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ホシノインパル

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株式会社ホシノインパル(英: HOSHINO IMPUL Co., Ltd.)は、東京都世田谷区に本社を置く、元レーシングドライバーの星野一義が代表を務める日本の企業。社名の由来は英単語の「インパルス(impulse)」から。

概要[編集]

1980年6月、静岡県静岡市にて星野一義とモトクロス時代のチームメイトで義弟(星野の妹の夫)でもある金子豊(2015年死去)と共に設立。金子はモトクロスを辞めたあと本田技研工業を経て埼玉ダイハツ販売に勤め、トップの販売実績を持つセールスマンとなっており、星野はかねてから事業を始める時は一緒に始めたいと思い声を掛けていた。星野は金子を口説き落とし、この「社員2名」でインパルは始まった。「インパル」とは、衝撃・衝動の意味を持つ英語「インパルス(IMPULSE)」をもとに、金子が辞書で調べて提案し、星野が「インパルスだとちょっと語呂が悪いから、言いやすいようインパルにしよう」と電話での会話で決定した。役職は星野が代表取締役社長、金子が営業部長(のち副社長)となった。最初は当時静岡だった星野の自宅を本社、埼玉にあった金子の自宅を東京営業所と称して始める事で決まった。

設立の目的は、星野がレースで必要とするパーツの開発・製造を行うと同時に、それらをレースからフィードバックして一般に販売することでレース活動の資金を得ることと、星野は当時32歳であったが、レーサーをいつか辞める時が来る、その時のためにレーシングドライバーだけでは食べていけなくなるとの考えからであった。

1980年、埼玉県狭山市(当時の金子の自宅)に東京営業所設立。

活動初期はホイールの企画・販売(製造は業務提携したエンケイ)を事業の柱としており、星野と金子は営業車を一台買い、その車で多忙なレース活動の合間を縫ってホイールを持参しながら北海道から九州まで地道にホイールを扱う問屋やカー用品店・ディーラーを営業活動で回っていたが、2年近く経ってもなかなか製品はヒットしなかった。

星野と金子がビジネスの厳しさを痛感していた頃に転機が訪れる。星野自身が参戦する富士スーパーシルエットレースでのレース車両「シルビア・スーパーシルエット」にIMPULのホイールを装着し活躍。それを市販化したホイール「D-01シルエット」は、ひと月で2万本売れる大ヒット作となった。

1982年、東京営業所を東京都武蔵野市吉祥寺に移設。「D-01シルエット」の大ヒットにより事業は軌道に乗り、星野がインパルのビジネスが成功した場合は始めたいと構想していたレーシングチームの運営に着手。1983年4月に星野が総監督とドライバーを務め、金子が現場監督となるレーシングチームでホシノインパル関連会社となる有限会社ホシノレーシングを設立。ホシノインパルが運営母体となった(詳細は下記「ホシノレーシング」の節を参照)。

1983年9月より本社を静岡から、東京営業所のある吉祥寺からほど近い東京都三鷹市下連雀に移転。同所は星野と縁深い日産の「日産厚生園 (2002年に売却)」ほど近くに位置していた。同年12月には本社に「三鷹デポ」を設立。

翌1984年4月、三鷹の本社にショールームをオープンさせ、星野も静岡から転居し東京が活動拠点となった。商品ラインナップも増加し、星野のレース実戦でのノウハウを注ぎ込んだ独自のステアリング、主に日産車向けのエアロパーツやチューニングパーツの開発・販売を行い、スポイラー、マフラーなどチューンナップパーツの他、Tシャツやトレーナー等アパレルやキーホルダー、デジタルウォッチ、ステッカー類など多彩な商品展開となった。ホシノレーシング設立以後は同ショールームに星野の駆るF2やGCに参戦するレーシングマシンが置かれていたこともあった。

1988年5月、東京都世田谷区桜丘(環八通り沿い)に新本社と、併設の新ショールームが完成。三鷹から同所へ本社移転が完了、ショールームも移転。これより展示販売・購入受付は世田谷で受け、ユーザー車へのパーツ取付け作業は三鷹デポで行う体制となった。

1999年に世田谷本社ショールーム拡張工事が完成すると、三鷹に残っていたデポを移転併合し機能が集結された。

1990年代以後は、主に北米で販売されている日本未発売の日産車・インフィニティ車の逆輸入販売も手掛ける。さらに規制緩和により可能になったことから日産ディーラーを通じチューニング済みのコンプリートカー(完成車)の販売も開始。海外への展望もあり、マレーシアに事業進出なども果たしている。

星野は「究極的にはメルセデス・ベンツにとってのAMGや、BMWにとってのアルピナのような存在になりたい。日産車をチューンナップ、ドレスアップと言えばIMPULと誰もが思ってくれるような、半歩先に行っているモノを作っていきたい」とインパルの理念や商品コンセプトを語っている。

2014年、星野一義の長男でありレーシングドライバーとしてキャリアを重ねていた星野一樹がホシノインパルに入社。徐々に商品企画や開発に関与して行くこととなる。

2015年5月3日、これまでIMPULを星野と共に支え、体調を崩し3年間闘病していた金子豊副社長が72歳で死去。

2020年、新事業として100%再生可能エネルギーで供給する電力サービス「IMPULでんき」を開始。

2021年をもって一樹が現役レーサーとして参戦していたスーパーGTシリーズの第一線から引退。すでにホシノインパルの取締役にもなっており、これまでのレーサーとの二足の草鞋ではなく社業の商品開発及び運営に本腰を入れて活動する体制となった。

一樹のホシノインパル入り以後は、創業以来これまで父・一義がやって来たインパル製品のエアロパーツの監修やセッティング決定(サスペンションなど)も一樹が受け継ぎ決めている。一義は「近頃は僕は一歩、二歩引いて全体を見る立場。会議などでも僕が口を出さなければ出さないほどイイ車が出来る。ファッション業界と同じで流行のスタイルやユーザーの世代も移っていくものであり、いつまでも70代になった僕がエアロデザインを最終決定しているようではおかしいし、若い世代がそうやって決めていかないといけないよね」と述べている。

ホシノインパル製品[編集]

ガレージインパルはもちろん、一部車種を除き、全国の日産ディーラーでも注文・取付が可能である。

  • アルミホイール
  • サスペンション(オーリンズと共同開発)
  • エアロパーツ(2014年11月現在)
    • フーガ(Y51)
    • スカイライン(V37)(IMPUL 537S)
    • ノート(E12)
    • ジューク(F15)
    • ラティオ(N17)
    • シルフィ(B17)
    • デイズ・ハイウェイスター(B21W) - インパルで唯一、軽自動車がベース。 
    • パトロール(Y62)
    • インフィニティQX70(S51)
    • NV350キャラバン(E26) 他多数
  • ブレーキ(ブレーキパッド、ローター等)
  • シフトノブ
  • エンブレム
  • その他カスタマイズパーツ
  • 完成車(販売終了分も含む)
    • IMPUL 537S Complete (V37スカイライン)
    • IMPUL R32 GT-R Gr.A Version
    • IMPUL 650S/SE(Y50フーガベース)
    • IMPUL 933S Complete(フェアレディZベース)
    • IMPUL ELGRAND Complete(E52)
    • IMPUL SERENA (C26)
    • IMPUL BLUEBIRD SSS Complete(G11ブルーバードシルフィベース)
    • IMPUL CUBE Complete(Z12)
    • IMPUL JUKE Complete(F15)
    • IMPUL MARCH Complete(K13)
    • IMPUL 112S Complete(E12ノート)
    • IMPUL TIIDA/LATIO Complete(C11/SC11)  
  • 海外専売車の国内販売
    • 日産・ムラーノ
    • 日産・パスファインダー
    • 日産・マキシマ
    • 日産・アルティマ
    • インフィニティ・Q50
    • インフィニティ・Q60
    • インフィニティ・Q70
    • インフィニティ・QX30
    • インフィニティ・QX50
    • インフィニティ・QX60
    • インフィニティ・QX80

など。これらの車両は北米仕様車をベースに、灯火類やサイドアンダーミラー(ムラーノ、パスファインダー、QXシリーズ)などを日本国内に合わせての販売となるため、全車左ハンドルとなる。

プロゴルファーの尾崎将司は日産・シーマのインパルスペシャル ジャンボ尾崎バージョンを所有しており、元MLB選手のイチローは、星野ファン・日産ファンであり、イチロー自身の愛車であるシーマやマーチのチューニングをIMPULにオーダーし、アメリカにおいてもIMPULマーチを愛車とした。



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