岩手県
岩手県(いわてけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は盛岡市。
概要[編集]
東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,275.01km2で、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(8割強)は内陸部の北上盆地に集中し、沿岸部は平地が少なく小都市が点在する。北上盆地と沿岸部の他は、大半が山地や丘陵地である。
江戸時代初期は、現在の岩手県の前身にあたる地域は南部藩の一部と伊達藩の一部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。
名称[編集]
「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。
また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。
1872年の発足以降現在に至るまで正式には「岩手県」であるが、明治・大正期には「巌手縣」や「巖手県」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど、両方が併用されていた。「岩手県」に一本化されたのは1923年9月22日で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている。
地理・地域[編集]
自然公園[編集]
- 国立公園
- 三陸復興国立公園
- 十和田八幡平国立公園
- 国定公園
- 早池峰国定公園
- 栗駒国定公園
- 県立自然公園
- 花巻温泉郷県立自然公園
- 久慈平庭県立自然公園
- 外山早坂高原県立自然公園
- 湯田温泉峡県立自然公園
- 折爪馬仙峡県立自然公園
- 五葉山県立自然公園
- 室根高原県立自然公園
地形[編集]
- 山岳
- 奥羽山脈 - 秋田駒ヶ岳、岩手山、焼石岳、栗駒山、八幡平
- 北上山地 - 早池峰山、室根山、五葉山
- 高原
- 種山ヶ原
- 山地・山塊
- 北上山地、和賀山塊
- 河川
- 北上川水系 - 中津川、雫石川、猿ヶ石川、胆沢川、衣川
- 湖沼
- 田瀬湖
- 錦秋湖
- 岩洞湖
- 南部片富士湖
気候[編集]
内陸部は年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。内陸北部や高原地帯は湿潤大陸性気候に属し、寒さが非常に厳しい。特に藪川は冬季に-30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。沿岸部は海洋性気候で夏は冷涼である。
県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、降雪量には地域差が大きい。西和賀町と八幡平市は降雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈沿いは、降雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることもある。一方、沿岸部に位置する宮古市、大船渡市などは降雪量が少ない。
太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になることが多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温が低くなる。北上盆地に位置する盛岡市は、より北に位置する札幌市や青森市などの都道府県庁所在地よりも最低気温を下回ることが多く、都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市、花巻市、北上市、奥州市)は今でも厳冬期に気温が-15°C前後まで下がることは珍しくない。しかし、冬季の深夜・早朝は市街地と郊外の気温差が非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランド現象が顕著に見られる。
北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にある仙台市よりも最高気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。