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ボスニア・ヘルツェゴビナ

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ボスニア・ヘルツェゴビナは、東南ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家。首都はサラエヴォ。ボシュニャク人とクロアチア人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人中心のスルプスカ共和国の2つの構成体からなる連邦国家でもある。両地域にまたがるブルチコ行政区は中央政府が直轄している。

ほぼ三角形の国土を持ち、国境のうち北側と南西側2辺でクロアチア、東側1辺でセルビア、モンテネグロと接する。クロアチア領ダルマチアに挟まれたネウムでごくわずかにアドリア海に面する。

2019年時点人口:3,301,000人(135位)

概要[編集]

多民族が一つの地域に集まったり散らばったりを繰り返した歴史を持つ場所のひとつとなっている。また、かつてはユーゴスラビアの構成国であった。

ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った。

紛争終結後も、3民族の代表が輪番制で国家元首(大統領評議会議長)を務めている。

国名[編集]

正式名称は、ボスニア語・クロアチア語表記で Bosna i Hercegovina、セルビア語表記で Босна и Херцеговинаボスナ・イ・ヘルツェゴヴィナ)。

公式の英語表記は、Bosnia and Herzegovina([ˈbɒzniə ənd ˌhɛərtsəɡəˈviːnə, ˌhɜːrtsəˈɡɒvᵻnə] ( 音声ファイル))。

日本語の表記は ボスニア・ヘルツェゴビナ、または ボスニア・ヘルツェゴヴィナであり、「ボスニアとヘルツェゴヴィナ」を意味する。

「ボスニア」の名称についての最初の言及として広く認められているものは、10世紀半ば(948年から952年の間)に東ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス7世によって書かれた帝国地理論(英語版)であり、セルビア人が住んでいる「ボスナ」(ギリシャ語:Βοσώνα)の「小さな土地」(χωρονα)として記述されていた。

ボスナは、ボスニアの中心地を流れるボスナ川の水名に由来すると考えられている。言語学者アントン・メイヤーによると、ボスナという名前はイリュリア語の「Bass-an-as」に由来する可能性があり、これは「流れる水」を意味するインド・ヨーロッパ祖語の語根「bos」または「bogh」から派生したものであると考えられる。

ヘルツェゴビナという名前は「ヘルツェグ(公)の地」という意味であり、ドイツ語の公爵=「ヘルツォーク」から派生した。これは、15世紀にこの地域を支配したサバ公スチェパン・ヴクチッチ(英語版)が「フムと海岸地域のヘルツェグ」を称したことに由来する。フムは、古くはザフルミェ(英語版)と呼ばれていたバンにより征服された中世初期の公国の名称である。オスマン帝国の支配下に入ると、ヘルツェゴビナのサンジャック(英語版)と呼ばれるようになり、行政区分上は、ボスニア・エヤレト(英語版)及び短命のヘルツェゴビナ・エヤレト(英語版)に含まれており、その後、行政区画はボスニア・ヘルツェゴビナに再編された。



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