ヴァシーリー・ロストフ
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ヴァシーリー・ニコラエヴィチ・ロストフ(ロシア語:Василий Николаевич Ростов、生年不詳 - 1918年から1920年頃)は、ロシア帝国、ソビエト連邦の軍人[1]。
概要[編集]
タンボフ県(現在のタンボフ州とモルドヴィア共和国の一部)トルベエフスキー地区[2][3]のレシェティノ村[4]に生まれる(生年は不明)。
第一次世界大戦開戦前はグロドノ県(ポーランド東部)ビエルスク・ポドラスキ[5]で家族と共に過ごしていたが、開戦に伴い曹長として従軍する。
革命の1918年に退役、故郷に帰還後全連邦共産党に入党するも、党指導部による「農民から牛を取り上げる」指令を拒否した為、ペンザに移送後赤軍に入隊する。
同年5月17日に発生したチェコスロバキア軍団蜂起[6]の鎮圧に参加するも、戦死(病死とも)する(正確な没年は不明)。
逸話[編集]
ポーランド定住時、ドイツ人の友人が大勢いたが、大戦の開戦に伴い大多数がドイツ軍に入隊。ある友人の一人がヴァシーリーに軍に入隊しないかと勧誘したが、彼はニコライ二世に忠誠を誓っていたので断り、友人達に別れを告げる際「死闘で一緒になったとしてもお互いに腹を立てない様に。」と語った(同時期にロシア本土への移住の手伝いする約束をしたが、結局家族共々同地に残った)。
脚注[編集]
- ↑ https://stolica-s.su/special/photo/feldfebel-vasilij-rostov
- ↑ https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A2%D0%BE%D1%80%D0%B1%D0%B5%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D1%80%D0%B0%D0%B9%D0%BE%D0%BD
- ↑ https://tourismportal.net/rayons/torbeevskij-rajon-61
- ↑ https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D0%B5%D1%88%D0%B5%D1%82%D0%B8%D0%BD%D0%BE_(%D0%9C%D0%BE%D1%80%D0%B4%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%8F)
- ↑ https://pl.wikipedia.org/wiki/Bielsk_Podlaski
- ↑ https://en.wikipedia.org/wiki/Revolt_of_the_Czechoslovak_Legion