ハンガリー
ハンガリー(ハンガリー語: Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペストである。基本的には中欧とされるが、歴史的には東欧に分類されたことがある。
国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。
人口:966万人 2020年時点
国名[編集]
正式名称はハンガリー語で Magyarország [ˈmɒɟɒrorsaːɡ] 。カタカナの大まかな発音は「マジャロルサーグ」。通称、Magyar [ˈmɒɟɒr] (マジャル)。
日本語の表記はハンガリーであるが、20世紀中盤まではハンガリアと表記する例も散見した。漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。
ハンガリー語で「ハンガリー」もしくは「ハンガリー人」を指す名詞「Magyar」は、日本の教科書などにおいて「マジャール」と誤ってカタカナ表記されているものが見られるが、どの母音も伸ばさずに「マジャル」と表記・発音するのが正しいカタカナ表記となる。ハンガリー語では長母音の場合は母音字にエーケゼットをつける規則があるため、そうでない場合は長母音ではない(「Magyar」であって「Magyár」でないため、長母音として発音しないのが正しい)。
歴史上、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。
「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族」ではなく、7世紀のテュルク系のオノグル (Onogur) という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャール人7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。「ウンガーン」(独: Ungarn)、「ウンガリア」(希: Ουγγαρία)に見られるように、もともとは語頭のhがなかった。
2012年1月1日より新たな憲法「ハンガリー基本法」が施行され、国名が変更された。
- 1920年 - 1946年 ハンガリー王国(Magyar Királyság [ˈmɒɟɒr ˈkirɑ̈ːjʃɑ̈ːɡ](マジャル・キラーイシャーグ))
- 1946年 - 1949年 ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ](マジャル・ケスタールシャシャーグ)
- 1949年 - 1989年 ハンガリー人民共和国(Magyar Népköztársaság [ˈmɒɟɒr ˌne̝ːpkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ] (マジャル・ネープケスタールシャシャーグ))
- 1989年 - 2011年 ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ](マジャル・ケスタールシャシャーグ))
- 2012年 - ハンガリー(Magyarország [ˈmɒɟɒrorsɑ̈ːɡ](マジャル・オルサーグ))
歴史[編集]
ハンガリーの国土はハンガリー平原といわれる広大な平原を中心としており、古来さまざまな民族が侵入し、定着してきた。
古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族・ダキア人などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中ごろ、属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
その後、フン族はアッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡したあと、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァールの侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。