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ヴァシーリー・ロストフ

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1914年1917年頃撮影

ヴァシーリー・ニコラエヴィチ・ロストフ(ロシア語:Василий Николаевич Ростов、生年不詳 - 1918年から1920年頃)は、ロシア帝国ソビエト連邦の軍人[1]

概要[編集]

タンボフ県(現在のタンボフ州モルドヴィア共和国の一部)トルベエフスキー地区[2][3]レシェティノ村[4]に生まれる(生年は不明)。

第一次世界大戦開戦前はグロドノ県(ポーランド東部)ビエルスク・ポドラスキ[5]で家族と共に過ごしていたが、開戦に伴い曹長として従軍する。

革命1918年に退役、故郷に帰還後全連邦共産党に入党するも、党指導部による「農民から牛を取り上げる」指令を拒否した為、ペンザに移送後赤軍に入隊する。

同年5月17日に発生したチェコスロバキア軍団蜂起[6]の鎮圧に参加するも、戦死(病死とも)する(正確な没年は不明)。

逸話[編集]

ポーランド定住時、ドイツ人の友人が大勢いたが、大戦の開戦に伴い大多数がドイツ軍に入隊。ある友人の一人がヴァシーリーに軍に入隊しないかと勧誘したが、彼はニコライ二世に忠誠を誓っていたので断り、友人達に別れを告げる際「死闘で一緒になったとしてもお互いに腹を立てない様に。」と語った(同時期にロシア本土への移住の手伝いする約束をしたが、結局家族共々同地に残った)。

脚注[編集]



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