜め後ろからの画像になっても相槌を打つ時に髪ばっかり揺れているという絵にならず、首が見えるので少しは人間味がでる、あるいは和装でも洋装でもちょっとアレンジすれば済むなどの理由で固定していると言う。ただし扮装する時は別である。

黒柳の衣装はゲストと事前打ち合わせはせず、黒柳およびスタイリストによって選ばれている。放送開始から8000回を超えるまでは全て黒柳本人が衣装を用意・選定していたが、その後はスタイリストが用意した衣装も着用するようになった。本番組で使用された衣装の一部は、年に1度日本橋高島屋で開催されているチャリティセールへ出品されている(売り上げは「青少年とともに歩む会」に寄贈)。

本番組を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「スタッフの入れ替えをしないこと」「編集をしないこと(撮って出しの手法)」だった。後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため(帯番組を編集するのは多大な労力がかかる)」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である(ただし1度だけ杉村春子の回で、年齢に関わる部分をカットした)。

黒柳は「一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている。ゲスト一人当たりに一時間ほどかけてスタッフと綿密な打ち合わせをする、「その打ち合わせをする金曜日が一番大変」と明かす。

近年進む高齢化社会にあってか、シニア世代の著名人が出演する場合、トークの内容が終活に及ぶことも多くなり、ゲストが終活のプランを明かす場としての役割も本番組ならではと言える。

また、黒柳は各媒体でのインタアビュー取材で、何十年にもわたって「出演を断ったゲストの方はいません。天候が悪いだとか体調不良ですとかそのようなゲストは一度もいらっしゃいませんでした。ゲストの皆さんに感謝しています」と必ず強調、コメントしているが、実際には初出演のオファーをしたものの即出演承諾を得られなかったゲストは何組も存在しており、それぞれの事情から後にようやく出演が実現したというケース(1988年に1度だけ出演した田中邦衛、1990年11月2日に出演した樹木希林等)や現在に至るまで出演が実現していない(故人の場合、生前一度も出演しなかった)ケースも存在する(志村けん(ザ・ドリフターズ、2020年没)などがそれに該当する)。

第1回放送から2000年11月までの初め24年10ヶ月間は、後述する特別企画や特別番組と追悼放送を除き通常では必ず、オープニング後のCM明けに1分間に満たない程度で概ね30秒間から40秒間前後時間をかけて黒柳のみの1ショットで「みなさまこんにちは。徹子の部屋でございます。今日のお客様は」から始まるゲストの説明と紹介をし、「〜さん、今日のお客様です。」で締めてからゲストとの2ショットおよびトークが始まるという構成からなっていたが、後述する徹子の部屋のテーマリニューアル再録を機に以上の時間をかけてのゲストの紹介と黒柳による番組開始の挨拶は廃止、大幅に簡略化された。以降は現在まで、冒頭からゲストとトークするようになり、ゲスト紹介は本編中に行う形に移行している。

制作[編集]

本番組の制作は当初、報道局が担当していたが、現在は総合編成局が担当している。

テーマ曲[編集]

テーマ曲は『徹子の部屋のテーマ』(2000年12月放送分のステレオ放送化によりステレオ収録にアレンジしたものに変わっている)。作曲はいずみたく。テーマ曲は、CD『SHOW WA!バラエティー・レボリューション』の中に収録されている。

受賞歴[編集]

  • 1995年 黒柳が「徹子の部屋」司会者としての業績により第3回橋田賞受賞。
  • 1997年 6月 スタッフ一同に対して第23回放送文化基金賞が贈られた。
  • 2006年 スタッフ一同に対して第54回菊池寛賞が贈られた。
  • 2011年 4月27日で放送8961回となり、同一の司会者による最多放送記録としてギネス世界記録に認定。
  • 2015年 5月27日で放送10000回となり「同一司会者によるテレビトーク番組最多放送」のギネス世界記録認定。
  • 2023年9月12日で放送1万2100回となり「同一司会者によるテレビトーク番組最多放送」のギネス世界記録を更新した。

企画展[編集]

  • 放送20周年記念「徹子の部屋展
    • 1995年、髙島屋日本橋店(東京都中央区日本橋)にて開催
  • 放送30周年記念「徹子の部屋展
    • 2006年5月、髙島屋日本橋店にて開催
  • 放送40周年・10000回記念「徹子の部屋展
    • 2015年8月26日 - 9月7日、髙島屋日本橋店
    • 2015年9月16日 - 9月27日、横浜髙島屋
    • 2015年9月30日 - 10月12日、髙島屋大阪店(南海電鉄難波駅)
    • 2015年10月14日 - 10月26日、髙島屋京都店
    • 2015年11月3日 - 11月17日、松坂屋名古屋本店
    • 2016年4月29日 - 5月10日、東急百貨店さっぽろ店
    • 2016年6月22日 - 7月5日、遠鉄百貨店(静岡県浜松市)
    • 2016年8月11日 - 8月23日、福屋広島駅前店
    • 2017年3月7日 - 3月21日、岡山天満屋
  • これらとは別に、2017年より、黒柳と田川啓二(ファッションデザイナーであり、黒柳の衣装も手掛けている。本番組にもゲスト出演経験あり)の共同プロデュースによる「黒柳徹子×田川啓二コレクション SU・TE・KI!展」→「もっと♥SU・TE・KI!展」が、高島屋(日本橋、横浜、大宮など)をはじめ全国の百貨店で催されている(もちろんテレ朝が主催している)。

備考[編集]

  • ゲストがそれまで公にしていなかった自身に関する重大事を告白することもある。こうした告白は、翌日以降の新聞や雑誌などにニュースとして取り上げられることもある。
    • 2003年には大空眞弓が癌に罹患していることを公表している。
    • 2009年には赤木春恵が乳癌であったことを本番組で告白した。
    • 大山のぶ代が脳梗塞を患っていたことを告白した。この後も、夫の砂川啓介が近況や病状を語った。
    • 武田鉄矢が鬱病体験を語った。
    • 小川宏が自らの自殺未遂・鬱病体験を初めて告白した。
    • 2001年には伊原剛志が在日朝鮮人であることを告白した。
    • 2009年には、長門裕之が妻・南田洋子の認知症を告白した。
    • 細川俊之が脳内出血で倒れていたことを告白した。
    • 2014年4月14日には大橋巨泉が中咽頭癌の手術後初めて闘病生活の苦悩を語った。
    • 2022年には中井貴一が父・佐田啓二の事故死の原因は運転手の居眠り運転だったことを告白した。
  • 番組の知名度も高く、他局も含めて数多くのパロディが存在する。
  • 本番組で放送された映像のうち初期のものについては、当時の放送用VTRが機器・テープとも高価だった上、著作権法等の縛りで番組の資料保存も安易に行えなかった事情から、大半が現存していない(黒柳自身が個人的に家庭用ビデオデッキで録画し保存したものもあるが、画質は余り良くない)ものの、出演時のスチル写真と音声を収録したカセットテープについては保存されているという。なお、1977年に石原裕次郎が出演した回は夫人の石原まき子が石原プロモーションの業務用機器で録画した非常に鮮明な映像が保存されており、後にまき子からテレビ朝日に提供された。
  • テレビ朝日や一部系列局の情報・報道番組で著名人の訃報が伝えられる際、ニュース映像に故人が本番組に出演した際の映像が頻繁に使用されており、副次的ではあるが著名人の映像アーカイブ的側面もある。
  • 黒柳が1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』の紅組司会に起用されたのは本番組の司会ぶりの評価もその一因である。
  • 字幕放送では、黒柳が喋る色は黄色で表示される(正午枠移動前は、スペシャル版を除いては白色で表示されていた)。
  • 東京新聞の取材で『最も印象に残っているエピソード』について聞かれると、黒柳は「どの方が一番面白かったとか、一番退屈だったとかということを申し上げると番組が成り立たない。今までそれを一度も言わなかったから長く続いた」と切り返した。
  • ゲストのスキャンダルは基本的には扱わない が、前述の通り、ゲストがそれまで公にしていなかった自身に関する重大事を告白したり、指原莉乃のように話の流れとして自ら語る事が必要になったゲストはいる。
  • 黒柳のスケジュールが過密であることもあって、テレビ朝日以外のテレビ局が黒柳に取材する場合にも本番組のセットで行われることがある。
  • 当初は本番中に喫煙するゲストもよく見られたが、2017年現在はたばこを吸いながら出演するゲストは居ない。
  • 石原裕次郎や三船敏郎等、初期のころは本番中にアルコールを飲むゲストも珍しくなかった。
  • 40年以上を数えるロングランとなった現在も、黒柳は「50年まではやろうと思っている」とさらなる意欲を見せている。ちなみに2022年現在、同一司会者による日本のバラエティ番組の長寿記録は『新婚さんいらっしゃい!』で桂文枝が記録した51年2ヵ月である。
  • 黒柳は、いずれは来る自身の芸能界引退、及び番組の終了について「途中でいよいよ私がダメになってきたときには、周りの人がたぶん私に言えないだろうから、近藤真彦が『黒柳さん、そろそろ仕事辞めたら?』って、私に引導を渡すことになっている」と語っている。
  • 黒柳とも親交がある松任谷由実は出演経験がないが、最終回の出演を希望している。
  • 黒柳を題材にした自伝ドラマの劇中でも、本番組が再現されている。
    • 2016年にNHK総合で放送されたドラマ『トットてれび』(中園ミホ脚本、黒柳役:満島ひかり)や、2017年10月期のテレビ朝日系帯ドラマ劇場『トットちゃん!』(大石静脚本、黒柳役:清野菜名) において、森繁久彌がゲスト出演した回が再現された(森繁役は『トットてれび』では吉田鋼太郎、『トットちゃん!』では近藤真彦がそれぞれ演じた)ほか、『トットちゃん!』ではドラマ後半以降、黒柳が収録に臨む場面が何回か再現された(いずれも劇中において、当時に近い形に模したスタジオセットが作られた)。
  • 本番組が正午枠に枠移動した後、黒柳は13時枠(第2期)時代に裏番組となっていたNHK総合『スタジオパークからこんにちは』に数回出演した。
  • 後座番組が『ワイスク・第2部』だった時期には、『ワイスク・第2部』の冒頭で本番組を観た出演者が感想を述べることもあった。
  • 後座番組が『帯ドラマ劇場』だった時期には、同作の出演者がゲストの場合、エンディングでドラマの宣伝を行うことがあった。
  • 2017年度および2019年度は本番組の後座番組に『帯ドラマ劇場』が編成されていた。この点について鈴木祐司は「『帯ドラマ劇場』の置き方が中途半端であり、(本番組と入れ替え)12時開始にしたらどうか?」との提言を行っていた。
  • 新型コロナウイルス感染拡大の影響で黒柳のリサーチを兼ねた打ち合わせがオンラインミーティング方式に変更された2020年には、ミーティングから収録までの模様に密着した取材の模様が、他のテレビ番組で相次いで放送されている。
    • 黒柳の古巣に当たるNHKでは、黒柳に対して7月7日から延べ10日間にわたって密着取材を実施した模様を、同年9月22日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』(総合テレビ)で放送。本番組の収録が取材期間中の8月4日に組まれていたことから、テレビ朝日の協力を得たうえで、綾小路きみまろ・3時のヒロインをゲストに迎えた回の収録や、きみまろの出演に向けたオンラインミーティングの模様を紹介した。ちなみに当番組では、3時のヒロイン出演回を8月18日、きみまろ出演回を同月24日に相次いで放送している。
    • なにわ男子の冠番組『なにわ男子と一流姉さん』(当番組と同じくテレビ朝日制作の全国ネット番組)の第1回放送分(10月31日)では、「一流姉さん」(年上の一流女性)を黒柳に定めたため、なにわ男子のメンバーから西畑大吾を黒柳への密着取材に派遣。西畑は、大地真央の出演(10月5日放送分)に向けた黒柳とディレクターによるオンラインミーティングから、岩崎宏美出演回(同月19日放送分)のスタジオ収録にまで立ち会った。さらに、西畑が取材を通じて学んだことを確認すべく、収録後には当番組のスタジオセットを「大吾の部屋」(当番組と同じ体裁による西畑から黒柳への3分間インタビュー)に使用している。
  • 2023年、黒柳が日本芸術院の会員になった事に伴い、同年7月に天皇である徳仁並びに皇后である雅子と皇居にて面会した際に徳仁は本番組に触れた上で「皆さん(の言葉)を引き出していらっしゃるような」と述べている。

関連商品[編集]

書籍[編集]

  • 徹子の部屋(テレビ朝日、1977年4月25日第1刷発行)ISBN 488131002X
  • 徹子の部屋 2(テレビ朝日、1978年1月20日第1刷発行)ISBN 4881310070
  • 徹子の部屋 3(テレビ朝日、1978年第1刷発行)ISBN 4881310119
  • 徹子の部屋 4(テレビ朝日、1986年発売)ISBN 4881310739
  • アルバム・徹子の部屋(テレビ朝日、1983年発売)ISBN 488131047X
  • 徹子の部屋 1(朝日新聞社・朝日文庫、1985年発売)ISBN 4022603054
  • 徹子の部屋 2(朝日新聞社・朝日文庫、1985年発売)ISBN 4022603062
  • 「徹子の部屋」の30年 あの名場面をもう一度(講談社、2007年11月29日発売) ISBN 978-4-0621-4401-8
  • 『徹子の部屋』40周年Anniversary Book(ぴあ、2015年1月15日発売) ISBN 978-4-8356-2405-1
  • 放送40周年記念 徹子の部屋 ぬり絵ブック(テレビ朝日、2016年1月29日発売) ISBN 978-4-8813-1321-3
  • あの日の「徹子の部屋」(朝日新聞出版・朝日文庫、2018年5月7日発売) ISBN 978-4-0226-1928-0
  • 「徹子の部屋」の花しごと(石橋恵三子:著、産業編集センター、2018年6月11日発売) ISBN 978-4-86311-191-2

メディア[編集]

カセットテープ
  • 徹子の部屋 想い出のスターたち(1〜3)(全国朝日放送出版部・テレビ朝日カセット、1989年発売)
映像ソフト
  • 放送20周年記念 徹子の部屋(VHS/東芝EMI・バンダイビジュアル、1996年発売)

その他[編集]

番組関連グッズについては、テレビ朝日本社1階アトリウム、東京キャラクターストリート(東京駅一番街)、東京ソラマチ「Tree Village」などにあるオフィシャルグッズショップ「テレアサショップ」や、通信販売サイト「Ropp!ng」などにて販売されている。

関連項目[編集]

  • 13時ショー
  • マシューTVシリーズ - 番組同士でコラボレーション企画を実施
  • 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!→アメトーーク! - 「徹子の部屋(惨敗)芸人」という企画で、本番組に芸人が出演した回のVTRを改めて放送。

スタッフ[編集]

現在
  • TD/SW:時田将光
  • カメラ:石井豪、桝田茂雄
  • 音声:坊上雄一郎
  • VE:木村朋宏、林航太郎
  • 照明:菅原祐・岩永智宏(共立ライティング)
  • 美術:吉村純子
  • デザイン:杉崎明日香
  • 大道具:北詰真士
  • 小道具:鶴田しのぶ
  • 電飾:貝増心
  • 生花:石橋恵三子
  • 植木:杉田英展
  • メイク:川口カツラ店
  • 選曲効果:古川貴彦、高橋健人(tsp)
  • 編成:岡村地郎・松尾健司(テレビ朝日)
  • TK:清水雅子
  • デスク:原利加子(テレビ朝日)、高畑裕子(テレビ朝日映像)
  • アシスタントプロデューサー:服部由佳子(テレビ朝日映像)
  • 制作進行:原恵美子(テレビ朝日映像)、堀江揚子
  • 絵画協力:ナカジマアート
  • ディレクター:金子克彦・江部木和美・望月美恵・池田由紀・田村真紀子・齋藤みゆき・原園知子・牧野美紀・阿部野晃久・加藤大幸(テレビ朝日映像)
  • プロデューサー:田原敦子(11代目、2003年 - 、テレビ朝日)、三ツ木仁美・中澤慎吾(テレビ朝日映像、中澤→特番時のみ)
  • ゼネラルプロデューサー:新田良太(2023年7月 - 、テレビ朝日)
  • 技術協力:テイクシステムズ
  • 美術協力:テレビ朝日クリエイト
  • 制作:テレビ朝日、テレビ朝日映像
過去
  • ゼネラルプロデューサー:藤井智久(2000年12月 - 2014年7月、テレビ朝日)、寺田伸也(2014年8月 - 2023年6月、テレビ朝日)
  • チーフプロデューサー・管轄:蓮実一隆(当時・テレビ朝日)
  • プロデューサー(以下、P):
    • 中島力(初代・13時ショーのPおよび立ち上げ時のスタッフ、1976年2月 - 1986年頃、当時・NET→テレビ朝日)
    • 竹下克介(2代目、1986年頃 - 1993年頃、当時・テレビ朝日)
    • 市川幸介(時期不明、テレビ朝日)
    • 粟井誠司(テレビ朝日映像)
  • アシスタントプロデューサー:二亦博(テレビ朝日映像)
  • ディレクター:田口智也(テレビ朝日映像)
  • SW:横関正人
  • SW/カメラ:田中雅積
  • 音声:高橋秀行、高橋英史
  • 美術:野口敏嗣
  • デザイン:小川由紀夫
  • 美術進行:浅田幸栄
  • 小道具:鈴木麻美子
  • 音効:藤井祥史(音響企画)
  • デスク:伴倫子、由利倫梨子(テレビ朝日)
  • 制作進行:山口優衣


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