小田和正
小田 和正(おだ かずまさ、1947年〈昭和22年〉9月20日 - )は、日本のミュージシャン、会社役員。元オフコースのリーダーでボーカリスト。株式会社ファー・イースト・クラブ(FAR EAST CLUB INC.)代表取締役社長。血液型はA型。
来歴[編集]
横浜市金沢区出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育ち、兄が一人居る。兄・小田兵馬(1946年3月27日生まれ、聖光学院中学校・高等学校→東京薬科大学薬学部)は家業を継ぎ薬剤師となり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。幼少時代は横須賀中央のバイオリン教室に通っていた。実父は、東京都本郷の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章を受章している。
趣味はゴルフ、水彩画。古今亭志ん生のファンである。
関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、聖光学院に進学。小学3年生の時中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、京浜急行の車中で鈴木康博と運命の出会いを果たす。鈴木とは第1志望だった栄光学園中学の受験に失敗(2人共に)し、進んだ中高一貫教育である聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生だった。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露した。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホール(=ラ・ムネホール)がある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。なお、1999年、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。また、新校舎完成時にもホールで演奏を披露するコンサートに出演した。
オフコース[編集]
聖光学院卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学、建築学を専攻。同期には藤森照信がいる。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京ではレベルが高く、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める。
しかし、鈴木は音楽一本に決めたが、地主は小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた。小田は1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、審査の担当教授安東勝男に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。
オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。
ソロ以降[編集]
1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。 1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、オリコンシングルチャートで第1位を獲得し、258.8万枚の売上を記録。また自身初のミリオンセラーとなった。
その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「たしかなこと」、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。
1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町の東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし全治4週間の重傷を負う。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制のところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行。スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。同乗者は無し。幸いにも、後続車による追突や横転、反対車線への飛び出しなどがなかったため、一命を取りとめる。約2週間の入院後、奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われたスターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。
2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。
CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。
また、音楽以外の分野では映画やドキュメンタリーの制作なども行った。
明治村が好きで、何度も足を運んでいる(特にフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル中央玄関のミニチュアがお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する名古屋鉄道の企業CMで小田の曲が使われている。
2007年、東北大学が創立100周年記念事業の一環として開催した「東北大学100周年記念式典」において、「東北大学100周年記念文化貢献賞」を芸術・文化部門において受賞する。さらに、聖光学院が開催した「聖光学院中学校・高等学校創立50周年祭」において、招待公演を横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)で行った。
2008年11月、地元に近い京急本線金沢文庫駅の接近メロディに「my home town」が採用された。
2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県大船渡市民文化会館・リアスホールの落成記念公演を行った。
2010年10月20日発売の松尾一彦のミニ・アルバム『せつなくて』にピアノ&ピアノ・アレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。
2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新。
2016年4月20日発売のベストアルバム『あの日 あの時』はオリコンで週間1位となり、「アルバム首位獲得最年長アーティスト(68歳7ヶ月)」として、矢沢永吉の記録(63歳8ヶ月)を更新。
2017年11月23日、NHK-FM「今日は一日“小田和正”三昧」でメッセージの形でだが鈴木康博と35年ぶりに共演した。
2022年6月3日、 福島県のビッグパレットふくしまで、3年ぶりとなる全国アリーナツアー『Kazumasa Oda Tour 2022 「こんど、君と」』をスタート。74歳8ヶ月でのアリーナツアー開催は、国内アーティスト史上最年長記録。なお、ツアー中、小田和正が新型コロナウィルスに感染したことから、 8月3日、4日の東京公演(代々木第1体育館)および8月13日、14日の沖縄アリーナ公演は、中止になった。その後、8月21日に香川県内で行われた野外ロックフェスティバル「MONSTER baSH 2022」で復帰した。
映画制作[編集]
中学生時代に見た映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバー」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。
オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったビデオクリップを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。
1992年、第1回監督作品となる映画『いつか どこかで』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。
1997年、監督第2作目となる映画『緑の街』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。
プロデュース / コラボレーション[編集]
ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化。
ソングライターとして鈴木雅之、中村雅俊、島倉千代子や松たか子らの楽曲を全面的にプロデュースする他、ASKAや佐藤竹善、スキマスイッチらとコラボレーションする。
また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、泉谷しげるらとのチャリティライブ、スターダストレビュー、CHAGE and ASKAらとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。
小田自身のソロライブでも、コーラスに安部恭弘、佐藤竹善、山本潤子、加藤いづみらを起用している。
2021年4月、福島県立喜多方高等学校が喜多方東高等学校と統合し、単位制高校に改編した新たな喜多方高等学校の校歌の作曲を担当。
作品[編集]
コンサート[編集]
ツアー[編集]
年 | タイトル | 公演規模 | 公演日程 | 会場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1990年 | 第一生命サウンドスペシャル
K.ODA TOUR 1990 Far East Club Band |
全国40か所、56公演 | 5月31日 - 11月7日 | [表示] | |
1991年 - 1992年 | 第一生命サウンドスペシャル
Sometime Somewhere K.ODA TOUR FAR EAST CLUB BAND 1992 |
全国33か所、59公演 | 12月1日 - 4月25日 | [表示] | |
1995年 | FUN MORE TIME! KAZUMASA ODA TOUR 1995 | 全国36か所、60公演 | 1月7日 - 5月23日 | [表示] | 以後「ご当地紀行」と呼ばれる、ツアー先の名所などを小田が訪れるVTR上映がスタート。 |
1997年 - 1998年 | 日産エルグランドPresents
K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW |
全国50か所、65公演 | 9月2日 - 2月3日 | [表示] | 日本武道館公演で、ステージ上に客席の設置が試みられ、以後オンステージ・シートとして定着していく。 |
2000年 | SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000 | 全国45か所、59公演 | 5月11日 - 10月12日 | [表示] | このツアーから加藤いづみがコーラスに参加(2002年のツアーまで)。 |
2002年 | ファミリーマートPresents
K.ODA TOUR 2002 「Kira Kira」 |
全国25か所、39公演 | 5月2日 - 8月18日 | [表示] | このツアー以降、オンステージ・シートのほか、客席内への花道設置が恒例となった。 |
2005年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2005 "大好きな君に" |
全国20か所、40公演 | 6月3日 - 12月22日 | 動員数 約32万人[表示] | |
2008年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008 "今日も どこかで" |
全国29か所、52公演 | 4月5日 - 9月26日 | 動員数 約33万人[表示] | 関東地区の公演(一部)の主催がTBSに変更。 |
2008年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008 "きっと またいつか♪今日も どこかで FINAL♪" |
全国3か所、4公演 | 11月26日、27日12月6日、20日 | 動員数 約20万人[表示] | ドームツアー |
2011年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2011 "どーも どーも その日が来るまで" |
全国25か所、48公演 | 5月7日 - 10月26日 | 動員数 約67万人[表示] | 自身初の5大ドーム公演を含む。東京、神奈川を除き、日程の大半が週末に組み込まれたが、一部公演が東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、延期および見送り(公演中止)となった。 |
2012年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2012 "どーも どーも その日が来るまで" |
東北地区、横浜市6か所、11 | 4月14日 - 5月26日 | 動員数 約7万人[表示] | 東北ツアーは東日本大震災の影響により、中止となった宮城、岩手、秋田を含む5県での開催。横浜赤レンガパーク野外特設ステージは追加公演で、関東地区で唯一の週末開催となった。このツアーに合わせて新曲『その日が来るまで』を制作、披露した。 |
2013年 | 明治安田生命Presents
小田和正コンサート "その日が来るまで" |
東北地区3か所、6公演 | 5月15日 - 5月31日 | [表示] | 『東北さくらライブプロジェクト』の支援の一環として、東北3か所にて開催。また10月には沖縄公演を実施した。 |
2014年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2014 "本日 小田日和" |
全国18か所、36公演 | 6月28日 - 10月29日 | 動員数 約25万人[表示] | 園山光博 (Sax) が不参加。 |
2015年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2014 - 2015 "本日 小田日和" |
全国7か所、14公演 | 1月29日 - 3月18日 | 動員数 約7万人[表示] | 前年に実施したツアーの追加公演 |
2016年 | 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2016 "君住む街へ" |
全国24か所、48公演 | 4月30日 - 10月30日 | 動員数 約34万人[表示] | ツアー開始前に熊本地震が発生し、大分・別府公演の開催が危ぶまれたが、予定通り開催された。 |
2018年 - 2019年 | 明治安田生命Presents
ENCORE!! Kazumasa Oda Tour 2018 |
全国21か所、48公演 | 5月4日 - 1月9日 | 動員数 約40万人[表示] | 当初6月20日、21日に開催予定の大阪城ホール公演は、6月18日に発生した大阪府北部地震の影響により2019年1月8日、9日に延期。また、熊本公演の収益を熊本地震の義援金として寄付した。 |
2019年 | 明治安田生命Presents
Kazumasa Oda Tour 2019 ENCORE!! ENCORE!! |
全国8か所、16公演 | 5月14日 - 7月31日 | 動員数 約15万人[表示] | 前年のツアーの追加公演 |
2022年 | 明治安田生命Presents
Kazumasa Oda Tour 2022 こんど、君と |
全国15か所、31公演 | 6月3日 - 12月1日 | 動員数 約27万人[表示] | 当初は2022年11月9日に終了予定だったが、バンドメンバーと小田自身の新型コロナウイルス感染により、開催見送りおよび振り替え公演が発生した。 |
2023年 | 明治安田生命Presents
Kazumasa Oda Tour 2023 こんどこそ、君と!! |
全国8か所、18公演 | 5月3日 - 8月2日 | 動員数 約18万人[表示] | 前年のツアーの追加公演。前回未開催だった東京公演が振り替え公演の国立代々木競技場第一体育館に加え、有明アリーナが組み込まれた。また、有賀啓雄が2月に前立腺がんで没後、吉池千秋がベーシストとして約30年ぶりにツアーに帯同した。 |
野外コンサート[編集]
年 | 形態 | タイトル | 公演規模 | 公演日程 | 会場 | ゲスト | 協賛 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | スタジアム | MY HOME TOWN
KAZUMASA ODA/FAR EAST CLUB BAND |
全3公演 | 8月25日、8月29日 - 8月30日 | 阪急西宮スタジアム横浜スタジアム | 鈴木雅之(8月29日)徳永英明、富樫要(8月30日) | 第一生命三菱自動車 |
2000年 - 2001年 | カウントダウン | ちょっと寒いけどみんなでSAME MOON! | 全1公演 | 12月31日 - 1月1日 | 横浜・八景島シーパラダイス・マリーナヤード | 山本潤子鈴木雅之佐橋佳幸 | 明治生命日本中央競馬会 |
ジョイント[編集]
- FM仙台 20th Anniversary / 仙台放送 40th Anniversary - Super Collaboration 「FROM S」。その他の出演者:稲垣潤一、清貴、坂本サトル、HOUND DOG、中川晃教(2002年8月31日、スポーツランドSUGO)。
- サウンドコニファー229〜青春の影〜 CHAGE and ASKAと共演。財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、富士急ハイランド・コニファーフォレスト)
- LIVE Kiroro Kobukuro LIVE in EXPO'70にゲスト出演。Kiroro、コブクロ、佐藤竹善、夏川りみらと共演(2004年8月12日、大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場)
- Golden Circleにゲスト出演。寺岡呼人、スキマスイッチ、亀田誠治、ミドリカワ書房と共演(2005年11月20日、品川ステラボール)
- J-WAVE LIVE 2000+6での平井堅のコーナーに飛び入り出演。「瞳をとじて」と「たしかなこと」をセッション(2006年8月19日、国立代々木競技場第一体育館)。
- スターダストレビュー結成25周年記念ライブ『25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き』にゲスト出演。オダレビ(小田とスタレビのジョイントユニット)としてそれぞれの代表曲を演奏したほか、このイベントのために即興で作った「思い出はうたになった」(未発表曲)を根本要とデュエット(2007年5月19日、さいたまスーパーアリーナ)
- 東北大学創立100周年記念祝賀会(野外)の坂本サトルのコンサートに飛び入り出演(2007年8月26日、東北大学片平キャンパス・屋外特設ステージ)
- 京都音楽博覧会にてくるりと共演(2007年9月23日、2008年9月6日、京都梅小路公園)
- INGNI Presents 『Your Songs Our Songs』にゲスト出演。CHARA、奥田民生、トータス松本、矢井田瞳、スガシカオ、Salyuと共演(2007年11月4日、大阪城ホール)
- 情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、佐藤竹善と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、森山直太朗、河村隆一、西村由紀江、古澤巌(2008年8月9日、江東区夢の島陸上競技場)
- J-WAVE LIVE 2000+8でのくるりのコーナーに飛び入り出演し、「ばらの花」をセッション(2008年8月17日、国立代々木競技場第一体育館)。
- めざましテレビ15周年記念特別企画ファイナル『元気のミナとも』グランドフィナーレにゲスト出演し、出演者、観客とともに『今日も どこかで』を歌う。このときの共演者は大塚範一、高島彩、中野美奈子、松尾翠、遠藤玲子、生野陽子、加藤綾子、中村光宏、皆藤愛子、JUJU(2009年2月15日、東京ビッグサイト西4ホール)
- コスモアースコンシャスアクト・アースデー・コンサートにゲスト出演し、絢香と共演(2009年4月22日、日本武道館)
- FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGICに出演し、松たか子、佐藤竹善、一青窈らと共演(2009年5月31日、大阪城ホール)
- 情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、森山直太朗と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、クリスタル・ケイ、柴田淳、一青窈、CHEMISTRY、SALT&SUGAR(佐藤竹善&塩谷哲)、秦基博(2009年8月1日、万博記念公園もみじ川広場)
- 『サマーピクニック・フォーエバーinつま恋』にゲスト出演。南こうせつ、伊勢正三、イルカ、森山良子、尾崎亜美、坂崎幸之助、山本潤子、松山千春らと共演。サプライズゲストとして加藤和彦が出演(2009年9月20日、ヤマハリゾートつま恋特設会場)
- MONGOL800 ga FESTIVAL 『What a Wonderful World!! 09』にゲスト出演。MONGOL800と共演。その他の出演者は古謝美佐子(元ネーネーズ)、サンボマスター、ジッタリン・ジン、JUJU、DOBERMAN、Dragon Ash、MAJESTICS、マキシマムザホルモン、山嵐、与世山澄子&仲本正国グループ、RIP SLYME、RYUKYUDISKO(以上、五十音順。2009年10月3日、沖縄県読谷村ヨミタンリゾート特設会場)
- THE BOOM Special Live Tour2010 “BOOMANIAにゲスト出演。THE BOOMと共演(2010年5月29日、静岡県浜名湖ガーデンパーク屋外ステージ)。
- なごや・きよす夢まつり「夢花火音楽祭 音市音座」にゲスト出演。その他の出演者はKAN、杉山清貴、STARDUST REVUE、平松愛理、渡辺美里(以上、五十音順。2010年10月16日、愛知県清須市西枇杷島町南六軒付近 特設ステージ(みずとぴぁ庄内前)
- OTODAMA FOREST STUDIO 2010にゲスト出演。その他の出演はキマグレン、THE BOOM、スターダスト・レビュー、Chara with laidbook(2010年10月17日、神奈川県・湘南国際村めぐりの森)
- めざましLIVE ISLAND TOUR 2013 FINALに出演。アンコールではmiwa、JUJU、Flumpool(以上、出演順)とともに「今日も どこかで」を演奏した(2013年10月27日、日本武道館)
- 『イルカ45周年 ニッポン放送イルカのミュージックハーモニー25周年記念 青春のなごり雪コンサート』にゲスト出演。イルカ、伊勢正三、太田裕美、松山千春、南こうせつと共演。その他の出演者は小椋佳。案内役としてフリーアナウンサーくり万太郎(2017年1月15日、東京国際フォーラム・ホールA)
チャリティコンサート[編集]
- 奥尻、島原深江地区救済チャリティコンサート「日本をすくえ'94」(1994年8月16日日本武道館)に出演
- アフガニスタン復興支援のためのチャリティーコンサート『KAZUMASA ODA TOUR 2003「Kira Kira」』(2003年5月4日 早稲田大学戸山キャンパス内記念講堂)
テレビメディアへの見方[編集]
オフコース時代よりテレビというメディアには不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であったが、ソロ活動を始めて以降、ネスカフェのCM出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できることを条件にしている。
2001年にはTBSからの熱心なオファーを受けて『クリスマスの約束』を企画、出演した。その成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。2004年には『クリスマスの約束』の発展形である『風のようにうたが流れていた』を、3か月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと語り、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。2005年には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。
2005年末に一部で、NHK紅白歌合戦への出演依頼を受けているとの噂が流れたものの、結局出演することはなかった。小田自身はその年のコンサート(2005年ツアー、日本武道館)で、同年の紅白歌合戦に選出されたスキマスイッチをゲストに迎えた際、この番組に対し「自分にとって紅白に出ることは偏見がある」と語っていた。
出演[編集]
ドキュメンタリー[編集]
- キャディ 青木功/小田和正 〜怒られて、励まされて、54ホール(1994年5月5日、テレビ東京) - プロゴルファー青木功のキャディを務めた時のドキュメンタリー。
- 日本をすくえ(1994年9月14日、テレビ朝日) - チャリティライブ制作のドキュメンタリー。
- 密着ドキュメント 小田和正 〜毎日が“アンコール”〜(2019年2月2日、NHK BSプレミアム) - 2018年に行われた全国ツアーのドキュメンタリー。
特別番組[編集]
- 追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界(1992年1月24日、NHKBS2) - ファンを公言する小宮悦子によるロングインタビューがメイン。その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、Far East Club Band リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同じ)。
- 音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日、NHK総合) - 映画「いつかどこかで」監督風景やFar East Club Band リハーサル・ライブ映像。
- クリスマスの約束(TBS) - 2001年より毎年12月25日(クリスマス)前後に放送。
- 佐野元春のザ・ソングライターズ - (2009年7月4日・11日、NHK教育)
- 情熱大陸700回記念特別企画『井上真央が撮る小田和正』(2012年6月10日、6月17日、MBS)
- KAZUMASA ODA TOUR"どーもどーも その日が来るまで"(2012年6月24日、WOWOWライブ) - 2011年から2012年にかけて行われた全国ツアーから2011年9月28日、29日の東京ドーム公演の模様を放送。
- 100年インタビュー「時は待ってくれない〜小田和正」(2017年3月20日、NHK BSプレミアム) - 聞き手はオフコース時代からの大ファンである阿部渉アナウンサー。同年3月15日の『NHKニュース おはよう日本』(NHK総合)でも10分間のダイジェスト版を放送。同年6月11日に60分の短縮版(同年8月10日未明(同年8月9日深夜)にもNHK総合で放送)、同年8月13日に未公開シーンとライブ映像、オフコース時代に出演した『若い広場』のダイジェストを織り込んだ3時間の完全版を放送。
- 小田和正音楽特番『風のようにうたが流れていた』(2019年3月30日、TBS) - 2001年から2017年までクリスマスの時期に放送されていた小田出演の『クリスマスの約束』の制作チームが手がけた特別番組。小田の母校である神奈川県横浜市の聖光学院中学校・高等学校で収録。
- 小田和正 Tour 2018〜2019 ENCORE!! ENCORE!!(2019年10月19日、NHK BSプレミアム) - 全国24か所64公演、およそ55万人を動員した最新の全国ツアーの中から追加公演の模様を放送。さらにライブではおなじみとなっている名物企画「御当地紀行」を、阿部渉アナウンサーと一緒にめぐり、ライブにかける思いや心境が語られた。
CM[編集]
- ネスカフェ ゴールドブレンド
- goodtimes & badtimes(1988年)、Little Tokyo(1989年)
- 第一生命
- 君にMerry Xmas(1989年 クリスマス2日間限定)、Oh! Yeah!(1991年)、my home town(1992年)
- アルバム『Oh! Yeah!』(1991年)
- Oh! Yeah!
- アルバム『自己ベスト』(2002年)
- アルバム『そうかな』(2005年)
- トヨタアリオン(2005年)
- Re
- シングル「こころ」(2007年)
- アルバム『自己ベスト-2』(2007年)
- 明治プロビオヨーグルトLG21「希望の歌声」編(2009年)
- 今日も どこかで
タイアップ(CM)[編集]
- 第一生命
- 野球編・ラグビー編 - 哀しみを、そのまま(1986年)※野球編は小田、ラグビー編は市川崑がそれぞれ演出。
- 卒業編 - 僕の贈りもの(1988年)
- 仲直り編・床屋編 - 恋は大騒ぎ(1990年)※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。
- いつか どこかで(1991年)※映画『いつか どこかで』の撮影風景を使用
- 三菱自動車工業 ミラージュ
- 春風に乱れて (1990年)、風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年)
- シャープ 液晶ビューカム
- 風の坂道(1993年)
- 味の素 ほんだし
- またたく星に願いを(1993年)
- 日産自動車 エルグランド
- 風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年)
- JRA ブランドCM
- woh woh(2000年・2011年)、19の頃(2000年・2012年)、風の街(2001年)、彼方(2013年)
- 明治生命 / 明治安田生命
- 言葉にできない(2000年 - 2003年 ※一時期、小田のライブ映像を使用)、たしかなこと(2004年)、オリジナル曲(2010年)、愛になる(2014年)、風を待って(2020年7月 - )
- ハウス食品 北海道シチュー
- 大好きな君に(2003年)、
- 日本コカ・コーラ 緑茶「一(はじめ)」
- オリジナル曲(2006年3月 - 6月)
- 名古屋鉄道
- 大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)、緑の街(2011年)、Re(2013年)、この街(2014年- )、キラキラ(2018年 - )
- マックスファクター
- 若葉のひと(2009年3月)
- ソニーBRAVIA 4K
- 今のこと(2013年6月)
- SUBARU
- wonderful life(2015年5月 - )
- NTT東日本
- オリジナル曲(2017年3月- )
- JAL×コカ・コーラ2020「Airport」篇
- 会いに行く(2020年12月 - )
関連書籍[編集]
- Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、朝日新聞社)
- キャディ(小田和正 著、1994年初版、スタジオシップ)
- YES-NO小田和正ヒストリー(小貫信昭 著、1998年初版、角川書店)
- たしかなこと(インタビュアー/著 小貫信昭、2005年初版、ソニー・マガジンズ)
- 小田和正歌詞集 風うた〜恋〜(小田和正 著、2006年初版、主婦と生活社)
- 小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、ジービー)
- 小田和正という生き方(陥合真司 著、2009年初版、青弓社)
- 小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、幻冬舎)
- ダイジョウブ(小田和正 著、2011年初版、講談社)
記録[編集]
- 1985年 シングル「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。
- 1991年 シングル 「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。
- 2001年 アルバム 『LOOKING BACK 2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は井上陽水『GOLDEN BEST』1999年7月 51歳0か月)
- 2002年 アルバム 『自己ベスト』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月)
- 2004年『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik』1998年11月 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は河村隆一『Love』1997年12月)
- 2005年6月 アルバム 『そうかな』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月)
- 2007年8月 シングル 「こころ」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は石原裕次郎「北の旅人」1987年8月 52歳7か月)
- 2007年12月 アルバム 『自己ベスト-2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。
- 2010年4月 アルバム 『自己ベスト|』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
- 2010年11月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月
- 2011年4月 アルバム 『どーも』
- ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スター『ザ・ビートルズ1』(2000年11月27日付 60歳4か月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は秋元順子の61歳7か月(2009年1月26日付でシングル『愛のままで…』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は吉田拓郎の63歳0か月での6位獲得(2009年4月27日付『午前中に…』))。
- 「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録はマイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月)
- 2011年5月 アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月)
- 2013年5月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
- 2014年7月 アルバム 『小田日和』 - 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人ソロ最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人ソロ最年長記録は髙橋真梨子の64歳4か月での4位獲得(2013年6月24日付『髙橋40年』))。
- 2016年4月 アルバム 『あの日あの時』 - ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳7か月(それまでの同記録は矢沢永吉の63歳8か月(2013年5月27日付『ALL TIME BEST ALBUM』))。
- 2016年5月 アルバム 『あの日あの時』 - 返り咲きでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」・ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳8か月(それまでの返り咲きでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は山下達郎の59歳8か月(2012年10月22日付『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』)。それまでのソロでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は(自己記録更新、それまでの同記録は68歳7か月))。
- 2016年6月 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度上半期2位獲得 上半期10位以内獲得最年長記録」 68歳9か月(それまでの同記録は由紀さおりの63歳7か月での2012年度上半期10位獲得(『1969』))
- 2016年12月 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度年間4位獲得 年間10位以内獲得最年長記録」 69歳3か月(それまでの同記録は山下達郎の59歳10か月での2012年度年間10位獲得(『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』))
声[編集]
男性ながらファルセットを使わず女声域までの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。オフコース初期には、バンドに女性ボーカルがいると間違われることもしばしばあったという。その少年のような歌声から変声期を経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。しかし、2005年のコンサート中のMCにて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。また、ファンの中では話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えていることが多い。
東北大学時代は混声合唱団でテノールを担当していた。
「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1オクターブ低くなる。ウィーン少年合唱団の声は女声と同じ音域であるが小田の話声は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。ただ、小田の歌声の発声領域は、「ヘ音記号」楽譜の下のソ音(G2)付近から「ト音記号」楽譜の上のレ音(D6)付近までである。
ファンクラブ[編集]
オフィシャル・ファンクラブはないが、スタッフがパーティーやミーティングなどに活用しているプライベートスペースとして“Far East Café”が運営されている。通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。
また、Far East Caféではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFÉ PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Caféでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。
そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。
受賞歴[編集]
- 1997年
-
- 第14回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『伝えたいことがあるんだ』)(ドラマ『最後の恋』主題歌)
脚注[編集]
注釈
- ^ 東京公演として10月2日、3日の2日間実施。10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。
- ^ 追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。最終日にあたる11月7日公演は体調不良で予定より30分遅れで開演(VISA太平洋マスターズトーナメントプロアマ戦出場後に声が出なくなったため)、MCで「この落とし前は必ず着けます」とコメント。[要出典]
- ^ 終了後にFNS歌謡祭に出演。
- ^ 1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。
- ^ 1月18日、19の2日間実施。1月19日公演では映画『いつか どこかで』の出演者時任三郎、藤原礼美、宅麻伸がゲスト出演。[要出典]
- ^ 4月1日、2日の2日間実施。
- ^ 追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。最終日に当たる4月25日はアンコールでCHAGE and ASKAがゲスト出演、3人で「SAY YES」を歌う。小田は「駆け出しの2人が来ています」と紹介。[要出典]
- ^ 2月に2公演を予定していたが、阪神淡路大震災による倒壊のため中止。代替公演として4月に御影公会堂裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。コンサート・グッズなどの売り上げの一部を義援金に充てた。その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。このときのゲストは泉谷しげる。
- ^ 4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。4月28日公演では島倉千代子と佐藤竹善、5月22日公演では鈴木雅之がそれぞれゲスト出演した。5月23日公演はVTR収録が行われ、[要出典]その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。
- ^ 前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。[要出典]
- ^ 9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、アンコールの前にスタッフが用意したバースデーケーキとファンからの「ハッピーバースデー」の大合唱に驚く場面があった。[要出典]
- ^ 12月10日、11日の2日間実施。翌年2月3日には追加公演として実施。ライブビデオの収録も行われた。
- ^ 1月30日、31日の2日間実施。1月31日公演ではツアーメンバー山本潤子と今滝真理子のソロコーナーがそれぞれ設けられたほか、佐藤竹善がゲスト出演。PLUS ONE「クリスマスが過ぎても」を披露。[要出典]
- ^ 7月26日、27日の2日間実施。
- ^ 松山千春がゲスト出演。[要出典]
- ^ 『ご当地紀行』で市内の動物園を訪れたとき、中高年の女性ファンから財津和夫に間違えられるというハプニングが起きた。このとき「もう二度と熊本には来ません!」と冗談交じりにコメントしたが、[要出典]以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった(2005年のツアーのご当地総集編(12月の日本武道館公演)で熊本を取り上げたときにもその映像が使われ、「それ以来、熊本には一度も来ていない」という字幕が付けられた)。[要出典]
- ^ 10月11日、12日の2日間実施。最終日でアンコールの最中にカウントダウン・コンサートの開催を発表し、観客を驚かせた。[要出典]
- ^ 明治生命も協賛。
- ^ 当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。
- ^ ASKAと大友康平がゲスト出演。[要出典]
- ^ コンサート終了後、NHK総合テレビ『音楽旅人』の収録で笑福亭鶴瓶と対談。
- ^ 8月6日、7日の2日間実施。8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。
- ^ 8月17日、18日の2日間実施。
- ^ 8月と10月に2公演ずつ実施。
- ^ 鈴木雅之がゲスト出演する予定だったが、体調不良のためキャンセル。[要出典]
- ^ 財津和夫がゲスト出演。[要出典]
- ^ ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。10月13日公演では根本要がゲスト出演、「銀座カンカン娘」と「木蘭の涙」を披露した。[要出典]
- ^ 7月6日、7日、9月21日、22日、12月6日、7日にそれぞれ2公演ずつ(計6公演)。7月6日公演ではムッシュかまやつ、9月22日公演では松たか子、12月6日公演では矢野顕子とゆず、12月7日公演ではスキマスイッチがゲスト出演。[要出典]
- ^ 12月10日、11日の2日間実施。12月11日公演ではスガシカオがゲスト出演し、「夜空ノムコウ」をデュエット。[要出典]
- ^ 12月20日、21日の2日間実施。12月20日は親交のある星野仙一(現:東北楽天ゴールデンイーグルス監督。当時の役職は阪神タイガース・シニアディレクター)がゲスト出演し、小田とトークセッションを繰り広げた。
- ^ a b 4月に2公演実施。
- ^ 4月と9月にそれぞれ2公演ずつ。9月20日の小田の誕生日当日にも実施され、アンコールでは観客による「ハッピーバースデー」の大合唱が起こった。
- ^ ソロ初のツアーとなった1990年以来。5月21日、22日と8月12日、13日にそれぞれ2日間ずつ実施。
- ^ オフコース時代の1987年以来。
- ^ 6月6日、7日と9月27日、28日にそれぞれ2日間ずつ。6月7日公演の終了後、めざましテレビ(フジテレビ、2008年6月23日放送。当初は同年6月16日の放送予定だったが、岩手・宮城内陸地震報道を優先したため変更された)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの大塚範一と、軽部真一、中野美奈子、生野陽子(高島彩と皆藤愛子は不参加)。[要出典]
- ^ 6月と9月2日、3日にそれぞれ2日間ずつ。9月3日公演では松たか子がゲスト出演し、「おやすみ」を披露。またアンコールでの「今日も どこかで」ではコーラスを担当。[要出典]
- ^ 6月18日、19日に2日間実施。
- ^ スターダスト・レビューがゲスト出演。
- ^ 8月に2公演実施。8月24日の公演では松山千春がゲスト出演し、小田のギターに合わせて「恋」を歌った。[要出典]
- ^ 9月10日、11日に2日間実施。9月11日の公演では、2001年の同日に起きたアメリカ同時多発テロ事件に因んでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏した。[要出典]
- ^ それまではニッポン放送や、TOKYO FM、フジテレビ、テレビ朝日などが主催を受け持ったことがあった。東京公演はキョードー東京、横浜公演はKMミュージックがプロモートに付く。
- ^ オフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。
- ^ 開演前に急病人の看護があり、予定より45分遅れで開演。[要出典]
- ^ 終了後スタッフから胴上げされ、感極まり涙を見せた(同年12月22日の民放各局のワイドショーでもこの日の公演の模様が一部放送)。[要出典]
- ^ 当初の予定では全国28か所、55公演だった。[要出典]
- ^ 当初は3月26日から9月29日までの予定だった。[要出典]
- ^ 6月8日、9日の2日間実施。6月9日は公演中に地震が発生したが、混乱もなく予定通り行われた(この時の横浜市中区の震度は2)。
- ^ 4月22日、23日に実施予定だったが、6月18日、19日に延期、実施。
- ^ 2000年のツアーでの熊本市民会館以来の熊本公演。
- ^ 4月8日、9日の2日間を予定していたが、7月29日、30日に延期、実施。
- ^ 5月3日、4日に実施予定だったが、8月9日、10日に延期、実施。8月10日公演分ではアコースティック・コーナーでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏。また、アンコールの最後では「生まれ来る子供たちのために」を演奏した。[要出典]
- ^ 4月と8月にそれぞれ2公演実施予定だったが、4月公演分(4月1日、2日)は8月19日、20日に延期、実施。8月公演分(8月19日、20日)は10月13日、14日に延期。
- ^ 4月と8月に2公演ずつ実施を予定していたが、4月公演分(4月26日、27日)は8月24日、25日に延期、実施。8月25日公演ではアンコールの最後で「ラブ・ストーリーは突然に」を演奏した。[要出典]8月公演分(8月24日、8月25日)は10月25日、26日に延期、実施され、ツアーとしての最終公演地となった。
- ^ 9月3日実施。台風12号の影響で、30分遅れで開演した。
- ^ 9月10日実施。
- ^ 9月17日、18日に実施。
- ^ 9月24日、25日に実施。
- ^ 9月28日、29日に実施。2日間ともVTR収録が行われ、9月28日公演分が9月30日の民放各局のワイドショーで一部放送されたほか、9月29日公演分がファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2011』に一部収録された。さらにこの模様は2012年6月24日21:00 - 23:00にWOWOWライブで放送された。
- ^ 8月11日、12日に実施予定だったが、他会場の延期日程調整の都合上により、8月11日公演分は見送り。8月12日公演分は10月18日に延期、実施。
- ^ 3月26日、27日に実施予定だったが、10月21日、22日に延期、実施。
- ^ 4月16日、17日の2日間を予定していたが、地震の影響で見送り。
- ^ 6月18日、19日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。
- ^ 7月29日、30日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。
- ^ 原則として1会場2公演だが、京都会館、びわ湖ホール、テアトロン、札幌ドーム、福岡PayPayドーム公演は1公演のみとなる。
- ^ 4月14日、15日の2日間実施(前年4月16日、17日の振り替え公演)。
- ^ 4月21日、22日の2日間実施(前年6月18日、19日の振り替え公演)。4月22日公演ではMONKEY MAJIKがゲスト出演し、「空はまるで」を披露した。[要出典]
- ^ 4月28日、29日の2日間実施。
- ^ 5月12日、13日の2日間実施(前年7月29日、30日の振り替え公演)。
- ^ 5月19日、20日の2日間実施。
- ^ 雨天決行。荒天の場合は翌日に延期となっていたが、予定通り実施。またこの模様は翌々日の民放各局のワイドショーで放送。
- ^ 2012年1月25日付の公式ホームページ上で正式に発表された。
- ^ 6月28日、29日の2日間実施。2日後の民放各局のワイドショーで初日公演の模様をダイジェスト放送。
- ^ 7月5日、6日の2日間実施。
- ^ 7月12日、13日の2日間実施。東京公演が週末に行われたのは1991年12月から1992年4月にかけて行われたツアーでの日本武道館公演(1992年4月23日、24日、25日)以来22年ぶり。7月12日公演の終了後、めざましテレビ(フジテレビ、2014年7月16日放送)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの三宅正治と、軽部真一、生野陽子、三上真奈(加藤綾子は不参加)。[要出典]
- ^ 7月18日、19日の2日間実施。
- ^ 7月26日、27日の2日間実施。
- ^ 8月5日、6日の2日間実施。
- ^ 8月13日、14日の2日間実施予定。
- ^ 8月21日、22日の2日間実施。
- ^ 8月26日、27日の2日間実施。
- ^ 9月4日、5日の2日間実施。
- ^ 9月10日、11日の2日間実施。
- ^ 9月18日、19日の2日間実施。
- ^ 9月25日、26日の2日間実施。
- ^ 10月2日、3日の2日間実施。
- ^ 10月11日、12日の2日間実施。
- ^ 10月16日、17日の2日間実施。
- ^ 10月22日、23日の2日間実施。日本武道館で行われるのは2008年ツアー以来6年ぶり。
- ^ 10月28日、29日の2日間実施。
- ^ 1月29日、30日の2日間実施。
- ^ 2月3日、4日の2日間実施。国立代々木競技場第一体育館で行われるのは、2011年ツアー以来4年ぶり。
- ^ 2月10日、11日の2日間実施。2日間とも大雪に見舞われたが、公演は予定通り行われた。
- ^ 2月17日、18日の2日間実施。
- ^ 2月28日、3月1日の2日間実施。
- ^ 3月11日、12日の2日間実施。初日となった3月11日はMCで東日本大震災のことについて語った。[要出典]
- ^ 3月17日、18日の2日間実施。2日間ともアンコールの最後は「my home town」を演奏したほか、2日目のアンコールでは「YES-YES-YES」でシンクロライトコントローラーを使用した演出が見られた。なお、2日目の模様は民放各局のワイドショーで一部が放送された。[要出典]
- ^ 4月30日、5月1日開催。
- ^ 5月7日、8日開催。
- ^ 5月14日、15日開催。
- ^ 5月21日、22日開催。
- ^ 5月28日、29日開催。
- ^ 6月7日、8日開催。
- ^ 6月14日、15日開催。さいたまスーパーアリーナでの公演は『クリスマスの約束・大好きな君に』(2005年11月29日)以来。
- ^ 6月21日、22日開催。
- ^ 6月30日、7月1日開催。7月1日公演ではめざましテレビ(フジテレビ)から軽部真一、永島優美、山﨑夕貴、三上真奈(フジテレビアナウンサー)が来場。後日、軽部と永島が小田の所属事務所を訪れ、インタビューを敢行した(この模様は同年7月14日に放送)。[要出典]
- ^ 7月6日、7日開催。
- ^ 7月13日、14日開催。
- ^ 7月23日、24日開催。
- ^ 7月30日、31日開催。
- ^ 8月5日、6日開催。
- ^ 8月11日(山の日)、12日開催。
- ^ 8月17日、18日開催。
- ^ 8月24日、25日開催。
- ^ 8月30日、31日開催。
- ^ 9月6日、7日開催。
- ^ 9月17日、18日開催。
- ^ 9月27日、28日開催。
- ^ 10月9日、10日(体育の日)開催。
- ^ 10月18日、19日開催。
- ^ 10月29日、30日開催。
- ^ 5月4日、5日開催。
- ^ 5月12日、13日開催。
- ^ 5月19日、20日開催。
- ^ 5月26日、27日開催。
- ^ 6月5日、6日開催。
- ^ 6月13日、14日、10月24、25日開催。
- ^ 6月26日、27日開催。
- ^ 7月3日、7月4日、10月30、31日開催。
- ^ 7月14日、15日開催。
- ^ 7月21日、22日開催。
- ^ 7月28日、29日開催。西日本豪雨及び台風12号の影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。
- ^ 8月8日、9日開催。台風13号の影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。8月9日の公演終了後、めざましテレビ(フジテレビ、同年8月15日放送)の取材を受ける。この時訪れたのはキャスターの三宅正治、永島優美、軽部真一(ともにフジテレビアナウンサー)。[要出典]
- ^ 8月18日、19日開催。
- ^ 8月28日、29日開催。日本武道館での開催は2014年ツアー以来4年ぶり。
- ^ 9月6日、7日開催。前回ツアー開催時は「盛岡市アイスアリーナ」。
- ^ 9月12、13日、2019年1月8日、9日開催。
- ^ 9月22日、23日開催。
- ^ 9月29日、30日開催。
- ^ 10月5日、6日開催。
- ^ 10月12日、13日開催。
- ^ 10月18日、19日開催。
- ^ 5月14日、15日開催。前年に続いての開催。
- ^ 5月21日、22日開催。前年に続いての開催。
- ^ 6月1日、2日開催。四日市ドームでの開催は2016年ツアー以来3年ぶり。
- ^ 6月19日、20日開催。長野ビッグハットでの公演は2011年ツアー以来8年ぶり。
- ^ 6月26日、27日開催。前年に続いての開催。2日間ともVTR収録を行った。
- ^ 7月4日、5日開催。前年に続いての開催。
- ^ 7月18日、19日開催。前年に続いての開催。
- ^ 7月30日、31日開催。
- ^ 東京2公演と福岡1公演が中止となったため。
- ^ 6月3日、4日開催。
- ^ 6月11日、12日開催。
- ^ 6月22日、23日開催。
- ^ 7月1日、2日開催。
- ^ 7月9日、10日開催。
- ^ 7月16日、17日開催。
- ^ 7月23日、24日開催。
- ^ 8月3日、4日開催予定だったが、バンドメンバーの有賀啓雄の新型コロナ感染が判明したため、開催見送り(その後、小田自身もコロナ感染が判明)。
- ^ 8月13日、14日開催予定だったが、小田自身のコロナ感染が判明したため、開催見送り。
- ^ 8月24日、25日開催。ベースは有賀に代わって吉池千秋が担当。
- ^ 9月10日、11日開催。
- ^ 9月17日開催。ただし、9月18日公演分が台風14号の影響により開催中止となった(当該日の振り替え公演はなし)。
- ^ 9月27日、28日、11月8日、9日開催。
- ^ 10月8日、9日開催。
- ^ 10月19日、20日開催。
- ^ 10月29日、30日開催。
- ^ 8月13日、14日分の振り替え公演として11月30日、12月1日開催。
- ^ 5月3日、4日開催。
- ^ 5月10日、11日開催。
- ^ 5月23日、24日開催。前年に続いての開催。
- ^ 6月3日、4日開催。有明アリーナでの開催は初であるが、東京公演の週末開催は2014年ツアーの東京体育館(7月12日、13日)以来9年ぶり。
- ^ 6月17日、18日開催。
- ^ 前年8月3日、4日の振り替え公演として、6月28日、29日開催(チケットは振り替え公演でも使用可能)。なお、国立代々木競技場第一体育館での公演は2016年ツアー(9月27日、28日)以来7年ぶり。
- ^ 7月8日、9日開催。
- ^ 7月20日、21日開催。前年に続いての開催。
- ^ 8月1日、2日開催。前年に続いての開催。
- ^ 後にスターダスト・レビューのアルバム『ALLWAYS』(2008年11月17日発売)に収録された。
- ^ 軽部真一と伊藤利尋はスケジュールの都合で不参加。
- ^ この日は自身の62歳の誕生日であり、南こうせつの音頭で観客から『ハッピーバースデー』の合唱で祝福した。また、NHK BS-hiでもイベントの模様が生中継されたが(13:00 - 18:00、18:45 - 20:00)、自身が出演した時間帯は大河ドラマ『天地人』を放送していたため、出演部分が放送されなかったが、同年10月18日にNHK BS-2で放送された総集編ではオンエアされた。ちなみに演奏曲目は『ひとりきり』(かぐや姫。シングル『僕は何をやってもだめな男です』のB面曲)と『今日も どこかで』。
- ^ 「たしかなこと」、「Yes-No」、「ラブ・ストーリーは突然に」、「キラキラ」、「言葉にできない」、「その日が来るまで」の6曲を演奏。
- ^ 小田が初めてイルカの曲をアレンジしたのが1980年11月25日発売のシングル『夜明けのグッドバイ』はロサンゼルスでレコーディングしたことについてのエピソード、更に次作シングル『FOLLOW ME』制作当時のエピソードで「小田さんの声を入れてはいけないといったレコード会社間の制約規制が厳しかった。小田さんがコーラスを考えてやってくれたのだけど結局使えなかった。」とイルカのMCで語っている。また、コンサートの模様は2017年3月19日NHK BSプレミアム「イルカ デビュー45周年~青春のなごり雪コンサート~」としてオンエアされた(22:50 - 24:20)。演奏曲目は『FOLLOW ME』(イルカ)、『サラダの国から来た娘』(イルカ)と『言葉にできない』。アンコールで『まあるいいのち』(イルカ。アルバム『我が心の友へ』のB面5曲目つまり全11曲の最後に収録。小田自らアレンジ)を伊勢、太田、松山、南と共演している。
- ^ 「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」といった音楽番組にも出演しなかった。ただし、小田のみでは1984年に「テレフォンショッキング」、オフコース単体では一部のドキュメンタリー番組や「オレたちひょうきん族」に出演経験がある。
- ^ ネスカフェのCMも、自分の注文(それまで定番だった『違いの分かる男…』のコピーを使わない)が受け入れられたからOKしたと語っている。
- ^ 小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「スキウタ」上位にランクインしたため。
- ^ オフコース時代に明治ブルガリアヨーグルトのCMソングを歌ったことがある。
出典[編集]
- ^ True, Chris. Kazumasa Oda | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月16日閲覧。
- ^ “【小田和正 ライヴレポート】『Kazumasa Oda Tour 2018「ENCORE!!」』2018年8月28日 at 日本武道館”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク (2018年9月11日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ “小田和正、井上陽水、松任谷由実……70年代に一世風靡し、現在も最前線で活躍するSSWの共通点”. Real Sound. blueprint (2019年6月15日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “小田和正が母校・聖光学院でライブ「風のようにうたが流れていた」に杏、矢野顕子ら”. 音楽ナタリー. 2022年9月18日閲覧。
- ^ “ヨコハマ・キラキラ(第14回) 小田薬局社長 小田兵馬さま第3弾/オフコース&赤い鳥「8人の音楽会」を解説! | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信” (Japanese). 2021年10月28日閲覧。
- ^ 2010年2月25日付 日本経済新聞夕刊に掲載された名古屋鉄道の企業広告
- ^ CMギャラリー|名鉄ライブラリー|名古屋鉄道(2022年2月28日閲覧)
- ^ 小田和正、ソロ最多74万人動員ツアー完走 地元横浜で客席乱入!、2012年5月27日、オリコン。
- ^ “小田和正、74歳8ヶ月で“最年長ツアー”開幕「全部の日が大切ですが、特別大切」”. オリコン (2022年6月4日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ “コロナ療養中の小田和正 沖縄公演も見送り「出来る限り万全に近い状態で」”. スポーツニッポン (2022年8月2日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ “小田和正、野外フェス出演 ホルモン・ダイスケはんと“人生初”メタルポーズも!!”. スポーツニッポン (2022年8月21日). 2022年8月23日閲覧。
- ^ 福島県教育委員会/統合後の校名について 2023年5月4日閲覧。
- ^ 小田和正 初のオールタイムベスト!オフコース曲も収録(スポーツニッポン 2016年1月25日付)