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島原城

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島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市城内にあった日本の城。別名は「森岳城」や「高来城」。城跡は長崎県指定史跡に指定されている。

概要[編集]

有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は防備上、矢玉が当たりにくくなるので、縄張の欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守曲輪(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。

江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、続く松倉勝家の代に領民の一揆を引き起こす一因となった。

明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。

石垣と堀は江戸時代から残っている。堀では1950年代まで農家が栽培していたレンコンが根付いており、秋にレンコン掘り大会が開かれる。

歴史・沿革[編集]

江戸時代[編集]

  • 1616年(元和2年) - 有馬直純が日向国延岡藩に転封になり、代わって松倉重政が有馬氏の居城であった日野江城に入城する。
  • 元和4年(1618年) - 日野江城は手狭であったので島原城の築城を開始する。
  • 1624年(寛永元年) - 島原城完成。
  • 1637年~1638年(寛永14年~15年) - 初代重政、2代勝家の圧政により島原の乱が起こる。勝家は領内を騒乱に導いた責により斬首。松倉氏は改易となる。
  • 1638年(寛永15年) - 高力忠房が4万石で入封。以後、譜代大名が4家入れ替わる。

近現代[編集]

  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、島原県となる。この時の藩主は松平(深溝)家であった。
  • 1874年(明治7年) - 廃城令により、廃城処分となり土地建物などが民間に払い下げとなる。
  • 1876年(明治9年) - 天守以下建造物が破却される。本丸は畑地となり、三の丸には島原中学(現・島原高校)など学校が建ち並んだ。
  • 1960年(昭和35年) - 西櫓復元。
  • 1964年(昭和39年) - 天守復元。キリシタン資料・藩政時代の資料を展示する歴史資料館となっている。
  • 1972年(昭和47年) - 巽櫓復元。巽櫓は地元出身の彫刻家・北村西望の作品を展示する西望記念館となっている。
  • 1980年(昭和55年) - 丑寅櫓、長塀復元。
  • 1996年(平成8年) - 雲仙普賢岳噴火災害を伝える「観光復興記念館」開館。
  • 2006年(平成18年)4月6日 - 日本100名城(91番)に選定された。
  • 2016年(平成28年)2月18日 - 城跡が長崎県指定史跡に指定。
  • 2021年(令和3年)3月 - 『長崎県指定史跡島原城跡保存活用計画』を策定


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