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ダイエー

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株式会社ダイエー(英: The Daiei, Inc.)は、東京都江東区に本社、兵庫県神戸市中央区に登記上の本店を置く、関東地区と近畿地区で総合スーパー(GMS)およびスーパーマーケット(SM)の「ダイエー」などを運営する日本の企業である。

20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターやゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入する等、ナショナルチェーンの一大企業であった。また、流通・小売業以外の事業分野にも積極的に進出していった。

バブル崩壊後から経営不振になり、21世紀に入ると産業再生機構に支援を仰ぎつつ多角事業の譲渡、本業である小売部門の縮小などのリストラを進め、事業領域をスーパーマーケットに絞り始めた。

イオンによる株式公開買付けを経て、2015年(平成27年)1月1日から、イオンの完全子会社となり、イオングループに入った。

歴史[編集]

創業から過去日本一の流通グループへ[編集]

1957年(昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。創業者中内㓛の生まれ育った阪神地区を中心に商圏を築き、1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し、全国展開を進めた。中には赤羽店(東京都)や津田沼店(千葉県)などのように、西友ストア(現・西友)などの既存店と衝突し、苛烈な価格競争といった「戦争」を引き起こしたこともあった。

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。ダイエー・松下戦争の影響で松下電器(現・パナソニック)製品の納入が停止した事を受けて、1970年にカラーテレビの価格が10万円前後であった時期に、クラウン(当時存在していた電機メーカー)を巻き込み5万円台で発売するなど話題を集めた。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Customers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり、大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した)。

1980年代には「ふれあいさわやかダイエー」というイメージソングがあり、テレビCMで多用され、メインの店内BGMでも使用されていた。しかし、メインの店内BGMは1989年度に福岡ダイエーホークスが本格的に始動した際に、その球団公式応援歌である「いざゆけ若鷹軍団」に取って代わられ、以後は使用頻度が激減した。球団が身売りして消滅となった2005年度以降は、メインの店内BGMを「表参道」に変更した。

小売業以外にもホテル、大学、プロ野球、出版、金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内と所属球団福岡ダイエーホークスの本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。

没落〜丸紅・イオン資本受け入れへ[編集]

1980年代には業績悪化が起きていたが、中内は若手を抜擢したV革作戦によりV字回復させた。しかし、中内と若手が対立するようになり再び中内の個人商店化が進んでしまい、バブル時代になると、いきすぎた拡大路線に陥る。

バブルが崩壊し、低成長期が始まった1990年代後半から業績悪化が表面化。このような局面にあっても、基本的にダイエーは不採算店舗を閉店させない方針をとっており、1995年の阪神・淡路大震災による創業以来初の赤字決算の際に緊急措置として店舗の閉店をとった例外を除けば、原則店舗を閉店させることはなかった。しかし1997年2月にも再度の赤字決算となり収益改善が急務となる。その結果これまでの方針を転換し、1998年から同社初の店舗の大量閉鎖に踏み切り、さらに収益向上のために100店舗では改装費用では最高額となる400億円を投じて改装を行った。しかしこのような様々な改革も功を奏することはなく、ダイエーの赤字決算は続いた。さらには、大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きるなど、社会的な影響は甚大だった。

結果として、ダイエーの経営再建を果たせなかった創業者の中内は、経営責任を取って、2001年にダイエーの会長からの退任を余儀なくされた。後任として、経済産業省出身の雨貝二郎会長と、元ダイエー役員で、ダイエーの子会社であったリクルートの再建に成功した高木邦夫社長にダイエーの再建が託されることとなり、ダイエーは産業再生法の適用を受けながら、主力行からの金融支援を仰ぐとともに、店舗・人員の大幅なリストラを推し進めた。

しかし、それでもなお、本業である小売業の業績は一向に改善せず、食料品こそ盤石なものの家電・家具・衣類などはロードサイド系専門小売業やショッピングモールの影響を受けて下落。次第に自主再建路線にこだわるダイエー側と、金融再生プログラムにより、2005年までに不良債権比率の半減の目標を課せられた主力行側との対立が目立つようになる。2004年に入ると、主力行は、国の特殊会社である産業再生機構の活用を求めるようになり、自主再建にこだわるダイエーはなおもその主張を拒み続けたが、2004年10月、主力行3行から、産業再生機構の利用を行わなければ、これ以上の金融支援を打ち切るとの通告を受け、ダイエーは産業再生機構に支援を仰ぐことを決断した。

支援に入った産業再生機構は、ダイエーの大口取引業者であった丸紅をスポンサーに選定し、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策を実施。さらに、産業再生機構が出資を引き上げたあとの2007年には、流通大手のイオンが丸紅からダイエー株の一部譲渡を受け、丸紅とともにダイエー再建に携わることとなった。このような再建策により、ダイエーの経営破綻(倒産)は回避された。

経営不振後は日本経済盛衰の象徴として語られることもあるが、高度経済成長下の時代においては、(一部メーカーとの軋轢はあったが)新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。また、流通革命や価格破壊の結果、これまでメーカーが握っていた価格決定権を小売業者に移行したこともあり、これらが無ければ1990年代後半から小売業の主役になっているコンビニエンスストアを始め、ディスカウントストアや家電量販店、ドラッグストアなどの安売り店は日本に存在しなかったとする識者もいる。

名実ともにイオングループの一員へ[編集]

しかし丸紅とイオンの2社主導による再建策が大きな成果を出せぬまま2008年にリーマン・ショックが起こって景気が悪化局面に陥ると、ダイエーは2009年2月期から連続で最終赤字を計上し続けるなど再び経営が悪化する。こうした状況を受けイオンは段階的にダイエーへの追加出資を実施し、ダイエーへの経営関与を強める動きに出た。さらに2013年にはダイエー株の株式公開買付けを行い、ダイエーを完全子会社化することを発表。事実上の筆頭株主であった丸紅はこの買付けに対し約24%のダイエー株を応募することでイオンと合意、ダイエーも子会社化に同意しイオンと丸紅の間の資本提携契約は解消された。

親会社となったイオンは、重複する事業の再編を継続して進める。こうした中、2014年5月28日に行われた同社株主総会の席上で、イオン社長の岡田元也は、「ダイエーの事業を関東と関西のグルメシティに特化し、それ以外の地域についてはイオングループとの統合再編を進める」との方針を示した。既に伊豆地区のダイエー系店舗の一部がイオン系のマックスバリュ東海(旧ヤオハン)へ事業譲渡され、マックスバリュへ転換(一部店舗はマックスバリュを経てディスカウントストアのザ・ビッグへ再転換の後イオンビッグに再移管)されている。

ダイエーはイオングループ入りに際し、北海道、東海、九州の店舗を、イオンの地域子会社へ移管の上で店舗網を抜本的に見直している。

しかし、イオンの連結子会社となって以後のダイエーの経営環境の改善が一向に進まず、2014年2月期決算でも税引き後の赤字決算であることから、さらなる抜本的な経営改革をする必要があるとして、イオンは現在株式の44%を保有するダイエーを2015年1月1日付をもって、株式交換方式(ダイエーの1株に対し、イオン株0.115株を交換に充てる)により完全子会社化することを発表。

これに伴い、東京証券取引所第1部に上場していたダイエーの株式を2014年12月26日付けをもって上場廃止にするほか、岡田は、「ダイエーの法人格はそのまま残すが、2018年(平成30年)をめどにダイエーの屋号(店舗ブランド)をなくす」とする方針を示し、その準備段階として、北海道、東北、東海、九州のダイエーの店舗をイオンなどの同グループ内の店舗ブランドに転換し、ダイエーのブランドは発祥地である近畿地方と首都圏(関東南部)に事業を集約し、かつ食品スーパー (SSP) 事業に特化。京阪神のダイエーグループの他ブランド名のスーパーなどやイオン系の食品スーパー担当子会社も順次ダイエーに統合。2014年時点ではこれらの地域でも2018年度までにイオンフードスタイル(仮称)などのイオングループの別のブランドへの転換を進めるとしていた。

ところがその後、2017年に方針転換を発表、関西・関東地区でのダイエーの知名度を勘案し、2019年度までに「グルメシティ」ブランドを廃止して「ダイエー」に集約、「マックスバリュ」等イオン系SMとの店舗・ブランドの再構築を図る予定となった。そして、2018年(平成30年)10月10日にイオンが各地域でのスーパーマーケット事業の経営統合に関する基本合意書が締結されたことが発表され、その中でダイエーは2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の14店舗の運営を承継した後、2020年3月1日付で光洋を吸収合併する方法によって近畿エリアのスーパーマーケット事業における経営統合を進める予定である事が示された。2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の「マルナカ」14店舗の運営を継承し、「マルナカ」ブランドも展開するようになった。2021年12月1日付で全店舗を「ダイエー」ブランドに転換した。[要出典]

2020年(令和2年)1月29日には当初吸収合併する予定であった光洋を株式交換による完全子会社化へ方針転換することが発表され、同年3月1日付で光洋を完全子会社化した。

2016年からは、イオンフードスタイルとして展開する食品スーパーに「ÆON FOOD STYLE」又は「ÆON FOOD STYLE by daiei」のロゴを掲出している。詳細はイオン (店舗ブランド)#新店舗分類を参照。[要出典]

後に、ダイエーは今後の出店で屋号として、イオンフードスタイルとダイエーを使い分けていく方針を発表した。商業施設内など広域からの集客を見込めるケースはイオンフードスタイルとし、足元商圏を中心とする場合はダイエー屋号を選択する。この方針に基づき2022年4月1日、ダイエー住ノ江駅前店(大阪市住之江区、2017年10月開業)以来、約4年半ぶりにダイエー豊洲店を開業した。2022年10月22日にはダイエー寝屋川中神田店を開業した。[要出典]

沿革[編集]

1950年代[編集]

  • 1957年(昭和32年)
    • 4月10日 - 創業者・中内㓛が資本金200万円で「大栄薬品工業株式会社」を神戸市長田区片山町5-5に設立。
    • 9月23日 - 1号店「主婦の店・ダイエー薬局」(約97m2)が千林駅前の千林商店街(大阪市旭区千林町)に開店
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月25日 - 本店を大阪市旭区千林町三丁目236番地に移転。
    • 12月 - (初代)三宮店を開店(神戸市、約70m2)。チェーン店展開の開始。この年、創業の理念を制定。
  • 1959年(昭和34年)
    • 3月25日[要出典] - 大栄薬品工業株式会社が「株式会社主婦の店」に商号変更(店名は「主婦の店ダイエー」)。
    • 4月 - 三宮新店(396m2)を開店し、当社初めての衣料品・日用品の取り扱いを開始。
    • 4月 - プライベートブランドの「グンゼ・ソックス」を販売開始
    • 4月 - 三宮店移設拡張反対大会が生田で行われる。
    • 6月 - 三宮店の拡張に伴い、肉の取り扱い開始。

1960年代[編集]

  • 1960年(昭和35年)
    • 4月 - ダイエー三宮店で折込広告を開始。
    • 鮮魚及び青果の取り扱い開始。
    • 4月 - プライベートブランドの「ダイエーみかん」を販売開始
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月15日 - 主婦の店ダイエー三宮店を大拡張。日本最大のスーパーとなる。
    • 8月12日 - 日本初のキャンペーン広告を『神戸新聞』朝刊6面全面に掲載。
    • 9月[要出典] - プライベートブランド「ダイエーインスタントコーヒー」販売開始。
  • 1962年(昭和37年)
    • 2月 - ダイエー不動産を設立。
    • 3月 - 売上高100億円突破・従業員数1000人突破
    • 3月 - 公募により初代シンボルマークを制定(3月16日の新聞広告から使用)。
    • 5月 - 電子計算機を導入。
    • 6月 - 社内報第1号を発刊。
    • 7月2日[要出典] - 株式会社主婦の店が「株式会社主婦の店ダイエー」に商号変更
    • 7月10日 - 千林店(約6400m2)を開業。日本初の700坪スーパー。
  • 1963年(昭和38年)
    • 1月 - 『ダイエーの誓い』を発表。パンチカードシステム導入。[要出典]
    • 1月27日 - チェーン本部第1号として西宮市に西宮本部社屋を開設。1階が配送センターで2階が冷凍冷蔵付き倉庫で、3階と4階が本部事務所となっていた。
    • 2月 - 資本金50万円で「株式会社フクオカダイエー」を設立。九州へ進出
    • 3月10日 - 九州進出1号店の天神店が開業。初日で2万人が訪れる。
    • 3月 - 衣料品・家電製品の販売を目的として「ブルーマウンテン」を設立。
    • 4月18日 - 第1回「お客様重役会」募集(5月16日、13名が決定)。
    • 5月 - 山陽・四国地方への出店を計画した『ネックレスチェーン構想』を発表。
    • 6月 - 三宮店と小倉店で「フラワー·クレジツト」として月賦販売を開始。
    • 7月1日 - 地下1階・地上6階建てのダイエービルを開店。日本初の本格的な「SSDDS」として開店。
    • 8月 - 東京・渋谷への出店計画を全日本商店街などの反対により中止。
    • 9月 - 帝人と提携して「フラワークレジット」を設立。
    • 9月 - 関西主婦連合会と連携して「主婦連バター」を設立。
    • 10月 - 西神戸店の開業に抗議して兵庫県内の医薬品業者約1,600店が一斉休業し、生田公会堂で「医薬業危機突破大会」を開催。
    • 11月 - 東京・蒲田への出店計画を中止。
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月15日[要出典] - 「株式会社一徳」(後に「株式会社トウキョウダイエー」に社名変更)を買収し首都圏へ初進出
    • 1月 - 「株式会社ダイエーフォート・エンタープライズ」を設立。
    • 2月27日[要出典] - 株式会社四国ダイエー設立
    • 3月10日 - 「一徳」(上記)から譲り受けた浦和、小岩、吾嬬、中目黒の4店を開店。東京に進出。
    • 4月5日 - 庄内ショッパーズプラザ(庄内店)を開店。日本初の大型ショッピングセンター方式の実験、銀行と専門店が別棟式。
    • 4月18日 - 松山店(愛媛県松山市、後の大街道店)を開店。四国へ進出
    • 9月 - プライベートブランド「グンゼブルーマウンテン」肌着発売開始。
    • 10月 - 松下電器産業(現・パナソニック)の家電製品の割引販売を開始。
      • この家電製品の価格設定をめぐる対立から、松下電器産業(現・パナソニック)に出荷を拒否され、ダイエー・松下戦争と呼ばれる対立へとつながった。
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月 - 社歌I制定。
    • 3月 - 花王石鹼(現・花王)が再販契約の問題でダイエーへの出荷を停止。
    • 5月 - 労働組合が結成される。
    • 10月 - プライベートブランドの「ワイシャツ」を販売開始。
    • 11月 - 第一紡績と提携して「一紡ブルーマウンテン」を発売。
    • 12月 - 公正取引委員会が花王石鹼(現・花王)にダイエーとの取引再開を勧告。
  • 1966年(昭和41年)
    • 9月 - 婦人洋品のプライベートブランドの「クリスティ」を販売開始。
    • 10月 - 「那覇ミート·プロセス·カンパニー」を設立。
    • 12月20日 - 「朝日海外旅行株式会社」を設立。
  • 1967年(昭和42年)
    • 8月2日 - 日本チェーンストア協会設立。中内社長が初代会長に。
    • 10月1日 - ダイエー厚生年金基金設立。
    • 10月 - 「レッドウッズ」を設立し、家具の販売を開始。
    • 11月 - 川口店を開店し、首都圏の本格出店開始。
    • 11月 - 西友ストアー(現・西友)と共同で、「ママのお買い物便利帳」の発行を開始。
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月 - コンピューターの導入を開始。
    • 2月 - 衣料品のプライベートブランドの「ブルーマウンテン」を販売開始。
    • 3月 - 九州本部を小倉に移し、本格的ディスカウント・デパートを目指した小倉店を開店。
    • 4月 - 中内社長が「価格破壊者宣言」を行う。
    • 7月1日[要出典] - ダイエー健康保険組合設立。
    • 8月 - 首都圏本格進出の基本戦略として、「レインボー作戦」を発表。
    • 11月30日 - 香里ショッパーズプラザ(香里店)を開店。日本初の本格的な郊外型ショッピングセンター。安売りイメージから脱却。
  • 1969年(昭和44年)
    • 1月 - 中内社長が「流通革新元年」を宣言。
    • 1月 - ベビーウェアのプライベートブランドの「リトルチャイルド」を販売開始。
    • 3月 - 東洋レーヨン・帝人・東亜紡績と共同出資で「株式会社ロベルト」を設立(紳士服専門店)。
    • 3月24日 - トーメンと業務提携。
    • 3月 - 伊藤忠商事・丸紅と業務提携。
    • 5月23日 - 「大栄商事株式会社」設立。
    • 5月28日 - 「株式会社ゼノン」設立(時計・眼鏡の専門店)。
    • 6月17日 - 「株式会社キャプテンクック」設立。
    • 6月20日 - レインボー作戦(首都圏本格進出の基本戦略)の拠点となる原町田ショッパーズプラザ(原町田店)を開店。キャプテンクック1号店(約550m2)を併設していた。
    • 7月 - 関西地区で商品券の発行を開始。
    • 7月 - 「全高知スーパーチェーン本部」と提携。
    • 8月1日 - 「株式会社フクオカダイエー」、「株式会社トウキョウダイエー」および「四国ダイエー株式会社」を合併(直営化)。
    • 8月1日 - 「株式会社コルドバ」(靴の専門店)を設立。
    • 8月1日 - 「株式会社ロベルト」を設立。
    • 8月 - 従業員の海外留学制度を開始。
    • 9月 - 丸信・丸久と提携。
    • 9月13日 - 「株式会社ダイエーサカエミート」(現・アルタックフーズ)設立(食肉の加工・製造・販売)。
    • 11月 - 本部を兵庫県西宮市から大阪市大淀区(現:北区)中津に移転。
    • 11月 - 「高知県園芸農業協同組合連合会」と契約栽培を開始。
    • 11月 - 売上高1000億円突破
    • 11月20日 - 「和泉商工株式会社」を「株式会社ダイエー」に商号変更。
    • 11月25日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」設立。
    • 11月 - 「バーグ」1号店を神戸商工センタービル24階に開店。

1970年代[編集]

  • 1970年(昭和45年)
    • 1月 - 西宮分室に研修センターを開設。
    • 1月 - 「ダイエーフーズ」を設立。
    • 2月6日 - 「株式会社ウェンコ・ジャパン」を設立。
    • 2月27日 - 「株式会社サンコー」と業務提携。
    • 3月18日 - 株式の額面変更のため、「株式会社ダイエー」が存続会社となり「株式会社主婦の店ダイエー」を合併
    • 3月 - 業界初のFCとして高知スーパーマーケットと契約締結(同年4月18日にショッパーズプラザ大橋通店オープン)。
    • 4月13日 - 「株式会社セントラル食品加工センター」を設立。
    • 4月 - 「イエローハットストーン」を設立。
    • 4月 - 「ブブ」初の商品・扇風機を発売。
    • 5月 - 西友ストアー(現・西友)と共同で、「消費者モニター制度」を開始。
    • 5月12日[要出典] - 日本初のハンバーガーショップとしてドムドム原町田店をオープン
    • 7月 - 「株式会社サンコー」の商品部を統合する形で「エマック」を設立。
    • 7月 - 丸信・丸久・福屋・さとう[要曖昧さ回避]とFCで提携。
    • 7月1日 - 「株式会社フォルクス」(ステーキハウス)を設立。
    • 7月22日 - 「株式会社ダイエーセントラル牧場」を設立(現:鹿児島サンライズファーム)。
    • 8月 - 東京事務所を開設。
    • 8月28日 - 「株式会社消費経済研究所」設立。
    • 9月 - 「ブブ」の白黒テレビを発売。
    • 9月10日 - 東海銀行グループと共同出資で「ダイエーダイトー開発」を設立。
    • 9月6日[要出典] - 神戸流通センター竣工(現存せず)[要出典]
    • 10月 - 福岡ショッパーズプラザのデベロッパー会社として伊藤忠商事と共に「株式会社天神中央開発」を設立。
    • 10月 - 「グリーンヒル」と「ローズバレー」を設立。
    • 11月16日[要出典] - ダイエー品質管理センター開設。
    • 11月6日 - 「株式会社ダイエーミート」を設立。
    • 11月25日[要出典] - 松下電器への対抗として[要出典]5万円台の格安13型カラーテレビ、プライベートブランド「ブブ」を発売。
  • 1971年(昭和46年)
    • 1月5日 - 協同乳業と提携し、関東地区でプライベートブランドの牛乳を販売開始。
    • 1月26日 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」を設立(後の株式会社ファンフィールド)。
    • 3月1日 - 大証(現在の東証)二部に株式上場。スーパー業界では初めてとなる上場企業となった。
    • 4月 - ステーキハウス「フォルクス」1号店を箕面店2階に開店。
    • 6月 - 松屋・南海百貨店とFC契約に調印。
    • 6月15日 - 福岡ショッパーズプラザ(ダイエー福岡店)を開店(開業当初、国内最大)
    • 7月 - 立川店と八王子店で「消費者モニター制度」を開始。
    • 9月 - 株式会社クラウンと資本提携。
    • 9月1日 - 本店を大阪市大淀区(現・北区)中津本通1-2に移転。
    • 9月1日[要出典] - クレーム110番制度発足
    • 10月 - 中国からの生野菜の輸入を開始。
    • 12月3日 - 「朝日警備株式会社」を設立。
  • 1972年(昭和47年)
    • 1月4日 - 大証(現在の東証)一部に指定替え。
    • 1月27日 - 「サンパーク株式会社」を設立。
    • 2月 - 株式会社クラウンを完全子会社化。
    • 3月1日 - 東証一部に株式上場
    • 3月 - 「ジョセフ・マグニン」と合弁会社を設立。
    • 3月24日 - 物価値上がり阻止運動を宣言。
    • 3月25日 - 戸塚ショッパーズプラザ(戸塚店)を開店。開業当初、東日本地区最大の本格的郊外型ショッピングセンター。
    • 5月 - 神戸中央卸売市場の買参権を取得。
    • 6月1日 - プライベートブランドの乳酸菌飲料「ミリオン」を発売。
    • 6月15日 - 山形ショッパーズプラザ(山形店)を開店。(東北へ進出)
    • 7月 - 大阪中央卸売市場の買参権を取得。
    • 7月28日 - アメリカの食品メーカーの「スイフト」と技術提携し、「株式会社ディッパー・ダン・アイスクリーム・ジャパン」を設立。
    • 7月 - 香港駐在員事務所を開設。
    • 7月1日 - 「株式会社ボンテ」設立(パン製造・販売)。
    • 8月 - 「ダイエーフーズ」が「ドムドム」に商号を変更。
    • 8月 - 中華人民共和国から日本の流通業初の友好商社の認定を受ける。
    • 8月 - ハワイに「ダイエーUSA」を設立(11月19日、1号店ダイエーパールリッジ店オープン)。
    • 8月 - 三越を抜き、小売業売上高日本一を達成
    • 9月 - 「コンビニエンスストア開発委員会」を設置。
    • 10月 - サニーと業務提携。
    • 10月27日 - 「株式会社バンクラチックマーチャンダイジング」を設立。
    • 11月29日 - 「株式会社大中」設立(中国物産小売)。
    • 12月 - 「ディッパーダン・アイスクリーム・ジャパン」を設立。
    • 12月9日 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」を設立(婦人ドレス専門店)。
    • 12月20日 - ディッパーダン・アイスクリーム1号店を東京・八重洲地下街開店
    • プライベートブランド・「キャプテンクック」を発売。
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月 - 社歌II、愛唱歌制定。
    • 3月 - 「ジュエル・ダイエー」を設立。
    • 3月 - プライベートブランドの冷凍食品を開発。
    • 3月 - 「株式会社ダイエー教育センター」がスーパー大学校を完成。
    • 3月 - 物価値上がり阻止運動を1年間延長。
    • 4月10日 - 「株式会社ダイエー教育センター」を設立。
    • 5月19日 - 「株式会社サカエ」(後のグルメシティ近畿の前身)と資本・業務提携。
    • 5月 - 旭化成と共同企画の「ジョン・アレキサンダー」を発売。
    • 8月 - 「株式会社ダイナハ」を設立。
    • 9月1日 - 名古屋市中区に東海地区本部を開設。
    • 9月27日 - 「株式会社ロベリア」(婦人服専門店)を設立。
    • 10月1日 - 「株式会社パシフィック・スポーツ」を設立。
    • 10月9日 - 「株式会社宮崎熱源センター」を設立。
    • 10月 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」1号店を原宿に開店。
    • 11月 - マニラ駐在員事務所を開設。
    • 11月 - 「ザ・ダイエー・ホンコン・リミテッド」を設立。
    • 11月9日 - 水戸ショッパーズプラザ(水戸店)を開店し、100号店となる。
    • 11月25日 - 札幌店を開店(北海道へ進出)。
    • 11月30日 - 都城ショッパーズプラザ(都城店)を開店(現イオン都城駅前店)。
    • 12月 - 鹿児島県高牧町に「高牧フィードロット」を開設し、肉牛肥育に参入。
  • 1974年(昭和49年)
    • 1月20日 - 大阪市の駒川店で火災が発生、地下売り場が全焼。放火事件として捜査が行われた。
    • 2月 - フリーズドライのインスタントコーヒーのプライベートブランド・「キャプテンクック」を発売。
    • 3月 - 新潟証券取引所と札幌証券取引所に上場。
    • 5月1日 - 米国預託証券(ADR)の取引開始。
    • 6月28日 - アムステルダム証券取引所に上場。
    • 7月10日 - 「株式会社ハンシンパック」を設立。
    • 7月 - ソウルに韓国駐在員事務所を開設。
    • 9月16日 - ブリュッセル証券取引所とアントワープ証券取引所に上場。
    • 9月29日 - 創業第1号店千林駅前店閉店。
    • 10月 - フィリピンに合弁会社「ハイダイエー」を設立。
    • 11月 - 米国「コンソリデーテッド・フーズ」から「コンビニエンスストア」についてのノウハウを導入。
    • 12月 - 「株式会社さつま」(ラーメンチェーン)を設立。
  • 1975年(昭和50年)
    • 2月15日 - 「USシューズジャパン株式会社」を設立。
    • 2月15日 - 「プレナタール・ジャパン株式会社」(子供服専門店)を設立。
    • 2月28日 - ドーナツ専門の「ドーナツアーツ」1号店を古川橋店の店頭に開店。
    • 4月1日 - 目黒区碑文谷に、関東の旗艦店となるショッパーズプラザ碑文谷開業(のちのダイエー碑文谷店を経て現・イオンスタイル碑文谷)。
    • 4月 - 資生堂とカネボウと共同開発したPBの化粧品を発売。
    • 4月15日 - 「ダイエーローソン株式会社」(ローソンの前身の一つ)を設立し、コンビニエンスストア業界へ進出
    • 4月25日 - 資生堂が製造した「ディアーヌ」とカネボウが製造した「ソフィアレーヌ」の2ブランドのプライベートブランドの「化粧品」を販売開始。
    • 5月1日 - 本店を大阪府吹田市豊津町9番1号に移転。
    • 5月4日 - 那覇ショッパーズプラザ(のちのダイナハ → ダイエー那覇店・現D-naha)を開店。
    • 6月1日 - 「DAC ENTERPISE INC」(ステーキ・丼店)を設立。
    • 6月14日 - コンビニエンスストア「ローソン」1号店、桜塚店(豊中市桜塚)を開店
    • 6月10日 - 「株式会社セントラルコールドチェーン」を設立。
    • 7月4日 - 「株式会社せいざん」(呉服専門店)を設立。
    • 8月11日 - 東海銀行・太陽神戸銀行・住友銀行・三和銀行などと共同出資で「株式会社朝日クレジット」を設立。
    • 10月15日 - ドムドム・フォルクスと共同で[要出典]「株式会社ドーナツアーツ」設立。ドーナツ部門に進出。
    • 10月21日 - Daieiの頭文字"D"と「上弦の月」をイメージしたシンボルマークとロゴを制定、24日開店の一宮店から使用開始。
    • 12月 - 花王と共同開発したPBのトイレタリー製品を販売開始。
  • 1976年(昭和51年)
    • 1月 - 大阪を中心にスーパーを展開する株式会社 丸栄商事の株式10%を取得し、商品供給主体の業務提携を開始。
    • 1月 - キッコーマンと共同開発したPBを発売。
    • 1月24日[要出典] 「株式会社ダック松山」設立。「グルメスーパーの1号店」国内海外の高級商品を販売。[要出典]
    • 3月 - サンスターと共同開発したPBを発売。
    • 3月 - サントリーと共同開発したPBを発売。
    • 4月28日 - 「株式会社セントラルオペレーションサービス」を設立。
    • 4月 - 「ダイエーUSA」と「ジュエルコ」が提携。
    • 5月 - ドーナツアーツ1号店を古川橋に開店。
    • 5月 - 中元商品の宅配を開始。
    • 6月 - 通信販売を開始。
    • 7月 - カネボウ化粧品と共同開発したPBの男性化粧品を発売。
    • 7月 - 大正製薬と共同開発したPBを発売。
    • 8月25日[要出典] - 「北海道ダイエー株式会社」設立。
    • 10月 - カタログ販売を開始。
    • 11月 - ロサンゼルス駐在員事務所を開設。
    • 12月23日 - 「ダイエー水産株式会社」(現:セリティフーズ)設立(水産物の加工・製造・販売)。
    • 12月 - 「オレンジエスコート作戦」開始。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月15日 - 「朝日青果株式会社」を設立。
    • 3月 - 特販部を設置し、無店舗販売を本格化。
    • 4月25日 - 「株式会社マルシェ」を設立(雑貨小売業)。
    • 7月 - 「サカエ」の全従業員を転籍させ、同社を当社のスーパーマーケット部門化。
    • 8月4日 - 「株式会社ディナディナ」を設立。
    • 8月 - 「エコー」とフランチャイズ契約を締結。
    • 8月 - 「ジュエル・ダイエー」の事業から撤退。
    • 9月 - 三宮事務センターを開設。
    • 10月 - 赤帽を利用した即日配送システムを開始。
  • 1978年(昭和53年)
    • 1月 - 「ダイエー用語集」を刊行。
    • 2月1日[要出典] - 日本信販などと提携し、ダイエーオレンジカードの発行を開始。
    • 3月 - 台湾駐在員事務所を開設。
    • 5月 - 日本フランチャイズチェーン協会に加盟。
    • 6月 - 「株式会社中合」(百貨店)と業務提携。
    • 6月8日 - 日本のスーパーで初の自社クレジットカードとして「ダイエーメンバーズカード」の発行を開始。
    • 7月 - 福屋・サニー・タイヨーとのフランチャイズ契約を解消。
    • 8月20日 - 日本初のノーブランド商品を発売開始
    • 8月 - 英国・マークス&スペンサーと「セントマイケル」の独占販売契約を締結。
    • 8月 - 米国・ビッグボーイとライセンス契約を締結。
    • 9月 - ビッグボーイが大阪·箕面市に1号店を開店。
    • 9月 - プライベートブランドの「適量缶シリーズ」を販売開始。
    • 11月 - 「株式会社中合」(百貨店)と全面提携。
    • 12月 - 歳暮の全国配送システムを導入。
    • この年、商品券システム開始。[要出典]
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月 - J.C.ペニーのプライベートブランドの販売を開始。
    • 2月 - 全日本空輸と提携し、北海道の店舗への生鮮食品の航空輸送を開始。
    • 2月 - 鶴屋(尾道市)とのフランチャイズ契約を解消。
    • 3月 - 全ダイエー労働組合がパートタイム労働者の組織化を開始。
    • 6月1日 - 「ダイエーメンバーズカード」保有者向けの消費者ローンを開始。
    • 6月 - 尼崎事務センターを開設。
    • 8月 - ロンドン駐在員事務所を開設。
    • 8月 - 「株式会社ヴィクトリアステーション」を設立。
    • 8月 - 第一建設工業株式会社(現・イチケン)と提携。
    • 8月25日 - 「株式会社ビッグ・エー」を設立(加工食品のディスカウント店)。11月4日に宮原店(さいたま市)を開店。
    • 9月1日 - 「ダイエーローソン」が「ローソン・ジャパン」に商号を変更。
    • 9月1日 - 「スポーツワールド33」を開店。
    • 9月1日 - 「パレックス」を開店。
    • 9月 - ウェンディーズと提携。
    • 10月 - 北京駐在員事務所を開設。
    • 10月6日 - 「株式会社アシーネ」を設立(書籍の専門店)。
    • 12月 - 芦屋浜店に「朝日文化教室」を開設。

1980年代[編集]

  • 1980年(昭和55年)
    • 1月 - ハワイの「ホリデーマート」を取得。
    • 1月 - 札幌市の「西村」とフランチャイズ契約を締結。
    • 1月 - 日本国有鉄道を利用した輸送を開始。
    • 2月16日[要出典] - 売上高が業界初の1兆円を突破
    • 2月 - 「ハーフ・アンド・ハーフ」の出店を開始。
    • 2月29日 - 首都圏を中心に食品スーパーを展開していた青楓チェーンと資本・業務提携して社長を派遣し、グループ化。
    • 3月1日 - 柳川店(岡山県岡山市)を業態転換し、トポス1号店としてオープン。
    • 3月 - フランスの大手百貨店「オ・プランタン」と提携調印。
    • 3月 - 「中内基金」を設立。
    • 4月 - 「株式会社ハブ」を設立。
    • 4月19日 - 「ゼントハウス」1階にパブレストラン「ハブ」1号店を開店。
    • 4月 - リボルビング払いを導入し、クレジット業務を強化。
    • 4月 - 「株式会社オ・プランタン・ジャポン」を設立。
    • 4月1日 - 社員共済会「若葉会」スタート。
    • 5月 - スーパー連合の「シジシージャパン」と提携。
    • 5月 - 「ダイエー・インターナショナル・ホテルズ」を設立。
    • 5月 - 「ウェンディーズ」1号店を東京・銀座に開店。
    • 6月 - シンガポール駐在員事務所を開設。
    • 6月 - 「オ・プランタン・ジャポン」を設立。
    • 7月 - 「シジシージャパン」と共同出資で「グローリー」を設立。
    • 8月8日[要出典] - アメリカのディスカウントチェーンを展開するKマート(現・シアーズ・ホールディングス)と業務提携調印。
    • 8月 - 札幌市の「相馬商店」と全面提携を締結。
    • 8月 - 「ビクトリアステーション」1号店を東京・六本木に開店。
    • 9月1日[要出典] - 「株式会社ジョイント」設立(ジーンズカジュアル専門店)。
    • 9月 - 書籍の安売りを開始。
    • 9月 - 「ローソン・ジャパン」が「サンチェーン」と業務提携。
    • 9月 - 「マリオット」と業務提携。
    • 10月 - ポテトチップスのプライベートブランドの発売を開始し、カルビーからの仕入を停止。
    • 11月 - 「全国引越専門協同組合連合会」と業務提携し、引越業務に参入。
    • 11月 - 茨城県でスーパーを展開するセイブと業務提携。
    • 11月18日[要出典] - 「株式会社九州ダイエー」設立。
    • 12月 - プライベートブランド「セービング」41品目を発売
  • 1981年(昭和56年)
    • 1月 - 「クローガー」と業務・技術提携。
    • 1月 - 天津市と合弁会社「中国天津市対外貿易公司」を設立。
    • 2月 - 髙島屋と業務提携開始。
    • 2月 - ニューヨーク駐在員事務所を開設。
    • 2月 - 「オートワールド」を設立。
    • 2月 - 静岡県のスーパー「トウア」と業務提携。
    • 2月10日 - 新潟県のスーパー「やませ」と資本・業務提携。
    • 3月6日 - 「オ・プランタン・ジャポン」1号店「プランタン三宮」を、国鉄三ノ宮駅駅の三宮ターミナルビルに開店(後のプランタン神戸)。
    • 3月20日 - 神戸ポートアイランド博覧会にダイエーパビリオン出展。
    • 4月 - 「三春屋」4店舗を買収。
    • 4月16日 - 既存店であった草加ショッパーズプラザ(草加店)を業態転換し、Dダイエー(後のDマート)1号店として新装開店。
    • 4月 - カタログ「ホームワールド」の発行を開始。
    • 4月 - 自動受発注システムの本格利用を開始。
    • 5月 - シャープと共同開発したプライベートブランド「サリブ」(家電トータルシリーズ)発売。
    • 5月20日[要出典] - 函館の老舗百貨店の棒二森屋と業務提携調印。同社の系列会社とする。
    • 6月 - Lサイズ衣料のプライベートブランドの「マイティロード」を販売開始。
    • 7月31日 - 株式会社サンコー(ダイエーグループ企業)を株式会社マルエツが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社マルエツ」が発足。
    • 8月23日 - グループのホテル1号店として「ホテルセントラーザ成田」を開業。
    • 9月 - 婦人服・雑貨を取り扱う子会社として「株式会社プチ・プランタン」を設立。
    • 9月1日 - 株式会社九州ダイエー(1980年11月設立、1981年5月九州地区のダイエーの営業を継承)を株式会社ユニードが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社ユニード」が発足(株式会社ユニードは1991年(平成3年)9月1日付で株式会社ユニードダイエーへ商号変更した)。
    • 9月1日[要出典] - 「株式会社天津大栄」設立(現・テンダイ、衣料品・食品・雑貨等の輸入販売)。
    • 11月 - 「ダイエー・リース」を設立し、総合リース事業に参入。
    • 12月 - 「オーケー」と資本・業務提携して25%を出資し、セイフーの経営を委任。
    • この年、 POSシステム(日本IBM製)導入開始。
  • 1982年(昭和57年)
    • 1月24日 - 第1回大阪女子マラソン協賛参加(第20回大会まで協賛)。
    • 1月 - 「オレンジ合衆国」発足。ユニード・マルエツ・CGCなどが参入し、ダイエーグループの象徴となる。
    • 3月 - 比較的高級な衣料品・服飾雑貨のプライベートブランド「ザ・ベスト」の販売を開始。
    • 3月 - 「株式会社プチ・プランタン」のチェーン展開を開始。
    • 3月 - 「株式会社十字屋」と業務提携。
    • 4月 - 碑文谷店に「セント・マイケル・ショップ」1号店を開店。
    • 5月1日 - ハワイ・アラモアナショッピングセンターを取得。
    • 5月 - 自社カード会員向け情報誌「CON・COM」の発行を開始。
    • 5月 - 「株式会社サウンドワールド」を設立。
    • 5月 - 「株式会社朝日ハウジングサービス」を設立。
    • 6月 - 「株式会社セントラルハウジング」を設立。
    • 6月 - 「株式会社ミルキーウェイ」(ファミリーレストラン)を設立。
    • 6月 - 外食グループが第一ホテル・伯養軒と提携。
    • 7月 - 「株式会社天栄」(中華料理ディナーレストラン)を設立。
    • 8月 - 「浜松町オフィスセンター」を開設(芝パークビル・港区芝公園2丁目、通称「軍艦ビル」)。
    • 8月 - 「株式会社グリーンワールド」を設立。
    • 8月 - 「株式会社タイヨー」と業務提携。
    • 10月 - 「ササイ」とフランチャイズ契約を締結。
    • 10月 - 「清水屋」と業務提携。
    • 10月 - 「株式会社神戸セントラル開発」を設立。
    • 11月 - 「ダイエードラッグ」を設立。
    • 11月16日[要出典] - プライベートブランド「カット&プライス」(健康志向食品)発売。
    • 11月18日[要出典] - 女子バレーボール部「ダイエーオレンジアタッカーズ」[要出典]設立。
    • 12月 - 東京・池袋に天津料理店「天一坊」を開店。
    • 東武とタイヨーと資本・業務提携。
  • 1983年(昭和58年)
    • 1月 - 「中内育英会」を設立。
    • 2月 - 「ダイエーコミュニケーション株式会社」を設立。
    • 2月16日[要出典] - 「朝日クレジット」が「株式会社丸興」と資本・業務提携。
    • 2月 - 「あさくま」と業務提携。
    • 3月 - 「株式会社ダイテック」を設立し、コンピューターグラフィックス事業に参入。
    • 3月25日[要出典] - 陸上競技部「ダイエーオレンジランナーズ」[要出典]設立。
    • 5月 - 多目的カード「オレンジメンバーズ」を発行し、既存のカードを統一。
    • 7月 - 八千代流通センターを開設。
    • 7月 - クラウンの株式を売却し、家電製造から撤退。
    • 8月1日[要出典] - 「株式会社流通システムサービス」を設立(現・富士ソフトディーアイエス、情報処理等)。
    • 8月 - レンタル事業に参入。
    • 8月 - 「株式会社プランタン銀座」を設立。
    • 9月 - 「山一證券」と業務提携。
    • 9月 - 夕食材料の宅配事業に参入。
    • 9月10日 - プライベートブランド「すこやかベジタ」(自然順応栽培野菜)発売。[要出典]
    • 10月27日[要出典] - プライベートブランド「リブニー」(キッチンコーディネイト商品)発売。
    • 11月 - 東京食品センターを開設。
    • 12月 - 「酒田大沼」と業務提携。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月14日 - プランタンなんばをエスカール内に開店。
    • 4月27日 - プランタン銀座を開店。
    • 3月 - 「ほっかほっか亭」と業務提携。
    • 7月1日 - 株式会社丸興と朝日クレジット株式会社が合併(1987年(昭和62年)9月1日に商号を「株式会社ダイエーファイナンス」へ変更)。
    • 9月1日 - 本店を神戸市中央区港島中町四丁目1番1号に移転。
    • 9月1日 - プライベートブランド「ニューセービング」発売(「ノーブランド」と「セービング」を統合)。
    • 9月22日[要出典] - プライベートブランド「愛着仕様」を発売
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月 - 「ほっかほっか亭」の株式の15%を取得。
    • 3月1日 - 「V革作戦」開始。
    • 3月17日 - 国際科学技術博覧会にダイエー館「詩人の家」出展。
    • 3月25日 - 「株式会社日本流通リース」を設立(総合リース業)。
    • 6月17日 - 生活便利マガジン「オレンジページ」創刊。
    • 6月28日 - バンドール1号店「エキゾチックタウン店」を開店。
    • 9月3日 - ダイエー向ケ丘店の敷地内に「レッドルースター」1号店「向ケ丘店」を開店。
    • 9月 - プランタン三宮・プランタンなんばをダイエーに吸収し直営化。
    • 11月 - プランタン新さっぽろを北海道ダイエーに経営移行。
    • 12月18日 - 「ダイエー投資顧問」を設立。
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月 - 「ディッパーダン」が豆腐アイスクリーム専門店「トフティー」1号店を東京・八重洲に開店。
    • 5月29日 - プライベートブランド「ディナーマーム」(調理済オーブンレンジ商品)発売。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月 - 会社更生法の適用を申請していた、ミシンメーカーのリッカーの再建支援を引き受ける。
    • 株式会社ディッパーダン・アイスクリーム・ジャパンと株式会社キャプテンクックが合併。
    • 3月10日 - プライベートブランド「アザド」(1人暮らしのための88品目など)発売。
    • 3月 - POSシステムをダイエー全店で導入開始。
    • 4月2日[要出典] - プライベートブランド「ニューキャプテンクック」発売。
    • 9月1日 - 子会社のダイエーマートからディスカウントストア「Dマート」3店舗を継承。
    • 10月 - ダイエーの子会社として株式会社 エックスワン設立。
    • 11月20日 - ダイエー近江八幡店を開店。業界初の全都道府県出店を達成(FC店を含む)。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月1日 - 「ローソン・ジャパン」が「サンチェーン」を吸収合併し、「ダイエー・コンビニエンス・システムズ」へ商号を変更。
    • 3月 - 東京・渋谷にアスレチッククラブ「オレンジワン」1号店を開設。
    • 4月1日 - 流通科学大学開校。
    • 7月 - VISA・マスターカードと提携し、OMCカードを国際カード化。
    • 9月 - 新神戸オリエンタルシティC3オープン。OPAのルーツとなる新神戸オリエンタルパークアベニューが誕生。
    • 9月 - 南海電気鉄道からプロ野球「南海ホークス」の経営権を20億3000万円で譲り受けることを決定
    • 10月1日 - ダイエーグループ福祉会発足。
    • 11月1日 - 福岡ダイエーホークス (FDH) が発足。当初の本拠地は1978年までライオンズの本拠地だった平和台球場。
  • 1989年(平成元年)
    • 7月3日 - 福岡オフィスセンター設置。
    • 11月23日 - ハイパーマート1号店「釧路店」を開店。
    • 12月 - 光分解性ポリ袋を開発。

1990年代[編集]

  • 1990年(平成2年)
    • 6月28日 - 「ショッパーズプラザ新浦安」(新浦安店)開業。
    • 7月 - 「ドーナツアーツ」として展開していたドーナツチェーン事業から撤退。
    • 8月 - 味の素と折半出資で設立した「ジャンニーノ・ジャパン」がイタリア・ミラノの「ジャンニーノ」と業務提携し、イタリア料理「ジャンニーノ・ギンザ」を開店。
    • 9月26日 - 消費者志向優良企業として通産大臣表彰を受ける
    • 10月 - 「フォルクス」が牛丼持ち帰り店「ビーフカップ」1号店を大阪吹田市に開店。
    • 11月 - 「ビッグボーイ」をファミリーレストランからステーキレストランへ業態転換。
    • 11月 - 1991年4月からの牛肉輸入自由化に対応し、輸入牛肉を大規模に取り扱う専門店「ミートパビリオン」(1991年(平成3年)2月7日に「カンザスシティ」に改称)を三宮第一店に設置。
  • 1991年(平成3年)
    • 1月2日 - OMCエコロジーカード発行。
    • 1月11日[要出典] - 同業他社の先陣となる、東北・関東・近畿の8店舗で[要出典]「お買物袋スタンプカード」を導入。
    • 1月 - 「フォルクス」が牛丼レストラン「ビーフカップ」を関大前店に開店。
    • 3月1日 - 「北海道ダイエー株式会社」を吸収合併。
    • 3月28日 - セービング商品の見直しとパッケージデザインを変更。
    • 4月25日 - 「ショッパーズプラザ横須賀」(横須賀店)開業。
    • 4月 - 和食店「蔵椀」1号店を横須賀市に開店。
    • 7月25日 - 空き缶プレスカー「ぷれすくん」導入。
    • 8月 - 商品受発注をグループ各社でJANコードに統一。
    • 9月 - 地球環境部を設置。
    • 9月27日 - 「金沢八景プランタン」開業。
    • 10月 - 子会社の「株式会社関西ユニード」・「株式会社酒田ダイエー」・「株式会社名東ショッピング」の店舗(富雄店・酒田店・メイトピア店)を譲受し、これら3社を清算。
  • 1992年(平成4年)
    • 3月4日 - 「株式会社忠実屋」と業務提携。
    • 7月 - 社会貢献部を設置。
    • 10月1日 - 会員制ディスカウントストア1号店「Kou'S」の1号店を、神戸ハーバーランドにダイエーが開店した「ハーバーランドシティ」内「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」として開店(当時は直営)。
    • 10月 - 「株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ」がコンビニエンスストアチェーンの「パコール」を買収。
  • 1993年(平成5年)
    • 1月 - スーパーの「丸久」とフランチャイズ契約を締結。
    • 2月 - 「蔵椀」が牛丼店「神戸らんぷ亭」1号店を東京・恵比寿に開店。
    • 3月1日 - 日本ドリーム観光を吸収合併。
    • 4月2日 - プロ野球団取得の後に発表していた福岡ツインドームシティ構想の一環である、開閉式ドーム「福岡ドーム」が開業。平和台球場に代わり福岡ダイエーホークスの本拠地となる。
    • 6月17日 - 「プランタン甲子園」開業。
    • 10月10日 - 視覚障害者の買い物同伴サービスを開始。
    • 10月 - 牛丼店「神戸らんぷ亭」の営業権を「蔵椀」から「神戸らんぷ亭」に譲渡。
    • 11月1日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」が「株式会社ジャパン・カーゴ・システムズ」と「株式会社セントラルコールドチェーン」から営業譲渡され、「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」に商号を変更(現:ロジワン)。
    • 全店で盲導犬の受け入れ開始。
  • 1994年(平成6年)
    • 2月 - 丸紅と包括提携。
    • 3月1日 - 「株式会社ダイエー」が、「株式会社忠実屋」(首都圏)・「株式会社ユニードダイエー」(九州)・「株式会社ダイナハ」(沖縄県)を吸収合併し、SMでの日本初のナショナルチェーンを完成させる。
      • 忠実屋との合併を機に、同社との取引を継承する形で松下電器産業との取引を再開。ダイエー・松下戦争の終焉。
    • 3月1日 - 大中とマルシェが合併し、新「株式会社マルシェ」誕生。
    • 3月1日 - 丸紅と合弁で「株式会社ディー・エム・インターナショナル」を設立。
    • 3月29日 - 「株式会社ディー・エム・インターナショナル」が東京・自由が丘に「クラブツリーアンドイヴリン」1号店を開店。
    • 4月12日 - 地球環境大賞の環境庁長官賞を受賞。
    • 6月30日 - ダイエーグループが50%を出資して資本金10億円で「神戸オレンジサッカークラブ」として設立。
    • 9月1日 - 「株式会社ダイエーファイナンス」・「株式会社朝日トラベルエージェンシー」・「リッカー株式会社」の3社が合併し、「株式会社ダイエーオーエムシー」発足(のちのオーエムシーカード、現:セディナ)。
    • 9月 - 靴専門店のアクセルの営業権をコルドバに譲渡。
    • 9月 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」がスポーツ施設運営の「ドリームスポーツ」と「レガシー」を吸収合併して「株式会社ダイエーレジャーランド」となる。
    • 10月 - 「金沢八景プランタン」を運営子会社の整理により「ダイエー金沢八景店」に名称変更。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月1日 - ハーバーランドシティが、流通大手初の元旦営業開始。
    • 1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。三宮などの神戸市内の店舗が被災。特に、三宮の「ダイエー村」は、この震災で事実上消滅した。震災翌日には、建物が新しく被害の小さかった灘店が被災地のキー店舗の機能を果たすようになっていた。グループの建物で被害が小さく済んだ建物に、被災者の求める商品を扱う小売店舗を出店した。 ※震災被災による閉店の詳細は、過去に存在したダイエーの店舗#日本を参照
    • 1月30日 - 「がんばろや We Love KOBE キャンペーン」を開始。
    • 3月30日 - プライベートブランド「AMPM」メンズビジネススーツ発売。
    • 4月 - ホークスタウンを開業(当初は福岡ドームとシーホーク・ホテル&リゾート(現ヒルトン福岡シーホーク)のみだったが、2000年に商業施設が「ホークスタウンモール」としてオープンした)。
    • 4月22日 - 被災していた「プランタン神戸本館」が、「三宮駅前店」に業態転換して新装開店した。
    • 5月 - 「ダイエーフォートエンタープライズ」が「55分DPEステーション」のフランチャイズ展開を開始。
    • 8月24日 - Kou'sポートアイランド店24時間営業開始。
    • 9月1日 - 「プランタン甲子園」を経営の効率化のため、「ダイエー甲子園店」に名称変更。
    • 10月1日 - 中国初出店の大栄天津商場店開店。
    • 11月 - 「キャプテンクック」が持ち帰り惣菜店「きゃぷてんクック」1号店を東京・練馬区に開店。
    • POSシステム(第2期)を導入。
  • 1996年(平成8年)
    • 1月1日 - ダイエー335店舗で元旦営業
    • 1月24日 - ダイエーのプライベートブランドが「プライベートブランド製造業者協会」からサルート·トゥ·エクセレント賞(優秀杯賞)を受賞'
    • 1月30日 - 食品SM業態「グルメシティ」1号店諏訪インター店を開店。
    • 2月1日 - 業態別に準分社化したカンパニー制度を導入。
    • 3月1日 - 食品SM業態の店舗を「グルメシティ」に改称。
    • 3月1日[要出典] - 「株式会社ロベリア」が「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」を吸収合併して「株式会社ロベリア」となる。
    • 4月30日 - 「株式会社ダイエーオーエムシー」が特定債権流動化法に基づき、日本初のクレジットカード債権の流動化を実施。
    • 6月 - ダイヤンのスポーツ用品チェーン事業をダイエーに移管。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月1日 - 「オレンジフードコート」を設立し、「ウェンコジャパン」から「ドムドム」の営業を継承。
    • 4月20日 - 「ディーシーアイ」が米国「スパーロ」とフランチャイズ契約を締結し、カフェテリア形式のイタリア料理店「スパーロ」国内1号店を東京・原宿に開店。
    • 5月30日 - 「スパーロ」の運営会社として「スパーロジャパン」を設立。
    • 6月1日 - ホログラム入り新商品券を導入。
    • 6月1日 - 「株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ」が「株式会社ローソン」に商号を変更。
    • 7月18日 - 「株式会社ローソン」が沖縄県へ出店し、コンビニエンスストア業界初の47都道府県への出店を達成。
    • 10月 - 神戸市の三宮およびハーバーランドでのSCJによるICカードおよび電子マネーの実験に参画(OMCカードが、流通系の一般向けクレジットカードではいち早くICチップ付きのクレジットカードになったのは、この実験のため)。
    • 12月 - 持株会社(中間持株会社)「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション (DHC)」に子会社などを移管。中内㓛がグループCEO、長男の中内潤がCOOに就任。
    • 全店で聴導犬受け入れ開始。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月 - 陸上部、女子バレーボール部休部発表。
    • 3月 - 陸上部「オレンジランナーズ」休部。
    • 3月8日 -女子バレーボール部 オレンジアタッカーズ2度目の日本一 Vリーグ優勝
    • 4月3日 - ホームページ「d'club」開設。
    • 4月30日 - ディックファイナンスの保有株式約90%全てをアソシエイツに譲渡。
    • 5月5日 - 女子バレーボール部オレンジアタッカーズ皇后杯黒鷲旗全日本選手権優勝
    • 5月31日 - 女子バレーボール部オレンジアタッカーズ休部
    • 6月1日 - 日本バレー界初のプロチーム・オレンジアタッカーズ誕生(DCCのオレンジアタッカーズ事業部)
    • 9月23日 - ダイエーグループ各店で5%割引の「ダイエーOMCカードご優待デー」を開始(毎月23日に実施)。
    • 11月24日 - ダイエーOMCのCD(キャッシュディスペンサー)を三和銀行に開放し、「キャッシュネットワークサービス」の提供を開始。
    • 12月10日 - 若葉会解散。
  • 1999年(平成11年)
    • 1月20日 - 前年の経常赤字への転落を受けて、味の素社長を務めた鳥羽董(ただす)が副社長から社長に、中内㓛は会長に就任。
    • 3月 - 東北スーパーマーケットダイエーが発足。
    • 3月25日 - ダイエーグループ再生3ヵ年計画発表。
    • 4月30日 - 「ほっかほっか亭総本部」をプレナスに売却。
    • 7月 - ハワイのアラモアナ・ショッピングセンターを「ゼネラル・グロース・プロパティ」に売却。
    • 7月19日 - 希望退職受付(希望者802名)。
    • 8月1日 - ハイパーマート26店舗を、直営から株式会社ダイエー・ハイパーマートに譲渡。残るハイパーマート12店舗はGMSに転換すべく直営を維持したが、2000年9月1日に両社のハイパーマート36店舗中29店舗を株式会社ディー・ハイパーマート(旧商号:株式会社さかえビルディング)に譲渡、残る7店舗は閉鎖。
    • 全店で介助犬の受け入れ開始。
    • 9月25日 - 福岡ダイエーホークスがリーグ初優勝
    • 10月7日 - 横浜市戸塚区に東戸塚店を開店。東戸塚西武百貨店と共に「オーロラシティ」の核店舗として出店。
    • 10月7日 - 減農薬野菜・米を使用した「すこやか育ち」ブランドの惣菜を導入。

2000年代[編集]

  • 2000年(平成12年)
    • 3月1日 - 「プランタン新さっぽろ」「プランタンなんば」を「カテプリ新さっぽろ」「カテプリなんば」に転換。
    • 3月2日 - 日本初のサーキットモール型ショッピングセンターのショッパーズモール泉佐野を開業。
    • 4月 - 成増店(東京都板橋区)に本社機能の一部を移転。
    • 5月 - 久光製薬がオレンジアタッカーズとスポンサード契約。チーム経営はDCC(ダイエーコミュニケーションズ)から久光製薬に。DCCは清算。
    • 7月26日 - 「ローソン」が東証一部と大証一部に上場。
    • 9月 - ジョイント事業をロベルトに営業譲渡。
    • 9月7日 - 88円均一のプライベートブランド『暮らしの88』を発売開始。
    • 10月10日 - 中内代表取締役会長が辞任し、取締役最高顧問に。鳥羽社長が、自身の保有株式の売買に絡むインサイダー取引疑惑から引責辞任し、取締役に。高木邦夫が社長含みで顧問に就任。
    • 11月24日 - 修正再生3ヵ年計画(フェニックスプラン)発表。
    • 12月 - ニコニコ堂と業務提携(2002年6月11日に提携解消)。
    • 12月31日 - 「カテプリなんば」閉店。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月30日 - 中内㓛がグループの職を全て辞任し、ダイエーからリクルートに移籍していた高木邦夫新社長の下で新体制が発足。
    • 2月28日 - サカエ(現在のグルメシティ近畿の前身となる、別の法人)の株式76%を、マルナカ興産(中内一族の資産保有会社)から取得。
    • 3月29日 - 1000名の希望退職者を募る。
    • 8月 - ローソン株式を売却によりグループの持ち株比率が約1.7%となり、関連会社から外れる。
    • 12月27日 - オレンジページ株式を売却。
    • 優先株9000万株を発行し、資本金増強。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月 - 「株式会社エー・エス・エス」の全株式を「カーライル・グループ」に売却することを決定。
    • 1月11日 - 「銀座OMCビル」を「株式会社ダヴィンチ・アドバイザーズ」が運営するファンドに売却することを決定。
    • 1月25日 - 「株式会社ダイエー銀座ビル」の全株式を「シャネル」に売却することを決定。
    • 1月29日 - 「株式会社マルコー」の全株式を投資会社「シュローダー・ベンチャーズ」に売却することを決定。
    • 2月12日 - 「株式会社ダイエーオリンピックスポーツクラブ」の全株式をコナミの子会社「コナミスポーツ株式会社」に売却することを決定。
    • 2月14日 - 「株式会社ラスコーポレーション」の全株式を「ビジョン・キャピタル・コーポレーション」の運営する投資ファンドに売却することを決定。
    • 2月27日 - ダイエーグループ「新3ヵ年計画」発表。
    • 3月1日 - 「株式会社サカエ」が「丸栄商事株式会社」と「株式会社ミドリ」を合併。
    • 4月26日 - 産業活力再生特別措置法認定。
    • 5月 - 「株式会社イチケン」の発行済み株式の15%を「東洋テクノ株式会社」に売却して浅野昌英社長が退任し、関連会社から外れる。
    • 6月14日 - プランタン銀座株式を売却。
    • 7月1日 - 物流子会社「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」のコンビニエンスストア事業部門を「三菱商事株式会社」の子会社「株式会社エフエスエヌ」に譲渡。
    • 7月22日 - 「株式会社キャプテンクック」の発行済み株式の95%を病院給食大手の「ソデッソジャパン株式会社」に売却。
    • 8月 - ハイパーマート、Kou's事業から撤退。
    • 9月1日 - ディスカウントストア事業本部を新設。
    • 12月10日 - 「ハブ」の全株式を「村さ来」など加ト吉グループに売却することで合意。
    • 12月 - 「株式会社ウェンコ・ジャパン」と「株式会社ビッグボーイジャパン」の全株式を「ゼンショー」グループに売却することを決定。
    • 希望退職1100名の実施。60店舗の閉鎖決定。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月15日 - 「株式会社ホテルセントラーザ」・「株式会社神戸メリケンパークオリエンタルホテル」の全株式と「株式会社浦安中央開発」の新浦安オリエンタルホテルの資産を「ゴールドマン・サックス」に売却することを決定。
    • 1月27日 - 総合家電事業撤退を発表。
    • 1月15日 - 「株式会社エックスワン」の全株式を「株式会社ヤマノホールディングコーポレーション」に売却。
    • 9月30日 - 福岡ダイエーホークスが3年ぶり3回目のリーグ優勝。
    • 10月27日 - 福岡ダイエーホークスが4年ぶり2回目の日本一。
    • 12月2日 - 福岡ドームとシーホークホテル&リゾートをアメリカの投資持株会社コロニー・キャピタル社に、新神戸オリエンタルシティ·C3をアメリカの証券大手モルガン・スタンレー社に譲渡する契約を締結。
  • 2004年(平成16年)
    • 1月29日 - エスカールなんばビルを松原興産に売却。
    • 2月 - 新神戸オリエンタルシティC3を営業譲渡。
    • 3月 - 「株式会社福岡ドーム」、「株式会社福岡ダイエーリアルエステート」、「株式会社ホークスタウン」の事業を譲渡。
    • ダイエー開発商品『暮らしの88』を発売終了。
    • ダイエー開発商品『バリュー』(100円均一)を発売開始。
    • 10月11日 - 福岡ダイエーホークスがパ・リーグプレーオフ第2ステージで敗退。
    • 10月12日 - 今後の経営方針について高木新社長が産業再生機構の支援を得ずに、自主再建で臨む方針を発表。
    • 10月13日 - 主力の取引銀行3社(UFJ・三井住友・みずほ)が、産業再生機構を利用しない場合は追加支援を行わない方針を強く示したため、同機構での再建に取り組むと苦渋の決断。産業再生機構への支援申し込みの事前申請。
    • 11月30日 - ダイエーの持つFDH株式98%を50億円でソフトバンクに譲渡することを決定(残り2%は元オーナー中内正が保有)。ダイエーは3年間、同球団を利用した特別セールを無料で行うことができるとした。
    • 12月24日 - プロ野球オーナー会議にてFDHのソフトバンクへの譲渡が承認。
    • 12月28日 - 産業再生機構はダイエーと傘下の11社(十字屋、キャナルシティ・オーパ、中合、サカエ、九州スーパーマーケットダイエー、日本流通リース、浦安中央開発、オレンジエステート、セリティーフーズ、デイリートップ、西神オリエンタル開発)の支援を正式決定
  • 2005年(平成17年)
    • ダイエー開発商品『バリュー』を発売終了。
    • 1月28日 - ソフトバンクにFDH株式を正式に譲渡。ダイエー厚生年金基金解散。
    • 2月1日 - 閉鎖・撤退の店舗のリストを公表、計53店舗が閉店対象になる。
    • 2月25日 - 「株式会社フォルクス」株式売却。
    • 3月7日 - 支援スポンサーが「丸紅株式会社」、「株式会社アドバンテッジ・パートナーズ」に決定。
    • 3月30日 - 前ビー・エム・ダブリュー東京社長の林文子が、代表取締役会長兼CEOに就任。
    • 4月11日 - 傘下の55ステーションが、会社更生法の適用を東京地方裁判所に申請。
    • 5月26日 - 林文子会長・樋口泰行社長体制発足。
    • 8月31日 - 香里店が閉店(日本初の本格的郊外型ショッピングセンターとして開店)。
    • 9月1日 - 野菜「新鮮宣言」。
    • 9月19日 - 創業者の中内㓛が死去。
    • 10月14日 - 「新生ダイエーグループミッション」、「新ロゴデザイン」、「スローガン」誕生。
    • 11月1日 - 衣料品売場の活性化を図るため、丸井グループから人材の派遣を受ける。
    • 11月20日 - 沖縄県の那覇店、浦添店が閉店、同時に沖縄県から完全撤退。
    • 11月30日 - この日までに北陸地方、四国地方から撤退。東北地方は仙台店、中国地方は、下関店のみとなる。
    • 12月1日 - 社章・新ロゴマーク、新スローガンなどを制定、CIを変更
    • 12月10日 - 東京都世田谷区に新規業態の食品SM、「フーディアム三軒茶屋」を開店
  • 2006年(平成18年)
    • 1月12日 - 「おいしいデリカ宣言」。
    • 1月26日 - ファーストリテイリング(ユニクロ)と業務提携。
    • 2月8日 - ハワイ現地法人ダイエーUSAの全株式をドン・キホーテへ売却。同日をもって全ての海外事業から撤退。
    • 3月1日 - 「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ北海道」に、「株式会社セイフー」を「株式会社グルメシティ関東」に、「株式会社サカエ」を「株式会社グルメシティ近畿」に、「九州スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ九州」にそれぞれ商号変更。
    • 3月1日 - 十字屋を会社分割し、「株式会社OPA」設立。
    • 3月9日 - 食品におけるダイエー開発商品の新ブランド「おいしくたべたい!」の発売開始。
    • 3月30日[要出典] - 「株式会社ダイエースペースクリエイト」発足。
    • 4月 - POSシステム(第3期)を導入(2007年8月までに店舗ごとに順次更新)。
    • 6月5日 - 本社機能を東京都江東区東陽2丁目2番20号に移転。[要出典]
      • ダイエーグループ各社の本社も、関東を商圏としないなどの一部の法人を除きここに集結した。
    • 6月8日 - ダイエー開発商品「セービング」を15年ぶりにリニューアルして発売開始。[要出典]
    • 7月1日 - 株式会社オレンジエステート・株式会社渋谷ツエンティワン・株式会社浦安中央開発・株式会社三宮中央開発・サン総合開発株式会社・新松戸中央開発株式会社・、株式会社セントラルコールドチェーン・千舟興産株式会社・株式会社富雄中央開発・ドリーム興産株式会社・株式会社ダイエーリーシングカンパニーを吸収合併。
    • 7月28日 - 丸紅が産業再生機構の保有する発行済み株式33.6%を全株取得する事で合意(同年8月4日付で異動)。
    • 7月31日 - 新デザインのポイントカード「ハートポイントカード」を発行し、新ポイントプログラム制に移行。
    • 8月4日 - 筆頭株主が産業再生機構から丸紅へ移動。
    • 10月6日 - CEO・COO制を廃止。同年に丸紅から転籍した西見徹が代表取締役社長に就任、林文子はCEO権限のない代表取締役会長に異動。
    • 10月26日 - プライベートブランド「サリブ」リニューアル。
    • 10月13日 - ファーストリテイリングのブランド「ジーユー」1号店が、南行徳店に開店。
    • 10月13日 - 丸紅と共同で、イオン株式会社に対して2007年3月末までの独占交渉権を与え、ダイエーとイオンの資本・業務提携に関する検討を開始することで合意。
  • 2007年(平成19年)
    • 創業50周年に際し、「おかげさまで50年。これからもお客様とともに」というスローガンを前面に押し出した宣伝を展開。
    • 1月16日 - かつて百貨店やOPA(OPAは2006年に会社分割)を展開していた株式会社十字屋を吸収合併。
    • 3月8日 - 最後まで残っていたDマート草加店がダイエーに業態転換。これによりDマート消滅。
    • 3月9日 - 丸紅、イオン及びダイエーの3社間での資本・業務提携合意を発表提携時点の単純合算で、国内最大の流通連合となった。イオンの2008年2月期決算から当社が持分法適用関連会社となる。
    • 5月17日 - ダイエーグループ新中期経営計画策定。
    • 10月 - イオンとの提携により、ダイエーで『トップバリュ』を扱う第1号として「24色カラーランドセル」を導入
    • 12月4日 - 当社とその子会社グルメシティ各社において、2006年10月〜2007年11月までの期間、一部の商品の税区分ミスにより、代金を過剰受領していたことが発覚。オーエムシーカード決済による購入や、「ハートポイントカード」の利用により判明している分については過剰受領分を返金し、不明分については社会貢献活動の一環として、社内寄付金と共に全国盲導犬施設連合会へ寄付。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月 - 当社オリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」をイオングループの店舗で、イオンのプライベートブランド「トップバリュ」のチューハイを当社グループの店舗でそれぞれ数量限定で販売。
    • 2月8日 - 子会社のオーエムシーカードの株式を三井住友銀行へ売却。同社は持分法適用関連会社に移行する。
    • 3月20日 - 『トップバリュ』の本格導入を開始。同時に、「おいしくたべたい!」のリニューアル(サブブランドを追加し「セービング」以外の食に関する既存ブランドの一本化)、「サリブ」の開発領域拡大、「愛着仕様」の方針転換(衣料品全般に変更)を実施。[要出典]
    • 4月25日 - 「フーディアム」では初の当社直営店舗である「フーディアム多摩センター」を開店。
    • 8月2日 - 大阪証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所、札幌証券取引所上場廃止。
    • 9月2日 - 初の「ネットスーパー東大島店」をオープン。
    • 12月1日 - 旧・都城店を建て替えにより開業したイオンモールMiELL都城駅前(現・イオンモール都城駅前)の核店舗として、都城駅前店をオープン。業務提携後初めてイオングループのショッピングセンターに入居。
    • 12月22日 - 当社と子会社グルメシティ各社において、2006年3月1日〜2008年12月14日の間、医薬品販売の許可がない一部店舗で医薬品を販売していたことを公表。
    • 12月24日 - 米国NASDAQ市場の預託証券上場廃止。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月24日 - 不動産賃貸事業の子会社ディーホールドを吸収合併。
    • 9月1日 - 子会社のグルメシティ北海道及びグルメシティ九州の店舗を吸収分割にて承継、19店を直営店舗化。アルタックフーズがセリティフーズを合併しアルティフーズに商号変更。
    • 10月28日 - ISO14001を取得。

2010年代[編集]

  • 2010年(平成22年)
    • 7月29日 - 大阪国税局から、250億円の申告漏れを指摘されていたことが判明。
    • 9月20日 - 山口県の下関店が閉店。これに伴い中国地方から完全撤退
  • 2011年
    • 2月11日 - レディスインナーのプライベートブランドを2010年2月から展開していた「Lollipop(ロリポップ)」に統合。[要出典]
    • 2月19日 - 「愛着仕様」のうち、メンズインナーとチャイルドインナーを独立し、新ブランドとしてメンズインナーの「GENT'S(ジェンツ)」とチャイルドインナーの「White Mate(ホワイトメイト)」の展開を開始。これにより、前述の「Lollipop」と合わせてインナー部門におけるプライベートブランドの細分化による再構築を完了。[要出典]
    • 3月11日 - 全店舗営業中の14時46分に東日本大震災が発生。東北地方唯一の店舗である仙台店と、関東地方でも特に店舗の損壊が著しかった横浜西口店が、一時営業を休止。
    • 3月13日 - 仙台店が営業再開。仙台市内では震災2日後の時点で営業を再開している店は少なく、開店直前の時点で店頭には約3500人もの客が列を作った。
    • 7月31日 - 旗艦店の一つ、ショッパーズ福岡専門店街が建物の老朽化等を理由に閉店。別棟のショッパーズ福岡店は営業を継続。
    • 8月4日 - 「ビッグ・エー関西」の第1号店として「住之江駅前店」を開店。
    • 9月22日 - 生活用品のプライベートブランド「Livnee」を発売。
    • 10月8日 - 2010年8月に建て替えのため一旦閉店した藤沢店を食料品と消費頻度の高い生活必需品で売場を構成するSSM業態のモデル店舗として再開店。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月1日 - 子会社で紳士服の小売事業を行っていた株式会社ロベルトを吸収合併。[要出典]
    • 3月22日 - 60歳以上対象のポイントカード「ハートポイントカードPLUS+(プラス)」発行開始。[要出典]
    • 3月28日 - 食料品・日用消耗品を中心に購入頻度の高い商品を記載した専用カタログから電話で注文し、自宅まで配送してくれる新サービス「でんわスーパーお届け便」をグルメシティ品川八潮店で開始。[要出典]
    • 9月15日 - 50〜60歳代の女性をターゲットしたインナー部門のプライベートブランド「クリスティ」の展開を開始。[要出典]
  • 2013年(平成25年)
    • 3月 - 川崎市で自社専用米飯工場を本格稼働を開始。
    • 3月27日 - イオンがダイエーに対する株式公開買い付けを実施することを発表 し、ダイエーは本公開買い付けに賛同の意見を表明。併せて、本公開買い付けの成立を条件に、イオン・丸紅と締結していた資本・業務提携を解消することも発表された。
    • 4月15日 - イオンリテール株式会社 代表取締役会長の村井正平が顧問に就任。同年5月22日に行われた定時株主総会当日をもって兼任で当社の代表取締役社長に就任。
    • 4月23日 - 丸紅リテールインベストメント株式会社が保有していたダイエー株式の全てが同社親会社の丸紅株式会社へ譲渡されたことに伴い、同社が当社主要株主でなくなるとともに、筆頭株主がイオンから丸紅に変更される。
    • 5月15日 - 1991年(平成3年)3月から継続実施している「盲導犬募金」の募金総額が、スーパー業界初の3億円に到達。
    • 7月24日 - 5日前の19日にイオンが公正取引委員会から、前述の企業結合審査の結果「排除措置命令を行わない旨の通知書」を受領した ことを受け、本公開買い付けの実施開始日を発表。翌25日から本公開買い付けが開始。
    • 8月27日 - 前述の本公開買い付けでイオンが取得したことにより株式保有率が44.24%となって同社の連結子会社となり、丸紅は当社株式の一部を引き続き保有するものの、当社のその他の関係会社並びに主要株主に該当しなくなった。
    • 9月5日 - この日オープンした相武台店(神奈川県座間市)にイオングループのオリジン東秀が運営する弁当惣菜店「オリジン弁当」を初導入。
    • 10月12日 - この日新装オープンした今池店(愛知県名古屋市千種区)に、イオングループのジーフットがグループ店舗の靴売場に展開している「グリーンボックス」を初導入。
    • 11月30日 - この日改装オープンした名谷店(兵庫県神戸市須磨区)に、イオングループの文具ディスカウント専門店「ぶんぐのまち」を初導入。
  • 2014年(平成26年)
    • 2月3日 - ダイエーとグルメシティ(グループ会社のグルメシティ関東・グルメシティ近畿運営店舗を含む)」において、イオンの電子マネー「WAON」の導入を開始(ダイエーでは「WAONカード(「daiei」ロゴ入り仕様)」と「G.G. WAON」「ゆうゆうワオン」の3種類を発行。同年3月末までに閉店が予定されている店舗を除く全店舗に導入を完了)。
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メディア・番組等[編集]

  • 流通科学大学
  • 大阪国際女子マラソン(関西テレビ、大会開始から20年間、特別協賛をしていた)
  • 東京国際マラソン(1992年まで偶数年の協賛をしていた。)
  • 三枝の国盗りゲーム(ABCテレビ、全国ネットの一時期、各社で提供。)
  • ドラえもん(テレビ朝日系、放送開始当初(藤子不二雄劇場時代の途中まで)、月-土曜の帯番組枠で一社提供だった。後に第一家庭電器に交代)[要出典]
  • SF西遊記スタージンガー(フジテレビ、衣料などの関連商品を独占販売した。
  • ありがとう浜村淳です(MBSラジオ、2015年9月1日から8時台のスポンサー)
    • ありがとう浜村淳です土曜日です(MBSラジオ、「土曜日の人生相談」スポンサー)
  • dai-docoro☆ベジタ(MBSテレビ〈TBSテレビ・BS-TBSでも放送〉、2023年3月まで放送されていた単独提供番組)

その他[編集]

  • 主婦の店全国チェーン - 日本のスーパーマーケットの端緒である小倉市の丸和フードセンターは、ドラッグストアであった当社(当時の社名は「大栄薬品工業」)からノウハウ提供を得て、薬の廉売事業を軌道に乗せた。その後、逆に当社は丸和フードセンターからノウハウ提供を得て、ドラッグストアからスーパーマーケットへ転換し、社名も丸和フードセンターの創業者である吉田日出男が提唱していた「主婦の店」に変更した。
  • 千葉ロッテマリーンズ - 先述の通り、ダイエーは南海ホークスを買収することでプロ野球への参入を果たしたが、それ以前にもロッテオリオンズをダイエーが買収してプロ野球に参入するという構想があった。ロッテとダイエーの両社で会談を行い、行政への根回しも済ませ、ダイエーでロッテ製品の取り扱いを増やすバーター取引も行われたが、合意寸前で立ち消えとなった。なお、オリオンズの買収が実現した際もフランチャイズを福岡へ移転予定だった。[要出典]
  • 阪神タイガース - 福岡ダイエーホークスを保有していた時代にも、関西圏の一部店舗における優勝セールの開催権を有していた。これは、ダイエーがプロ野球に参入する以前から阪神球団より優勝セールの許諾を受けていたためである。[要出典]


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