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宮崎駿

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宮崎 駿(または宮﨑 駿、みやざき はやお、1941年〈昭和16年〉1月5日 - )は、日本のアニメーション監督、アニメーター、脚本家、漫画家。別名義として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てるき つとむ または てれこむ)がある。株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館(三鷹の森ジブリ美術館)名誉館主(初代館主)。

東京都東京市出身。学習院大学政経学部卒業。1963年に東映動画にアニメーターとして入社。その後いくつかの会社を経てフリーとなり、その間にテレビアニメ『未来少年コナン』、初の劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』で頭角を現した。

1984年に個人事務所の二馬力を設立し、翌年に高畑勲らとアニメーション制作会社スタジオジブリの設立に参加(2005年に同社取締役に就任)。以後『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』などの劇場用アニメーションを監督し、『千と千尋の神隠し』でベルリン国際映画祭金熊賞とアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。2014年には日本人で2人目のアカデミー名誉賞を受賞した。

2024年3月、第96回アカデミー賞で長編アニメ映画賞『君たちはどう生きるか』が21年ぶり2度目のオスカー受賞に輝く。埼玉県所沢市在住。

来歴[編集]

数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、1941年1月5日に東京市で生まれた。比較的に裕福な暮らしをしていたという。

太平洋戦争が始まり、宮崎航空機製作所が宇都宮に移転したこともあり、幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らしていた。1947年、母親が結核を発症し、以後9年間にわたり寝たきりの状態となる。1950年、小学校4年に進級時に東京都杉並区永福町に転居。

幼少時は身体が弱かったので運動は苦手だったが、絵はずば抜けて上手かった。熱心な読書家であり、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『沙漠の魔王』のファンという“漫画少年”でもあった。

進学校である東京都立豊多摩高等学校在学中、中学3年生の時に観た東映動画製作『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持つようになる。学生時代に、中学の恩師・佐藤文雄のアトリエでデッサンを独学で学び、ポール・セザンヌのような印象派に影響されている。

アニメーターの道へ[編集]

学習院大学に進学し、児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志し漫画を描き続けていたが、アニメーションの世界へ進む事を決断する。

学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に定期採用で入社し、動画などを手がける。当初は東映動画で制作されていた作品に魅力を感じることが出来ず、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』に強い感銘を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと決意した。

『ガリバーの宇宙旅行』のラストシーンが宮崎のアイディアで変更されるなど、早くから才能を現した。大塚康生は「あ、これはぼくより沢山絵を描いている」と感じたという。 結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任し、アニメーターの待遇の改善に尽力する。高畑勲・森康二・大塚康生らと共に3年がかりの大作、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1965年 - 1968年)を作り上げた。

1965年秋には、東映動画の同僚で、アニメーターの大田朱美と24歳で結婚し、その後2人の男児をもうける。

ルパン三世で初監督[編集]

1971年、高畑勲、小田部羊一と共に東映動画を退社し、新企画『長くつ下のピッピ』を制作するためにAプロダクションに移籍したが、原作者の許諾を得られず立ち消えになってしまう。

その後、宮崎と高畑は大塚康生に誘われ、視聴率が低調だったTVアニメ『ルパン三世』で宮崎にとって事実上の初監督の仕事を引き受ける(高畑と共同。名義上はAプロダクション演出グループ)。半年間で放送は終了したが、その後の『ルパン』の基礎となる部分を作り上げた(詳しくはルパンの項を参照)。

アルプスの少女ハイジ[編集]

「ピッピ」の経験を活かし、大塚、高畑、小田部らと子供向け映画『パンダコパンダ』(1972年、1973年)を2本作る(脚本、場面設定、美術、原画などを担当)。

高畑、小田部とともにズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍し、『アルプスの少女ハイジ』の準備に入る。1974年TVアニメ、『アルプスの少女ハイジ』で全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。

未来少年コナン[編集]

1978年、『未来少年コナン』(NHK)で監督を務める。名義上は演出であり監督ではないが、他に監督はおらず、実質的には監督として現場を仕切っていた。

毎週放送という厳しいスケジュールの中で、演出を行いながら、オリジナルスケッチ(ストーリーボード)・設定・キャラクターデザイン・メカデザインを全話担当し、大半の絵コンテ、レイアウトを描いた上、スタッフの作った脚本・絵コンテ・レイアウト・原画を、高畑勲応援分を除き全て1人でチェックするという、前代未聞の超人的な作業量をこなした。

風の谷のナウシカ[編集]

テレコム・アニメーションフィルムによる日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に大塚康生や高畑勲らと共に携わり、アメリカとの間を行き来したが、企画への疑問から降板。1981年4月に公開された『じゃりン子チエ』を監督予定だったが原作をそのまま使わない意向を示して高畑勲が監督することになった。テレビシリーズについては1981年4月から製作開始した『名探偵ホームズ』の監督に就任していたが、合作相手のイタリア側の事情で4話分が完成した段階で制作が中断した。同時期には『花王名人劇場』の枠で1981年8月に放送されたテレコム制作の『東海道四谷怪談』も最初は宮崎が監督をすることになっていたが、宮崎が推薦した大塚康生に変更になった。

この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』などの原型となるオリジナル企画を構想しているが実現には至らなかった。

宮崎の才能に惚れ込んだ鈴木敏夫は『風の谷のナウシカ』の映画化を目論み、徳間書店の企画会議に持ち込んだ。しかし、「原作のないものは、無理」という理由で却下された。『コナン』の時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫は、オリジナル企画実現のため「原作付き」のハクをつけることを考案、『アニメージュ』1982年2月号より『風の谷のナウシカ』の連載が始まり、やがて多くの読者の支持を集めるようになる。

さらに、自社イベントの為の特別短編アニメーション企画を彼に持ち掛ける。企画は短編の筈だったが次第に拡大、尾形の尽力により、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し、宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメーション映画として製作・公開された。

映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟ってヒット作となり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。

スタジオジブリ設立[編集]

1985年に徳間書店の出資を得てスタジオジブリを設立し、以後の制作の基盤とした。1986年の『天空の城ラピュタ』と1988年の『となりのトトロ』では興行成績はそれほど振るわなかったが、その後両作の人気は著しく高まり、ぬいぐるみなどのグッズの販売やビデオ販売の収入により、ジブリの経営を支えた。

また1986年頃、宮崎が推薦した押井守によるルパン三世劇場版第3作の頓挫後にはスタジオジブリで押井を監督に据え、宮崎の脚本による作品『アンカー』を準備するなどしている。

『魔女の宅急便』(1989年)はスポンサーの意向により、当初指名されていた佐藤順一、次に指名された片渕須直が降板し宮崎が後を継いだ。本作はその年の興行トップとなる大ヒットとなる。これを受けてジブリの労働環境を整えるため社員化を決定する。

『紅の豚』(1992年)は、もともと日本航空の機内で上映される中編として企画されたが、次第に構想が膨らみ、長編作品として公開された。

『耳をすませば』(1995年)で、脚本、絵コンテ、製作プロデューサーを担当。

1997年に公開された『もののけ姫』は、ジブリ史上最大の製作費、宮崎の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行記録を15年ぶりに塗り替える大ヒット作となった。宮崎駿は完成後の打ち上げの際、これが最後の作品となると発言し大きく報道されたが、翌年に引退宣言は撤回した。

世界的な巨匠として評価[編集]

2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2,350万人、興行収入308億円 と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。日本国外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した。『千と千尋の神隠し』の完成記者会見でも「もう長編アニメ映画は無理ですね」と引退を宣言している。

2004年公開の『ハウルの動く城』は、もともと細田守監督作品として進められていたが降板し、宮崎が後を継いだ。公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。さらにヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞し、その年の米アカデミー賞の長編アニメ部門に再びノミネートするなど前作同様、日本国外においても高く評価された。2005年には、ヴェネツィア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞。2006年には、アカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮崎はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。

2006年公開の『ゲド戦記』は、宮崎が1983年に刊行した「シュナの旅」(徳間書店刊)が原案としてクレジットされており、各所に同書に登場する設定が用いられている。また、鈴木敏夫や宮崎吾朗によれば、イメージボードやアイデアスケッチ等を書いていたようである。なお、「ゲド戦記」原作者のル=グウィンは宮崎が監督を務めることを希望していたが、息子の吾郎が監督となった。

2008年7月19日に、新作『崖の上のポニョ』を公開。公開後1か月で興行収入100億円を突破する興行成績を挙げた。『崖の上のポニョ』製作中、体力的にも本作が最後の長編になるだろうと述べていた。しかし、映画公開後に宮崎が『崖の上のポニョ』の観客動員数より、『ハウルの動く城』の方が高かった事実を知ってショックを受け、「もう一本作る」とやる気を出し始めたという。今後の作画に関しては『崖の上のポニョ』のように手描きでいくとの意向であるが、以前のような作画に戻る可能性もあると示唆した。

マスコミの前に出ることを嫌う時期もあったが、『崖の上のポニョ』の製作時にNHKによって2度、「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて密着ドキュメントが作られた。アニメ作りに苦悩奮闘する素の宮崎駿の姿が放送され、大きな反響を呼んだ。また、2008年11月20日の日本外国特派員協会に招かれ、アニメ界の危惧も含め、熱く論弁した。2012年には、文化功労者に選ばれた。

2013年に、自身の漫画作品、『風立ちぬ』を原作とした、アニメーション映画『風立ちぬ』を公開。同年9月1日、宮崎が長編映画の製作から引退することをスタジオジブリ社長星野康二が発表。

長編監督引退後[編集]

2013年、戦国時代を舞台にした漫画を執筆中であると『月刊モデルグラフィックス』2014年1月号で発表された。しかし時代考証を重ねるうちに手が止まってしまったことを理由に同誌2015年6月号ならびに『アーマーモデリング』2015年5月号で中止または無期限延期が発表された。予定されていた作品の題名は『鉄砲侍』であった。

三鷹の森ジブリ美術館の企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」の企画・制作・監修を手がけた。同年11月、第87回アカデミー名誉賞を受賞。日本人としては黒澤明以来2人目の快挙となる。同時受賞となった女優のモーリン・オハラは長年の憧れで、会えたことに感動したという。同年11月、一人芝居「うつ神楽」を考案。京都府八幡市の石清水八幡宮の本殿で奉納された。

2015年、鈴木敏夫が講演会で、ジブリ美術館用の新作短編アニメ『毛虫のボロ』を制作中であることを明らかにした。宮崎にとっては初の3DCGアニメーション作品となる。制作部門が解体されたスタジオジブリに代わり、アニメーション制作はスティーブンスティーブンが担当している。

2015年5月8日、在日米軍再編における普天間飛行場の名護市辺野古移転計画に反対する辺野古基金の共同代表に就任した。同年7月13日、日本外国特派員協会の要請に応じて東京都小金井市にあるスタジオジブリで記者会見を開き、基地移転だけでなく沖縄県に負担が集中している状態そのものを批判し、かつて鳩山由紀夫内閣が提案した県外移設の実現を強く求めた。

引退撤回[編集]

2016年11月13日午後9時からNHKで放送された特別番組「終わらない人 宮﨑駿」の番組内で、宮崎が「長編企画 覚書」と書かれた書類を鈴木敏夫に提示する場面が放送された。書類の内容はモザイクで隠されていたが、「2019年完成」と記されていたことから、新作長編が2019年に公開されると予想された。3か月後の2017年2月24日、鈴木敏夫が「Oscar Week 2017」で、長編映画の制作に復帰したことを公表し、事実上の引退撤回となった。5月19日、新作のスタッフを公式サイトで募集開始し、本格的に制作がスタートし、10月28日には早稲田大学で開催されたイベントで新作の題名が『君たちはどう生きるか』であると明かされた。

2018年5月15日、4月に死去した高畑勲のお別れ会に出席し、開会の辞を読み上げた。

略歴[編集]

  • 1941年 - 1月5日、東京府東京市に生まれる。同年生まれのアニメ監督に、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。
  • 1945年 - 7月12日、宇都宮空襲に遭遇。
  • 1950年 - 杉並区永福町に転居。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校卒。
  • 1963年 - 学習院大学政経学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政経学部卒業生には、麻生太郎(元内閣総理大臣)、高島肇久(JICT会長、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店元社長)、有薗憲一(ベスト電器元社長)らがいる。
  • 1964年 - 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。
  • 1965年 - 同僚の大田朱美と結婚。
  • 1967年 - 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。
  • 1970年 - 所沢市に自宅を移す。次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。
  • 1971年 - 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現・シンエイ動画)に移籍。
  • 1973年 - 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像(後に日本アニメーションに改組)に移籍。
  • 1978年 - 『未来少年コナン』で演出家に転向。
  • 1979年 - 東京ムービーの子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
  • 1982年 - 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。日米合作劇場アニメーション映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが企画への疑問から制作から降り、11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。
  • 1984年 - 4月、個人事務所二馬力を設立。
  • 1985年 - スタジオジブリを設立。
  • 1988年 - 第12回山路ふみ子映画賞を受賞。
  • 1990年 - 東京都民文化栄誉章を受章。
  • 1996年 - 淵の森保全連絡協議会を結成し、会長に就任。
  • 1998年 - スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。第26回アニー賞・生涯功労賞、淀川長治賞を受賞。
  • 1999年 - スタジオジブリに所長として復帰。
  • 2000年 - 第3回司馬遼太郎賞を受賞。
  • 2001年 - 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞、第25回山路ふみ子映画賞を受賞。
  • 2002年 - 朝日賞、フランス国家功労勲章、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。
  • 2003年 - 埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。
  • 2004年 - 12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。
  • 2005年 - 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。第62回ヴェネツィア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。
  • 2006年 - 日本テレビ2階・マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。
  • 2008年 - スタジオジブリ社内保育園『3匹の熊の家』を竣工し、初代園長に就任。東京都小金井市名誉市民に選出。長男に息子が生まれ、初孫を授かる。
  • 2009年 - 第2回バークレー日本賞を受賞。『Fast Company Magazine』の「ビジネスシーンで最もクリエイティブな世界の100人」の31位に選出。
  • 2010年 - 東京都三鷹市の名誉市民に選出。
  • 2012年 - 文化功労者。
  • 2013年 - 9月、長編映画制作から引退すると発表。
  • 2014年 - 第87回アカデミー名誉賞を受賞。
  • 2015年 - 辺野古基金共同代表就任。
  • 2017年 - 2月、長編映画制作に復帰すると発表。
  • 2019年 - 世界幻想文学大賞生涯功労賞を受賞。
  • 2021年 - 2月、新型コロナウイルス禍に対応するため、三鷹の森ジブリ美術館の館主に前館長の中島清文が就任。宮崎は名誉館主となった。

作風[編集]

子供の視点
一貫して子供に向けて作品を作り続けている。これについて「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を愛読している。
宮崎は、自分の息子が子供だった頃には、その年代に合わせて、成長するにつれて対象年齢を上げて作品を作り、息子が成長しきると今度は友人などの子供を対象にしており、『千と千尋の神隠し』の公開時には、ガールフレンドである友人の娘のために作った作品だと説明している。スタジオジブリについても、子供向けのいい映画を作るスタジオにしたいと語っていた。
主人公の性別
『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などに見られるように、主人公が少女であることがやや多い傾向にあるが、この理由は同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからとのこと。同性だと自身と重ね合わせすぎて、悲観的な物語にしかならないとも語っている。
しかし、『未来少年コナン』『カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』『もののけ姫』などのように、男性が主人公の作品も少なくなく、主人公の性別にこだわっている訳ではない。
脚本なしでの制作
制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくという手法で知られる。これは、周囲から「日本アニメーション界のウォルト・ディズニー」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的な制作管理能力と、クオリティとスピードを両立した作画能力を持つ宮崎にして初めて可能な手法である。
また、漫画作品においても、一コマ単位で下書き・ペン入れ・仕上げを行うという独特のスタイルで執筆されている。ただし、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではなく、ノートにストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」という。
キャラクターデザイン
まず宮崎によるキャラクターのオリジナルデザインの原案イラストが描かれ、それを作画監督がトレースする形で設定表を作っていく。設定表が作られた後も物語の展開によって、キャラクターデザインそのものが変わる場合もある。井上俊之曰く「90%は宮崎さんのもの」とのこと。
作画作業
他のアニメーターによる原画が上がった段階で、宮崎が簡単に修正した後、作画監督がクリンナップしていく。
軍事マニア
戦史・兵器マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器(装甲戦闘車両、軍用機など)に造詣が深い。作中で登場する武器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としてはアートボックス社『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載漫画がある。連載初期は珍兵器を描いた数ページの絵物語だったが、次第にコマが割られてストーリー漫画に変貌していった。漫画の形態に変わった後の特徴として、作中に登場する女性は普通の人間だが、男性は欧米を舞台とした作品の場合は擬人化された動物になっている。
2009年から2010年にかけて『モデルグラフィックス』誌に零式艦上戦闘機の開発者である堀越二郎の若き日をフィクションも入れて描く『風立ちぬ』を連載し、前記の通りこれをベースとしてアニメ映画が制作された(2015年に単行本化)。また、一式戦闘機「隼」の活躍と陸軍エース・パイロットの戦果を記録した、戦史家梅本弘(市村弘)の著作『第二次大戦の隼のエース』の刊行に際して、アートボックス編集部に対し本書を読んだうえで賞賛・激励の文書を送っている。
ジブリ内の会議中でも、暇さえあれば今でも戦車の落書きを描いているという。また『天空の城ラピュタ』や『崖の上のポニョ』の劇中、モールス符号での通信シーンが登場するが、あの符号は全て実在し、言葉としてきちんと成り立っている。最も本人の趣味が反映された『紅の豚』に関しては製作後も「道楽でくだらない物を作ってしまった」と罪悪感に囚われ続け、次回作が完成して漸く「呪い」から解放されたと述べている。
声優の起用方針
イギリスの新聞『ガーディアン』でのインタビューの中で「日本の女性声優は、男性を惹きつけるコケティッシュな声を持っているが、それは私達の望むものではない」と述べている。
作品名の共通点
監督を担当した長編アニメーション映画のほとんどの作品名に、千と千尋神隠し、崖の上ポニョなど、平仮名の「の」が含まれている。
ただし、必ずしも本人の意図ではなく、『もののけ姫』では『アシタカ𦻙記』を題名にしたかったという宮崎の意に反して鈴木敏夫により『もののけ姫』で既成事実化されたといい、宮崎本人は必ずしも拘ってはいない。
作風の変化
『崖の上のポニョ』制作の過程を追った『ポニョはこうして生まれた』で「僕は、もう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」「自分の作品の大衆性が低くなっている」と発言している。

高畑勲との関係[編集]

アニメーション作家・映画監督の高畑勲は東映動画(現・東映アニメーション)時代の先輩であり、宮崎に多大な影響を与えた。東映動画の労働組合に書記長として従事した際、高畑は副委員長として宮崎を支え交流を深めていった。

高畑の初監督作品・映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)の制作がスタート、当時新人だった宮崎だったが、次々とイメージボードを描きアニメーター(兼 場面設定)として大抜擢された。人間の深層心理を描いた初のアニメーション映画でありアニメ作品としての構成、作画クオリティは当時として最高峰であり、児童向けアニメながら、高畑が注入した職人ギルド・コミューンの形成と善悪の彼岸を描いた思想背景、労働者コミュニティの連帯感、ベトナム戦争が影を落とした社会情勢も加味して作品作りに反映させ、強烈な“作家性”に宮崎が傾倒。含蓄ある知識と主義思想を物語に落とし込み、大胆なレイアウトで魅せる高畑の演出も宮崎にとっては憧れの的だった。

ルパン三世第一シリーズ(共同演出)、パンダコパンダ(高畑が監督、宮崎が脚本、画面設計)、アルプスの少女ハイジ、母をたずねて三千里(高畑が監督、宮崎が画面設定)などを共に手掛け、高畑の演出テクニックを吸収した。宮崎の監督作『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』では高畑がプロデューサーを務めている。

ハイジや三千里で共に仕事をした富野由悠季(絵コンテ担当)は「世情的には、『ラピュタ』以後の二人が袂を分かったという声も聞きますが、全くそんなことはありません。高畑さんの訃報の後、改めてお二人の関係性を考えて結論が出ました。高畑さんがいなければ、宮崎駿という“映画監督”は生まれませんでした!」「宮崎さんも、高畑さんについて『僕が読めない本を読んでる』と言っていました。そういう部分を容認するのか、乗り越えるのか、どうやったら高畑さんを黙らせられるのか、それを絶えず考えていた結果が、宮崎アニメだと思っています」「世間は宮崎さんがアカデミー賞を取ったこと(2002年、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞長編アニメ賞を受賞)から、高畑より宮崎の方が上、なんて気分があるのかもしれません。でも、高畑さんがいなければ、宮崎さんはアカデミー賞を取れなかったと断言できます」。

その後、ファンタジーやリアリティの考えの違いから2人は別個に創作するようになるが常に2人は相手のことを気にかけていた。互いに強烈な負けず嫌いという共通点もあるが、高畑に対する宮崎の畏敬の念は特別だった。『千と千尋の神隠し』の制作の際、宮崎は視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていた。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑さんに教わったためである。

ふたりの巨匠を支えてきた鈴木敏夫プロデューサーは「宮さん(宮崎駿)はじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と語っている。

宮崎監督自身もインタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えたことがある。

アニメ界への意見[編集]

日本のアニメ界への危機感
以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメーションに対して危機感を抱き続けており、1985年2月号のアニメ雑誌『アニメージュ』の押井守、河森正治との対談や、1986年『天空の城ラピュタ』製作中に行ったアニメーション雑誌記者との会見にて「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメーションを作っていちゃダメなんです」「女の子がバズーカ振り回すような作品は、いいかげんやめてほしい」と発言していた。
2002年、ドイツのベルリン映画祭金熊賞受賞の際、記者会見で「今の日本のアニメーションはどん詰まり」などと語り、イギリスのBBCなど、日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず、世界のアニメーションファンを含めて、様々な反響があった。
手塚治虫の評価
1989年、手塚治虫が亡くなった際に、漫画史における手塚の功績に敬意を表した上で、手塚のアニメーション作品は、店子を集めて無理やり義太夫を聴かせる落語(『寝床』)の長屋の大家と同じ旦那芸であると痛烈に批判し、手塚がリミテッド・アニメーションとフルアニメーションの違いもろくに理解せず喧伝していたことなどに触れ、「アニメーションに関しては(中略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」と述べた。また、手塚作品の悲劇性についても否定的な見解を示しており、その文脈から「ある街角の物語」「しずく」などの手塚が自主制作していたアニメ作品に対しても否定的評価を下し、「趣味としてみればわかるんです。お金持ちが趣味でやったんだと思えば」と総括している。
宮崎の監督作、『ルパン三世 カリオストロの城』について手塚が意見を述べたことがあり、作画を担当したテレコム・アニメーションフィルムのアニメーター達に対し、カリオストロは3コマ作画だそうだが、手塚が総監督した『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は2コマのフルアニメーションであると語ったという。しかし、宮崎の盟友であり、『カリオストロ』で作画監督を務めた大塚康生によると、『火の鳥』には、2コマ特有の描き方や工夫が全く入っていなかったという。大塚は「手塚先生は理念としてのフルアニメーションに憧れていらっしゃるが、技術的な使い方はご存じない、もしくは関心はお持ちでないのだとわかりました」と指摘している。
一方で、手塚がテレビアニメ『鉄腕アトム』を安価な予算で作って以来、日本におけるアニメの製作費が低くなる前例となってしまった件に関して、宮崎は、日本が経済成長を遂げていく過程では必然のことであり、「引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけ」とする立場を取っている。その上で、あのタイミングで手塚さんが始めなければ自分達はあと2、3年は(当時の東映動画で)腰を据えて長編アニメーションを作れたかもしれないが、それも今となってはどうでもいいことだと述べている。
それ以降、宮崎が手塚について語る事はほとんど無かったが、2009年に行われたインタビューにおいて、7歳の時に手塚の「新宝島」を読み「言い難いほどの衝撃」を受けたことや、初期のSF三部作の虜になっていたことを明かし、「モダニズムとは、繁栄や大量消費と同時に、破壊の発明でもある。そのことに、ひとりアジアの片隅で行き着いたのが手塚さんだった」と評している。だがアニメ作品に対しての評価は変わらず、「しかし、僕は手塚さんがひどいアニメーションを作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」と述べた。
宮崎は1963年に東映動画で手塚治虫原案の『わんわん忠臣蔵』にアニメーターの一人として参加し、1977年には手塚治虫原案の『草原の子テングリ』でレイアウトを務めた。また1981年には手塚と宮崎との合作アニメ映画『ロルフ』も企画されていた。この合作は実現しなかったがロルフの企画は名前を変え『風の谷のナウシカ』の原案になった。
ディズニーの評価
前述の手塚治虫に対する批判の1年程前に、ディズニーに対しても批判をおこなっている。「ぼくはディズニーの作品がキライだ。入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである」

作品[編集]

長編映画[編集]

※監督作のみ太字

公開年 作品名 制作(配給) 役職
1963年 12月21日 わんわん忠臣蔵 東映動画

(東映)

動画
1965年 3月20日 ガリバーの宇宙旅行 原画

動画 ラストの演出

1968年 7月21日 太陽の王子 ホルスの大冒険 場面設計

美術設計 原画

1969年 3月18日 長靴をはいた猫 原画
7月20日 空飛ぶゆうれい船 原画
1971年 3月20日 どうぶつ宝島 アイデア構成

原画

7月18日 アリババと40匹の盗賊 原画
1972年 12月17日 パンダコパンダ 東京ムービー

(東宝)

原案

脚本 場面設定 原画

1973年 3月17日 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 脚本

美術設定 画面構成 原画

1979年 12月15日 ルパン三世 カリオストロの城 東京ムービー新社

(東宝)

脚本(山崎晴哉と共同)

監督

1982年 7月3日 SPACE ADVENTURE コブラ 東京ムービー新社

(東宝東和)

原画(ノンクレジット)
1984年 3月11日 未来少年コナン 巨大機ギガントの復活 日本アニメーション

(松竹)

監督
1984年 3月11日 風の谷のナウシカ 徳間書店

博報堂 トップクラフト (東映)

原作

脚本 監督

1986年 8月2日 天空の城ラピュタ 徳間書店

スタジオジブリ (東映)

原作

脚本 監督EDテーマ『君をのせて』作詞

1987年 8月15日 柳川堀割物語 二馬力 製作
1988年 4月16日 となりのトトロ 徳間書店

スタジオジブリ (東宝)

原作

脚本 監督EDテーマ『となりのトトロ』作詞

1989年 7月29日 魔女の宅急便 徳間書店

ヤマト運輸 日本テレビ スタジオジブリ (東映)

プロデューサー

脚本 絵コンテ(近藤喜文と共同) 監督

1991年 7月20日 おもひでぽろぽろ 徳間書店

日本テレビ 博報堂 スタジオジブリ (東宝)

製作プロデューサー
1992年 7月18日 紅の豚 徳間書店

日本航空 日本テレビ スタジオジブリ (東宝)

原作

脚本 監督

1994年 7月16日 平成狸合戦ぽんぽこ 徳間書店

日本テレビ 博報堂 スタジオジブリ (東宝)

企画
1995年 7月15日 耳をすませば 製作プロデューサー

脚本 絵コンテ(近藤喜文と共同) EDテーマ『カントリー・ロード』補作

On Your Mark〜ジブリ実験劇場 原作

脚本 監督

1997年 7月12日 もののけ姫 徳間書店

日本テレビ 電通 スタジオジブリ (東宝)

原作

脚本 監督主題歌『もののけ姫』作詞

1999年 7月17日 ホーホケキョ となりの山田くん 徳間書店

スタジオジブリ ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン 日本テレビ 博報堂 (松竹)

制作
2001年 7月20日 千と千尋の神隠し 徳間書店

スタジオジブリ ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン 日本テレビ 電通 東北新社 三菱商事 ディーライツ (東宝)

原作

脚本 監督

2002年 7月20日 猫の恩返し 徳間書店

スタジオジブリ ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン 日本テレビ 博報堂 三菱商事 ディーライツ (東宝)

企画
2004年 11月20日 ハウルの動く城 徳間書店

スタジオジブリ ウォルト・ディズニー・ジャパン 日本テレビ 電通 三菱商事 ディーライツ (東宝)

企画

脚本 監督

2006年 7月29日 ゲド戦記 スタジオジブリ

ウォルト・ディズニー・ジャパン 日本テレビ 電通 博報堂DYメディアパートナーズ 三菱商事 ディーライツ (東宝)

原案
2008年 7月19日 崖の上のポニョ 原作

脚本 監督OPテーマ『海のおかあさん』作詞(共同) EDテーマ『崖の上のポニョ』補作詞

2009年 3月14日 ルパン三世 1st.TVシリーズ トムス・エンタテインメント

(三鷹の森ジブリ美術館) ※特別上映

監督(高畑勲と共同)
2010年 6月18日 トイ・ストーリー3 ピクサー・アニメーション・スタジオ スペシャルサンクス
7月17日 借りぐらしのアリエッティ スタジオジブリ

ウォルト・ディズニー・ジャパン 日本テレビ 電通 博報堂DYメディアパートナーズ 三菱商事 ディーライツ ワイルドバンチ (東宝)

企画

脚本(丹羽圭子と共同) 美術設定

2011年 7月16日 コクリコ坂から スタジオジブリ

ウォルト・ディズニー・ジャパン 日本テレビ 電通 博報堂DYメディアパートナーズ 三菱商事 ディーライツ (東宝)

企画

脚本(丹羽圭子と共同)

2013年 7月20日 風立ちぬ スタジオジブリ

ウォルト・ディズニー・ジャパン 日本テレビ 電通 博報堂DYメディアパートナーズ 三菱商事 ディーライツ KDDI (東宝)

原作

脚本 監督

2023年 7月14日 君たちはどう生きるか スタジオジブリ 原作

脚本 監督

短編映画[編集]

公開年 作品名 制作(配給) 役職
1977年 4月23日 草原の子テングリ 雪印乳業

桜映画社 シンエイ動画

レイアウト(ノンクレジット)
2001年 10月1日 フィルムぐるぐる スタジオジブリ 絵コンテ

監督

くじらとり 脚本

監督

2002年 1月3日 コロの大さんぽ 原作

脚本 監督

10月2日 空想の機械達の中の破壊の発明 企画
9月29日 めいとこねこバス 原作

脚本 監督 トトロ役

空想の空飛ぶ機械達 原作

脚本 監督 ナレーション

2006年 1月3日 水グモもんもん 原作

脚本 監督

やどさがし
星をかった日 脚本

監督

2010年 1月3日 ちゅうずもう 企画

脚本

11月20日 パン種とタマゴ姫 原作

脚本 監督

2011年 6月4日 たからさがし 企画

構成

2018年 3月21日 毛虫のボロ 原作

脚本 監督

テレビ[編集][編集]

期間 番組名 制作(放送局) 役職 放送タイトル
1964年6月7日 1965年8月31日 少年忍者風のフジ丸 NETテレビ

東映アニメーション

原画(手伝い)
1966年4月23日 1967年3月24日 レインボー戦隊ロビン
1969年1月6日 1970年10月26日 ひみつのアッコちゃん
1969年10月5日 1970年12月27日 ムーミン フジテレビ

瑞鷹 シンエイ動画 トムス・エンタテインメント

原画 第23話「チビのミー大作戦」
1971年10月24日 1972年3月26日 ルパン三世 よみうりテレビ

トムス・エンタテインメント

演出(高畑勲と共同) 第4話以降
原画 第9話「殺し屋はブルースを歌う」

第14話「エメラルドの秘密」 第15話「ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう」 第16話「宝石横取り作戦」 第17話「罠にかかったルパン」 第18話「美人コンテストをマークせよ」 第19話「どっちが勝つか三代目」 第21話「ジャジャ馬娘を助けだせ!」 第23話「黄金の大勝負!」

1972年4月5日 1973年3月28日 赤胴鈴之助 フジテレビ

トムス・エンタテインメント

絵コンテ 第26話「やったぞ!赤胴真空斬り」

第27話「大暴れ!真空斬り」 第41話「キリシタンの秘宝」

1973年3月2日 1973年9月28日 ジャングル黒べえ 毎日放送

トムス・エンタテインメント

キャラクター原案 全話
1973年10月7日 1974年9月29日 侍ジャイアンツ よみうりテレビ

トムス・エンタテインメント

原画 第1話「ほえろ!バンババン」
1974年1月6日 1974年12月29日 アルプスの少女ハイジ フジテレビ

瑞鷹

場面設定

画面構成

全話
1975年1月5日 1975年12月28日 フランダースの犬 フジテレビ

瑞鷹 日本アニメーション

原画 第15話「古い帳簿」
1976年1月4日 1976年12月26日 母をたずねて三千里 フジテレビ

日本アニメーション

場面設定

レイアウト

全話
原画 第2話「ジェノバの少年マルコ」
1977年1月2日 1977年12月25日 あらいぐまラスカル 第4話「ミルウォーキーのお月さま」

第5話「オスカーへの贈り物」 第6話「さようならスカンクたち」 第10話「はじめての探検」 第12話「本と1セント銅貨」 第13話「夏休みの第一日」 第14話「母のない子」 第15話「アリスと友達になれたらなあ」 第16話「楽しいパーティの夜」 第17話「ラスカルの冒険」 第18話「森で会った不思議な青年」 第19話「ラスカルとトウモロコシ」 第20話「スターリングの悲しみ」 第21話「あぶないラスカル」 第22話「森と湖と動物たち」 第24話「走れ走れぼくらのカヌー」 第25話「森で見つけた仔鹿」 第26話「森と湖の夏まつり」 第28話「檻の中」

1977年10月3日 1980年10月6日 ルパン三世 日本テレビ

トムス・エンタテインメント

脚本

絵コンテ 演出

第145話「死の翼アルバトロス」

第155話「さらば愛しきルパンよ」

1978年4月4日 1978年10月31日 未来少年コナン NHK

日本アニメーション

キャラクターデザイン

メカニックデザイン 場面設定 演出 監督

全話
絵コンテ 第1話「のこされ島」

第2話「旅立ち」 第3話「はじめての仲間」 第4話「バラクーダ号」 第8話「逃亡」 第15話「荒地」 第16話「二人の小屋」 第17話「戦闘」 第18話「ガンボート」 第19話「大津波」 第22話「救出」 第23話「太陽塔」 第24話「ギガント」 第25話「インダストリアの最期」 第26話「大団円」

1979年1月7日 1979年12月30日 赤毛のアン フジテレビ

日本アニメーション

場面設定

画面構成

第1話「マシュウ・カスバート驚く」

第2話「マリラ・カスバート驚く」 第3話「グリーン・ゲイブルズの朝」 第4話「アン・生立ちを語る」 第5話「マリラ決心する」 第6話「グリーン・ゲイブルズのアン」 第7話「レイチェル夫人恐れをなす」 第8話「アン日曜学校へ行く」 第9話「おごそかな誓い」 第10話「アン・心の友と遊ぶ」 第11話「マリラ・ブローチをなくす」 第12話「アン・告白をする」 第13話「アン・学校へ行く」 第14話「教室騒動」 第15話「秋の訪れ」

1980年10月3日 1981年9月25日 太陽の使者 鉄人28号 日本テレビ

トムス・エンタテインメント

原画(Aパート担当) 第8話「恐怖の殺人合体ロボ」
1984年11月6日 1985年5月20日 名探偵ホームズ テレビ朝日

トムス・エンタテインメント RAI REVER

脚本 第3話「小さなマーサの大事件!?」
絵コンテ

演出

第3話「小さなマーサの大事件!?」

第4話「ミセス・ハドソン人質事件」 第5話「青い紅玉」 第9話「海底の財宝」 第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」

監督 第3話「小さなマーサの大事件!?」

第5話「青い紅玉」 第9話「海底の財宝」 第11話「ねらわれた巨大貯金箱」

2020年12月30日 アーヤと魔女 NHK

NHKエンタープライズ スタジオジブリ

企画

その他の作品[編集]

漫画・絵物語・イメージボードなど[編集]

  • 長靴をはいた猫
  • 砂漠の民(秋津三朗名義)
  • どうぶつ宝島 ※以上は初期作品
  • 妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収む)
  • 風の谷のナウシカ(全7巻)、※第23回日本漫画家協会賞・大賞作品
  • シュナの旅 徳間書店アニメージュ文庫
  • 駆けろ二馬力 風より疾く(『NAVI』1989年12月号、『CAR GRAPHIC』2010年8月号、各二玄社)
  • 空中でお食事(日本航空のJALWINDS、1994年6月号に収む)
  • 風の谷のナウシカ-宮崎駿水彩画集 徳間書店
  • もののけ姫 徳間書店
  • 飛行艇時代 「紅の豚」原作(大日本絵画 1992年、増補改訂版2004年)
  • 宮崎駿の雑想ノート(大日本絵画 1992年、増補改訂版1997年)
    • 知られざる巨人の末弟
    • 甲鉄の意気地
    • 多砲塔の出番
    • 農夫の眼
    • 竜の甲鉄
    • 九州上空の重轟炸機
    • 高射砲塔
    • Q.ship
    • 特設空母安松丸物語
    • ロンドン上空1918年
    • 最貧前線
    • 飛行艇時代
    • 豚の虎
  • 宮崎駿の妄想ノート(大日本絵画 2002年8月)
    • ハンスの帰還
    • 泥まみれの虎
  • 『ブラッカムの爆撃機』 ロバート・ウェストール・作、宮崎駿・編、金原瑞人訳(児童書、岩波書店、2006年)
  • 『水深五尋』 ロバート・ウェストール・作、金原瑞人・野沢佳織訳(岩波書店、2009年3月)
    • 続篇、チャス・マッギルのもう1つの物語
  • 風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック(大日本絵画、2015年11月)、『モデルグラフィックス』に連載

デザインワーク[編集]

  • TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号
  • TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜
  • 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」(TVCMのアニメでは演出も担当)
  • 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ
  • 三鷹の森ジブリ美術館
    • 「幽霊塔へようこそ展 通俗文化の王道」 展示漫画描き下ろし
  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI
  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる
  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ
  • 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ
  • 日本テレビ社屋外壁(マイスタジオ上)の大からくり時計「日テレ大時計
  • 広島県福山市鞆町の坂本龍馬のゆかりの宿「御舟宿いろは
  • 小金井市のイメージキャラクター「こきんちゃん
  • 日本アニメ(ーター)見本市のロゴ(題字)

作詞[編集]

  • 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』主題歌)
  • 『となりのトトロ』(『となりのトトロ』主題歌)
  • 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
  • 『カントリー・ロード』(『耳をすませば』主題歌)※補作
  • 『バロンのうた』(『耳をすませば』イメージアルバム より)
  • 『もののけ姫』 (『もののけ姫』 主題歌)
  • 『タタラ踏む女達』 (『もののけ姫』 挿入歌)
  • 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
    • 『神々さま』
    • 『油屋』
    • 『さみしい さみしい』
    • 『白い竜』
  • 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
    • 『崖の上のポニョ』(『崖の上のポニョ』主題歌)※補作詞
    • 『いもうと達』
    • 『ポニョの子守唄』
    • 『ひまわりの家の輪舞曲』
  • 『お母さんの写真』(CMソング)

著書(対談・インタビュー・共著も含む)[編集]

  • 『トトロの住む家』 (画文集/写真和田久士) 朝日新聞社(1991年)/増補改訂版 岩波書店(2011年1月)
  • 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談) 徳間書店(1992年)
  • 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談) UPU(1992年)。 朝日文芸文庫(1997年)
  • 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集) スタジオジブリ(1993年)
  • 『巨樹を見に行く―千年の生命との出会い』(共著) 講談社カルチャーブックス(1994年)
  • 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集) 徳間書店(1996年)
  • 『教育について』(共著、インタビュー集) 旬報社(1998年)
  • 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談) スタジオジブリ(2002年)。新潮文庫(2008年2月)
  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2002年)。文春ジブリ文庫(2013年11月)
  • 『折り返し点 1997〜2008』(エッセイ・発言集) 岩波書店(2008年)
  • 『本へのとびら―岩波少年文庫を語る』(お薦め本50冊の紹介) 岩波新書カラー版(2011年10月)
  • 『腰ぬけ愛国談義』(半藤一利との対談)、文春ジブリ文庫 (2013年8月)
  • 『続・風の帰る場所―映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2013年)

表紙イラスト[編集]

  • 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・チェスタトン)、春秋社(1984年)
  • 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ)、新潮文庫(1987年)、創元推理文庫(1996年)
  • 『夜間飛行』(サン=テグジュペリ)、新潮文庫 (1993年、改版2012年)※新装カバー
  • 『人間の土地』(サン=テグジュペリ)、新潮文庫(1998年、改版2012年)※新装カバー
  • 『真夜中の電話』(ロバート・ウェストール)、徳間書店(2014年)
  • 『遠い日の呼び声』(ロバート・ウェストール)、徳間書店(2014年)
  • 『幽霊塔』(江戸川乱歩)、岩波書店(2015年)

実写作品[編集]

  • 巨神兵東京に現わる(2012年、巨神兵)

絵コンテ集[編集]

劇場用アニメーション映画[編集]

  • パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
  • ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
  • 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)
  • 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)
  • となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3(徳間書店)
  • 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)
  • 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)
  • 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)
  • もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)
  • 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)
  • ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)
  • 崖の上のポニョ スタジオジブリ絵コンテ全集16(徳間書店)
  • 風立ちぬ スタジオジブリ絵コンテ全集19(徳間書店)

テレビアニメーション[編集]

  • ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
  • 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
  • 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)

出演[編集]

長編映画[編集]

  • 「もののけ姫」はこうして生まれた。(スタジオジブリ、1998年6月26日発売、VHS)-『もののけ姫』の創作現場密着ドキュメンタリー
  • ラセターさん、ありがとう 〜「千と千尋」アカデミー賞受賞に隠された宮崎駿とジョン・ラセターの20年にわたる友情〜(スタジオジブリ、2003年11月19日発売、DVD)- 宮崎駿とジョン・ラセターの密着ドキュメンタリー
  • 宮崎駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。(二馬力、2004年8月6日発売、DVD)-「お母さんの写真」の創作現場密着ドキュメンタリー
  • 宮崎駿とジブリ美術館(スタジオジブリ、2005年3月18日、DVD)
  • ポニョはこうして生まれた。 〜宮崎駿の思考過程〜(NHKエンタープライズ、2009年12月8日発売、DVD・Blu-ray)-『崖の上のポニョ』の創作現場密着ドキュメンタリー
  • 夢と狂気の王国(ドワンゴ、2013年11月16日公開)-『風立ちぬ』の創作現場密着ドキュメンタリー

短編映画[編集]

  • もののけ姫 in U.S.A.(スタジオジブリ、2000年4月29日公開)
  • オーニソプター物語〜飛べ!ひよどり天狗号(スタジオジブリ、2002年10月2日公開)

テレビ特集[編集]

  • 世界・わが心の旅「サンテグジュペリ 大空への夢 〜南仏からサハラ〜」(BS2、1999年放送)
  • プロフェッショナル 仕事の流儀「映画を創る 〜宮崎駿・創作の秘密〜」(NHK、2007年3月27日放送)
  • プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル「宮崎駿のすべて 〜ポニョ密着300日〜」(NHK、2008年8月5日放送)-『崖の上のポニョ』の創作現場密着ドキュメンタリー
  • 「NHK ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎 駿×宮崎吾朗〜」(NHK、2011年8月放送)-『コクリコ坂から』の創作現場密着ドキュメンタリー
  • NHKスペシャル「終わらない人 宮﨑駿」(NHK、2016年11月13日放送)-『毛虫のボロ』の創作現場密着ドキュメンタリー
  • BS1スペシャル「さようなら全てのエヴァンゲリオン〜庵野秀明の1214日〜」(BS1、2021年4月29日放送)

受賞歴[編集]

部門 作品 結果 出典
日本アニメ大賞 1984年 作品賞 『風の谷のナウシカ』 受賞
1986年 特別賞 - 受賞
1988年 作品賞 『となりのトトロ』 受賞
脚本賞 受賞
星雲賞 1985年 映画演劇部門 『風の谷のナウシカ』 受賞
1989年 映画演劇部門 『となりのトトロ』 受賞
1995年 コミック部門 『風の谷のナウシカ』 受賞
毎日映画コンクール 1986年 大藤信郎賞 『天空の城ラピュタ』 受賞
1988年 日本映画大賞 『となりのトトロ』 受賞
大藤信郎賞 受賞
1989年 アニメーション映画賞 『魔女の宅急便』 受賞
1992年 アニメーション映画賞 『紅の豚』 受賞
1997年 日本映画大賞 『もののけ姫』 受賞
アニメーション映画賞 受賞
1997年 日本映画大賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
監督賞 受賞
アニメーション映画賞 受賞
2008年 大藤信郎賞 『崖の上のポニョ』 受賞
ブルーリボン賞 1988年 特別賞 『となりのトトロ』 受賞
1997年 特別賞 『もののけ姫』 受賞
2001年 作品賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
報知映画賞 1988年 監督賞 『となりのトトロ』 受賞
2001年 監督賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
芸術選奨 1989年 文部大臣賞(映画部門) 『となりのトトロ』 受賞
ゴールデングロス賞 1989年 最優秀金賞 『魔女の宅急便』 受賞
マネーメイキング監督賞 - 受賞
1992年 最優秀金賞 『紅の豚』 受賞
マネーメイキング監督賞 - 受賞
1997年 最優秀金賞 『もののけ姫』 受賞
2001年 最優秀金賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
マネーメイキング監督賞 - 受賞
2005年 最優秀金賞 『ハウルの動く城』 受賞
マネーメイキング監督賞 - 受賞
2008年 最優秀金賞 『崖の上のポニョ』 受賞
マネーメイキング監督賞 - 受賞
2013年 最優秀金賞 『風立ちぬ』 受賞
全興連特別功労大賞 - 受賞
2014年 全興連特別賞 - 受賞
アヌシー国際アニメーション映画祭 1993年 長編部門グランプリ 『紅の豚』 受賞
日本漫画家協会賞 1994年 大賞 『風の谷のナウシカ』 受賞
日本アカデミー賞 1997年 作品賞 『もののけ姫』 受賞
2001年 作品賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
会長功労賞 - 受賞
2008年 アニメーション作品賞 『崖の上のポニョ』 受賞
日刊スポーツ映画大賞 1997年 監督賞 『もののけ姫』 受賞
2001年 作品賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
アニメーション神戸 1997年 部門賞・演出部門 - 受賞
2001年 作品賞・劇場部門 『千と千尋の神隠し』 受賞
文化庁メディア芸術祭 1997年 アニメーション部門大賞 『もののけ姫』 受賞
2001年 アニメーション部門大賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
川喜多賞 2020年 - - 受賞
アニー賞 1998年 ウィンザー・マッケイ賞 - 受賞
2002年 長編作品賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
長編作品監督賞 受賞
長編作品脚本賞 受賞
2013年 長編作品脚本賞 『風立ちぬ』 受賞
ベルリン国際映画祭 2002年 金熊賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
アカデミー賞 2002年 長編アニメーション映画賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
2005年 長編アニメーション映画賞 『ハウルの動く城』 ノミネート
2013年 長編アニメーション映画賞 『風立ちぬ』 ノミネート
2014年 名誉賞 - 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 2002年 アニメ映画賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
2005年 アニメ映画賞 『ハウルの動く城』 受賞
2013年 アニメ映画賞 『風立ちぬ』 受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 2002年 アニメ映画賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
2013年 アニメ映画賞 『風立ちぬ』 ノミネート
2018年 功労賞 - 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 2002年 アニメ映画賞 『千と千尋の神隠し』 受賞
2013年 アニメ映画賞 『風立ちぬ』 受賞
ザグレブ国際アニメーション映画祭 2004年 功労賞 - 受賞
ヴェネツィア国際映画祭 2005年 栄誉金獅子賞 - 受賞
2008年 ミッモ・ロテッラ財団賞 『崖の上のポニョ』 受賞
フューチャー・フィルム・フェスティバル・デジタル・アワード特別表彰 受賞
ネビュラ賞 2007年 スプリクト部門 『ハウルの動く城』 受賞
インクポット賞 2009年 - - 受賞
バークレー日本賞 2009年 - - 受賞
アイズナー賞 2014年 漫画家の殿堂 - 受賞
サン・セバスティアン国際映画祭 2023年 ドノスティア賞 - 受賞

注釈[編集]

  1. ^ 宮崎家の四男で末弟。駿とは6歳差。博報堂のアカウント・ディレクターとして活動。『風の谷のナウシカ』など、徳間書店・博報堂の映画共同製作に参加。1989年に発行の『アニメージュ特別編集ガイドブック 魔女の宅急便』(徳間書店)に「家族の風景-兄・宮崎駿」という記事を寄稿している。
  2. ^ 会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮崎が回想した戦争体験としては、宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで4歳の駿を含む宮崎一家が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、トラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走り出した。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。
  3. ^ 母親はその後回復し、後述の通り『風の谷のナウシカ』制作中まで存命した。
  4. ^ 医者からは20歳まで生きられないと言われ、これは後の創作に影響を与えた、と言う。
  5. ^ この時期、何本かの社会主義革命の漫画を執筆して持込みをした事もあったが、「ウチは時代劇扱ってないんですけど」と編集者に門前払いされている。
  6. ^ 漫画版『風の谷のナウシカ』は、アニメ公開後も断続的に描き継ぎ、アニメ公開10年後の1994年に完結。
  7. ^ 初のオリジナル長編映画だった『風の谷のナウシカ』製作中、宮崎が6歳の時から病気で寝たきりの母が亡くなり、非常に悔やんだと話している。この後、宮崎の作品には自身の母をモチーフにしたキャラクターが頻出するようになる。
  8. ^ 宮崎駿は1987年公開『紅い眼鏡』のパンフレットに自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話、「押井さんについて」を寄稿している。
  9. ^ 映画公開後、鈴木敏夫に対し「72歳で死ぬことに決めた、あと5年なら一本しか作れない」と発言。
  10. ^ 2020年に第27代学習院院長に就任した耀(あかる)英一(元あさひ銀行常務取締役)は、都立豊多摩高校および学習院大学政経学部で、それぞれ宮崎の一年後輩にあたる。学習院桜友会『桜友会報 No.117』(2020年12月)P7より。
  11. ^ 妻の朱美には著書『ゴローとケイスケ―お母さんの育児絵日記』がある。
  12. ^ 一応国ごとに動物が割り当てられており、ドイツ=豚、イギリス=犬(自ら手がけた『名探偵ホームズ』と同じデザイン)、アメリカ=ゴリラとなっている(ソ連にも豚を用いた例あり)。アジア人が登場する作品では動物化はされていない。
  13. ^ 「𦻙記」の読みは「せっき」。「𦻙」(草冠の旧字体の下に耳を二つ)は宮崎による「正史には残らずに耳から耳へ伝えられた物語」を意味する創作であり日本の漢字には存在しない。これに相当するものが台湾の漢字に存在し、UnicodeではU+26ED9(CJK統合漢字拡張B)に収録されている。「聶」(耳を三つ)は誤記あるいは代用表記。
  14. ^ ただしアニメーターの遠藤正明は宮崎が出崎を嫌っていたという逸話について否定している。
  15. ^ 当時、テレコム・アニメーションフィルム所属だったアニメーターの遠藤正明によると担当カットは「コブラがエアカーで脱出するシーン」の「装甲車の砲塔上で兵士が射撃する所」とのこと。
  16. ^ 原話は、君島久子の書いたチベットの民話「犬になった王子」、岩波書店。
  17. ^ 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加え、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併収。
  18. ^ 1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリプロデューサー・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。
  19. ^ a b c d これら「絵コンテ全集」の出版とは別に、『風の谷のナウシカ』についてはアニメージュ文庫にて、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』についてはロマンアルバムにて(いずれも徳間書店)、映画公開から程なくして出版されたものの、いずれも現在は絶版である。

出典[編集]

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  10. ^ 「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)[要文献特定詳細情報]
  11. ^ ●大塚康生氏ロングインタビュー「アニメーターは演技者である」
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