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パトリック・ハーラン

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パトリック・ハーラン(Patrick Harlan、1970年11月14日 - )とは、アメリカ・コロラド州コロラドスプリングス出身(出生地はモンタナ州)のお笑い芸人。身長184cm、血液型O型。所属事務所はハブ・マーシー。福井県のアマチュア劇団出身。

役者志望だったこともあり俳優や声優としても活躍している。流暢な日本語を生かしDJやMC、ナレーターもこなし、吉田眞とお笑いコンビ

パックンマックン」を結成する。「パックン」として日本語ではボケ、英語ではツッコミを担当。

経歴[編集]

父はアメリカ空軍の元士官で、モンタナ州で生まれ、父の転勤でアラバマ州、イリノイ州を転々とした。姉と弟がいる。パックンが7歳の時に両親が離婚しており、当初は姉も住んでいたが、その後に母に引き取られた。その後、父からの養育費などが途絶えて、生活が苦しくなったという。

パックンは母子家庭で育ったため家計が貧しく、アメリカの生活保護を受けていたが、それが屈辱的であったと言う。綺麗に映るテレビがなく、お金のかかる趣味やスポーツもできなかったことから読書することが趣味になり、それが優秀な学力に結びついたと語っている。10歳からハイスクール卒業まで8年間、新聞配達などのアルバイトをして家計を助けていた。

ハイスクール時代には水泳部や演劇部に、大学時代はグリークラブに所属していた。役職は部長。初めての来日は在籍していたこのグリークラブが日本ツアーを行った時だった。学生時代には、やりたかったアメリカンフットボールはお金がかかり出来なかったため、お金のかからない床体操、板飛込み、バレーボール、陸上競技、自転車などをやり、かなりの活躍ができたという。

ハーバード大の入試の面接において、8年間休まず続けていた新聞配達が面接官の一人に評価されて、強くプッシュされて合格できたという。高校までは上位1%に入るほどの優秀な成績であったが、ハーバード大では自分以上に優秀な生徒ばかりが通っていることにショックを受け、「自分が得意なこと」「自分が不得意なこと」を考えて取捨選択することの大切さを学んだという。

日本へ[編集]

1993年にハーバード大学(比較宗教学専攻)卒業後、当時日本に留学中だった中学時代の友人に誘われ来日。日本語学習の始まりとしては、来日の移動中に「日本に来る飛行機の中でまずひらがなとカタカナを覚えた」とのこと。福井県福井市の私立北陸中学校・高等学校で英会話学校講師をしていた。

日本到着後の英語講師の仕事は、福井で駅前の交番に行って近くの英会話学校を訊き、警察官を通して履歴書を出して採用された。福井での英語講師時代は「僕が生徒に日本語を教えてもらっていた」という。その縁で、福井県のブランド大使を務める。

演劇畑出身でアマチュアの演出家であった父の影響で役者を志し、アマチュア劇団「シベリア寒気団」(現・百年イラチカ)にて活動していた。役者になる夢を果たすために上京。無名の頃アルバイトで、通販カタログなどのモデルや、深夜の通販番組にも出演していた。

パックンマックン結成[編集]

1997年お笑いコンビ「パックンマックン」を結成し、NHK『爆笑オンエアバトル』で頭角をあらわした。個人としては、NHK『英語でしゃべらナイト』で人気を博す。

2008年より、相模女子大学の客員教授に就任した。2012年10月には池上彰の推薦で東京工業大学のリベラルアーツセンターの非常勤講師に就任し「コミュニケーションと国際関係」について教鞭を取っている(なお、池上は同校の教授)。

2021年、翌2022年より放送を開始するBSJapanextの番組審議会委員に就任。

2023年4月より読売新聞の人生案内回答者を担当。



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