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ジョー・バイデン

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ジョー・バイデン(英語: Joe Biden発音: [dʒoʊ ˈbaɪdən] (https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Speaker_Icon.svg/13px-Speaker_Icon.svg.png 音声ファイル))ことジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニアJoseph Robinette Biden Jr.、1942年11月20日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。同国第46代大統領(在任: 2021年1月20日 - )。民主党に所属し、ニューキャッスル郡議会議員、デラウェア州選出連邦上院議員、副大統領を歴任した後、2021年1月20日に78歳で大統領に就任した。ジョン・F・ケネディ以来2人目のカトリックの大統領であり、ジェームズ・ブキャナン以来2人目のペンシルベニア州出身の大統領でもある。

来歴[編集]

1942年11月20日、ペンシルベニア州スクラントンに誕生し、デラウェア州ニューキャッスル郡で育った。アイルランド系カトリックの中産階級の家庭の生まれである。子供のころは吃音に悩み鏡の前でアイルランドの詩を朗読するという独自の発声練習で克服したという。高校・大学ではアメフトに夢中になった。

デラウェア大学で学んだ後、シラキュース大学で法務博士号を取得。ロースクールを経て1969年に弁護士となり、1970年にデラウェア州のニューキャッスル郡議会(英語版)議員に選出された。1973年1月に29歳でデラウェア州から連邦議会上院議員に当選し、アメリカ史上5番目に若い上院議員となった。同年12月にクリスマスの買い物に出かけた妻と娘を交通事故で失った。1977年6月に現在の妻であるジルと再婚している。

1973年1月から2009年1月まで連続6期も連邦上院議員を務め、外交・刑事司法・薬物問題に取り組み、上院司法委員会(英語版)の委員長や上院外交委員会の委員長などを歴任した。政策実現を重んじる調整型の政治家として党派を超えた信頼を確立した。

1991年1月の湾岸戦争に上院議員として反対し、東ヨーロッパへのNATOの拡大と1990年代のユーゴスラビア紛争への介入を支持した。2002年のイラク戦争承認決議を支持したが、2007年のアメリカ軍増派には反対した。また、1987年1月から1995年1月まで上院司法委員会の委員長を務め、麻薬政策・犯罪防止・市民の自由に関連する問題を扱っていた。バイデンは暴力犯罪取締法と女性に対する暴力法の成立に向けた取り組みを主導し、ロバート・ボークとクラレンス・トーマスの最高裁判所長官への指名を監督した。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙でバラク・オバマと並んで副大統領に当選した後に上院議員を辞任した。4番目に在職期間の長い上院議員だった。オバマとバイデンは2012年アメリカ合衆国大統領選挙においても再選され、2期8年に渡って務めた。副大統領としてバイデンはリーマンショックの不況に対抗するために2009年にインフラ支出を監督した。バイデンの議会の共和党との交渉は、オバマ政権が税制の行き詰まりを解決した2010年税制救済法、債務上限危機を解決した2011年予算管理法、差し迫った財政の崖に対処した2012年アメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けた。外交政策ではアメリカ合衆国およびロシア連邦との間で新START条約の成立に向けた取り組みを主導し、リビアへの軍事介入を支持し、2011年12月のアメリカ軍の撤兵までイラクに対するアメリカの政策を所管した。2012年12月のサンディフック小学校銃乱射事件の後、バイデンはアメリカにおける銃暴力の原因に対処するために設立された「銃暴力タスクフォース」を率いた。

2015年5月に長男のボー・バイデンを脳腫瘍で亡くし、失意から2016年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を見送った。2017年1月にオバマ大統領はバイデンに大統領自由勲章を授与した。

栄典[編集]

名誉学位[編集]

バイデンは次の大学から名誉学位を受けている。

  • スクラントン大学(英語版)(1976年)
  • セントジョセフ大学(英語版)(1981年LL.D)
  • ウィディーンアー大学ロースクール(英語版)(2000年)
  • エマーソン大学(2003年)
  • デラウェア州立大学(英語版)(2003年)
  • 母校のデラウェア大学(2004年LL.D)
  • サフォーク大学ロースクール(英語版)(2005年)
  • 母校のシラキュース大学(2009年LL.D)
  • ウェイクフォレスト大学(2009年LL.D)
  • ペンシルベニア大学(2013年LL.D)
  • マイアミ・デイド大学(英語版)(2014年)
  • サウスカロライナ大学(2014年DPA(英語版))
  • トリニティ・カレッジ(2016年LL.D)
  • コルビー大学(2017年LL.D)
  • モーガン州立大学(英語版)(2017年DPS)

受賞歴[編集]

  • シラキュース大学よりChancellor Medal(1980年)とGeorge Arents Pioneer Medal(2005年)を授与された
  • 2008年には「家庭にやさしい労働政策によりアメリカ人の生活の質を向上させた」としてワーキングマザー誌からベスト・オブ・コングレス賞が贈られた
  • 2008年にはパキスタン政府から「パキスタンへの継続的な支援に貢献があった」として上院議員のリチャード・ルーガー(英語版)とともにヒラル・イ・パキスタン(英語版)を贈られた
  • 2009年にコソボより1990年代にコソボの独立を支援した功績として自由金メダルが贈られた
  • デラウェア志願消防士協会(英語版)に殿堂入りした
  • 2009年にはリトルリーグホール・オブ・エクセレンス(英語版)に名前が入った
  • 2016年5月15日、ノートルダム大学から下院議長ジョン・ベイナーらとともにアメリカのカトリックの最高位の名誉と見做されているレターレ・メダル(英語版)を贈られた
  • 2016年6月25日、アイルランド・ラウス県の名誉市民権を授与された
  • 2017年1月12日、ごく限られた者にしか贈られたことがない米国最高の名誉である大統領自由勲章を大統領バラク・オバマより贈られた。オバマは「同胞のアメリカ人を信じ、国を愛し、生涯をかけて国に尽くしてきた」とバイデンを称えた。バイデンによれば受勲を全く知らされていなかったといい、感極まって涙を流している。
  • 2018年12月11日、デラウェア大学政治学部は「ジョセフ・R・バイデン・ジュニア政治学部(Joseph R. Biden, Jr. School of Public Policy and Administration)」に改名した。バイデン研究所(Biden Institute)もそこに存在する
  • 2020年12月10日、バイデンとカマラ・ハリスが『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。『タイム』誌は2人の授賞理由として「分裂の怒りよりも、共感の力が偉大であることを示し、悲嘆にくれている世界に癒しの展望を示した」と評している。


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