パク・ジニョン
パク・ジニョン(朝: 박진영、漢: 朴軫永、1971年12月13日 - )は、J.Y. ParkやJYPの名で活動している韓国のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家である。JYPエンターテインメントの創設者、総合プロデューサーで、アイドルグループを中心に数多くのアーティストを生み出し続けている。愛称は餅ゴリ。
来歴[編集]
1971年12月13日、ソウルに生まれる。
1977年、父親の転勤で小学1年生の時に渡米し、2年余りニューヨークに居住した。そこでブラックミュージックに触れ、音楽にのめり込んだ。
高校生の頃には、KUWATA BANDの「スキップ・ビート」を聴き、アジア人でも黒人音楽ができるということに衝撃を受けた。そして、延世大学校在学中に、歌手になることを決意した。
1992年、グループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビューするも振るわず、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選。その後、歌手キム・ゴンモのマネージャーに拾われてバックダンサーを務めていたところ、作曲家のキム・ヒョンソクと知り合い意気投合。ヒョンソクの家に転がり込んで音楽理論を学んだ。
1994年、ソロのR&B歌手として復帰。当時としては珍しかったメディア戦略やセクシーな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となった。
1997年、所属事務所であったデヨンAV(現・ポイボス)から独立し、「テホン企画(現・JYPエンターテインメント)」を設立。プロデュース活動も開始し、R&Bやヒップホップ調の音楽に家族愛など庶民的な内容の歌詞を載せた楽曲を特色とする男性アイドルグループ「god」は幅広い年齢層から支持される国民的グループにのし上がった。その後も男性歌手のピ(Rain)や女性アイドルグループのWonder Girlsらをスターへ育て上げ、テホン企画を韓国3大芸能事務所の一つにまで成長させた。
2001年4月、自身のイニシャルを取って、テホン企画を「JYPエンターテインメント」へ社名変更。
2001年8月、KOSDAQへ上場させた。
2003年、米国進出し、ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動を行った。
2004年、メイスの復帰作への楽曲提供を皮切りに、Cassieやウィル・スミスのプロデュースを手掛けた。日本でも精力的に活動し、AIやSMAPとコラボレーションを行った。
2007年、6年ぶりに歌手活動を再開。
2008年、大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命された。
2020年10月7日、日本でベスト・アルバム『J.Y. Park BEST』を発売した。
人物[編集]
プロフィール[編集]
- 身長は185cm、体重は74kg。
- 趣味
- バスケットボールと囲碁。NBAファンでもあり、韓国スポーツチャンネルに出演して直接試合解説をすることもある。
- 自らリーダーになれ
- JYPエンターテインメントのオフィス会議室の壁には、「自らリーダーになれ」という言葉がスローガンとして掲げられている。
- 家族
- (母方の叔従父)朴相千
- 金大中政権の法務部長官を務め、新千年民主党や民主党の代表、統合民主党の初代共同代表も務めた人物。
- (母方の叔父)尹彰培 1970年代に一世を風靡した大学生グループ・サウンズ「サンドペブルス」の初代リーダー、
- 盧武鉉政権の青瓦台(大統領府)農漁村秘書官を務めた人物、
- 1999年に結婚し、2009年に離婚。
- 2013年に9歳年下の一般女性と再婚した。
- 宗教
- 元はクリスチャンであったが、両親の信仰によって自らの信仰対象が決まったことを疑問に思うようになり、悩んだ挙句に無宗教となった。※以後、SNSに聖書勉強映像を載せるなど、再びキリスト教を信じている。
- 語学
- 母語である朝鮮語の他に、英語と日本語を話せる。日本語に関しては、Nizi Projectで日本人とのコミュニケーションを行うために勉強した。音楽で鍛えた耳の良さから日本語のリスニングでは日本のニュースで流れるような標準語ならばある程度は理解が出来るものの、難しい方言を理解しての会話は難しく、イントネーションや読み書きにはまだまだ勉強が必要だと話した。なお、彼の日本語の主な先生はTWICEのミナ、サナ、モモとJYPで日本でアーティスト活動やビジネスを行いたい韓国人等に日本語を教える日本語教師スタッフである。
- 英語に関しては、幼少期に米国にいたことや大学受験で猛勉強したことから流ちょうに話すことができる。
- J-POP愛好家
- 雑誌『日経エンタテインメント!』2011年10月号では小室哲哉と対談し、小室が作曲を手掛けた渡辺美里の『My Revolution』を中学生の時に聴いたと述べた。2019年のインタビューでは、聴いたことがある日本のアーティストとして、チェッカーズ、安全地帯、安室奈美恵、TUBE、久保田利伸、KUWATA BAND、LL BROTHERS、ZOO、小室哲哉の名を挙げた。
エピソード[編集]
- オーディション
- 1994年のソロデビュー以前は、SMエンタテインメントを含む、ありとあらゆるオーディションで落選したと語っている。この時SMイ・スマンがパク・ジニョンの顔がかかったのか、パク・ジニョンが作曲した曲だけめくることができないかという提案をしたし、これに心が上がったパク・ジニョンがオーディション場を飛び出してきたとバラエティ番組で笑いで話したりもした。
- 2020年のYouTube映像でイ・スマン本人は今でもオーディション再び見に来ればパク・ジニョンキャスティングする意思があると笑いと話した。事実、イ・スマンはパク・ジニョンが実業家になった後も数回会って事業的アドバイスをしてくれたという。また、パク・ジニョンはヤン・ヒョンソク、パン・シヒョクとも親しい。
- 一方で、事務所経営者になってからは、後に他の事務所からデビューしてスターになった歌手を、オーディションで落選させたこともあった。例えば、ナンバーワン人気女性歌手のIUは、JYPエンターテインメントの公開オーディションに参加した際に、一次オーディションで不合格となった。このことについて、テレビ番組で「オーディション当時にIUを落とした担当者を探して、重い懲戒に処さなければいけないようだ。IUを見るたびに胸が痛い」と語った。
- また、GFRIENDのメンバーであるユジュを直接面会して落選させたこともある。オーディション番組『K-POP STAR』にユジュが15歳で出演した際、「踊りは踊らないほうがよい」「歌が特異でなくて平凡」との否定的な評価を下し、不合格を与えた。一方で、同じく審査員だったYGエンターテインメント創業者のヤン・ヒョンソクは、「可能性が非常にある。幼い年齢の割には歌が上手だ。踊りも練習すれば良い水準」「敗者復活戦があれば、この子を再び上げたい」とヨジュを高く評価した。このことについて、ユジュがMBCテレビ の番組「ビデオスター」に出演した際、MCたちは「キム・ヒョナ、IUとともに、JYPが逃して後悔しているスターに挙げられているはずだ」と話した。
- 『日経エンタテインメント!』2011年10月号における小室哲哉との対談では、「採った人材のうち、8割は見当違いです(笑)。でも2割はスターになります」と述べた。これに対して小室は、「比率としたらいいよね。10人のうち2人はスターが出るわけでしょう。オッケーだよ」とフォローした。
- セックスはゲームだ
- 2001年発売のアルバム『Game』のプロモーション時に「セックスはゲームだ」と発言。様々な反響を呼ぶと同時にアンチも急増した。当時の発言について後に「セックスを神聖視すべきではないという趣旨であって、むやみにしたりゲーム感覚という意味ではなかった」と説明している。セクゴリや餅ゴリの愛称はこの発言に由来している。
騒動と批判[編集]
- 韓流輸出政策批判
- 2007年に母校の延世大学の特別講演で英語でスピーチをした際、文化輸出の成功を評価した上で、「これまでの韓流は純韓国産商品の一方的輸出であり、いずれ通用しなくなる。太極旗印の韓流を捨てる覚悟をしなければならない」「韓流を文化的意思疎通として理解せず、ナショナリズムに利用する人が多くいるせいで、海外では反発が起きている」と、韓流を取り巻く行き過ぎた国家主義による政界とマスメディアの対応を批判したことから、大衆や専門家から賛否両論が噴出した。
- 画一的教育批判
- 「芸術分野で未来に向かって投資するとしたら、学校ではなく少年院を選択する」と発言し物議をかもす。
- 盗作疑惑
- godのデビュー曲「어머님께 (Dear Mother)」は発表時、パク・ジニョンが制作したと発表していたが、のちに実は2パックの「Life Goes On」をサンプリングしたものであることが発覚し、クレジットが変更された。これ以外にも、たびたび盗作の疑いが掛けられている。
- 大統領選挙ロゴソング要求拒否
- フックソングのトレンドを産んだワンダーガールズの大ヒット曲「テルミー」が、大統領選挙ロゴソング候補になった際、採用を拒否した。その理由を「人々が楽しんでいるのに失望感を抱かせると思ったため。約3億ウォンの収益を放棄することにためらいはなかった」と語った。
- 不法資金流入疑惑
- 2014年のセウォル号沈没事故後、ジニョンの妻がフェリーを所有していた清海鎮海運の実質オーナーで救援派の牧師である兪炳彦の姪であり、JYPエンターテインメントに不法資金の疑いがあるなどの噂が立つ。これに受けて、「姪であることは事実だが、不法資金が流入した事実はない」と説明した。この事件で今も韓国アンチはパク・ジニョンがサイビ宗教を信じるという陰謀論を広げたりもする。
ディスコグラフィ[編集]
韓国[編集]
- アルバム『떠도는 시간 』(1992年、パク・ジニョンと新世代名義)
フルアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | IT's The Time(1996年7月1日) |
※(全曲英語詞) |
スタジオアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Blue City(1994年9月1日) |
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2nd | 딴따라(1995年9月1日) |
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3rd | 썸머 징글벨(Summer Jingle Bell)(1996年9月1日) |
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4th | 십년이 지나도(1998年1月2日) |
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5th | Kiss Me(1998年12月23日) |
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6th | Game(2001年6月8日) | CD1
CD2
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7th | Back to Stage(2007年11月16日) |
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ミニアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Spring - 5 Songs for a New Love(2012年4月29日) |
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2nd | Halftime(2013年9月9日) |
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シングル[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Sad Freedom(2009年12月1日) |
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デジタルシングル[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|
1st | 24/34(2015年4月12日) |
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2nd | Still Alive(2014年4月10日) |
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3rd | Blue & Red(2017年10月16日) |
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4th | This Small Hand(2019年2月9日) |
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5th | FEVER(2019年12月1日) |
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6th | When We Disco(2020年8月12日) |
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日本[編集]
ベストアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | J.Y. Park BEST(2020年10月7日) |
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出演[編集]
テレビドラマ[編集]
- ドリームハイ(2011年、KBS)- 英語教師 ヤン・ジンマン 役 ※演出も担当
- ドリームハイ2(2012年、KBS)- 同役
- プロデューサー(2015年、KBS)- カメオ出演
映画[編集]
- ミリオネア・オン・ザ・ラン(2014年)- チェ・ヨンイン役
書籍[編集]
- 미안해(ゴメンね)(1999年、キミョン社、ISBN 9788934904595)(2008年復刊、ヘルスメディア、ISBN 9788934931744)
- 무엇을 위해 살죠?(何のために生きるのか?)(2020年)
主なプロデュース[編集]
アーティスト[編集]
- チンジュ(朝鮮語版)
- パク・チユン
- god
- ピ(RAIN)
- ピョル(朝鮮語版)
- Noel(朝鮮語版)
- G.Soul
- Wonder Girls
- ジュ
- 2PM
- 2AM
- miss A
- ペク・アヨン
- 15&(朝鮮語版)
- GOT7
- DAY6
- TWICE
- Stray Kids
- BOY STORY
- ITZY
- NiziU
- Xdinary Heroes
- NMIXX
- VCHA
- NEXZ
楽曲[編集]
- メイス「The Love You Need」(2004年)
- ウィル・スミス「I Wish I Made That」(2005年)
- AI「Too Much feat. Rain」(2006年)
- Cassie「When Your Body Is Talking」(2006年)
- SMAP「White Message」「Still U」(2008年)
- Unnies「Shut Up」(2016年)
- I.O.I「너무너무너무 (Very Very Very)」(2018年)