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中山競馬場

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中山競馬場(なかやまけいばじょう、英:Nakayama Racecourse)は、千葉県船橋市(一部市川市)にある中央競馬の競馬場。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。日本の4大競馬主場(中山競馬場、東京競馬場、阪神競馬場、京都競馬場)の一つ。競馬ファンの間では単に中山でも通用する。

有馬記念(GI)が有名で国際セリ名簿基準書においては平地競走の最上位であるパートI。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した「世界のトップ100GIレース」では2020年世界第10位、日本国内第4位に位置付けられている(ジャパンカップが世界第3位、日本第1位)。

1レースの売上過去最高額は1996年の有馬記念で約875億円となりギネス世界記録に登録されている。GI競走は有馬記念のほか皐月賞やスプリンターズステークス、ホープフルステークスが開催される。

概要[編集]

中山競馬の起源は1907年(明治40年=開催年)に千葉県東葛飾郡明村大字岩瀬(現在の松戸市大字岩瀬)に作られた松戸競馬場(運営は総武競馬会から松戸競馬会倶楽部)が前々身にあたる。松戸競馬会倶楽部は1919年(大正8年)8月10日に陸軍省からの競馬場地の買収申し込みを受け入れ、東葛飾郡中山村大字若宮(現:市川市若宮)へ移転した。

中山村に移転した1920年(大正9年)には中山競馬倶楽部と名称が改められ、1927年(昭和2年)に少し北東側の東葛飾郡葛飾村大字古作(現:船橋市古作)に馬場が移された。その後、1937年(昭和12年)に日本競馬会(現在の日本中央競馬会)へ統合、中山競馬場として発足し現在へ至る。移転後の初開催は1920年(大正9年)3月12日である。

中山競馬は千葉県における観光事業の1つとなっており、1930年(昭和5年)には図-1のような観光地図も作られた。

1940年(昭和15年)に開催される予定であった東京オリンピックでは馬事公苑や東京競馬場とともに馬術競技で使用されることとなっていたが、日中戦争の影響で中止となった。

歴史的には、東京競馬場の東京優駿(日本ダービー)に対抗する競走を設けることが長い間中山競馬の念願であった。周辺の地形が起伏に富んだ地形であり、それを生かして障害コースが設けられ、そこを舞台に中山大障害が開催された。さらに、第2代理事長有馬頼寧によって中山グランプリ(現在の有馬記念)が創設された。今では年末の風物詩となっている。

アメリカのローレルパーク競馬場と提携を結んでおり、ローレル競馬場賞中山牝馬ステークスが施行されている。

2018年(平成30年)には、90周年を記念しスタンド施設を中心とした大規模リニューアル改装を実施している。同年12月1日より、駅連絡地下通路(ナッキー・モール)がリニューアルオープンするとともにグランプリガーデンが新規オープンした。スタンド1階にはチャイルドコーナー・ベビーコーナーが設けられており、プレイマットスペースや授乳室、おむつ替えベッドなどを備えている。また、65歳以上の方が入場できるシニアサロンも用意されている。

年末にはクリスマスのイルミネーションやプロジェクションマッピングなどが施される。特に高さ20メートルのヒマラヤスギを使ったクリスマスツリーは、生きた樹木のクリスマスツリーとしては日本国内最大級である。他の見所としてはパドック近くに建てられたハイセイコーの像がある。ベンジャミンプラザ(地下1階)には、インフォメーションをはじめ、カフェやショップが併設している。

沿革[編集]

「中山」の名称の由来は、移転当初、施設の大部分が千葉県東葛飾郡中山村(後に中山町となり1934年(昭和9年)11月3日に市川市へ編入、残りは葛飾村に属し1937年(昭和12年)4月1日に船橋市へ編入)に属していたことに由来する。現在地には1927年(昭和2年)10月に建設が決定され、1930年(昭和5年)に開設された。

  • 1906年(明治39年)- 松戸競馬倶楽部が松戸競馬場を開設(開催は翌年の1907年)。
  • 1918年(大正7年)- 陸軍工兵学校の開校に伴い、船橋移転、中山競馬倶楽部と改正。行徳海岸に競馬場を整備し始める。
  • 1923年(大正12年)- 関東大震災の大津波で、完成間際の競馬場が壊滅的な打撃を受け、現在の船橋市古作へ移転。
  • 1928年(昭和3年)- 現在の中山競馬場にて移転後、最初のレースが行われる。
  • 1942年(昭和17年)- 競馬開催中にドーリットル隊による日本本土初空襲が行われる。
  • 1943年(昭和18年)- 閣議決定で、競馬開催の一時停止が実施される。
  • 1944年(昭和19年)- 中山競馬場が閉鎖、陸軍に接収され陸軍軍医学校中山出張所(血清ワクチンの製造工場参考)、立川航空隊(軍需品集積所)、東部第5部隊駐留地、軍管轄の自耕農場などとして活用される。
  • 1945年(昭和20年)- 戦時中の食糧難のためほぼ全面が畑になり麦やカボチャ、その他様々な野菜などが植えられていた
  • 1946年(昭和21年)- 陸軍軍医学校中山出張所の血清製造工場が千葉県に貸与され、千葉県血清研究所となったが、進駐軍の農場として接収されたため、移転。
  • 1947年(昭和22年)- 米軍から返還、中山競馬場として再開する。
  • 1954年(昭和29年)- 日本中央競馬会中山競馬場となる。
  • 1956年(昭和31年)- 観覧スタンド改築第一期完成。国内の競馬場では初めて観客席側に柱を付けない大屋根構造を採用した。
  • 1960年(昭和35年)- 観覧スタンド改築第二期完成。
  • 1966年(昭和41年)- ダートコースが新設。
  • 1974年(昭和49年)中山競馬場の厩舎数や在籍馬数は徐々に増え、この年には馬房を貸し付けられている調教師の人数は中山競馬場と白井分場を合わせて46人(JRA全体で162人。またこの人数とは別に馬房貸付されていない調教師がJRA合計で23人いる。)馬房数は定期貸し付け馬房と出張馬房の合計で中山が885馬房・白井が232馬房の計1117馬房、預託契約頭数はサラ系が中山白井合計で1030頭、アラブ系が26頭の合計1056頭。中山競馬場と白井分場の合計総馬房数1117に対し38馬房貸し付けられている調教師がいるのに対し8馬房しか貸付されていない調教師もいるなど厩舎ごとの規模の差は現在より大きかった。この年までに栗東トレーニングセンターはすでに開業していたが美浦トレーニングセンターは造成中である。
  • 1976年 (昭和51年) 6月、28端末の複合投票券(ユニット馬券)システムを導入。
  • 1978年 (昭和53年) 3-4月、中山競馬場内にあった厩舎は新設された美浦トレーニングセンターに移動した。中山競馬場所属の調教師や厩務員なども移転した。1977年、中山競馬場には885の馬房があったが常駐していた馬はすべて美浦に移動。1982年には馬房の数は270に減り、それは出張馬房として使われた。
  • 1985年(昭和60年)- 新スタンド「クリスタルコーナー」が増築される。
  • 1988年(昭和63年) - 現メインスタンド改築着工。
  • 1990年(平成2年)- 現メインスタンド竣工。
  • 2011年(平成23年)
    • 東日本大震災により、3月12日から4月17日までの開催を中止。これに伴い、皐月賞が4月24日に東京競馬場での開催となった。
    • なおこれに付随して中山競馬場で当初予定されていた重賞競走のうち、日経賞、スプリングステークス、ニュージーランドトロフィーは阪神競馬場に移設。更に出走馬のローテーション間隔の確保の観点から、当初3月20日で終える予定だった小倉競馬場の開催を4月17日まで延長する処置を取った。
    • 第2回福島競馬開催期間にあたる6月18日(土)から7月10日(日)を、第3回中山競馬として施行した。
  • 2014年(平成26年) メインスタンドなどの改修工事を1年間かけて行う。そのうち、9月には検量室付近の工事が行われるため、例年の4回中山開催は中止し、新潟競馬場へ振替開催するほか、競走馬を身近に感じられる環境を提供するため、パドックと競走トラックコースを結ぶ「馬のハナミチ」を整備、さらにそれに付随したウィナーズサークルや検量室エリアの拡充工事をするため、これまで観客に開放してきた「クリスタルコーナー」のファンエリアについては1月に行われる2014年度第1回中山競馬の開催終了をもって閉鎖し、以後同コーナーの建物は業務エリアとして利用する。
  • 2020年(令和2年) - 第2・3・4回開催の全日はCOVID-19の感染拡大防止のため「無観客競馬」として実施。
  • 2021年(令和3年) - 第1回開催の2~8日、第2回開催の全日、第3回開催の1・2日はCOVID-19の感染拡大防止のため「無観客競馬」として実施。


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