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フォルクスワーゲン

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フォルクスワーゲン(ドイツ語: Volkswagen)は、フォルクスワーゲンAGの旗艦ブランド。1937年にドイツ労働戦線によって設立され、象徴的なビートルで知られる。ドイツ語でフォルク(Volk)は「人」と訳すことからフォルクスワーゲンとは「国民車」と訳されている。2020年には、フォルクスワーゲンブランドで約50車種が世界で生産された。

来歴[編集]

その他の主なモデル[編集]

歴史的な車種を含む、主な車種を列挙する。

  • フォルクスワーゲン・タイプ1
  • フォルクスワーゲン・タイプ2
  • フォルクスワーゲン・タイプ3
  • フォルクスワーゲン・タイプ4
  • フォルクスワーゲン・ニュービートル
  • フォルクスワーゲン・ザ・ビートル
  • フォルクスワーゲン・ゴルフ
  • フォルクスワーゲン・ジェッタ
  • フォルクスワーゲン・ヴェント
  • フォルクスワーゲン・ボーラ
  • フォルクスワーゲン・ラヴィーダ
  • フォルクスワーゲン・ラマンド
  • フォルクスワーゲン・イオス
  • フォルクスワーゲン・アメオ
  • フォルクスワーゲン・ポロ
  • フォルクスワーゲン・ルポ
  • フォルクスワーゲン・ゴル
  • フォルクスワーゲン・フォックス
  • フォルクスワーゲン・up!
  • フォルクスワーゲン・アマロック
  • フォルクスワーゲン・パサート
  • フォルクスワーゲン・サンタナ
  • フォルクスワーゲン・シロッコ
  • フォルクスワーゲン・コラード
  • フォルクスワーゲン・フェートン
  • フォルクスワーゲン・フィデオン
  • フォルクスワーゲン・パサートCC
  • フォルクスワーゲン・アルテオン
  • フォルクスワーゲン・トゥアレグ
  • フォルクスワーゲン・ティグアン
  • フォルクスワーゲン・T-Roc
  • フォルクスワーゲン・T-Cross
  • フォルクスワーゲン・ニーヴァス
  • フォルクスワーゲン・アトラス/アトラス クロススポーツ
  • フォルクスワーゲン・トゥーラン
  • フォルクスワーゲン・シャラン
  • フォルクスワーゲン・ルータン
  • フォルクスワーゲン・クラフター
  • フォルクスワーゲン・キャディ
  • フォルクスワーゲン・ID.3
  • フォルクスワーゲン・ID.Buzz

開発・生産[編集]

研究・開発[編集]

グループの研究・開発の中心はヴォルフスブルクにあり、すべてのブランドに対して行なっている。国際的に技術・市場調査も行っており、米国カリフォルニア州の研究所(Electronic Research LabおよびFuel Cell Development Lab)、日本の東京事務所、中国の北京事務所(Vokswagen Group Research in China)を持っている。

生産[編集]

ドイツで販売のおもなモデルは、ヨーロッパのみならず中南米(メキシコ・ブラジル)・アフリカのフォルクスワーゲン工場から調達していることが分る。

乗用車:

  • ヴォルフスブルク(Wolfsburg Volkswagen Plant) - フォルクスワーゲン・ゴルフ、ゴルフ・スポーツ・バン、ティグアン、トゥーラン
  • カッセル(Kassel) - Getriebe, Pressteile, Abgaßanlagen, Gießerei
  • ドレスデン(Transparent Factory) - e-Golf
  • エムデン(Volkswagenwerk Emden) - フォルクスワーゲン・パサート、アルテオン
  • ツヴィッカウ・モーゼル(Volkswagenwerk Zwickau) - ゴルフ、ゴルフ変種、パサート変種
  • スロバキア・ブラチスラヴァ - フォルクスワーゲン・トゥアレグ、up!
  • ポルトガル・パルメラ - フォルクスワーゲン・シャラン、T-Roc
  • スペイン・パンプローナ - ポロ
  • メキシコ・プエブラ(Volkswagen de México) - フォルクスワーゲン・ザ・ビートル、パサート、ジェッタ、ゴルフ変種
  • ブラジルSão José dos Pinhais - ゴルフ
  • 南アフリカ・オイテンハーヘ - ゴルフ、ポロ

商用車:

  • ハノーファー(Volkswagenwerk Hannover) - T6、Amarok
  • ポーランド・ポズナン - フォルクスワーゲン・キャディ、T6
  • ポーランドWrześnia - Volkswagen Crafter

世界展開[編集]

日本での事業展開[編集]

1953年(昭和28年)よりヤナセにより輸入が行われた。当初から右ハンドル仕様を用意するなど、日本市場に適した製品の積極的な導入により、輸入車のトップシェアを維持していった。

1983年(昭和58年)7月にフォルクスワーゲンの直接の子会社であるフォルクスワーゲン株式会社が設立され、1989年(平成元年)8月には「フォルクスワーゲンアウディ日本株式会社」となって系列の販売店をオープンし、より直接的な販売にも乗り出した。しかし1991年(平成3年)にトヨタがVW車の販売を始めると表明するとヤナセとの関係が悪化し、ヤナセは『値引き合戦が激しくなり、ブランドイメージが保てなくなる』として1992年(平成4年)12月をもってVWの輸入、販売を取りやめた。

その後は地場資本の「ファーレン店」とトヨタ系の「DUO店」で販売を行い、かつてVWのインポーターであったヤナセも2005年(平成17年)に「ヤナセヴィークルワールド」を立ち上げ、VW車の販売を再開した。

2009年(平成21年)12月にはスズキとの包括的提携を発表し、VW側はスズキの発行済株式の19.9 %を取得する一方で、スズキ側もVW株を「VWがスズキ株式の取得に投じた金額の2分の1を限度として」取得するほか、ハイブリッド車等の開発でも提携する こととなったが、2011年9月にスズキ側より提携解消が発表された。

なお1984年(昭和59年)から1991年(平成3年)にかけて、日産自動車との提携により「サンタナ」を同社の座間工場でノックダウン生産し、同社の販売店とヤナセで販売していたものの、これまでにフォルクスワーゲンが日本国内に自社工場を構え、生産を行ったことはない。

なお、日本でのサンタナの後継となる3代目「パサート」は、ヤナセがセダンとバリアントを輸入、販売し、日産がセダンのみを輸入、販売するといった変則的な方法が取られたが、VWとトヨタとの提携が始まったことで、日産扱い分は終了している。

中国での事業展開[編集]

中華人民共和国では、古くから国内の自動車業界で1、2位を争う大手である、上海汽車と第一汽車の双方と生産・販売協定を行っている。フォルクスワーゲンは同国において国外の自動車メーカーで最初に合弁企業を設立した会社である。また部品工場も保有する。

商標は「フォルクスワーゲン = 国民車」から「大衆」で、簡体字表記では「大众」となる。また、「众(衆)」の字はVWのロゴマークとよく似ている。

2008年に開催された北京オリンピックでは「北京2008パートナー」(同国内・同大会関連でのみ権利のあるローカルスポンサー)のひとつとなった。

北米での事業展開[編集]

1949年にアメリカ合衆国に輸出が開始されて以来、恐竜にも例えられた国産車への対抗馬として大いに現地市場に浸透し、かつては代表的な大衆車であったが、1970年代後半に開始されたラビット(Rabbit:初代ゴルフの現地名)現地生産での失策(運転感覚や車種のキャラクターを一般的アメリカ車に近づけすぎた)と、同時期の日本車の好評によるシェアの伸長以降、長期低落状態に陥り、アメリカにおける市場シェアが2007年で2 %以下まで下落している。品質・信頼性に関する問題に加え、「割高で、つまらない自動車」と捉えられていることが原因とされる。

2006年には、販売不振だった高級乗用車・フェートンの販売を中止した一方、イメージ挽回をかけて、先代GTI(北米では独立した車名となっている)の広告でMTVの人気番組Pimp My Rideをパロディにしたキャンペーンを行ったり、その直後には基幹車種であるニュービートル、ラビット(五代目ゴルフの現地名)、ジェッタの特売キャンペーンを展開していた。

2008年7月15日に、フォルクスワーゲンはテネシー州チャタヌーガ市で自動車組立工場を建設すると発表した。現地では新型クロスオーバーSUV「アトラス (Atlas)」を、2018年モデルとして生産を始める予定である。

ブラジルでの事業展開[編集]

1953年にブラジルの現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」を設立し、「ビートル」や「パサート」などの生産を行うとともに、「ブラジリア」や「ゴル」などの独自車種の開発、生産も行っている。1979年には、経営危機を受けブラジル市場から撤退したアメリカのクライスラーの工場施設や販売拠点を買い取り、中型トラックの生産にも進出した。

現在は国内に5か所の生産工場を構え、独自開発した「フォックス」をはじめとする、同国で生産した車種を南アメリカの近隣諸国やヨーロッパ、北アメリカ諸国へ輸出するなど、国外における一大拠点として位置づけられている。

イランでの事業展開[編集]

2017年7月4日、フォルクスワーゲンは、2015年のイラン核開発協議の合意に伴う制裁解除を受け、同年8月より17年ぶりにイラン向けの自動車(パサート、ティグアン)輸出を開始すると発表した。フォルクスワーゲンは、潜在的な新車需要はイギリス市場を上回るものと見ている。

モータースポーツ活動[編集]

1970年代後半からラリーやヒルクライムでゴルフを用いてのワークス活動が行われた。小排気量ながら前輪駆動で小回りの利くボディを活かして活躍し、1986年WRC(世界ラリー選手権)のグループB最終年に一度だけ開催されたグループA車両の世界選手権では、ゴルフGTIでタイトルを獲得した。ゴルフは各国でワンメイクレースも開催され、人気を博した。

2001年にはジュニアフォーミュラのフォーミュラ・フォルクスワーゲン・ドイツを開催。しかしエントリーが集まらず、わずか3年の開催で終了した。

2002年からはダカール・ラリーに参戦。ターレック、レーストゥアレグで三菱の牙城に挑むも、なかなか崩せなかった。2009年に南米へ舞台を移した後、三菱ワークスの最終年に雪辱を果たして初優勝。以降は常勝軍団となり、BMW/X-raid勢を圧倒し続け、2011年には1-2-3フィニッシュで3連覇を達成して去った。2008年にはバハ1000にトゥアレグのトロフィー・トラックでの参戦も行った(13位完走)。

この間の2007年からF3用エンジンの供給も開始。欧州F3を2度制した。全日本F3でも2016年にB-MAX RACINGの高星明誠が、2019年に同じくサッシャ・フェネストラズがチャンピオンとなり、トムス/トヨタが支配する領域に新風を吹き込んだ。

2011年はWRCに復帰し、傘下のシュコダのマシンを用いてチームオペレーションの訓練を行った。このように万全の体制を敷いて2013〜2016年は最高クラスにWRカーのポロ R WRCを投入。セバスチャン・オジェ/ジュリアン・イングラシア組とともに完全無欠の3冠(ドライバー/コドライバー/マニュファクチャラー)4連覇を達成した。また同時期開催されていた北米のグローバル・ラリークロスでも、スコット・スピードが操るビートルのRXスーパーカーが圧倒的な速さを見せつけ、シリーズの最終3年間を3連覇した。

その後ディーゼル不正問題(後述)の影響によりWRCは撤退、EVへシフトする姿勢を打ち出すとともに、プロトタイプレーシングカーの姿をした、4WDのEVハイパーカー・ID.Rを開発。これをニュルブルクリンクやパイクスピーク・ヒルクライムなどに持ち込み、タイムアタックを敢行して数々の新記録を打ち立てた。パイクスピークでは史上唯一7分台に達したマシンとなった。またフォーミュラEでも、2015年から傘下のアウディを運用するアプト・スポーツラインの戦略的パートナーに加わった。

一方でグループR5仕様のポロや、TCR仕様のゴルフなども開発してプライベーターへ供給。2019年のFIA-F3誕生に伴う規定変更により、F3用エンジン供給からは撤退したが、世界ラリークロス選手権でもプライベーターへの支援を行う形でセミワークス参戦して2017・2018年にポロが圧勝でチャンピオンを獲得するなど、従来のようなガソリンエンジン車のレース活動への関与も続けられた。

2020年にはバハ1000に向けてトロフィー・トラックのアトラスを発表するが、2020年末を持ってモータースポーツ事業そのものから撤退することを決めたため実現しなかった上に、上記活動は全て終了となった。以降のポロR5のパーツ供給は、オランダのプライベーターに移管された。

フォルクスワーゲンが関わっていないものとしては、初代ビートルはコンポーネントを流用して初期のレーシングカーによく用いられた。1963年に空冷式水平対向エンジンを流用したフォーミュラ・Veeがアメリカで誕生し、欧州やオセアニア、南アフリカなどにも普及した。この簡素で安価なフォーミュラカーによるレースは、初代ビートルが稀少となった現在も行われている。また同様に、北米のバハ1000はじめとするデザートレースでは、「バハ・バグ」をはじめとする、ビートルのRRレイアウトのコンポーネントを流用して改造したバギーカーを製作するのが現在も盛んに行われており、複数の専用クラスが存在する。

フォルクスワーゲンの日本での呼称[編集]

Volkswagen」(=国民車)の標準ドイツ語発音は「フォルクスヴァーゲン [ˈfɔlksˌvaːgn̩] (https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Speaker_Icon.svg/13px-Speaker_Icon.svg.png 音声ファイル)」だが、日本では "Wagen" の部分を正確なドイツ語読みではなく、慣用的な表記「ワーゲン」にしている。これはヴァ行の発音が本来無い日本語においては広く行われている(例:リヒャルト・ワーグナー、ブルーノ・ワルターなど)。

フォルクスワーゲン社の日本法人が1983年7月に『フォルクスワーゲン株式会社』として設立されたことにより、日本でのこの名称は公式なものになった。現在はフォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社に改名している。

日本では『フォルクスワーゲン』およびその短縮形の『ワーゲン』は長い間、同社の『フォルクスワーゲン・タイプ1』を指す愛称として用いられてきた。本国ドイツではこれを「カブトムシ」を意味する『ケーファー(Käfer)』と呼び、英語圏では同意の『ビートル(Beetle)』の呼称が広く用いられた。日本でも「ビートル」の愛称はよく知られている。アメリカでは『虫(バグ、Bug)』とも愛称されるが、日本ではビートルを趣味の対象とするマニア内の用語に留まっている。なおメキシコでは「Vocho」(ボッチョ:スペイン語で『虫』を意味する Bicho(ビチョ)と Volkswagen からの造語)、タイではタオ(亀)の愛称で呼ばれる。

株主[編集]

2005年9月、創業時から関係の深いポルシェ・オートモービル・ホールディングSE(以下PAHSE)はフォルクスワーゲンAGの株式20%を取得し、筆頭株主となった。

2009年1月の時点では、PAHSE社の持ち株比率は50.76%となっており、同社による子会社化が完了した。また今後は複数の金融機関から追加取得できる権利も含めると75%まで買い増す方針が伝えられたが、フォルクスワーゲンはこれに抵抗した。

2009年に入るとPAHSE社は資金繰りに行き詰まってしまい、2011年半ばをめどに、フォルクスワーゲンがPAHSE社傘下のポルシェAG社を買収する形で経営統合する方針であることが明らかとなった。PAHSE社はフォルクスワーゲンとカタール投資庁へのポルシェAG社株式の売却により財務の改善を行うことに成功する。

2009年10月にはフォルクスワーゲンがPAHSE社の保有するポルシェAG社の株式の49.9%を取得した。

PAHSE社の株式は市場売買可能なものの、議決権のある株式の90%以上を一族が保有しているため、依然としてフォルクスワーゲンAG社の議決権の過半数を所有しているのはPAHSE社であり、また同社を支配する創業者一族である。

上記のように、フォルクスワーゲンは2011年度中にポルシェAGとの経営統合を目指していたが、PAHSEによるフォルクスワーゲン株式取得をめぐる訴訟問題の解決が長引いたため、両社の経営統合に遅れが生じた。

2012年7月、フォルクスワーゲンは残るポルシェAG社の全株式を44億6000万ユーロで取得し、完全子会社化すると発表した。依然としてフォルクスワーゲン社の株式の過半数はPAHSE社が保有している。

「ポルシェが買収された」「ポルシェがフォルクスワーゲンと合併した」と報道されることが多いが厳密にはポルシェの創業者一族による支配企業の統合である。

2015年現在、ポルシェ家とピエヒ家が50%強、ニーダーザクセン州が20%の株式を所有している。



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