ハンJ wiki
基本資料 | |
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名前 | ハンJ Wiki |
通称 | ネトウヨBAN祭りwiki避難所 |
URL | http://hanj.shoutwiki.com |
設立日 | 2018年7月25日 |
サーバー | Shoutwiki |
管理人 | Doe |
系統 | まとめWiki |
特色 | MediaWiki |
ハンJ Wiki(ハンジェーウィキ)とは、布教を主な目的としてハングル板およびネトウヨBAN祭りにまつわる事柄をまとめるウェブサイトである。一般的には有害サイトであるとみなされている。
概要[編集]
ハンJ Wikiが誕生した経緯は、2018年(平成30年)7月24日にハンJ速報のスレハンJ速報できたやでにおいてハングル板の情報をまとめるサイトの必要性が叫ばれたことに起因する。
同日、ハンJ Wikiの設立にむけた議論のためハンJwikiスレは立つ。
当初は唐澤貴洋wiki[1]を参考としたハンJにまつわる事件・人物・年表などをまとめたwikiサイトの制作が目的であった。
サービスの比較、サーバー選び等の議論と紆余曲折を経て2018年7月25日、ShoutwikiにハンJ Wikiが誕生した。
BAN祭りWiki避難所[編集]
2018年9月21日、ネトウヨBAN祭りまとめWikiが何者かの通報を受け@Wiki運営の独断により凍結・削除されたことを踏まえ当WikiがネトウヨBAN祭りWikiの避難所となった。
そして、Archive.isの魚拓やGoogleキャッシュをもとにネトウヨBAN祭りWikiのページを復元するサルベージ作業が行われた。
その実態[編集]
ハンJ Wikiは、アットウィキを根城にBAN祭りを派手に展開していた連中が、自分自身のWikiがBANされるという何ともマヌケな形な形で移転した先である。
WikiがBANされにくいShoutWiki(シャウトウィキ)にあったハンJ Wikiに「ネットのキャッシュ」からWikiデータをサルベージして避難したようだ。
ShoutWikiは商用サービスなので、当然管理スタッフや技術スタッフもいるが、ShoutWikiに開設されたサイトを監視することがほぼない状態だ。しかも管理スタッフや技術スタッフに日本語話者がゼロなので、日本語で通報してもまったく管理スタッフに伝わらない。
このことから、ハンJ WikiはBANしにくい特徴があり、 的を射た流暢な英文作成能力がないとShoutWikiに通報しても無駄だろう。なんせ自体が日本語でページを作成しているので、下手をすればそのページ内容を英訳する必要が出て来る可能性がある。
荒らしのIP晒し[編集]
また、ハンJ Wikiはその特性から荒らされることが多い。
ハンJ wikiを荒らしていた106.73.142.66氏のIPが晒されており、挙句の果てには同氏のことや、同氏の他のサイトでの言行を掲載する記事まで執筆されている。
106.73.142.66氏にも記事荒らしの時点で非があるが[2]、それを加えてもハンJ wikiの陰湿ぶりは異常極まるものである。
「ネトウヨサイト裸祭り」の没落[編集]
なお、いわゆる「ネトウヨサイト裸祭り」はすでに実質的には終了している。 没落の原因に関しては、以下のことが挙げられる。
- ① BAN祭りが政治臭くなったから
初期のハンJ民はほぼ遊びで通報を行っていたので“反差別”という思想は正しくないかもしれないが、ヘイト動画やヘイトツイートを通報してBANするという目的は左派(反差別系)と一致していたため協業していた。しかしながらノンポリの彼らはTLが政治的なツイートで埋め尽くされることに徐々に嫌気がさすようになった。彼らは反安倍でも左翼でもないので、BAN祭りの参加者に左派が多くなってきた辺りから「反安倍など関係ない話まで絡めてきて迷惑だ」という声が聞かれるようになった。特に「アベノセイダーズ」の繰り出す人工地震や不正投票のツイートは、ハンJ民をドン引きさせた。
- 証言② 主催者気取りの登場とダブルスタンダード
気付いたら、BAN祭りに(ハンJ民ではない)“主催者気取り”が誕生していた。ハンJ民は基本的に個人プレーなので仕切り屋が大嫌いである。しかもこの“主催者気取り”が規約違反でアウトをとられまくる説得力ゼロな人間だったことも彼らの怒りを助長させた。さらにハンJ民を呆れさせたのは、“主催者気取り”のダブルスタンダードである。ハンJ民は祭り初期に決めた「規約違反は右も左も関係なく通報する」という方針のもと通報をしていた。ネトウヨはヘイトでアウトがとられることが多く、文句を言うネトウヨに対して「規約違反でなければBANされない」と得意げに言い放った“主催者気取り”だが、ネトサヨがアウトをとられると(しかも知っているアカウントだと)大騒ぎし、Twitter社の運用に文句を言うなどしていたため、このダブルスタンダードにハンJ民は完全に白けてしまった。
- 証言③ 通報(遊び)の邪魔をされたから
秋頃にはBAN祭りの参加者はほぼ左派で占められ、初期のBAN祭りの面影はなかった。しかしそれでも細々と活動しているハンJ民は存在した。左派というと多様性に寛容なイメージが強いが、それは属性(人種、性別など)に関してのみで、思想に関しては割と不寛容とみられる。それ故、内ゲバ(いわゆる仲間割れ)が多く、これはBAN祭りにおいても同様だった。右寄りの発言をすると「ネトウヨ」認定したり、ネトウヨに暴言を吐くなど行き過ぎた反差別界隈に苦言を呈しただけで「DD論者」認定して通報を呼び掛けるなど、ハンJ民の邪魔をするようになったのである(もっとも彼らは規約違反をしていないので通報されてもロックすらされないが)。“遊び”の邪魔をされたことを激怒したハンJ民はBAN祭りから抜け、反撃に出た。ネトウヨ認定をしたアカウントはもちろん、“遊び”の邪魔をした左系アカウントは現在も通報され続けている。
こうしてハンJ民はBAN祭りから姿を消したわけだが、結局のところネトウヨの味方でもネトサヨの味方でもないハンJ民のことを反差別界隈は見誤ったのが1番の原因だろう。
彼らには異なる思想の持ち主とどのように協力していくか、という観点が抜けていたのである。
ハンJ民誕生のエピソードはよく知られているが、その最後もきちんと語られるべきだろう。彼らなしではBAN祭りの成功はありえなかったのだから。
その後もハングル板でハンJ民の生き残りと思われる人物らにより細々と「ネトウヨサイト裸祭り」スレは立てられ、書き込まれていたが、【アフィ】ネトウヨサイト裸祭り 第十夜 【ブログ】が荒らしにより埋め立てられてdet落ち。2018年6月から5年11ヶ月に亘った「ネトウヨサイト裸祭り」は終わりを告げたのであった。