ルネサスエレクトロニクス
ルネサスエレクトロニクス株式会社(英: Renesas Electronics Corporation)は、東京都江東区に本社を置く半導体メーカー。三菱電機および日立製作所から分社化していたルネサス テクノロジと、NECから分社化していたNECエレクトロニクスの経営統合によって、2010年4月に設立された。社名の『Renesas』は、あらゆるシステムに組み込まれることで世の中の先進化を実現していく真の半導体のメーカー(「Renaissance Semiconductor for Advanced Solutions」)を標榜して名付けられた。
概要[編集]
2021年における半導体企業売上高ランキングで15位、日本国内ではキオクシアに次ぐ2位である。車載半導体市場シェアランキングではNXPセミコンダクターズ、インフィニオン・テクノロジーズに次ぐ3位として車載BIG3の一角を占め、特に車載マイコンでは世界シェアの3割を握る1位である。汎用マイコンでもマイクロチップ・テクノロジーとSTマイクロエレクトロニクスに次ぐ世界シェア3位であり、車載と汎用を合わせたマイコンの世界シェアはNXPに次ぐ世界2位(17%)である。
2021年現在、アプリケーションに関しては「アナログ+パワー+組み込みプロセッシング+コネクティビティ」のソリューション「ウィニング・コンビネーション」を主力として展開している。マイコン事業に関しては、2010年のNECエレクトロニクス統合直後には、三菱・日立・NECエレクトロニクスといずれも世界を代表するマイコンメーカーであった3社の統合前の全てのレガシーを引き継いでいたが、レガシー半導体(旧世代の半導体)にこだわるあまりにARMの時代に乗り遅れ、2010年代に経営悪化するに至った反省から、2019年に「RAファミリ」を発表しARMマイコン市場に本格参入して以降、2022年には競合他社に先駆けてRISC-Vコアを採用したマイコン「RZ/Five」を発表するなど、機敏な動きがある。
日本国内に前工程を担う4工場(那珂、川尻、西条、高崎)と、後工程を担う3工場(米沢、大分、錦)を抱え、特に那珂工場ではロジック向けとしては国内最先端である40nmプロセスのLSIを製造している。ただし、必要最小限の製造能力のみを維持するファブライトの方針のため、28nmプロセス以降の製品は外部のファウンダリ(主に台湾のTSMC)に生産委託しているほか、自社工場で賄える40nmプロセス以前の製品においても、外部製造の比率を高めている。
グローバル化と「車載専業メーカー」からの脱却による成長戦略[編集]
2000年代後半から2010年代前半まで毎年1000億円規模の赤字を出しており、経営悪化の末、2013年に日本政府系の投資会社である産業革新機構の傘下となり、事実上国有化された。この当時、日立製作所が半導体部門と同様の経緯で2000年代に切り離したディスプレイ部門を源流とするジャパンディスプレイとともに、官製再編「日の丸」企業の失敗例とみなされていたが、抜本的な構造改革(固定費削減、拠点統廃合)を断行したことで2014年に黒字化し、2021年現在まで順調な経営を維持している。
ルネサスは2010年代後半以降、ルネサスと同業でありながら遥かに収益力の高いテキサス・インスツルメンツを目標として、非車載向け(特にアナログ半導体)を強化しつつ特定の製品や顧客への依存度を下げる戦略を取っており、インターシル、IDT、ダイアログ・セミコンダクター(英語版)といった海外半導体メーカーを買収して産業・インフラ・IoT向け製品事業を強化しているほか、マヒンドラや中国第一汽車集団といった海外自動車メーカーとの協業を進めている。2021年にはR&Dの人員構成において海外の人員が過半数を占めることとなり、同年第2四半期には産業IoT用の売り上げが車載用を上回った。
2023年11月14日、産業革新機構の後継会社であるINCJは保有株式の全てを売却したと発表した。
自動車業界との関係[編集]
日本だけでなく世界中の自動車メーカーにルネサスの製品が使われているが、特にトヨタグループと強い関係がある。産業ピラミッドの頂点であるトヨタ自動車とそのティア1(1次下請け)であるデンソーがルネサスの株主となっている。
また、震災によりルネサスからのマイコンの供給が滞った際、トヨタの工場が停止する事象も起きている。この理由として、トヨタは在庫を持たない「ジャストインタイム」方式を取っている、ティア1でサプライヤーを分散させてもティア2・ティア3がほぼ同じサプライヤーから調達している「たる型」の下請け構造となっている、コストの問題から「分散生産」をせずにパーツを特定の工場で製造している、などが挙げられている。トヨタは特定のサプライヤー(デンソーとアイシン精機)への依存を避けるため、2000年代以降に下請けを分散させる方針を取っていたが、2011年の東日本大震災で那珂工場が被災した際、ほぼすべてのサプライヤーが2次下請けであるルネサスの那珂工場からECUを調達していたことが判明し、問題となった。これは2016年時点でも解消されておらず、2016年に熊本地震で川尻工場が被災したために再びトヨタの工場が休止した。ただし、海外でも「Kanban」として知られるトヨタ生産方式は世界の自動車業界の標準であり、ルネサスと日本の自動車業界だけが特殊というわけではない。2020年から2021年にかけてのコロナ禍における半導体不足の状況下で、2021年2月にNXPとインフィニオンのオースティン工場がテキサス寒波による停電で停止し、同年3月にルネサス那珂工場が火災で停止した際は、世界のほぼ全ての自動車工場が稼働を停止した。
ルネサスの工場が停止するとトヨタや他の自動車メーカーのみならず日本国の経済にも影響を与えるため、ルネサスの工場が停止した際はトヨタグループや日産、ホンダなどの自動車業界だけでなく、ルネサスに半導体露光装置を納品しているキヤノンやルネサスの母体である三菱電機、日立、NECなどが支援に動く。2011年の東日本大震災時には、自動車関連の完成車メーカー、部品メーカー各社が加盟する日本自動車工業会(自工会)主導で復旧支援にあたることとなった。そして、母体三社にも支援してもらうべく、トヨタはNEC、日産は日立、ホンダは三菱電機と分担して支援要請を行い、三社の支援をこぎつけた。また、壊滅的な被害を受けた半導体露光装置は新規に製造する時間もないことから修理で対応するしかなく、製造元のキヤノンの支援が不可欠だったが、キヤノン自体も被災しており支援する余力は少なかった。しかし、そのような状態でもキヤノンは支援要請に応じ、ベテランの技術者を派遣し早期復旧に貢献した。この結果、那珂工場は3か月という驚異の速さで復旧した。
このような支援体制は以後もたびたび見られ、2016年の熊本地震で機材が損壊した川尻工場は1週間で復旧した。2021年2月の福島県沖地震で停止し、同年3月に火災で再び停止した那珂工場の復旧には経済産業省からも支援が入り、24時間体制で復旧に当たったことにより、火災で真っ黒になったクリーンルームが1か月で復旧した。この際、ルネサス社長兼CEOの柴田英利は「通常では考えられないような奇跡的な支援を受けて、予定よりも早く生産を再開できた」と述べている。2021年に那珂工場が出火した後の復旧に関する日経の調査によると、ルネサスが本社を構える東京都江東区から那珂工場に派遣された応援よりも、愛知県豊田市(トヨタ)、神奈川県厚木市(日産)、大阪府池田市(ダイハツ)から派遣された応援の方が多く、特に愛知県からは圧倒的な人員が投入された。これがそのまま2021年時点のルネサスの、自動車メーカー各社のサプライチェーン(供給網)への影響力の甚大さを表しているとしている。
前身[編集]
ルネサス テクノロジ[編集]
1980年代後半のバブル時代には売上高7兆円を超える世界最大の電機メーカーだった日立製作所は、1990年代にはコンピュータと半導体に力を入れることによってバブル時代を上回る売上高を誇ったが、半導体市場は不安定で、1996年より半導体価格の下落によって業績が悪化し、1998年にはDRAM市況の悪化によってついに史上初の赤字に転落する。そのため、1999年には半導体メモリ部門を切り離し、NECのメモリ部門と統合させて「NEC日立メモリ(後のエルピーダメモリ、現・マイクロンジャパン)」を設立した。その後、2001年度に再び赤字に転落したため、2002年に再び半導体事業を再編。DRAM以外の半導体部門(システムLSI、マイコン、DRAM以外のメモリなど)も切り離し、規模で勝負するために三菱電機のマイコン部門と統合させ、新たな半導体会社を設立する協議を始めた。また同年、三菱のDRAM部門をエルピーダに統合した。
2003年4月に日立と三菱の半導体部門(電力制御用半導体を除く)を分社・統合し、ルネサス テクノロジが設立された。ルネサスが発足した2003年度の売上高は約79億ドル(約7000億円)となり、半導体売上高でそれまで国内1位であった東芝を上回って日本1位、世界半導体売上高ランキングではインテル・サムスンに次ぐ世界3位につけた。
2010年頃までのフィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」)時代は携帯電話用SoCの大手で、マルチメディア対応の高性能なアプリケーションプロセッサとして、ルネサスのSH-Mobileシリーズは少なくとも日本国内ではテキサス・インスツルメンツのOMAPと並ぶシェアがあった。2005年当時は、国内市場のみならず海外市場での採用が半数以上を占めており、SH-Mobileコンソーシアムの加盟企業は世界に200社を超え、2005年のSH-Mobileの出荷台数はドリームキャストの出荷台数を上回る1300万個に達した。後に「ガラパゴスケータイ」と呼ばれる日本国内の携帯(フィーチャーフォン)市場の最大手キャリアであるNTTドコモに資源を投入したルネサスは、2004年よりドコモと「SH-Mobile G」シリーズを共同開発し、2006年より携帯端末メーカー各社のドコモ向け製品に搭載された。SH-Mobile G1を採用したのはドコモ陣営の3社だけであったが、2007年には出荷台数が早くも1000万個を突破し、ドコモが展開していた3GサービスであるFOMA端末の50%を占める成功を収めた。
SHマイコンは車載情報機器向けでも大いに普及した。NECエレと統合された2010年当時、カーナビが車載SoCの主要な応用だったが、ルネサスが2005年より展開を開始したカーナビ向けSoC「SH-Navi」のシェアは国内で97%、海外で57%と圧倒的だった。
NECの半導体部門を統合する2010年までには、半導体を単に設計・製造するだけでなく、ソフトウェアを含めた本当の意味でのシステムソリューションを提供する企業へとシフトしていった。2006年より行われた、NTTドコモや複数の携帯電話製造会社との協業によるFOMA向けプラットフォームの供給開始はその最たる例の一つであった。ルネサスとNECエレの統合が開始される2009年当時、家電などデジタル民生向けのソリューションに強みがあったNECエレに対し、ルネサスは携帯電話や自動車向けのソリューションに強みがあった。
2000年代における経営は好調だったが、マイコンは安く買い叩かれるため、例えば2006年度の売上高は9,526億円、営業利益は235億円(売上高営業利益率2.47%)と、1兆円近い売上高に対してほとんど利益が出ていなかった。携帯と車載がルネサスの利益を支えていたが、2008年には世界同時不況(リーマン・ショック)もあって携帯電話向けと自動車向けが共に不調で、2009年3月期には赤字に転落。日立グループに1000億近い赤字をもたらしたため、抜本的な経営体質の強化を図ることになった。
NECエレクトロニクス[編集]
1980年代後半のバブル時代には売上高3兆円を超える世界最大の半導体メーカーだったNECは、1991年に半導体ランキングでインテルに抜かれた後も世界半導体ランキング2位をキープしており、1992年にDRAMランキングでサムスンに抜かれた後も世界DRAMランキング2位をキープしていたが、1998年にはDRAMランキングでHyundai(現・SKハイニックス)とマイクロンにも抜かれて4位となり、DRAM市況の悪化もあって半導体事業の再編を余儀なくされる。1999年には半導体メモリ部門を切り離し、日立のメモリ部門と統合させて「NEC日立メモリ(後のエルピーダメモリ、現・マイクロンメモリ ジャパン)」を設立した。しかしその後もNEC半導体部門の転落は止まらず、2001年度には半導体ランキング7位にまで転落したため、2002年に再び半導体事業を再編。DRAM以外の半導体部門(システムLSI、マイコン、DRAM以外のメモリなど)もNEC本体から切り離すことにした。
2002年11月にNECで半導体事業を手がけていた社内カンパニー(NECエレクトロンデバイスカンパニー)を分社・独立し、NECエレクトロニクスが設立された。NECの半導体部門であった時代より、伝統的にコンピュータ向け製品、汎用マイコンおよびASIC(特定用途向け専用LSI)に強く、2000年代においては自動車向けマイコンや、デジタル家電向けLSI等も主力とした。
NECはマイコンとして、1980年代よりIntel 8086互換のVシリーズを展開しており、特にV30は1980年代にNECのパソコンであるPC-9800シリーズに搭載され大ヒットした歴史がある。このV30を初めとする旧世代のVシリーズマイコンを置き換える形で、1990年代に旧世代のVシリーズとは互換性のない新世代マイコンであるV810ファミリ、V830ファミリ、V850ファミリ、VRファミリなどをリリースしていた。しかし、NECエレの設立前後よりPDA市場をARMアーキテクチャが席巻したため、日立製作所のSHマイコンともどもシェアを失った。一方V850シリーズは、最初期の組込用32ビットCPUとして日立製作所のSHマイコンと並ぶ成功を収めており、2000年代のNECエレ時代においても車載向けとして各社で採用される主力マイコンとなった。NECエレがほぼ全ての部門で経営の見通しが立たなくなりルネサスと統合することになった2009年3月期においても、車載・FA部門だけは唯一の成長分野であった。
1970年代にヒットしたTK-80(1976年)などのマイコンキットを初め、NECのパーソナルコンピュータ事業の源流となったのは同社のマイコン部門であり、NECエレ時代においてもコンピュータ向け製品に強みがあった。パソコンやサーバ向け製品、DVDドライブやプリンタ向け半導体、LCDドライバICなど幅広い分野にシェアがあった。NEC時代の1995年にはインテル社やMicrosoft社などとともにUSB規格策定団体USBインプリメンターズ・フォーラム(USB-IF)を設立しており、NECエレはUSB-IFの創設メンバーとして、インテル社とともにUSB1.0(1996年)からUSB3.0(2008年)にかけてのUSB規格の策定を主導した(2013年策定のUSB3.1 Type-C以降はインテル社とアップル社が主導)。2009年6月には世界初となるUSB 3.0ホストコントローラ「μPD720200」(V850がベース)の出荷を開始するなど、ロードマップに縛られるインテル社よりも新製品をリリースする動きが速く、NECエレはUSBホストコントローラーのリリースに先んじることで、自社製品を広く普及させると同時にUSB規格の普及にも貢献した。
NEC時代の1998年、MIPS系アーキテクチャであるVRシリーズをコアとするSoCの「EMMA(エマ)」をリリース。EMMAはセットトップボックス、デジタルテレビ、DVDレコーダーの3つの領域を1つのチップでカバーする製品で、リリース当初より世界各国のセットトップボックスで採用される成功をおさめ、NECエレ時代を通じて注力製品となった。アナログTV時代のVTR向けの3次元Y/C分離LSI等でも圧倒的なシェアを誇り、従来は複数のチップを必要とした3次元Y/C分離LSIを1チップ化した「μPD64083」を2001年にリリース。レコーダ向け組込LSI市場においては、2005年の時点でMPEG-2エンコーダで市場トップシェアの27%、レコーダ用のバックエンドLSIで20%と高い市場占有率を誇り、2005年には3次元Y/C分離回路やビデオデコーダなどハイビジョンレコーダに必要な全ての機能をEMMAに統合した「EMMA2R-FE」をリリース。「EMMA」プラットフォームの採用によって、10万円を切る低価格な製品もホームサーバー向けの高級機も両方とも実現できることをアピールした。VHS時代からDVD時代へ、SD画質時代からハイビジョン時代へと向かう時代の流れの中、NECエレの「EMMA」プラットフォームは、ソニーが2005年に発売したデジタルハイビジョンテレビの「BRAVIA」などで採用され、2000年代後半におけるデジタル家電向けSoCとしてはパナソニックの「UniPhier」プラットフォームと並ぶ成功を収めた。ただしNECエレの民生機器部門は、ルネサスと統合する2009年までに白物家電やデジカメ向け半導体などが落ち込んできており、EMMA(とWii)の成功は民生機器部門全体の苦境をカバーするほどではなく、2011年の「地デジ」特需の終了後、「EMMA」は「UniPhier」同様に開発終了となった。
ゲーム機用LSIも生産しており、NEC鶴岡工場(山形日本電気)では任天堂ゲームキューブ、任天堂WiiやマイクロソフトXbox 360等のシステムLSIを製造していた。もともとNEC時代よりPCエンジン(1987年発売)やPC-FX(1994年発売)などのゲーム機の開発を行っており、1996年よりVideoLogic社(現・イマジネーションテクノロジー)のパートナーとしてグラフィックプロセッサのPowerVRを共同開発し、1996年には初代PowerVRプロセッサを搭載したPC向けグラフィックカードの「PC 3D Engine」を発売した。主力工場であったNEC熊本工場(現・ルネサス川尻工場)で量産されたPowerVR2チップは、セガドリームキャスト(1998年発売)などのゲーム機やNEC VideoLogic NEON250(1999年、PowerVR2)などのPC用グラフィックカードで採用された。なおドリームキャストの失敗に伴いNECはGPUの開発から撤退、2000年発表のPowerVR3ではSTマイクロがVideoLogic社の共同開発者となっている。
このように幅広い分野に強みがあったものの、発足直後の2005年から赤字に転落。MCU事業においては好調だったものの、SoC事業においては先端プロセスの開発費負担が重くのしかかり、大幅な赤字を計上していた。2007年度のみは任天堂Wiiの爆発的ヒットによって黒字となったものの、それ以外の年度は大幅な赤字を計上し、ルネサスと統合する2010年まで苦境が続いていた。
2009年当時のNECエレには、売上の規模が1兆円以上で売上高利益率が10%以上ないと生き残ることができないとの認識があり、ルネサスとの統合に舵を切った。
ルネサス エレクトロニクス[編集]
- 2010年
- 4月1日 - NECエレクトロニクスとルネサス テクノロジの統合新会社として設立。存続会社はNECエレクトロニクスで、ルネサス テクノロジを吸収合併し、新商号をルネサスエレクトロニクスとする。ルネサスエレクトロニクスの初代会長に山口純史、初代社長に赤尾泰が就任。本社を日本ビルとする。
- 7月29日 - グループ全体で約5万人いる従業員のうち約4千人を削減すると発表。外部への生産委託を増やし、国内工場の閉鎖も検討する。40nmプロセスの生産は山形および那珂の300mmラインで生産を継続し、それ以降の微細化開発と量産を凍結することを発表。32nm、28nm世代以降の先端プロセス品の量産は台湾TSMCと、米GLOBALFOUNDRIESに全面委託し、次世代プロセスの研究開発は米IBMとの共同研究で一本化するとされる。
- 12月1日 - ノキアのワイヤレスモデム事業部門とルネサスエレクトロニクスのモバイルマルチメディア事業部門を、分社型吸収分割によって新設の100%子会社であるルネサスモバイルに承継して営業を開始。
- 2011年
- 3月11日 - 東日本大震災で、8工場が操業停止に追い込まれる。製品・部品供給先の大手製造業を中心に大きな影響が広がった。
- 6月28日 - 顧問に山口純史が就任。代表取締役会長は退任(空席)。
- 2012年
- 3月1日 - パワーアンプ事業部門及びルネサス東日本セミコンダクタ長野デバイス本部(長野県小諸市)を村田製作所へ譲渡。それぞれ村田製作所モジュール事業本部通信システム商品事業部PA商品部、小諸村田製作所となる。
- 7月1日 - ルネサス北日本セミコンダクタ津軽工場(青森県五所川原市)を富士電機へ譲渡、富士電機津軽セミコンダクタとなる。
- 8月29日 - アメリカのタバコ・食品のコングロマリット・旧RJRグループ(RJRナビスコ)の買収・解体に深く関与したアメリカのプライベートエクイティ系大手投資ファンド・KKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)がルネサスエレクトロニクスの新規株主発行の受け入れ(上位株主である母体の国内大手電機3社の連合と共同)に応じることで話を進めていると報道された。
- 12月10日 - 2013年に産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車など9社を割当先とする1500億円の第三者割当増資を行うことを発表。
- 2013年
- 1月1日 - 孫会社のルネサスハイコンポーネンツ(青森県北津軽郡鶴田町)をアオイ電子へ譲渡。同社子会社ハイコンポーネンツ青森となる。
- 2月22日 - 二代目代表取締役社長に鶴丸哲哉が就任。
- 6月1日 - ルネサス北日本セミコンダクタ函館工場(北海道亀田郡七飯町)、ルネサス関西セミコンダクタ福井工場(福井県坂井市)、ルネサス九州セミコンダクタ熊本工場(熊本県菊池郡大津町)の事業及び北海電子(北海道二海郡八雲町)の半導体後工程製造支援事業をジェイデバイスに譲渡。
- 6月26日 - 代表取締役会長兼CEOに作田久男が就任。
- 9月30日 - 産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車など9社を割当先とする1500億円の第三者割当増資を実施、産業革新機構が筆頭株主となる。
- 2014年
- 2月19日 - 国内に14ヵ所ある半導体工場を再編し2子会社に集約すること、それに伴う計1万人の転籍を発表。
- 3月31日 - ルネサス山形セミコンダクタ(山形県鶴岡市)の半導体製造施設および設備等を、ソニーの連結子会社であるソニーセミコンダクタに対し譲渡完了。
- 4月1日 - ルネサス北日本セミコンダクタ(子会社のルネサス柳井セミコンダクタ、羽黒電子、北海電子含む)、ルネサス山形セミコンダクタ、ルネサス那珂セミコンダクタ、ルネサスセミコンダクタエンジニアリング、ルネサス甲府セミコンダクタ、ルネサス九州セミコンダクタを吸収合併により解散するとともに、存続会社のルネサス関西セミコンダクタを「ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング」(前工程製造事業を担当)、ルネサスセミコンダクタ九州・山口を「ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ」(後工程製造事業を担当)に商号変更。ルネサスエレクトロニクス本体の製造部門も分割し、生産子会社2社に集約する。
- 8月7日 - ルネサスエレクトロニクスバドミントン部の再春館製薬所への譲渡を発表。
- 10月1日 - ルネサスモバイルを吸収合併。
- 10月16日 - ルネサスエレクトロニクス高崎 女子ソフトボール部のビックカメラに対する移管を発表。
- 2015年
- 6月 - 元日本オラクル社長の遠藤隆雄が会長兼CEOに就任。
- 7月27日 - 本社を豊洲フォレシア(江東区豊洲三丁目2番24号)に移転。
- 9月30日 - 資本金を減少させ100億円とする。
- 11月30日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の鶴岡工場(5インチライン)のTDKに対する譲渡の基本合意を発表。
- 12月1日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の高知工場について、2から3年後を目処とした閉鎖を発表。
- 12月25日 - 同日付で遠藤隆雄会長兼CEOが取締役に退き、鶴丸哲哉社長がCEOに就任。
- 2016年
- 4月28日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の鶴岡工場について、TDKに譲渡する旨の最終合意を発表。
- 6月28日 - 呉文精が社長に就任。
- 9月13日 - 米半導体大手インターシルの買収を発表。
- 11月2日 - 中期成長戦略を発表。
- 2017年
- 2月24日 - インターシルの買収を完了し、完全子会社化。
- 5月18日 - 株式会社産業革新機構と日本電気株式会社、株式会社日立製作所、三菱電機株式会社がそれぞれ保有するルネサス エレクトロニクスの株式の一部を売却することを発表。本株式売却完了を受けて、2017年6月末時点では、産業革新機構のルネサス エレクトロニクス株式の保有割合は50.1%に低下。
- 6月30日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の高知工場の2018年5月末閉鎖を発表。
- 7月1日 - ルネサス システムデザインを吸収合併。
- 2018年
- 1月1日 - 買収したインターシル(Intersil Corporation)がルネサス エレクトロニクスの米国販売会社のRenesas Electronics America Inc.などを吸収合併し、社名をRenesas Electronics America Inc.に変更して、運営開始。
- 4月3日 - 株式会社産業革新機構と日本電気株式会社、株式会社日立製作所がそれぞれ保有するルネサス エレクトロニクスの株式の一部を売却することを発表。本株式売却完了を受けて、2018年6月末時点では、産業革新機構のルネサス エレクトロニクス株式の保有割合は33.4%に低下。
- 5月31日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の高知工場を閉鎖。
- 6月1日 - ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング株式会社の山口工場および滋賀工場の一部(シリコンライン)について、今後2から3年を目処に工場閉鎖および集約することを発表。
- 9月11日 - 米アナログ半導体大手のIntegrated Device Technology, Incを買収することを発表。
- 10月28日 - 5月31日付で閉鎖した高知工場を丸三産業株式会社へ譲渡。
- 10月31日 - ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テストソリューションズを吸収合併。
- 2019年
- 3月25日 - IDT社買収に伴い、新組織体制を発表。
- 3月30日 - IDTの買収を完了し、完全子会社化。
- 7月1日 - 柴田英利が代表取締役社長兼CEOに就任。
- 2020年
- 1月1日 - 買収したIDT(Integrated Device Technology, Inc.)がルネサス エレクトロニクスの米国販売会社のRenesas Electronics America Inc.を吸収合併し、社名をRenesas Electronics America Inc.に変更して、運営開始。
- 2021年
- 3月19日 - 300mmウェハーを生産する那珂工場で火災。自動車組み立て工場が操業休止になる影響が出た。
- 4月17日 - 那珂工場の300mmラインで生産再開。
- 8月31日 - バッテリー・パワーマネジメント、Wi-Fi、Bluetooth® Low Energy技術、インダストリアルエッジコンピューティングソリューションを提供する英国のアナログ半導体会社Dialog Semiconductor Plcの買収を完了。
- 12月20日 - Wi-FiソリューションプロバイダーであるCeleno Communicationsの買収を完了。
- 2022年
- 3月3日 - Tata Elxsi社と、電気自動車(EV)向けソリューションを開発する最先端の次世代EVイノベーションセンタ(Next Generation EV Innovation Center: NEVIC)を1月にバンガロールに設立した。また、同年6月、インドおよび新興市場向けのエレクトロニクスの進化を加速するために、ルネサスの半導体ソリューションの設計・開発・製造面において、いずれもTataグループ企業である、Tata Motors Ltd.およびTejas Networks Ltd.と戦略的な提携関係を締結した。
- 5月17日 - 300㎜ウェハ対応のパワー半導体生産ラインの強化のため、2014年に閉鎖した甲府工場に900億円規模の設備投資を行い、2024年にも再以稼することを発表。
- 7月20日 - 自動車、産業、民生機器に向けた非画像領域の高度なセンシングを実現し、高効率な組み込みAIや機械学習(TinyML: Tiny Machine Learning)ソリューションを提供するReality Analytics, Inc.の買収を完了。
- 9月26日 - EV(電気自動車)の技術開発および半導体の提供において、ベトナム初のグローバルEVメーカであるVinFastと協業を拡大することで合意した。
- 10月14日 - 4Dイメージングレーダ製品を提供するファブレス半導体企業Steradian Semiconductors Private Limitedの買収を完了。
- 12月12日 - Global Semiconductor Alliance(GSA)が選ぶ、2022年「Outstanding Asia-Pacific Semiconductor Company Award(最優秀アジア太平洋半導体企業賞、以下、本賞)」を受賞。
- 2023年
- 2月9日 - 12月期連結決算で、売上・営業利益・当期利益全てにおいて過去最高値を達成。
- 4月3日 - 同日株式取引分から日経平均株価の構成銘柄に採用。
- 6月2日 - 高性能ワイヤレス製品に特化したオーストリアのファブレス半導体企業Panthronics AGの買収を完了。
- 7月5日 - Wolfspeedと10年間のSiCウェハ供給契約を締結。
- 11月14日 - 産業革新機構の後継会社であるINCJは保有株式の全てを売却したと発表。
- 2024年
- 1月 - 日本電気と日立製作所が、それぞれ保有全株式を売却。
- 2月 - 米ソフト会社アルティウム(カルフォルニア州)を買収。