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スズキ・ジムニー

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ジムニー(Jimny)は、スズキ(1990年(平成2年)9月以前は鈴木自動車工業)が1970年(昭和45年)から市販している軽自動車のオフロード四輪駆動車である。通常「ジムニー」は軽自動車モデルを指すが、当項目では小型自動車登録であるジムニーシエラ、ジムニーワイド等についても併記する。

概要[編集]

ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車である。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視したはしご型フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。現代の自動車技術において、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる状況の中で、独自かつ稀有な存在である。そのため、本格オフロード車として日本のみに留まらず、世界中でも高い評価が得られている。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。

日本国内での林業等での作業車としてだけで無く、狭い道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高いインフラ生活用車両としての根強い需要を持ち、同時に過酷な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる他、林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行、スキー目的での雪道走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、トライアル、ダートトライアル、ヒルクライムなど、悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。

一方、長年ジムニーユーザー = 高い悪路走破性の要求、という構図から、SJ30発売の時点で6.00-16の悪路用バイアスタイヤ(ラグタイヤ、いわゆる「ゲタ山タイヤ」)と、悪路用ラジアルタイヤ(マッドテレーンタイヤ)しか存在せず、RVブームの隆盛により高速道路での移動が必然となった時代になっても、不整地向け車両用両用ラジアルタイヤ(オールテレーンタイヤ)が追加されたのみになっていた。しかし近年、マニュアル設定車の減少やスペアタイヤの非装着化をはじめとした軽乗用車を取り巻くいくつかの潮流からはじめから舗装路主体のいわゆる「街乗りジムニー」ユーザーが増えたため、タイヤメーカーも需要を見越してSUV向け舗装路用タイヤ(ハイスピード・テレーン)の175/80R16サイズの設定をするようになってきている。

2000年9月 - 2001年2月と2001年2月 - 2002年1月にフロントエンジン・後輪駆動(FR)車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップである。

45年以上の歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか3回とモデルライフが長いことが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース)。なお、本車は日本車として最後の2ストロークエンジンを搭載した車種(2代目 SJ30、1987年〈昭和62年〉5月迄販売)として知られている。また、ジムニーの愛好家は通称ジムニストと呼ばれ、日本のみならず全世界にジムニストがいるとのことである。自動車系YouTuberとして屈指の知名度を誇る「carwow」のマット・ワトソンは、ジムニーのレビュー後に即決購入してしまった。

1977年に発売されたSJ20以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。

マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で、1998年10月から2014年4月まで販売された。

2020年11月6日、スズキは初代ジムニーが日本自動車殿堂の「歴史遺産車」に選定されたと発表した。

開発前史[編集]

ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(後のホープ → KHP。2017年を以って清算)から、軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年〈昭和42年〉完成)の製造権を、当時スズキ東京の社長であった、現スズキ相談役鈴木修が、社内の反対を押し切り買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」と謳われたON型4WDは軽自動車ながら高い悪路走破性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者でON型4WDの開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WDのエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年〈昭和45年〉の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1,200万円ほどだったといわれている。

この時スズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」「社長の道楽」「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは期待されていなかったようである。鈴木修はもともと中央相互銀行の銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8ミリ映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WDの組み立てはほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼されたスズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WDは、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。



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