レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊: Leonardo da Vinci、イタリア語発音: [leoˈnardo da ˈvintʃi] https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Loudspeaker.svg/12px-Loudspeaker.svg.png 発音[ヘルプ/ファイル])1452年4月15日 - 1519年5月2日(ユリウス暦))は、フィレンツェ共和国(現在のイタリア)のルネサンス期を代表する芸術家。フルネームは、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)。
呼称として「ダ・ヴィンチ」と称することがあるが、これは固有の苗字というより、「ヴィンチ村出身」であることを意味しているため、個人名の略称としては「レオナルド」を用いるのが適切である。ただし、レオナルド本人や知人が「ダ・ヴィンチ」あるいは「ヴィンチ」を苗字として記した例があり、全くの誤りとも言えない。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家、画家、博学者、科学者、占星術師、鏡文字、音楽、建築、料理、美学、数学、幾何学、会計学、生理学、組織学、解剖学、美術解剖学、人体解剖学、動物解剖学、植物解剖学、博物学、動物学、植物学、鉱物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、化学、光学、力学、工学、流体力学、水理学、空気力学、飛行力学、飛行機の安定、航空力学、航空工学、自動車工学、材料工学、土木工学、軍事工学、潜水服などの分野に顕著な業績と手稿を残したとされる。完全に解明されていない作品もあり、21世紀になっても幻と言われる作品も存在している。
レオナルドの名声は生前から一貫している、とよく誤解されている。当時はフランス王フランソワ1世がレオナルドをまるで戦利品であるかのようにフランスへと連れて行くほどだった。フランソワ1世は最晩年のレオナルドを支え、レオナルドはフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという伝承が残っている。
現在でもレオナルドの有名な美術作品を観るために大衆が列をなし、Tシャツにはレオナルドの絵画がプリントされ、作家たちはレオナルドの驚くべき博学さとその私生活についての考察を書き続け、史上最高の知性を持った人物であるとみなされている。
ヴァザーリは『画家・彫刻家・建築家列伝』の1568年に出版された第2版の、レオナルドの列伝冒頭で次のように紹介している。
多くの人々がそれぞれに優れた才能を持ってこの世に生を受ける。しかし、ときに一人の人間に対して人知を遥かに超える、余人の遠く及ばない驚くばかりの美しさ、優雅さ、才能を天から与えられることがある。霊感とでもいうべきその言動は、人間の技能ではなく、まさしく神のみ技といえる。レオナルド・ダ・ヴィンチがこのような人物であることは万人が認めるところで、素晴らしい肉体的な美しさを兼ね備えるこの芸術家は、言動のすべてが無限の優雅さに満ち、その洗練された才気はあらゆる問題を難なく解決してしまう輝かしいものだった。
画家、批評家、歴史家たちからの尽きることのない高い評価は、様々な賛辞となって表現されている。『宮廷人』の著者バルダッサーレ・カスティリオーネは1528年に「ほかに世界最高の画家がいたとしても、彼(レオナルド)の懸絶した芸術の前では顔色を失うだろう」とし、レオナルドの伝記を書いた、通称アノニモ・ガッディアーノと呼ばれる詳細不明の伝記作家は1540年に「彼(レオナルド)の才能は極めて稀なあらゆる分野に通暁したもので、万物が彼に味方しているかのような奇跡といえるものである」と賞賛している。しかし17世紀から18世紀に至ってはその名声は埋もれていった。ミケランジェロやラファエロ、ティツィアーノの圧倒的な影響力と比較すれば、レオナルドの存在感はほぼなかったと言ってもよいほどであった。
19世紀はレオナルドの才能に対する賞賛が特に高まった時期となった。これはイギリスで活動したスイス人画家ヨハン・ハインリヒ・フュースリーが1801年に書いた「現代美術の夜明けといえる出来事だった。レオナルド・ダ・ヴィンチが、それまでの優れているとはいえなかった芸術を光輝に満ちたものへと一変させた。ただ一人の天才がすべてのことを成し遂げたのである」という文章によるものだった。A. E. リオも1861年に「彼(レオナルド)は、その才能の偉大さ、高貴さにおいて、あらゆる芸術家に抜きん出た存在だった」とレオナルドを評価した。
19世紀にはレオナルドが残した膨大な手稿が、その絵画作品と同様に広く知られるようになった。イポリット・テーヌは1866年に「これほど多彩な才能を持つ人間はおそらく他に存在しない。飽きるということを知らず、その探究心は無限であり、生まれながらに洗練された、同時代はもちろん、その後何世紀にもわたって群を抜いている人物である」としている。美術史家バーナード・ベレンソンは1896年に「レオナルドは真の天才といえる唯一の芸術家である。彼(レオナルド)が触れたものは、すべてが永遠の美へと姿を変えた。頭蓋骨の断面、雑草の構造、筋肉の習作などあらゆるものが、彼が持つ描線と陰影の感性によって永久の生命を吹き込まれたのである」と記している。
レオナルドの類稀な知性への関心は、衰えるところを知らない。専門家によるレオナルドの文章の研究と解釈、絵画作品への最先端の科学技術を駆使した分析によってその業績が明らかにされ、さらには、記録には残っているものの現存しないとされる作品の探索も試みられている。リアナ・ボルトロンは1967年の著書で「あらゆることに関心を示す彼(レオナルド)の好奇心が、さまざまな分野に対する知識を追い求めさせた。レオナルドは間違いなく比類なき万能の天才である。……レオナルドが没して5世紀が過ぎたが、未だにレオナルドは我々の畏敬の対象となっている」と記している。