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ドルチェ&ガッバーナ

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ドルチェ&ガッバーナ (ドルチェ・エ・ガッバーナ)は、イタリアを代表する世界的なラグジュアリー(高級)ファッションブランドである。イタリア人デザイナーのドメニコ・ドルチェステファノ・ガッバーナによって創立、イタリアのミラノに本拠地を構える。2005年には収益が5億9,700万ユーロにまでなった。

ブランド[編集]

日本語の公式の転写は「ドルチェ&ガッバーナ」。「ドルガバ」とも略される。

初期[編集]

ドメニコ・ドルチェは、1958年8月13日、シチリア州ポリッツィ・ジェネローザ生まれ。父親は仕立て職人、母親は服地などを売っていた。ドルチェは6歳の時に初めて自分の服をデザインして仕立てた。ステファノ・ガッバーナは、1962年11月14日、ミラノ 生まれ。両親はベネト州出身で父親は印刷工、母親は洗濯婦。二人ともそれぞれ別のデザイン学校で学んだのち、同じ服飾デザイン事務所で働いた。2人が初めて接したのは電話でのこと。ドルチェがガッバーナの勤務するデザインスタジオに、職を求めて電話をした時のことである。やがてドルチェが勤務を開始すると、ガッバーナは彼の面倒をみるようになり、デザイン事務所でのデザインのプロセスからデザイン画の描き方まで何でも教えた。ドルチェの勤務開始後間もなくガッバーナは、18ヶ月間の兵役義務に服すことになるが、1982年の徴兵期間終了後、彼らは共同でデザインコンサルタント事務所を開設する。二人はゲイ・カップルであることを公表している(2005年に解消)。

ところが共同経営であったにもかかわらず、彼らは常に別々に請求書を発行していた。しかし経理担当者の提案で、2人まとめて作成するようになる。その結果手続きが簡略化し、コストも下げることができた。それ以後2人はクライアントに、「ドルチェ・アンド・ガッバーナ」と連名の請求書を発行するようになり、やがてその名称が、彼らの手掛けるデザインビジネスの名称になる。彼らがチームになって初のコレクションは、1985年10月。他の5つのイタリア新ブランドとともに、ミラノ・コレクション(Milan Fashion Week)で発表された。2人はモデルを起用する資金がなく、友人に協力を依頼した。また身に付けさせるアクセサリーを調達する資金もなかったので、友人モデルたちは自分のアクセサリーを着けて衣装を引き立たせた。また彼らは、ドルチェが自宅から持ち出したベッドシーツを、ステージのカーテン代わりに使用した。

2人のブランドの初コレクション名は「Real Women(真の女性)」。これは地元のアマチュア女性をモデルに起用したことが由来でもある。彼らの初コレクションからの収入は非常に期待外れだったので、ガッバーナはセカンドコレクション用に注文した生地のオーダーのキャンセルを決断する。しかしドルチェの家族は、シチリアでクリスマスを過ごそうとドルチェの家族を訪ねた2人に、費用を負担することを申し入れた。その時点で生地会社はまだキャンセル通知を受け付ける前だったため、2人がミラノに戻る頃には、生地の準備がすでにできていた。1986年にはセカンドコレクションを手掛け、同年彼らは初店舗をオープンした。アメリカのジャーナリスト、マイケル・グロスは、彼らの第3回コレクションに関して1992年のインタビューでこう記している。「彼らは、わずか一握りのイタリアのファッション誌編集者にしか知られていない存在でした。わずかしかいない彼らのモデルたちは、ボロボロのスクリーンの裏で着替えていました。彼らはその時のコレクションを、コットンTシャツとしなやかなシルクの変革と呼んでいました」。このコレクションの作品は、1点につき7通りの着こなし方が可能で、ベルクロやスナップボタンを使って服の形を様々に変化させることができたのだ。

彼らの第4回コレクションは、イタリアファッション市場に初めて大きな衝撃を投げかけた。このコレクションでドルチェは、彼の出身地シチリアのルーツを取り入れた。このキャンペーン広告写真は、写真家のフェルディナンド・シアナによって、シチリアで1940年代のイタリア映画の雰囲気を取り入れて白黒撮影された。彼らは引き続きイタリア映画の雰囲気を第5回コレクションでも取り入れ、イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティの作風と彼の映画『山猫 』の雰囲気を真似た。

これまでにデザインされた貴重な100点のドレスについて解説した本の中で、著者ハル・ルビンスタインは、彼らの第4回コレクションに出展した作品の1つを、「シシリアン・ドレス」と名付けた。これは当時の彼らのブランドの中で、これが最も代表的な作品と考えられたからである。ルビンスタインは2012年にこのように記している。「このシシリアン・ドレスはドルチェ&ガッバーナの核心ともいえる作品で、このブランドのスタイルの基本ともなるものです。このドレスは女性の下着からヒントを得ています。その下着とは、アンナ・マニャーニがこよなく愛したスリップであり、アニタ・エクバーグやソフィア・ローレンなどの女優たちを美しく飾ったシルエットだったのです。このドレスのストラップはまるでブラジャーのそれのようにぴったりと体にフィットしています。襟ぐりはまっすぐ横にカットされていて、その2箇所にストラップがついています。両端ではバストを優しく包み、中央でやさしくバストをプッシュアップしています。このスリップは、単にずれ落ちることがないだけでなく、ウエスト周辺では体をしっかりとサポート。だからといってきつく締め付けているわけではありません。そしてヒップの所で広がりヒップラインを強調してから軽く垂れ下がり、膝の辺りで裾が軽くすぼまって、歩くごとにヒップが揺れて見えるようにデザインされているのです」。

新ラインと新マーケット[編集]

1987年、2人はニットウェアラインを発表、1989年にはランジェリーとビーチウェアのデザインを開始。1990年には初のメンズコレクションを発表する。同年、彼らはデザインスタジオを初の正式オフィスとし、元来の衣類デザインに加えて、ドレスなどといった高額な作品も手掛けるようになった。1990春夏レディースコレクションでは、ラファエロの神話画プリントを採用。また2人は、クリスタルをあしらったドレスで評判を築き始める。1991秋冬レディースコレクションでは、フィリグリー(金銀線細工)のメダルや派手な装飾をあしらったコルセットなど、アクセサリー素材をふんだんに使用した。1992秋冬レディースコレクションでは、クリスタル使いのボディースーツを発表しつつも1950年代の銀幕の世界のイメージを取り入れていた。

1991年、彼らのメンズコレクションが、その年の最も斬新なメンズコレクションとしてウールマーク・プライズを受賞。 1990年、カンヌ国際映画祭での『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』(原題:Truth or Dare、別題:In Bed With Madonna)のプレミア試写会で、宝石をふんだんにあしらったドルチェ&ガッバーナのコルセットとジャケットをマドンナが着用したのがきっかけで、国際的に高い評価を得る。その後1993年には2人はマドンナとパートナーを組み、1992年のアルバム『エロティカ』(Erotica)発売後の1993年、彼女の世界ツアー「ザ・ガーリー・ショー(原題:The Girlie Show)」では、1500着以上の衣装のデザインを手掛けた。とあるインタビューでマドンナは衣装について次のように答えている。「彼らのデザインする服はセクシーなのにユーモアがあります。私みたいにね」。1994年には、彼らのデザインスタジオのトレードマークであるダブルのジャケットが、モデルのクリスティー・ターリントンにちなんで「ターリントン(La Turlington)」と名付けられた。同年、彼らは若者を対象としたセカンドライン「D&G」を立ち上げる。1996年、D&Gのファッションショーは、新メディアへの実験的な移行を目的としてインターネットを介してのみ公開され、会場でのショーは行わなかった。同年、ドルチェ&ガッバーナは映画『ロミオ+ジュリエット』(原題:Romeo + Juliet)でも衣装デザインを担当した。

映画界においては、ドルチェとガッバーナは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督による1995年のイタリア映画 『明日を夢見て』(伊: L'uomo delle stelle、英: The Star Maker)にエキストラとして出演している。さらにロブ・マーシャル監督の映画『NINE』(ナイン、原題: Nine)でも特別出演をしている。また、デュラン・デュランのミュージックビデオ『ガール・パニック!』(原題:Girl Panic! )では、2人はスタイリストの役で出演している。

1990年代の市場拡大においては、1989年、日本での初ブティックをオープンするにあたって、ドルチェ&ガッバーナ社はオンワード樫山との合意書にサインした。1992年には初のレディースフレグランス「Dolce & Gabbana Parfum (ドルチェ&ガッバーナパルファム)」を発表、1993年にはPerfume Academy(パフュームアカデミー)でレディース部門ベストフレグランス賞を獲得した。1995年には、彼らの初メンズフレグランス「Dolce & Gabbana Pour Homme(ドルチェ&ガッバーナプールオム)」が、同アカデミーでメンズ部門ベストフレグランス賞を獲得した。また同年、ドルチェ&ガッバーナ社は、アメリカのマフィアをイメージしたコレクションを発表したため、イギリスとイタリアのマスコミ間で物議を醸した。ドルチェ&ガッバーナはこの1995年の秋冬物のテーマをレディースにも取り入れたため、評論家たちはこれをエロティックな作品であるとコメントした。2人はこのテーマを以前にも使用したことがある。1992年、写真家のスティーヴン・マイゼルは、彼らのデザインスタジオの広告キャンペーン用に「gangster chic(マフィア風)」のポーズをしたモデルたちを撮影した。これには、1930年代スタイルの襟幅の広いコートや黒のレザーキャップなどが取り入れられている。

作家のニルパマ・プンディヤは次のように解説している。「ドルチェ&ガッバーナは、非常に女性らしくて空想に満ちたスタイルを持っていて、1990年代に流行していた真面目なイメージの非常に落ち着いたファッションスタイルからはかけ離れていました」。

世界的ブランドへ[編集]

ドルチェ&ガッバーナは、その後もマドンナとのパートナーシップを続け、彼女の2000年のアルバム『Music(ミュージック)』発売後の2001年、ワールド・ツアー『Drowned World Tour(ドラウンド・ワールド・ツアー)』でコスチュームデザインを担当。またミッシー・エリオットやビヨンセ、メアリー・J. ブライジなどのワールド・ツアーの衣装デザインも担当した。1999年には、トーク番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』(The Oprah Winfrey Show)で女性歌手ホイットニー・ヒューストンが、ツアー『マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ』(My Love is Your Love)ツアーで着用予定の彼らのデザインした衣装を着て登場し、それを見たファッションおよび音楽評論家たちは、異常に「際どい」スタイルであるとコメントした。2000年以降も2人は、「ショーガール:ホームカミング」ツアーでのカイリー・ミノーグの衣装など、音楽界のアーチストたちの衣装デザインを続けた。マドンナはまた、2010年のドルチェ&ガッバーナ広告キャンペーンに参加している。

2000年代に入るとドルチェ&ガッバーナは、サッカー界からの影響も多大に受けるようになる。2003年のメンズラインは、主に世界のトップクラスのサッカー選手をテーマとしたものだった。また他の分野のアーティストも、ドルチェ&ガッバーナの影響を受けた。ダンスミュージック・アーティストのフランキー・ナックルズは、2003年にこうコメントしている。「このブランドは、ファッションと音楽のトレンドになる『素晴らしいバロメーター』です」。デザイン界での反響に関しては、2002年にドルチェ&ガッバーナの主要デザイン路線であったコルセットが、ヨーロッパの多くの著名デザイナーによって次期トレンドとして取り入れられた。近年では、ドルチェ&ガッバーナは、バイヤー向けに彼らのショーへの特別招待を始め、ファストファッション企業が彼らのデザインのコピーを先買権によって取得できるよう、コレクションが公開される前にこれらのバイヤーに販売を始めたのだ。

2012年、D&Gはドルチェ&ガッバーナと統合し、主要ラインを強化する。D&Gブランドとしての最後のコレクションは、2011年9月に開催された2012春夏コレクションであった。2005年に発行されたザ・ニューヨーカー(英: The New Yorker)の記事にはそれぞれの10年間を特徴付けるgli stilisti (デザイナー)の感性としてプラダが1990年代を、アルマーニが1980年代を代表するものだったのに対して、ドルチェ&ガッバーナは2000年代を代表するブランドになりつつある、と発表している。個人の業績に関しては、1996年および1997年にドルチェ&ガッバーナは、月刊誌FHM(エフエイチエム)によってその年の最優秀デザイナーに選ばれた。2003年には、GQ(ジーキュウ)マガジン(GQ Magazine)にて生き方、仕事、スタイルにおいて最も輝いた男性たちに贈る「メン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。翌年、イギリス版『ELLE』誌の読者投票によって選ばれるエル・スタイル・アワードで、ドルチェ&ガッバーナは2004年度のベスト・インターナショナル・デザイナー賞に輝いた。2010年6月19日には、ドルチェ&ガッバーナ・ブランド誕生20周年記念式典が、ミラノのスカラ広場およびマリノ宮で開催され、翌日一般公開が行われた。会場にはいくつものテレビがランダムに配され、それぞれのテレビは以前に発表されたコレクションをそれぞれに映し出し、それまでの20年間を振り返った。



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