ランドセル
ランドセル(蘭: ransel)は、日本の多くの小学生が通学時に教科書、ノートなどを入れて背中に背負う鞄である。
概要[編集]
江戸時代(幕末)、幕府が洋式軍隊制度(幕府陸軍)を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされた背嚢(はいのう、バックパック)のオランダ語呼称「ransel(オランダ語版)」(「ランセル」または「ラヌセル」)がなまって「ランドセル」になったとされ、幕末の教練書である『歩操新式』の元治元年(1864年)版(求實館蔵板)にも「粮嚢」の文字に「ラントセル」の振り仮名がされているほか、画像としては一柳斎国孝筆の双六「調練仕方出世寿語禄」(版元・大黒屋金三郎)に描かれている、韮山笠を被った兵士が背負っている鞄がそれとみられる。これは昭和前期までの通学用ランドセルに形状がよく似ており、この背嚢がルーツであることがわかる
明治時代以降、本格的な洋式軍隊として建軍された帝国陸軍においても、歩兵など徒歩本分者たる尉官准士官見習士官、および下士官以下用として革製の背嚢が採用された。
通学鞄としての利用は、官立の模範小学校として開校した学習院初等科が起源とされている。創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品は召使いではなく生徒自身が持ち登校すると定めたことから、通学鞄としてランセルが導入された。1887年(明治20年)、当時皇太子であった嘉仁親王(後の大正天皇)の学習院初等科入学の際、伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢に倣った鞄を献上、これに近い形状が現代のランドセルの基礎とされる。革を使っているため高級品であった事から戦前は都市部の富裕層の間で用いられる事が多く、地方や一般庶民の間では風呂敷や安価な布製ショルダーバッグ等が主に用いられていた。ランドセルが全国に普及したのは昭和30年代以降、高度経済成長期を迎え、人工皮革が登場した頃からと言われる。
現代[編集]
素材は近年では軽さや丈夫さ、手入れの簡単さなどの要望から、人工皮革のクラリーノ製が主流で、約7割を占めている。その他には牛革などがあり、コードバン(馬革)のような高級素材もある。
デザインについては主流である上ふたがかばんの下まで覆う従来の学習院型以外にも、上ふたが通常の半分程度の長さのものや横型のものも登場している。また、教科書のページ数増加、タブレット端末の導入によりより大型のランドセルの需要が高まっているがメーカーで対応が分かれている。タブレットの破損を防ぐため専用スペースを設けるメーカーもある。2022年現在では素材や構造の工夫によりランドセル自体は軽量化が進んでいるが、中身の重量が増加しているため、フットマークの調査によると小学校1~3年生が背負うランドセルは平均で3.97kgにも達しており、肩こりや腰痛など身体への影響や、重い荷物を背負うことへの拒否感から登校時に抑うつ状態となる「ランドセル症候群」が増加している。対策としてキャリーカートなどの利用やリュックサック型への変更がある。
かつては色は男子は黒、女子は赤が主流で、その他、ピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色のものや、複数の色を組み合わせた物は少なかった。これら、黒や赤以外のカラーランドセルは1960年頃には既に存在していたが、当時はほとんど売れず、売れ始めたのは2000年代に入ってからという。一般社団法人日本鞄協会ランドセル工業会の2018年から2020年の調査によると、男児では毎年70%近くが黒色であり15%程度が紺色で、黒色一色が売上の大部分を占めている。一方で、女児では赤色、桃色、紫色がそれぞれ20%前後を占めており、圧倒的な色がなく分散している。入学前年の7月ごろから売れ始めるなど吟味のために早期化しており、このような活動は「ラン活」とも呼ばれるようになった。
ランドセル製作の大部分は手作業で行われ、1体に用いられる部品は金具も入れて100個以上となる。肩紐だけでも表材・裏材・ウレタンの型抜き、加工(糊付け・くるみ)、穴開け、ミシンがけ、かしめ、手縫いと10工程以上が必要となる。
新入学生に対し交通安全協会等から交通安全を目的とした蛍光色のカバーを寄贈している地域も多く、1年生の間はランドセルにこのカバーを掛けて通学させる市町村が多く見られる。一方で、不審者に対し新1年生と知らしめることにもなるとの理由で、名札の廃止と同時にカバーを掛けさせないことを推奨する地域もある。
ランドセルは小学校入学から卒業までの6年間使うのが基本となっており、市販されているものは6年間の保証付きになっていることが多い。しかし、傷みの進行や本人の好みの変化などによって、卒業前にランドセルの使用をやめる児童もいる。