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安藤忠雄

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安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第79912号)。安藤忠雄建築研究所代表。東京大学特別栄誉教授。文化功労者。文化勲章受章。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年 - )、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる。

略歴[編集]

大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。三人兄弟で弟が2人いる。双子の弟は、北山創造研究所(都市コンサルタント業/商品デザイン業)を主宰する北山孝雄。下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。一人娘だった母親の実家・安藤家を継ぐため、生前からの約束に従い祖父母の安藤彦一・キクエの養子となる。大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。

大阪府立城東工業高等学校卒業。月給1万円の時代に、4回戦のファイトマネーが4千円という報酬に魅せられ、高校在学中の17歳の時にプロボクサーのライセンスを取得し、フェザー級でデビュー。リングネームは「グレート安藤」。以後、10試合ほど行い6回戦まで行った が、所属ジムに来ていたファイティング原田の練習を見て、身体能力の桁が違うとその才能に圧倒され、1年半ほどでボクシングからは引退する。

もともと、中学生の頃、自宅の建て替えを担当した大工や、中学時代の数学教師からの影響で、建築に興味を持っていたため、卒業後、前衛美術を志向する具体美術協会に興味を持つ。

経済上の理由で大学には通えなかったため建築の専門教育は受けておらず、毎日15時間以上独学し、建築科の学生が通常4年かけて学ぶ内容を1年で習得して建築士試験に1発で合格した(註:大学の授業は、建築士試験の内容だけを学ぶものではない。一級建築士登録番号より、1968年頃、27歳で取得したと思われる) また、水谷頴介の建築設計事務所でのアルバイトもしていた。

木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から7ヶ月アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は“何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が火葬に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、24歳のときである。この放浪中に安藤が撮影した写真は、ルイス・I・カーンの作品集などで使われている。

1977年のローズガーデン(神戸市生田区)等初期の作品のいくつかは、弟の孝雄の所属していた、セツ・モードセミナー出身の浜野安宏が代表を務める浜野商品研究所(1992年、浜野総合研究所と改名)と共に実現した。

1970年代には個人住宅などの小規模建築、1980年代には商業施設、寺院・教会などの中小規模の建築の設計が多かった。1990年代以降は、公共建築、美術館建築、海外の仕事も増えている。

年表[編集]

  • 1941年9月13日 - 大阪府大阪市港区に生まれる。
  • 1965年 - この年より4年間、2度にわたり世界を放浪。キューバの革命家チェ・ゲバラに傾倒し、ガンジス川の河岸でゲリラ的生き方を決意。
  • 1969年 - 安藤忠雄建築研究所を大阪に設立し、個人住宅を多く手がける。
  • 1976年 - 「住吉の長屋」(大阪市住吉区)が高く評価され、1979年に日本建築学会賞を受賞した。以降、コンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得る。
  • 1980年代 - 関西周辺(特に、神戸・北野町と大阪・心斎橋)での商業施設設計や寺院・教会設計を相次いで建設。
  • 1987年 - 米イェール大学客員教授。
  • 1988年 - 米コロンビア大学客員教授。
  • 1989年 - 米ハーバード大学客員教授。ベネッセの福武總一郎の依頼により、直島国際キャンプ場をオープン。その後、直島プロジェクトに参画、1992年のベネッセハウス、1999年の「家プロジェクト」(南寺)へと続いていく。
  • 1991年 - 米ニューヨーク近代美術館にて個展開催。
  • 1993年 - 仏ポンピドゥー・センターにて個展開催。
  • 1997年 - 東京大学工学部建築学科教授に就任。
  • 2000年 - 中坊公平と共に「瀬戸内オリーブ基金」を設立。
  • 2002年 - 米南カリフォルニア大学客員教授。
  • 2003年 - 東京大学を定年退官して、東京大学名誉教授の称号を得る。
  • 2005年
    • 新設された「東京大学特別栄誉教授」の称号を得る。
    • 安藤忠雄文化財団を設立。
  • 2008年 - 大阪府政策アドバイザー(水都・都市景観分野)
  • 2011年
    • 東日本大震災復興構想会議議長代理
    • ヴェネツィアン・グラスのブランドである伊ヴェニーニとオブジェを共同制作(2017年までに4回実施)。
  • 2012年 - 国立競技場 国際デザイン・コンクール審査委員長。国立競技場将来構想有識者会議委員。
  • 2017年 - 国内では初の個展となる安藤忠雄展「挑戦」を国立新美術館で開催。
  • 2018年 - 10月10日より、パリのポンピドゥー・センターにて安藤忠雄展「挑戦」が、日仏友好160周年、日本文化紹介事業「ジャポニスム 2018」の公式企画として開催。
  • 2019年 - 2025年日本国際博覧会(万博)ロゴマーク選考委員会座長に就任。
  • 2020年 - 万博までに2025本の桜を府内に植樹することを目的に立ち上げた「万博の桜2025」実行委員会委員長に就任。

社会活動[編集]

  • 大阪市毛馬桜之宮公園から中之島公園を結ぶルートに桜を植樹する運動を提唱し、「桜の会・平成の通り抜け」実行委員長。3000本を植樹し、"造幣局の通り抜け"とともに「平成の通り抜け」として大阪に新たな桜の名所をつくろうとするもの。
  • 石原慎太郎東京都知事が推進した2016年東京オリンピック招致委員会の理事に任命され、東京オリンピックデザイナー総監督をも務めることとなった(なお実際に東京都が招致に成功したのは、その次の2020年東京オリンピックである)。
  • 東京都のプロジェクト「緑の東京募金実行委員会」委員長に任命され、東京湾の埋立地に植樹する「海の森」プロジェクト を、呼びかけ人の一人として推進している。
  • 東日本大震災で親を亡くした子どもたちの学びを支援するため、文化人ら7名と共に遺児育英資金「桃・柿育英会」 を発足させ、実行委員長を務める。少なくとも10年間は子どもたちの成長を見守り、良好な教育環境の中で学んでいく意欲を支え続けることを主旨として、一口一万円を10年間寄付する支援者を募り、被災地の遺児・孤児へと支給していく。
  • 大阪市中之島に自らの設計による図書館「こども本の森 中之島」を建設し、市へ寄付する計画を2017年に発表した。大阪市も賛同し、2019年夏頃の開館を目指して寄付を募集した。自らも費用を負担するとともに、大阪財界の企業を回って寄付を募っている。「新聞や本を読まない子が増えており、活字文化の大切さを見直したい」「お金持っては死ねない」との信念に基づく活動であると話している。なお、同図書館は2020年7月5日に開館した。

人物・エピソード[編集]

  • 「私の建築は、コンクリートの建物が多い。コンクリートは20世紀を代表する材料で、なおかつ誰にでも手に入る材料だ。私は誰にでも手に入る材料をもって、誰にでもない世界を創りたいと思う」(2021年)と発言。
  • 野武士世代と伝えられている(建築家槇文彦が命名。)。
  • 阪神タイガースファンである。
  • 安藤に保護され、事務所で飼っていた迷子の子犬を、ル・コルビュジエに肖り、コルと名付けた。
  • 東大教授時代の助手は建築家千葉学である。
  • 水都大阪2009総合アドバイザー
  • 過保護に育てられているとして「1980年以降に生まれた人たちはダメだ」と大学の講演などで発言し、気概があるのは高齢者ばかりで今の若者はダメ、高齢者が亡くなったあと日本は相当困ると指摘している。
  • 事務所は自分のデザインした建築であるが、本人は(関西圏の)一般のマンションに住んでいる。
  • 梅田スカイビルを建築した積水ハウスは2013年6月17日に、安藤の発案で、同ビル内に高さ9メートル、長さ78メートルに亘って約50種の草木を植樹する内容の「緑の壁」計画を発表した。ビル緑化の取り組みの一つとされていたが、同日にビルの庭園の設計を担当した造園家の吉村元男が、当該計画は庭園のデザインの統一性を損ね、かつ著作権を侵害しているとして、同月19日に同社に対し、工事中止を求める仮処分を大阪地裁に申請した。
  • 2012年には、インタビューに答え、地球資源や環境に関して、建築家が自分の仕事について考える方法は今も昔も同じだ。建築家が利用可能な資源とエネルギーの使用に取り組む方法に変化や焦点の変化はない。若い建築家がこれについて考え始めることは重要だと発言。

闘病[編集]

  • 2009年に胆のうがん十二指腸癌のため、胆のう胆管十二指腸を摘出。2014年7月にはすい臓がんが発見され、膵臓と脾臓を全て摘出する手術を受け、2度の手術で5つの臓器を摘出。血糖値をコントロールするため、1日6回血糖値を測定し、インスリン注射を打っている。それ以前は朝10時から夜8時までノンストップで働いていたが、医者に昼食後1時間から1時間半程度休憩するように言われ、実践。今まで読めなかった本に接し、さらに新たなイマジネーションが湧くという。

新国立競技場関連[編集]

前段階・2016年五輪[編集]

2009年10月の第121次IOC総会でブラジル・リオに敗れ、幻に終わった2016年オリンピック構想の「東京オリンピックスタジアム」(想定は都立・国の施設 それぞれの説がある)。当時の都知事・石原慎太郎は、招致委員会の理事でもあった 安藤にメインスタジアムを含めた建設計画を依頼した。

そして安藤(ゼネラルマネジャーとなった)がスタジアム建設地に晴海を選び、日建設計・日本設計・山下設計の協力の下、その全体計画をまとめた。2007年11月時点で安藤は、メインスタジアムの(実際の)設計はコンクール(国際コンペ)を開くべきだと思うとも提案していた。2009年には、「オリンピックは、心のレガシー(遺産)だ」ということも訴えた。

2020年五輪(コンペ審査)[編集]

変わって2012年。ラグビーワールドカップ2019の日本開催が2009年7月に決定していたことや、翌2013年に決まる2020年夏季五輪の東京の再立候補を見据え、日本スポーツ振興センター(JSC)らが国立競技場の建て替えを決定。

安藤は前述2016年五輪招致の経験や実績などが考慮されて2020招致委員会の評議会委員でもあり、「国立競技場将来構想有識者会議」メンバーに選出されると共に、「新国立競技場国際デザイン競技」の審査委員長も務めることとなった。応募期間(7月20日 - 9月25日)が短かったため海外の著名建築家らに、安藤自身が直接メールを送ってコンクールを知らせるなど尽力した。募集要項を詰めていた時点の2012年4月10日、「有識者会議」傘下「施設建築ワーキンググループ」第1回で出た70m容認案に対し、「相当な大きさです。(略)景観上の課題がある」と、安藤は難色を示していたという情報もある。

同年11月7日の最終審査(安藤を含め8人が参加)では、3つの案が拮抗していた。安藤は当初「34番」と、中心があり選手・観客が集中できると考えた「17番のザハ案」(ただし構造フレームが落とす影には懸念) との2つで悩み、それを打ち明けた。その後の議論で「34番」の屋根の技術的不安を安藤自身が指摘し、コンサートに用いたい委員からは音漏れを心配する意見も出た。

3つを対象に決選投票を実施したが、またも拮抗。休憩後の議論で安藤は理由を示さずに(当初自身が1位としていた34番を除外し)、「17番」と「2番」の2択に持っていった。そして、誰かから「議論で決まらないなら委員長の判断で決定でしょうか」「委員長を2票としていいのでは」など、委ねるような発言があり、安藤は「日本の技術力のチャレンジ」という精神から17番がいいと思いますと表明。他の審査委員から賛成の声が上がったこともあり、河野理事長が締めた。審査委員長メッセージとして、新国立競技場のあり方を「つくるべきは地球人の未来へと向かう灯台、希望の象徴となれる場所」 と表現していた。その後の11月15日の「有識者会議」(第3回)で安藤は、「最優秀案のほうが、それに日本の技術者が立ち向かっていくという意味ではいいのではないか」などと、選定理由を語った(当初は民主党政権下の会議資料は未公開だったが2015年8月に完全版が公開された)。

2020年五輪(2015年7月の会見など)[編集]

2013年9月の第125次IOC総会にて、2020年五輪の開催地に東京が選ばれた。

巨額な新国立建設費に関する問題が世間を賑わせてからマスコミの取材が押し寄せたが、安藤はそれを拒否し続けた。最終的に2520億円の予算が承認された2015年7月7日開催の「有識者会議」にも欠席した(後述の会見で「大阪で講演会があったので欠席した」ことを明かした)。

知り合い であるキャスターの辛坊治郎には「何でこんなに増えてるのか、分からへんねん!」と語っていたという。また、別の友人によると安藤は、文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)に対して何度も責任をもって当初案を進めるように水面下で主張してきたという。

下村博文文科相は2015年7月10日に、新国立のデザイン選定理由など「何らかの形で発言してほしい」と述べた。それとの因果は不明だが、16日に都内で記者会見(安藤本人からJSCへの要望で実施)に出席し、記者からの質問に回答した。会見で安藤は「徹底的なコストの議論にはなっていないと思いますよ」とコンペを振り返ったが、一部の委員はコスト面も踏まえて真摯に審査していた。

安藤は9月4日、大阪出身を理由に自身がバッシングを浴び、(東京の新国立プロジェクトから)引きずり下ろそうとされたとの、意識を語った。

9月24日に公表された第三者検証委員会による本人へのヒアリング資料によると、安藤は「経験豊富な国土交通省に参加してもらい文部科学省との共同で行うべき」だと、初期段階で(関係者に)提言したことがあったという。

交友関係者[編集]

  • 鈴木博之 (安藤を東大に招聘したといわれる)
  • 鈴木恵一 (とび職の親方)
  • 辛坊治郎
  • 南部靖之
  • やしきたかじん (お別れの会にも出席)
  • 石原慎太郎
  • 中坊公平
  • 稲盛和夫
  • 唐十郎
  • 三宅一生
  • 岩田弘三
  • 佐治敬三
  • 樋口廣太郎
  • 福武總一郎
  • 河合隼雄
  • 向井正也
  • 瀬戸本淳
  • 難波和彦

受賞[編集]

  • 1979年 - 日本建築学会賞(住吉の長屋)
  • 1983年 - 日本文化デザイン賞(六甲の集合住宅ほか)
  • 1985年 - フィンランドのアルヴァ・アールト賞
  • 1986年
    • 芸術選奨文部大臣賞新人賞
    • 毎日デザイン賞
  • 1987年 - 毎日芸術賞
  • 1988年 - 吉田五十八賞(城戸崎邸)
  • 1989年 - フランス建築アカデミー賞
  • 1993年 - 日本芸術院賞
  • 1994年 - 日本芸術大賞(大阪府立近つ飛鳥博物館)、朝日賞
  • 1995年 - プリツカー賞
  • 1996年 - 高松宮殿下記念世界文化賞、国際教会建築賞(フラテソーレ)
  • 1997年 - 大阪キワニス賞、RIBAゴールドメダル
  • 2002年 - 京都賞思想・芸術部門、AIAゴールドメダル
  • 2005年 - UIAゴールドメダル
  • 2010年 - ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、後藤新平賞
  • 2012年 - リチャード・ノイトラ賞
  • 2016年 - 第3回イサム・ノグチ賞

栄典[編集]

  • 1997年 - フランス芸術文化勲章オフィシエ
  • 2002年 - ローマ大学名誉博士号、同済大学名誉教授
  • 2003年 - 文化功労者選出
  • 2005年 - フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ
  • 2010年 - 文化勲章
  • 2013年 - フランス芸術文化勲章コマンドゥール
  • 2015年 - イタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ
  • 2021年 - フランスレジオンドヌール勲章コマンドゥール

文献[編集]

著書[編集]

  • 『建築を語る』 東京大学出版会、1999年、ISBN 4130638009
  • 『連戦連敗』 東京大学出版会、2001年、ISBN 4130638041
  • 『建築に夢をみた』 日本放送出版協会(NHKライブラリー149)、2002年、ISBN 4140841494
  • 『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 新潮社、2004年、ISBN 4106021196
  • 『安藤忠雄 建築手法』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー エーディーエー・エディタ・トーキョー、2005年、ISBN 4871406636
  • 『悪戦苦闘 2006年の現場 - 21_21 DESIGN SIGHT』安藤忠雄建築展実行委員会、2007年、ISBN 9784990354503
  • 『建築家 安藤忠雄』 新潮社、2008年、ISBN 4103090510、自伝
  • 『安藤忠雄 住宅』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406727
  • 『安藤忠雄 都市と建築』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406758
  • 『安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書』 日本経済新聞出版社、2012年、ISBN 4532168163

その他[編集]

  • 日本経済新聞の『私の履歴書』に自伝が掲載。2011年3月1日-3月31日。

作品集、その他[編集]

  • 『現代の建築家 安藤忠雄』 SD編集部編、鹿島出版会、1982年、ISBN 4306041344
  • 『安藤忠雄のディテール―原図集 六甲の集合住宅・住吉の長屋』 彰国社、1983年、ISBN 4395110444
  • 『交感スルデザイン』 六耀社、1985年、ISBN 4897370418
  • 『安藤忠雄―挑発する箱』 丸善、1986年、ISBN 4621030442
  • 『GA ARCHITECT 8 TADAO ANDO』 エーディーエー・エディタ・トーキョー、1987年、ISBN 4871404129
  • 『旅―インド・トルコ・沖縄』 住まいの図書館出版局(住まい学大系20)、1989年、ISBN 4795208808
  • 『Tadao Ando ; The Yale Studio & Current Works』 Rizzoli International Publications, Inc.、1989年
  • 『安藤忠雄2.1981‐1989』 SD編集部編、鹿島出版会、1990年、ISBN 4306042758
  • 『ARCHITECTURAL Monographs 14 -TADAO ANDO』 ACADEMY EDITIONS, London / ST.MARTIN PRESS、1990年
  • 『安藤忠雄 ディテール集 1-4』 二川幸夫企画編集 エーディーエー・エディタ・トーキョー 1991年-2007年、ISBN 4871405516、ISBN 4871405559、ISBN 4871405567、ISBN 4871405575
  • 『安藤忠雄の都市彷徨』 マガジンハウス、1992年、ISBN 4838703597
  • 『安藤忠雄3.アンビルト・プロジェクト (1975-1991)』 SD編集部編、鹿島出版会、1993年、ISBN 4306043150
  • 『GA ARCHITECT 12 TADAO ANDO Vol.2』 エーディーエー・エディタ・トーキョー、1993年、ISBN 4871404196
  • 『壁の探究―安藤忠雄論』古山正雄著、鹿島出版会、1994年、ISBN 4306043282
  • 『Documenti di architettura -Tadao Ando』 Electa、1994年、ISBN 8843550241
  • 『TADAO ANDO COMPLETE WORKS』 PHAIDON PRESS LIMITED、1995年、ISBN 0714837172/0714834718
  • 『サントリーミュージアム天保山』 三宅理一共著、鹿島出版会、1995年、ISBN 4306043398
  • 『安藤忠雄の夢構想―震災復興と大阪湾ベイエリアプロジェクト』 朝日新聞社、1995年、ISBN 4022586206
  • 『家』 住まいの図書館出版局(住まい学大系76)、1996年、ISBN 479520876X
  • 『アンドウ―安藤忠雄・建築家の発想と仕事』松葉一清著、講談社、1996年、ISBN 4062075938
  • 『直島コンテンポラリーアートミュージアム』 三宅理一共著、鹿島出版会、1996年、ISBN 4306043487
  • 『Church on the Water, Church of the Light』PHAIDON PRESS LIMITED、1996年、ISBN 0714832685
  • 『The Colours of Light』PHAIDON PRESS LIMITED、1996年、ISBN 0714833746
  • 『TADAO ANDO』 Taschen GmbH、1997年、ISBN 3822878693/3822867314
  • 『建築家たちの20代』東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室編 TOTO出版、1999年、ISBN 4887061773
  • 『淡路夢舞台―千年庭園の記録』 新建築社、2000年、ISBN 4786901547
  • 『GA ARCHITECT 16 TADAO ANDO Vol.3』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2000年、ISBN 4871404242
  • 『光の教会―安藤忠雄の現場』平松剛 著、建築資料研究社、2000年、ISBN 4874606962
  • 『EL croquis 44+58 tadao ando 1983-2000』 El Croquis Editorial、2000年、ISBN 8488386141
  • 『Tadao Ando, Architektur der Stille』 Birkhäuser-Publishers for the Architecture、2001年、ISBN 3764364483
  • 『安藤忠雄の美術館・博物館』 美術出版社、2001年、ISBN 4568600308
  • 『a+u / Architecture and Urbanism no.378』A+U Publishing Co., Ltd.、2002年
  • 『Tadao Ando : LIGHT AND WATER』 Monacelli Press. 2003年、ISBN 1580931138
  • 『格闘わが建築 安藤忠雄 : Tadao Ando(DVD)』 NHKソフトウェア・コロムビアミュージックエンタテインメント、2003年、ISBN 493087338X
  • 『Archipockets/Tadao Ando』teNeues, Loft Publications、2003年、ISBN 3823845381
  • 『TADAO ANDO LIGHT AND WATER』The Monacelli Press Inc.、2003年、ISBN 1580931138
  • 『ANDO Complete Works』Taschen GmbH、2004年
  • 『Tadao Ando at Naoshima』Rizzoli International Publications, Inc.、2006年、ISBN 0847827690
  • 『TADAO ANDO The Geometry of Human Space』古山正雄著 Taschen GmbH、2006年、ISBN 9783822848951
  • 『TADAO ANDO The Modern Art Museum of Fort Worth』Rizzoli International Publications, Inc.、2008年、ISBN 9780847830152
  • 『安藤忠雄の建築 1/ 2/ 3/ 0』 TOTO出版、2007年/2008年/2008年/2010年、ISBN 9784887062771/ ISBN 9784887062863/ ISBN 9784887062962/ ISBN 9784887063099
  • 『歩きながら考えよう 建築も、人生も』PHP研究所 2010年
  • 『Tadao Ando Museums [Musei]』Skira editore S.p.A.、2009年、ISBN 9788861306806/9788861307186
  • 『Tadao Ando / Venice』Skira Rizzoli International Publications Inc.、2010年、ISBN 9780847834105
  • 『Documenti di architettura 183 Francesco Dal Co / Tadao Ando Volume 2 1995-2010』Mondadori Electa S.p.A.、2010年、ISBN 978-8837063849
  • 『Tadao Ando 1995-2010』Prestel Verlag、2010年、ISBN 9783791344546

テレビ出演[編集]

  • 『視点・論点』(2008年9月25日、NHK)
  • 『視点・論点』(2009年8月7日、NHK)
  • 『視点・論点』(2010年3月31日、NHK)
  • 『視点・論点』(2010年6月29日、NHK)
  • 『情熱大陸』(2010年6月13日、毎日放送)
  • 『仕事学のすすめ』(2012年3月、NHK)
  • 『アナザースカイ』(2012年11月30日、日本テレビ)
  • 『安藤忠雄の対論〜この国の行く末〜』(2017年2月26日 - 、BSフジ)
  • 『インタビュー ここから(NHK)』(2020年5月4日 )
  • 『日曜美術館 安藤忠雄 魂の建築』(2022年11月20日、NHK Eテレ)
など多数。

安藤忠雄建築研究所出身の建築家[編集]

  • 相坂研介
  • 芦澤竜一
  • 貴志雅樹
  • 藤本寿徳
  • 山口隆


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