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チベット

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チベット(英語:Tibet, チベット文字:བོད་; ワイリー方式:bod, 発音 [pʰø̀ʔ], 簡体字: 藏区 , 拼音: Zàngqū)は、チベット高原を含む東経77から105度、北緯27から40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。チベット民族の祖国とされるこの地域は、1949年以来、中華人民共和国が実効支配しており、その主権と領有についてインドにあるチベット亡命政府と対立している。

地理[編集]

チベットは約250万km2で日本の約6.6倍の面積である。南からインド亜大陸がアジア大陸に衝突し隆起してヒマラヤ山脈が誕生し、その北側にチベット高原が形成された。平均高度4,500 mのチベットにはその環境に適応した独特の魚類、哺乳類が生息し、また多数の塩湖はインドやネパールからヒマラヤ山脈を越え飛来する渡り鳥の中継地となっている。

チベットはインダス川やメコン川の源流域であるため、水は豊かで平野部では大麦を主とした農耕が行われ、草原地帯において牧畜が営まれている。その一方で、チベット南部に連なるヒマラヤ山脈の北斜面や四川盆地と隣接するチベット東端部などの地域を除けば、乾燥した気候のため山の斜面に樹木は乏しい。

チベットを領域内に入れている若しくは接する地域[編集]

中華人民共和国

インド

ネパール

ブータン

呼称[編集]

チベットの周辺諸国が古くから用いて来た呼称「tubat」(モンゴル語・満州語)、「tbt」(アラビア語)等に由来し、チベット人自身は「プー (bod) 」(チベット語)と称する。日本語のチベットは英語「Tibet」経由で明治期に成立した呼称である。

チベット全域をさす漢字表記による総称としては、他に清代に通用した土伯特、(タングート)などがある。

7世紀半ば、チベットの古代王朝が上記の領域を統合した(実質的なチベットの建国)時、当事の中国人(隋)はこの国を「蕃」、「吐蕃」、「大蕃」等と呼んだ。この古代王朝は842年に崩壊したが、その後も中国の人々は、清朝の康煕年間(1720年代)ごろまで、この領域全体の地域呼称を吐蕃という呼称で総称し、あるいはこの領域を統治する勢力を「吐蕃」と称した。

チベットの一部地域を示す「西蔵」という呼称は、中国大陸では1725年ごろから中央チベットとその周辺だけをさす地域呼称として使用されており、現在も中華人民共和国政府はアムドやカムを含むチベット全域の総称としては使用していない。

清朝の雍正帝は1723-24年にグシ・ハン王朝(1642年 - 1724年)を征服、彼らがチベット各地の諸侯や直轄地に有していた支配権をすべて接収し、タンラ山脈とディチュ河を結ぶ線より南側に位置する地域は、ガンデンポタンの統治下に所属させ、この線より北側の地域は、青海地方を設けて西寧に駐在する西寧弁事大臣に管轄させたほか、残る各地の諸侯は、隣接する陝西(のち分離して甘粛)、四川、雲南などの「内地」の各省に分属させた。「西蔵」という地域呼称は、康煕時代から中国文献に登場しはじめていたが、これ以降、チベットのうちガンデンポタンの管轄下にある範囲が西蔵と称される。

清朝が滅亡すると、チベットはモンゴルと歩調をあわせて国際社会に「独立国家としての承認」を求めるとともに、チベットの全域をガンデンポタンのもとに統合すべく、中華民国との間で武力衝突もともなう抗争をおこなった。中華民国は、中国人が多く住む諸民族の雑居地帯河西回廊の南部と青海地方をあわせて青海省を樹立し、青海地方にも「内地」という位置づけを与えた。中華民国の歴代政権は、「西蔵」の部分のみを「Tibet(チベット)」とし、その他の各地は「内地」(=中国の本土)に属するとした。中華人民共和国も、「西蔵」の部分のみを「Tibet(チベット)」とし、その他の各地は「内地」(=中国の本土)に属するという中華民国の見方を踏襲、1960年に発足した「チベット自治区」は「西藏」部分のみを管轄領域としている。

日本では明治期から昭和中期にかけて、中華民国や中国国外の華僑などの間では近年、Tibetの訳語として「西蔵」を用いる例がある(→西蔵、西蔵地方参照)。一方で、中国共産党に批判的な中国語話者の間では、「チベット」をそのまま音訳した「圖博」という表記も用いられている。

日本では、チベットを指す呼称として、明治期に英語「Tibet」に由来する「チベット」という呼称が一般的となった。ただし、漢字表記として「西蔵」が採用され、「西蔵」と漢字表記して、「チベット」と読み、または振り仮名を振る、という慣例が確立され、この形式が昭和中期ごろまで一般的となった。この表記法は次第にカタカナのみの「チベット」という表記に置き換わり、現在に至っている。

例えば、チベット研究学会「日本チベット学会」は、従来「日本西蔵学会」と漢字表記し、「にほんちべっとがっかい」と発音していたが、2007年11月総会において「日本チベット学会」への表記変更が提案され、翌2008年11月総会において正式に「日本チベット学会」という表記に変更された。ただし同学会の機関誌『日本西藏學會々報』のみ、「西蔵」という表記が維持されている。

中国では、チベット民族居住地域に対する通常の呼称としては「蔵区」、「蔵族地区」、「西蔵和其他蔵区」等の呼称が使用されているが、チベット全体を単一の自治行政単位とするよう求めるダライラマやチベット亡命政府の立場を非難、批判する場合には、「大チベット区」(「大西蔵区」、「大蔵区」etc)という用語が使用される。



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