パルコ
株式会社パルコ(英: PARCO CO., LTD.)は、ファッションビルの「PARCO(パルコ)」 を全国で展開する日本の企業。PARCO以外の商業施設も展開している。大丸松坂屋百貨店などを傘下に持つJ.フロント リテイリングの100%子会社である。 かつては旧セゾングループ(西武流通グループ)の一員であった。
商業登記上の本店は東京都豊島区南池袋一丁目(池袋パルコ)に、本社オフィスは渋谷区神泉町に所在する。
概要[編集]
国内外の主に大都市中心部でファッションビル「PARCO」を18店舗、「ZERO GATE」を9店舗展開している。他に、PARCO劇場、シネクイント、CLUB QUATTRO、TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ、radio drive plusなどの劇場やライブハウス、ラジオ番組、PARCO出版、パルコブックセンター(のちリブロに統合)など、文化・ソフト事業も幅広く手がけてきた。特に旗艦店である渋谷パルコは渋谷カルチャーの代名詞的存在であり、渋谷が現在のように若者の街として成長する原動力となった。
かつて堤清二が率いた西武百貨店を中核としたセゾングループの一角を成したが、パルコについては直接関与せず、全面的に増田通二に託して自由を与えた経緯から、独特の個性が出来上がった。セゾン系本流とは別にパルコ独自の劇場や出版社を持ち、広告手法も異なった。PARCOは若年層、西武百貨店は中高年層を主な顧客ターゲットにして棲み分けがなされているが、西武百貨店がない地域にある一部のPARCOでは、ターゲット層をやや上の年齢層まで広げている。
2011年以降、「PARCO」とは別業態の「ZERO GATE」(ゼロゲート)という中低層商業ビルの展開を進めている。
2012年にJ.フロント リテイリングが株式を取得し、徐々に出資比率を高めていった。2020年には100%の株式を取得しついにJ.フロントの完全子会社となった。これをきっかけにそれまで大丸松坂屋百貨店などが管轄していた不動産事業をパルコに移管し、グループ資源の集約化を目指している。他にも百貨店の店舗内にパルコを入居させるなど、小売事業である百貨店と不動産事業のファッションビルの協業を進めている。2020年には大丸心斎橋店北館で心斎橋パルコが復活した。
沿革[編集]
池袋ステーションビルからパルコへ[編集]
パルコ発祥の店、旧国鉄・池袋駅の駅ビル開発を目的に設立された「池袋ステーションビル」が前身。当初はホテルを核テナントとする予定であったが、途中で方針を転換。京都の百貨店丸物(後の近鉄百貨店)から出資を受け入れ、1957年(昭和32年)「東京丸物」の店名でオープンした。
1969年(昭和44年)、業績低迷を理由に丸物が撤退し、小佐野賢治の仲介で西武百貨店の資本参加を仰ぐことになった。同年、池袋の東京丸物の跡地にファッションビルパルコ1号店が開店した。
なお、丸物傘下から西武百貨店の傘下になった百貨店として豊橋丸物(西武百貨店の傘下に入ったのち豊橋西武。豊橋市にあった)があり、2003年(平成15年)まで営業していた。現在は建て替えられココラフロントとなっている。
セゾングループ解体後[編集]
セゾングループの解体後は森トラストグループが筆頭株主となり、旧セゾングループではクレディセゾンが主要株主となった。また同社は子会社で、洋楽に強く文化人らに定評があったCDショップ運営会社のWAVEをタワーレコードに売却、さらに洋書や思想書に定評があり、文化戦略の一翼を担った個性派書店チェーンのLIBROを日本出版販売株式会社に売却するなど、各事業から撤退している。森トラスト資本参加後はリニューアルを強化、売り場のテーマ性を明確にし収益性を高めた。
2005年より「中期経営5カ年計画」を推進し、主に政令指定都市への連続出店を展開した。その第1弾として、2007年(平成19年)3月15日に新規出店としては10年ぶりとなる「静岡PARCO」を静岡市の西武百貨店静岡店跡に開店した。同年10月10日にはさいたま市に「浦和PARCO」、2008年(平成20年)8月23日には東北地方の拠点都市である仙台市に「仙台PARCO」を開店した。2010年(平成22年)3月19日には、九州地方の拠点都市である福岡市天神の岩田屋旧本館跡にも「福岡PARCO」をオープンさせた。
2010年からの中期経営計画では京浜・京阪神の未出店エリアへの出店、地域特性に応じた既存店舗の業態特化、アジアを中心とした海外進出などを挙げている。
資本提携を巡る思惑[編集]
当時の大株主だった森トラストではパルコへの出資比率を50%弱まで引き上げたい考えがあり、2010年1月にはパルコに対して第三者割当増資による出資比率引き上げを打診したものの、パルコ経営陣はこれを拒否。それどころか、2010年8月には日本政策投資銀行との資本提携を発表し、転換社債の発行により同社がパルコの事実上の第2位株主になった(潜在株式の18.71%を所有)。このため森トラストはこの提携に反対の意向を示した。
2011年2月にはイオンが、パルコの発行済株式の12.31%を取得したことを発表した。イオンではパルコとの協力により都市型ショッピングセンターや海外展開の強化を進めたいとの意向を示し、森トラストも「イオンが現在表明している内容に特に異論はない」として、イオンとの提携に前向きな姿勢を示したことから、その後協議を進め3月17日には経営陣の刷新やフォーラス・ビブレといったイオン側の既存施設のパルコへの移管等を含む具体的な提携案を提出したものの、パルコ側はこれを拒否した。
しかし経営陣の刷新について森トラストがイオン案に同意することを表明するなど、両社合計で約45%の株式を保有するイオン・森トラスト側の提案が成立する可能性が高まったため、同年4月20日に森トラスト・イオンとパルコとの間で社長の更迭を含む合意書が締結され、イオンとの業務提携に向けた検討を行うこととなった。ただその後具体的な提携交渉は進まず、状況は膠着状態となった。
J.フロント リテイリング傘下へ[編集]
2012年2月24日、森トラストが保有するパルコ株の全てをJ.フロント リテイリングが取得する方針が発表され、筆頭株主となった(取得:3月23日)。さらに7月5日にJ.フロント リテイリングによる株式公開買い付け(TOB)と資本業務提携を発表、8月21日にはTOBが成立してJ.フロントが株式の65%を保有する親会社となった。なお既存の大株主については、日本政策投資銀行がTOBに応じ株式の大半を売却したのに対し、イオンはTOBに応じず、株式保有を継続した。
J.フロント傘下の大丸・松坂屋等の百貨店とパルコの協業も進んでいる。2013年の夏には、名古屋PARCOと隣接する松坂屋名古屋店においてクリアランスセールのコラボレーションやホームページの相互リンクが行われている。また、J.フロントの傘下になった事に伴い、2014年9月1日から全国百貨店共通商品券や大丸・松坂屋の商品券についても利用可能になった。2017年秋に新装オープンした松坂屋上野店の新南館にはパルコの大人向け業態「PARCO_ya」(パルコヤ)がキーテナントとして入居した。なお、浦和PARCO(2007年開業)内には傘下入りする前から大丸がテナント(食品フロア)として入居していたが、2017年7月31日に退店している。2019年にリニューアルされた大丸心斎橋店本館はテナントの割合を高めた店舗構成になっており、パルコのファッションビル事業のノウハウが活かされている。2020年11月には大丸心斎橋店北館が「心斎橋PARCO」としてリニューアルされる。
これら協業の進展を受けて、J.フロントは2019年12月、完全子会社化を目的としてパルコに対し再度TOBを実施する事を表明。前回のTOBに応募しなかったイオンやクレディセゾンなどの大株主も賛同したため、2020年2月18日にTOBが成立。上場廃止を経て、パルコはJ.フロントの完全子会社となった。J.フロントの不動産事業はパルコに移管され、一元化された。なお、イオンTOB賛同後の2020年8月25日には松本パルコとイオンモール松本が共同でショッピング企画の開催を発表しており関係改善がうかがえる。
年表[編集]
- 1953年(昭和28年)2月 - 「池袋ステーションビル株式会社」(現在のJR東日本の関連会社とは無関係)として設立。
- 1954年(昭和29年)10月 - 株式会社丸物(現・近鉄百貨店)が出資。
- 1957年(昭和32年)
- 5月 - 商号を「株式会社東京丸物」に変更。
- 12月 - 百貨店「東京丸物」が開店。
- 1963年(昭和38年)7月 - 株式を店頭登録。
- 1969年(昭和44年)
- 6月 - 百貨店「東京丸物」が閉店。
- 11月 - 1号店「池袋PARCO」が開店。
- 1970年(昭和45年)4月 - 商号を「株式会社パルコ」に変更。
- 1977年(昭和52年)5月8日 - 台北1号店「新光巴而可百貨(新光PARCO百貨店)」台湾の新光グループと提携したが開店。
- 1987年(昭和62年)1月 - 東京証券取引所市場第二部に鞍替え。
- 1988年(昭和63年)8月 - 東京証券取引所市場第一部指定。
- 1990年(平成2年)- 西友から地方専門店ビル「ウォーク」を継承。
- 1991年(平成3年)- 台北1号店「新光巴而可百貨(新光PARCO百貨店)」が閉店。(1990年代にオーバーローン事件と火災により事業は閉鎖され、取り壊されました。元のサイトは相鉄グランドフレッサホテルホテルに再建。)
- 1995年(平成7年)- 西洋環境開発の子会社であったウェイブの株式を購入。
- 1996年(平成8年)- 西洋環境開発の子会社であった日本乗馬倶楽部の株式を購入。
- 1998年(平成10年)- リブロの経営を西友から引き受ける。
- 2001年(平成13年)2月 - ウォークを解散。
- 2002年(平成14年)2月 - 日本乗馬倶楽部をMBOによって株式を売却。
- 2003年(平成15年)
- 7月15日 - リブロを日販に売却。
- 7月30日 - 子会社であった株式会社アクロスを解散。
- 2004年(平成16年)
- 2月29日 - 子会社であった株式会社クレストンホテル及び株式会社冨貴堂を解散。
- 4月 - ウェイブをタワーレコードに売却。
- 2005年(平成17年)10月11日 - 本部を東京都渋谷区宇田川町4-3より同区神泉町8-16に移転。
- 2009年(平成21年)6月 - 完全子会社であった株式会社ホテルニュークレストン及び資産をHMIホテルグループに事業譲渡。
- 2012年(平成24年)
- 8月21日 - J.フロント リテイリングによるパルコに対するTOB(株式公開買付け)成立。
- 8月27日 - J.フロント リテイリングの子会社化。
- 2016年(平成28年)
- 11月30日 -「千葉パルコ」が閉店。
- 12月1日 - VISAプリペイドカード「パルコプリカ」のサービスを開始。
- 2017年(平成29年)11月4日 -上野フロンティアタワーにパルコの新業態「PARCO_ya上野」をオープン。
- 2019年(令和元年)6月27日 - 新業態として「サンエー浦添西海岸 PARCO CITY」(沖縄県浦添市、サンエーとの協業)開店。
- 2020年(令和2年)
- 2月18日 - J.フロント リテイリングが再度実施したパルコに対するTOB(株式公開買付け)成立。
- 3月18日 - 東京証券取引所市場第一部上場廃止。
- 3月23日 - 株式売渡請求により、J.フロント リテイリングの完全子会社となる。
- 11月20日 - 同じJ.フロントグループの大丸心斎橋店 北館(旧・そごう心斎橋本店)跡地に心斎橋パルコをオープン。北側にあった初代店舗の閉鎖以来、9年ぶりの復活となる。
- 2021年(令和3年)
- 1月31日 - VISAプリペイドカード「パルコプリカ」のサービス終了(残高払戻は同年4月30日まで)。
- 2022年(令和4年)
- 6月13日 - 名古屋市栄の未活用地「栄角地」の複合高層ビル建設計画の工事現場で安全祈願祭と起工式。低層階で高級商業施設運営予定。7月1日に着工、2026年3月完成予定。
- 2023年(令和5年)
- 2月28日 - 「津田沼パルコ」が閉店。
- 4月25日 - 熊本パルコ跡地に新業態「HAB@(ハブアット)」が開店。
- 2024年(令和6年)
- 2月29日 - 「新所沢パルコ」が閉店予定。
- 2025年(令和7年)
- 2月28日 - 「松本パルコ」が閉店予定。