広瀬時宏
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広瀬 時宏(ひろせ ときひろ、嘉永4年10月13日(1851年11月6日) - 明治2年12月29日(1870年1月30日))は新選組伍長、もしくは平隊士。変名を伊藤源助、加藤愛之助とも。生年は天保13年(1842年)の説がある。
斎藤一(山口二郎)と同じく会津の密偵だったと言われる。
経歴[編集]
- 嘉永4年、白河藩の浪士の子として生まれたとされる。
- 文久元年には京へ上洛。理由は不明だが、脱藩の説が高い。
- 文久3年5月頃には入隊。
- 同年9月の芹沢鴨暗殺時に、一度消息を絶っている。
- 元治元年7月には隊に戻って、禁門の変に参戦している。
- 同年8月10日、病気で離隊とされている。
- 慶応3年11月10日に隊へ復帰。
- 慶応4年の鳥羽・伏見の戦いに参戦。甲州勝沼の戦いの際に銃で撃たれ、重傷。
- 同年の会津戦争の際に戦線離脱。
- 明治2年12月29日、大村益次郎の殺害に加わったとして処刑された。享年19。
脚注[編集]
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