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ビヨンセ

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ビヨンセことビヨンセ・ノウルズ・カーター(英語: Beyoncé Knowles-Carter、1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身のシンガーソングライター、ダンサー、音楽プロデューサー、女優。

デスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、プロデューサーも兼ねた。

グラミー賞の歴代最多受賞記録とノミネート記録を保持している。2023年時点で88回ノミネートうち32回受賞を果たしている。

愛称は“B(ビー)”、“Queen Bey”。身長170cm。婚姻後の本名は、夫・ジェイ・Zの苗字「カーター」 (Carter) になっている。妹であるソランジュも全米アルバムチャート1位を記録する人気アーティストである。

概要[編集]

「最もホットな女性」「最も才能に溢れたシンガーソングライター」「伝説的なディーヴァ」など、様々な面での極めて高い評価上の称号を有し、その美貌は多くの女性たちからの羨望を受け、トミーヒルフィガーの香水「トゥルースター」をプロデュースしたりと、いつしか知名度はデスティニーズ・チャイルドを超え、ソロデビューからアルバム連続6作品すべて初登場1位を獲得した史上初の女性アーティストになった。

これまでのCDトータルセールスは全世界で1億枚以上、デスティニーズ・チャイルド時代の売上枚数3,000万枚を含めると、全世界で1億3,000万枚を超える。

人物[編集]

アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)と、ルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアン、フランス人の血を引く)を持つティナ (Tina) との間に、長女として生まれた。フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名「ビヨンセ」と命名される。Beyoncé(発音は異なる)は母・ティナの旧姓で、結婚する時に苗字を継ぐ男兄弟がいなかったために生まれた長女に「ビヨンセ」と名付けた。

幼少時からアレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、ジェームス・ブラウン、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、シャギー・オーティス、ジャクソン5、スプリームス等が好きで、ソウルミュージックやゴスペル、R&Bに夢中になり、次第にそれ以外の音楽も聴き、自分なりの音楽スタイルを求めるようになった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、最初にビヨンセの才能を見出したダンス講師の勧めで学校主催のタレント・ショーに出場した。ビヨンセはステージの上では自分がまったくの別人に生まれ変わることに気づき、パフォーマンスへの自信をつける。

娘の潜在能力に気づいた両親は、地元ヒューストンで7人組(すぐに6人組になる)のガールズ・グループ「ガールズ・タイム」 (Girl's Tyme) を結成させた。ビヨンセは、マイケル・ジャクソンやティナ・ターナーのライブを観てスターを目指し、12歳の頃は、母・ティナがやっていた美容室の客に向けて歌ったりしていた。

「ガールズ・タイム」はなかなか大きな成果を得られなかったため、ビヨンセの父・マシュー・ノウルズが、当時勤めていたゼロックス社の職を辞して全マネージメントを一手に引き受けることになった。ビヨンセたちメンバーは10代の半ばになると、レッスンに専念するために学校を中退して(代りに家庭教師をつけた)、メジャー・デビューに向けて地道な活動を続けた。ビヨンセは父の厳しい指導の元、才能を磨いていき、聖歌隊員として教会でも歌っていた。

映画出演[編集]

女優業にも興味を持っていたことから、特に演技の準備もせず、MTVでメキ・ファイファーと共に、2001年にヒップホペラ(ヒップホップ・オペラの合成語)『カルメン:ア・ヒップ・ホペラ』(Carmen: A Hip Hopera) に出演。これは、1954年にハリー・ベラフォンテとドロシー・ダンドリッジが共演したミュージカル映画『カルメン』のリメイクで、女優デビューした作品となった。

2002年7月、映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(Austin Powers in Goldmember) では、フォクシー・クレオパトラ役でマイク・マイヤーズと共演。ビヨンセはアフロヘアーになって演じた。また、同映画サウンドトラックにザ・ネプチューンズプロデュースによる初のソロシングル「ワーク・イット・アウト」(Work It Out) を提供するも、イギリスでトップ10、オランダ・オーストラリアではトップ40と奮わなかった。アメリカでもラジオでほとんど曲が流れず、PVもMTV, VH1 Soulなどでわずかに露出しただけであった。

2004年、キューバ・グッディング・JrとMTV映画『ファイティング・テンプテーションズ』(The Fighting Temptations) に出演。主題歌「ファイティング・テンプテーション」ではミッシー・エリオット、Free, Lyte M.C.をフィーチャリング。映画はほどほどの興行成績を収めたが、曲はそれほどヒットしなかった。

2006年2月10日には、ザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演した『ピンクパンサー』がアメリカで公開された(日本では同年5月12日に公開)。映画の主題歌になったシングル「チェック・オン・イット」(Check On It) は5週連続全米1位を記録し、PVでは全身ピンクに装ったビヨンセがダンスを披露。ピンク色のヒールブーツは、自身もファンであるBAPEの特注品である。

同じく2006年には、人気コーラス・グループのシュープリームスをモデルにしたミュージカル『ドリームガールズ』の映画版に主演。ダイアナ・ロスをモデルにしたキャラクター、ディーナ・ジョーンズを演じた。カーティス役にジェイミー・フォックスのほかにエディ・マーフィ、ジェニファー・ハドソンなどが出演した。ビヨンセは役作りのために半年間の厳しい食事制限をし、とうがらしにメープルシロップとレモン水を混ぜたものを飲み、14日間で10キロもダイエットしたという。ちなみにその後は魚と野菜を中心とした食事を補い健康管理をし、撮影が終わるとフライドチキンなどの揚げ物を食べて元の体重に戻した。映画は12月にアメリカで公開され、ビヨンセはゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。

2008年12月全米公開のチェス・レコードを題材にした映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』(Cadillac Records) では、ブルース・シンガー、エタ・ジェイムスの役で出演し、エタの代表曲「アット・ラスト」 (At Last) 、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」 (I'd Rather Go Blind) などを歌った。

2009年4月24日に全米で公開されたサスペンス映画『オブセッション』(Obsessed) は、公開と同時に全米No.1を記録。本作では出演のみならず、製作総指揮も兼任した。日本では劇場未公開となったが、『オブセッション 歪んだ愛の果て』という邦題で、2009年10月7日に日本版DVDが発売された。

2009年5月に公開されたアニメ映画『Wow! Wow! Wubbzy!: Wubb Idol』(Wow! Wow! Wubbzy!: Wubb Idol) にゲストで声の出演した。

2012年公開予定とされた『スタア誕生』のリメーク版映画(クリント・イーストウッド監督)で主演を務めることが決定していたが、妊娠・出産のため制作は延期された。

2013年2月に、自身でプロデュースした自伝的記録映画『ライフ・イズ・バット・ア・ドリーム』(Life Is But a Dream) を、HBOテレビで放映し、自身のプライベート・ビデオや愛娘の姿が公開された。

2013年5月に公開された3Dコンピュータアニメーション映画『エピック』(Epic) で、「Queen Tara」の声の吹き替えを担当した。

ファッション・ブランド[編集]

2005年11月に、ファッション・ブランド「ハウス・オブ・デレオン」(House of Deréon) を、母親・ティナと共に立ち上げた。「デレオン」は裁縫士だったビヨンセの祖母・アグネスの名からちなんでいる。「ハウス・オブ・デレオン」が掲げる3つのテーマは、「クチュール」「ソウル」「エキサイトメント」。設立に先駆け、デスティニーズ・チャイルドのワールドツアー中の9月9日、ファッション・ロックス・コンサートで実際に服を何着か着て披露した。このファッションは、メイシーズ(アメリカ)などの有名百貨店で入手可能。また、日本のジュエリーメーカーサマンサ・タバサと契約し、バッグやジュエリーのプロデュースに参加したり、ビヨンセ自身が製造過程に関わっているフレグランスのブランド「Beyoncé」から、「HEAT」「PULSE」「HEAT RUSH」「MIDNIGHT HEAT」「RISE」などの香水も発売している。

人物・私生活[編集]

愛称の“Queen Bey”は“Queen Bee”と同発音。そのためライブでは蜜蜂や女王蜂のコスチュームを身につけることがよくある。また、アレルギーを持つ娘の治癒効果にハチミツが有効であることから、自宅で養蜂も営んでいる。

ヘアスタイルやヘアカラーを頻繁に変え、ロレアルのヘアカラーリング商品のテレビコマーシャルにも出演した。本人の地毛は黒人特有の黒いカーリーヘアであり、CM出演時も含めウィッグを愛用し、ブロンドがかったウェーブの髪型にしていることが多い。

ビヨンセがマイケル・ジャクソンを目標にしていることは有名である。デスティニーズ・チャイルド時代のライブで、マイケル・ジャクソンが自分たちの舞台のそでに立って見ているのを発見した時には、興奮のあまりその場で倒れそうになって歌詞をすっかり忘れてしまい、他の二人が穴埋めしたというエピソードがある。

ビヨンセのワールドツアーにピアニストとして参加した唯一の日本人である辻利恵は、ビヨンセはメンバーそれぞれにソロパートを設けてくれるなど、バンド思いの人で、さらに裏表がない性格で、非常に優しい人物であると述べている。

ステージでのパフォーマンスのイメージと実際のビヨンセは大きくかけ離れ、そのギャップに驚く人々が多いという。ビヨンセ自身も、ステージ上での挑発的でグラマラスな人格を「サーシャ・フィアース」(もう一人の自分。サーシャという名は従姉妹のアンジーが名付けた)と呼び、現実の世界の自分はもっと傷つきやすい人間だと再三語っている。ステージ上で自分がまったくの別人に生まれ変わることに気づいたのは、少女時代に初めて出場した学校主催のタレント・ショーだったという。ステージに立つとビヨンセは無意識に「サーシャ」に変身し、ステージで何をしたのか後で覚えていないこともたびたびあり、高価なブレスレットを観客に向かって投げたことを覚えておらず、アシスタントのアンジーが慌ててそれを回収しに走らなければならなかったこともあったという。

また、ワールドツアー「ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス」(The Beyoncé Experience) のフロリダ州オーランド公演の際(7月24日)、衣装のロングコートの裾にハイヒールのヒールを引っかけ、「リング・ジ・アラーム」(Ring The Alarm) のイントロで10数段の階段を頭から転げ落ちたハプニングがあった。その時も顎を打ち本気で痛かったが、とにかくとっとと立ち上がらなければと思い、その後すぐにガンガン髪を振り乱して、自分でもなんだったのか分からない状態で、びっくりしすぎて逆にハードにやっちゃえという感じだったと述べ、そういう失敗があると自分に腹が立って余計パフォーマンスに力が入るとCNNのインタビューにビヨンセは答えている。

対面取材した記者によると、ステージ裏の素顔のビヨンセは礼儀正しく控え目な印象であるという。しかし、プライベートでは夫への積極的な愛情表現はやはり情熱的であるところが垣間見え、また、祖母から母、自分に繋がる祈りの心や、何度も「神」の存在を口にして、「自分を超えたところにある神の意志」に自らを委ねようとする敬虔さを持つなど、一般的に想像するよりも保守的で女性らしい面がある。

妹のソランジュ (Solange Knowles) はデスティニーズ・チャイルドのバックダンサーを務めるなどしていたが、2004年にアルバム『ソロスター』(Solo Star) でデビュー直後、デスティニーズ・チャイルドに加入するとの噂も流れたが、結局メンバーになることはなく、アメリカンフットボール選手のダニエル・スミス(Daniel Smith) との子を妊娠し、結婚する(後に離婚)。ソランジュの息子・ジュールズ(甥)をビヨンセは可愛がっていて、第52回グラミー賞の授賞式にも帯同したり、2010年の約9か月間の活動休止の充電期間中も一緒にフロリダ州のディズニーランドへ行くなど行動を共にしていた。

好きな花については、香りだったらクチナシが好きだが、美しさに関しては蘭が一番好きだと言い、自身の結婚式には10万本のデンドロビウムを用意した。

ビヨンセ一家は「ポップス界のロイヤルファミリー」「黒人社会のロイヤルファミリー」と形容される。

論争[編集]

2003年7月4日にテレビ放送されたアメリカ独立記念日祝典で披露した「クレイジー・イン・ラブ」のパフォーマンスが論争を巻き起こす。ビヨンセがユリシーズ・S・グラント大統領の墓地の階段でふさわしくないダンスをしたとグラント・モニュメント協会は非難し、関係者に書状を送った。これに対し、グラント大統領のひ孫にあたるチャップマン・フォスター・グラントは「いまの世の中、あの方法で誰が気にかける? だれが分かるか? 年寄りが生きていたら、楽しんだかもしれない」とコメントした。

また、同年終わり頃に、ビヨンセは著作権侵害容疑でシンガーソングライターのジェニファー・アーマーという若い少女から告訴された。ジェニファーは楽曲をビヨンセのレーベルに送ったが、許可なく使用された、また2003年にヒットしたビヨンセのシングル「ベイビー・ボーイ」が自身の曲「Got a Little Bit of Love for You」の歌詞に似ていると主張。2006年10月頃、ヒューストン連邦裁判所は2つの曲が「ほとんど異なる」と原告側の訴えを全面的に却下する判決を下し、ビヨンセは無罪となった。ビヨンセは「今回のような訴訟が起きたことは残念だが、無罪となって安心したし、早く次に進みたい」とコメントを発表した。

2007年6月9日に、ダブリン(アイルランド)でのコンサート中、ステージ上で煙草を深く吸って吐き出す仕草の真似をした後、「最高ね」とつぶやくパフォーマンスをした。これに対し、アイルランド癌協会から「若者の間で影響力のあるビヨンセが、喫煙を魅力的なものとして推奨していることに対して腹立たしく、遺憾に思う。ビヨンセや彼女と同等の立場にある歌手には、自分たちの行動が将来ある若者に及ぼす甚大な影響について真剣に考えていただきたい」と抗議された。

彼女はよく公の場で毛皮製品を身に付けていたため、度々PETAから名指しで非難されていた。同団体を支持する歌手のピンクからも「(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思ってるかもしれないけど、大間違い。何の毛皮を着てるのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにと思う」と非難されたこともあった。毛皮とは別件で、ビヨンセが飼っているペットのシーズー犬を放置しているという噂が流れたときには同団体に調査されるなど決して仲は良好ではなかったが、2007年頃からビヨンセが毛皮を身に付けなくなったため、PETAとの関係は改善しつつある。

記録[編集]

  • アメリカ・イギリスで同時にアルバム・シングルともに1位を記録した、初の女性アーティスト。
  • アフリカ系アメリカ人女性として初のASCAP Pop Awards "Songwriter of the Year" (2001)を受賞。
  • 2003年に最もセールスを記録した女性R&Bアーティスト。
  • 2005年にアカデミー賞のベスト・オリジナル・ソング賞にノミネートされた5曲のうち、3曲をビヨンセが授賞式で歌った。
  • ソロで5つのグラミー賞を獲得し、たった1年でアリシア・キーズ、ノラ・ジョーンズ、ローリン・ヒルを超える記録を打ち立てた。
  • 5つのグラミー賞、4つのMTVビデオ・ミュージック・アウォーズ、Brit AwardsでBest International Solo Artist など、30以上の賞を受賞した。
  • ビルボードシングルチャート「Crazy In Love」8週連続1位、「Baby Boy」9週連続1位、「Irreplaceable」10週連続1位
  • ビルボードシングルチャート「Single Ladies」4週連続1位。「If I Were A Boy」最高3位。「Halo」最高5位。「Sweet Dreams」最高6位。
  • 2010年のグラミー賞では女性アーティストとして最多タイ記録となる10部門でノミネートされ、主要部門とされる最優秀楽曲賞(「Single Ladies」)を初め6部門で受賞となった。これで自身の女性アーティスト最多の5部門受賞(2003年)の記録を塗り替え、6部門受賞という快挙を成し遂げた。
  • 2004年MuchMusicが実施した「最もセクシーな女性20人」では1位になった。2005年は20位だった。
  • 2007年のAskMen com.が実施した「最も魅力的な女性99人」という企画で、男性850万人の票を集め「理想の恋人1位」となった。

資産・収入[編集]

2009年4月、雑誌『パレード』が「セレブの年収」を発表し、8,000万ドル(日本円で約80億円)を稼いだことがわかった。夫のジェイ・Zの収入も8,200万ドル(日本円で約82億円)あり、夫妻の世帯年収は160億円を超えていることになった。

2010年7月、経済誌『フォーブス誌』が2009年6月1日から2010年6月1日までの1年間で「最も稼いだ30歳未満のセレブリティ12人」を発表し、ビヨンセは8700万ドル(日本円で約78億3,000万円)を稼いで2年連続1位にランクインした。ビヨンセは音楽業を中心にコマーシャルや洋服のデザイナー業の収入があったという。2010年12月には「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」のランキングで、8,700万ドル(日本円で約71億3,400万円)を稼いで9位となった。

2011年4月、雑誌『ピープル』によると、ビヨンセ&ジェイ・Z夫妻がフランス・パリ中心部にある5つ星ホテルの「Le Meurice」の一泊2万ドル(日本円で約170万円)のスイートルームに音楽機材を持ち込んで新アルバムのレコーディングをしたという。プライベートジェットでパリに到着したビヨンセとジェイ・Zはホテル内のスイートルームを宿泊用とビヨンセの新曲のレコーディング用に2部屋を借りて1部屋を即席のスタジオに変えたという。スイートルームにはプライベートキッチン、ダイニングルーム、そして広大なオープンテラスまで付いているという。

2011年6月、雑誌『フォーブス』が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」を発表し、昨年からの1年間で3,500万ドル(日本円で約28億円)を稼ぎ、8位にランクインした。

2011年8月には、「世界で最もリッチなセレブのカップル」のランキングで、2010年のビヨンセの年収が3,400万ドル(日本円で約25億8,400万円)でJay-Zの年収が3,600万ドル(日本円で約27億3,600万円)となり、2位になった。

慈善活動[編集]

2005年のハリケーン・カトリーナによるヒューストン地域の被害者救済のために、ビヨンセはケリー・ローランドと共に「サバイバー財団」を設立し、先ず25万ドルの寄付と仮設住宅を提供した。それ以後、財団は市内の他の慈善団体と連携拡張し、3年後には、ハリケーン・アイクの被害者救済をした。

2010年のハイチ地震においては、ジョージ・クルーニーやワイクリフ・ジョンと一緒に、テレソン「ハイチへの希望:地震被害救済のためのグローバル基金」(Hope for Haiti Now: A Global Benefit for Earthquake Relief) に参加し、「アメリカ・ファッションデザイナー協議会」(CFDA) が限定版で製作した「ハイチのためのファッション」Tシャツの公式の顔に選ばれて、合計100万ドルの捻出に貢献した。また、同年3月5日には、母親・ティナと共にブルックリンのフェニックスハウス(Phoenix House)で、男性と女性のための7か月の美容トレーニングコースを提供する「ビヨンセ美容センター」を開いた。ロレアルは、そこで中心的に使用されるすべての化粧品を寄贈し、ビヨンセとティナは、年間10万ドルの寄付を約束した。

ビヨンセは、2012年の「世界人道の日」(World Humanitarian Day) のキャンペーン大使となり、楽曲「アイ・ワズ・ヒア」(I Was Here) と、そのミュージック・ビデオ、国連で撮影したショットを提供した。8月19日には、そのビヨンセのキャンペーンがきっかけでソーシャルメディアが動き、レディー・ガガ、ジャスティン・ビーバー、ミシェル・オバマら有名人の協力が得られるようになり、同時期に行われた関連イベントに1億以上のメッセージがシェアされた。

2013年、ビヨンセは女性のエンパワーメントを広めることを目的として、グッチの「Chime for Change」キャンペーンに、サルマ・ハエックとフリーダ・ジャンニーニと共に協力すると発表し、2月28日に新曲をキャンペーン・ソングとして放映した。そのキャンペーン・コンサートは、6月1日にロンドンで行われ、その他エリー・ゴールディング、フィレンツェ、マシン、リタ・オラなども演奏した。

またビヨンセは、食品の寄付キャンペーン「Miss a Meal」に参加し、Charitybuzzでのオンライン・チャリティーオークションを通じて、欧州と米国全体の雇用創出をサポートする「グッドウィル・インダストリーズ」を支援している。

コンサート[編集]

ソロツアー[編集]

  1. デンジャラスリィ・イン・ラブ・ツアー - Dangerously in Love Tour(2003年11月3日 – 19日)
    初のソロツアー。イギリス、アイルランド、オランダの3か国で開催。計9公演。11月10日のロンドンのウェンブリー・アリーナでのライブがDVD『Live at Wembley』に収録。
  2. ヴァリゾン・レディース・ファースト・ツアー - The Verizon Ladies First Tour(2004年3月12日 – 4月21日)
    アメリカで開催。アリシア・キーズ、ミッシー・エリオット、タミアも参加。計30公演。
  3. ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス - The Beyoncé Experience(2007年4月10日 – 11月12日)
    自身初のワールド・ツアー。アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカ、アフリカなどを凱旋。計96公演。9月2日のロサンゼルスのステイプルズ・センターでのライブがDVD『The Beyoncé Experience Live』に収録。
  4. アイ・アム…ワールド・ツアー - I Am... World Tour(2009年3月26日 – 2010年2月18日)
    2度目のワールド・ツアー。北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、中東、南アメリカなどを凱旋。計108公演。世界各所のライブをまとめたものがDVD『I Am World Tour』に収録。
  5. ザ・ミセス・カーター・ショウ・ワールド・ツアー - The Mrs. Carter Show World Tour(2013年4月15日 – 2014年3月27日)
    3度目のワールド・ツアー。ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリアなどを凱旋。計132公演。
  6. ザ・フォーメーション・ワールド・ツアー - The Formation World Tour(2016年4月27日 - 10月7日)
    4度目のワールド・ツアー。北アメリカ、ヨーロッパを凱旋。計49公演。

レジデンシー・ショウ[編集]

  1. アイ・アム…ユアーズ – I Am... Yours(2009年7月30日 – 8月2日)
    ネバダ州ラスベガス・バレーパラダイスの「Encore Theatre」でのライブ。8月2日のライブをDVD『I Am Yours』に収録。
  2. 4 インティメイト・ナイツ・ウィズ・ビヨンセ - 4 Intimate Nights with Beyoncé(2011年8月14日、16日、18日、19日)
    ニューヨークの「ローズランド・ボールルーム」(Roseland Ballroom)でのライブ。計4公演。8月19日のライブをDVD『Live at Roseland: Elements of 4』に収録。
  3. レヴェル・プレゼンツ:ビヨンセ・ライヴ - Revel Presents: Beyoncé Live(2012年5月25日 – 28日)
    ニュージャージー州アトランティックシティでのライブ。計4公演。

広告[編集]

  • ペプシ - ブリトニー・スピアーズ、ピンクとトリオのグラディエーター役でCMに出演し、クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をカバー。
  • ロレアル
  • サマンサ・タバサ
  • マクドナルド(デスティニーズ・チャイルドとして)
  • トミーヒルフィガー - トゥルー・スター(2004年)、トゥルー・スター・ゴールド(2005年)。「ウィッシング・オン・ザ・スター」(Wishing on a Star) がプロモーション・ソングとなった。
  • 大塚ベバレジ - クリスタルガイザーに「スウィート・ドリームズ」(Sweet Dreams) が起用され、本人も出演。
  • H&M
  • エンポリオ・アルマーニ - ダイアモンズ(香水)(2007年)


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