京阪電気鉄道
京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英: Keihan Electric Railway Co.,Ltd.)は、大阪府北東部から京都府南部、滋賀県大津市にかけて路線網を持つ鉄道会社。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪。日本の大手私鉄の一つである。
本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1(枚方市駅近隣)である。他に、枚方事務所(枚方市岡本町7番1号 ビオルネ北館4階)・中書島事務所(京都府京都市伏見区桃山町金井戸島10番)・大津事務所(滋賀県大津市錦織2丁目7番16号)のほか、東京事務所は、東京都中央区築地三丁目5番4号 ホテル京阪築地銀座グランデ内304号室。運輸営業開始は1910年(明治43年)4月15日(京阪本線 大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅間 46.57 km)。営業キロ程は91.1 km(2021年3月31日現在)。
京阪ホールディングスと、その子会社59社及び関連会社7社から構成されている京阪グループの中核企業である。
概要[編集]
スローガンは「こころまち つくろう」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。新スローガン導入と同時にテレビCMではサウンドロゴも併せて導入した。
テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん。」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(「歴代CM出演者・おけいはん」を参照)。
営業路線の京阪本線沿線に、グループ会社が運営する日本最古の遊園地である「ひらかたパーク(通称:ひらパー)」を持つ。
この会社の設立以来、大阪証券取引所第一部(2013年に現物株市場は東京証券取引所へ統合)に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され、その傘下に置かれる運輸業・不動産業・流通業・レジャーサービス業の各事業会社を統括する形態になると説明していたものの、経済情勢の変化により、設立予定としていた2010年5月に持株会社への移行を見送ることを明らかにしていた。その後、経営の効率化により各事業の収支が改善したことから、2016年4月1日に「京阪ホールディングス株式会社」に社名変更した上で純粋持株会社移行を目指すことが2015年1月29日と4月30日に発表された。4月30日の発表によると京阪ホールディングス傘下に鉄軌道事業などを継承する京阪電気鉄道株式会社、不動産販売業を継承する京阪電鉄不動産株式会社、その他の京阪グループ各社を置く体制で、2016年4月1日に純粋持株会社体制に移行した。
2011年、JICAの第3回「協力準備調査(PPPインフラ事業)」に対し、社団法人海外鉄道技術協力協会と株式会社野村総合研究所との三者共同で、「ベトナム ハノイ5号線整備事業準備調査」について応募提案 して8月末に本契約を締結したり、日本国外の鉄道プロジェクトに対してコンサルティング事業を行う新会社「日本コンサルタンツ」への出資 や、中華人民共和国瀋陽市での複合開発プロジェクトに東京建物と参画するなど、事業の日本国外展開を始めている。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。
社章・グループシンボルマーク[編集]
社章は1906年12月21日に制定された。大阪市章の澪標を6つ円形に配置して「京」の形を表現し、合わせて「京阪」としたものである。現在はほとんど使用されておらず、専らグループ共通の京阪グループシンボルマークが用いられる。
京阪グループシンボルマークはイニシャルの「K」を2つの三角形に図案化し、上はオレンジ色で「暖かさ、趣」を思わせる旗を、下はブルーグレー色で「安全安心、やさしさ、心のこもった」グループの基盤を表現し、風になびく旗と基盤が一体となって「人を思い、潤いのある“街と暮らし”を共に創る」というブランドコンセプトを表現している。
歴史[編集]
大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道(現・東海道本線〈JR京都線〉)が敷かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し、畿内電気鉄道株式会社として設立。1903年(明治36年)11月9日に改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後、1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということを表す「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することが決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許が下り、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された。
建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると、大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や淀川沿いの軟弱地盤、用地買収の遅れ、京都での琵琶湖疏水の堤防上への変更などで十数か所にわたりルートの変更を余儀なくされた。1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真ができ上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。
1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅(現・清水五条駅)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するため様々な技術開発が行われた。また集客策として10月から12月にかけて香里園にあった香里遊園地で『菊人形展』を開催、1912年からは大阪府枚方市に隣接する1万m2を買収(後のひらかたパーク)して10月6日から11月25日にかけて菊人形展が開催された。
1911年10月(明治44年)には森小路駅(現在の千林駅に相当) - 香里駅(現・香里園駅)間の沿線で電灯電力供給事業を開始。翌1912年には摂津電気を買収して淀川右岸への電力供給事業を手に入れ、1921年(大正10年)7月に和歌山水力電気を、1926年(大正15年)12月に日高川水力電気を合併し、京阪沿線だけでなく和歌山県の電力供給の約75パーセントを京阪が供給することとなった(詳細は「関西私鉄の電力供給事業」参照)。
1922年頃より営業エリアの滋賀県琵琶湖周辺への拡大を狙い京津電気軌道との合併交渉を開始するが、京津電気軌道の一部役員が京都電燈との合併を望み、話し合いの結果、電力供給は京都電燈へ売却、軌道部門は京阪電鉄に合併されることが決まり、1925年2月に京津電気軌道を合併。続けて湖南汽船から増資を引き受けて1926年7月に湖南汽船を子会社化した。これに対抗して大津電車軌道・湖南鉄道・太湖汽船は合併して琵琶湖鉄道汽船を設立。しかしこうした争いは「双方にマイナスになる」と、湖南汽船の社長の仲介により琵琶湖鉄道汽船との合併交渉が進められ、鉄道部門の大津電車軌道部分を京阪へ、湖南鉄道部分は別会社の八日市鉄道(後に近江鉄道に合併)として独立、船舶部門は湖南汽船に譲渡して(新)太湖汽船(後の琵琶湖汽船)となった。これにより琵琶湖を自社の営業エリアに収めた(京阪の社史では「湖上制覇」と表現している)。
また、並行線を他社によって敷設されることを阻止する企業防衛のために新京阪鉄道(現・阪急京都本線)を建設。奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)および阪和電気鉄道(現・西日本旅客鉄道〈JR西日本〉阪和線)への関与、さらには和歌山県(阪和電気鉄道と和歌山軌道線)への進出など積極的な拡張策を展開した。しかし、投資が回収できないうちに昭和恐慌に見舞われ、債務処理のため1930年(昭和5年)5月和歌山地区の電力供給部門・軌道部門は合同電気株式会社へ譲渡され、同年9月に新京阪鉄道を合併して債務の圧縮を図るなど逼塞を余儀なくされる。
この時期は節電に大規模な投資が行われ、1932年(昭和7年)12月、正雀、守口、伏見の3変電所に大容量の蓄電池を設置、深夜電力を充電して電力使用ピーク時に放電する「ピークカット用蓄電池」が設置された。投資額は60万円で、電力料金を年間20万円削減でき、1934年の室戸台風では電力会社からの送電回復前に一部区間で列車の運転が再開できた。翌1933年(昭和8年)4月には日本初のコンパウンド(複巻)モーターによる回生ブレーキ付き電車50型4両が京津線に投入された。
1941年8月発布の配電統制令により電力供給事業を関西配電(後の関西電力)に現物出資の形で失い、太平洋戦争中には陸上交通事業調整法に基づき阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)となる。
戦後、1947年にやはり戦時体制で合併した旧・南海鉄道が近畿日本鉄道から南海電気鉄道として分離すると、京阪出身者からは京阪神急行電鉄からの再分離が強く唱えられるようになる。背景には旧京阪線が阪急に比べて復興が遅れていたという事情もあった。1949年12月、京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道株式会社として再発足した。この分離に際しては新京阪の路線は阪急側に残ることとなり、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の5路線と子会社の太湖汽船(現・琵琶湖汽船)、京阪自動車(現・京阪バス)での再発足となった。京阪神急行電鉄社長の太田垣士郎は、分離を正式決定した1949年(昭和24年)9月27日の臨時株主総会後に「淀川西岸の各線(新京阪線と旧:阪急各線)は日本国有鉄道(国鉄)との競合が大きく、高速化や新車投入などを積極的に行う必要があるのに対し、東岸の各線(京阪線・大津線)は観光輸送面での特色を発揮する必要があり、双方のためにもこの地域ブロックによる分離を行うのが妥当」という旨をコメントしている。京阪側は新京阪線も手許に残す形での分離を望んだが、既に戦争中に新京阪線から宝塚線経由で梅田駅乗り入れが行われていたのに対して京阪線とは直接線路がつながっていなかったこと、加えて役員構成で数にまさる阪急側に「押し切られる形」になったことが、この結果につながったとされる。
また近畿日本鉄道(近鉄)との間で奈良電気鉄道をめぐって株式の争奪戦をしたが、1962年に当時の関西電力社長で京阪再発足時の京阪神急行社長であった太田垣士郎の仲介により、京阪の持つ奈良電気鉄道の株式を近鉄に譲渡、代わりに近鉄が持つ京福電気鉄道の株式を京阪に売却することになり、奈良電は近鉄に合併されて近鉄京都線に、京福電気鉄道は京阪の子会社になった。その前年(1961年)近鉄と西武鉄道が株式の買い集めをおこなっていた江若鉄道(現・江若交通)を子会社化している。
これらの経験が、他の関西大手私鉄と比べて事業の多角化に慎重で、本線の淀屋橋延長、複々線区間の延長、鴨東線の開通と本業を重視し、京阪沿線の不動産開発や京阪百貨店の開業など地域密着する傾向につながった。再発足から25年間社長を務めた村岡四郎は、就任時に「大阪中心部への乗り入れ」「京阪線曲線部の改良」「鴨東線の建設」を公約に掲げ、「当社の事業はどこまでも電気鉄道中心だ」「不動産事業もそれからデパートにしても、あるいはその他の雑多な事業でも、やはり鉄道というのが一つの大きな骨格になっている」と語っていたという証言が残されている。この時期には、南日本航空(現・かんこう)、宇治田原自動車(宇治京阪タクシー・京阪宇治交通の母体)などに出資し、子会社化した。
しかし、並行路線である大阪市営地下鉄谷町線の大日駅(大阪府守口市)への延長・京都市営地下鉄烏丸線の開業・JR東西線の開業と片町線の近代化などによる乗客数の減少、さらに少子高齢化により鉄道事業のみでは今後の発展は望めないとして、観光事業を強化することとした。1985年4月に福井県小浜市に「小浜フィッシャマンズ・ワーフ」を、1988年4月に瀬戸大橋のたもと与島に「瀬戸大橋京阪フィッシャマンズ・ワーフ」を開業した。だがバブル崩壊と瀬戸大橋の高額な通行料金により利用客が減少し、2003年3月末に若狭湾観光と京阪フィッシャマンズ・ワーフの全株式を売却して京阪グループから分離された。
その後、本業の鉄道事業では2001年に中之島新線の建設着手を決定し、建設主体となる第三セクター中之島高速鉄道を設立。2003年5月着工、2008年10月19日に中之島線として開業した。
開業100周年を2010年に迎えるにあたり、2006年には持株会社化の方針および関東地方を中心としたエリア外での事業多角化推進を表明し、京都への団体観光客誘致に関東・中部地方に進出した京阪交通社に続き、2003年に京阪電鉄不動産・ジューサーバーが関東に進出し、ホテル京阪や流通事業についても全国展開を進めている。2009年6月6日には北海道札幌市内にホテル京阪札幌が、同年11月21日には東京都台東区内にホテル京阪浅草も開業した。
京阪グループ全体の持株会社化に備えて、2007年6月より、社長/会長制度から、大手私鉄では初めてCEO/COO制度に移行している。2008年に中間持株会社の京阪タクシーシステムズを、2009年には京阪バスシステムズと不動産賃貸管理子会社の京阪ビルディングを京阪電鉄本体に吸収合併したほか、京阪建設を京阪エンジニアリングサービスへ合併し、京阪福井国際カントリーを売却した。2010年には京阪タクシーなど京阪タクシー関連7社を第一交通産業(福岡県北九州市)へ譲渡、2011年7月には旅行代理業務をJTBとの合弁会社であるJTB京阪トラベルへ移管(同時に関東・中部の営業所を閉鎖)した後、京阪交通社を解散するなど、子会社の整理統廃合も進められている。
2016年4月1日に京阪ホールディングスとして純粋持株会社体制に移行した。引き続き子会社の整理統廃合が行われ、2017年から2018年にかけて京阪ライフサポートと文化財サービスの株式を他社に譲渡しグループから分離、2022年1月1日を効力発生日として京阪レストランの飲食事業を京阪グループの新系列リテール会社のカフェに譲渡し解散した。京阪ザ・ストアにおいては、2022年度から2023年度にかけ「アンスリー」32店舗のうち19店舗を新業態店舗「もより市」へ転換し、残りを賃貸店舗とする予定となっている。
年表[編集]
本年表で「客車」とあるのは電車(電動客車)のことである。
畿内電気鉄道[編集]
- 1901年(明治34年):渋沢栄一、成田鉄道社長佐分利一嗣らを中心とした関東の実業家、ならびに衆議院議員岡崎邦輔が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道(現在の国道1号に相当)大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を私設鉄道法に基づく京阪鉄道として敷設することを計画。
- 1902年(明治35年):村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道に沿って大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を軌道条例に基づく畿内電気鉄道として敷設することを計画。
- 1903年(明治36年)
- 11月9日
- 渋沢栄一、佐分利一嗣成ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔、村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が合流し、畿内電気鉄道株式会社を創立。
- 軌道条例に基づき、畿内鉄道 大阪市東区高麗橋詰町(現在の大阪市中央区東高麗橋付近) - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰(現在の京都市東山区朱雀町付近)間の電気軌道敷設の特許を内務省に請願。現在の京阪本線の起源。
- 11月9日
- この間
- 内務省が、逓信省鉄道作業局が運営する官設鉄道東海道本線 大阪 - 京都間の路線と競合することなどを理由に、畿内鉄道が計画する大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許下付に難色を示す。
- 渋沢栄一、佐分利一嗣ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔が内務省および逓信省鉄道作業局との折衝を図る。
- 1906年(明治39年)
- 8月25日:原敬内務大臣から大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書が下付。
- 8月30日:畿内電気鉄道株式会社起人総会が開催され、渋沢栄一が創立委員長に就任し、創立委員6名を選任。
初代・京阪電気鉄道[編集]
- 1906年(明治39年)
- 9月3日:畿内電気鉄道株式会社創立委員会が開催され、定款が決定されるとともに、商号を京阪電気鉄道株式会社と変更し、資本金700万円(現在の貨幣価値に換算して約189億4,500万円[要出典]。事業資金としては現在(2021年時点)のおよそ87億8,600万円に相当。)、株式の額面(1株当たり)を50円、発行株式総数を14万株とすることが決定。
- 11月19日:東京市麹町区有楽町一丁目(現・東京都千代田区有楽町一丁目)の東京商業会議所(現・東京商工会議所)において京阪電気鉄道株式会社(初代)創立総会が開催され、取締役に岡崎邦輔、桑原政、村野山人、佐分利一嗣、林謙吉郎、井上保次郎、渡邊嘉一が、監査役には田中源太郎、田辺貞吉、村井貞之助がそれぞれ就任し、その取締役会において専務取締役に渡辺嘉一が、相談役に渋沢栄一がそれぞれ就任。京阪電気鉄道株式会社の設立。
- 12月19日:山縣伊三郎逓信大臣から電気鉄道事業経営の許可書、ならびに命令書が下付。
- 12月21日:京阪電気鉄道株式会社設立の設立登記を完了。
- 1907年(明治40年)
- 3月12日:職制を制定し、総務課、運輸課、建築課、電気課の4課を設置。
- 4月20日:東京商業会議所において第1回定時株主総会を開催。
- 春:専務取締役渡辺嘉一が有望な人材を探し出て引き抜くため、帝国鉄道庁を訪問し、同庁運輸部庶務課長の太田光凞にその人選を依頼する。
- 7月16日:大阪事務所を大阪市東区北浜二丁目29番屋敷(現在の中央区北浜二丁目付近)から大阪市東区今橋三丁目2番地(現在の中央区今橋三丁目付近)に移転。
- 7月28日:大阪府城北村毛馬(現・大阪市都島区毛馬町)において毛馬発電所の起工式を挙行。
- 1908年(明治41年)
- 9月26日:大阪市電との調整を図るため、大阪市と市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約を締結。
- 10月25日
- 大阪市と市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約に基づき、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を定めた定款第2条の「高麗橋東詰」を「京橋一丁目天満橋南詰」と改正。
- 定款第2条の「一般運輸ノ業ヲ営ミ」以下を削除し、「前項ノ附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営 及び土地家屋ノ賃貸営業ヲ為スコトヲ得」を加えて改正。
- 11月:臨時株主総会において、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を高麗橋東詰から天満橋南詰へ変更することが決議(承認)。
- 12月8日:支配人に太田光凞が就任。
- 1909年(明治42年)
- 4月:大阪市北区東野田網島(現・都島区網島町)に車両工場ならびに車庫の建設を開始。
- 6月:大阪府北河内郡守口町(現・守口市)、大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)、京都府紀伊郡伏見町(現・京都市伏見区)に変電所の建設を開始。
- 7月7日:渋沢栄一が相談役を辞任。
- 9月24日:大阪事務所を大阪市東区今橋3丁目2番地大阪市北区東野田網島に移転。
- 1910年(明治43年)
- 1月27日:大阪府下の各駅が竣工。
- 2月9日:京都府下の各駅が竣工。
- 3月11日:高崎親章大阪府知事から全線8区、1区間につき5銭。大阪市内区間、甲2銭、乙4銭。他に回数乗車券、普通定期乗車券、学生定期乗車券。往復運賃は大阪市内区間を除き1割引とする旅客運賃を認可。
- 3月31日:大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅(現・清水五条駅)間 46.57 kmの軌道敷設工事が竣工。
- 3月:客車30両を新造。
- 4月2日:守口変電所、枚方変電所、伏見変電所の建設工事がそれぞれ竣工。
- 4月11日:大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅間で試運転を開始。
- 4月13日:天満橋駅 - 五条駅間の旅客営業の開始が認可。
- 4月15日:現在の京阪本線、天満橋駅 - 五条駅間 46.57 kmが開業。当時の所要時間1時間40分。
- 6月7日:取締役会長に渡辺嘉一が、専務取締役に桑原政がそれぞれ就任。
- 6月25日:取締役井上保次郎が死去。
- 7月12日:天満橋駅 - 五条駅間の所要時間を1時間30分に短縮。
- 8月30日:電気供給事業兼営の許可状、ならびに命令書が下付。
- 10月15日:第1回菊人形を香里遊園地(1912年3月閉園)で開催(12月10日まで)。後の「ひらかた大菊人形」の始まり。
- 10月29日:株主配当を年間5分とすることを決定。
- 11月19日:取締役に太田光熈が就任。
- 11月22日:宇治電気鉄道株式会社が所有する中書島 - 宇治間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書の譲受が認可。
- 12月25日:本店所在地を大阪府北河内郡枚方町岡604番地(現在の枚方市岡東町付近)に移転。
- 12月:客車19両を新造。
- 1911年(明治44年)
- 1月17日:渡辺嘉一が取締役会長を、桑原政が専務取締役を、岡崎邦輔が取締役を、田辺貞吉が監査役をそれぞれ辞任し、専務取締役に太田光凞が就任。
- 2月6日:社長、常務制を採用し、取締役社長に田辺貞吉元監査役が、常務取締役に太田光凞が、監査役に岡崎邦輔元取締役がそれぞれ就任。
- 4月1日:350万円の増資を実施し、資本金を1050万円に増額。
- 5月24日:電灯電力供給工事の施工認可が下付。
- 10月8日:第2回菊人形を香里園遊園地で開催。
- 10月13日:大阪地区での電気供給事業を開始。
- 10月28日:定款第2条の末尾を「附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営、貸家経営ノ資金ニスル目的ヲ以テ土地顔家屋抵当トスル金銭ノ貸付 及ビ土地家屋ノ賃貸経営ヲナスコトヲ得」と改正。
- 12月28日:岡崎邦輔が監査役を辞任。
- 1912年(明治45年)
- 2月14日:大阪市との市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約を解除。
- 1月13日:監査役に岡崎邦輔元監査役が就任。
- 1月23日:大阪府東成郡城北村(現在の大阪市旭区 城北公園付近)、ならびに大阪府東成郡榎並村(現在のOsaka Metro谷町線野江内代駅付近)への電気供給を開始。
- 3月3日:天満橋駅 - 五条駅間の所要時間を1時間28分に短縮。
- 4月29日:株主配当を0.5分増配し、年間5分5厘と改定することを決定。
- 5月1日:天満橋駅 - 五条駅間の所要時間を1時間25分に短縮。
- 1912年(大正元年)
- 9月9日:取締役の桑原政が死去。
- 9月11日:動力供給のため、京都電燈株式会社と電力供給契約を締結し、その送電工事を開始。
- 9月13日:明治天皇大喪のため、23時00分から3分間、全線において電車の運転を停止し、敬悼遥拝。
- 9月14日:京都電燈への電力供給を開始。
- 9月末:動力供給のための京都電燈への送電工事が竣工。
- 10月6日:菊人形を枚方遊園地(現・ひらかたパーク)に移して開催(11月25日まで)。
- 10月29日
- 株主配当を1分増配し、年間6分5厘と改定することを決定。
- 摂津電気株式会社の株式買収を決定。
- 田辺貞吉が取締役社長、ならびに佐分利一嗣が取締役を辞任し、取締役社長に土居通夫が、取締役に岡崎邦輔監査役、ならびに岩本栄之助が、監査役に秋岡義一がそれぞれ就任。
- 11月21日:伏見変電所から京都電燈への高圧送電を開始。
- 12月2日:天満橋駅 - 五条駅間の所要時間を1時間20分に短縮。
- 12月20日:京都電気鉄道(後の京都市電)と京津電気軌道(現・京津線)との連絡運賃が認可。
- 1913年(大正2年)
- 1月:宇治支線(現・宇治線) 中書島 - 宇治間の電気軌道敷設工事を着工。
- 3月:200型貨車1両を新造。
- 4月15日:『社報』第1号を発行。
- 5月29日:京都市に対して三条 - 五条間の電気軌道敷設特許状、ならびに命令書が下付。
- 5月:霧島人形を枚方遊園地で開催。
- 6月1日
- 宇治支線 中書島駅 - 宇治駅間開業。当時の所要時間20分。
- 7月4日:貨物営業を開始。
- 7月20日:宇治線 中書島駅 - 宇治駅間の所要時間を17分に短縮。
- 9月13日:村野山人が取締役を辞任。
- 10月1日:摂津電気株式会社を合併し、西国街道(現在の国道171号に相当)沿いの大阪府三島郡高槻町(現在の高槻市高槻町付近) - 大阪府三島郡千里村(現在の阪急電鉄千里線千里山駅付近)間の大阪府三島郡21町村、ならびに大阪府豊能郡豊津村(現在の吹田市豊津町付近)、西成郡西中島村(現在の大阪市淀川区西中島付近)ほか4村、合計27町村(いずれも大阪府北部)への電灯電力供給事業を継承。
- 1914年(大正3年)
- 1月
- 日本で初めての色灯三位式自動閉塞信号機をアメリカ合衆国に発注。1915年4月1日に使用開始。
- 客車10両を新造。
- 2月5日:電灯営業で炭素線電球に代わり、タングステン電球の使用を開始。
- 5月15日:天満橋駅、五条駅をそれぞれ午前0時30分に発車する深夜1往復のノンストップ急行電車の運転を開始し、天満橋駅 - 五条駅間の所要時間を1時間に短縮。日本初の電車による急行運転の開始。
- 7月10日:天満橋駅の新築拡張工事を竣工。
- 9月18日:井上密京都市長と京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約を締結。
- 10月28日:株主配当を0.5分減配し、6分と改定することを決定。
- 12月17日:京都市会において、京阪電気鉄道株式会社に対する京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道貸与契約案が可決。
- 1月
- 1915年(大正4年)
- 2月6日:臨時株主総会において、京都市長と締結した京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約が承認。
- 3月16日:社債250万円の募集を決定。
- 4月1日
- 天満橋駅 - 五条駅間において日本初の色灯三位式自動閉塞信号機の使用を開始。
- 午前と午後、上下それぞれ2本の急行電車を増発。
- 4月28日:株主配当を1分減配し、年間5分と改定することを決定。
- 7月23日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事が認可。
- 8月10日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を着工。
- 10月20日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を竣工。
- 10月27日:鴨川線 五条駅 - 三条駅間 1.5 kmが開業。現在の京阪本線の一部区間。
- 1916年(大正5年)
- 4月1日
- 従来の急行電車を四条駅(現・祇園四条駅)にのみ停車し、天満橋駅 - 三条駅間を1時間で結ぶ最急行電車とする。
- 枚方東口駅(現・枚方市駅)、八幡駅(現・石清水八幡宮駅)、中書島駅、伏見桃山駅、稲荷駅(現・伏見稲荷駅)、七条駅、五条駅、四条駅の8駅に停車し、天満橋駅 - 三条駅間を1時間10分で結ぶ急行電車を新設し、24分間隔で8分間隔の普通電車の2本後に運転)。
- 4月28日:株主配当を1分増配し、年間6分と改定することを決定。
- 7月16日:京津電気軌道との連絡乗車券の発売を開始。
- 8月1日:最急行電車を廃止。
- 10月1日:大阪電灯と大阪府東成郡鯰江町(現在のOsaka Metoro蒲生四丁目駅付近)、ならびに大阪府東成郡榎並町の電灯供給区域の協定を締結。
- 10月27日:岩本栄之助取締役が死去。
- 10月29日:株主配当を0.5分増配し、年間6分5厘と改定することを決定。
- 4月1日
- 1917年(大正6年)
- 1月17日:午前4時50分、深草車庫内の車両から出火し、深草車庫の建物、および客車15両、貨車4両を焼失。
- 4月:客車6両、貨車3両を新造。
- 6月
- 天満橋本社事務所の新築工事を着工。
- 守口車庫の新築工事を着工。
- 9月9日:土居通夫取締役社長が死去。
- 9月18日:取締役社長に岡崎邦輔が就任。
- 10月1日:「大正大洪水」河川堤防決壊などで京阪線・宇治線が不通に。
- 11月28日:株主配当を1分増配し、年間7分5厘と改定することを決定。
- 11月:100型客車1両を新造。
- 1918年(大正7年)
- 1月20日:本社新事務所が大阪市東区京橋前ノ町3番地に竣工し、本社を移転。
- 3月1日:守口駅(現・守口市駅)京都側に守口車庫(1972年、車庫は寝屋川車庫に移転。跡地は現在の京阪百貨店守口店)が竣工し、網島車庫を移転。
- 4月16日:本線(現・京阪本線) 野江駅から分岐して淀川を渡り、大阪府三島郡の諸町村を経て京都府乙訓郡大山崎町に至り、同町を右折して久世郡淀町(現・京都市伏見区)付近で再び本線に合流する野江 - 淀間の淀川西岸支線(現在の阪急電鉄京都本線の一部)の敷設特許を請願。
- 4月28日:取締役に浜崎健吉、篠野乙次郎がそれぞれ就任。
- 9月:将棊島貨物駅の新設工事を竣工。
- 10月28日:取締役に馬場斉吉が就任。
- 12月2日:淀川支線の敷設特許、ならびに命令書を返上。
- 12月27日
- 淀川西岸支線延長線 大山崎 - 四条大宮間 15.2 kmの電気鉄道敷設特許を請願。
- 守口第2変電所が竣工し、守口変電所 - 守口第2変電所間の送電を開始。
- 1919年(大正8年)
- 4月1日
- 安威川水力電気株式会社を合併し、電気供給事業を譲り受ける(3月5日認可)
- 資本金550万円を増資し、1600万円となる。
- 4月30日:大阪電灯からの受電(1万kW契約の一部)を開始。
- 4月:100型客車2両を新造。
- 5月16日:城北支線敷設の特許が下付。
- 5月29日:城北支線延長線敷設の特許を請願。
- 7月21日
- 野江 - 淀間支線の敷設の特許状が下付。
- 淀川西岸支線延長線の軌道敷設の特許状が下付。
- 8月30日:淀川西岸支線建設の測量に着手。
- 9月10日:淀川西岸支線特許線短縮の許可を出願。
- 9月11日:北大阪電気鉄道に十三支線 十三 - 淡路間の電気鉄道敷設、ならびに淀川 - 吹田間の官設鉄道東海道本線の旧線跡の払下げ免許が下付。
- 9月:淀川西岸線沿線の開発のため、吹田、茨木、高槻、山崎、桂付近で景勝地約24万坪を買収。
- 10月29日:株式配当を0.5分増配し、年間8分とすることを決定。定款を変更し第2条に城北支線、淀川西岸線を追加。
- 10月:枚方遊園地での菊人形の開催を中止し、宇治で開催。
- 11月8日:木曽電気興業との共同出資で大阪送電株式会社(後の大同電力)を創立し、その取締役に太田光凞、林謙吉郎、岡崎邦輔が、監査役に渡辺嘉一、秋岡義一がそれぞれ就任。
- 12月20日:城北支線の延長が特許。
- 4月1日
- 1920年(大正9年)
- 1月:100型客車10両を新造
- 2月13日:野江 - 淀間の特許線の短縮が許可。
- 2月21日:官設鉄道城東線(現在のJR西日本大阪環状線の大阪駅 - 天王寺駅間)の旧線跡一部敷地の払下げ願書を提出。
- 3月:守口 - 伏見間の5万V送電線建設の工事を竣工。
- 4月1日:城北支線延長路線の変更が許可。
- 4月28日:株主配当を1分増配し、9分とすることを決定。
- 5月20日:官設鉄道城東線の旧線跡一部敷地の払下げが許可。
- 5月24日:淀川西岸線の起点を大阪市北区本庄葉村町に変更すことを請願。
- 7月9日:支配人に三上真吾が就任。
- 8月27日:取締役林謙吉郎が死去。
- 10月19日:天満橋駅の拡張工事を完了。
- 10月29日:株主配当を1分増配し、年間1割とすることを決定。
- 1921年(大正10年)
- 3月: 旧形客車10両を急行用客車100型に改造。
- 5月1日:資本金2000万円を増資し、3600万円となる。
- 7月22日:天満橋京阪食堂を大阪市東区京橋一丁目に開設。
- 10月26日:淀川西岸電気鉄道路線の一部変更が免許。
- 10月28日:取締役に大原孫三郎、三上真吾がそれぞれ就任し、篠野乙次郎取締役が退任。
- 10月:深草車庫内に機械工場、組立工場がそれぞれ竣工。
- 12月:寝屋川運動場用地として、4万9,500 m2を買収。
- 1922年(大正11年)
- 1月29日:和歌山水力電気の合併を決定。
- 1月:寝屋川運動場の建設工事を着工。
- 2月8日:運動場前臨時駅の設置が認可。
- 3月23日
- 大阪府北河内郡豊野村(現在の寝屋川市豊野町付近)の新設運動場を「京阪グラウンド」と命名。
- 3月:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
- 4月3日:監査役田中源太郎が死去。
- 4月21日:京阪グラウンドに陸上競技場を竣工。
- 4月24日:淀川西岸電気鉄道新線を地方鉄道法による経営変更が許可。
- 5月10日:淀川西岸新線敷設免許の権利義務を新京阪鉄道株式会社発起人に譲渡する仮契約を締結。
- 5月:京阪グラウンドの野球場、庭球場の建設工事を着工。
- 6月28日:淀川西岸の高速新線建設のため、資本金2500万円の新京阪鉄道株式会社を設立し、社長に岡崎邦輔が、常務取締役に太田光熈が、取締役に渡辺嘉一、村井貞之助、永田仁助、井上周、大野盛郁が、監査役に浜崎健吉、島村安次郎、湯浅七衛門がそれぞれ就任。
- 7月1日
- 和歌山水力電気株式会社を合併し、和歌山地区の電気供給事業と軌道事業(後の南海電気鉄道和歌山軌道線。1971年4月1日全線廃止)を継承。電気供給事業は和歌山支店となる。
- 資本金1152万円を増資し、4752万円となる。
- 7月24日
- 取締役に島村安次郎、監査役に津村紀陵がそれぞれ就任。
- 資本金2000万円増資し、淀川西岸新線建設費、官設鉄道城東線 旧線跡払下げ代金その他に充当することを決定。
- 8月1日:和歌山支店を和歌山市岡山町9番地に設置。
- 8月12日:十三駅 - 千里山駅間の路線(後の十三線、ならびに千里山線。現在の阪急電鉄京都本線、ならびに阪急電鉄千里線の一部区間)の経営を行っていた北大阪電気鉄道の社長に秋岡義一が、取締役に太田光凞、竹田三七が、監査役に渡辺嘉一、篠野乙次郎がそれぞれ就任し、北大阪電気鉄道の経営権を握る。
- 9月1日:和歌山水力電気合併による増資株(い号株式)23万400株を発行。
- 10月9日:淀川西岸電気鉄道新線敷設権を新京阪鉄道に譲渡することが鉄道大臣から認可。
- 11月12日:高槻変電所、ならびに高槻送電線がそれぞれ竣工。
- 11月21日:新京阪鉄道と容量1万kWの電力需給契約を締結。
- 11月27日:株主配当を1分増配し、年間1割1分とすることを決定。
- 12月23日:和歌山支店 琴の浦火力発電所の建設工事が竣工。
- 12月25日:新京阪鉄道に電気鉄道敷設権譲渡に伴う前期事業譲渡が逓信大臣から認可。
- 12月28日:三条駅の拡張工事を完了。
- 12月31日:和歌山支店 琴の浦火力発電所の使用を開始。
- 1923年(大正12年)
- 1月24日:天満橋駅 - 守口駅間で2両連結の客車の運転が認可。
- 2月1日:譲受代金370万1722円24銭とする北大阪電気鉄道から新京阪鉄道への電気鉄道事業譲受契約を締結。
- 3月19日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
- 4月1日:北大阪電気鉄道が電気鉄道事業を新京阪鉄道に譲渡し、商号を京阪土地と改称。新京阪鉄道の開業。
- 4月16日:和歌山軌道線の和歌浦支線終点延長の免許を請願。
- 5月10日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
- 7月12日:和歌山支店 船津水力発電所の使用を開始。
- 10月:菊人形を枚方遊園地で復帰開催。
- 11月1日:旧形車両5両を急行用客車100型に改造。
- 12月6日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
- 1924年(大正13年)
- 1月20日:新設の毛馬変電所が竣工。
- 1月:天満橋駅で急行用客車100型客車1両を焼失。
- 3月:旧形客車10両を急行用客車100型に改造。
- 4月19日:天満橋 - 守口間2両連結運転に伴う駅改築が認可。
- 4月:霧島人形を枚方遊園地で開催。
- 6月25日:京阪電気鉄道同友交通労働組合が発足(6月28日承認)
- 8月29日:1000型客車10両を新造。
- 8月30日:京津電気軌道と合併に関する仮契約を締結。
- 9月27日:京津電気軌道との合併に伴い定款を変更。
- 10月1日:1000型2両連結運転を天満橋駅 - 守口駅間で開始。
- 12月11日:蒲生駅 - 守口駅間の軌道工事方法の変更が認可。
- 12月:新京阪鉄道 天神橋 - 淡路間が着工。
- 1925年(大正14年)
- 1月27日:京津電気軌道との合併が鉄道大臣、ならびに内務大臣から認可。
- 1月30日:京津電気軌道との合併が逓信大臣から認可。
- 2月1日
- 京津電気軌道株式会社を合併し、電気供給事業と三条大橋駅 - 札ノ辻駅間の軌道事業、ならびに札ノ辻駅 - 浜大津駅(現・びわ湖浜大津駅)間の軌道線延伸工事を継承。
- 資本金325万円を増資し、5077万円となる。
- 3月31日:監査役秋岡義一が死去。
- 4月16日:岡崎邦輔が取締役社長を辞任。
- 4月24日:取締役社長に太田光凞が就任。
- 4月29日:高野山鉄道の敷設権および財産譲渡を決定。
- 5月5日:京津電気軌道から継承事業であった札ノ辻 - 浜大津間の延伸工事が竣工し、開業。
- 6月20日:大阪市電谷町寝屋川線 京阪東口 - 馬場町間(1968年12月18日廃止)の開業に伴い、野田橋交差点の使用を開始。
- 7月7日:京阪線 守口駅 - 枚方駅間の2両連結運転が認可。
- 7月27日:京阪線 旧形客車6両を急行用客車100型に改造し、急行用客車100型1両を新造。
- 10月6日:島村安次郎取締役が死去。
- 10月29日
- 監査役に永田仁助が就任。
- 日高川水力電気の合併を決定。
- 京津電気軌道から継承した電気供給事業、ならびに水力発電所の京都電燈への譲渡を決定。
- 11月3日:日高川水力電気と合併契約を締結。
- 1926年(大正15年)
- 3月1日:日高川水力電気株式会社を合併。
- 9月1日:京津線沿線の電気供給事業を京都電燈に譲渡。
- 9月7日:京阪電鉄初の踏切警報機を古川橋府道に設置。
- 1926年(昭和元年):京阪線の一部車両の集電装置にパンタグラフを採用。トロリーポール式と混在するようになった。
- 1927年(昭和2年)
- 2月1日:京阪自動車株式会社(現・京阪バス)の株式の77 %を取得し、子会社化。
- 8月31日:日本初の全鋼製ロマンスカー(1550型)を新造。
- 10月28日:京都府紀伊郡堀内村(六地蔵) - 大津市馬場町間軌道(六地蔵線)敷設特許。
- 1928年(昭和3年)
- 3月1日:京阪土地(元の北大阪電気鉄道)を合併。
- 10月1日:貴賓車16号(2代目)を新造。
- 12月27日:六地蔵線六地蔵 - 2哩(マイル)72鎖(チェーン)地点(宇治郡醍醐村)間工事施行認可を申請(翌年8月26日認可)。
- 1929年(昭和4年)
- 4月11日:琵琶湖鉄道汽船株式会社を合併。船舶部門(旧太湖汽船)は湖南汽船に譲渡。鉄軌道路線のうち石山駅 - 浜大津駅(現・びわ湖浜大津駅) - 坂本駅(現・坂本比叡山口駅)間を京阪に編入するが、それ以外は八日市鉄道に売却。
- 4月25日:六地蔵線宇治郡醍醐村 - 大津市上関寺町間工事施行認可を申請。
- 1930年(昭和5年)
- 4月25日:六地蔵線大津市上関寺町 - 同市馬場町間工事施行認可を申請。
- 5月10日;合同電気株式会社に和歌山支店管内の電気供給事業と軌道事業を譲渡。
- 9月15日:新京阪鉄道株式会社を合併し、天神橋駅 - 西院駅間の路線を新京阪線、十三駅 - 淡路駅間の路線を十三線、淡路駅 - 千里山駅間の路線を千里山線、桂駅 - 嵐山駅間の路線を嵐山線とする。
- 1931年(昭和6年)
- 3月31日:新京阪鉄道からの継承事業であった新京阪線の西院駅 - 京阪京都駅(現・阪急大宮駅)を延伸開業(関西初の地下鉄道)。
- 10月14日:京阪本線の蒲生信号所 - 守口駅(現・守口市駅)間の併用軌道(通称「野江の七曲り」)を廃止。同区間の線路を移設の上、立体交差化。
- 1932年(昭和7年)
- 9月:京阪線の車両の集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ変更。
- 10月15日:京阪線の全車両のパンタグラフ化が竣工。
- 11月15日:白木屋などと共同出資で京阪デパートを設立(資本金100万円)。
- 11月19日:毛馬発電所設備を撤去。
- 12月1日:食堂事業を京阪デパートへ譲渡。
- 12月:当時世界最大の尖頭裁除(せんとうせつじょ)用蓄電池を正雀・守口・伏見の3変電所に設置。
- 1933年(昭和8年)
- 2月1日:日本初のコンパウンドモーターによる回生ブレーキ付き車両50型4両を新造(末尾55 - 58)。
- 12月29日:京阪本線の蒲生信号所 - 守口駅(現・守口市駅)間を複々線化。
- 1934年(昭和9年)
- 3月19日:日本初の連接車「びわこ号」60型竣工。
- 4月2日:三条駅(三条大橋駅)経由、天満橋駅(京阪本線) - 浜大津駅(京津線)間直通の特急「びわこ号」の営業運転を開始(戦時中に一時休止)。
- 9月21日:室戸台風が関西に来襲。守口車庫など50棟以上が全半壊など建物被害・牧野付近の浸水、路盤の流失をはじめ全線で大きな被害を受ける。同月24日に京阪線運転再開、同月27日より全線平常運転。
- 1935年(昭和10年)
- 6月29日:鴨川大水害により、三条駅 - 七条駅間で浸水、路盤倒壊など大きな被害を受ける。この災害を受け、鴨川の河川改修(鴨川の掘り下げと拡幅)に合わせて京阪線を地下化する計画が策定される。
- 8月11日:水害(宇治川氾濫)で中書島駅 - 枚方東口駅(現・枚方市駅)間、宇治線が運転不能、同月13日復旧。
- 1936年(昭和11年)10月28日:太田光凞が取締役会長、有田邦敬が取締役社長に就任。
- 1937年(昭和12年)
- 2月26日:六地蔵線起業廃止許可。
- 9月28日:新京阪鉄道からの継承事業であった山科線起業廃止許可。
- 1939年(昭和14年)
- 3月1日:大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫の爆発事故で被災、香里園駅 - 樟葉駅間運転休止。
- 9月30日:太田光凞が取締役会長を辞任し、相談役に就任(10月14日死去)。
- 1941年(昭和16年)
- 7月9日:子会社として宇治交通(現・京阪タクシー)を設立。
- 12月21日:取締役社長の有田邦敬死去。
- 1942年(昭和17年)
- 1月26日:取締役会長に大槻信治、取締役社長に喜多市松が就任。
- 4月1日:電力統合政策により電気供給事業を関西配電(関西電力の前身)に現物出資。
- 1943年(昭和18年)
- 4月9日:取締役社長の喜多市松が「一身上の事情」を理由に辞職届を提出(12日の役員会で承認)。以後、後述の合併まで、社長は置かれなかった。
京阪神急行電鉄[編集]
- 1943年(昭和18年)10月1日:戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)による政府からの勧奨を受け、阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(後の阪急電鉄株式会社・法人としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足(書類上の存続会社は阪神急行電鉄株式会社)。
- 1945年(昭和20年)
- 1月25日:近江神宮での「大化の改新1300年祭」に天満橋駅から京阪線・京津線を経由、石山坂本線の近江神宮前駅へ直通列車が運転される(60型63号使用)。
- 5月1日:交野電気鉄道株式会社の事業を譲り受け、交野線とする。
- 12月21日:奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋駅 - 三条駅間に乗り入れ開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日:京阪線の電車が奈良電気鉄道の丹波橋駅 - 京都駅間に乗り入れ開始。
- 1948年(昭和23年)日時不明:運輸省規格電車1300系10両を導入。
- 1949年(昭和24年)
- 8月7日:京津線四宮車庫で火災。車庫・変電設備と車両22両を焼失。
- 11月25日:京津線三条大橋駅を京阪線三条駅に統合。
2代・京阪電気鉄道[編集]
- 1949年(昭和24年)
- 12月1日:京阪神急行電鉄より、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道株式会社(2代)が発足。京阪神急行電鉄副社長の村岡四郎が社長に就任。
- 1950年(昭和25年)
- 9月1日:京阪本線の天満橋駅 - 三条駅間に特急の運行を開始。所要時間53分。
- 10月11日:宇治川の志津川発電所への資材運搬軽便鉄道を利用して天ヶ瀬 - 大峯間 3.2 kmに「おとぎ電車」が開業(遊戯施設の扱い)。
- 11月16日:子会社として京阪国際観光自動車設立(資本金800万円・1998年6月30日会社解散)。
- 1951年(昭和26年)
- 3月30日:特急専用車1700系10両を新造。特急電車の「マンダリン・オレンジ」と「カーマイン・レッド」のツートンカラーがこの車両から始まる。
- 12月22日:琵琶湖汽船とタイアップ、天満橋駅 - 浜大津駅間に直通スキー列車を運転開始(浜大津で湖北地方のマキノ行きの船に連絡)。
- 1952年(昭和27年)
- 4月1日:日本初のスーパーマーケット「京阪スーパーマーケット」を京阪本線の旧京橋駅構内に開店。
- 7月11日:子会社として大阪京阪タクシーを設立。
- 7月17日:特急列車の先頭エンブレム(鳩マーク)の使用を開始。
- 1953年(昭和28年)
- 7月10日:若狭湾観光が設立(1962年に京阪の出資を受け傘下となり、2003年6月に株式売却により京阪グループより離脱)。
- 7月22日:1800系特急用電車2両を新造。
- 9月25日:台風13号で京都府南部に被災。宇治川の堤防決壊・山科川への逆流などで京阪線・宇治線・おとぎ電車で浸水・築堤倒壊・路盤流失など大きな被害を受ける(京阪線・宇治線は同年10月1日仮復旧、おとぎ電車は翌年3月末に復旧)。
- 1954年(昭和29年)
- 9月3日:京阪線の特急でテレビを設置したテレビカーの運行を開始。
- 10月1日:奈良電気鉄道京都駅から丹波橋駅経由で枚方公園駅まで臨時急行「ひらかた号」が運転。
- 11月18日:子会社として滋賀京阪タクシーを設立。
- 1955年(昭和30年)
- 6月25日:京阪線天満橋駅 - 塩小路駅間の貨物営業を廃止、塩小路貨物駅も廃止。
- 12月3日:鋼索線 八幡市駅 - 男山山上駅間開業。
- 12月23日:子会社として、ひらかた園芸企画(現・京阪園芸)設立、資本金100万円。
- 1956年(昭和31年)
- 1月10日:線路名称制定。
- 6月20日:日本初の電車用空気ばね台車「KS-50」を1759号に取り付け試運転開始。
- 1957年(昭和32年)
- 3月9日:「KS-50」台車を1885号に付け換えて営業運転開始(後に寝屋川車庫と、大阪市の弁天町駅にあった交通科学博物館に1台ずつ保存・展示)。
- 3月27日:子会社として樟葉パブリック・ゴルフ・コース設立(資本金800万円・同年9月1日営業開始)。
- 12月31日:京阪線と鋼索線で大晦日の終夜運転を開始。
- 1958年(昭和33年)
- 2月7日:子会社として京阪土地興業(現・京阪産業)を設立。
- 3月19日:子会社として比叡山自動車道を設立(資本金8000万円、4月19日に営業開始)。
- 12月1日:寝屋川車庫の使用を開始。
- 1959年(昭和34年)
- 6月25日:宇治田原自動車に出資、京阪宇治交通に商号変更のうえ子会社化(2006年3月末に京阪バスに合併)。
- 8月6日:日本初の平坦線回生ブレーキを常用した2000系電車の運用を開始。
- 1960年(昭和35年)
- 5月31日:「おとぎ電車」休止、廃線跡のほとんどは大峰ダムとともに天ヶ瀬ダム湖に沈む。
- 8月15日:南日本航空(現・かんこう)に出資、関西航空に改称のうえ子会社化(1976年に関西航空測量と改称)
- 1961年(昭和36年)
- 7月:江若鉄道(現・江若交通)に出資して子会社化。
- 8月12日:京津線で各停用回生ブレーキ車80型の使用を開始。
- 1962年(昭和37年)
- 4月27日:奈良電気鉄道の株式を近畿日本鉄道(近鉄)へ譲渡。
- 5月17日:天満橋に本社ビルが竣工し、業務開始。
- 7月31日:京福電気鉄道の発行済み株式の37.9パーセントを取得して子会社化。
- 12月22日:京阪最初の自動券売機を京橋・天満橋の両駅に設置。
- 1963年(昭和38年)
- 4月15日:京阪本線淀屋橋駅 - 天満橋駅間の地下新線が延伸開業。同時に、駅名標を「天滿橋」→「天満橋」、「三條」→「三条」のように、旧字体から新字体に変更。
- 7月9日:子会社として敦賀京阪タクシー(現・敦賀第一交通)を設立。
- 9月16日:子会社として京阪レストラン設立(10月1日営業開始)。
- 11月29日:京阪電鉄初の不動産賃貸ビル、京阪淀屋橋ビル竣工。
- 1964年(昭和39年)
- 3月12日:子会社としてケーテー自動車工業設立。
- 5月8日:子会社として京阪ビルディング設立(2009年10月1日付で京阪電鉄本体に吸収合併)。
- 7月7日:日本初の駅冷房を京阪本線の淀屋橋駅で開始。
- 7月20日:子会社として宇治パワーステションサービスを「天ヶ瀬ダム周辺の観光開発」を目的に京阪電鉄70 %、関西電力30 %の出資で設立。1987年に会社解散。
- 1965年(昭和40年)4月21日:ダイヤ改正。朝ラッシュ時に宇治駅発三条駅行の直通急行を新設。
- 1966年(昭和41年)
- 4月23日:「京阪レークセンター」竣工。
- 8月3日:蒲生信号所前で列車追突事故が発生。これをきっかけに自動列車停止装置 (ATS) 導入が決まる。
- 10月8日:子会社として宇治京阪タクシーを設立。京阪宇治交通よりタクシー部門を譲受、1967年1月1日より営業開始。
- 1967年(昭和42年)
- 6月15日:日本初の官民一体型のニュータウン「くずはローズタウン」造成工事起工式。
- 8月1日:淀屋橋駅 - 大和田駅間(複々線区間の緩行線を除く)にATSの地上設備を設置完了、特急列車のATS使用開始。関西私鉄初のATS設置・運用開始。9月28日までに京阪本線の全区間でATS地上設備の設置を完了。
- 1968年(昭和43年)
- 1月29日:宇治線ATS使用開始。
- 7月16日:交野線ATS使用開始。
- 9月12日:京阪本線全列車にATS車上装置を搭載完了。
- 12月20日:近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)との相互乗り入れを廃止。
- 1969年(昭和44年)
- 11月17日:電子計算機を導入し、稼動開始。
- 11月30日:京橋駅が移転高架化。
- 1970年(昭和45年)
- 4月15日:京橋駅ビルに京阪ショッピングモール(現・京阪モール)が開業。
- 5月15日:通勤冷房車(2400系)の営業運転での冷房装置使用開始。
- 11月1日:京阪本線の天満橋駅 - 野江駅間を複々線化。
- 12月22日:日本初の5ドア車両5000系が竣工。京阪電鉄初のアルミ車両。
- 1971年(昭和46年)
- 3月6日:男子寮「黎明寮」竣工。
- 7月1日:京阪電鉄初の冷房付き特急専用車3000系(初代)の運用を開始。
- 1972年(昭和47年)
- 2月2日:寝屋川車両工場竣工。守口車両工場・守口車庫廃止。
- 4月1日:樟葉駅前にくずはモール街が開業。
- 7月1日:鴨川電気鉄道株式会社設立。
- 1973年(昭和48年)
- 3月24日: 京阪レンタサイクル開業(三条、嵐山、宇治、浜大津、京都パレスサイドホテルに営業所開設)。
- 4月2日:子会社として株式会社大山レークホテル設立(1999年10月1日付でホテル京阪に吸収合併)。
- 1974年(昭和49年)
- 2月25日:鴨川電気鉄道が鴨東線の地方鉄道敷設免許取得。
- 8月3日:びわこローズタウンの第一期分譲を開始(向陽地区50区画)。
- 1975年(昭和50年)
- 5月28日:村岡四郎社長死去(6月6日に青木精太郎が社長に就任)。
- 7月1日:社員に対して週休2日制を実施。
- 11月15日: 全車両に「優先座席」を設定。
- 1976年(昭和51年)
- 3月: 駅置きの月刊広報誌『くらしの中の京阪』創刊(2000年4月より『K PRESS』に統合)。
- 9月12日: 京阪本線の守口市駅 - 門真市駅間高架複々線化。
- 11月20日:京阪で初めて駅に点字ブロックを設置(香里園駅)。以後、各駅に順次設置へ。
- 1977年(昭和52年)
- 9月1日:子会社としてホテル京阪設立(資本金5000万円)。
- 11月22日:取締役会で株式配当を年1回から年2回とすることを決議。
- 1978年(昭和53年)
- 3月1日:子会社として京阪ビルサービス(現・京阪カインド)を資本金300万円で設立。
- 3月30日:京阪電鉄初の分譲マンション「ローズマンション藤森」(戸数225)が竣工。
- 3月31日:第1回物上担保附1号転換社債50億円発行。
- 7月30日:京阪本線の門真市駅 - 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。
- 8月8日:2600系電車が運用を開始。
- 9月1日:社員に対して給与振り込み制度を実施。
- 1979年(昭和54年)
- 1月20日:主要12駅に京阪電鉄初の点字運賃表を設置。
- 6月20日:第2回物上担保附1号転換社債50億円発行。
- 8月10日:子会社として京阪建設設立(2008年3月末に京阪エンジニアリングサービスへ合併)。
- 1980年(昭和55年)
- 2月20日:磯島曲線(枚方市駅 - 御殿山駅間)で京都行急行電車が置き石により脱線、転覆する事故が発生(京阪電気鉄道置石脱線事故)。
- 3月16日:京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 - 寝屋川信号所間 12.6 kmが私鉄最長(当時)の複々線区間となる。淀車庫竣工、深草車庫廃止。
- 3月23日:ダイヤ改正で土曜ダイヤを日本で初めて導入。
- 5月28日:最初の『京阪時刻表』を刊行。
- 1981年(昭和56年)
- 4月12日:京津線と石山坂本線の浜大津駅駅舎を統合。
- 12月16日:季刊広報誌『グラフ京阪』創刊。
- 1982年(昭和57年)
- 3月29日:京阪本線の土居駅 - 寝屋川信号所間が高架複々線化工事竣工。淀屋橋駅 - 寝屋川信号所間 14.1 kmの立体交差化が完了。
- 4月1日:適格退職年金制度と社員持ち株制度を導入。
- 1983年(昭和58年)
- 3月17日:6000系電車の運用を開始。
- 4月15日:株式会社京阪百貨店設立。
- 10月1日:大阪水上バス営業開始(同年8月11日に会社設立)。
- 12月4日:京阪本線・宇治線・交野線の架線電圧を直流600 Vから1500 Vに昇圧。
- 1984年(昭和59年)
- 4月1日:京津線ATS設置完了。
- 6月27日:京阪線で弱冷房車を導入。
- 7月29日:6000系が鉄道友の会よりローレル賞を京阪電鉄で初めて受賞。
- 11月12日:子会社として京阪エンジニアリング設立(資本金1千万円)。
- 1985年(昭和60年)
- 4月22日:京阪本線の淀屋橋駅 - 樟葉駅間で朝夕ラッシュ時に8両編成の急行列車を運転開始。
- 4月25日:子会社の若狭湾観光が福井県小浜市に「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業。
- 9月18日:社員女子寮「こがね寮」廃止。
- 10月12日:守口市駅前(旧守口車庫跡地)に京阪百貨店が開業。
- 1986年(昭和61年)
- 4月1日:第4回物上担保附1号転換社債50億円発行。
- 12月1日:全駅で朝夕ラッシュ時に「禁煙タイム」を実施。
- 1987年(昭和62年)
- 2月26日:第1回米ドル建てワラント債7000万ドルを発行。
- 3月9日:資本金200億円を突破。
- 5月24日:京阪本線の東福寺駅 - 三条駅間が地下化(総工費580億円)。
- 12月10日:京阪線で自律分散式列車運行管理システム (ADEC) の使用を全面的に開始。
- 1988年(昭和63年)
- 4月1日:京阪社員へ完全週休2日制を実施。
- 4月11日:子会社の京阪フィッシャーマンズ・ワーフ(1987年8月20日設立)が香川県坂出市与島に「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業。
- 5月18日:第2回米ドル建てワラント債、1億5000万ドルを発行。
- 7月16日:京阪社員の保養所「京阪つるが荘」開設。
- 9月1日:地下線の7駅が終日禁煙化。
- 10月1日:株式事業を三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)へ委託。
- 10月11日:資本金300億円を突破。
- 1989年(平成元年)
- 4月1日:鴨川電気鉄道株式会社を合併。京阪線の車両冷房化率100 %達成。
- 7月4日:電力指令所の更新工事が竣工。
- 9月4日:京阪初のVVVFインバーター制御電車7000系竣工、同月11日より運行開始。
- 9月27日:鴨東線完成に併せたダイヤ改正で京阪線の特急が全て7両編成化(3000系の一部の6両編成に新特急車8000系中間車を組み込む)。
- 10月1日:プリペイドカード「Kカード」の発売を開始。
- 10月5日:鴨川電気鉄道からの継承事業であった鴨東線の三条駅 - 出町柳駅間開業(総工費650億円)。8000系特急用電車運用開始。
- 1990年(平成2年)
- 3月23日:資本金が400億円を超える。
- 4月1日:運輸関係従事者の制服制帽を更新。
- 6月20日:回数乗車券を磁気カード化した「Kカード回数券」発売。
- 1991年(平成3年)
- 7月22日:本社機能を大阪ビジネスパークの「クリスタルタワー」へ移転、業務開始。
- 11月29日:京福電気鉄道の100 %出資子会社であった叡山電鉄の増資分を出資。株式の60 %を取得して筆頭株主となる。
- 1992年(平成4年)
- 2月15日:七条駅 - 出町柳駅の「京都地下駅の色彩計画」が、第7回「公共の色彩賞-環境色彩10選」に選ばれる(主催「公共の色彩を考える会」(財)日本色彩研究所。表彰状のレプリカが三条駅コンコースに設置されている)。
- 5月12日:京阪東ローズタウン街開き。
- 11月5日:第1回スイスフラン建てワラント債、1億スイスフランを発行。
- 1993年(平成5年)
- 2月22日:ユーロ建て普通社債を発行。
- 7月1日:会社組織改編。運輸、まちづくり、流通、ビジターの4つの事業本部制を導入。
- 1994年(平成6年)
- 5月1日:全駅で喫煙所を除き、全面禁煙化。
- 6月13日:黎明寮(男子寮)全面改修竣工。
- 1995年(平成7年)
- 1月17日:阪神・淡路大震災が発生。目立った被害がなかったため午前8時頃から運転を再開。なおこの震災を契機に様々な地震対策や設備の耐震補強が行われる。
- 9月1日:時差割引回数券(オフピークチケット)と土曜休日割引回数券(サンキューチケット)の発売開始。
- 11月1日:Kカード回数券で自動改札を利用可能にすると同時に指定駅のみに認められていた途中下車制度を廃止。
- 12月25日:京阪線の特急専用車に2階建車両を連結開始。
- 1996年(平成8年)
- 2月21日:長期経営計画『ACT21』策定。
- 3月28日:京阪線に地震計測・制御システム導入。
- 9月12日:資本金500億円突破。
- 10月1日:宇治駅が京阪初のグッドデザイン賞を受賞。
- 1997年(平成9年)
- 4月1日:京阪線の駅構内でワゴン販売「プラットボーイ」を開始(同年10月1日にグッドデザイン賞選定)。
- 4月21日:コンビニエンスストア「アンスリー」1号店が樟葉駅構内に開業。
- 7月31日:芙蓉寮(香里女子寮)を廃止。
- 9月30日:石山坂本線の穴太駅 - 坂本駅間が複線化され、鋼索線を除く鉄・軌道線全線の複線化を達成(一部は複々線)。
- 10月12日:京都市営地下鉄東西線の開通に伴い京津線の京津三条駅 - 御陵駅間を廃止。京都市営地下鉄東西線御陵駅 - 京都市役所前駅間に乗り入れ開始。それに伴い乗り入れ対応車800系電車の運行開始。大津線の架線電圧を直流600 Vから1500 Vに昇圧。「京阪電車の冷房車率100 %」と「大津線電車の回生ブレーキ車率100 %」を達成(大津線に在籍していた非冷房車および吊り掛け駆動車両の全廃によるもの)。
- 1998年(平成10年)
- 4月1日:ボランティア休暇制度を新設。
- 4月29日:京阪線の特急専用車への2階建車両連結と8両編成化を完了。
- 10月1日:浜大津アーカスグランドオープン。
- 1999年(平成11年)
- 4月1日:京阪線(鴨東線・宇治線・交野線も含む)でスルッとKANSAI共通磁気カードシステムを導入し、「スルッとKANSAI Kカード」の発売を開始。
- 10月23日:けいはんな公園都市の街開き。
- 12月3日:子会社として京阪エバーナイス社設立。
- 2000年(平成12年)
- 4月1日:開業90周年記念乗車券を発売。
- 4月3日:子会社として京阪ザ・ストア・京阪レジャーサービス設立。
- 6月21日:子会社として京阪電鉄不動産株式会社設立(10月1日付で「まちづくり事業本部」を京阪電鉄不動産へ移管)。
- 7月24日:本社事務所をOMMビルに移転し、業務開始。
- 9月19日:「第1回近畿の駅百選」に宇治駅と坂本駅が認定。
- 9月22日:「ひらかたパーク」がISO14001の認証を受ける(遊園地として日本初)。
- 2001年(平成13年)
- 3月23日:取締役会で中之島新線の建設事業着手を決定。
- 5月9日:鋼索線 初代車両が運行終了。
- 7月11日:鋼索線 2代目車両が運行開始。
- 8月31日:個人向け社債(愛称「おけいはんボンド」)100億円を発行。
- 9月21日:「第2回近畿の駅百選」に萱島駅と枚方市駅が認定。
- 2002年(平成14年)
- 2月19日:『京阪グループ新生計画Re Born21』を発表。同年7月1日計画推進のために組織改正して事業本部制を廃止。
- 3月1日:京津線にも「スルッとKANSAI」システムを導入。
- 3月29日:京福電気鉄道より叡山電鉄の全株式を取得して完全子会社とする。
- 4月15日:交野線・宇治線で10000系電車の運用を開始。
- 6月3日:子会社として京阪ライフサポート設立(10月1日京阪宇治交サービスより営業譲受)。
- 6月15日:使用済み乗車券をリサイクルして作ったお香「チケット セラピー」発売。
- 11月30日:京津線の全列車をワンマン運転化。
- 2003年(平成15年)
- 3月31日:子会社である京阪フィッシャーマンズ・ワーフの全株式を売却。「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」の運営より撤退。
- 5月28日:中之島新線起工式。
- 10月4日:石山坂本線の全列車をワンマン運転化。
- 2004年(平成16年)
- 3月15日:鉄道会社では日本初となる「ISO14001」認証を会社全体で取得。
- 4月 : 京都銀行との共同事業「スーテーションATM『エキバンク』」をスタート。淀屋橋・天満橋・京橋・門真市・寝屋川市・枚方市の6駅に京都銀行のATMを設置。
- 6月18日:子会社である若狭湾観光の全株式を売却、若狭湾での観光船事業「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」の運営より撤退。
- 8月1日:スルッとKANSAI共通ICカードシステムPiTaPa導入(ただし、この時点では大津線には導入されず。また鋼索線は導入対象外)し、「e-kenet PiTaPa」発行。
- 2005年(平成17年)
- 4月1日:比叡山自動車道より「ガーデンミュージアム比叡」の施設を購入、比叡山自動車道へ貸し出す。
- 12月4日:ひらかた大菊人形の歴史に幕が下りる。
- 2006年(平成18年)
- 1月21日:JR西日本のICカードICOCAの利用が可能に(他のPiTaPa導入各社も同時実施)。
- 3月22日:東京証券取引所第一部に上場。
- 2007年(平成19年)
- 4月1日:大津線にもPiTaPaが導入(乗り入れ先の京都市交通局の地下鉄路線も同時導入)され、鋼索線を除く京阪全線でPiTaPaの使用が可能となった。
- 6月16日:全線に早期地震警報システム導入。
- 6月17日:京阪線の列車運行管理システム (ADEC) を更新。
- 9月22日:交野線でワンマン運転開始。
- 2008年(平成20年)
- 1月16日:京都市営地下鉄東西線の路線延長により京津線の乗り入れ区間を京都市役所前駅から太秦天神川駅まで延長。
- 4月15日:新シンボルマークとスローガンを導入。
- 10月1日:子会社の株式会社京阪タクシーシステムズを吸収合併。
- 10月19日:中之島線 中之島駅 - 天満橋駅間が開業。3000系電車(2代)の運用を開始。
- 2009年(平成21年)
- 3月30日:大手町北東急ビル(東京)を購入して「京阪大手町ビル」とし、首都圏での不動産賃貸を開始。
- 6月15日:3000系電車(2代)が鉄道友の会よりローレル賞を受賞(1984年の6000系以来2度目)。
- 8月26日:子会社である京阪福井国際カントリー株式会社(福井県あわら市)の全株式を売却し、運営より撤退。
- 10月1日:子会社の京阪ビルディングと京阪バスシステムズを吸収合併。
- 10月1日:3000系電車(2代)と中之島線の4駅(中之島駅、渡辺橋駅、大江橋駅、なにわ橋駅)がグッドデザイン賞を受賞。
- 12月15日:2010年5月から、JR西日本との間でICOCAによる連絡定期券の販売を、JR西日本の定期券販売箇所で発売し、2011年6月1日より、京阪線でのICOCAの販売および、京阪線のICOCA定期券(JRとの連絡定期券を含む)の販売を開始すると発表。
- 2010年(平成22年)
- 4月15日:開業100周年を迎え、中之島線中之島駅で記念発車式挙行。
- 9月3日:近畿運輸局バリアフリー化推進功労者表彰を受賞。
- 10月1日:タクシー子会社4社(京阪タクシー、宇治京阪タクシー、大阪京阪タクシー、汽船タクシー)の全株式を第一交通産業(北九州市)に売却。京阪タクシーの100 %子会社のトラベル京阪、滋賀京阪タクシー、敦賀京阪タクシーも京阪グループから離脱し、タクシー事業から撤退。
- 10月1日:京阪線で列車防護無線装置の使用開始。
- 2011年(平成23年)
- 5月28日:淀駅の上り線が高架化。
- 6月1日:京阪線各駅でICOCA、およびICOCA定期券(京阪線内定期券、およびJR連絡定期券)を発売。
- 7月25日:経営破綻した林原グループから京都センチュリーホテルを譲受、10月13日株式交換により完全子会社化。
- 8月31日:社団法人海外鉄道技術協会・野村総合研究所との共同で応募した「ベトナムハノイ5号線整備事業準備調査」が採用され本契約成立。
- 10月22日:京阪線で京橋駅 - 七条駅間ノンストップの臨時快速特急「ノンストップ京阪特急」を運行開始。同年12月4日まで運行。2012年春の運行から「洛楽」の愛称が付く。
- 2012年(平成24年)
- 1月27日:イースタン興業の全株式を購入して子会社化。
- 4月14日:京阪線で13000系電車の運用を開始。
- 12月1日:近鉄のICOCAおよびICOCA定期券発売開始に伴い、京阪 - 近鉄の2社連絡・京阪 - JR西日本 - 近鉄の3社連絡(JRは発売せず)の各連絡定期券発売開始(SMART ICOCAはJR西日本のみ、KIPS ICOCAは近鉄のみ取扱い)。
- 2013年(平成25年)
- 3月23日:Kitaca・Suica・PASMO・manaca・TOICA・nimoca・はやかけん・SUGOCAがIC乗車カード全国相互利用開始で利用可能になる。
- 3月31日:京阪線特急専用車8000系30番台(旧3000系)が運用終了。
- 4月:京阪線の全ての編成に列車防護無線装置の設置を完了。
- 6月:京阪線全車両の塗色変更が完了。
- 2014年(平成26年)
- 3月12日:くずはモールの大規模リニューアル工事が完成。
- 10月1日:株式会社ビオ・マーケットを完全子会社化。株式会社京阪エンジニアリングサービスを分社化、商号を京阪ビルテクノサービス株式会社に変更。子会社として株式会社京阪エンジニアリングサービスを設立。
- 12月19日:淀屋橋駅と北浜駅にホーム異常通報装置を設置、全駅への整備が完了。
- 2015年(平成27年)
- 4月1日:持株会社体制移行時に京阪電気鉄道の鉄軌道事業・レジャー事業を継承する子会社として京阪電気鉄道分割準備株式会社を設立。
- 5月29日:株式会社大阪マーチャンダイズ・マートを完全子会社化。
- 12月5日:京阪本線 深草駅(現・龍谷大前深草駅) - 三条駅間と鴨東線でK-ATS使用開始。
- 2016年(平成28年)
- 3月19日:快速特急「洛楽」の定期運転開始。
- 3月24日:淀車庫遊休地に建設していた物流倉庫「京阪淀ロジスティックスヤード」が竣工、同年4月1日より日本通運・つばめ急便が使用開始。
3代・京阪電気鉄道[編集]
- 2016年(平成28年)4月1日:京阪電気鉄道・京阪電鉄不動産・京阪百貨店・ホテル京阪などの各社を直轄する持株会社、京阪ホールディングスに移行。同日付で鉄軌道事業・レジャー事業は会社分割によって京阪電気鉄道分割準備株式会社に継承させた上で同社を京阪電気鉄道株式会社(3代)に商号変更、不動産販売事業は会社分割によって京阪電鉄不動産株式会社に継承、旧京阪電気鉄道を京阪ホールディングス株式会社に商号変更。
- 2017年(平成29年)
- 4月1日:京津線と石山坂本線で「ICOCA定期券」の販売開始。あわせて京阪線でのICOCAによる連絡定期券の発売を阪急電鉄や大阪モノレール・京都市交通局に拡大。
- 5月1日:関西の大手私鉄5社では初めて、電気の購入先を関西電力から新電力のエネットに変更。
- 8月20日:京阪線で有料座席指定特別車両「プレミアムカー」の営業運転、並びに前照灯の終日点灯を開始。
- 8月21日:京阪線で全車両座席指定「ライナー」を平日朝に運転開始。
- 2018年(平成30年)
- 2月 : 2次元レーザーを用いた踏切障害物検知装置の実証実験を京阪線丹波橋通り踏切で開始。2020年6月より本使用開始
- 9月4日 : 台風21号の接近に備え京阪線・大津線全線で計画運休を初めて実施。同月30日にも台風24号の接近に伴い計画運休を実施。
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 3月29日:南海電気鉄道とのIC連絡定期券の発売範囲がJR大阪環状線経由や御堂筋線経由に加えて堺筋線経由にも拡大。
- 6月19日:鋼索線の車両1・2号(2代)をリニューアル。それぞれ「あかね」「こがね」の愛称が付く。
- 10月1日:鋼索線の愛称を「男山ケーブル」から「石清水八幡宮参道ケーブル」に改称。
- 10月31日 : ドライブレコーダーを京阪線・大津線の全編成に設置完了。
- 2020年(令和2年)
- 3月:2次元レーザーを用いた踏切障害物検知装置の本使用を京阪線丹波橋近くの京町踏切で開始。
- 10月27日:京都市北郊への周遊を促す「奥京都MaaS」実証実験を京都市や東日本旅客鉄道(JR東日本)などと協力して開始。
- 12月30日:全線の普通回数乗車券(障がい者割引回数券・通学割引回数券を除く)の発売を終了。
- 2021年(令和3年)
- 1月31日:ダイヤ改定。3000系(2代)にも「プレミアムカー」を導入。駅配布の「ポケット時刻表」を廃止。
- 9月4日:5ドア車両5000系が運用終了。
- 9月25日:ダイヤ改定。テレワークの普及や不要不急の外出自粛、深夜時間帯の利用減少等を踏まえ、運転本数を見直し。最終列車を最大20分程度繰り上げ。
- 2024年(令和6年)夏季:本社を「ステーションヒル枚方」(枚方市駅周辺地区第一種市街地再開発事業第3工区)内の7 - 11階に移転(予定)。