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中央アジア

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中央アジア(ちゅうおうアジア、英語: Central Asia)は、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。

概要[編集]

広義には、「アジアの中央部」を意味し、トルキスタン地域のほか、カザフステップ、ジュンガル盆地、チベット、モンゴル高原、アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む。UNESCOはトルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアのシベリア南部などを中央アジア概念の中に含めている。

「中央ユーラシア」も参照

トルキスタン地域は東西の2ヶ所に分けられていて、それぞれ「西トルキスタン」「東トルキスタン」と呼ばれている。

西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)

東トルキスタンは清に併合されて新疆省となり、中華人民共和国のもと、1955年以降新疆ウイグル自治区となっている。

定義[編集]

中央アジアの概念はドイツのアレクサンダー・フォン・フンボルトが1843年に提唱した。その他、古生物学などでは、モンゴルを中央アジア、中央アジア5か国を中部アジアと言って区別することがある。

旧ソ連における定義[編集]

ソビエト連邦は、現代の中央アジア5か国からカザフスタンを除いた地域にあたる、キルギスССР、タジクССР、トルクメンССР、ウズベクССРの4共和国をСредняя Азияと定めていた。一方、より広い範囲(歴史的ロシアに含まれない範囲)を示すЦентральная Азияという語もあった。これらはともに中央アジア (Central Asia) と訳された。

ソビエト連邦の崩壊後、中央アジア5か国はカザフスタンが中央アジアに含まれると宣言した。これが現在もっともよく使われる中央アジアの定義である。

旧ソ連の文献では「スレドニャヤ・アジア(ミドルアジア)」と「ツェントラリナヤ・アジア(中央アジア)」とが使い分けられてもいた。「ソ連中央アジア(ソビエツカヤ・スレドニャヤ・アジア)」という言い方もあった。

UNESCOにおける定義[編集]

UNESCOは、より広い範囲を中央アジアと定めている。それには中央アジア5か国のほか、中国の新疆ウイグル自治区、モンゴル地域(モンゴル国、内蒙古自治区など)、チベット地域(チベット自治区、青海省など)、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インドのジャム・カシミール、ロシアのシベリア南部が含まれる。なお、この範囲が定められたのはソ連崩壊前である。

東洋史研究における定義など[編集]

日本をはじめとする東洋史研究においては従来、中央アジアという概念は、次の3つの観点から用いられてきた。

  1. シルクロードなどの東西交渉史
  2. 中国による西域統治史
  3. トルコ民族史

このような「東西」軸の見方に対して、歴史家間野英二は中央アジア住民が意識していたのはむしろ、北方遊牧民との関係であり、南北軸の見方を提唱しながら、東のゴビ砂漠、西のカスピ海、南のコペト・ダウ、ヒンドゥークシュ山脈、コンロン山脈、北のアルタイ山脈とカザーフ草原に囲まれた地域を、中央アジアとした。

日本の外務省における管轄[編集]

日本の外務省においては、中央アジア5か国は欧州局中央アジア・コーカサス室の管轄となっている。これは旧ソ連諸国が欧州局の管轄である為である。



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