小田急電鉄
小田急電鉄株式会社(おだきゅうでんてつ、英: Odakyu Electric Railway Co., Ltd.)は、日本の大手私鉄の一つで、東京都・神奈川県を中心に鉄道事業・不動産業などを営む会社である。略称は小田急(おだきゅう)で、小田急グループの中核企業である。
概要[編集]
1949年5月に東京証券取引所一部上場。日経225(日経平均株価)の構成銘柄の一社である。
1923年(大正12年)5月1日に旧会社である小田原急行鉄道が設立され、1941年(昭和16年)に親会社の鬼怒川水力電気がこれを合併して小田急電鉄となった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)5月1日に東京急行電鉄(いわゆる大東急)に統合されたが、戦後の1948年(昭和23年)、東京急行電鉄の再編成により、東京急行電鉄(現在の東急電鉄)、京浜急行電鉄(京急)、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)および新会社の小田急電鉄の4社に分離されて発足した。
新宿駅 - 小田原駅間を結ぶ小田原線など3路線・120.5 km(営業キロ)、計70駅を運営している。グループ企業が運行する箱根登山鉄道鉄道線のほか、東京メトロ千代田線などにも乗り入れ、首都圏鉄道ネットワークの一角をなしている。鉄軌道部門収益は1211億500万円で大手私鉄16社中5位であり、全事業収益に占める鉄軌道部門収益の割合は70.4%となっている(2020年3月31日時点)。グループ企業には、運輸、流通、不動産、ホテルなど94社ある(2020年8月1日現在)。小田急ポイントサービスの加盟店舗である。
グループ力を生かして2019年(令和元年)にMobility as a Service (MaaS) 事業にも進出し、そのためのモバイルアプリケーション「EMot」(エモット)を導入。2020年 - 2021年の新型コロナウイルス感染症による鉄道乗客減少への対応も兼ねて、EMotを使ったグループ・沿線の飲食・食品店でのサブスクリプション(定額制)による収益拡大を図っている。
経営理念[編集]
小田急グループの経営理念は『小田急グループは、お客さまの「かけがえのない時間(とき)」と「ゆたかなくらし」の実現に貢献します。』である。社会に対して事業を通じて果たすべき役割・責任や、企業市民として社会に存在する意義を表している。
社紋・ブランドマーク[編集]
社紋は1948年(昭和23年)に制定された。小田急の「小」を図案化したもので、中央の「工」は鉄道の象徴であるレール断面を、周囲の円は社内の輪を象徴している。
ブランドマークは2008年(平成20年)より使用を開始している。作成したのはランドーアソシエイツ。ロゴマークはアルファベットのOを図案化したマークと、小文字の「odakyu」ロゴの組み合わせで、「豊かな沿線環境のもとに、自然・歴史・都市文化の新しい融合、豊かな生活の創造、より多くの上質と感動を提供していく小田急グループ」を表現している。ブランドマークはodakyuとだけ記される「グループブランドマーク」、odakyuの下にELECTRIC RAILWAYと記される「コーポレートブランドマーク」、odakyuの下にGROUPと記される「グループ表示マーク」の3種類がある。
ブランドマークは導入とともに特急車両・一般車両にも掲出されている。従前から一般車両に付けられている「OER」の略称プレートも存置されたが、4000形以降の車両やリニューアル車両では省略している。
かつては、小田急ロマンスカーのエンブレムとして1700形から採用された「OER」の飾り文字と神奈川県の県花であるヤマユリの花を合わせたイラストデカールが3100形(NSE)・7000形(LSE)・10000形(HiSE)・20000形(RSE)の車内の自動ドアに貼付されていた。また、LSE(リニューアル車のみ)・HiSE・RSEには車体側面にも貼付されていた。
歴史[編集]
戦前の小田急は、星亨の側近利光鶴松が経営した電力資本・鬼怒川水力電気を親会社としていた。同社は明治43年(1910年)に資本金1350万円で設立された会社で、取締役社長に利光鶴松、専務取締役に小林清一郎、常務取締役に大塚常次郎が就き、取締役には後藤勝造、吉田幸作、藤江章夫、岩下清周、大田黒重五郎、安藤保太郎、渡辺亨、監査役に平沼専蔵、白杉政愛、木村省吾、須田宣が名を連ねた。
利光は郊外鉄道の将来性に着目し、東京市内の地下鉄網「東京高速鉄道」、山手線を外周する「東京山手急行電鉄」、城西地区の開発を目的とした「渋谷急行電鉄」などを次々と企画した。結局、実現したのは小田急線と井の頭線(渋谷急行計画の後身)だけであったが、東京高速鉄道は後に五島慶太らの手により実現した。
電力国家管理に伴う日本発送電への統合で、基幹事業の電力部門を奪われた鬼怒川水力電気は小田急を合併して電鉄会社となったが、中国・山東半島での鉱業に乗り出したのが裏目に出て同社の経営を圧迫した。そのため、利光は一切の事業を東京横浜電鉄の五島に移譲し、吸収合併されて東京急行電鉄(いわゆる大東急)となった。このため企業乗っ取りの歴史である大東急形成の中で、小田急だけは事情が異なるのだが、大東急解体の旗頭となったのは旧小田急関係者であった。
新生小田急は1948年6月、東京急行電鉄(東急)から6635万1000円で事業を譲り受けて発足した。この時、井の頭線は東急から京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に移管され分離したが、その代わりに戦前は無関係であった箱根登山鉄道と元来は東京横浜電鉄の関連会社であった神奈川中央交通を東急から譲受して系列会社とした。また、やはり戦前は無関係だった江ノ島電鉄の持株の一部も東急から譲受し、後に買い増しを行い系列下に収めている。
他方で1951年には、東急の五島の指示で相模鉄道の株を大量に買い増して、筆頭株主(持株比率 約30%)になるという事象も発生した。相模鉄道が株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を行ったため、買収に至ることはなかった。また相模鉄道は公正取引委員会に審査を申し立て、1951年(昭和26年)9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の株を買い占める行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の長崎惣之助が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道・小田急電鉄の3者間で、3カ条の覚書が交わされ、手打ちとなった。これら経緯から、今でも小田急は相模鉄道の純粋持株会社である相鉄ホールディングスの大株主となっている。その後、徐々に株式の売却を進め、2021年(令和3年)3月12日の株式の売却により筆頭株主から外れ、2022年3月時点の持株比率は4.39%(約430万株)となっている。小田急自身も相模鉄道を関連企業とはみなしていないことから、一般に相模鉄道は小田急グループには含まれていない。
近年、犬猿の仲と称された西武鉄道と営業資産の協力関係、共通商品の開発に乗り出して功を奏している。箱根地区を巡る西武鉄道グループとの確執については「箱根山戦争」の項を参照。
各ダイヤ改正の詳細は「小田急電鉄のダイヤ改正」を、下記年表にある車両基地等の新設・廃止は「小田急電鉄の車両検修施設」をそれぞれ参照。
年表[編集]
- 1910年(明治43年)10月1日 鬼怒川水力電気株式会社創立。
- 1922年(大正11年)5月29日 東京高速鉄道に対して鉄道免許状下付(東京市四谷区新宿三丁目-神奈川県足柄下郡小田原町間)(東京メトロ銀座線の一部となった五島慶太による東京高速鉄道とは別)。
- 1923年(大正12年)5月1日 小田原急行鉄道株式会社 創立。資本金1350万円。取締役社長に利光鶴松が就任。本社事務所を東京丸の内の三菱仲3号館に開設。
- 1926年(大正15年)10月4日 鉄道免許状下付(神奈川県高座郡大野村-同郡藤沢町間)
- 1927年(昭和2年)
- 1月15日 小田原急行土地株式会社を合併。資本金3000万円。
- 4月1日 一部単線で小田原線全線を開業。初乗旅客運賃は大人5銭、小児3銭。新宿駅 - 小田原駅間の運賃は1円36銭。当時の駅数は38駅。同時に向ヶ丘遊園地を開園。
- 6月14日 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅) - 向ヶ丘遊園地間で豆汽車を開業。
- 10月15日 小田原線の全線複線開通。急行運転を開始する。
- 12月27日 本社社屋(現・小田急南新宿ビル)落成。本社事務所移転。
- 12月27日 鉄道免許状下付(高座郡藤沢町大字鵠沼-鎌倉郡川口村字片瀬間)
- 1929年(昭和4年)
- 4月1日 江ノ島線全線開業。当時の駅数は13駅。新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間の運賃は95銭。
- 11月 南林間都市の土地分譲事業開始。
- 1930年(昭和5年)11月14日 相模厚木駅(現・本厚木駅) - 東北沢駅間にて砂利輸送開始。
- 1934年(昭和9年)11月1日 砂利採取販売開始。
- 1935年(昭和10年)6月1日 新宿駅 - 小田原駅間ノンストップの週末温泉特急運行開始。
- 1936年(昭和11年)9月21日 - 南武鉄道(現・JR東日本南武線)と砂利輸送列車の相互乗り入れを開始。
- 1938年(昭和13年)
- 4月1日 通行税改定に伴う旅客運賃改定。51キロ以上移動をした場合に限り、通行税2銭が運賃に加算される。
- 6月1日 バス事業開始。士官学校前駅(現・相武台前駅) - 南林間都市駅(現・南林間駅)間ほか3路線開設。
- 1940年(昭和15年)
- 4月1日 通行税改定に伴う旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税2銭が、81キロ以上移動した場合は、通行税15銭が運賃に加算される。
- 5月1日 帝都電鉄を合併して帝都線(現・京王井の頭線)を加える。資本金4280万円。
- 1941年(昭和16年)
- 3月1日 親会社に当たる鬼怒川水力電気株式会社への合併に伴い、小田原急行鉄道株式会社解散。鬼怒川水力電気株式会社は小田急電鉄株式会社と改称して新発足。資本金8780万円、取締役社長に利光鶴松が就任。
- 6月28日 利光鶴松取締役社長辞任。翌7月4日、利光学一が就任。
- 9月20日 利光学一取締役社長辞任。五島慶太が就任。
- 10月1日 電力設備一切を日本発送電株式会社へ譲渡し、発送電事業から撤退。
- 1942年(昭和17年)
- 4月1日 通行税改定に伴う旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税5銭が、81キロ以上移動した場合は、15銭が運賃に加算される。
- 5月1日 陸上交通事業調整法の趣旨に則り、東京横浜電鉄に京浜電気鉄道と共に吸収合併され、東京急行電鉄株式会社(大東急)となり、小田急電鉄株式会社解散。局制を敷き、新宿営業局の所管となる。帝都線を井の頭線と改称。
- 1944年(昭和19年)
- 4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人10銭、小児5銭。同時に、通行税が改定され、21キロ以上キロ当たり5厘の通行税が運賃に加算される。
- 5月31日 陸上交通事業調整法により、京王電気軌道も東京急行電鉄に統合される。
- 1945年(昭和20年)
- 3月14日 営業局を廃止して管理部制を実施。新宿管理部の所管となる、
- 4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 6月 井の頭線が渋谷管理部の所管になる。
- 1946年(昭和21年)
- 3月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人20銭、小児10銭に。
- 8月1日 管理部制を廃止して支社制を実施。新宿支社の所管となる。
- 1947年(昭和22年)
- 3月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人50銭、小児30銭に。
- 7月7日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人1円、小児50銭に。
- 1948年(昭和23年)
- 5月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人2円、小児1円に。
- 6月1日 東京急行電鉄から分離し、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、京浜急行電鉄と共に小田急電鉄株式会社として再発足。資本金1億円。その際、井の頭線は京王帝都電鉄の所属になる。同時に箱根登山鉄道と神奈川中央乗合自動車(現在の神奈川中央交通)を関係会社に加える。
- 7月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人3円、小児2円に。同時に、通行税が改定され、キロ当たり運賃の2割が加算される。
- 10月16日 復興整備車により、戦後初めて新宿駅 - 小田原駅間のノンストップ特急運転開始。
- 10月 新宿駅西口に案内所(現在のロマンスカー営業センター)開設。
- 1949年(昭和24年)
- 2月16日 運転整理指令所を経堂に開設。
- 5月 東京証券取引所に上場。
- 5月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人5円、小児3円に。
- 9月17日 特急列車の毎日運行開始。それに伴い初の特急専用車として1910形が就役。
- 1950年(昭和25年)
- 4月1日 通行税廃止に伴う、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 5月12日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 8月1日 箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本駅乗り入れ開始。
- 1951年(昭和26年)
- 2月1日 本格的ロマンスカーとして1700形が就役。
- 2月2日 バス事業廃止許可(南林間駅 - 相武台前駅、相武台前駅 - 座間・新戸 - 相武台前駅循環)
- 6月19日 バス事業廃止許可(小田急相模原駅 - 国立病院間)
- 8月20日 特急列車の全席指定制が導入される。
- 11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人10円、小児5円に。
- 12月1日 砂利事業を小田急砂利株式会社(後の小田急建材株式会社、1987年3月1日解散)へ譲渡。
- 1952年(昭和27年)4月1日 向ヶ丘遊園が有料となる。
- 1953年(昭和28年)
- 1月15日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 4月1日 江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)を関係会社に加える。
- 1954年(昭和29年)9月10日 立川バスを関係会社に加える。
- 1955年(昭和30年)
- 3月28日 国際観光を関係会社に加える。
- 10月1日 松田駅 - 新松田駅間連絡線開通により、国鉄御殿場線直通準急列車 「銀嶺(ぎんれい)」「芙蓉(ふよう)」の運行を開始。
- 1957年(昭和32年)
- 2月12日 大山観光電鉄を関係会社に加える。
- 4月12日 経堂鉄道教習所が、運輸大臣指定動力車操縦者養成所として認可される。
- 6月22日 ロマンスカー3000形「SE」車就役。
- 1958年(昭和33年)
- 5月23日 向ヶ丘遊園に「ばら苑」を開設。
- 6月20日 ロマンスカー3000形「SE」車が第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
- 1959年(昭和34年)
- 1月29日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 5月20日 初の無人変電所となる足柄変電所を開設。
- 1960年(昭和35年)9月7日 箱根ロープウェイ 大涌谷駅 - 桃源台駅間開通に伴い、箱根ゴールデンコースが完成。
- 1961年(昭和36年)
- 4月1日 極超短波無線中継線全線完成。
- 7月21日 鵠沼プールガーデン開業。
- 1962年(昭和37年)
- 10月19日 大野工場開設。経堂・相武台の両工場を閉鎖。
- 11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 1963年(昭和38年)3月16日 ロマンスカー3100形「NSE」就役。
- 1964年(昭和39年)
- 2月17日 新宿駅改良工事完成。小田急初の地上・地下の2層式の駅となる。
- 11月5日 急行列車の8両編成運転を開始する。
- 11月7日 社内電話の全線自動化完成。
- 1966年(昭和41年)
- 1月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人20円、小児10円に。
- 4月1日 全ての特急列車の列車無線使用開始。
- 4月23日 向ヶ丘遊園モノレール線開業。
- 7月31日 喜多見 - 多摩 - 津久井郡城山町(現・相模原市緑区) 地方鉄道敷設免許(構想路線)。
- 1967年(昭和42年)
- 3月5日 「箱根フリーパス」発売開始。
- 11月6日 新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅間などの各駅停車および準急列車の大型(20m車両)6両編成運転開始。
- 11月21日 新宿西口駅ビル完成。
- 12月14日 喜多見 - 多摩間の免許廃止、百合ヶ丘 - 多摩間の鉄道敷設認可。
- 1968年(昭和43年)
- 3月1日 大野給電所新設に伴い、全変電所の集中制御を開始。
- 7月1日 国鉄御殿場線の電化に伴い、気動車の運行を廃止し、ロマンスカー3000形「SE」短縮改造車による乗り入れ開始。
- 1969年(昭和44年)
- 6月 新宿 - 桃源台および新宿 - 元箱根間で自動車業営業を開始。
- 7月16日 ATS施設工事完成に伴い、全線で使用開始。
- 1970年(昭和45年)
- 4月1日 小田急花鳥山脈が開業。
- 8月 向ヶ丘遊園駅 - 生田駅間に初のロングレール(800m軌条)施設。
- 10月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人30円、小児15円に。自動改札機を玉川学園前駅に試験導入。
- 1971年(昭和46年)4月16日 東海自動車を傘下に収める。
- 1972年(昭和47年)12月18日 海老名電車基地開設。
- 1973年(昭和48年)
- 5月 全線の踏切に保安設備を設置。小田急における第4種踏切の消滅。
- 9月8日 運輸指令所を相模大野に移設。
- 1974年(昭和49年)
- 4月16日 全列車の列車無線使用開始。
- 6月1日 多摩線 新百合ヶ丘駅 - 小田急永山駅間開業。5駅開設。初乗旅客運賃は多摩線内に限り、大人40円、小児20円に。
- 7月20日 旅客運賃改定。小田原線・江ノ島線は初乗旅客運賃が大人40円、小児20円に。多摩線は変わらず。
- 11月15日 小田急御殿場ファミリーランド開業。
- 1975年(昭和50年)
- 4月23日 多摩線が小田急多摩センター駅まで延伸。
- 8月18日 本社事務所を新宿駅西口の小田急明治生命ビル(現・小田急明治安田生命ビル)に移転。
- 12月13日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人60円、小児30円に。
- 1976年(昭和51年)10月28日 小田急箱根アスレチックガーデン開業。
- 1977年(昭和52年)7月1日 新宿駅 - 本厚木駅間の急行10両運転開始。
- 1978年(昭和53年)3月31日 営団地下鉄(現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転開始。同時に準急10両運転開始。
- 1979年(昭和54年)
- 1月8日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人70円、小児40円、多摩線が大人80円、小児40円に。
- 2月27日 高速バスと特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入。
- 4月1日 「江ノ島・鎌倉フリーパス」発売開始(江ノ島線開業50周年を記念したもの)。
- 1980年(昭和55年)12月27日 ロマンスカー7000形「LSE」就役。
- 1981年(昭和56年)
- 5月6日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人80円、小児40円、多摩線が大人100円、小児50円に。
- 9月18日 ロマンスカー7000形「LSE」が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
- 1982年(昭和57年)
- 4月1日 新宿駅改良工事が完成し、全面使用開始。
- 7月12日 箱根登山線に大型(20m車)6両編成乗り入れ開始。
- 1984年(昭和59年)
- 1月25日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人90円、小児50円、多摩線が大人110円、小児60円に。
- 3月21日 全線の荷貨物営業を廃止。
- 11月6日 「南伊豆フリーパス」発売開始。
- 1985年(昭和60年)7月20日 「丹沢・大山フリーパス」発売開始。
- 1986年(昭和61年)10月4日 ロマンスカーに車内電話を設置。
- 1987年(昭和62年)
- 7月1日 全てのロマンスカーに禁煙車を設置。
- 10月1日 全駅で、朝7時 - 9時30分・夕方17時 - 19時30分の間を「禁煙タイム」とし、一部時間の駅構内禁煙化が行われる。
- 12月23日 ロマンスカー10000形「HiSE」就役。
- 1988年(昭和63年)
- 3月22日 ステンレスカー・VVVF制御車1000形就役。各駅停車の8両運転開始。
- 5月18日 特定都市鉄道整備積立金制度の適用により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人100円、小児50円。多摩線は、大人120円、小児60円に。
- 10月1日 プリペイドカード「ロマンスカード」発売開始。
- 1989年(平成元年)
- 4月1日 消費税の導入により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 7月20日 小田原線喜多見駅 - 和泉多摩川駅間複々線化工事着工。
- 1990年(平成2年)
- 3月27日 多摩線が唐木田駅まで延伸。
- 4月20日 『小田急時刻表』創刊。
- 1991年(平成3年)
- 1月16日 自動改札システムを暫定的に新宿駅西口地下、百合ヶ丘駅、愛甲石田駅に設置。
- 3月16日 「土休日ダイヤ」導入。ロマンスカー20000形「RSE」就役。同時に東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線と相互直通運転を開始。
- 11月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人110円、小児60円、多摩線が大人120円、小児60円に。
- 1992年(平成4年)
- 3月28日 全通勤型車両にシルバーシート設置。
- 5月21日 「西伊豆フリーパス」と「中伊豆フリーパス」発売開始。
- 1993年(平成5年)5月1日 全駅で終日禁煙を実施(ただし、喫煙コーナーは設置)。
- 1994年(平成6年)
- 3月27日 喜多見電車基地使用開始。経堂電車基地は閉鎖。
- 12月20日 小田原線世田谷代田駅 - 喜多見駅間の複々線化工事着工。
- 1995年(平成7年)9月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は小田原線・江ノ島線が大人130円、小児70円、多摩線が大人140円、小児70円に。窓口端末更新開始。
- 1996年(平成8年)
- 3月23日 ロマンスカー30000形「EXE」就役。
- 7月15日 小田急ボイスセンター開設(2004年12月に「小田急お客様センター」へ改称)。
- 10月1日 公式サイト「online Odakyu」開設。
- 1997年(平成9年)
- 3月1日 全駅に自動改札機設置完了。
- 4月1日 消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 6月23日 小田原線喜多見駅 - 和泉多摩川駅間複々線化完成、使用開始。
- 9月1日 小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行開始。
- 11月24日 小田急箱根アスレチックガーデン閉鎖。
- 12月28日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
- 1998年(平成10年)
- 3月8日 小田急花鳥山脈が閉鎖。
- 3月21日 全線の踏切が第1種甲踏切となる。
- 8月22日 全線急行10両運転開始。
- 1999年(平成11年)
- 4月1日 フェアースルーシステム(不正乗車防止システム)導入。
- 7月17日 特急列車の乗車改札を廃止。
- 9月5日 「小田急御殿場ファミリーランド」閉鎖。
- 2000年(平成12年)
- 2月13日 向ヶ丘遊園モノレール線運行休止(2001年2月1日に廃止)。
- 8月頃 全駅・全小田急トラベルで窓口端末更新終了。および、特急券の全磁気化完了(一部除く)。
- 9月3日 鵠沼プールガーデン閉鎖。
- 10月14日 共通乗車カードシステム「パスネット」導入。
- 小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行終了。
- 2001年(平成13年)
- 4月1日 バス事業を小田急箱根高速バスに分社化。
- 7月15日 特急チケットレス乗車サービス「ロマンスカー@クラブ」導入。
- 9月28日 大原さやかによる駅自動放送を登戸駅を皮切りに 、新宿・小田原・唐木田・藤沢・片瀬江ノ島の各駅を除く下り線全駅に導入するものの、2004年に順次終了。
- 10月27日 公式サイトからの特急券予約サービス開始。
- 2002年(平成14年)
- 1月15日 一般認定鉄道事業者に認定される。
- 3月23日 湘南急行・多摩急行新設。
- 10月15日 日本鉄道賞表彰選考委員会により、「第1回日本鉄道賞 情報化への貢献部門 日本鉄道賞表彰選考委員会特別賞」を受賞。
- 2003年(平成15年)
- 3月30日 小田原駅改良工事(橋上駅舎化)が完成し、使用開始。および、特急列車の座席番号方式変更。この日から窓口端末を全駅・全小田急トラベルで更新。
- 5月1日 全駅の全面禁煙化実施。
- 8月1日 箱根登山鉄道を完全子会社化。
- 2004年(平成16年)
- 10月1日 箱根地区の事業各社を統括する持株会社小田急箱根ホールディングス発足。
- 12月11日 湘南急行を廃止し、快速急行・区間準急新設。同日、「小田急東京メトロパス」発売開始。
- 2005年(平成17年)
- 3月19日 ロマンスカー50000形「VSE」就役。サルーン席の営業を開始。
- 3月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は大人120円、小児60円に。従来あった多摩線加算運賃制度は廃止。なお、定期運賃は同年4月1日に改正。
- 6月 創業一族の利光國夫が有価証券偽造報告の責任を取り会長兼グループ最高経営責任者 (CEO) を辞任。
- 8月12日 ロマンスカー10000形「HiSE」2編成を長野電鉄へ譲渡(長野電鉄では特急「ゆけむり」として2006年12月より運転開始)。
- 9月30日 ケーブルテレビ事業の子会社小田急情報サービス(現・J:COMせたまち)の全株式をジュピターテレコムに譲渡。
- 10月 小田急カード株式会社を吸収合併。
- 2006年(平成18年)
- 1月 ロマンスカー50000形「VSE」がグッドデザイン賞を受賞。
- 2月23日 主要13駅に自動体外式除細動器 (AED) を設置(その他の駅にも2012年4月までに全駅に順次設置)。
- 6月16日 ロマンスカー50000形「VSE」が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
- 7月 海老名駅自由通路整備事業の工事開始。
- 10月1日 全係員の制服を一新。駅員・乗務員は15年振り、技術係員は20年振りの変更となった。
- 2007年(平成19年)
- 3月18日 ICカード乗車券PASMOを導入。同時に東日本旅客鉄道(JR東日本)などが発行するICカード乗車券Suicaと相互利用を開始。ロマンスカー全面禁煙化化。
- 9月22日 東京メトロ千代田線への相互直通運転用通勤車両4000形(2代)就役。
- 10月14日 インターネット上に小田急バーチャル鉄道博物館開館。
- 10月15日 5分以上の遅延が発生した時に、公式サイトから遅延証明書をダウンロードができるサービスを開始。
- 2008年(平成20年)
- 3月15日 小田急グループのブランドマークの使用開始。ロマンスカー60000形「MSE」が就役し、東京メトロ千代田線・有楽町線への乗り入れ開始。一部を除き新宿 - 小田原間の急行を10両編成化。ロマンスカーを除き、箱根登山線内を運行する車両を全て4両編成化。
- 10月22日 全てのロマンスカーに自動体外式除細動器 (AED) の設置完了。
- 2009年(平成21年)4月1日 西武鉄道などと共に関東大手私鉄では初めてスルッとKANSAI協議会と提携。同日より同協議会と連携して資材の共同購入が実施される。
- 2012年(平成24年)3月16日 5000形(初代)・10000形「HiSE」・20000形「RSE」が運用終了。スーパーシート・グリーン席の営業を終了。
- 2013年(平成25年)3月23日 東京都市計画都市高速鉄道事業第九号線に基づき、小田原線の東北沢 - 世田谷代田間を含む区間を地下化。同日、IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、manaca、TOICA、ICOCA、PiTaPa、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる。
- 2014年(平成26年)
- 1月 小田急グループの箱根登山鉄道・箱根ロープウェイ・箱根海賊船とともに、全駅に駅ナンバリングを順次導入。
- 4月1日 消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は切符購入の場合は大人130円、小児70円、ICカード利用の場合は1円単位となり大人124円、小児62円に。
- 2015年(平成27年)
- 9月11日 新型自動列車停止装置 (D-ATS-P) の全線設置が完了。
- 2016年(平成28年)
- 3月26日 東京メトロ千代田線経由で小田急の車両(4000形)がJR東日本常磐緩行線に、JR東日本の車両(E233系2000番台)が小田急小田原線に、それぞれ乗り入れ開始。区間準急を廃止。
- 9月27日 タイの首都バンコクに駐在員事務所を開設。
- 2017年(平成29年)
- 3月1日 ロマンスカー30000形をリニューアルした「EXEα」の運転開始。
- 6月7日 公式スマートフォンアプリ「小田急アプリ」(Android, iPhone) 配信開始。
- 9月10日 小田原線参宮橋駅 - 代々木八幡駅間沿線のボクシングジムで火災があり、緊急停車した本厚木発新宿行き各駅停車(3000形8両編成)の新宿側から2両目(7号車)の屋根にその火が燃え移る。乗客約300人は線路に降りて避難し、けが人なし。
- 2018年(平成30年)
- 2月1日 フランス・パリに駐在員事務所を開設。
- 2月18日 鉄道業界として初となる「プラチナくるみん認定」を取得。
- 3月3日 小田原線代々木上原駅 - 梅ヶ丘駅間が複々線化。同時に登戸駅の4線化も完了し、代々木上原 - 登戸間の複々線が完成。
- 3月17日 ロマンスカー70000形「GSE」就役。JR御殿場線に乗り入れる特急ロマンスカーの愛称名を「あさぎり」から「ふじさん」に変更。通勤急行・通勤準急を新設し、多摩急行を廃止。運転士・車掌・駅係員の制服を12年ぶりに刷新し、小篠ゆまデザインによる特急ロマンスカー乗務員専用の制服を使用開始。
- 7月10日 ロマンスカー7000形「LSE」が定期運用終了。
- 2019年(令和元年)
- 7月1日 国際連合の持続可能な開発目標 (SDGs) 推進のため、神奈川県と連携協定を締結。
- 10月1日 江ノ島電鉄株式会社を完全子会社化。消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は切符購入の場合は変わらず、ICカード利用の場合は大人126円、小児63円に。
- 10月7日 スマートフォン用MaaSアプリ「EMoT」(エモット)とそれを使った実証実験の計画を発表。
- 11月8日 QRコードによる運行情報サイトへの誘導を開始。
- 12月10日 地域密着型サービスプラットフォーム「ONE(オーネ)」リリース。
- 2020年(令和2年)
- 3月26日 通勤車両5000形(2代)就役。
- 3月31日 普通回数乗車券の販売を終了。翌4月1日より企画回数券「小田急チケット10」の発売を開始。
- 2021年(令和3年)
- 3月13日 ダイヤ改正を実施し、このダイヤ改正から冊子の「ポケット時刻表」の配布を廃止。
- 4月19日 同社初の屋内常設展示施設「ロマンスカーミュージアム」が開業。
- 8月6日:小田急線刺傷事件が発生。
- 2022年(令和4年)
- 3月11日:ロマンスカー50000形「VSE」の定期運行をこの日で終了。
- 3月12日:小児運賃を一部改定し、ICカード利用時に限り全区間一律50円とする。小児通学定期乗車券も全区間一律金額に値下げ。
- 4月1日:「小田急おでかけポイント」導入。
- 7月31日:「小田急チケット10」の販売を終了。
- 2023年(令和5年)
- 2月20日:社屋の老朽化などのため本社を移転し、海老名と新宿の2拠点体制化。神奈川県海老名市めぐみ町2番2号(ViNA GARDENS OFFICE)に設置した海老名本社に交通サービス事業部を移転、27日には経営企画本部やまちづくり事業本部が海老名本社に移転(一部部署は新宿本社に機能分割)。
- 8月21日:新宿本社の一部部署を東京都新宿区西新宿2丁目7番1号(小田急第一生命ビルディング)に移転、28日には新宿本社の全部署を小田急第一生命ビルディングに移転。
歴代社長[編集]
法人 | 代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
小田原急行鉄道 | 初 | 利光鶴松 | 1923年 - 1941年 | 明治法律学校 | |
小田急電鉄
(旧法人) |
初 | 利光鶴松 | 1941年3月20日 - 7月3日 | 明治法律学校 | |
2 | 利光學一 | 1941年7月4日 - 9月19日 | 東京帝国大学 | 戦後、神奈川中央交通取締役会長 | |
3 | 五島慶太 | 1941年9月20日 - 1942年 | 東京帝国大学法学部 | ||
東京急行電鉄
(大東急) |
初 | 五島慶太 | 1942年 - 1944年 | 東京帝国大学法学部 | |
2 | 篠原三千郎 | 1944年 - 1945年 | 東京帝国大学法学部 | ||
3 | 平山孝 | 1945年 - 1946年 | 東京帝国大学法学部 | ||
4 | 小林中 | 1946年 - 1947年 | 早稲田大学政治経済学部中退 | 日本開発銀行初代総裁 | |
5 | 井田正一 | 1947年 - 1947年 | 東京帝国大学法学部 | ||
小田急電鉄
(現法人) |
初 | 安藤楢六 | 1948年 - 1969年 | 東京帝国大学 | 旧小田急電鉄出身、東京急行電鉄取締役副社長 |
2 | 広田宗 | 1969年 - 1981年 | 東京商科大学(一橋大学) | 三菱銀行出身 | |
3 | 利光達三 | 1981年 - 1991年 | 立教大学 | ||
4 | 滝上隆司 | 1991年 - 1997年 | 早稲田大学商学部 | ||
5 | 北中誠 | 1997年 - 2003年 | 一橋大学商学部 | ||
6 | 松田利之 | 2003年 - 2005年 | 法政大学経済学部 | ||
7 | 大須賀賴彦 | 2005年 - 2011年 | 早稲田大学政治経済学部 | ||
8 | 山木利満 | 2011年 - 2017年 | 東京都立大学法学部 | 2017年5月26日から日本民営鉄道協会会長 | |
9 | 星野晃司 | 2017年 - 現職 | 早稲田大学政治経済学部 |
路線[編集]
小田急電鉄は以下の路線を営業している。小田急が営業している以下の路線、特に本線である小田原線は「小田急線」と呼ばれる。
過去には以下の路線を営業していた。
- 向ヶ丘遊園モノレール線:向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅間 (1.1 km)
- 向ヶ丘遊園索道線:遊園正門前駅 - 見晴台駅間 (0.245 km)
また、他の鉄道路線との連絡線として「その他の営業線」で述べる松田連絡線を保有しているほか、過去には「その他の廃止線」で挙げる連絡線を保有していた。