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北海道放送

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北海道放送株式会社(ほっかいどうほうそう、英: Hokkaido Broadcasting Co.,Ltd. 略称:HBC)は、北海道を放送対象地域とし、中波放送(AM放送)およびテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者である。

テレビはJNNの基幹局(五社連盟)。札幌放送局のコールサインはJOHR-DTV、リモコンキーIDは「1」。

ラジオ(中波放送(AM放送))はJRN系とNRN系のクロスネット局。札幌放送局のコールサインはJOHR。ラジオ事業についての詳細はHBCラジオを参照。

会社概要[編集]

  • 代表取締役会長 : 渡辺卓
  • 代表取締役社長 : 勝田直樹
  • 本社・札幌放送局 : 札幌市中央区北1条西5丁目2(〒060-8501)

放送局・支社・支局[編集]

  • 旭川放送局:旭川市1条通8丁目542-4 一条緑橋通ビル3階(〒070-0031)
  • 函館放送局:函館市梁川町9-5(〒040-8616)
  • 帯広放送局:帯広市西2条南10丁目11 ISビル2階(〒080-8560)
  • 東京支社:東京都港区新橋3丁目1-9-301 新橋ビルディング8階(〒105-0004)
  • 大阪支社:大阪市北区堂島1丁目6‐20 堂島アバンザ5F(〒530-0003)
  • JNN-HBC北京支局:中華人民共和国北京市建国門外外交人員公寓11-111
  • TBSモスクワ支局(特派員を派遣している)

番組制作を取りやめた放送局[編集]

  • 北見放送局:北見市幸町2丁目1-28 フヂサワビル502(〒090-0036)
  • 釧路放送局:釧路市城山2丁目4-34(〒085-0826)

上記の放送局はいずれも現存しているが、2003年(平成15年)4月以降独自番組の制作を取りやめており、ラジオ・テレビの送信、および取材拠点としての業務のみを行っている。

過去に存在した放送局など[編集]

  • 小樽放送局・苫小牧放送局(ともに支局とされていた時期あり):合理化により、札幌放送局に統合(時期不明)。
  • 室蘭放送局(室蘭市):合理化により、2003年(平成15年)に函館放送局へ機能統合。
  • 東北支社(青森市):合理化により、函館放送局へ統合(時期不明)。
  • 名古屋支社:名古屋市中区錦三丁目23‐31 栄町ビル4F(〒460-0003)
  • JNNサンパウロ支局: ブラジルサンパウロ 1980年 - 1993年。後述するサハリンに移転。
  • JNNロシア極東支局: ロシアサハリン→ウラジオストク 1993年にサンパウロから移転。1999年に廃止。

その他、かつては網走市・紋別市に通信部もおかれていたが廃止された。

関係会社[編集]

  • 株式会社HBCフレックス(2015年(平成27年)7月1日にHBCメディアクリエートと合併)
  • 株式会社HBCビジョン
  • 株式会社三新 - 放送設備の保守、VTR編集等

かつては札幌市内の手稲山一帯でスキー場・遊園地などからなる株式会社テイネオリンピアを三菱マテリアルとの合弁で運営していたが、その後加森観光にすべて売却された。

放送局概要[編集]

北海道放送
基本情報
英名 Hokkaido

Broadcasting Co.,Ltd.

略称 HBC
本社 〒060-8501

北海道札幌市中央区北1条西5丁目2番地

演奏所 本社と同じ
公式サイト https://www.hbc.co.jp/
ラジオ
放送対象地域 北海道
系列 JRN、NRN系
愛称 HBCラジオ
呼出符号 JOHR
呼出名称 ほっかいどうほうそう
開局日 1952年3月10日
親局 / 出力 札幌 1287kHz /  50kW
主な中継局 HBCラジオ#周波数を参照
テレビ
放送対象地域 北海道
ニュース系列 JNN
番組供給系列 TBSテレビネットワーク
愛称 HBCテレビ

HBC北海道放送

呼出符号 JOHR-DTV
呼出名称 HBCデジタルテレビジョン
開局日 1957年4月1日
リモコンキーID 1
デジタル親局 札幌 19ch
主な中継局 旭川 19ch

函館 17ch 室蘭 22ch 網走 22ch 帯広 19ch 釧路 45ch

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札幌テレビ放送(STV)がラジオ局を分社した ことによって、道内の民放では唯一の同一法人によるラジオ・テレビ兼営局となった。

データ放送を実施しており、番組表サービス「Gガイド」を配信している。

系列新聞は北海道新聞(道新)・道新スポーツとされているが、道新が北海道文化放送(UHB)・テレビ北海道(TVh)とも関わりが深いことに加え、HBC側も2020年(令和2年)9月に道新のライバルである十勝毎日新聞社グループと包括提携を結んでおり、2022年現在特定の新聞社との繋がりは薄くなっている。

現在のマスコットキャラクターは猿がモチーフの「もんすけ」で、過去には1992年(平成4年)8月のラジオ「AMステレオ放送」開始時に「ラジレオくん」というキャラクターを使用していた。キャッチフレーズは「ガッチャンコ」(2014年7月より)。

HBCの初代社長を務めた阿部謙夫は当時の親会社であった道新から派遣され、開局当初は道新系列の放送局であったが、阿部が亡くなった1972年(昭和47年)にHBCと道新が協力してUHBを開局した。UHB開局後、HBCと道新の資本関係はマスメディア集中排除原則の兼ね合いから毎日新聞社と東京放送(現・TBSホールディングス)のように希薄になったが、ラジオニュースでは平日日中の00分時に「道新ニュース」30分時は「HBCニュース」の名称を使用し、現在も引き続き良好な関係が続いている。なお、現在の筆頭株主は共栄火災海上保険である。

テレビドラマは1957年(昭和32年)から生放送で制作を開始、1958年(昭和33年)11月から「東芝日曜劇場」での制作に参加し、1993年(平成5年)まで約150本の作品を制作した ほか、「近鉄金曜劇場」などの放送枠でもドラマを制作した。これらの放送枠から『うちのホンカン』『ダンプかあちゃん』『幻の町』などの作品を全国に送り出し、日本民間放送連盟賞や芸術祭賞などを数多く受賞。芸術祭賞では『オロロンの島』(1962年)が文部大臣賞を受賞している。「日曜劇場」がTBS制作の連続ドラマ枠になってからは他の2時間ドラマ枠にて年2本のペースでドラマを作り続けてきたが、キー局やスポンサー等の関係で現在は特別番組としてのテレビドラマを年1作程度制作しているほか、ラジオドラマの制作にも再び力を入れるようになった。

ドキュメンタリー番組も数多く制作しており、代表的なテレビ作品として『ヤンキー母校に帰る』や『大草原の少女みゆきちゃん』などがあり、両作品ともDVD化されている。芸術祭賞でも制作番組が受賞しており、『地底の葬列』(1982年)・『ヒューマンドキュメンタリー いのちの記憶 -小林多喜二 二十九年の人生-』(2008年)が大賞を受賞した。近年では『記憶障害の花嫁 最期のほほえみ』が2011年度のJNNネットワーク大賞を受賞した。

上記の他、バラエティ番組も自社制作しており一部はローカル枠を利用してゴールデンタイムに放送されたり、単発番組として全国放送もされている。

青少年を対象とした文化活動も積極的に行っており、『HBC少年少女合唱団』『HBCジュニアオーケストラ』を企画・運営しているほか、『全国こども音楽コンクール』の北海道ブロック大会として『HBCこども音楽コンクール』も主催している。

2001年(平成13年)4月に気象庁より道内の放送局で初めて「天気予報業務許可業者」としての認可を受けたことに伴い、2001年(平成13年)12月に「HBCウェザーセンター」を開設し独自の天気予報が可能となった。

道外でも青森県の一部や北方領土でテレビの視聴やラジオの聴取が可能である。

2021年(令和3年)10月現在、JNN基幹局(五社連盟)では唯一認定放送持株会社に移行していない。

新社屋移転[編集]

1959年(昭和34年)竣工(1967年(昭和42年)増築)のHBC会館は老朽化が著しく、2017年(平成29年)5月26日の会見で会館に隣接する立体駐車場(HBCパーキング)を解体した跡地に新社屋を建設することを発表 した。

規模は地上9階・地下1階建、延床面積は現会館と同規模の1万2376平方m。設計・監理は現会館と同じ久米設計札幌支社。施工は入札の結果、熊谷組北海道支店が請け負った。2018年(平成30年)9月に着工し、2020年(令和2年)3月31日に竣工。 業務開始は9月23日で、運用開始はラジオは9月21日、テレビは10月12日にそれぞれ運用開始した。

新社屋内部には、社員用ラウンジに併設して関係者用のセイコーマートの無人店舗も設置されており、それに伴いHBCはセコマ(「セイコーマート」の持株・統括会社)と「災害時における物資の供給及び連携等に関する協定書」を締結した。これは、セコマが他に無人店舗を出店している三井住友海上火災保険や損害保険ジャパン北海道本部などと同様の対応である。

テレビスタジオは生放送中心の第1、収録中心の第2、そしてスポットニュース用のNの3室で、そのうち第2サブは4K対応である。

ラジオスタジオは生放送中心で大きな外装がある第1と第2、収録用の第3と第4の4室 で、他にナレーション録りや編集を行う編集ブースもある。

また地下にはHBCジュニアオーケストラ・HBC少年少女合唱団の練習スタジオも整備されている。

なお旧社屋であったHBC会館はその後新社屋運用開始後に解体され、HBC会館跡地にはNTT都市開発がホテルやオフィス、商業施設などが入る110.92㎡の27階建ての複合高層ビルを建設する予定。

ロゴマークの変遷[編集]

TBSの美術部が制作した初代のロゴマーク(以下「旧ロゴ」と記載)は、1956年(昭和31年)から2001年(平成13年)11月まで45年にわたり使用していた。テレビでは旧型の湾曲ブラウン管型の図形のなかに「HBCテレビ」のロゴを模ったものもあり、これは現在もマイク、記者腕章、本社駐車場内車庫の外壁、中継・機材車、札幌を除く道内各放送局の外壁、一部テレビ・ラジオの送信所と中継局に残っている。なお、本社社屋に掲示していたロゴマークは、旧ロゴと多少デザインが異なったものも掲げられていたことがある。

創立50周年を迎えた2001年(平成13年)12月より、旧ロゴをスマートにした現在の文字ロゴ(2代目。以下「正式ロゴ」と記載)に変更された。主に本社社屋の外壁、放送機材、封筒、テレビ・ラジオの番組表、ホームページなどで使われている。また、札幌ドームレフトポール際のフェンスに広告掲示している「テレビ・ラジオ」の表示にも使用しているほか、一部の送信所・中継局でも使われている(地上デジタル放送送信施設のあるテレビ送信所・中継局はほとんどがこのロゴマークとなっている)。

2006年(平成18年)の春改編時からは、テレビ放送用の新ロゴ(3代目)も登場。「1からはじまるHBC」のキャッチフレーズで「B」の中に数字の「1」がデザインされ、グリーンで配色された新ロゴはデジタルテレビ放送のPRも兼ねて正式ロゴと2011年(平成23年)10月31日まで併用していたが、2011年(平成23年)11月1日からは従来の正式ロゴに戻された。なお、テレビ送信所・中継局では当初より新ロゴを使用せず、旧ロゴや正式ロゴを掲示している。

番組表での局名表記[編集]

北海道新聞ではテレビ・ラジオ欄とも「HBC」と略称のみで掲載。その他(道新以外に)道内で購読されている全国紙・地方紙は「HBCテレビ」及び「HBCラジオ」と表記している(以前は道新でも1982年(昭和57年)頃まで「HBCテレビ」及び「HBCラジオ」と表記していた)。

青森県を中心とした道外地方紙では、東奥日報がHBCをはじめとする道内のテレビ・ラジオ番組をハーフサイズで掲載(ラジオ欄は「HBCラジオ」、テレビ欄は「北海道放送」 と表記)。また全国紙においてもスポーツニッポンとしんぶん赤旗の北東北版はHBCをはじめとする道内のTV番組を極小サイズで掲載している(道内ラジオはスポニチ北東北版がFMラジオ局のみ掲載、道内AMラジオ局を掲載しているのは東奥日報のみ)。また、かつての河北新報ラ・テ欄では、テレビが「北海道テレビ」 と、ラジオは「北海道放送」と記載されていた。

編成等の特徴[編集]

テレビ[編集]

フィラー番組『TBS NEWS』 は、当初札幌放送局(本社直轄で札幌都市圏ならびに小樽市周辺地域)のみの終夜放送(月曜未明の一部を除く)であったが、2005年3月28日から道内全域で終夜放送している。ただし、不定期に一部地域で放送休止となる場合があり、メンテナンスの状況によってはフィラー開始前のHBC天気予報とその前のテレビショッピングの放送も一部地域で休止となる場合がある(主に月曜日未明)。『TBS NEWS』が放送休止(放送開始まで数分程度あるいは衛星配信そのものが休止)の場合は本社に設置されているお天気カメラの風景映像に音楽を交えて放送される。TBSニュースバードのフィラー放送開始以前は本社に設置されているお天気カメラの風景映像に音楽を交えて放送される形式だった(画面下にアナログテレビ放送終了の告知を表示。以前は次番組の予告を表示していた)が、これも当初は札幌放送局管内のみで他の地域では道内局独自のカラーバーまたはNTT中継回線テストパターンを流していたか停波していた。 『TBS NEWS』のフィラー放送時、ワンセグでは随時、ワンセグ向けに独自の番組を放送することがある(午前4時台)。

プロ野球(NPB)公式戦の中継については、TBS系列でDeNA(TBSテレビ制作)・中日(CBCテレビ制作)・阪神(毎日放送制作)・広島(中国放送・TBSテレビ共同制作)対巨人戦を放送する時でも、北海道放送では自社制作による北海道日本ハムファイターズ戦(ホーム・ビジター を問わず)を中継する(この場合、タイトルは『Bravo!ファイターズ』に変わる)。その場合でも、対巨人戦はBS-TBS・TBSチャンネル(阪神対巨人戦はGAORAでTigers-ai制作分を放送)でも視聴可能となっており、道南の一部地域では、青森テレビでの視聴が可能となっている。

ゴールデンタイムにナイター中継を放送する場合、CBCテレビ・毎日放送・中国放送・RKB毎日放送とは異なり(毎日放送とRKB毎日放送はごく一部の日程のみ)、JNN協定に「単発特別番組など特例の場合を除き、後日放送を行うことは認められない」という規定がある関係で、通常番組を差し替えて放送することは事実上困難であり、地元にプロ野球球団が存在する東北放送でも同様の対応となっている(一時CBCテレビや中国放送と同様にネット番組を休止して独自のナイター中継に差し替えていたことがある)。 なお、過去に北海道放送でゴールデン枠の対巨人戦が差し替えられたケースは2005年と2007年(3月30日、4月20日、5月18日)に3回ほどあったが、2004年と2006年はわずか1回の中継にとどまっている。その後は、水曜日や週末などのローカル枠にて放送しており、北海道コンサドーレ札幌やレバンガ北海道の試合中継も同様に実施した経験がある。

北海道のテレビ局ではで唯一、深夜アニメの製作を手がけている。『ああっ女神さまっ』(第1期)はTBSテレビでは深夜に放送されていたが北海道放送では朝6時から放送された(地上波では北海道放送のみネット)。しかし『ああっ女神さまっ それぞれの翼』(第2期)は枠の関係からか未放映(地上波では毎日放送のみネット)となった。 近年はテレビ北海道に次ぐ数の深夜アニメを放送しており、2006年4月より独立局アニメに参入し、2012年4月からはアニメ・声優情報バラエティ『コエキタ!!』が放送された。だがキー局のTBS制作による深夜アニメは、2014年4月期の『ブレイドアンドソウル』から2021年10月期の『プラチナエンド』(BS11と共同製作参加)まで7年半も放送されていない状況が続いていた。

ワンセグ放送のみ、番組情報が一切記載されない。

スタジオ[編集]

テレビ[編集]

本社スタジオ[編集]

テレビ第1スタジオ(3階・129坪 有効103坪)
『今日ドキッ!』『グッチーな!』他各種特番で使用。
テレビ第2スタジオ(3階・60坪)
『ジンギス談!』『Bravo!ファイターズ』等で使用。また中継処理も行う。4K収録に対応している。
Nスタジオ(2階・9坪)
スポットニュース用。

旧本社(HBC会館)スタジオ[編集]

テレビ第1スタジオ(120坪)
1階に位置し、会館閉鎖時は『今日ドキッ!』『いまなにしてる?』『金曜ブランチ』などで使用。
かつては『パック2』『テレポート6』のほか『東芝日曜劇場』等のドラマの制作も行っていた。
テレビ第2スタジオ(60坪)
4階に位置し、報道フロアに隣接している為『今日ドキッ!』『ひるおび!』内北海道ローカルニュースといった報道番組を中心に使用されていたが、まれに収録系番組でも使用された事がある。
1959年の会館竣工時は工事だけ行っており、スタジオとしての運用開始は1969年。1985年に専用の放送設備が整備され、2005年頃にニュース用に改修された。
テレビ第3スタジオ
2階に位置し、ワイドニュース『テレポート6』開始前年の1974年に整備。ニュースや番宣番組、SNG分配などに利用されたが、地上デジタル放送を開始した頃に閉鎖した。

この他、ウェザーセンターと報道フロア内に顔出しブースがある。

資本構成[編集]

企業・団体は当時の名称。出典:

2021年3月31日[編集]

資本金 発行済株式総数 株主数
4億9500万円 2,200株 185
株主 株式数 比率
共栄火災海上保険 184株 8.36%
明治安田生命保険 174株 7.90%
北洋銀行 92株 4.18%
ノースパシフィック 88株 4.00%
北海道銀行 81株 3.68%
三菱UFJ信託銀行 77株 3.50%
日本トラスティ・サービス信託銀行 74株 3.36%
TBSホールディングス 70株 3.18%
MBSメディアホールディングス 60株 2.72%
中部日本放送 60株 2.72%
RKB毎日ホールディングス 60株 2.72%
北海道新聞社会福祉振興基金 60株 2.72%

沿革[編集]

1950年代[編集]

  • 1951年(昭和26年)
    • 4月21日 - 【ラジオ】予備免許交付。
    • 6月29日 - 北海道新聞社内に創立事務局設置。
    • 11月22日 - 創立株主総会開催。
    • 11月30日 - 設立登記完了、この日を創立記念日とする。
  • 1952年(昭和27年)
    • 1月19日 - 【ラジオ】午前7時より中波(AM)ラジオ試験放送開始。このときのスタジオは当時の送信所(札幌市東区北32条東15丁目。現・イオン札幌元町ショッピングセンター)に仮設された。現在は当地に「北海道民放第一声の地」の記念碑がある。これは1981年に開局30周年記念事業の一環として建立されたもの。当時の送信アンテナはトドマツ材を12本使用した高さ約80mの木柱で、木製アンテナは当時としても珍しかった。なお、この旧ラジオ送信所は現送信所へ移転する1971年(昭和46年)まで使用された。第一声を担当したのは河内寿美子アナウンサー(当時)。「JOHR、JOHR、こちらは北海道放送でございます。ただいま周波数1230キロサイクルで試験電波を発射しております」であった(当時の音源は残っていない)。このとき使われたマイクはコード部分を切り取って保存していたが、2001年(平成13年)の創立50周年を機に技術スタッフが大規模な修復を施しマイクの復元に成功、2002年(平成14年)1月18日放送の『テレポート2000』でこのマイクが使用された。
    • 2月5日 - 【ラジオ】本免許交付。
    • 2月8日 - 【ラジオ】サービス放送開始。
    • 3月10日 - 【ラジオ】全国7番目(東日本で2番目)、道内初の民間放送局としてラジオ本放送開始(送信所仮設スタジオから)。
    • 3月15日 - 大丸ビル(札幌市南1条西3丁目。現・大丸藤井セントラル)5階にスタジオ完成(3月31日供用開始)。
  • 1954年(昭和29年)
    • 7月10日 - 【テレビ】8月31日まで、函館市で開催された北洋漁業再開記念北海道大博覧会(北洋博)にてテレビ試験放送実施、3ch(当時のコールサインは「JOHO-TVX」、出力映像50W・音声25W)。
    • 11月1日 - 【ラジオ】東京支社スタジオからの中央発ニュース(外電と国内ニュース)中継放送開始。
  • 1955年(昭和30年)7月1日 - 【テレビ】8月31日まで、札幌本社屋上からVHF3ch・映像50W・音声25Wでテレビ試験放送実施(1日2時間)。
  • 1956年(昭和31年)
    • 9月1日 - 【ラジオ】東京支社発ニュースを山形放送(YBC)へネット開始。
    • 11月29日 - 【テレビ】アナログテレビ予備免許交付。
  • 1957年(昭和32年)
    • 3月1日 - 【テレビ】アナログテレビ試験放送を開始。
    • 4月1日 - 【テレビ】アナログテレビ(コールサイン:JOHR-TV、1ch、映像10kW、音声5kW)本放送開始。送信所は運用開始当初から手稲山に設置(日本のテレビ送信所では初のマウンテントップ方式によるもので、1956年(昭和31年)12月完成。後述)。
    • 6月10日 - 【ラジオ】東京支社発ニュースを岩手放送(IBC)へネット開始。
  • 1958年(昭和33年)7月 - 【テレビ】札幌市で開催された北海道大博覧会にてカラーテレビ試験放送を実施。
  • 1959年(昭和34年)
    • 6月1日 - 【ラジオ】東京支社から山形放送へのニュース送り中止。
    • 6月3日 - 【ラジオ】東京支社から岩手放送へのニュース送り中止。
    • 8月 - 【テレビ】JNN協定締結。これ以前より、テレビニュースはラジオ東京(KRT、現・TBSテレビ)の『東京テレニュース』を放送していた。
    • 9月 - 札幌市北1条西5丁目(旧石狩支庁、日本赤十字札幌支社跡)に本社・札幌放送局の社屋(HBC会館)が完成。完成当時は本社機能とテレビ部門のみがHBC会館に移り、ラジオ部門は開局当時からの大丸ビルに残留していた。

1960年代[編集]

  • 1960年(昭和35年)
    • 2月25日 - 【テレビ】KRT・CBC・ABC・RKBの四社連盟に加入し、翌日五社連盟として発足。それまで数多く放送されていた日本テレビの番組については、前年12月までにほぼSTVへの移行を済ませていた。
    • 3月 - 【ラジオ】全国初の無人ラジオ送信所運用として網走送信所の無人化を開始。
    • 8月31日 - 【ラジオ】東京支社発ニュース中継放送を中止。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 【テレビ】STVから移行した日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)の教育番組のネット放送を開始。
  • 1965年(昭和40年)5月2日 - 【ラジオ】JRNの発足と同時に加盟。翌日NRNにも発足と同時に加盟。
  • 1966年(昭和41年)3月18日 - 【テレビ】カラー放送開始。第1号は、3月20日にTBSからの同時ネット受けで放送された米国テレビ映画『FBI』だった。
  • 1967年(昭和42年)
    • 6月10日 - この日発足の民間放送教育協会に加入。
    • 12月1日 - 【ラジオ】社屋増築が竣工し、ラジオ部門もHBC会館に移転した。
    • 12月21日 - 【テレビ】テレビ道内全局カラー化を完成
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月11日 - 【テレビ】初のカラー自社制作番組「道博への招待」を放送。
    • 9月2日
      • 【テレビ】札幌市円山陸上競技場で挙行された「北海道百年記念祝典」の模様を、カラーで生中継(NHK札幌総合テレビ、札幌テレビ放送も共にカラーで生放送)。
      • 【テレビ】この日の18時50分からの夕方のローカル・ニュースにて、同時間帯のみローカル・ニュースのカラー放送を開始。これに伴い、道内のカラーフィルムによる報道取材を開始。北海道内のテレビ局及びJNN加盟局に於いて、カラーによる報道取材開始は初(TBS・ABCは同月30日から)。 
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 【テレビ】教育番組を除くNETテレビ(現・テレビ朝日)の番組が全てHTBへ移行。

1970年代[編集]

  • 1970年(昭和45年) - 【テレビ】札幌オリンピック国際映像制作参加を正式決定。
  • 1971年(昭和46年)11月1日 - 【ラジオ】親局(札幌送信所)を江別市篠津へ移転、出力を50kWに増力。
  • 1972年(昭和47年)
    • 2月 - 【テレビ】札幌オリンピックにて日本の民放で初めてオリンピック国際映像制作に参加。スキー女子大回転・男女回転を担当。
    • 3月18日 - この日予定されていた『お荷物小荷物・カムイ編』(この当時JNN基幹局だった朝日放送制作)の第16話「シゴイてイジメてイビリます」が北海道ウタリ協会からの抗議でHBCのみ放送中止になり、放送界におけるアイヌ民族からの訴えとして全国的に話題になる。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月1日 - 当時では珍しい完全週休二日制を本格的に実施。
    • 12月1日 - 開局20周年と亀田市の編入合併による函館市の市域拡大を記念し市民歌「はこだて賛歌」を選定、函館市役所に寄贈する。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 【テレビ】JNNの近畿地方におけるネット局が朝日放送(ABC)から毎日放送(MBS)に変更。これにあわせ、ネット番組も大幅に変更された。
  • 1979年(昭和54年)12月23日 - 【テレビ】札幌放送局で音声多重放送開始

1980年代[編集]

  • 1982年(昭和57年)
    • 4月13日 - 【ラジオ】プリエンファシス方式による放送開始。

1990年代[編集]

  • 1992年(平成4年)8月1日 - 【ラジオ】札幌放送局でAMステレオ放送開始。ステレオ放送による第一声は車の通る外の風景音だった。
  • 1993年(平成5年)2月7日 - 【テレビ】HBC網走送信所のケーブルが故障、網走管内全域でほぼ終日テレビが視聴不能になった。ラジオは不明。他の民放およびNHK北見放送局は影響を受けず放送を続けた。
  • 1996年(平成8年)4月22日 - 公式ウェブサイト開設
  • 1999年(平成11年)4月19日 - 5月17日 - 地方局合理化を実施。テレビは道南(函館・室蘭)・道北(旭川・北見)・釧路・帯広の四ブロックに再編し、ラジオは全地方局のCM送出を本社からの直接送出とした。

2000年代[編集]

  • 2000年(平成12年)4月4日 - 【テレビ】札幌本社で『JNNニュースバード』放送開始。当初は5:00からのサイマル放送で、2002年(平成14年)4月からフィラー枠に拡大。現在は道内全域で放送されている。
  • 2001年(平成13年)
    • 札幌本社社屋外観の化粧直しが施された。
    • 1月31日 - 気象庁より放送局としては全国三番目の予報業務許可事業者認可を受け、独自の天気予報が可能になった。
    • 11月 - 開局50周年に伴い、略称・社名ロゴマークデザインが変更。
    • 12月1日 - 気象予報業務許可事業者認可を受け、「HBCウェザーセンター」が開設。
  • 2003年(平成15年)
    • 4月 - 【テレビ】・【ラジオ】テレビではニュース・情報番組などで使用されるテロップシステムの更新が行われる。また、テレビとラジオで長年に亘って一部の時間に放送されていた各地域別の番組やCMを取りやめた。以降、各地域毎の差し替えは行わず、すべて札幌局の内容をそのまま放送する形となった。同時に室蘭放送局は函館放送局に、北見放送局は旭川放送局に、釧路放送局は帯広放送局に統合・廃止された。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月6日 - 【テレビ】地上デジタル放送対応のマスターに更新。メーカーも長年使用してきたNEC製から東芝製に変更された。
    • 4月1日 - 【ラジオ】2003年(平成15年)に取りやめた各地域別の番組やCMを再開するが、札幌の道央、函館・室蘭の道南、旭川・北見の道北、帯広・釧路の道東の4地域に分けられ、事前収録したものを札幌本社から裏送りする放送となり、現在に至っている。
    • 6月1日 - 【テレビ】札幌本社で地上デジタル放送開始
  • 2007年(平成19年)10月1日 - 【テレビ】旭川放送局・函館放送局・室蘭放送局・帯広放送局・北見放送局(網走)・釧路放送局で地上デジタル放送開始。アナログ放送と異なり、上記の各放送局にはコールサインが設定されずいずれも札幌放送局の中継局扱いとなったため、各地域別の差し替えは行われず全道で同一の内容となる。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 【テレビ】ワンセグ独自編成の試験運用を開始、第1号番組として4:00 - 4:45に特別番組「テレビでもない?ラジオでもない!これって何!? ワンセグ版!おぢさんツインカム」を放送。

2010年代[編集]

  • 2010年(平成22年)3月1日 - 【ラジオ】札幌放送局がAMステレオ放送を終了、モノラル放送に戻した。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 【テレビ】地上デジタル放送への移行により、地上波アナログテレビ放送を終了。これに伴い、道内テレビ局(HBCネットワーク)のコールサイン「JOHO-TV」(函館)・「JOHE-TV」(旭川)・「JOQF-TV」(室蘭)・「JOQL-TV」(釧路)・「JOHW-TV」(帯広)・「JOQM-TV」(網走)は、総務省の取り決めにより中継局扱いとなったため返上された。なお、ラジオのHBCネットワークのコールサイン「JOHO」(函館)・「JOHE」(旭川)・「JOQF」(室蘭)・「JOQL」(釧路)・「JOHW」(帯広)・「JOQM」(網走)は、従来通り維持。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月17日 - 【ラジオ】開局60周年記念番組として「ミッドナイトカーナビラジオ午前一番!」「ラジオがある生活 あなたとつながるHBC」などを放送。
    • 4月14日 - 【テレビ】開局60周年記念番組となる連続ドラマ「スープカレー」を全国ネットで放送(全10話)。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 【テレビ】重音テトがHBCテレビPRアシスタント就任。翌年3月31日まで就任した。
  • 2016年(平成28年)10月17日 - 【ラジオ】同日正午、STVラジオとともにFM補完放送(札幌局)開始。ただし、放送エリアは札幌市を中心とする道央圏(石狩振興局管内とその周辺)のみとなる。

2020年代[編集]

  • 2020年(令和2年)
    • 3月31日 - HBC会館東隣のHBCパーキング跡地に新社屋竣工。
    • 9月21日 - 【ラジオ】新社屋からの放送を開始。
    • 10月12日 - 【テレビ】新社屋からの放送を開始。
  • 2021年(令和3年)11月 - 創立70周年。
  • 2023年(令和5年)12月 - 台湾のケーブルテレビ局であるTVBSとの間で業務提携を締結。

テレビネットワークの変遷[編集]

  • 1957年(昭和32年)4月1日 - テレビ本放送開始。日本テレビ・ラジオ東京とネットを組む。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月1日 - 札幌テレビ放送(STV)開局に伴い、日本テレビ(読売テレビ含む)制作番組の大半が移行された。またフジテレビ・日本教育テレビともネットを組む(一般番組のみ)。
    • 8月1日 - ニュースネットワークJNNに加盟。
    • 12月31日 - この日をもって日本テレビ制作番組がSTVに完全移行。
  • 1960年(昭和35年)3月1日 - 五社連盟に加盟しTBSテレビ系基幹局となるが、加盟前の編成は継続した。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - STVからNETテレビ制作の教育番組が移行(引き換えに一部の一般番組がSTVに移行)。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - フジテレビ(関西テレビ含む)制作番組が基本的にSTVに移行。なお、番販扱いの番組は北海道文化放送(UHB)開局後も放送された例があった(『阪急ドラマシリーズ』の一部作品など)。
  • 1967年(昭和42年)6月 - 民間放送教育協会に加盟。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - NET制作番組(民教協制作分を除く)が北海道テレビ放送(HTB)に移行し、TBSフルネット局に完全移行(HTBは1968年(昭和43年)11月3日に開局したが、全道でテレビ放送を開始したのは1969年(昭和44年)4月1日であったため、この間は視聴者保護の観点からHBCで引き続き放送していた)。ただし、毎日放送制作分は一部継続して放送されたものもあった。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - HTBと関西発全国ネット番組を交換(五社連盟の近畿広域圏加盟局が朝日放送から毎日放送に変更されたことにより、いわゆる「腸捻転状態」が解消された)。


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