You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

北海道大学

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

北海道大学(ほっかいどうだいがく、英語: Hokkaido University)は、北海道札幌市に本部を置く日本の国立大学である。1876年(明治9年)創立の札幌農学校を前身とする。国内の旧帝国大学7校の一つであり、THE大学ランキング日本版2022では国内第6位、社会貢献の取り組みを示すインパクトランキングでは世界10位・国内1位に数えられる。略称は北大(ほくだい)。

概観[編集]

大学全体[編集]

札幌農学校の源流は1872年(明治5年)設立の開拓使仮学校(東京府芝)および同校が北海道札幌郡に1875年(明治8年)に移転・改称した札幌学校であるが、北海道大学の歴史で「前史」とされており、両校の開校日は、現在の北海道大学の創立記念日と位置付けられていない。大学全体としては学制(明治5年太政官布告第214号)の規定に基づく学士の称号の授与権限が付与された1876年(明治9年)を北海道大学の創基(創立)年としている。

札幌農学校はその後東北帝国大学農科大学(1907年)、北海道帝国大学(1918年)、太平洋戦争敗戦に伴い改組された新制大学である北海道大学(1947年)を経て、現在の国立大学法人北海道大学(2004年)に至る。現在の国立大学法人北海道大学は、創基以来4番目の組織再編とされており、北海道大学の時代区分においても、国立大学法人化以前の北海道大学とは区別されている。

2021年の時点で、北海道大学の卒業生で教員の鈴木章と教員ベンジャミン・リストの2名がノーベル化学賞を受賞している。2010年ノーベル賞受賞者根岸英一も北海道大学触媒科学研究所の特別教授として務めた。

建学理念、学風および特色[編集]

フロンティア精神、実学の重視、全人教育、国際性の涵養などが建学理念であり、現在も基本理念として掲げられている。

札幌農学校初代教頭(事実上の校長)であるウィリアム・スミス・クラーク(米国マサチューセッツ農科大学前学長)が、米国帰国にあたり札幌近くの島松(今の恵庭市と北広島市境界付近)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれている。クラークは、札幌農学校の開校式において、「lofty ambition」(高邁なる大志)との言葉を発しており、開校および帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる。

クラークが説いたキリスト教精神により、官立学校にもかかわらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、内村鑑三などのクリスチャンを生んだ。彼らは札幌バンドと呼ばれ、日本におけるプロテスタントの先駆者として活躍した。札幌農学校1期生の伊藤一隆は1876年(明治9年)、着任わずか2日後のクラーク立ち合いのもと、クラークの宿舎において英国国教会(CMS)の宣教師ウォルター・デニングが洗礼を授けた。キリスト教に関しては後に衰退していくが、伊藤一隆や内村鑑三らが引き継いでいくこととなった。現在でも北海道大学の校歌の旋律はキリスト教の賛美歌と同一である等、国立大学でありながらキリスト教の文化が残る一面も見受けられる。

このような札幌農学校の精神が、同大の基本理念に引き継がれている。「アイヌの父」として知られる英国聖公会宣教協会(CMS)の宣教師ジョン・バチェラーの邸宅も北海道大学植物園内に移築され、登録有形文化財になっている。

男女共同参画社会基本法に基づくポジティブ・アクションに取り組んでおり、全研究者の中の女性研究者比率が2020年までに20%になるよう努めるとする数値目標を掲げ推進している。北東アジア地域との連携を重視しており、大韓民国、台湾、中華人民共和国などの大学とも相互協定を結んでいることだけではなく、2005年4月12日に連携協力協定を締結した青年海外協力隊(JICA)へも定期的に隊員を送り出し、研修員を受け入れている。これは、同大学の建学の精神にも謳われている、国際性豊かな若者を育成することを重視しているためである。

沿革[編集]

(沿革節の主要な出典は大学概要)

略歴[編集]

本節では、北海道大学が発行する大学概要に準拠し、1876年(明治9年)以降の沿革を「札幌農学校時代」「東北帝国大学農科大学時代」「北海道帝国大学時代」「北海道大学時代」「国立大学法人北海道大学時代」に分けて記す。

(前史)[編集]

  • 1872年:東京府芝の増上寺内に開拓使仮学校設置。
  • 1875年(明治8年):仮学校を札幌学校と改称し、北海道石狩国札幌郡札幌に移転。

札幌農学校時代[編集]

  • 1876年(明治9年)7月31日:クラーク博士が教頭として札幌に着任。8月14日専門科開校式挙行(北海道大学開学記念日)。9月9日札幌学校を札幌農学校と改称。
  • 1878年(明治11年):演武場(現在の札幌市時計台)が竣工。
  • 1881年(明治14年):森源三(開拓権少書記官)が校長を兼務。
  • 1886年(明治19年):植物園が竣工。
  • 1888年(明治21年):橋口文蔵が校長に就任。
  • 1894年(明治27年):佐藤昌介が校長に就任。

東北帝国大学農科大学時代[編集]

  • 1907年(明治40年):東北帝国大学設置の勅令公布。札幌農学校は札幌所在のまま東北帝国大学農科大学となり、予科を付設。

北海道帝国大学時代[編集]

  • 1918年(大正7年):北海道札幌区に「北海道帝国大学」設置。東北帝国大学農科大学が北海道帝国大学に移管。
  • 1919年(大正8年):北海道帝国大学農科大学を北海道帝国大学農学部と改め、新たに医学部を設置。
  • 1921年(大正10年):医学部附属医院設置(同年11月に診療開始)。
  • 1922年(大正11年):図書館を附属図書館と改称。
  • 1924年(大正13年):工学部を設置。
  • 1930年(昭和5年):理学部を設置。南鷹次郎が総長に就任。
  • 1933年(昭和8年):高岡熊雄が総長に就任。
  • 1937年(昭和12年):今裕が総長に就任。
  • 1939年(昭和14年):臨時附属医学専門部を設置。
  • 1941年(昭和16年):低温科学研究所を設置。
  • 1943年(昭和18年):大学院特別研究生制度実施。触媒研究所設置および超短波研究所を設置。
  • 1945年(昭和20年):事務局および学生部設置、伊藤誠哉が総長に就任。
  • 1946年(昭和21年):超短波研究所を応用電気研究所と改称。

北海道大学時代[編集]

  • 1947年(昭和22年):4月に法文学部を設置、10月に北海道大学へ名称変更。
  • 1949年(昭和24年):学制改革により旧制専門学校である函館水産専門学校と、予科を吸収して新制大学となる。法文・教育・理・医・工・農・水産学部を設置。
  • 1950年(昭和25年):法文学部を文学部と法経学部に分離。GHQ民間情報教育局の教育顧問ウォルター・C・イールズが、レッドパージの一環として“共産主義者の教授を学内から追放すべし”と講演。これに抗議した学生10人が停学・退学などの処分を受ける「イールズ事件」が起きる。
  • 1952年(昭和27年):農学部獣医学科を獣医学部に昇格・設置。
  • 1953年(昭和28年):法経学部を法学部と経済学部に分離。
  • 1954年(昭和29年):杉野目晴貞が学長に就任。
  • 1955年(昭和30年):大学院に医学研究科を設置。
  • 1957年(昭和32年):一般教養部を教養部と改称。
  • 1958年(昭和33年):大学院に薬学研究科を設置。
  • 1961年(昭和36年):工業教員養成所設置(1969年に廃止)。
  • 1965年(昭和40年):薬学部を設置。
  • 1966年(昭和41年):古市二郎が学長に就任。
  • 1967年(昭和42年):歯学部を設置。
  • 1967年(昭和42年):堀内寿郎が学長に就任。
  • 1969年(昭和44年)
    • 附属図書館に教養分館を設置。
    • 5月:革マル派学生らが教養部本館をバリケード封鎖。翌年1月4日に封鎖が解除されるまで教養部の授業が休講状態になる。
  • 1970年(昭和45年):大型計算機センター(全国共同利用施設)を設置。
  • 1971年(昭和46年):丹羽貴知蔵が学長に就任。
  • 1972年(昭和47年):保健管理センターおよび体育指導センターを設置。
  • 1974年(昭和49年):大学院に歯学研究科を設置。
  • 1975年(昭和50年):今村成和が学長に就任。
  • 1977年(昭和52年):大学院に環境科学研究科(独立研究科)を設置。
  • 1978年(昭和53年):スラヴ人が多く住むソ連(現在のロシア連邦など)に近い立地を生かして、スラブ研究センター(後にスラブ・ユーラシア研究センターへ改称)設置。およびアイソトープ総合センターを設置。
  • 1979年(昭和54年):情報処理教育センターおよび機器分析センターを設置。
  • 1980年(昭和55年):医療技術短期大学部を設置。
  • 1981年(昭和56年):言語文化部設置および実験生物センターを設置。有江幹男が学長に就任。
  • 1985年(昭和60年):遺伝子実験施設を設置。
  • 1987年(昭和62年):伴義雄が学長に就任。
  • 1989年(平成元年):触媒化学研究センター(全国共同利用施設)を設置する(触媒研究所は廃止)。
  • 1990年(平成2年):スラブ研究センターが全国共同利用施設に改組。
  • 1991年(平成3年):留学生センター設置、量子界面エレクトロニクス研究センター設置、廣重力が学長に就任。
  • 1992年(平成4年):応用電気研究所が電子科学研究所に改組。
  • 1993年(平成5年):大学院に地球環境科学研究科(独立研究科)を設置する。(大学院の環境科学研究科を廃止)
  • 1994年(平成6年):エネルギー先端工学研究センターを設置、鈴木章が名誉教授に就任。
  • 1995年(平成7年):総長に丹保憲仁が就任。教養部廃止、高等教育機能開発総合センター設置、低温科学研究所が全国共同利用施設に改組、大学院の理学研究科、獣医学研究科が大学院講座制に移行(いわゆる大学院重点化)、環境保全センター設置、附属図書館の教養分館を北分館と改称する。
  • 1996年(平成8年):先端科学技術共同研究センターおよびベンチャー・ビジネス・ラボラトリー設置。
  • 1997年(平成9年):大学院の工学研究科が大学院講座制に移行。
  • 1998年(平成10年):大学院の薬学研究科が大学院講座制に移行。
  • 1999年(平成11年):大学院の農学研究科が大学院講座制に移行、情報メディア教育研究総合センター設置(情報処理教育センター廃止)、総合博物館を設置。
  • 2000年(平成12年):大学院に国際広報メディア研究科(独立研究科)を設置、遺伝子病制御研究所設置(免疫科学研究所改組および医学部附属癌研究施設廃止)、北ユーラシア・北太平洋地域研究センターを設置。
  • 2001年(平成13年):総長に憲法学者中村睦男が就任。量子集積エレクトロニクス研究センターを設置(量子界面エレクトロニクス研究センターは廃止)。
  • 2002年(平成14年):創成科学研究機構を設置、練習船うしお丸を新設326(北星丸は廃止)。
  • 2003年(平成15年):医学部附属病院と歯学部附属病院を北海道大学病院として統合する。情報基盤センターを設置(大型計算機センター、情報メディア教育研究総合センター廃止)。脳科学研究教育センターを設置。医学部保健学科を設置。知的財産本部を設置。

国立大学法人北海道大学時代[編集]

  • 2004年(平成16年):国立大学法人法の規定により国立大学法人となる。医療技術短期大学部が医学部保健学科に昇格する。法科大学院を設置。
  • 2005年(平成17年):大学文書館を設置、公共政策大学院および会計専門職大学院を設置。『北海道大学環境方針』を策定。
  • 2006年(平成18年):薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行、総合薬学科廃止の上4年制学科の薬科学科を設置。
  • 2007年(平成19年):佐伯浩が総長に就任。
  • 2010年(平成22年):鈴木章名誉教授がノーベル化学賞を受賞(北海道大学出身者初の受賞)。
  • 2011年(平成23年):入試制度改編、「総合入試」がスタートする。
  • 2012年(平成24年):大学が運営を委託された大学入試センター試験で試験問題の配付ミスが発生、さらに公表もしなかった事実が発覚した。
  • 2013年(平成25年):山口佳三が総長に就任。「新渡戸カレッジ」創設。
  • 2015年(平成27年):「高等教育研修センター」を開設、教職員等の研修プログラムの開発と実施を一元化。「北海道大学近未来戦略150」(2014年3月策定)に則り、この年から従前の大学院組織を教育組織の「学院」と教員(研究)組織の「研究院」に分離した再編が段階的に行われる。
  • 2016年(平成28年):共用機器管理センターを拡充して「グローバルファシリティセンター」(GFC) を設立。
  • 2017年(平成29年):名和豊春が総長に就任。2018年実施に向け、国際バカロレア等を用いた「国際総合入試」の準備。
  • 2020年(令和2年)
    • 6月:名和豊春総長が、パワーハラスメントがあったとして解任される。
    • 10月:寳金清博が総長に就任。
  • 2026年(令和8年)夏:安藤忠雄による図書館プロジェクト「こども本の森」6か所目が北大正門近くに開設予定(運営は札幌市)

基礎データ[編集]

北海道大学は、国立大学としては最多の12学部・19大学院を設置し、大学の総敷地面積としては国内最大の規模(660平方キロメートル)であり、全国の大学が所有する土地面積の4割超を有する。

所在地[編集]

  • 札幌キャンパス(北海道札幌市北区)
  • 函館キャンパス(北海道函館市港町3-1-1)

象徴[編集]

校章[編集]

校章はキャンパス内に自生するオオバナノエンレイソウ(ユリ科トリリウム属の多年草)を図案化したもの。1950年(昭和25年)の公募による入選作を、創基120周年を機に修正を加え、1996年(平成8年)9月にシンボルマークとして決定された。起源について、恵迪寮のシンボルマークから発祥説と、ラグビー部のシンボルマークから発祥説がある。

スクールカラー[編集]

従来より北大の緑豊かなキャンパスを表すグリーンがスクールカラーとして慣例的に使用されていたが、2009年(平成21年)9月に、詳細な色指定をもって正式にスクールカラーとして定められた。プロセスカラーはシアン80%、マゼンタ10%、イエロー100%、ブラック30%。

ロゴタイプ[編集]

2009年(平成21年)7月にロゴタイプオンライン投票が実施され、その結果をもとに同年9月に制定された。

校歌[編集]

校歌は『永遠の幸』(とこしえのさち)と題し、札幌農学校時代に作られた。作詞者は有島武郎。米国人作曲家ジョージ・F・ルート(英語版)が1863年に作曲した "Tramp!Tramp!Tramp!" が原曲。この曲はアメリカ合衆国が南北戦争の時代に北軍の行進曲として歌われ、南軍でも歌われていた。歌詞を変えてアイルランドでも流行した。南北戦争後、米国の各大学でも学生歌に用いられていたものを納所弁次郎が選曲したといわれている。旧制の国立学校校歌としては特異な成り立ちであり、旧帝大においては唯一の「校歌」である。

歌詞は大和田建樹が校閲したため、作詞者の欄に有島とともに併記されることもある。

有島が作詞をしたのは1900年(明治33年)頃であり、1900年(明治33年)に行われた創立25周年記念祝賀会で歌われたとする資料がある。当時有島は農学校の学生であったため、現在でも校歌作詞者を記す時には「有島武郎君作歌」というように「君」付けで表記されることが多い。

原曲の"Tramp! Tramp! Tramp!"は、キリスト教の賛美歌にも使われ、日本においては、日本福音連盟『新聖歌』(2001年版)の186番、救世軍歌(1997年版)の108番などにその例が見られる。

"Tramp! Tramp! Tramp!"を原曲とする曲としては、同志社大学の応援歌『若草萌えて』や童謡の『船乗りの夢』、アイルランド準国歌『神よアイルランドを守り給え』も該当する。

寮歌[編集]

北海道大学には現在も『都ぞ弥生』(みやこぞやよい)をはじめとする寮歌が歌い継がれている。大学の公式の寮である恵迪寮では、1907年から2018年現在まで原則、年に1曲ずつ寮歌が作成されている。

[編集]

学校の花はオオバナノエンレイソウで、校章のモチーフとなっている。



Read or create/edit this page in another language[編集]