八丈島七体人骨事件
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八丈島七体人骨事件とは、1994年8月11日に八丈島八丈町で発生した死体無断焼却及び、死体遺棄事件(殺人事件の可能性もある)である[1]。何者かが7人分の遺骨を火葬炉で焼き、そのまま人骨を遺棄した。今も犯人特定・逮捕には至らず、時効を迎えた未解決事件である。八丈島火葬場七体人骨事件とも呼ばれる[1]。
概要[編集]
1994年のお盆を直前に控えた8月11日、その日に予定されていた葬儀のため火葬場の職員が炉を開けたところ、炉の中に大量の人骨を発見した[2]。業務で見慣れていた職員もこれには驚愕した。火葬炉を使用するには市町村長の許可が必要となり、職員が立ち会って行うものだが、今回見つかった人骨は申請が出されていない未確認のものだった。この火葬炉が最後に使われたのは、5日前の8月6日で、それ以降職員の誰も中を見ていなかった。さらに、発見当初炉の中は冷え切っていたので、発見の前日までに使用されたと推測された[2]。
捜査[編集]
通報を受けた八丈島警察の調べにより、この大量の人骨は約7体分と判明し、その中には子供の骨もまざっていたことが判明した。最初に警察が疑ったのは、「改葬」という八丈島の風習によるものだ。さらに、警察の分析により人骨も死後十年以上経過していることが確認されたため「島の人が無断で改葬したのだろう」と考えたため、島内の全ての墓所、点在する墓、更には私有地まで調べ身元を特定しようとした。しかし、どこにも掘り起こされた形跡のある墓はなかったという。次に警察は「改葬」の風習を知っている何者かが島内に遺体を焼却したという説が浮上した。ただし、いくつかの不審な点から外部から持ち込まれた可能性は低いとみられた。
理由としては
・侵入経路がわからない。
・火葬炉は厳重に施錠されていた。
・扉が壊された形跡が無い。
・人骨七体分は段ボール箱三箱相当のため不審がられずに持ち込むのは不可能。
などのことから犯人は合鍵を使用したと思われる。
その他囁かれていた説[編集]
・「改葬」の費用がなく遺体を放置した説
・犯罪に巻き込まれた被害者説
・海外の不法入国者説
・死んだ家族が帰ってきた説
などが挙げられている。
目撃情報[編集]
「青白い炎をみた」などと証言している。
七人坊主の祟りと事件の関係[編集]
時は江戸時代、八丈島に難航した七人の僧侶が流れ着く。しかし、その時島民は「島を犯しに来た忌々しい存在だ」と決めつけて僧侶たちを迫害した。苦しみながら死んでいったという。その時に僧侶たちは村民たちに呪いをかけたという。それを恐れた村民は彼らの慰霊碑を三原山に建てるが、それ以降不吉な出来事が相次ぎ現代も七人坊主を馬鹿にしてはいけないという言い伝えがある。
さらに、1952年には島の林道建設作業中に七人の作業員が死亡する事故が起きた。その時、死亡した人数も七人で僧侶たちが死んだ場所のすぐ近くだったことから七人坊主の呪いだと恐れられたらしい。
現実的な推測[編集]
現実的な推測では、中国からの密航者の遺体であるというものがある。当時、伊豆諸島では密航者による座礁や違法入国が度々起きていたため、今回の人骨も密航者のものではないかと推測されている。もし、その場合火葬した犯人は密航を手引きした犯人なのかもしれない。
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 “【ニチスペ】八丈島火葬場人骨事件とは?犯罪?7人坊主の祟り?【未解決】 - モデルプレス” (日本語). モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース (2023年8月29日). 2024年3月1日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 “火葬場で何者かに焼却された身元不明の7体の人骨、島の祟りと恐ろしい関係?【未解決事件ファイル】” (日本語). ライブドアニュース. 2024年3月1日閲覧。
参考文献[編集]
【ニチスぺ】八丈島七体人骨事件とは?犯罪?七人坊主の祟り?【未解決事件】
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