伊達政宗
伊達 政宗(だて/いだて まさむね)は、出羽国(山形県)と陸奥国(宮城県・福島県)の武将・戦国大名。伊達氏の第17代当主。
近世大名としては、仙台藩(宮城県・岩手県南部)の初代藩主である。
生涯[編集]
出生から初陣まで[編集]
永禄10年8月3日(1567年9月5日)、出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗(てるむね)と、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。生誕地は通説では米沢城であるが館山城とする学説もある。
天正5年(1577年)11月15日、元服して伊達藤次郎政宗と名付けられる。諱の「政宗」は父・輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも多い。梵天丸はこの諱を固辞したが、父・輝宗より強いて命ぜられた。史料上にも正宗と書かれたものがいくつかあるが、これは誤記や区別のための書き違えである。伊達家はそれまで足利将軍からの一字拝領を慣習としてきたが、政宗の元服に際しては、当時織田信長によって京より追放されていた足利義昭からの一字拝領を求めなかった。
天正7年(1579年)10月、仙道の三春城主・田村清顕より婚儀の相談があり、御入輿の日取り、路次警固等合い調う。その冬、政宗が13歳のとき、清顕の娘、当時11歳の愛姫(めごひめ)(伊達政宗と同じく伊達稙宗を曽祖父にもつ)を正室に迎える。伊達郡梁川城で輿の引継ぎが行われ、伊達成実・遠藤基信らに守られて、雪深い板谷峠を避け、小坂峠・七ヶ宿・二井宿峠を経て、米沢城に入輿した。
天正9年(1581年)5月上旬、隣接する戦国大名・相馬氏との合戦で伊具郡に出陣、初陣を飾る。また、この頃から輝宗の代理として田村氏や蘆名氏との外交を担当しており、蘆名盛隆が対相馬氏戦で援軍を送ったのは政宗の働きかけによるものである。
晩年[編集]
世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、のちに貞山堀と呼ばれる運河を整備した。北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。この結果、仙台藩は表高62万石に対し、内高74万5千石相当(寛永惣検地)の農業生産高を確保した。文化的には上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、国宝の大崎八幡宮、瑞巌寺、また鹽竈神社、陸奥国分寺薬師堂などの建造物を残した。さらに近江在住の技師・川村孫兵衛を招き、北上川の河口に石巻港を設けた。これにより北上川流域水運を通じ石巻から海路江戸へ米を移出する体制が整う。寛永9年(1632年)より仙台米が江戸に輸出され、最盛期には「今江戸三分一は奥州米なり」と『煙霞綺談』に記述されるほどになる。
元和6年(1620年)の和霊騒動では宇和島藩主になっていた秀宗と対立を起こして幕府を巻き込んだ騒動になり、一時は政宗は宇和島藩返上を幕府へ申し出るほどだったが、後に和解した。政宗は3代将軍・徳川家光の頃まで仕えたが、寛永12年(1635年)に家光が参勤交代制を発布し、「今後は諸大名を家臣として遇す」と述べると、政宗はいち早く進み出て「命に背く者あれば、政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と申し出たため、誰も反対できなくなった。家光は下城する政宗に護身用に10挺の火縄銃を与えた。家光の治世になると、実際に戦場を駆け巡っていた武将大名はほとんどが死去していた中、政宗は高齢になっても江戸参府を欠かさず忠勤に励んだ事から、家光は政宗を「伊達の親父殿」と呼んで慕っていた。時に家光に乞われて秀吉や家康との思い出や合戦の事など、戦国時代の昔話をしたという。
健康に気を使う政宗だったが、寛永11年(1634年)頃から食欲不振や嚥下に難を抱えるといった体調不良を訴え始めていた。寛永13年(1636年)4月18日、母の菩提寺保春院に詣でたのち、昼すぎから北山・経ヶ峯・茂ヶ崎山など城下をめぐる山々を巡歴した。経ヶ峯では、しばらくたたずみ、かたわらに控える奥山常良に向かって、死後はこの辺に葬られたいものだと杖を立てて指示をした。2日後の4月20日に参勤交代に出発した政宗は急に病状を悪化させ、宿泊した郡山では嚥下困難に嘔吐が伴い何も食べられなくなっていた。4月28日に江戸に入った頃には絶食状態が続いたうえ、腹に腫れが生じていた。病を押して参府した政宗に家光は、5月21日に伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞った。政宗は行水して身を整え、家光を迎えた。しかしお目見え後に奥へ戻る時には杖を頼りに何度も休みながら進まざるをえなかった。
5月24日卯の刻(午前6時)死去。享年70(満68歳没)。死因は食道噴門癌による癌性腹膜炎であるとされている。「伊達男」の名にふさわしく、臨終の際、妻子にも死に顔を見せない心意気であったという。5月26日には嫡男・伊達忠宗への遺領相続が許された。遺体は束帯姿で木棺に納められ、防腐処置のため水銀、石灰、塩を詰めたうえで駕籠に載せられ、生前そのままの大名行列により6月3日に仙台へ戻った。殉死者は石田将監ら家臣15名、陪臣5名。江戸では7日間、京都では3日間にわたって魚鳥を捕まえることと音曲をかなでることが止められた。
辞世の句は、「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」。
人物・逸話[編集]
眼帯の由来[編集]
政宗の肖像において、天然痘で失明した右目は白濁して見開いており、健全な左目はより大きく見開いている。政宗の生前の希望に従い、右目を黒く描く肖像もある。また、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という政宗の考えから、死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられている。
片目の像として著名なものとしては、松島の瑞巌寺に秘蔵されている伊達政宗像がある。この像は、承応元年(1652年)、政宗の17回忌にあたり、真影の滅びるのを憂えた夫人陽徳院が京都の仏師に命じて作らせ、瑞巌寺に安置させたものである。
政宗が登場するフィクションなどでは眼帯をつけているものが多いが実際には現実にある各種の記録には目を覆った様子はない。政宗役の俳優が演技時に刀鍔型をした眼帯などで右目を覆う慣習は、古くは1942年の映画『獨眼龍政宗』において始まっている(1959年の映画『独眼竜政宗』では、豊臣秀吉の送った暗殺団の矢を右目に受けて重傷を負った)。
近年では右目を覆わない作品もあるが、創作において刀鍔型の眼帯は政宗の代名詞となっており、2016年のテレビドラマ『真田丸』では時代考証を重視しつつも「誰だか分からない」として白い包帯という折衷案を採用した。
「独眼竜」の由来[編集]
伊達政宗が「独眼竜」のあだ名で呼ばれるのは、江戸時代後期の儒学者・頼山陽の賦した漢詩にまで遡る。山陽の没後、天保12年(1841年)に刊行された『山陽遺稿』に収められた「詠史絶句」15首の一つに、政宗に題をとったものがある。天保元年(1830年)の作とされている。
官位履歴[編集]
- 天正13年(1585年)閏8月 - 従五位下美作守に叙任。
- 天正14年(1586年) - 左京大夫に転任。
- 天正19年(1591年)3月 - 侍従に遷任し、越前守を兼任。羽柴の苗字を関白豊臣秀吉から授かる。
- 慶長2年(1597年) - 従四位下に昇叙し、右近衛権少将に転任。越前守如元。
- 慶長13年(1608年)1月 - 陸奥守を兼任。越前守任替。松平の苗字を第2代将軍徳川秀忠より授かる。
- 元和元年(1615年)閏6月19日 - 正四位下に昇叙し、参議に補任。ただし、参議は同年中に辞職。
- 寛永3年(1626年)8月19日 - 従三位権中納言に昇叙転任。
- 明治34年(1901年)11月8日 - 贈正三位。
- 大正7年(1918年)11月18日 - 贈従二位。
居城[編集]
伊達一族は昔から良く本拠地を移転しているが、政宗の時代は領国の拡大や豊臣・徳川政権との関係で最も移転が多い。
- 米沢城(山形県米沢市) - 天正12年(1584年)〜天正17年(1589年)
- 黒川城(福島県会津若松市) - 天正17年(1589年)〜天正18年(1590年)
- 米沢城 - 天正18年(1590年)〜天正19年(1591年)
- 岩出山城(宮城県大崎市) - 天正19年(1591年)〜慶長5年(1601年)
- 仙台城(宮城県仙台市青葉区) - 慶長5年(1601年)〜寛永4年(1627年)
- 若林城(宮城県仙台市若林区) - 寛永4年(1627年)〜寛永13年(1636年)
系譜[編集]
- 正室:愛姫(田村清顕の娘。陽徳院)
- 側室:飯坂の局(飯坂宗康の次女。松森御前、猫御前)
- 側室:新造の方(出自不詳)
- 側室:祥光院(出自不詳)
- 側室:天渓院(於山方)(柴田宗義の娘)
- 側室:荘厳院(柴田信恒の娘)
- 側室:法性院(勝女姫)(多田吉広の娘)
- 側室:本寿院(妙伴)(村上正重の娘)
男子[編集]
- 長男:伊達秀宗 - 宇和島藩初代藩主。
- 次男:伊達忠宗 - 仙台藩第2代藩主。
- 三男:伊達宗清 - 飯坂宗康の養子。吉岡伊達家当主。
- 四男:伊達宗泰 - 岩出山伊達家初代当主。
- 五男:伊達宗綱 - 岩ヶ崎伊達家初代当主。
- 六男:伊達宗信 - 岩ヶ崎伊達家第2代当主。
- 七男:伊達宗高 - 田手宗実の養子。村田伊達家当主。
- 八男:竹松丸 - 早世
- 九男:伊達宗実 - 伊達成実の養子。一門・亘理伊達家第2代当主。
- 十男:伊達宗勝 - 一関藩主。
女子[編集]
- 長女:五郎八姫 - 松平忠輝室、忠輝改易後に離縁。
- 次女:牟宇姫 - 石川宗敬室。
- 三女:岑姫 - 伊達宗実室。
- 四女:千菊姫 - 京極高国室。
愛妾[編集]
- 香の前(高田治郎右衛門の娘。もと豊臣秀吉の愛妾だったが秀吉から拝領、後に茂庭綱元に下げ渡される)
- 落胤:津多 - 系譜上の父は茂庭綱元。原田宗資室。原田宗輔母。
- 落胤:亘理宗根 - 系譜上の父は茂庭綱元。亘理重宗婿養子、栗原郡高清水城主。
家臣[編集]
- 伊達成実
- 石川昭光
- 留守政景
- 亘理元宗
- 亘理重宗
- 桜田元親
- 国分盛重
- 村田宗殖
- 小梁川盛宗
- 桑折宗長
- 石母田景頼
- 木村宇右衛門
- 岩城政隆
- 片倉景綱
- 茂庭綱元
- 白石宗実
- 原田宗時
- 田手宗実
- 後藤信康
- 鈴木元信
- 屋代景頼
- 泉田重光
- 遠藤宗信
- 黒木宗俊
- 津田景康
- 大内定綱
- 猪苗代盛国
- 山岡重長
- 支倉常長
- 大町元頼
- 石田與純
- 川村重吉
- 浜田景隆
- 山口常成
- 中島宗求
- 富塚宗綱
墓所・遺品[編集]
墓所[編集]
墓所は、仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿(ずいほうでん)。その他、位牌が若林区荒町の昌傳庵と松島町の瑞巌寺と京都府京都市妙心寺塔頭蟠桃院にあり、神として青葉区青葉町の青葉神社に祀られている。また、供養墓が他の大名などと同様に高野山奥の院にある。
瑞鳳殿は政宗の死後、伊達忠宗によって寛永14年(1637年)10月に建立された。昭和6年(1931年)に旧国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、現在の瑞鳳殿は昭和54年(1979年)に仙台市により再建されたものである。
再建に先駆けて、昭和49年(1974年)には発掘調査が行われ、遺骨の学術的調査から身長は159.4センチ(当時の平均的身長)であることや、 遺骸毛髪から血液型がB型であることが判明した。歯周病により上あごの左右の犬歯以外はすべて抜け落ちていた。天正17年(1589年)に米沢で落馬し、骨折したときのものと思われる左腓骨の骨折の跡も見つかった。また、副葬品として太刀・具足・蒔絵を施した硯箱・鉛筆・懐中日時計兼磁石・懐中鏡・煙管・銀製ペンダント・黄金製のブローチ(ロザリオ)など、30点あまりが確認されている。
遺品[編集]
- 黒漆五枚胴具足(仙台市博物館所蔵) - 前立てに大きな弦月の付いた漆黒の鎧兜
伊達政宗を主題とした作品[編集]
- 小説
- 長編小説
- 『伊達政宗』(著者:山岡荘八)
- 『伊達政宗』(著者:海音寺潮五郎)
- 『伊達政宗』(『風雲独眼竜』)(著者:井口朝生)
- 『伊達政宗』(著者:永岡慶之助)
- 『伊達政宗』(著者:鷲尾雨工)
- 『圖南の豪雄 伊達政宗』(著者:菅原兵治)
- 『独眼龍政宗』(著者:津本陽)
- 『独眼竜政宗』(著者:早乙女貢)
- 『独眼竜 政宗』(著者:松永義弘)
- 『独眼竜伊達政宗』(著者:西野辰吉)
- 『独眼龍伊達政宗』(著者:水野泰治)
- 『戦う政宗』(著者:星亮一)
- 『竜の見た夢』(著者:羽太雄平)
- 『独眼竜の涙』(著者:赤木駿介)
- 『政宗の娘』(著者:岩城希伊子)
- 『伊達政宗とその武将たち』(著者:飯田勝彦)
- 『臥竜の天』(著者:火坂雅志)
- 『伊達政宗』(著者:江宮隆之)
- 『覇王 独眼龍政宗』(著者:沢田黒蔵)
- 短編小説
- 『奥羽の二人』(著者:松本清張)
- 『馬上少年過ぐ』(著者:司馬遼太郎)
- 『武家盛衰記 伊達陸奥守政宗』(著者:南條範夫)
- 読本系小説
- 『伊達政宗 物語と史蹟をたずねて』(著者:竹内勇太郎)
- 『秀吉・家康を翻弄した男 伊達政宗』(著者:長谷川つとむ)
- 『伊達政宗―知られざる実像』(『史伝 伊達政宗』)(著者:小和田哲男)
- 子供向け伝記
- 『戦国をかける独眼竜 伊達政宗』(著者:浜野卓也)
- 『嵐の中の日本人 シリーズ14 伊達政宗』(著者:松永義弘)
- 『伊達政宗読本』(著者:伊達政宗読本編集委員会)
- 映画
- 『伊達政宗』(1912年、エム・パテー商会)
- 『伊達政宗』(1915年、日活京都、主演:尾上松之助(2代目))
- 『伊達政宗』(1919年、天活、主演:澤村四郎五郎 (5代目))
- 『獨眼龍政宗』(1942年、大映京都・キネマ倶楽部、監督:稲垣浩、主演:片岡千恵蔵)
- 『独眼竜政宗』(1959年、東映京都、監督:河野寿一、主演:中村錦之助)
- テレビドラマ
- 『独眼竜政宗』(1987年、NHK大河ドラマ、原作:山岡荘八、脚本、ジェームス三木、主演:渡辺謙)
- 『独眼竜の野望 伊達政宗』(1993年、東映・ANB、原作:山岡荘八、主演:高橋英樹)
- 『愛と野望の独眼竜 伊達政宗』(1995年、東映・TBS、主演:柴田恭兵)
- 『臥竜の天〜伊達政宗・独眼竜と呼ばれた男〜』(2013年、BS-TBS、主演:椎名桔平)
- アニメ
- 『政宗ダテニクル』(声:村瀬歩)2016年のアニメ作品および2021年の劇場アニメ作品。福島県伊達市のご当地アニメとしてガイナが制作。
- 漫画
- 『伊達政宗』(原作:山岡荘八、著者:横山光輝)
- 『戦国武将烈伝 伊達政宗』(著者:永井豪&ダイナミックプロ)
- 『学研まんが人物日本史 伊達政宗』(漫画:ムロタニツネ象)
- 『政宗さまと景綱くん』(著者:重野なおき)
- 『独眼竜政宗』(著者:千葉真弓)
- 雑誌
- 『歴史群像シリーズ19 伊達政宗【独眼竜の野望と咆哮】』(学研)
- 『歴史群像シリーズ【戦国】セレクション 伊達政宗【炯眼独眼竜の雄材大略】』(学研)
- 『歴史クローズアップ人物 伊達政宗 最後の戦国大名独眼竜の実力と野望』(世界文化社)
- 『歴史を作った先人たち 週刊日本の100人 No.007 伊達政宗』(DeAGOSTINI)
- 楽曲
- 『御藩祖をどり』(1935年、中山晋平作曲、西條八十作曲。1935年の「政宗公三百年祭」に際して仙台市長の依頼で作られたが、歌詞にある「玉座」の語が不敬とされて一度きりの演奏で発禁となった。2017年に復元された)
- さくらゆき『飛翔』(摺上原の戦いを描いた曲。作詞:遠野ゆき、作曲:田中俊輔)
- ゲーム
- 『戦国BASARA』(声 - 中井和哉) - シリーズとしての主役の一人。TVと劇場版でアニメ化されたほか、2009年の宮城県知事選挙のイメージキャラクターとして採用された。
- 『戦国無双』(声 - 檜山修之)
- 『独眼竜政宗』(1988年、ファミリーコンピュータ、制作:ナムコ)
- 『独眼竜政宗』(ウォー・シミュレーションゲーム、ツクダホビー)
- 『独眼竜政宗 カラクリ城ゲーム』(ヨネザワ)
- 『戦刻ナイトブラッド』(声 - 梅原裕一郎)