川島永嗣
川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日 - )は、埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。
ポジションはゴールキーパー。元日本代表。
クラブ来歴[編集]
プロ入り前[編集]
少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。当時からゴールキーパー志望で、セルヒオ・ゴイコチェアに憧れを抱いていた。与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めた。埼玉県選抜に選ばれ、ドイツとオランダへ遠征を行った経験がある。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権・国体・高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。
学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断。しかし、地元浦和レッズのセレクションは不合格となる。その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。川島の獲得を決めたのは、当時大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫(後にサッカー日本女子代表監督)である。
所属クラブ[編集]
- ユース経歴
- ジャクパ淑徳与野クラブ
- 与野八幡サッカースポーツ少年団
- 1995年 - 1997年 与野西中学校
- 1998年 - 2000年 埼玉県立浦和東高等学校
- プロ経歴
- 2001年 - 2003年 大宮アルディージャ
- 2004年 - 2006年 名古屋グランパスエイト
- 2007年 - 2010年7月 川崎フロンターレ
- 2010年 - 2012年 リールセSK
- 2012年 - 2015年 スタンダール・リエージュ
- 2015年12月 - 2016年 ダンディー・ユナイテッドFC
- 2016年 - 2018年 FCメス
- 2018年 - 2023年 RCストラスブール
- 2024年 - ジュビロ磐田
現在[編集]
ジュビロ磐田[編集]
ストラスブール退団後は、半年間無所属となりフランスのアマチュアクラブ・FCヒップスハイムで調整を続けた。
2024年1月12日、昨シーズンにJ1昇格を果たしたジュビロ磐田への加入が発表された。13年ぶりのJリーグ復帰となった。
代表経歴[編集]
2002年、AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなどの活躍を見せた。2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々の好セーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。
2007年2月14日には山岸範宏、林彰洋らと共にフル代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。2008年2月17日、東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でフル代表デビューを果たした。しかし、川崎のチームメイト(当時)である鄭大世にゴールを決められるデビューとなった。2008年になると川口能活の不振により楢﨑が正守護神に据えられるようになった。また、川口・楢﨑の不在時は主に都築龍太が起用されたため、この頃は代表でのスタメン機会には恵まれなかった。
2010年5月30日のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会前のテストマッチ・対イングランド戦(1-2)では、敗れたもののフランク・ランパードのPKを阻止するなど強豪相手に好セーブを連発する活躍を見せ、楢﨑に代わり本大会での正GKの座を獲得した。本大会では、グループリーグ全3試合に出場。当時、テストマッチ全敗ということもあり前評判は低かったものの、初戦のカメルーン(1-0)で本田圭佑の決勝点を守りきり無失点で勝利すると、続くオランダ戦(0-1)では敗れたものの、ウェズレイ・スナイデルのスーパーゴールによる1失点に抑え、続くデンマーク戦(3-1)で勝利を収め、海外開催のワールドカップでは初となる決勝トーナメント進出を果たした。グループリーグは2失点(内、デンマークのヨン・ダール・トマソンのPKを防いで相手正面に弾いた際のこぼれ球による)という活躍でグループリーグ突破に貢献した。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では延長戦にもつれ込み120分間無失点に抑えたが、0−0のままPK戦となり、PK戦では5本全て決められ敗れた。 2011年に開催されたアジアカップでも正GKとして起用されるものの、グループリーグ第2戦シリア戦では不可解な判定で退場し、準々決勝のカタール代表戦でも2失点するなど出来が危ぶまれた。しかし、準決勝の韓国戦のPK戦では相手のシュートを2本止め、決勝のオーストラリア戦では多くの好セーブを見せて無失点に抑え、マンオブザマッチに選出される活躍で日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献した。
2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、日本代表史上初めて背番号「1」をつけて試合に出場した。2大会連続で全試合フル出場したが、チームは1勝も挙げられずグループリーグで敗退した。
2016年、6月3日に行われたブルガリア戦で約1年ぶりに日本代表として試合に出場し、2失点はしたものの試合終了間際のPKを止める活躍を見せた。
2018年5月、2018 FIFAワールドカップの出場メンバーに選出され自身3度目のワールドカップ代表入りを果たした。グループリーグ初戦のコロンビア戦では、キンテロの弾道の低いFKを止められず、失点した。第2戦のセネガル戦では、ボールをセネガルのサディオ・マネが居る所にパンチング、そのボールがマネに当たりそのままゴールしてしまうというミスを犯し、批判の的となった。控えの東口順昭や中村航輔を推す声も出た が、日本代表監督の西野朗がベテランの川島を信頼し、第3戦のポーランド戦ではキャプテンマークを巻いて出場し、カミル・グロシツキの決定的なヘディングシュートをゴールライン上、右手一本でストップするビッグセーブを見せるなど活躍。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、数度の好守も見せた一方で、フェルトンゲンに決められたヘディングは、ポジションミスが原因という見解もあり、激闘の末、後半アディショナルタイムに失点し2-3で破れ、ベスト16という結果で終えた。3大会でW杯11試合出場は、長友佑都、長谷部誠と並び日本人最多出場となった。ミスで失点してしまうという点から批判されていたが、スポーツのデータ分析を手がける『Opta』によると7月6日(W杯期間中)までのロシアW杯のGKセーブ率ランキングで3位にランクインしている。
2019年6月、東京五輪世代中心で構成されたコパ・アメリカ2019のメンバーに選出された。初戦は、東京五輪世代の大迫敬介がスタメンに抜擢されるも、第2戦のウルグアイ戦でスタメン出場し、エディンソン・カバーニとの1対1でビッグセーブを見せるなど1年ぶりの代表戦で活躍。第3戦のエクアドル戦でも、ゴールマウスを守るもチームはグループリーグ敗退となった。
2022年カタールワールドカップの日本代表に選出。同じく代表に選ばれた長友と共に歴代4人目のタイ記録となる4度目のワールドカップ日本代表選出となった。しかし、日本代表が戦った4試合全てで権田修一が出場したため、本戦出場機会はなかった。12月15日、代表引退を発表した。
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- ストラスブール
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:2018-19
代表[編集]
- 日本代表
- AFCアジアカップ:2011
個人[編集]
- 国民体育大会 優秀選手:2000
- 関東高校サッカー大会 優秀選手:2000
- AFCユース選手権 ベストイレブン:2002
- Jリーグベストイレブン:2009
- Jリーグ フェアプレー個人賞:2009
- 彩の国功労賞:2019, 2023
- 彩の国スポーツ功労賞:2010
代表歴[編集]
- 国際Aマッチ初出場 - 2008年2月17日東アジアサッカー選手権2008 vs北朝鮮代表(重慶市奥林匹克体育中心)
- 国際Aマッチ初完封 - 2009年10月10日 vsスコットランド代表(横浜国際総合競技場)
出場大会[編集]
- U-18日本代表(2001年)
- U-19日本代表
- AFCユース選手権2002(準優勝)
- U-20日本代表
- 2003 FIFAワールドユース選手権(ベスト8)
- U-23日本代表
- アテネオリンピック予備登録
- 日本代表
- 2007年 - AFCアジアカップ2007(4位)
- 2008年 - 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選、東アジアサッカー選手権2008(準優勝)、2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ(ベスト16)
- 2011年 - AFCアジアカップ2011(優勝)、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2012年 - 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
- 2013年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2013(グループリーグ敗退)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)
- 2015年 - AFCアジアカップ2015(ベスト8)、2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
- 2016年 - キリンカップサッカー2016(準優勝)、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(ベスト16)
- 2019年 - コパ・アメリカ2019(グループリーグ敗退)、2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
- 2021年 - 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2022年 - 2022 FIFAワールドカップ(ベスト16)
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 95試合 0得点(2008年 -2022年)
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