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スタジオジブリ

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株式会社スタジオジブリ(英: STUDIO GHIBLI INC.)は、日本のアニメーション制作会社。日本動画協会準会員。日本テレビホールディングスおよび日本テレビ放送網の子会社。通称「ジブリ」。長編アニメーション映画の制作を主力事業としている。

1990年代中期以降は、短編アニメーション映画の制作および実写映画の企画、日本国外のアニメーションの公開やDVDの販売、小冊子『熱風』の発行を行う出版事業や音楽事業、加えて三鷹の森ジブリ美術館への展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。また、他社テレビ作品の動画グロスも請け負っている。

社歴[編集]

1985年6月15日、東映動画出身の原徹が設立したトップクラフトを前身に、徳間書店の出資によって子会社として株式会社スタジオジブリ設立。当時の同社社長である徳間康快が初代代表取締役社長に就任した。ただし、実質的な経営財務責任者はトップクラフトに引き続き原のままであった。当時はスタジオジブリ関連書籍の大半が徳間書店から出版され、同社の他メディア展開推進の中核的存在でもあった。

設立当初からしばらくの間は、映画の興行収入が水物であることを鑑みて、いつでも終わりにできるよう社員の雇用はせず、作品ごとに70人ほどのスタッフを集めて完成すると解散する方式を取っていた。アニメーターは他社同様に業務委託契約による歩合制で、場所も吉祥寺の貸しビルのワンフロアーだった。しかし、1989年公開の『魔女の宅急便』のヒットを機に、宮崎駿の提案によってスタッフの社員化と固定給の導入、新人の定期採用と育成という方針に転換し、スタジオの安定経営のために、宣伝にも積極的に取り組むようになった。同年7月の映画公開のタイミングで発売された『アニメージュ』に研修生採用試験の募集広告を掲載。一次試験はオリジナルの企画書による書類選考、二次試験は宮崎駿と高畑勲の設問による記述式で東京都で行われた。合格者のうち、10月に入社した者は1期生、翌1990年入社の者は2期生と数えられ、1期生には小西賢一、村田和也、2期生には安藤雅司、笹木信作、吉田健一らがいる。また細田守もこの試験を受けており、結果は不合格だった。この研修制度はこの1回限りで終了し、その役割は1995年と1998年に開催された東小金井村塾に引き継がれた。

1997年に徳間書店の社内制カンパニー導入により一旦は徳間書店に吸収合併されるが、2005年に鈴木敏夫、宮崎駿、高畑勲が取締役である株式会社スタジオジブリが、過去の作品も含めたスタジオジブリ作品の営業権を100億円から200億円の対価で徳間書店から譲渡されることで再び分離・独立する。

2014年に映画制作部門を解体し、一時アニメーション制作から撤退。以降、会社本体は存続させるが、主な事業形態を三鷹の森ジブリ美術館の運営管理や作品関連グッズや版権の管理事業に移行し、新たに作品制作に動き出す際に再びスタッフを集めるという体制となる。

2022年、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園にジブリパークを開園。

沿革[編集]

  • 1985年6月15日 - 株式会社スタジオジブリ(初代)設立。当初の場所は、吉祥寺駅付近の4階建ての建物・第2井野ビルの2階。
  • 1987年4月13日 - スプリングハウスが完成し同ビル2階に第2スタジオが入居する。
  • 1989年10月 - 徳間書店を退社した鈴木敏夫がスタジオジブリ専従の製作部長に就任。
  • 1989年11月 - スタッフの社員・常勤化、研修生制度、定期新人採用の開始。
  • 1991年 - 宮崎駿の新スタジオ建設案で、経営方針の対立が勃発。原徹が常務を辞任して退社し、後任に鈴木敏夫が就任。
  • 1992年8月6日 - 東小金井駅付近に宮崎駿設計でジャストホームの清川実が請け負った地上3階地下1階の新社屋が完成。
  • 1997年6月 - 経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併され、株式会社スタジオジブリは解散。徳間書店の社内カンパニー株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニーに改組。同年『もののけ姫』完成後、宮崎が退社。
  • 1999年 - 徳間書店が事業部制を導入し、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部に改称。さらに、宮崎がスタジオジブリ所長として復帰。
  • 2004年 - 株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部を、有限会社スタジオジブリに分割。
  • 2005年 - 徳間書店からの分離・独立により、組織形態を有限会社から株式会社へ変更。株式会社スタジオジブリ(2代)が、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。鈴木が代表取締役社長に、宮崎とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任した。
  • 2008年 - 鈴木が社長を退任し、代表権を持つプロデューサーに就任。後任の代表取締役社長には元ウォルト・ディズニー・ジャパン社長の星野康二が就任。
  • 2009年 - トヨタ自動車本社内に、新スタジオとして西ジブリを開設。
  • 2010年 - 西ジブリを閉鎖。
  • 2014年 - 制作部門の休止が発表。社内では、年内をもって制作部門スタッフ全員の退職が発表される。
  • 2015年 - 第20回釜山国際映画祭で、アジア映画人賞が授与される。
  • 2017年 - 宮崎の新作長編アニメーション映画の本格的な始動にともなう制作部門の活動再開、および新人スタッフの募集開始を発表。代表取締役社長に三鷹の森ジブリ美術館館長を務めていた中島清文が就任し、2008年から社長を務めていた星野は代表取締役会長に就任した。また現在、宮崎の新作長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』と、宮崎吾朗のテレビアニメーション『アーヤと魔女』を2本同時で制作していることを発表。
  • 2019年11月1日 - 中日新聞社と共同で、「ジブリパーク」(愛知県長久手市、2022年11月1日開業)の管理運営を担う新会社「株式会社ジブリパーク」を設立。
  • 2021年2月 - 社長の中島が退任し、三鷹の森ジブリ美術館の専従の総責任者として第2代館主に就任。会長の星野が社長を兼任することとなった。美術館の設立時から館主であった宮崎は名誉館主となった。
  • 2023年3月 - 星野が会長兼社長を退任し、鈴木が社長に復帰。星野は6月末をもって退社した。
  • 2023年9月21日 - 日本テレビホールディングス子会社の日本テレビ放送網がスタジオジブリを子会社化することが発表された。同年10月6日付けでの株式取得並びに同月30日のスタジオジブリ株主総会決議を以て日本テレビの福田博之が代表取締役として就任し、鈴木は代表取締役議長、宮崎駿は取締役名誉会長となる。
  • 2023年10月30日 - 日本テレビ放送網の子会社となり、これに伴い福田社長、鈴木議長の体制となる。

名称[編集]

「スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(Ghibli)に由来しており、第二次世界大戦中のイタリアのカプローニの偵察爆撃機の名前(Caproni Ca309 Ghibli(英語版))でもある。宮崎駿の思い込みから「ジブリ」となったが、「ギブリ」の方がイタリア語に近い発音である。しかしながら、おおもとをたどるとアラビア語のقبليで、ジブリでもギブリでもない。

スタジオジブリのマークは、『となりのトトロ』に登場するトトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで実写映画部門の「スタジオカジノ」の名称は、スタジオの所在地である梶野町から命名された。

2005年の徳間書店傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。宮崎が買い取りに消極的な姿勢を示して鈴木敏夫もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「シロッコ」という案を出したが社内での評判がよくなく、結局「ジブリ」の名称を継続することとなった。

レーベル[編集]

映画[編集]

スタジオジブリ
1985年の株式会社スタジオジブリの設立とともに発足したレーベル。自社で制作した長編アニメーション映画を手がけており、同社を代表するレーベルの1つである。
スタジオカジノ
株式会社スタジオジブリの第2レーベルとして設立された。設立当初はスタジオジブリが従来手がけてこなかった実写分野を中心に活動していたが、のちにアニメーション分野にも進出している。
スタジオギブリ
『ギブリーズ』および『ギブリーズ episode2』に登場する架空のアニメーションスタジオ。スタジオギブリのマークはスタジオジブリのマークと大抵は同様のデザインだが、同作に登場する野中くんが描かれている。また、同作のエンドロールでは「製作 スタジオギブリ」と表記されている。
三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー
2007年に、株式会社スタジオジブリと財団法人徳間記念アニメーション文化財団により設立されたレーベル。徳間記念アニメーション文化財団傘下の三鷹の森ジブリ美術館により運営されており、他社が制作した映画の公開およびDVDの販売を行っている。主に日本国外のアニメーションを担当しており、宮崎駿や高畑勲の推薦などに基づき、三鷹の森ジブリ美術館が作品を選定している。

ビデオ[編集]

ジブリがいっぱいCOLLECTION
1996年に、ウォルト・ディズニー・カンパニー並びに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパンの間で、日本国内でのスタジオジブリ作品のビデオの販売および海外でのスタジオジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した。これにともない、ジブリがいっぱいCOLLECTIONのシリーズが創設され、1997年発売の『となりのトトロ』よりVHSビデオの販売をウォルト・ディズニー・ジャパン(旧:ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント、ウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメント、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)が行うようになった。また、2001年からはDVD版、2009年からはBlu-ray Disc版のパッケージ展開も開始している。発売時のテレビCMなどの宣伝についても、ウォルト・ディズニー・ジャパンが行う。なお、販売・レンタル店向け営業はウォルト・ディズニー・カンパニーと提携関係にあるポニーキャニオンが行っている。2023年2月22日以降における日本国内でのスタジオジブリ作品のビデオの販売は、タッチストーン・ピクチャーズ作品、ハリウッド・ピクチャーズ作品、ミラマックス・フィルムズ(2010年12月以前の作品)と同様、ウォルト・ディズニー・スタジオの映像レーベルとして取り扱っており、厳密にはディズニー作品とは異なる。
これ以前に発売された『耳をすませば』までのVHSビデオは、「TOKUMA VIDEO」のレーベルで徳間書店が発売元、販売元は徳間ジャパンコミュニケーションズが担っていた。徳間書店によって発売されたスタジオジブリの旧作品についても、ジブリがいっぱいCOLLECTIONシリーズとしてVHSビデオおよびDVDで順次発売されている。DVDとBlu-ray Discについては、本編以外に絵コンテ集などの特典映像が収録されたディスクを含んだセルパッケージで発売されるタイトルがある。なお、レーザーディスクにおいては、徳間書店との関係が継続されたため、1998年発売の『もののけ姫』については徳間書店からの発売・販売となった。
「スタジオジブリ」の名を冠したレーベルではあるが、『ルパン三世 カリオストロの城』や『じゃりン子チエ』などのスタジオジブリ以外の宮崎・高畑監督作品もラインナップに組み込まれている。

ジブリライブラリー[編集]

ジブリ学術ライブラリー
過去に放送されたドキュメンタリー番組や、過去に公開されたノンフィクション映画のビデオを販売するレーベル。他社が制作した作品が中心である。
ジブリCINEMAライブラリー
他社が制作した映画のビデオを販売するレーベル。三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーに移管された作品もある。

音楽[編集]

スタジオジブリレコーズ
徳間ジャパンコミュニケーションズと提携して設立したレーベル。主に、スタジオジブリ作品のサウンドトラックと主題歌を含んだアルバムCDをリリースしている。以前は、「アニメージュレコード」のレーベルで事業を行っていた。2006年の『ゲド戦記』より主題歌制作とシングルCD販売についてはヤマハミュージックコミュニケーションズに移管された。

出版[編集]

文春ジブリ文庫
2013年創刊で、文藝春秋より毎月出版している。宮崎・高畑自身の著作の再刊や新装版に加え、作品論『ジブリの教科書』などオリジナル出版も行っている。

服飾[編集]

仕立屋スタジオジブリ
プライムゲートが、スタジオジブリとGHIBLIブランドの洋服および服飾小物の企画・製造・販売のライセンス契約を締結し、2004年から販売開始したメンズ・ブランド。イメージモデルは、『紅の豚』の主人公であるポルコ・ロッソ。本物志向の40歳代以上の男性がターゲットである。

作品一覧[編集]

長編アニメーション映画[編集]

# タイトル 公開日 原作 脚本 監督
1 天空の城ラピュタ 1986年08月02日 宮崎駿
2 となりのトトロ 1988年04月16日
3 火垂るの墓 野坂昭如 高畑勲
4 魔女の宅急便 1989年07月29日 角野栄子 宮崎駿
5 おもひでぽろぽろ 1991年07月20日 岡本螢 高畑勲
6 紅の豚 1992年07月18日 宮崎駿
7 平成狸合戦ぽんぽこ 1994年07月16日 高畑勲
8 耳をすませば 1995年07月15日 柊あおい 宮崎駿 近藤喜文
9 もののけ姫 1997年07月12日 宮崎駿
10 ホーホケキョ となりの山田くん 1999年07月17日 いしいひさいち 高畑勲
11 千と千尋の神隠し 2001年07月20日 宮崎駿
12 猫の恩返し 2002年07月20日 柊あおい 吉田玲子 森田宏幸
13 ハウルの動く城 2004年11月20日 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 宮崎駿
14 ゲド戦記 2006年07月29日 アーシュラ・K・ル=グウィン
  • 丹羽圭子
  • 宮崎吾朗
宮崎吾朗
15 崖の上のポニョ 2008年07月19日 宮崎駿
16 借りぐらしのアリエッティ 2010年07月17日 メアリー・ノートン
  • 宮崎駿
  • 丹羽圭子
米林宏昌
17 コクリコ坂から 2011年07月16日 佐山哲郎 宮崎吾朗
18 風立ちぬ 2013年07月20日 宮崎駿
19 かぐや姫の物語 2013年11月23日 『竹取物語』
  • 高畑勲
  • 坂口理子
高畑勲
20 思い出のマーニー 2014年07月19日 ジョーン・G・ロビンソン
  • 丹羽圭子
  • 安藤雅司
  • 米林宏昌
米林宏昌
21 レッドタートル ある島の物語 2016年09月17日 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
  • マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
  • パスカル・フェラン
マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
22 劇場版 アーヤと魔女 2021年08月27日 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
  • 丹羽圭子
  • 郡司絵美
宮崎吾朗
23 君たちはどう生きるか 2023年07月14日 宮崎駿

テレビアニメーション[編集]

# タイトル 放映日 放映局 原作 脚本 監督
1 海がきこえる 1993年05月05日 日本テレビ系列 氷室冴子 丹羽圭子 望月智充
2 ギブリーズ 2000年04月08日 百瀬義行
3 アーヤと魔女 2020年12月30日 NHK総合テレビジョン ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
  • 丹羽圭子
  • 郡司絵美
宮崎吾朗

短編アニメーション映画[編集]

# タイトル 公開年 監督
1 On Your Mark 1995年 宮崎駿
2 フィルムぐるぐる 2001年
3 くじらとり
4 コロの大さんぽ 2002年
5 めいとこねこバス
6 空想の空飛ぶ機械達
7 空想の機械達の中の破壊の発明 庵野秀明
8 ギブリーズ episode2 百瀬義行
9 ポータブル空港 2004年 百瀬ヨシユキ
10 space station No.9 2005年
11 空飛ぶ都市計画
12 水グモもんもん 2006年 宮崎駿
13 星をかった日
14 やどさがし
15 ジュディ・ジェディ 百瀬ヨシユキ
16 ちゅうずもう 2010年 山下明彦
17 パン種とタマゴ姫 宮崎駿
18 たからさがし 2011年 不在
19 毛虫のボロ 2018年 宮崎駿
20 禅 グローグーとマックロクロスケ 2022年 近藤勝也

長編実写映画[編集]

# タイトル 公開日 配給 監督
1 式日 2000年12月07日 徳間書店 庵野秀明
2 サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS 2001年03月17日 東宝 本広克行

短編実写映画[編集]

# タイトル 公開年 監督
1 巨神兵東京に現わる 2012年 樋口真嗣
2 巨神兵東京に現わる 劇場版

テレビCM[編集]

  • 日本テレビ『そらいろのたね』(1992年)
  • アサヒ飲料『旨茶』(2001年)
  • りそなグループ『ひびきが丘物語』(2003年)
  • ハウス食品『おうちで食べよう。』(2004年)
  • 読売新聞企業テレビCM(2004年 - )
  • 日清製粉グループ本社企業テレビCM(2010年 - )
  • 丸紅新電力『鳥獣戯画』(2016年)
  • 伊藤園『となりのおにぎり君』(2016年)

ラジオ番組[編集]

  • 『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』(2007年 - )

その他[編集]

  • 『金曜ロードショー』オープニング映像(1997年 - 2009年)
  • 『香取慎吾の特上!天声慎吾』オープニング映像(2003年)
  • 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』チャリTシャツデザイン(2006年、2010年)
  • 『堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。』(2008年)
  • 『piece』プロモーションビデオ(2009年)
  • 『キュッキュの大冒険』(2011年)
  • 『風になって、遊ぼう。~ジブリパークのある愛知~』(2022年)

日本国内歴代作品収入ランキング[編集]

日本映画製作者連盟によるデータ。

順位 作品 配給収入(億円) 興行収入(億円) 観客動員数(万人)
1 千と千尋の神隠し 316.8 2350
2 もののけ姫 117.6 201.8 1420
3 ハウルの動く城 196.0 1500
4 崖の上のポニョ 155.5 1200
5 風立ちぬ 120.2 810
6 借りぐらしのアリエッティ 92.6 750
7 ゲド戦記 78.4 588
8 猫の恩返し/ギブリーズ episode2 64.8 550
9 紅の豚 28.0 54.0 304
10 平成狸合戦ぽんぽこ 26.3 44.7 325
11 コクリコ坂から 44.6 355
12 魔女の宅急便 21.5 43.0 264
13 思い出のマーニー 35.3
14 おもひでぽろぽろ 18.7 31.8 216
15 耳をすませば/On Your Mark 18.5 31.5 208
16 かぐや姫の物語 24.7 185
17 ホーホケキョ となりの山田くん 7.9 15.6 115
18 となりのトトロ/火垂るの墓 5.9 11.7 80
19 天空の城ラピュタ 5.8 11.6 77
20 劇場版 アーヤと魔女 3.0
21 レッドタートル ある島の物語 0.9
  • 海がきこえる - 視聴率17.4%
  • アーヤと魔女 - 視聴率6.1%

日本では1999年まで配給収入が用いられてきたが、2000年から興行収入に切り替わっている。

2023年3月12日現在、日本のアニメーション映画の興行収入トップ10のうち、4作品はスタジオジブリ制作である。

評価[編集]

日本国内での評価[編集]

日経BPコンサルティングが、2001年から毎年実施しているブランド・ジャパンのコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで消費者から最も評価されているブランド部門の上位5位以内に毎年ランクされていた。共感するブランド部門では、2002年から5年連続で1位に選ばれている。

  • 2002年 - 第3位
  • 2003年 - 第4位
  • 2004年 - 第5位
  • 2005年 - 第2位
  • 2006年 - 第1位
  • 2007年 - 第12位
  • 2008年 - 第2位
  • 2009年 - 第4位
  • 2010年 - 第3位
  • 2011年 - 第8位
  • 2012年 - 第12位
  • 2013年 - 第5位
  • 2014年 - 第3位
  • 2015年 - 第4位
  • 2016年 - 第12位
  • 2017年 - 第1位
  • 2018年 - 第2位
  • 2019年 - 第15位
  • 2020年 - 第11位
  • 2021年 - 第13位

電通ヤング・アンド・ルビカムが、2007年に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査ブランド・エナジーのパワーランキングにおいて、スタジオジブリは2位に選ばれた。

日本国外での作品公開と評価[編集]

ベルリン国際映画祭の金熊賞やアカデミー賞の長編アニメーション賞、ヴェネツィア国際映画祭の金オゼッラ賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているスタジオジブリ作品であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。

スタジオジブリ作品は早くから日本国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでスタジオジブリ作品が早くから受容されていたのは香港である。1987年に『天空の城ラピュタ』が『天空之城』のタイトルで公開され、興行収入はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。1988年には『風の谷のナウシカ』が『風之谷』のタイトルで1070万香港ドル、同年に『となりのトトロ』が『龍猫』のタイトルで1100万香港ドルの興行収入を挙げた。いずれも、1997年時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。以後も『魔女の宅急便』が『魔女宅急便』のタイトルで1990年に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった。

その後、スタジオジブリ作品はニューヨーク近代美術館などで回顧展が開かれたり、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイトRotten Tomatoesでほぼパーフェクトに近い点を記録したり、同作がアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞したり、国際的なフランス人漫画家メビウスが自分の娘に「ナウシカ」と命名したりと高い評価を受ける一方、『ゲド戦記』の原作者で小説家でもあるアーシュラ・K・ル=グウィンは、本作の原作改変部分やディティールの弱い絵などに強い違和感を示した。

フランスでも宮崎駿監督作品の正式な紹介は遅れ、1993年のアヌシー国際アニメーション映画祭では『紅の豚』が長編部門の作品賞を受けるものの、1995年の劇場公開では興行的に惨敗した。

アメリカにも『風の谷のナウシカ』が輸出されているが、配給権を得たのは低予算C級映画で知られるロジャー・コーマン配下の会社であった。116分の本編は95分にカット、ストーリーも大幅に改竄されて『Warriors of the Wind』と題して、アメリカ国内で短い期間劇場公開されたのちにビデオで販売され、さらにはヨーロッパ各国にも転売された。この『Warriors of the Wind』は、宮崎監督作品のファンたちの間では悪評が高い。このアメリカ向け短縮版は宮崎に無断で作成されたものだったが、この一件で宮崎とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになった。その後のアメリカでは、1989年に『天空の城ラピュタ』が『Castle in the Sky』のタイトルで小規模な劇場公開があったが、欧米では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの海賊版が出回っていた。アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『借りぐらしのアリエッティ』が1920万ドルで1位、『崖の上のポニョ』が1509万ドルで2位、『千と千尋の神隠し』が1005万ドルで3位となっている。これは公開館数の違いもあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のポスターや予告編は、旧来のスタジオジブリ作品に比べてディズニー色が強くなっている。『崖の上のポニョ』公開時から、キャスリーン・ケネディやフランク・マーシャルが英語吹き替え版の製作総指揮を務めるようになった。後述のGKIDSとスタジオジブリの新たな結びつきが生まれる中、『風立ちぬ』はそれまで公開された宮崎監督作品や『借りぐらしのアリエッティ』と同様、ディズニーが北米の配給権を取得している。

2018年に、『となりのトトロ』が北京や上海など中国の約50都市で劇場公開。中国本土で約6000館におよぶ、スタジオジブリ作品初の大規模な上映となった。2019年には、約9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された。

GKIDSとの関係[編集]

アメリカで独立系の配給会社GKIDSとスタジオジブリの関わりは、2011年にニューヨークのIFCセンターで開催された特集上映に始まり、2012年から『コクリコ坂から』の劇場公開と2013年にはビデオ販売が行われた。続いて『かぐや姫の物語』と『思い出のマーニー』が公開され、2013年にタッチストーン・ピクチャーズで配給された『風立ちぬ』から、2016年にソニー・ピクチャーズ クラシックスで配給された『レッドタートル ある島の物語』まで、4年連続でスタジオジブリ作品がアカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされた。

北米でGKIDSは過去のスタジオジブリ作品全ての配給権を保有して、レトロスペクティブ上映を実施。2016年から2017年にかけて『もののけ姫』や、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル上映が行われ、それまで一般の劇場では上映されていなかった『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』が初公開された。さらに、2016年からイベント上映を共同で手掛けるファゾム・イベンツとは、毎月1本のスタジオジブリ作品を上映するスタジオジブリ・フェストを、2017年から2019年にかけて毎年開催。2日から3日間の日程で、『天空の城ラピュタ』は648館、『風の谷のナウシカ』は751館、『魔女の宅急便』は753館で公開されるなど、吹き替え版と字幕版の両方が上映されている。

2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていたスタジオジブリ作品の再発売を開始した。アメリカ国外ではフランスなどで、引き続きディズニーによってスタジオジブリ作品の流通が手掛けられた。

ワイルドバンチとの関係[編集]

2016年にスタジオジブリと『レッドタートル ある島の物語』を共同製作したワイルドバンチは2020年、フランスにおけるスタジオジブリ作品のすべての権利を取得した。新作である『アーヤと魔女』も含まれる。フランスで、スタジオジブリ作品をリリースしていたディズニーのライセンス契約は失効した。ワイルドバンチはこれまでにも、スタジオジブリ作品の海外販売を担当していた。

歴代社長・経営者[編集]

期間 会長/議長 社長 経営者 プロデューサー 副社長
1985年6月 1991年7月 徳間康快 原徹
1991年7月 2000年9月 鈴木敏夫
2000年9月 2001年1月 牧田謙吾
2001年1月 2005年3月 松下武義
2005年4月 2008年1月 鈴木敏夫
2008年2月 2017年11月 星野康二 鈴木敏夫
2017年11月 2021年2月 星野康二 中島清文
2021年2月 2023年3月 星野康二
2023年4月 2023年9月 鈴木敏夫
2023年10月 現職 鈴木敏夫 福田博之 中島清文

スタジオジブリは、1997年に徳間書店に吸収合併された。徳間書店は社内カンパニー制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。その後、徳間書店は1999年に事業部制を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。徳間書店から分離・独立した2005年からは、再び株式会社となった。

関連人物[編集]

監督・アニメーター[編集]

  • 宮崎駿
  • 高畑勲
  • 望月智充
  • 近藤喜文
  • 百瀬義行
  • 森田宏幸
  • 宮崎吾朗
  • 米林宏昌
  • 安藤雅司
  • 小西賢一
  • 細田守
  • 庵野秀明
  • 近藤勝也
  • 金田伊功
  • 大平晋也
  • 佐藤好春
  • 稲村武志
  • 山下明彦
  • 田中敦子
  • 河口俊夫
  • 高坂希太郎
  • 吉田健一
  • 名倉靖博
  • 須藤典彦
  • 大塚雅彦
  • 村田和也
  • 宮地昌幸
  • 笹木信作
  • 二木真希子
  • 大塚伸治
  • 賀川愛
  • 田辺修
  • 桑名郁朗
  • マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット

美術・彩色[編集]

  • 男鹿和雄
  • 保田道世
  • 山本二三
  • 野崎俊郎
  • 武重洋二
  • 吉田昇
  • 田中直哉
  • 高屋法子
  • 増山修

撮影[編集]

  • 奥井敦

音響・録音[編集]

  • 斯波重治
  • 浅梨なおこ
  • 浦上靖夫
  • 若林和弘
  • 木村絵理子
  • 笠松広司

製作・制作[編集]

  • 鈴木敏夫
  • 星野康二
  • 徳間康快
  • 原徹
  • 木原浩勝
  • 志茂文彦
  • 高橋望
  • 西村義明 - 2002年から2014年まで在籍し、2015年にスタジオポノックを設立。

その他[編集]

  • 川上量生 - KADOKAWA取締役、ドワンゴ顧問。ドワンゴに所属しながらスタジオジブリにて見習い。
  • 瀬山武司 - 多くの作品で編集を担当。
  • 久石譲 - 多くの作品で音楽を担当。
  • 糸井重里 - 『となりのトトロ』から『ゲド戦記』までキャッチコピーを担当。

備考[編集]

  • 2010年代頃まではジブリ作品の映像は、日本テレビ(日テレ)が放映権を独占していることや、『魔女の宅急便』からは日テレが出資に加わっている関係等から、日テレ以外のテレビ局で流されることは非常に少なかった。しかし2020年代からは、他局でも映像が流されることが増えており、2022年のジブリパーク開業時の報道の際にも映像が流されることが非常に多かった。

動画配信[編集]

2019年まで、スタジオジブリはインターネットでの動画配信に消極的だったが、動画配信サービスの爆発的な普及を受け、動画配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または海賊版での鑑賞手段しかなかった海外におけるスタジオジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した。

2019年、GKIDSはアメリカにおいて、ワーナーメディアのHBO Maxとスタジオジブリ作品のストリーミング配信における独占契約を締結したと発表した。サービスが開始される2020年から21作品が配信されている。GKIDSは2019年から北米で、HBO Maxと同じ21作品のダウンロード販売を開始した。販売されるプラットフォームはAmazon.com、Apple TV、Google Play、ソニー、マイクロソフト、Vudu、FandangoNOWである。

2020年に、Netflixはフランスのワイルドバンチより、アメリカと日本を除く世界約191か国での配信権を獲得。2月から4月にかけて21作品を順次配信すると発表した。

2022年11月11日、スタジオジブリはディズニー傘下の映画スタジオであるルーカスフィルムとの共同による短編アニメーション『禅 グローグーとマックロクロスケ』を製作したことを発表し、同月12日から定額制動画配信サービスのDisney+にて配信を開始した。同作が配信される国と地域に日本も含まれるため、他社との共同製作ながらもスタジオジブリのアニメーション作品が日本の動画配信サービスで配信される初めての事例となった。

2023年5月25日、ロシアの国営通信社であるタス通信は同国の動画配信サイト「キノポイスク」などで配信されているスタジオジブリ作品が同年6月以降は同国内で配信視聴できなくなることを報じた。2022年2月に開始したウクライナ侵攻に伴い、配信権の更新が出来なかったものと推測されている。その後、ロシアの配給会社「ロシアン・ワールド・ビジョン」が一部のスタジオジブリ作品の配給権を獲得し、視聴不可から一転して、継続になる見込みになったと同月26日にインタファクス通信が報じた。

2023年現在、前述の『禅 グローグーとマックロクロスケ』を除き、日本向けの動画配信ではダウンロードとストリーミング共に行われていない。2023年10月にスタジオジブリが定額制動画配信サービスのHuluを運営している日本テレビ放送網の傘下に入ることを同年9月に発表したが、スタジオジブリの作品が同サービスにて配信される可能性について、スタジオジブリ社長に就任する予定の福田博之(当時・日本テレビ専務)は「今のところ現状と何も変わっていない」と述べている。

なお、スタジオジブリ作品のうち、『火垂るの墓』は著作権の権利を新潮社と原作者の野坂昭如が保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情から、インターネットでの動画配信の対象外となっている。

声優の配役の特徴[編集]

1980年代までは脇に俳優が起用されることもありつつ、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、1990年代以降の作品では主役や主要人物の声はテレビドラマ等で有名な俳優が多く起用されており、これらは往々にしてスタジオジブリ作品の特徴として語られるが、舘野仁美によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、1970年代くらいから」であり、宮崎駿や高畑勲は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという。また、宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。しかし、名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画の宣伝をしてくれるため、宣伝費や広告費が必然的に浮くからとも鈴木敏夫は述べている。声優の選考に関して、『千と千尋の神隠し』の完成報告記者会見で宮崎は、「自分の中のイメージができあがったあと、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいる」と答えている。

外国メディアからのインタビューの中では、「日本の女性声優はコケティッシュで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『ハウルの動く城』の荒地の魔女役について)我々は日本の女性声優をまったく欲しくなかった」と述べている。ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(総計6時間40分)では、ナウシカ役などを演じた島本須美が、職業上の仮面を引き剥がせず宮崎の要求する演技に応えられない様子が収録されている。

『もののけ姫』以後も、役名がクレジットされないキャラクターに文学座所属の俳優が多く起用される傾向にある。

後継者の育成[編集]

もともと、スタジオジブリは『風の谷のナウシカ』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった宮崎駿や高畑勲が監督する長編アニメーション映画の制作を主力事業としていた。そのため、社内では常に宮崎・高畑を頂点にして回っている一面があった。しかし、1990年代の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はスタジオジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階からさまざまな試みがなされていた。スタッフの正社員登用の開始に併せて演出家育成を制度化し、村田和也らを輩出した。

1995年、近藤喜文監督作品『耳をすませば』が公開。近藤はスタジオジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑監督作品を支え、また当時のスタジオジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知され、スタジオジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。しかし、その近藤は1998年に47歳で病死してしまう。

その後のスタジオジブリでは、長編アニメーション映画で宮崎・高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。また、それまでも含めて育成だけではなく外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、スタジオジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。過去には『天空の城ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の押井守、『魔女の宅急便』の片渕須直、『ハウルの動く城』では東映動画から出向していた細田守の降板などが伝えられている。劇場長編実写映画では、『式日』の庵野秀明と『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』の本広克行を制作し、こちらは公開している。

このような状況を指して、庵野は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」と指摘しており、のちには「当のジブリ経営陣であるはずの鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがない」と発言している。鈴木はスタジオジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにテレコム・アニメーションフィルムからベテランアニメーターの大塚康生を招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという。近藤没後の2001年、『千と千尋の神隠し』の作画監督をした安藤雅司もまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、スタジオジブリの方法論に従うだけの現状を危惧し、実際に制作中スタジオジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた。

鈴木は2006年、『ゲド戦記』の制作にあたって、当時三鷹の森ジブリ美術館の館長でそれまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の長男の宮崎吾朗を監督に起用する人事を行った。これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の後継者の育成の一策として起用したものであると認めている。しかし、この吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、2010年にも鈴木は質疑応答の中で「宮崎はいまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている。

2009年頃からは、宮崎の主導によるスタジオジブリ経営5か年計画がスタート。最初の3年間は若手の起用、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてスタジオジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が、第2弾として吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。超大作として『風立ちぬ』が制作され、宮崎は長編映画からの引退を発表。2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体され、以降の長編アニメーション映画は、他のアニメーションスタジオと同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットを監督に抜擢している。

『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した」とコメントを寄せている。宮崎・高畑は東映アニメーション出身、他の監督たちも他社からの移籍であり、純粋なスタジオジブリ出身の監督としては米林が初となった。

他方で鈴木は、経営再建中だった徳間書店の傘下から2005年にスタジオジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらスタジオジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている。

2016年には、鈴木と鈴木の下で仕事を学んだ石井朋彦により、スタジオジブリ初の公開師弟対談が行われた。

ロケーション・ハンティング[編集]

スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品でロケーション・ハンティングを行ってきた。ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。宮崎駿は、ロケーション・ハンティング中に写真を撮る習慣がないとも言われている。あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという。

一方で、高畑勲はリアリズムを重視し、『火垂るの墓』や『平成狸合戦ぽんぽこ』などでは現実舞台に忠実な物語を展開した。

関連展覧会・イベント[編集]

展覧会[編集]

ジブリがいっぱい スタジオジブリ原画展
1996年8月31日から9月16日、日本全国の三越で開催。『もののけ姫』までの原画が展示された。徳間書店とウォルト・ディズニー・カンパニーとの業務提携およびスタジオジブリ作品の世界進出のニュースが大きな話題となった。
ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展
2003年6月14日から9月7日、東京都現代美術館で開催。『ハウルの動く城』までの世界を立体造型物として再現しており、公開当時の新聞記事と一体化したディスプレイが展示された。この展覧会では、22万人以上の動員を記録した。
ジブリの絵職人 男鹿和雄展
2007年7月21日から2010年2月7日、東京都現代美術館や松坂屋美術館など計9か所で開催された。東京都現代美術館では30万人に迫る動員を記録した。
スタジオジブリ・レイアウト展
2008年7月26日から2011年11月27日、東京都現代美術館やサントリーミュージアムなど計9か所で開催された。東京都現代美術館では12万5000人以上の動員を記録した。『崖の上のポニョ』までの原画やレイアウト約1300点が展示された。
借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展
2010年7月17日から10月3日、東京都現代美術館で開催された。
ジブリの動画家 近藤勝也展
2012年7月20日から8月26日、新居浜市立郷土美術館で開催された。
新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展
2014年7月4日から8月31日、新潟県立万代島美術館で開催された。
ジブリの立体建造物展
2014年7月10日から12月14日、江戸東京たてもの園で開催された。解説は、建築家である藤森照信が担当した。
スタジオジブリ『思い出のマーニー』監督 米林宏昌原画展
2014年7月18日から7月28日、西武池袋本店で開催された。
思い出のマーニー×種田陽平展
2014年7月27日から9月15日、東京都江戸東京博物館で開催された。
この男がジブリを支えた。近藤喜文展
2015年8月4日から9月27日、香川県立ミュージアムで開催された。
ジブリの大博覧会
2015年9月12日から11月8日、愛・地球博記念公園で開催された。このイベントが2022年11月1日に同公園内にオープンしたジブリパーク(後述)誘致のきっかけとなった。
ジブリの“大じゃない”博覧会
2020年7月22日から9月3日、愛知県美術館で開催された。
アニメージュとジブリ展
2021年4月15日から5月5日、松屋銀座で開催された。
ジブリパークとジブリ展
2022年7月16日から10月10日、長野県立美術館で開催された。その後、愛知県美術館、熊本県立美術館、神戸市立博物館、山口県立美術館を巡る。
金曜ロードショーとジブリ展
2023年6月29日から9月2日、寺田倉庫と10月7日から2024年1月28日、富山県美術館で開催される。2024年春以降、全国各地で開催予定。

イベント[編集]

スタジオジブリ総選挙
『レッドタートル ある島の物語』の公開を記念したスタジオジブリ総選挙が行われた。イベントは、2016年8月13日午前0時から8月28日午後12時59分までの期間内に同作の公式サイト内の特設ページにて投票を募集し、『風の谷のナウシカ』から『思い出のマーニー』までのスタジオジブリ長編アニメーション映画全21作品の中で、最も得票数が多かった1作品を全国5都市5劇場で上映するという内容である。中間発表では、上位5作品が『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』であることが発表された。この5作品は、全て宮崎駿監督作品である。そして、9月には最終結果が発表され、1位に輝いた『千と千尋の神隠し』が1週間限定で全国5都市5劇場でリバイバル上映された。
なお、2位以下の作品の順位は未発表であるため不明となっている。
一生に一度は、映画館でジブリを。
2020年、「一生に一度は、映画館でジブリを。」と題し、『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『ゲド戦記』の4作品が全国の劇場でリバイバル上映された。初週末の映画ランキングでは上位3位をこれらが独占するなど、新型コロナウイルス感染拡大の中、異例の大ヒットを記録した。

関連施設・店舗[編集][編集]

施設[編集][編集]

三鷹の森ジブリ美術館
2001年10月1日オープン。スタジオジブリの世界を展示している。また、毎年内容が変わる企画展も好評である。
サツキとメイの家
愛・地球博の目玉パビリオンとして2005年竣工。『となりのトトロ』の草壁家を忠実に再現している。愛・地球博終了後も会場跡地に整備された愛・地球博記念公園内で引き続き公開されていたが、後述のジブリパークの工事のため、2020年7月13日から2022年10月31日まで一時公開を中止。2022年11月1日のジブリパークオープンと同時に「どんどこ森」エリアのメイン施設として公開を再開した。
ジブリパーク
2022年11月1日に愛知県長久手市の愛・地球博記念公園内に開園。「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」の3エリアが先行開園し、2023年秋頃に「もののけの里」「魔女の谷」の2エリアが開園する予定。

店舗[編集]

日本各地にスタジオジブリグッズを販売する専門店は多数ある。東京駅八重洲口地下の東京キャラクターストリート内に営業するどんぐりガーデン、名古屋市に営業するめっせ、日向市に営業するむさしや、鹿児島市に営業するあみゅの森、高知市や宮崎市などに営業するどんぐり共和国などである。また、金曜ロードショーでスタジオジブリ作品を独占的に放映する日本テレビのグッズを扱う日テレ屋でも、スタジオジブリグッズが販売されている。

一方で、ゲーマーズやアニメイトではほとんどスタジオジブリグッズが販売されていない。

スタッフ・OBが独立・起業した会社[編集]

現在[編集]

  • スタジオよんどしい - ラインプロデューサーを務めた田中栄子が森本晃司と共に設立。
  • 作楽クリエイト - アニメーターを務めた伊藤秀樹が設立。旧法人は2021年に閉鎖し、同年に同社東京スタジオを母体とした同名の新法人が設立されている。
  • インスパイアード - 出身である増山修がディレクションズを経て設立。
  • スタジオポノック - プロデューサーを務めた西村義明が設立。
  • えかきや - 出身である小林美代子が設立。

過去[編集]

  • ムークアニメーション - アニメーターを務めた百瀬義行が熊瀬哲郎と共に設立。


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