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元号

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元号(げんごう、旧字体:元號、英語: imperial era name)または年号(ねんごう、旧字体:年號)とは、古代中国で創始された紀年法の一種。特定の年代に付けられる称号で、基本的に年を単位とするが、元号の変更(改元)は年の途中でも行われ、1年未満で改元された元号もある。

2024年(令和6年)時点、公的には世界では日本のみで制定、使用されている。ただし、台湾を統治する中華民国の民国紀元に基づく「民国」や、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の主体年号による「主体」が事実上は元号的な機能をしている。

日本における元号の使用は、孝徳天皇などの宮とする難波宮で行われた大化の改新時の「大化」から始まり、「大化」の年号と前後して「日本」という国号の使用も始まった。明治以降は一世一元の制が定着し元号法制定以後、「元号」が法的用語となった。

東アジア各国の歴史において、中央政権以外の政治勢力や宗教者、民間が独自に年号をつくった例もあり、「私年号」と呼ばれる。

概説[編集]

紀年法のうち、西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などが無限のシステム(紀元)であるのに対して、元号は有限のシステムである。皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも行われる改元によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。日本では当たり前のことであるが、これは元号の大きな特徴である。

日本では一度使用された元号は二度と使用しない慣例があるが、中国などの他の元号文化圏ではそのような慣例は重視されておらず、かつて使用した元号を再使用する例が多くみられる。

元号は、古代中国の漢の武帝の時代に始まった制度で、皇帝 (中国)の時空統治権を象徴する称号である。『春秋公羊伝』隠元年では「元年者何。君之始年也」(元年とは何か、君主の治世が始まる年のことである。)とあり、これは皇帝権力の集中統一を重視する「大一統」思想の国制化であった。時の政権に何らかの批判を持つ勢力が、密かに独自の元号を建てて使用することもあった。

元号は漢字2字で表される場合が多く、まれに3字、4字、6字の組み合わせを採ることもあった。最初期には改元の理由にちなんだ具体的な字が選ばれることが多かったが、次第に抽象的な、縁起の良い意味を持った漢字の組み合わせを、漢籍古典を典拠にして採用するようになった。日本の場合、採用された字は2019年に始まった令和の時点でわずか73字であり、そのうち21字は10回以上用いられている。一番多く使われた文字は「永」で29回、2番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回、5番目は「応」「和」で20回である。なお、近代以降の元号のうち令和の「令」や平成の「成」、昭和の「昭」はそれぞれ初めて採用されたものである。また、平成の「平」は12回、大正の「大」は6回「正」は19回、明治の「明」は7回使われている。

独自の元号が建てられた国家には、以下の項目に挙げる他、柔然、高昌、南詔、大理、渤海がある。また遼、西遼、西夏、金は中国史に入れる解釈もあるが、いずれも独自の文字を創製しており、元号も現在伝えられる漢字ではなく、対応する独自文字で書かれていた。

日本の元号[編集]

元号を用いた日本独自の紀年法は、西暦に対して和暦(あるいは邦暦や日本暦)と呼ばれることがある。

日本国内では今日においても西暦(グレゴリオ暦)と共に広く使用されている。

西暦2024年は「令和6年」。

元号名(読み) 初日年月日 現年数 現在位年月日数 天皇名
令和(れいわ) 令和元年(2019年)5月1日 6年 5年1か月と3日 徳仁(今上天皇)
皇室典範特例法および元号法に基づく、明仁(上皇)の退位および徳仁(今上天皇)の即位(譲位による皇位継承)による改元。(キャッシュを破棄)

2019年(令和元年)5月1日 に、前日(平成31年)4月30日の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の規定により第125代天皇明仁の退位(上皇となる)に伴い、徳仁が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「元号法」の規定により同年4月1日に「元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)」が公布・5月1日に施行され、「令和」に改元された。

元号制定の条件[編集]

『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣は、漢学者で宮内省図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の5項の範囲内において」元号選定にあたるように命じた。

  • 元号は日本はもとより言うを待たず、中国、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
  • 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
  • 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
  • 元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
  • 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。

なお、歴史的には「他国でかつて使われた元号等と同じものを用いてはならない」という条件はなかった。異朝でかつて使われた元号を意図して採用したたとえ話すらある。例えば、後醍醐天皇の定めた「建武」は、王莽を倒して漢朝を再興した光武帝の元号「建武」にあやかったものであった。また、徳川家康の命によって用いられた「元和」は、唐の憲宗の年号を用いたものである。近代の「明治」も大理国で用いられた例があり、「大正(たいせい)」もかつてベトナムの莫朝で用いられた。

元号選定手続について[編集]

1979年(昭和54年)10月、第1次大平内閣(大平正芳首相)は、「元号法に定める元号の選定」について、具体的な要領を定めた(昭和54年10月23日閣議報告)。

これによれば、元号は「候補名の考案」「候補名の整理」「原案の選定」「新元号の決定」の各段階を践んで決定される。最初に、候補名の考案は内閣総理大臣が選んだ若干名の有識者に委嘱され、各考案者は2 - 5の候補名を、その意味・典拠等の説明を付して提出する。総理府総務長官(後に内閣官房長官)は、提出された候補名について検討・整理し、結果を内閣総理大臣に報告する。このとき、次の事項に留意するものと定められている。

  1. 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
  2. 漢字2字であること(3文字以上は不可。ただし、奈良時代の天平21年/天平感宝元年(749年)から神護景雲4年/宝亀元年(770年)にかけては、漢字4文字の元号が使用されている)。
  3. 書きやすいこと。
  4. 読みやすいこと。
  5. これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと(過去の元号の再使用は不可)。
  6. 俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)。

整理された候補名について、総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによる会議において精査し、新元号の原案として数個の案を選定する。全閣僚会議において、新元号の原案について協議する。内閣総理大臣は、新元号の原案について衆議院議長・副議長と参議院議長・副議長に連絡し、意見を聴取する。そして、新元号は、閣議において、改元の政令の決定という形で決められる。

元号の字数[編集]

日本の元号は伝統的に「2文字」であるが、元号に用いることのできる文字数は明確に制限されていない。この例外は聖武天皇・孝謙天皇の時代の約4半世紀、天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲の5つ(4文字)のみである。

元号使用の現状[編集]

日本において、元号は1979年制定の「元号法」(昭和54年法律第43号)によってその存在が定義されており、法的根拠があるが、その使用に関しては基本的に各々の自由で、私文書などで使用しなくても罰則などはない。一方で、西暦には元号法のような法律による何かしらの規定は存在しない(法令以外では日本産業規格 に見られるような公的な定義例がある)。なお、元号法制定にかかる国会審議で「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」との政府答弁があり、法制定後、多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。

また、元号法は「元号は政令で定める事」「元号は皇位の継承があった場合に限り改める事(一世一元の制)」を定めているにすぎず、公文書などにおいて元号の使用を規定するものではない。しかしながら、日本国民や在日外国人が記入して役所に提出する書類の多くは、年月日の年を元号で記入する書式になっている。ただし元号で書く前提のスペースに西暦で記入することは可能であり、市民団体「西暦表記を求める会」は、「私は西暦で記入します」と書いた意思表示用のカードを作成・配布している。

日本共産党は、元号の使用は慣習としては反対しないが、強制すべきではないという見解を示している。同様に、キリスト教原理主義者団体などは「元号の使用を強制し西暦の使用を禁止するのは、天皇を支持するか否かを調べる現代の踏み絵である」と主張している。

公用文作成の要領において年号を用いる際、元号か西暦のどちらを用いるべきかの旨は明文化されていないが、日本国政府)、地方公共団体などの発行する公文書(住民票、運転免許証、その他資格証など)ではほとんど元号が用いられる。一方、ウェブサイトでは、本文で元号を使用していても最終更新日やファイル名などは(管理上の都合で)西暦を使用していることもある。また、官公庁の中長期計画の名称など、キャッチフレーズとして年を印象付けさせる場合は、補助的に西暦が用いられることもある。国において、例外的に西暦が使用されている具体例には以下のものがある。

  • 2002年(平成14年)制定の気象測器検定規則(平成14年3月26日国土交通省令第25号)に定められた気象機器の検定証印の年表示など、西暦を使用するよう規定した法令も少数ながら存在する。
  • 旅券(パスポート)は日本国外でも用いられるため、名義人の生年が西暦で記載されている。
  • 個人番号カード(通称「マイナンバーカード」)やかつて発行されていた住民基本台帳カードは、有効期限が西暦で表記されている。個人番号カードの生年月日は日本国籍者については元号で、日本以外の国籍を有する者については西暦で表記されている。また法務大臣が外国人に交付する在留カードや特別永住者証明書でも、券面の年号(生年)で例外的に西暦で記載されている。
  • 都道府県公安委員会が発行する運転免許証は所持者の生年月日、交付年月日、各3種類(自動二輪車・小型特殊自動車・原動機付自転車、その他、第二種)の免許取得年月日については元号のみで表記されているが、有効期限年月日については2019年(平成31年)3月末頃から順次、有効期限の西暦の後に括弧書きで元号を表記している。
  • 特許庁が発行する公開特許公報等の工業所有権公報は、「平成22年1月1日(2010年(平成22年)1月1日)」の形で元号表記と西暦表記の日付を併記している。また、特許の出願番号等も「特許2000-123456」のように「西暦年 + 6桁の通番」の形式とされている。これは、日本以外での利用を考慮したためで、世界知的所有権機関が定める標準に準じて行われている。
  • 2018年3月30日の改正により、計量法に基づく計量法施行規則(平成5年通商産業省令第69号)第15条に規定する修理年、並びに食品店等の質量計、燃料油メーター、タクシーメーター等が対象である特定計量器検定検査規則(1993年通商産業省令第70号)第28条の3に定める検定証印などの有効期間満了年、検査の年、形式承認の年、修理の年、適合証印の年について、西暦で表示することとされた(アポストロフィ+2桁の西暦年(例:'17)としても良い)。ただし2018年12月31日までは経過措置として従前の元号表示も可としている。
  • 食品表示法に基づく食品表示基準(平成27年内閣府令第10号)に係る通知「食品表示基準について」(平成30年7月10日消食表第375号)の「(加工食品)」1-(3)-⑤に定める消費期限又は賞味期限表示例では元号との選択可として西暦の表示例も明記されている。
  • 2018年(平成30年)6月15日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2018」(骨太方針)において、表紙の日付、「平成n年度税制改正」等の名称中に含まれるもの、及び脚注の出典制定日を除外すると、64ページの「平成31年」1箇所を除き、過去未来共に西暦のみの表記となっている。

日本国内において西暦の併用が増加したのは、1964年(昭和39年)の東京夏季オリンピックに向けてのキャンペーンを経た後である。皇室典範改正により元号が法的根拠を失った後も、東京オリンピックのキャンペーンが始まる前までは、1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約発効に伴う独立・主権回復以後も、米国による統治下に置かれ日本から切り離された沖縄と小笠原諸島、千島列島を除き、前述の背景により元号のみが常用されていた。とはいえ、1976年(昭和51年)に行われた元号に関する世論調査では、「国民の87.5%が元号を主に使用している」と回答しており、「併用」は7.1%、「西暦のみを使用」はわずか2.5%であった。元号が昭和から平成に変わり、2つの元号をまたぐことで年数の計算と変換が煩雑になるため、「西暦を併用する人」「西暦を主に使用する人」も次第に多くなってきた。特に21世紀に入った今日ではインターネットの普及などもあり、日常において「元号より西暦が主に使用されるケース」は格段に増えているため、元号では「今年が何年なのか判らない」「過去の出来事の把握が難しい」という人の割合も多くなってきている。

報道機関では『朝日新聞』が1976年(昭和51年)1月1日に、『毎日新聞』が1978年(昭和53年)1月1日に、『読売新聞』が1988年(昭和63年)1月1日に、『日本経済新聞』が1988年(昭和63年)9月23日に、『中日新聞』『東京新聞』が1988年(昭和63年)12月1日に、日付欄の表記を「元号(西暦)」から「西暦(元号)」に改めた。それでも昭和年間の末期には、未来の予測(会計年度など)を「(昭和)70年度末」といった表記をすることが多かった。1989年(平成元年)1月8日の平成改元以降、その他の各報道機関も本文中は原則として西暦記載、日付欄は「2012年(平成24年)」の様に「西暦(元号)」という順番の記載を行うところが多くなった。『産経新聞』 や『東京スポーツ』、一部の地方紙、NHKの国内ニュースのように本文中は原則元号記載、日付欄は「平成29年(2017年)」の様に「元号(西暦)」という順番の記載を行っている報道機関もある。日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』は平成改元以降、日付欄の元号併記を取りやめ西暦表記のみに変更していたが、2017年(平成29年)4月1日より元号を併記する「西暦(元号)」表記に改めた(本文中は引き続き西暦表記のみ)。

企業の決算や有価証券報告書など社外向け資料・プレスリリース、鉄道などの乗車券、金融機関の預金通帳なども、以前は和暦表記(元号の年部分表記)が主流であったが、2019年の改元 を前に、西暦表記に改める動きもみられた。

切手における元号[編集]

日本で発行されている切手には元号および西暦で発行年が記載されている。ただし歴史的にみれば大きな変遷がある。なお、記念切手には万国郵便連合(UPU)によって原則として西暦で発行年を入れるように規定されている。

日本の切手で発行年が入るものに記念切手があるが、記念切手の印面に第二次世界大戦前までは元号が入る場合と全くない場合が混在していた。ただし国立公園切手の小型シートには皇紀(西暦)とアラビア数字で記入されたものがある。戦後、発行された記念切手には「昭和二十二年」といったように漢数字で表記されていたが、経緯は不明であるが1949年(昭和24年)頃から西暦のみで表記されるようになった。ただし、年賀切手の中に一部例外があるほか、皇室の 慶事 に関する記念切手は元号のみの表示の場合があった。また年賀小型シートなどには「お年玉郵便切手昭和三十一年」といった元号による表記があるほか、切手シートの余白には元号で発行年月日が入っていたが、1960年(昭和35年)頃からなくなった。

1979年(昭和54年)に施行された元号法による政策のためか、1979年(昭和54年)7月14日に発行された「検疫制度100年記念切手」から西暦と元号で併記されるようになった。ただし、毎年発行される国際文通週間記念切手については西暦しか表記されていない。また切手シートの余白に1995年(平成7年)頃から「H10.7.23」というローマ字による発行年月日が、さらに2000年(平成12年)からは「平成12年7月23日」という元号表記が入るようになった。なお、令和に改元された2019年(令和元年)5月から9月までは切手面・余白の発行年月日ともに西暦のみの表記で、令和の使用は10月からとなっている。

なお、世界的に見ると切手に記入される年号としては西暦のほかには仏滅紀元、イスラム暦、北朝鮮の主体年号、中華民国(台湾)の民国紀元などがある



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