You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

バラク・オバマ

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

バラク・フセイン・オバマ2世(英語: Barack Hussein Obama II、[bəˈrɑːk huːˈseɪn oʊˈbɑːmə] (https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Speaker_Icon.svg/13px-Speaker_Icon.svg.png 音声ファイル)、1961年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。同国第44代大統領(在任:2009年1月20日 - 2017年1月20日)。民主党に所属し、イリノイ州議会上院議員、同州選出連邦上院議員を歴任した。2009年1月20日に大統領に就任し、初のアフリカ系、有色人種、ハワイ生まれの大統領となり、ノーベル平和賞を受賞。2017年1月20日に2期8年の任期を務めあげた。バラック・オバマとも表記される。

概要[編集]

1961年8月4日、ハワイ州ホノルルに生まれる。1983年にコロンビア大学を卒業後、シカゴでコミュニティ・オーガナイザーとして働く。1988年にはハーバード・ロー・スクールに入学し、黒人として初めてハーバード・ロー・レビューの会長に就任した。卒業後は公民権弁護士となり、1992年から2004年までシカゴ大学ロースクールで憲法学を教えた。オバマは選挙政治に目を向け、1997年1月から2004年11月までイリノイ州議会上院議員(第13区)、2005年1月から2008年11月まで同州選出連邦上院議員。2008年アメリカ合衆国大統領選挙においてヒラリー・クリントンとの接戦の末に民主党の大統領候補に指名され、共和党のジョン・マケインを抑えて当選し、2009年1月20日にジョー・バイデンと共に就任した。同年12月にノーベル平和賞を受賞した。

大統領就任後[編集]

オバマは就任して最初の2年間に多くの画期的な法案に署名して法律を成立させた。可決された主な改革には、医療保険制度改革(一般的に「アフォーダブルケア法」または「オバマケア」と呼ばれる)、ドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法、2010年のドント・アスク、ドント・テル廃止法などがある。2009年アメリカ復興・再投資法、2010年の税制救済・失業保険再承認・雇用創出法は、大不況の中で景気刺激策としての役割を果たした。国の債務上限をめぐる長い議論の後、彼は予算管理法とアメリカ納税者救済法に署名した。外交政策では2001年アフガニスタン紛争でのアメリカ軍の増派・アメリカ合衆国およびロシア連邦との間で新START条約による核兵器の削減・イラク戦争への軍事関与の中止などを行った。リビアでは軍事的介入を命じ、ムアンマル・カダフィ政権の打倒に貢献した。また軍事作戦を指揮し、アメリカ同時多発テロ事件を引き起こしたアルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディンやイエメンのアルカイダ活動家アンワル・アウラキの死をもたらした。

2012年アメリカ合衆国大統領選挙において共和党の大統領候補であるミット・ロムニーを破って再選を勝ち取ったオバマは、2013年1月21日に2期目の大統領に就任した。この任期中に彼はLGBTのアメリカ人のためのインクルージョンを推進した。オバマ政権はブリーフィングを提出し、最高裁判所に同性婚禁止令を違憲として破棄するよう求めた(オーバーグフェル対ホッジス裁判、United States v. Windsor and Obergefell v. Hodges)が、2015年にはオーバーグフェルで同性婚が法制化された。サンディフック小学校銃乱射事件を受けて銃規制を提唱し、アサルト武器の禁止を支持した他、地球温暖化や移民に関する広範な行政措置を行った。外交政策では2011年のイラク撤退後のISILの増長に対応してイラクへの軍事介入を命じ、2016年のアフガニスタンでのアメリカ軍の戦闘活動を終了させるプロセスを継続し、2015年の地球温暖化に関するパリ協定につながる議論を推進し、ロシアのウクライナ侵攻と2016年アメリカ合衆国大統領選挙でのロシア連邦の干渉後に再びロシアへの経済制裁を開始し、イランの核開発問題を仲介し、アメリカ合衆国とキューバの関係を正常化した。キューバ・広島平和記念公園・アフリカ連合本部を訪問した初の大統領である。オバマは最高裁判所に3人の判事を指名した。ソニア・ソトマヨールとエレナ・ケイガンが確定したが、メリック・ガーランドは党派的な妨害に遭い、確定しなかった。

評価[編集]

オバマの任期中にアメリカ合衆国の海外での評価は大幅に向上した。彼の大統領職は一般的に好意的に評価されており、歴史家・政治学者・一般市民の間での彼の大統領職に対する評価は、アメリカ合衆国大統領の中で上位に位置している。オバマは2017年1月20日に退任し、現在もワシントンD.C.に居住している。

退任後[編集]

退任後はワシントンD.C.に残る、ウッドロウ・ウィルソン以来の大統領経験者になる。

大統領退任後の年金額は20万7,800ドルと現職時の報酬の約半分が支給される他、事務所経費・旅費・医療費などの手当も支給される。また、シークレットサービスの身辺警護は生涯続く。

2018年10月25日、BBCはデビー・ワッサーマン・シュルツの名前を騙ったパイプ爆弾の爆発物が、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ、CNN、ジョン・オーウェン・ブレナンCIA長官、エリック・ホルダー司法長官、ジョージ・ソロスに送られたが爆発しなかったと報道した。10月26日にFBIは指紋からフロリダ州在住の熱烈なトランプ支持者の56歳の男を逮捕した。

2019年4月25日、自身の政権の副大統領だったジョー・バイデンが2020年11月に実施される大統領選挙への出馬を表明したことについて、オバマの広報担当者は、オバマがバイデンを副大統領に選んだことは「自分が下した中で最高の決定の1つ」で、2人は「力強く特別な絆」を築いたと述べていることを明らかにしたが、この段階ではバイデンへの正式な支持表明をしなかった。オバマの支持表明がなかったことについて質問されたバイデンは「オバマ氏には支持を表明しないようお願いしたし、オバマ氏も支持を望んでいなかった。(中略)この予備選を勝ち抜くのは、自力で勝利をつかめる人だけだ」と答えている。

バーニー・サンダースが党指名候補争いから撤退を表明してバイデンが党候補に確定した後の2020年4月14日に正式なバイデン支持表明を出した。人の痛みを知るバイデンなら、新型コロナウイルスに苦しむ国民をいたわり、団結させることができると呼びかけた。また「科学を無視」するドナルド・トランプ現政権や、「権力」しか興味のない与党・共和党を批判した。

その後は応援演説や選挙資金集めのイベント開催などでバイデンを支援した。

8月29日の民主党全国大会における演説では「(トランプは)自分自身と友だちを助ける目的以外で、大統領の強大な権限を使うことに関心を示していない」「この政権は勝つためであれば、我々の民主主義を破壊する用意を見せている。だから、(選挙に)全力を投じる必要がある」「(トランプに大統領の職務を引き継いだ時)我々の国のためにトランプ氏が仕事を真剣にすることにいくらか関心をもち、職務の重さを感じ、自身に託された民主主義への敬意をもつようになるのでは、と願っていた」「しかし、一切そうならなかった。トランプ氏が成長していないのは、できないからだ」「失敗の結果は深刻だ。(新型コロナウイルスで)17万人の米国人が死亡し、数百万人の雇用が失われた。我々の国際的評価は落ち、民主的な機関はかつてないほど脅かされている」「(トランプは)政策で勝てないと分かっているので、投票を可能な限り困難にし、投票は重要でないと思わせることで勝とうとしている」「彼らに民主主義を奪われてはいけない」と述べ、現職大統領で共和党候補のドナルド・トランプを痛烈に批判した。アメリカでは任期を終えた元大統領は党派が異なっていたとしても現職大統領を批判することはほとんどなく、オバマもこれまではトランプに批判的な姿勢は示しつつも、正面切って批判することはなかったが、大統領選を前に姿勢を一転させる形となった。トランプもオバマの演説に激しく反応し、演説中に「(オバマは)私の選挙陣営をスパイした」といったツイートを連投した。

その後もオバマはバイデンの応援演説でトランプを痛烈に批判し続けた。トランプのことを「頭のおかしいおじさん」と呼んだほか「人種差別主義者」と呼び、「(トランプの)無能さと無関心さにあと4年間も米国を委ねる余裕はない」と述べた。バイデン陣営幹部は「オバマ氏には、辛辣なトランプ批判を聞きたい都会の若者や黒人、ヒスパニック系など少数派のリベラルな支持層を活気づけ、バイデン氏を補完する役割が期待されている」と述べている。

11月3日の大統領選挙でバイデンの当選が確定した後に出演したCBSの朝番組『サンデー・モーニング』の中で「私にできる形で、彼(バイデン)のサポートはしていくつもりです。でも今は、また突然ホワイトハウスで働くような予定はありません」と述べている。また将来閣僚になる可能性はあるかという質問には「いや、やらないと思う。ミシェルに捨てられちゃうから」と冗談交じりに答えている。

2021年1月6日、バイデンの当選を正式に認定しようとした連邦議会に対してトランプ支持者が襲撃をかけた事件について「わが国にとって非常に不名誉で恥ずべきこと」と述べ、連邦議会への攻撃を扇動したのは、公正な選挙結果に関してでたらめな主張を繰り返しているトランプ大統領だと非難した。

1月20日のバイデン大統領就任式にミシェル夫人とともに出席。黒人初の大統領だった彼が黒人系初の副大統領となるカマラ・ハリスとグータッチで挨拶をかわす場面が話題になった。

同年9月29日イリノイ州シカゴでの「オバマ大統領センター」の起工式にミシェル夫人とともに出席した。

同年11月、2015年の第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)でパリ協定締結に導いた功労者として第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に招待されて出席。米国の温暖化対策について「私の後任者(前大統領のトランプ)がパリ協定から離脱し、進展が止まった。バイデン大統領が協定に復帰したことで、再びリーダーシップを発揮する」「立ち止まっている余裕はない。世界は今こそ(対策を)向上させなくてはならない」と述べた。また中国の習近平とロシアのプーチンが同会議に欠席したことについて「温室効果ガスの排出量が上位の2国の首脳の姿が見えない。恥ずべきことだ」と批判した。

2022年4月5日に5年ぶりにホワイトハウスを訪れ、バイデン大統領と会見した。バイデン大統領の支持率が低迷していたことから国民人気が高いオバマの後押しを受ける意味があったという。バイデンを「副大統領」と呼び、直後に「これは冗談だ」と訂正した。バイデンは笑いながら敬礼を返して二人は握手した。その後バイデンはオバマが立ち会う中で推定500万人がオバマケアに加入できていないとされる問題を修正する大統領令に署名した。

映像制作[編集]

2018年5月22日にバラクとミシェル夫人は2人の創設した映像会社のハイアー・グラウンド・プロダクションズがNetflixと複数のドキュメンタリーとフィクション映像を製作する契約を結んだと発表した。第1作目の映画『アメリカン・ファクトリー』は第92回アカデミー賞でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。『マイ・ストーリー』はプライムタイム・エミー賞の4部門にノミネートされた。また、2021年2月には『ワッフルとモチ』という食育に関する子供番組に製作総指揮として携わっている。

政権[編集]

政権スタッフ[編集]

職名 氏名 任期
大統領 バラク・オバマ 2009年 - 2017年
副大統領 ジョー・バイデン 2009年 - 2017年
大統領顧問団
国務長官 ヒラリー・クリントン 2009年 - 2013年
ジョン・ケリー 2013年 - 2017年
国防長官 ロバート・ゲーツ 2006年 - 2011年
レオン・パネッタ 2011年 - 2013年
チャック・ヘーゲル 2013年 - 2015年
アシュトン・カーター 2015年 - 2017年
財務長官 ティモシー・ガイトナー 2009年 - 2013年
ジェイコブ・ルー 2013年 - 2017年
司法長官 エリック・ホルダー 2009年 - 2015年
ロレッタ・リンチ 2015年 - 2017年
内務長官 ケン・サラザール 2009年 - 2013年
サリー・ジュエル 2013年 - 2017年
農務長官 トム・ヴィルサック 2009年 - 2017年
商務長官 ゲイリー・ロック 2009年 - 2011年
ジョン・ブライソン 2011年 - 2012年
ペニー・プリツカー 2013年 - 2017年
労働長官 ヒルダ・ソリス 2009年 - 2013年
トーマス・ペレス 2013年 - 2017年
保健福祉長官 キャスリーン・セベリウス 2009年 - 2014年
シルヴィア・バーウェル 2014年 - 2017年
住宅都市開発長官 ショーン・ドノバン 2009年 - 2014年
フリアン・カストロ 2014年 - 2017年
運輸長官 レイ・ラフッド 2009年 - 2013年
アンソニー・フォックス 2013年 - 2017年
エネルギー長官 スティーブン・チュー 2009年 - 2013年
アーネスト・モニツ 2013年 - 2017年
教育長官 アーン・ダンカン 2009年 - 2016年
ジョン・キング・ジュニア 2016年 - 2017年
退役軍人長官 エリック・シンセキ 2009年 - 2014年
ロバート・マクドナルド 2014年 - 2017年
国土安全保障軍人長官 ジャネット・ナポリターノ 2009年 - 2013年
ジェイ・ジョンソン 2013年 - 2017年

2009年1月5日に表にあるような各長官の任命を行い、同年1月21日に前日のオバマの大統領就任を受けて正式な政権として発足した。この人事は国務長官に大統領選挙を戦ったヒラリーを起用するなど、オバマのと対立的立場の人材を起用したことから、オバマの敬愛するリンカーンの政権人事「チーム・オブ・ライバルズ」に似ていると評されている。

経済政策[編集]

世界同時不況への対応としてアメリカ再生・再投資法(ARRA法)を2009年2月に成立させ、積極的な財政政策を行った。同年6月には製造業としては史上最大の倒産をしたゼネラルモーターズ(GM)を国有化することで救済した。連邦準備制度理事会(FRB) 議長に再任したベン・バーナンキによる大規模な金融緩和にも支えられ、2010年から2016年にかけてアメリカは主な先進国の中で最も高い年率2.09パーセントの経済成長を達成し、2009年7月から始まった景気拡大は後任のトランプ政権下の2020年2月まで持続して史上最長の128カ月に達した。

金融政策では、2010年7月にドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法を成立させ、大恐慌以来の金融規制改革をもたらした。

医療保険制度改革[編集]

医療保険制度改革を内政の最重要政策として掲げ、国民皆保険制度の実現を図るために国民の保険加入を義務付けるといった医療保険改革法案を2010年3月に成立させた。

環境政策[編集]

気候変動に関する協議に積極的に参加すると述べ、主要企業に二酸化炭素排出量の上限(排出枠)を設定する「キャップ・アンド・トレード」方式の排出量取引を開始し、2020年までに温室効果ガスの排出量を大幅に削減する意向をカリフォルニア州の地球温暖化関連の会合に寄せたビデオ演説で表明した。パリ協定採択にも関わった。

2017年6月に後任の大統領であるドナルド・トランプがパリ協定から離脱を表明した直後、「地球の未来を拒否する一握りの国に加わった」とトランプ大統領を非難するとともに、アメリカの各州や各都市、全ての企業には「国民一人ひとりが政権を頼らずに率先して、今後も地球温暖化対策をしっかり取り組んでくれるだろう」との期待を示している。その期待に応えてワシントン・ニューヨーク・カリフォルニアの3州による、パリ協定順守を目的とした米国気候同盟の結成 に繋がった。また、退任後のパリ訪問時においては「パリ協定に米大統領の指導力が一時的にないなんて嘆かわしい」とトランプ大統領を改めて批判している。

外交・安全保障[編集]

イランとは核合意を成し遂げ、キューバとは国交を樹立させるなどアメリカと長らく敵対してきた国と対話する路線に転換した。第41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュの湾岸戦争を評価しており、アメリカ主導の国際協調を理想とした。しかし、保守派からはこの路線が「弱腰」と叩かれたかつてのジミー・カーター大統領の姿勢と似通っていると批判されていた。また、アメリカは「世界の警察官」をやめると宣言した初めての大統領でもある。

イラク戦争には一貫して反対しており、開戦直前の2003年3月16日にジョージ・W・ブッシュ大統領がサダム・フセインに対して48時間以内のイラク撤退を求める最後通牒を出した際、シカゴでの反戦集会で聴衆に対して「まだ遅くない」と開戦反対を訴えた。就任後は段階的な撤退を目指すとした。

「イラクに拘ればアフガンで泥沼にはまる」と述べ、治安が悪化しているアフガニスタン・パキスタンのアメリカ軍の増強を検討署名。州兵に頼らない10万人の正規兵を増派した。

2012年11月19日には現職の大統領として初めてミャンマーを訪問した。

尖閣諸島については2014年4月の日米首脳会談後の記者会見で、「日本の施政下にある領土、尖閣諸島を含め、日米安保条約第5条の適用対象になる」と述べ、尖閣諸島は日米安保条約適用範囲内でありアメリカが防衛義務を負うことを表明した。オバマはこの会談の前にも、読売新聞によるインタビューの中で同じ趣旨の発言をしているが、現職のアメリカ合衆国大統領が尖閣諸島への安保適用を明言したのはオバマが初めてである。

先住民政策[編集]

オバマは先住民に対する政策に熱心であり、先住民の生活改善に30億ドルの財政支援を行う方針をした。大統領候補時代にクロウ族の居住地に訪問し、オバマの演説は先住民をもひきつけ、大統領就任式では先住民もパレードに参加した。2009年8月には「大統領自由勲章」をクロウ族のジョセフ・メディシン・クロウ(英語版)に授与した。

またオバマはチェロキー族の女性をホワイトハウス上級顧問に任命した。ちなみにオバマの母のアン・ダナムはイングランド、アイルランド、そして先住民のチェロキー族の祖先を持つため、オバマはアフリカ、ヨーロッパ、新大陸のルーツを持っているのである。

しかしウサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦のコード名が「ジェロニモ」と、あたかもビン・ラディンが「ジェロニモのようなもの」だといわんばかりの作戦名に対して先住民団体から抗議が起きた。

オバマによる任命[編集]

オバマはアジア系、アフリカ系、ヒスパニック系、そして先住民を重要ポストに就任させる政策をとっており、それまで以上に様々な人種で構成されるようになった。日系では退役軍人長官にエリック・シンセキを任命し、中国系では商務長官にゲイリー・ロック、エネルギー長官にスティーブン・チューを任命した。アフリカ系では司法長官にエリック・ホルダー、アメリカ合衆国通商代表部にロナルド・カークを任命、インド系のアニーシュ・チョプラ(英語版)を米政府初の最高技術責任者に指名し、ソニア・ソトマイヨールをヒスパニック系としては初となるアメリカ連邦最高裁判事に指名した。

移民制度改革[編集]

2008年アメリカ合衆国大統領選挙において包括的な移民制度改革の実現を掲げ、ヒスパニック系の有権者から膨大な支持を取り付けて当選した。オバマは大統領就任1年目の政策としてこの移民制度改革の実施を公約としていたが、オバマは公約を反故にした。2010年12月になって、オバマは移民改革法案を提出し可決を求めたが、上院において民主党内からの反対票も有り法案は否決された。オバマ政府は再度 移民制度改革法案を提出し、2013年7月に上院で可決された。オバマは反対意見が根強く採決に至らない下院に対して2013年中の法案の成立を求めている。2014年6月、同改正法案は下院による採決見送りのため廃案となった。オバマは下院の共和党議員を激しく非難したうえ、議会の承認を得ずに法案の成立を求める考えを示した。このようなオバマの強硬姿勢に対しては大統領弾劾の可能性も取り沙汰されていた。

同性婚への支持[編集]

2012年5月9日に現職の大統領として初めて同性婚支持を表明した。

2015年4月8日に同性愛者やトランスジェンダーの若者の性的指向や性自認を変えることを目的とする「転向療法」をやめるよう呼びかける声明を発表した。

オバマ政権の時期には、同性愛者など性的少数者の権利の向上が進行した時期であった。2012年12月7日、合衆国最高裁判所は「結婚を男女に限定した」「結婚保護法」を違憲無効とする判決を出した。

2015年6月27日に連邦最高裁判所が「デュープロセス条項の自由」を謳ったアメリカ合衆国憲法修正第14条を根拠に、アメリカ合衆国のすべての州(首都ワシントンを含む)に同性結婚を認める判決を出した。これによって同性結婚を認めない州法は直ちに無効となった。

オバマは最高裁判所の判決によってアメリカ合衆国が同性婚を認める国になったことに関して「アメリカにとっての勝利である」「同性婚合憲判決でアメリカが完璧な国にほんのわずかながら近づいた」と判決を肯定した。

有給病気休暇[編集][編集]

2015年9月7日、連邦政府の契約業者の従業員に年間最大7日間の有給病気休暇を認める大統領令に署名した。

プロチョイス(中絶権利擁護派)[編集][編集]

人工妊娠中絶に対して賛成であり、プロチョイスの立場を取っている。オバマはアメリカの中絶病院チェーンであり、プロチョイス(人工妊娠中絶権利擁護派)の団体であるプランド・ペアレントフッド(全米家族計画連盟)からの支援を受けており、その会議にも出席し、演説している。また、プランド・ペアレントフッドへの助成を廃止しようとする共和党の予算案に対し、拒否権を行使すると発言した。

人物 [編集]

名前[編集]

オバマは母親とは別姓であり、名前の「バラク」とは「神に祝福されし者」を意味するスワヒリ語であり(さらに遡れば、アラビア語)、姓の「オバマ」はケニアに住んでいるルオ族に見られる姓である。過去のアメリカ合衆国大統領はイングランドやドイツ、アイルランド、オランダなど、ヨーロッパにそのルーツを持つ姓や名を持つ者のみであり、アフリカにルーツを持つ姓や名、そしてイスラムにルーツを持つミドルネームを持つ者がアメリカ大統領になる事は史上初の事である。奴隷時代の影響でヨーロッパ系の姓と名前であるアフリカ系アメリカ人のミシェル夫人は初めてその名を耳にしたとき「バラク・オバマ? 変な名前だわ」「少し変わり者で、オタクっぽい人に違いない」と思ったという。

なお、姓を「オサマ」と呼び間違えられることがある。過去にCNNや上院議員のテッド・ケネディ、2007年10月にはマサチューセッツ州知事(当時)のミット・ロムニーがオサマ・ビンラディンを説明中にうっかり言い間違えている。

2008年6月ごろから主に若者のオバマ支持者の間でメールアドレス・フェイスブックなど一部のSNSや会員制サイトのハンドルネーム、また買い物の会員カードなどその他名前を登録するあらゆる機会においてミドルネームに「フセイン」と入れる、いわゆる「フセイニアック現象」が起こり、選挙前にはその盛り上がりがピークを見せた。元々イスラム教に由来するこの名前は、イスラム教徒に限らずあらゆる人種や家系や宗教の若者の間でオバマへの支持を表明する手段となった。

家族[編集]

1992年10月にミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年7月に長女のマリアと、2001年6月に次女のナターシャ(サーシャ(Sasha)と呼ばれることが多い。)が誕生した。なおナターシャは初の21世紀に誕生したホワイトハウスの住人である。

2014年10月、娘のマリアとナターシャの2人がアメリカのタイム誌の「2014年の最も影響力のある25人のティーン」に選ばれた。

愛犬[編集]

歴代の大統領と同様、大統領当選後よりホワイトハウスにおいて愛犬を飼うことを表明し、様々な団体や政府から愛犬の譲渡の申し出が相次いでいた他にも動物愛護施設からの譲渡も検討されたが、マリアに軽度のアレルギーがあることもあり、愛犬探しは難航した。

しかし最終的に上院議員のテッド・ケネディよりポヂュギース・ウォーター・ドッグが贈られることとなり、2009年4月にお披露目され、同時に「ボー(Bo)」と名付けられたことも発表された。

親戚[編集]

1965年3月に結婚した継父のロロ・ストロと実母のアン・ダナムの間にて、1970年8月に誕生した異父妹のマヤ・ストロがおり、マヤはマレーシアから来た中国系カナダ人のコンラッド・イングと結婚して娘のスハイラを出産した。

また実父のシニアは他に3人の妻との間に子供がおり、ケジア・オバマ(Kezia Obama)との間にはマリク・オバマ(Malik Obama) 、アウマ・オバマ(Auma Obama) 、アボー(サムソン)・オバマ(Abo Obama) 、バーナード・オバマ(Bernard Obama)という4人の子供、ルース・デサンジョ(Ruth Ndesandjo)との間にはマーク・オバマ・デサンジョ(Mark Okoth Obama Ndesandjo) 、デイヴィッド・デサンジョ・オバマ(David Opiyo Ndesandjo Obama)という2人の子供、Jael Otienoとの間にはジョージ・フセイン・オニャンゴ・オバマ(George Hussein Onyango Obama)という1人の子供がいる。

2013年3月、マリクはケニアで州知事選挙に立候補したが落選している。マリクはスーダンのイスラム・ダワウ機関(IDO)の事務局長を務め、オマル・アル=バシール大統領の側近とされている。彼はケニアにおいて、内国歳入庁からの資金援助などを承認されたバラク・H・オバマ財団(BHOF)と言うオバマ一族が経営する慈善団体の経営者でもある。またマリクはエジプトのムスリム同胞団を資金支援していると疑われている。

アウマは作家やジャーナリストとして活躍し、オーストラリア生まれのアボーはアラブ首長国連邦でリンクトイン上のnidale trading llcの人事部長を務めた。マークは中国を拠点に慈善事業を運営し、中国語も堪能で妻も中国人である。デイヴィッドは1987年にオートバイの事故で死去した。またマークとデイヴィッドはユダヤ系アメリカ人の血を引いていた。兄弟の中で一番若いジョージはナイロビのスラム街にある小屋で暮すが、その前は数年間野宿暮らしをしていた。2009年に大麻所持の疑いで逮捕されている。

  • バラク・オバマ・シニア(実父) - ケニア人のルオ族
  • アン・ダナム(実母) - イングランド人、アイルランド人、チェロキー族
  • スタンレー・ダナム(母方の祖父) - イングランド人、アイルランド人。
  • マデリン・ダナム(母方の祖母) - チェロキー族
  • ロロ・ストロ(義父) - インドネシア人
  • マヤ・ストロ(異父妹) - イングランド、アイルランド、チェロキー族、インドネシア人
  • マーク・デサンジョ(異母弟) - 在中。中国人と結婚。
  • ミシェル・オバマ(妻) - アフリカ出身の黒人奴隷の子孫
  • クレイグ・ロビンソン(英語版)(義兄) - アフリカ出身の黒人奴隷の子孫
  • コンラッド・イング(義弟) - カナダ出身の中国系マレーシア人

以上のようにバラク・オバマの家族や親戚は様々な国に起源を持っている。

ルーツ[編集]

2006年10月にオバマ本人は自らのルーツの多様性を「小さな国連」と形容した。大統領就任演説では「ケニヤ人の子」といい、アイルランド訪問時にはアイルランド風に"O'Bama"と名乗ろうと思ったことがあると発言したことがある。また日本訪問時の演説では自分を「アメリカ史上最初の『太平洋人大統領』」と称した。

オバマの母方の祖先はイングランド王ヘンリー2世の庶子であるソールズベリー伯爵に遡る。このため子女をたくさん儲けたヘンリー2世の子孫であるジェームズ・マディソン、ウォレン・ハーディング、ハリー・トルーマン、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ジョージ・H・W・ブッシュ歴代大統領やロバート・リー南軍司令官、ウィンストン・チャーチル英首相、アルベルト・シュヴァイツァー、スコット・フィッツジェラルド、ジャン=ポール・サルトルは遠縁に当たる。ジョージ・W・ブッシュとは10親等、ブラッド・ピットとは9親等、ディック・チェイニーとは8親等離れた親族である。

また、アフリカからの留学生と白人の間の子であって、アメリカの黒人コミュニティの主流である「元奴隷の子孫」ではないと言われていたが、2012年には1647年に年季奉公を放棄し、逃亡した罪で奴隷身分とする判決を受けたジョン・パンチ(英語版)(アメリカ最初の黒人奴隷)が、白人である母親の先祖のひとりであると、系図会社の Ancestry.com(英語版) が発表した。Ancestry.com が古文書とDNA解析により調査したところによると、パンチと白人女性の間に生まれたムラートである子は自由民となり、その子孫はヴァージニアの地主の家として代々続いたという。

エピソード[編集]

喫煙者として[編集]

アメリカでは責任ある地位にある者に対して自己規制能力を強く求める傾向があるため、喫煙者や肥満などの者は否定的な評価を受ける。そんな中、オバマは就任当時、現職大統領で喫煙者であった。大統領選挙出馬時にミシェル夫人が選挙運動への協力する条件に禁煙を求めたことや、ホワイトハウスが禁煙になっていることから、オバマの禁煙への挑戦とその結果が世間の注目を集めた。2011年には禁煙に成功した。

スポーツ[編集]

オバマはスポーツ好きとして知られる。特に好きなのは学生時代からプレーしているバスケットボールであり、現在もプレーを続けている。2008年の民主党予備選期間には、予備選・党員集会の投票日の朝にはバスケットをプレーするようにしていたという。2010年11月26日、休暇中に家族や友人らとバスケットの試合に興じていた際、対戦相手の肘が上唇を直撃し12針を縫う怪我を負った。

NBAチームではシカゴ・ブルズのファンであり、大統領就任後も試合を観戦に訪れている。好きなNBA選手はブルズでキャプテンを務めるルオル・デン。NBAのスーパースター、レブロン・ジェームズが移籍先を交渉中の際は、公式会見でブルズへの移籍を薦めた(結局レブロンはマイアミ・ヒートに移籍)。NCAAカレッジバスケットボールでは、ノースカロライナ大学を応援している。

基本的に地元シカゴに本拠地を置く北米4大プロスポーツリーグのチームは全て応援しており、地元のMLBチーム・シカゴ・ホワイトソックスやNFLチーム・シカゴ・ベアーズ、NHLチーム・シカゴ・ブラックホークスのファンであることを公言している。シカゴ・カブスについては、ファンではないものの、シカゴを代表するチームの1つとして敬意は示している。NFLでは、ベアーズを除くとピッツバーグ・スティーラーズが一番好きだという。カレッジフットボールに関しては、「そろそろカレッジフットボールにプレーオフを導入する時期だと思う。もうコンピューターによる格付けにはうんざりしている。」とコメントし、制度の改革を望んでいる。

2009年のMLBオールスターゲームでは始球式を務めたが、それに先立ってイチローと対面し、イチローからサインボールを手渡された。その際、イチローの大のファン(Big fan)だと語った。

また、インドネシア滞在時にサッカーをプレーしていた経験があり、オバマの2人の娘はサッカーをプレーしている。2003年のイギリス訪問時にプレミアリーグ・ウェストハムの試合を観戦して以来、ウェストハムのファンであるという噂も流れていた。2014 FIFAワールドカップの際には決勝トーナメント1回戦に挑むアメリカ代表の試合をホワイトハウスで観戦し、その後選手たちの健闘を称えるダイレクトコールを送っている。

ゴルフも得意であり、スポーツ全般に関心が高い。2016年夏季オリンピックの開催地に立候補しているシカゴ市の招致活動 や、2018年もしくは2022年のFIFAワールドカップ招致活動 にも全面的にバックアップをすることを表明していた。

オバマは元ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリを尊敬しており、大統領時代にはアリ本人から贈られたボクシンググローブとアリの写真をホワイトハウス内に展示していた。

音楽[編集]

大の音楽ファンであり、iPodユーザーとしても有名である。幼少期はエルトン・ジョンやアース・ウインド&ファイヤーなどを愛聴していた。現在のiPodの収録リストには、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジェイ・Z、ローリング・ストーンズ、シェリル・クロウなどが入っている。他にもジャズやクラシックなど音楽の趣味は幅広い。

元々民主党は音楽産業や映画産業などからの支持が厚いが、オバマの支援に関してはかつてないほどの盛り上がりを見せた。大統領選挙の応援演説にはブルース・スプリングスティーンが駆け付けた他、伝説のロックバンド・グレイトフル・デッドが応援のために再結成、さらにウィル・アイ・アムがオバマの名演説「Yes We Can」を元に新曲を制作するなど、様々な動きが起こった。その他にもアメリカ国内外を問わず、多数のアーティストから支持表明を受けている。

2009年1月18日にはオバマの大統領就任を記念した特別コンサートが開催された。主な顔ぶれは、ブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、U2、ビヨンセ、ウィル・アイ・アム、アッシャー、シェリル・クロウ、メアリー・J. ブライジ、ジョン・ボン・ジョヴィ、ハービー・ハンコック、ガース・ブルックスなど。オバマ本人も出演し、ステージの最後にスピーチを行った。

2010年6月2日、ポール・マッカートニーにガーシュウィン賞が授与され、ホワイトハウスにてパフォーマンスを行った。ミシェル・オバマ夫人が主催となっており、「ホワイトハウスでプレイしたくて仕方なかった」というビートルズ時代の楽曲「ミッシェル」などを熱唱した。

「オバマを勝手に応援する会」[編集]

福井県小浜市では市名にちなみ観光協会のメンバーを中心として「オバマを勝手に応援する会」を発足させ、親書と市名産の「めおと箸」を送るなどしている。

また長崎県雲仙市小浜町の小浜温泉でも同様に勝手連が発足し、応援活動を行っている。福島県二本松市小浜にある二本松市立岩代図書館は大統領就任を記念したコーナーを2009年に設置した。

この活動についてはオバマも承知しており、2008年アメリカ合衆国大統領選挙後の麻生太郎との電話会談にて、「小浜市については知っている」と述べた。

専用車[編集]

2009年1月14日にはオバマ専用の車としてゼネラルモーターズ社の最高級ブランドである「キャデラック」のフラッグシップ・モデルである「DTS・リムジン」の新型特装車が一般公開された。この新しいDTS・リムジンは、前任者のブッシュ前大統領専用車のDTS・リムジンと比べ装甲がさらに強化した他、最新の通信機能が装備されたが、これらの装備で車重が増したために最高速度は時速100キロ程度であると発表されている。

この車のシャシーにはGMC・トップキックのものが使用されており、アメリカ大統領専用車として初のディーゼルエンジン車である。また、フロントノーズの国旗と大統領紋章旗が夜間にLEDでライトアップする新機能が追加された他、負傷時の対応を考え、オバマの血液が車内に常に用意されている。この車両の防護装備や、性能などについては警護・保安上極めて重要な機密事項であるため、一切公開されない。

なお、かつては大統領就任パレード用のオープンカーも併せて用意されていたが、テロリストによる狙撃を防ぐことが困難なため、1980年代以降は用意されておらず、大統領専用車にも同様に用意されていない。

2016年5月27日の広島訪問時にはオバマと共に、現職のアメリカ合衆国大統領専用車としては、初めて被爆地『ヒロシマ』の地を踏んだ。

発言[編集]

2009年3月、NBCのトーク番組であるザ・トゥナイト・ショーにゲストとして出演した際、自身のボウリングの腕前を、「スペシャルオリンピックスの様だ」と発言しメディアなどから大きく取り上げられる。これを受けホワイトハウスは、「オバマの発言はスペシャルオリンピックを貶めるものではない」と釈明したが、オバマはスペシャルオリンピックス会長のティモシー・ペリー・シュライバーに謝罪している。

アフリカでの評価[編集]

ケニアではオバマが英雄視されている。同国の大統領ムワイ・キバキは「オバマの勝利はケニアにとっての勝利でもある」と発言し、11月6日をケニアの祝日に定めた。ほかのアフリカの国々でも、それぞれ「オバマ・デー」の名の祝日が急遽できたようで、タンザニアやガーナでも祝っていた。ガーナ出身で黒人で初めて国連事務総長となったコフィー・アナンは「オバマの勝利は彼の卓越した資質とともに、世界の変化へのアメリカの適応能力を証明している」と祝福した。また、南アフリカで初めて黒人大統領になったネルソン・マンデラは「アメリカ建国以来初の黒人大統領の誕生は希望のシンボルだ」と述べ、「この勝利は、より良い世界を築きたいとの夢を持たない人物はこの世界にはいないということを示してくれた」との祝福をオバマに送った。さらにケニア国内では、「オバマ」「ミシェル」と子供に命名する親が急増した。2009年の7月にはガーナ訪問し、家族と共に奴隷貿易の拠点だったケープコースト城を訪れた。

2015年7月には現職のアメリカ合衆国大統領として初めてケニアとエチオピアを訪問し、ケニアはオバマの父の出身国ということもあってケニア市民から歓迎を受け、エチオピアではアディス・アベバのアフリカ連合本部でアフリカの民主化を演説して聴衆から拍手喝采を受けた一方で、中国に対するアメリカのアフリカ支援の遅れから「中国のお金で建てたアフリカ連合本部に行き、中国が造った道路を旅した」と揶揄する声もあった。

学校教育[編集]

2009年9月8日にオバマはバージニア州アーリントンの高校の始業式で演説し、「高校を中退したらよい職業につくことはできない」、また「高校を中退することは、国を見捨てること」とアメリカ全体的に発言した。なお、よい職業の例としては「医師、教師、警官、看護師、建築家、弁護士、軍人」を挙げている。これは全米の学校に映像が配信され、なるべく多くの生徒が視聴できるように準備が整えられ、テレビやインターネットでも全米に配信されている。この演説に対し、共和党支持者が「子どもたちに政府に都合のよい思想を吹き込もうとしている」などと非難したため、ホワイトハウスは演説内容を事前に公開した。  

服装[編集]

政務では選択・意思決定することが多く、余計なことで選択する労力を使いたくないという事からスーツはほぼ紺系か灰色系に限られている。

身長[編集]

身長は6フィート1インチ(約185.4センチメートル)である。

著作[編集]

2010年11月16日、オバマ自身が著した絵本が出版社Knop Books for Young Readerから「Of Thee I Sing: A Letter to My Daughters」という書名で出版された。イラストはローレン・ロング(英語版)。日本語訳は2011年7月6日、『きみたちにおくるうた―むすめたちへの手紙』というタイトルで明石書店から刊行された。訳者はさくまゆみこ。

大邸宅の購入[編集]

2019年、大統領時代から休暇を過ごしてきたマサチューセッツ州のマーサズ・ヴィニヤード島にある大邸宅を1,175万ドルで買い取った。

ゲーム[編集]

IGNによると、日本の人気ゲームソフトである「大乱闘スマッシュブラザーズ」(任天堂)をプレイしており、特にキャプテン・ファルコンを愛用していると2023年8月に報じられた。

この他、大統領時代にホワイトハウスにWiiを持ち込んだ上でWii Sportsを遊んだり、自ら主催者になった上でゲームジャムを開催したこともある。



Read or create/edit this page in another language[編集]