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ヤーコフ・エルシス

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1916年頃撮影

ヤーコフ・ヴレヴィッチ・エルシス(ロシア語:Яков Яковлевич Э́льсис、1890年12月13日 - 1917年1月17日)は、ロシア帝国の軍人[1][2]

概要[編集]

リヴォニア県(現在のヴァルミエラ州ヴォルマール地区バウエンゴフ郷に住むラトビア人小作一家の長男として生まれる。

幼少期にリガに移住し、リガ・アレクサンダーギムナジウムを卒業後、地方裁判所の職員として勤務する。

1912年の秋頃、第48オデッサ歩兵連隊[3]の志願兵として入隊し、翌年にチュグエフ軍事学校[4]に入学し、1914年12月1日に卒業。卒業後は第185予備歩兵大隊少尉に転属され、1915年8月3日にラトビア・第3クルゼメライフル大隊[5]の中隊長に就任し、1916年のミタヴァ作戦までの戦いに従軍する(この間に第3等聖スタニスラウス勲章や第4等聖アンナ勲章、第4等聖ウラジーミル勲章を授与される)。

1917年17月17日(ユリウス暦で30日)、ドイツ軍の反撃を撃退する際、自らを先頭に敵の塹壕に向かっている最中に銃撃を受け、戦死する。死後の同年9月11日に第4等聖ゲオルギー勲章を、1922年1月14日にはラトビア政府からラプレシス軍事勲章を授与される。

家族[編集]

弟のヤン(1895年〜1938年)は同連隊の中尉として従軍し、兄の死後に行われたリガ攻勢の際、第4等ゲオルギー軍事勲章(No.986219)を授与される。内戦時には赤軍の大佐及びソ連共産党に参加し、ザバイカル軍管区本部第2部長として努めたが、1938年に処刑され、1957年に名誉回復される。

脚注[編集]



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