ヴァディム・ボロダエフスキー
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ヴァディム・ヴァシリエヴィチ・ボロダエフスキー(ロシア語:Вадиму Васильевичу Бородаевскому、1869年もしくは1870年11月22日 - 1920年7月22日)は、ロシア帝国、白軍の軍人[1][2][3]。
概要[編集]
ハリコフ県(現在のハルキウ州)チュグエフスキー地区のヴォルチャンスク[4]に住む大学登録官ヴァシーリー・エスラモフの息子として生まれる。
12月27日にヴォルチャンスクのトリニティ教会で洗礼を受け[5]、1883年から1886年までマリインスキー農業学校の生徒として農学を学ぶ。卒業後はハリコフ農業学校に入学し、1893年に卒業後はタンボフ県キルサノフスキー地区に住むV・ソシャルスキー大佐の助手として8月まで邸宅に住む。
後に第9砲兵旅団[6]の第5砲台の志願兵として入隊。退役後はトボリスクで森林官助手として勤務。1900年12月21日には祖父のエラズム・アレクセーヴィチ・ボロダエフスキー中佐から貴族階級を受け継ぐ(この時姓をボロダエフスキーに改名)[7]。
第一次世界大戦では少尉として復帰。ロシア内戦時はコルチャーク率いる白軍に参加し、ヴュン・コリヴァン蜂起[8]の指導者の一人として活動する。敗北後はタイガに逃亡。内戦終結後はトムスク県のドゥブロヴィーノ村で森林官として過ごすも、チェーカーの特別中隊指揮官オルロフの命で逮捕され、1920年7月22日に処刑される[9]。
家族[編集]
兄弟のカシアンとニコライが居り、彼自身結婚している。
脚注[編集]
- ↑ http://pkk.memo.ru/page%202/KNIGA/Bo.html
- ↑ https://forum.vgd.ru/post/1144/22862/p605288.htm
- ↑ https://siberia.forum24.ru/?1-9-0-00000300-000-280-1
- ↑ https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D0%BE%D0%BB%D1%87%D0%B0%D0%BD%D1%81%D0%BA_(%D0%A3%D0%BA%D1%80%D0%B0%D0%B8%D0%BD%D0%B0)
- ↑ https://sobory.ru/article/?object=49399
- ↑ https://ria1914.info/index.php/9-%D1%8F_%D0%B0%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%BB%D0%BB%D0%B5%D1%80%D0%B8%D0%B9%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%B1%D1%80%D0%B8%D0%B3%D0%B0%D0%B4%D0%B0
- ↑ http://histpol.pl.ua/ru/poltavskij-rodoslov/alfavitnyj-ukazatel-rodov/spisok-rodov-b?id=9365
- ↑ http://kolyvan-museum.ru/index.php/o-muzee/novosti/188-kolyvan-6-iyulya-1920-goda-k-100-letiyu-kolyvanskogo-myatezha
- ↑ https://www.alexanderyakovlev.org/fond/issues-doc/74719