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中央大学

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中央大学(ちゅうおうだいがく、英語: Chuo University)は、東京都八王子市東中野742-1に本部を置く日本の私立大学。1885年創立、1920年大学設置。大学の略称は主に中大(ちゅうだい)。

概観[編集]

大学全体[編集]

1885年(明治18年)7月8日に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら18人の法律家により英吉利法律学校として設立され、この日が創立記念日となっている。尚、6月27日に東京府知事に最初の出願を行ったが書類不備で下げ戻しとなっている。当初は英国法に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。1905年(明治38年)8月に経済学科の設置によって中央大学と改称、1920年(大正9年)に日本の私立大学では同年大学に昇進した慶應義塾大学・早稲田大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。 2015年11月に中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定、法学部を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部・国際情報学部を設置。2021年度までに、多摩キャンパスにおいて新棟(グローバル館・国際教育寮、Forest Gateway Chuo)を整備した。また、2023年に法学部と法学研究科を新設の茗荷谷キャンパスへ、同年に法科大学院とビジネススクールを駿河台キャンパスへ、それぞれ移転した。

法学部は「法科の中央(中央の法科)」とも呼ばれ、日本の私立大学を代表する法学部として名高く、これまで法曹界、官界、政界、財界、ジャーナリズム界をはじめとして幅広い分野に多くの人材を輩出してきた。また、商学部、経済学部も1970年代初頭まで公認会計士試験試験で一位を保持していたほか、財界、会計士界を中心に数多くの人材を輩出してきた。

建学の精神(校訓・校是)[編集]

英吉利法律学校設立時の建学の精神は實地應用ノ素ヲ養フであり、これをもとに建学の精神と学風をまとめて現在では個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風という表現にしている。また質実剛健を校是としている。さらに、2010年の創立125周年に際して行動する知性。-Knowledge into Action-というユニバーシティ・メッセージを定めている。

教育および研究[編集]

創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でもインターンシップなどの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に209校の派遣留学協定大学がある。

通信教育課程[編集]

通信教育部は、法学部の通信教育課程の実施に当たる組織であり、通信教育課程そのものは法学部に属する。 戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)により、イギリスの University of London International Programmes(ロンドン大学通信教育課程)にならって、日本においても通信教育の制度を行うことが推奨され設置された。 公益財団法人私立大学通信教育協会に加盟し、大学本部のある多摩キャンパスに事務局がある。

大学通信教育の嚆矢と見なされているのは、英吉利法律学校が1885年(明治18年)の創設時に、通学できない人々のために講義録を郵送する校外生制度であるとされる。 現在では、通年スクーリングや地方スクーリングなども行われている。

なお、卒業までの平均学習年数は、1年生から入学した場合6年 - 8年、3年生からの編入学は4年 - 6年で、卒業率は7%程度(4年次以上の在籍者数のうち、卒業者数の占める割合)となっている。

名古屋にある中京法律専門学校が提携校となっており、専門学校に在籍しながら、ダブルスクールで中央大学法学部通信教育課程の卒業も目指すことができる。

沿革[編集]

略歴[編集]

1885年(明治18年)に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら当時の青年法律家有志18名によって英吉利法律学校として創立された。

年表[編集]

  • 1884年(明治17年)7月 - 増島六一郎がイギリスから帰国。
  • 1885年(明治18年)
    • 4月 - 東京府神田区神田錦町の明治義塾跡地を三菱から購入。
    • 6月 - 27日に英吉利法律学校設置を東京府知事に出願したものの書類不備で下げ戻し。
    • 7月 - 8日に英吉利法律学校設置を東京府知事に再出願(現在の創立記念日)、11日に英吉利法律学校設置認可。
    • 9月 - 英吉利法律学校開校。初代校長増島六一郎、初代幹事渋谷慥爾が就任。
    • 10月 - 講義録の刊行開始(校外生制度のはじまり)。
  • 1886年(明治19年)
    • 7月 - 第1回卒業式を挙行。
    • 12月 - 私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など五大法律学校が帝国大学特別監督下に入る。
  • 1888年(明治21年)
    • 3月 - 五大法律学校連合大討論会に参加。
    • 10月 - 校友会を結成(翌年院友会と改称)。
  • 1889年(明治22年)
    • 1月 - 煉瓦造2階建て新校舎が完成。『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。
    • 10月 - 東京法学院と改称。杉浦重剛の東京文学院・樫村清徳の東京医学院とともに東京学院連合構想を公表。
  • 1891年(明治24年)4月 - 『法学新報』創刊。増島六一郎院長辞任。
  • 1892年(明治25年)
    • 4月 - 神田大火により校舎を全焼。
    • 5月 - 第3回帝国議会に民法・商法施行延期法案上程。
    • 12月 - 同議会で民法・商法施行延期法案可決。
  • 1893年(明治26年)12月 - 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。
  • 1894年(明治27年)1月 - 第1回訴訟実習会(模擬裁判)を開催。
  • 1896年(明治29年)
    • 8月 - 高等法学科開設。特待生および貸費生の制度を設ける。
    • 9月 - 外国人留学生がはじめて入学する。
  • 1897年(明治30年)8月 - 海外留学生制度を創設(1899年最初の留学生を派遣)。
  • 1901年(明治34年) - 生徒練弁会(のちの辞達学会)発足。
  • 1902年(明治35年)9月 - 実習科を開設。
  • 1903年(明治36年)8月 - 東京法学院大学と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。学長制を新設し、菊池武夫が就任。
  • 1905年(明治38年)
    • 8月 - 中央大学と改称。経済学科を開設。中央高等予備校を設立。
    • 9月 - 創立20周年記念講堂竣工。
    • 11月 - 院友会を学員会と改称。
  • 1909年(明治42年)9月 - 商業学科開設。
  • 1910年(明治43年)
    • 2月 - 新聞研究科を開設
    • 11月 - 創立25周年記念増築校舎竣工。
  • 1911年(明治44年)9月 - 中央大学学友会を結成。
  • 1913年(大正 2年)8月 - 本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科、経済学科を経済科、商業学科を商科と改称。
  • 1917年(大正6年)
    • 5月 - 失火のため再び校舎・図書館を全焼、奥田文庫(ビルクマイヤー文庫)を失う。
    • 7月 - 中央大学同窓而立会発足。
  • 1918年(大正7年)
    • 5月 - 予科の修業年限を2年に延長する。
    • 8月 - 再築校舎竣工。
  • 1919年(大正8年)
    • 5月 - 学校組織を社団法人から財団法人に改める。
    • 12月 - 中央大学設立認可申請を行う。
  • 1920年(大正9年)
    • 3月 - 中央高等予備校廃止。
    • 4月 - 中央大学、大学令により設立認可。法学部・経済学部・商学部、大学院、大学予科を設け、予科を第1部(法・経済)・第2部(商)に分ける。
    • 6月 - 予科校舎竣工。
  • 1921年(大正10年)9月 - 学位規程と教員会規則認可。
  • 1922年(大正11年)5月 - 図書館再建。
  • 1923年(大正12年)
    • 4月 - 大学令による中央大学最初の卒業式を挙行。増築校舎竣工。
    • 9月 - 関東大震災により図書館と増築校舎を除き焼失。
    • 11月 - 授業再開。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月 - 専門部の昼間授業開始。
    • 5月 - 専門部が高等学校大学予科と同等以上と指定される。
    • 6月 - 駿河台南甲賀町の戸田氏共伯爵邸地を大学移転用地として購入。
  • 1926年(大正15年)8月 - 駿河台校舎完成(錦町校舎は電機学校に売却)。
  • 1929年(昭和4年)4月 - 夜間第二予科を開設。
  • 1930年(昭和5年)4月 - 中央大学野球部発足。
  • 1931年(昭和6年)
    • 4月 - 夜間学部開設。五大学野球連盟(東都の前身)結成。
    • 大学令によって義務づけられた供託金納付(70万円)完了。
  • 1932年(昭和7年)10月 - 中央大学法学会主催の刑法学講演会が発端となって滝川事件が起こる。
  • 1933年(昭和8年)6月 - 秋元春朝子爵邸地を購入。
  • 1935年(昭和10年)
    • 4月 - 天皇機関説事件により講師の美濃部達吉辞職。
    • 8月 - 創立50周年記念講堂(のちの3号館)完成(旧秋元邸跡地)。
    • 11月 - 創立50周年記念式典を挙行(梨本宮台臨)。
  • 1938年(昭和13年)5月 - 練馬運動場開設。
  • 1940年(昭和15年)
    • 7月 - 西園寺公望公爵邸地を購入。
    • 10月 - 高文試験司法科で中央大学関係者が71名合格、初めて第1位となる。
  • 1941年(昭和16年)9月 - 中央大学報国隊を結成。
  • 1942年(昭和17年)9月 - 学友会を中央大学奉公団に改組。
  • 1943年(昭和18年)10月 - 出陣学徒壮行会を挙行。
  • 1944年(昭和19年)
    • 4月 - 中央工業専門学校(機械科・航空機科)設立。
    • 6月 - 『法学新報』休刊(1947年復刊)。
  • 1945年(昭和20年)
    • 10月 - 終戦により授業再開。
    • 11月 - 中央工専の航空機科廃止、工業物理科設置。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 女子学生3名が初めて入学。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 旧制予科・専門部の学生募集停止。通信教育部開設。
    • 12月 - 経理研究所開設。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月 - 新制大学1部法・経済・商・工学部(土木工学・精密工学・電気工学・工業化学科)開設、2部法、経済学部開設。中央工業専門学校廃止。
    • 6月 - 日本比較法研究所開設。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月 - 旧制学部の学生募集停止。
    • 8月 - 現校歌「草のみどり」を制定。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月 - 旧制専門部廃止。工学部用地として文京区小石川町の8,043坪(現・後楽園キャンパス)を購入。
    • 4月 - 文学部開設(1部文学科・史学科・2部文学科)。 同和鉱業ビルを購入(水道橋校舎)。新制大学院修士課程に法学研究科民事法・刑事法・政治学・英米法専攻、経済学研究科に経済学専攻・商学研究科に商学専攻を開設。
    • 12月 - 工学部が水道橋校舎へ移転。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月 - 旧制学部最後・新制学部最初の卒業式を挙行。
    • 4月 - 文学部、工学部教養課程、後楽園キャンパスで授業開始。
  • 1954年(昭和29年)
    • 7月 - 旧千代田区立駿河台図書館を購入。
    • 通信教育部が後楽園キャンパスに移転。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 大学祭を白門祭と改称して開催。
  • 1958年(昭和33年)8月 - 駿河台校舎本館(1号館)完成。
  • 1959年(昭和34年)7月 - 聖橋通り沿いに駿河台校舎正門(いわゆる白門)完成。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 由木村校地(現在の多摩校地)購入開始(67年まで)。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月 - 旧制中央大学廃止。
    • 4月 - 工学部を理工学部に改組。
  • 1963年(昭和38年)5月 - 創立80周年記念事業の一環として、理工学部校舎竣工。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 駿河台4号館完成。
    • 6月 - 経済研究所開設。
    • 8月 - 駿河台5号館完成。文学部が後楽園キャンパスから移転。
  • 1965年(昭和40年)12月 - 建設中の学生会館の管理運営方法をめぐって学生と大学側が対立(中大紛争の発端)。
  • 1966年(昭和41年)5月 - 評議員会で教養課程と体育施設の多摩校地への移転方針を決議。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 駿河台中央図書館完成。
  • 1969年(昭和44年) - 学費値上げ反対運動で自治会の要求が通る。全共闘運動で全国でも珍しく学生が勝利。
  • 1973年(昭和48年)12月 - 評議員会で法・経・商・文学部の昼間部の多摩校地への移転方針を決議
  • 1976年(昭和51年)8月 - 駿河台校舎の大正海上火災保険への売却決定。
  • 1977年(昭和52年)11月 - 多摩キャンパス完成。
  • 1978年(昭和53年)4月 - 文系4学部、多摩キャンパスで授業開始。
  • 1979年(昭和54年)4月 - 社会科学研究所、企業研究所、人文科学研究所、保健体育研究所開設。
  • 1980年(昭和55年)3月 - 駿河台校舎完全閉鎖、後楽園キャンパスに8号館竣工。
  • 1985年(昭和60年)11月 - 創立100周年記念式典。
  • 1988年(昭和63年)11月 - 駿河台記念館落成式典。
  • 1992年(平成4年)7月 - 理工学研究所開設。
  • 1993年(平成5年)4月 - 総合政策学部 (政策科学科、国際政策学科) 開設。
  • 1996年(平成8年)4月 - 政策文化総合研究所開設。
  • 1999年(平成11年)12月 - アジア経済研究所の旧庁舎を購入。翌年4月から市ヶ谷キャンパスとして大学院の授業を開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月 - 多摩モノレール中央大学・明星大学駅開業。
    • 4月 - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部募集停止。法学部・商学部・総合政策学部でフレックス制開設。
  • 2001年(平成13年)4月 - 文学部2部募集停止。
  • 2002年(平成14年)4月 - 文学部に中国言語文化学科を設置。国際会計研究科(会計大学院;アカウンティングスクール)開設。
  • 2003年(平成15年)4月 - Faculty-Linkage Program(FLP)プログラム開設、創立125周年記念事業として後楽園キャンパスに新3号館竣工。
  • 2004年(平成16年)4月 - 法務研究科(法科大学院;ロースクール)開設。
  • 2005年(平成17年)4月 - 公共政策研究科(公共政策大学院)開設。総合政策学部フレックス制廃止。
  • 2007年(平成19年)3月 - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部廃止。商学部フレックス制廃止。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月 - 文学部2部廃止。
    • 4月 - 理工学部に生命科学科を設置、戦略経営研究科戦略経営専攻(経営大学院;ビジネススクール)を開設、FLPに地域・公共マネジメントプログラムを開設。
  • 2009年(平成21年)
    • 4月 - 理工学部の土木工学科を都市環境学科に改称。法学部フレックス制廃止。
    • 8月 - 学生援護会の旧本社を購入。翌年4月から市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)として大学院の授業を開始。
  • 2010年(平成22年)4月 - 公共政策研究科、国際会計研究科を市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)に移設。戦略経営研究科にビジネス科学専攻(博士後期課程)を開設。
  • 2015年(平成27年)11月 - 中長期事業計画 "Chuo Vision 2025" において、都心拠点の後楽園キャンパス集約と法学部を第一候補とする後楽園移転、多摩キャンパスでの新学部学科開設の計画を発表。
  • 2016年(平成28年)4月 - 公共政策研究科の学生募集停止。
  • 2017年(平成29年) - アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻の学生募集停止。
    • 6月 - 公共政策研究科を廃止。
  • 2018年(平成30年)6月 - アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻を廃止。
  • 2019年(平成31年)
    • 3月 - 文京区大塚一丁目の都有地(都営バス大塚支所跡地)の定期借地契約締結(2019年4月から40年間。都が40年後に使用することがなければ、更に10年間延長)。
    • 4月 - 国際経営学部(多摩)・国際情報学部(市ヶ谷田町)を開設。
  • 2020年(令和2年)3月 - グローバル館・国際教育寮竣工。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月 - FOREST GATEWAY CHUO(仮称 学部共通棟)竣工。
    • 8月 - "Chuo Vision 2025"の当初の計画からの変更が生じる(当初:法学部1年生は後楽園キャンパス、法学部2年生~4年生は茗荷谷キャンパス→変更後:法学部全学年を茗荷谷キャンパスへ収容)
  • 2023年(令和5年)
    • 2月 - 駿河台キャンパス竣工式を挙行。
    • 3月 - 茗荷谷キャンパス・駿河台キャンパス・小石川キャンパスの合同開校式を挙行。
    • 4月 - 国際情報研究科(市ヶ谷田町)を開設。法学部および大学院法学研究科が茗荷谷キャンパスへ、ロースクールとビジネススクールが駿河台キャンパスに移転。また、後楽園キャンパス1号館の建て替え工事に伴う地鎮祭を挙行。
    • 5月 - 市ヶ谷キャンパスを売却。


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