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五十嵐亮太

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五十嵐 亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日 - )は、北海道留萌市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者。

経歴[編集]

夕張市出身で北海道夕張南高等学校のアルペンスキー国体選手だった父親と、留萌市出身の母親との間に留萌市で生まれ、札幌市で育つ。小学4年時に千葉県へ転校。北海道生まれ、千葉県育ち。母親はヤクルトOBで監督も務めた若松勉と留萌中学校の同窓であった。

プロ入り前[編集]

柏井ジャガースで軟式野球を始め、花見川第一中学校へ進学後は千葉北のリトル・シニアに所属。中学時代までは一塁手で、小学校時代に肩を買われ、捕手を経験したこともある。

五十嵐自身は、シニア時代を「打てない、走れない、守れない」「まるでヘボだった」と述懐しており、また同僚も五十嵐がプロ入りしたことに対して意外の感を持っていたことを後年になって明かしている。

敬愛学園高等学校進学後は、五十嵐の鉄砲肩を見抜かれ、投手へ転向。なお、シニア時代の監督は五十嵐が高校に進学した際は捕手にする意向であったという。当初はストレートとカーブしか投げることができなかったが、高校2年の夏にはすでに球速が140km/h近くまで伸びた。

3年夏の千葉大会は5回戦で敗退したものの、県内屈指の豪腕投手として名を馳せ、1997年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから2位指名を受け入団した。背番号は53

選手としての特徴[編集]

NPB、MLB、マイナーリーグなどの生涯登板数は1000をこえるがプロ入り後における公式戦の登板はすべてリリーフ登板である(メキシコウィンターリーグで5試合の先発登板を経験)。

ヤクルト時代は平均球速約151 km/h、当時の日本記録の最速158 km/hを記録したストレートを武器にセ・リーグの速球王として人気を博し、同僚の石井弘寿と共にロケットボーイズの愛称で呼ばれた。リリーフ登板のみで前半戦11勝を記録した2000年を始め、勝ち星に恵まれたシーズンが多く、スワローズの公式ホームページでは「勝利の女神が惚れた男」というキャッチフレーズを付けられたこともある。メジャーでは記録した5勝すべてが、1/3回の投球での勝利という幸運ぶりであった。

スリークォーターから平均球速約93 mph(約150 km/h)、マイナーリーグで自己最速99 mph(約159 km/h)と抜群のスピードを誇る速球(フォーシーム、ツーシーム)と平均球速約86 mph(約138 km/h)のSFF気味のフォークを武器とし、日本での通算奪三振率9.95と奪三振が多い。一方で4球連続ボールを与えることがシーズンで10回以上ある。

2005年以前は投球割合の7 - 8割を速球が占めていたが、2006年には速球の投球割合が減り、故障から復帰した2008年からはフォークの投球割合が約4割となる。2010年には投球割合のほとんどを占めてきたストレートとフォークの他に、フォークとほぼ同じ割合でナックルカーブを交えるようになり、2011年には握りを深くして落差を大きくしたフォークとスライダーも交えるようになった。ソフトバンク移籍後はストレートは平均球速約148 km/hを記録し、変化球はフォークの比率が下がった分ヤンキース時代に習得したナックルカーブやカットボールを使うようになった。

担いで腕を押し出すようにして投げる独特のピッチングフォームであり、クイックも1.1秒台前半と速い。敢えて腕を畳んだまま最小の半径で腕を振ることが、爆発的な速球を生み出す源になっているという。

現役時代に室伏広治からは体の使い方を教わり、上半身を活かすために下半身を使うことの重要性を説かれ、投球でも腕は自分から「振る」ものではなく結果として下半身に「振れる」ものだと自覚した。

本人は引退後、日本球界時代の担当キャッチャーであった古田敦也がストライクも満足に入らなかった制球力であった若手時代に敢えてノーコンを注意せずに持ち味を伸ばしてくれたことが速球派投手として大成した要因であるとしている。

その他[編集]

家族・交流[編集]

妻は横浜ベイスターズのマスコットガールをしていた。2人の間には2003年に生まれた娘と2007年に生まれた息子がいる。

ブログ・インタビューなどで度々チームや日本野球への愛着を述べていて、メジャー移籍願望を否定していたが、FA権を取得した際には将来のメジャー移籍も選択肢のひとつと語った。

端正な顔立ちでアイドル歌手グループSMAPの木村拓哉に顔が似ているとされ、『球界のキムタク』という異名を持つ。『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)出演時にて語ったエピソードによれば、妻と買い物に行った際、他人とエスカレーターですれ違うときに「(横にいるのが)静香(工藤静香)じゃない!」と言われたこともあったという。ただ、本人は常に似ていないと言っている。『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)に古田敦也と共に出演した後、実際に木村拓哉と対面も果たしている。

ネルソンズの大ファンである。

スワローズマン[編集]

2008年のオフに「五十嵐の親友」を名乗る覆面男「スワローズマン」が出現した。オフの間、五十嵐のトレーニングを手伝うつもりで北海道の留萌からやって来たという。覆面レスラーU.M.Aからプレゼントされたスワローズデザインのマスクを2007年のファン感謝デーにかぶって登場したことから誕生したキャラクターだが、その正体は五十嵐本人であった。なお、スワローズマンは一時期ブログを開設していた(現在は閉鎖)。

2009年オフの五十嵐のメジャー挑戦を期に、メキシコでのプロレス挑戦を宣言し活動休止となった。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

四 球

丨 ブ

丨 ル ド

球 回

安 打

本 塁 打

四 球

死 球

三 振

丨 ク

責 点

御 率

W

H I P

1999 ヤクルト 36 0 0 0 0 6 4 1 -- .600 207 47.2 34 4 29 0 1 59 3 1 27 26 4.91 1.32
2000 56 0 0 0 0 11 4 1 -- .733 301 75.1 42 11 33 3 1 90 6 0 28 26 3.11 1.00
2001 41 0 0 0 0 2 3 0 -- .400 180 41.2 25 2 28 2 2 51 1 0 13 12 2.59 1.27
2002 64 0 0 0 0 8 2 4 -- .800 300 78.0 49 8 18 2 3 97 8 0 19 18 2.08 0.86
2003 66 0 0 0 0 5 5 0 -- .500 310 74.0 60 9 33 2 1 83 7 1 33 32 3.89 1.26
2004 66 0 0 0 0 5 3 37 -- .625 313 74.1 57 9 36 5 1 86 4 0 24 22 2.66 1.25
2005 49 0 0 0 0 3 2 4 11 .600 246 56.2 52 6 27 2 1 60 6 0 24 22 3.49 1.39
2006 29 0 0 0 0 1 2 1 1 .333 119 25.0 33 3 11 1 2 18 4 0 20 17 6.12 1.76
2008 44 0 0 0 0 3 2 3 12 .600 171 43.2 35 3 6 0 2 42 3 0 13 12 2.47 0.94
2009 56 0 0 0 0 3 2 3 29 .600 221 53.2 42 3 20 1 3 44 1 0 19 19 3.18 1.16
2010 NYM 34 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 135 30.1 29 4 18 1 0 25 3 0 24 24 7.12 1.55
2011 45 0 0 0 0 4 1 0 2 .800 190 38.2 43 2 28 2 4 42 3 0 20 20 4.66 1.84
2012 TOR 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 1.0 5 0 2 0 0 2 0 0 4 4 36.00 7.00
NYY 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.0 4 0 3 0 0 3 0 0 4 4 12.00 2.33
'12計 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 26 4.0 9 0 5 0 0 5 0 0 8 8 18.00 3.50
2013 ソフトバンク 51 0 0 0 0 3 3 12 11 .500 214 53.1 38 1 18 0 1 58 1 1 17 15 2.53 1.05
2014 63 0 0 0 0 1 3 2 44 .250 226 59.1 33 0 18 0 1 71 4 1 11 10 1.52 0.86
2015 54 0 0 0 0 3 1 2 31 .750 203 52.0 31 1 15 1 4 59 3 0 8 8 1.38 0.88
2016 33 0 0 0 0 0 1 0 7 .000 123 27.1 23 3 14 1 4 27 2 0 11 11 3.62 1.35
2017 46 0 0 0 0 6 0 0 11 1.000 170 41.2 20 2 21 0 3 28 2 0 8 8 1.73 0.98
2018 23 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 94 20.0 23 2 11 0 0 14 2 0 11 10 4.50 1.70
2019 ヤクルト 45 0 0 0 0 5 1 0 4 .833 193 42.1 35 4 24 1 3 33 3 1 19 14 2.98 1.39
2020 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
NPB:18年 823 0 0 0 0 65 39 70 *163 .625 3592 866.1 632 71 362 21 33 920 60 5 305 282 2.93 1.15
MLB:3年 83 0 0 0 0 5 2 0 4 .714 351 73.0 81 6 51 3 4 72 6 0 52 52 6.41 1.81
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別守備成績[編集]

投手(P)

備 率

1999 ヤクルト 36 1 5 0 0 1.000
2000 56 2 6 1 0 .889
2001 41 1 3 1 0 .800
2002 64 5 6 0 2 1.000
2003 66 4 11 0 3 1.000
2004 66 5 8 1 1 .929
2005 49 7 7 0 0 1.000
2006 29 2 1 0 0 1.000
2008 44 1 7 0 0 1.000
2009 56 2 10 0 0 1.000
2010 NYM 34 1 2 2 0 .600
2011 45 1 9 0 0 1.000
2012 TOR 2 0 0 0 0 ----
NYY 2 1 1 0 0 1.000
'12計 4 1 1 0 0 1.000
2013 ソフトバンク 51 1 8 0 0 1.000
2014 63 1 15 0 0 1.000
2015 54 3 9 2 0 .857
2016 33 3 6 0 0 1.000
2017 46 0 5 0 0 1.000
2018 23 1 4 0 0 1.000
2019 ヤクルト 45 4 8 1 0 .923
2020 1 0 0 0 0 ----
NPB 823 43 119 7 6 .959
MLB 83 3 12 2 0 .882

タイトル[編集]

NPB
  • 最優秀救援投手:1回(2004年)

表彰[編集]

NPB
  • 月間MVP:2回(投手部門:2004年7月、2014年7月)
  • 最優秀バッテリー賞:1回(2000年 捕手:古田敦也) ※同受賞バッテリーでは史上最大の年の差
  • ファーム日本選手権MVP:1回(1998年)

記録[編集]

NPB初記録
  • 初登板:1999年4月20日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)、12回表に3番手で救援登板、1/3回3失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、12回表に山崎武司から見逃し三振
  • 初勝利:1999年5月27日、対横浜ベイスターズ9回戦(明治神宮野球場)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初セーブ:1999年10月3日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初ホールド:2005年5月21日、対オリックス・バファローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回表二死に4番手で救援登板、1回1/3を無失点
NPB節目の記録
  • 500試合登板:2009年8月29日、対中日ドラゴンズ20回戦(明治神宮野球場)、9回表に2番手で救援登板、1/3回無失点 ※史上84人目
  • 600試合登板:2014年8月3日、対北海道日本ハムファイターズ14回戦(札幌ドーム)、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点 ※史上37人目
  • 100ホールド:2014年8月28日、対北海道日本ハムファイターズ20回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点3奪三振 ※史上16人目
  • 700試合登板:2016年8月28日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、8回表に5番手で救援登板、2/3回1失点 ※史上15人目
  • 800試合登板:2019年5月28日、対広島東洋カープ9回戦(明治神宮野球場)、5回表に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上7人目
NPBその他の記録
  • 1球勝利投手:2006年5月2日、対広島東洋カープ4回戦(明治神宮野球場)、9回表二死に新井貴浩を一邪飛 ※史上21人目(セ・リーグ12人目)
  • オールスターゲーム出場:6回(2000年、2002年 - 2005年、2014年)
  • 初登板からの連続救援登板:823 ※NPB記録
  • 1イニング4押し出し四球:2014年9月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の7回表に嶋基宏、枡田慎太郎、岩﨑達郎、西田哲朗から ※史上5人目、60年ぶりNPBタイ記録
NPB/MLB通算節目の記録
  • 900試合登板:2019年8月8日、対阪神タイガース17回戦(明治神宮野球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回2失点

ウィンターリーグでの投手成績[編集]

四 球

丨 ブ

丨 ル ド

球 回

安 打

本 塁 打

四 球

死 球

三 振

丨 ク

責 点

御 率

W

H I P

2011-2012 ヒガンテス 11 0 0 0 0 0 0 3 -- ---- 48 10.2 11 0 4 0 1 14 0 0 5 4 3.38 1.41
2016-2017 クリアカン 7 5 0 0 0 3 2 0 -- .600 142 37.1 23 2 9 0 1 49 3 0 10 8 1.93 0.86
LIDOM:1年 11 0 0 0 0 0 0 3 -- ---- 48 10.2 11 0 4 0 1 14 0 0 5 4 3.38 1.41
LMP:1年 7 5 0 0 0 3 2 0 -- .600 142 37.1 23 2 9 0 1 49 3 0 10 8 1.93 0.86

背番号[編集]

  • 53(1998年 - 2009年)スワローズ
  • 18(2010年 - 2011年)メッツ
  • 17(2012年 - 同年3月30日)パイレーツ
  • 56(2012年5月25日 - 同年5月27日)ブルージェイズ
  • 43(2012年6月7日 - 同年6月10日)ヤンキース
  • 41(2012年6月28日 - 同年6月29日)ヤンキース
  • 53(2012年8月12日 - 2020年)ヤンキース、ホークス、スワローズ

登場曲[編集]

  • 「希望の轍」サザンオールスターズ(2013年)
  • 「Skull And Crossbones (海賊の印)」Klaus Badelt(2013年 - 2016年、2018年 - )
  • 「Sandstorm」ダルード(2017年 - )
  • 「Feel Invincible」Skillet(2017年)

関連情報[編集]

TV[編集]

  • 「追跡LIVE! Sports ウォッチャー」→「みんなのスポーツ Sports for All」(2021年 - 2023年、テレビ東京)
  • 「ひるおび」(2022年〜、TBS)
  • 「news every」(2022年〜、日本テレビ)
  • 「S☆1」(2022年、TBS)
  • 「ワースポ×MLB」(レギュラー出演:2022年〜、NHK BS1)
  • なお、WBCなど侍JAPAN関連や大谷翔平関連の話題がある時は、上記以外のテレビ局の番組(ワイドショーや情報番組等)に出演する場合もある。

テレビドラマ[編集]

  • 「八月は夜のバッティングセンターで。」第4話(2021年7月29日、テレビ東京)本人 役

ラジオ[編集]

  • REAL SPORTS(2021年4月3日 - 2022年3月26日・InterFM897 → 2022年4月1日 - ・JFNC、FUTURES金曜)


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