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シャープ

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シャープ株式会社(英: SHARP CORPORATION)は、大阪府堺市に本社を置く日本の電気機器メーカー。台湾の鴻海精密工業(フォックスコングループ)の子会社。日経平均株価の構成銘柄の一つ。

1912年、早川徳次が東京市本所区松井町(現・東京都江東区新大橋)に金属加工業を設立する。関東大震災により工場を消失後、1924年に大阪府東成郡田辺町(現・大阪府大阪市阿倍野区)に早川金属工業研究所を設立する。1935年に改組し、株式会社早川金属工業研究所を設立し、1936年に早川金属工業株式会社、1942年に早川電機工業株式会社、1970年にブランドとして使われていたシャープ株式会社に社名変更する。2016年に大阪府堺市堺区匠町に本社移転。

歴史[編集]

  • 1912年 - 早川徳次が東京で創業した。徳尾錠というベルトのバックルの発明が始まりである。
  • 1915年 - 金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)を発明。販売開始後、商品名をエバー・レディ・シャープ・ペンシルに変えた。アメリカで爆発的にヒット。現在の社名はこれに由来する。
  • 1923年 - 関東大震災によりシャープペンシル工場を焼失。早川は家族もすべて失い、大阪へ移り再起を図った。明治時代、明治政府から藩債処分の影響で大打撃を与えられた大阪市であったが当時は経済的にも回復していた。
  • 1925年 - 鉱石ラジオをシャープの名前で発売。戦前の主力商品となる。
  • 戦後、総合家電では松下電器産業やソニーが台頭し、営業・販売力においてこの2社に圧倒的な差を付けられていた上、シャープ製のテレビ(ブラウン管はアメリカ等海外製)が突然発火して大火事になった事件などもあり、低迷の時代が続く。
  • 1962年 - 日本の家電企業で初めて家庭向け量産型の電子レンジを発売(当初は業務用)。1966年には世界初のターンテーブル方式の電子レンジを開発する。
  • 1963年 - 太陽電池の量産を開始。なお、一般の電池(乾電池、二次電池など)は生産していない。
  • 1964年 - オールトランジスタダイオードによる電子式卓上計算機(世界初)を開発。その後のカシオなどとの電卓戦争の中で、表示部品としての液晶技術の開発を始め、1973年、液晶を表示装置に使ったCMOS電卓(世界初)を開発。この経験から「液晶のシャープ」と呼ばれる事につながっている。
  • 1970年1月1日 - 社名をシャープ株式会社に変更。シンボルマークをリニューアル。なお、早川電機時代のシンボルマーク(楕円形にSharp)は社名変更後も正式な社章として引き継がれた。
  • 2016年
    • 4月2日 - 台湾に本拠を置く鴻海精密工業が3分の2弱の株式を取得し、日本の大手電機メーカーとしては初の外資傘下の企業となる。
    • 7月1日 - 長年本社であった大阪市阿倍野区から、工場がある堺市堺区へ本社を移転した。
  • 他にシャープが得意とする製品としてはファクシミリ、パソコン並みにモデルチェンジをする電子辞書、電子レンジ、近年ではコピーなどの複合機、カシオと競い合う電卓、更に液晶テレビAQUOS、そこから発展したAQUOS携帯電話などユニークな製品がラインナップされている。
  • さらに、2009年からはLED電球の発売により家庭用照明事業にも参入している。
  • なお、液晶事業への投資増もあり、半導体事業はCCDなどのイメージセンサーや画像処理LSI、液晶駆動用LSIなどに集約されている。
  • 2017年
    • 12月1日 - 世界初の8K液晶テレビ、"Aquos 8K"発売。
    • 12月7日 - 東京証券取引所1部に復帰。
  • 2020年
    • 3月 - 新型コロナウイルス感染症 (2019年)等に伴うマスクの不足に対する対応として、月内に三重工場でマスクの生産を開始する。

経営理念・経営信条[編集]

以下はシャープ公式サイト掲載の「経営理念/経営信条」 を主に参照している。 シャープ(株)を始め関係会社の朝礼で経営信条の唱和が行われていた。

経営理念[編集]

  • いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって広く世界の文化と福祉の向上に貢献する。
  • 会社に働く人々の能力開発と生活福祉の向上に努め、会社の発展と一人一人の幸せとの一致をはかる。
  • 株主、取引先をはじめ、全ての協力者との相互繁栄を期す。

経営信条[編集]

  • 二意専心
  • 誠意と創意
  • この二意に溢れる仕事こそ、人々に心からの満足と喜びをもたらし真に社会への貢献となる。
  • 誠意は人の道なり、すべての仕事にまごころを
  • 和は力なり、共に信じて結束を
  • 礼儀は美なり、互いに感謝と尊敬を
  • 創意は進歩なり、常に工夫と改善を
  • 勇気は生き甲斐の源なり、進んで取り組め困難に

歴代社長[編集]

  • 初代社長(1912-1970) 早川徳次
  • 2代目社長(1970-1986)佐伯旭
  • 3代目社長(1986-1998)辻晴雄
  • 4代目社長(1998-2007)町田勝彦
  • 5代目社長(2007-2012)片山幹雄
  • 6代目社長(2012-2013)奥田隆司
  • 7代目社長(2013-2016)高橋興三
  • 8代目社長(2016-2020)戴正呉
  • 9代目社長(2020-2022)野村勝明
  • 10代目社長(2022-現職)呉柏勲

沿革[編集]

  • 1912年(大正元年)9月15日 - 東京府東京市本所区松井町(現・東京都江東区新大橋)において、創業者の早川徳次が金属加工業を創業。「徳尾錠」の製作販売を開始。資本金50円、3人でスタート。
  • 1924年(大正13年)9月 - 前年(大正12年)にあった関東大震災で家族を亡くして、工場が全焼した影響から、大阪府東成郡田辺町大字猿山(現・大阪市阿倍野区長池町)に本社を移転、早川金属工業研究所を設立。
  • 1925年(大正14年) - 国産第1号鉱石ラジオ受信機の組み立てに成功し、量産・販売を開始(価格3円50銭)。同時にラジオ部品も販売。
  • 1929年(昭和4年) - 交流式真空管ラジオを発売。
  • 1931年(昭和6年) - 電波研究室を設置、テレビ研究に着手。
  • 1934年(昭和9年) - 平野工場を建設。
  • 1935年(昭和10年)5月1日 - 株式会社早川金属工業研究所を設立、法人組織となる。資本金30万円。
  • 1936年(昭和11年) - 早川金属工業株式会社に社名変更。
  • 1941年(昭和16年) - 陸軍航空本部監督工場となる。押しボタン選局式の5球スーパーラジオ SB-500 を発売。
  • 1942年(昭和17年) - 早川電機工業株式会社に社名変更。短波・超短波の研究のため新研究所を設立。航空無線機の生産開始。ライトハウス戦傷失明者工場を分工場にする。
  • 1944年(昭和19年) - 軍需会社に指定される。海軍監督工場に再指定される。
  • 1946年(昭和21年) - 特別経理会社に指定される。
  • 1949年(昭和24年) - 特別経理会社の指定を解除される。大阪証券取引所に株式を上場。
  • 1950年(昭和25年) - 失明者工場を法人化、合資会社特選金属工場(現 シャープ特選工業株式会社)を設立。
  • 1951年(昭和26年) - テレビの試作に成功。
  • 1952年(昭和27年) - RCAとテレビで技術提携。
  • 1953年(昭和28年) - 国産第1号のテレビ TV3-14T の量産・販売を開始(価格175,000円)。
  • 1954年(昭和29年) - 共働きや身体障害者家庭の子供を預るために早川徳次社長が本社近くに育徳園保育所を開設。
  • 1956年(昭和31年) - 本社社屋を竣工。
  • 1959年(昭和34年) - 八尾工場を建設。
  • 1960年(昭和35年) - 大和郡山工場(現 奈良工場)を建設。
  • 1962年(昭和37年) - 国内初の家庭向け量産電子レンジ R-10 を発売(価格540,000円)。
  • 1964年(昭和39年) - 世界初のオールトランジスタ電卓「コンペット」 CS-10A を発売(価格535,000円)。
  • 1966年(昭和41年) - 国産初のターンテーブル式家庭用電子レンジ R-600 を発売(価格198,000円)。
  • 1967年(昭和42年) - 広島工場を建設。
  • 1968年(昭和43年) - 栃木工場を建設。
  • 1970年(昭和45年) - シャープ株式会社に商号変更(1月1日)。奈良県天理市に総合開発センター竣工。
  • 1970年代から韓国のサムスン電子へシャープの液晶や半導体の技術供与を始める。
  • 1979年(昭和54年) - 日本語ワードプロセッサ「書院」 WD-3000 を発売(価格2,950,000円)。
  • 1981年(昭和56年) - 新庄工場(現 葛城工場)を建設。
  • 1983年(昭和58年) - 480x128ドットの液晶ディスプレイユニットLM-48001G発売(外径寸法290x110x18ミリ、表示面237x70.5ミリ)、サンプル価格80,000円。
  • 1985年(昭和60年) - 福山工場を建設。
  • 1992年(平成4年) -ハイビジョンテレビ36CSE-1(簡易MUSEデコーダー内蔵)を発売(当時100万円で販売)。
  • 1995年(平成7年) - 三重工場が稼動し、液晶を量産。業界初のパーソナル液晶テレビ「ウインドウ」を発売。
  • 2001年(平成13年) - 液晶テレビ「AQUOS」第1号機(LC-20C1/15C1/13C1)を発売。
  • 2002年(平成14年) - 三原工場が稼動を開始。
  • 2004年(平成16年) - 亀山工場が稼動を開始。ヘルシオ発売。後に万年シェア2位だったオーブンレンジではシェアトップとなる。
  • 2009年(平成21年) - 堺工場が稼働を開始。
  • 2011年(平成23年) - 公式Twitterを開設。
  • 2012年(平成24年) - 酸化物半導体(IGZO)を採用した液晶パネルの量産を開始。
  • 2016年(平成28年) - ロボット型携帯電話、ロボホン発売。
  • 2016年(平成28年) - 台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業及び関連企業が3分の2弱の株式を取得し子会社化。本社を大阪市阿倍野区長池町から堺工場へ移転。債務超過により、東証1部より2部へ指定替え(事実上の降格)(翌年12月、東証1部に復帰)。創業以来初の社外から社長(鴻海グループ副総裁の戴正呉)が就任。
  • 2016年(平成28年) - コーポレートスローガンとして「Be Original.(ビー・オリジナル)」を制定。
  • 2017年(平成29年) - 売却により旧本社ビルの解体工事が開始。
  • 2017年(平成29年)11月14日 - SIO International Holdings Limitedが保有株式の内540万を、大和証券グループの大和PIパートナーズ株式会社に譲渡すると発表
  • 2018年(平成30年)10月1日 - 東芝より東芝クライアントソリューションの株式の80.1%を取得し連結子会社化。2019年1月1日付でDynabookに社名変更。
  • 2019年(令和元年)9月25日 - 日本国内唯一の白物家電の生産拠点だった八尾事業所の製造ライン停止(研究開発拠点に移行)。
  • 2020年(令和2年)10月1日 - ディスプレイデバイスカンパニーを「シャープディスプレイテクノロジー」として分社化。
  • 2020年(令和2年)11月1日 - 日本電気よりNECディスプレイソリューションズの株式の66%を取得し、「シャープNECディスプレイソリューションズ」として連結子会社化。
  • 2021年(令和3年)4月1日 - カメラモジュール事業を「シャープセンシングテクノロジー」として分社化。

特徴[編集]

現在まで、シャープは「先進的な部品を開発しその部品を元に特徴的な商品を生み出す」流れと、「商品に使われることによって部品の目標が明確になり性能が向上する」という流れの循環で成長して来ており、シャープではこれを「スパイラル戦略」と呼んでいる。近年では、スパイラル戦略に加え、他社にない部品や商品を作り出す「オンリーワン戦略」を掲げている(両開き式の冷蔵庫やプラズマクラスター等が挙げられる)。

早川金属時代から製造された「シャープラジオ」は海外に輸出されるほどに爆発的な売り上げを記録したが、トランスなどの部品は自主生産ができても真空管だけは自主生産できる余裕はなかった。そこで東京電気(後の東京芝浦電機→東芝)から「マツダ真空管」や時計内蔵型シャープラジオの「時計装置」の供給を受けていた。 早川電機に社名変更後、テレビジョンの生産が軌道に乗り出したと同時に真空管の自主生産を開始したことから、東芝からの真空管類の供給を打ち切ると同時に総合エレクトロニクス会社としてお互いに競い合う関係になって行った。 それから半世紀以上経った2007年、東芝とシャープは「液晶および半導体分野における提携」に合意し、2010年度を目処にシャープは東芝から液晶テレビ用システムLSIを約50%、東芝はシャープから32型以上のテレビ用液晶モジュールを約40%購入することを目標に両社の提携を再び交わしている。

パソコン黎明期においてMZ-80KやX1などを生産し、日本のパソコン業界大手の一社であった他、それらの一部は海外でも商品展開された。日本での参入はしなかったものの、8ビット機時代の共通規格であるMSX機もブラジルの現地法人「シャープ・ド・ブラジル」で製造、販売していたこともあった。その後、Windowsが台頭する時代になるにつれ、NECなど黎明期からの大手PCメーカーの他、大手家電メーカーや台湾メーカーなどがシェアを伸ばし、それに伴い、徐々に苦戦を強いられ、シェアは小さくなっていった。液晶の技術を活かしてノートパソコンの生産なども行っていた。インターネットAQUOSなどの個性的な商品を出すも総じてスペックの割に高価格で人気が出ず、デスクトップやノートパソコン等一般的なパソコンは生産を終了、ウルトラモバイルのみにラインナップは縮小されていったが、2010年10月21日、それらを含む同社のパソコン生産が終了したことが判明した。

映像分野にも伝統的に強く、CCDなどの撮像素子を早くから自社生産していた。自社ブランドでもデジタルカメラには本格参入することはなかったものの、ビデオカメラについてはアナログ時代から家庭用製品を大々的に展開。特に、現在ほとんどの製品が使用している、液晶モニタ付カメラ(それまではの製品にはファインダしか無かった)を「液晶ビューカム」の名で先鞭をつけたのは同社である。ただ、特許独占ができなかったため他社に追随され、家庭用ビデオカメラ市場そのものもデジタルメラやスマートフォンの動画機能に押されて頭打ちとなったこともあり、現在4社程度にまで参入メーカーが減った家庭用ビデオカメラ市場からは、同社もすでに撤退している。

ファミコンの商標は家電製品部門で第1681105号で登録されている。(ゲーム機としては第1832596号で任天堂が保有)この縁でファミコン関連製品がシャープから発売された。

他の家電メーカーが相次いで石油ファンヒーター事業から撤退する中、唯一家電メーカーで石油ファンヒーター(除菌イオン付)の販売を継続していたが、2007年度春に撤退予定を発表した。同年3月に生産を完了し、撤退している。

テレビでは、音声毎に色分けを行い、モノラル放送・外部入力は緑、ステレオ放送は黄色、二重音声は赤でチャンネル表示がされている(従来からあるアナログ専用のテレビ、アクオスではアナログ放送受信時の場合)。三洋電機のZ1などの80年代に発売されたブラウン管カラーテレビも全く同様の色分けであった。

ビデオデッキでは、VHS初の前面でカセットを出し入れ出来るフロントローディングや3倍モード時の画質劣化を抑える19ミクロンヘッド(1989年に初搭載した頃には通常モードにも切り替え可能)をいち早く搭載し家電メーカーで唯一コンポーネント端子やD1端子を搭載したS-VHSデッキを販売していた。VHS-C方式のビデオレコーダーは、先頭を切った日本ビクターに続き1982年7月16日に発売した。

1990年前後は消費者より「松下さんのシャープ」と呼ばれ、シャープの新製品が売れず後から発売した松下電器(現パナソニック)の製品がヒット商品になることが常であったが、コードレスホン、ワードプロセッサ、電子手帳(後のZAURUS)など新製品で松下を凌ぐ製品を売り出すことに成功した。

組織[編集]

組織の特徴としては、「緊急開発プロジェクト制度(緊プロ)」という1977年に作られた制度がある。この制度では社長直轄で複数の部署から人材が集まり、技術や開発に当たるチームが結成される。この制度によって部門にとらわれない自由な発想の商品を生み出す事ができると言われた。緊プロでは「電子手帳(後にZAURUS)」が開発された。

企業スローガンは、「Be Original」(2016年11月 - )  である。それ以前は、コピーライターの前田知巳が書いた「目指してる、未来がちがう。」(2010年1月 - 2016年10月) を使用していた。1990年 - 2009年までは、同じくコピーライターの仲畑貴志が書いた「目の付けどころが、シャープでしょ。」を使用していた。1998年からの一時期は「シャープになろう!」や「液晶でトキメキのある生活」に変更していたが、「液晶のシャープ」の印象が定着し、キャッチコピーとしての役割を十分に果たした事から、2002年になって知名度・好感度共に高かった以前のキャッチコピー「目の付けどころが、シャープでしょ。」を復活させた。キャッチコピーは他にも「確かに、シャープだ」、「元気な携帯電話!」、「はじまりはいつも、シャープから」など多彩で製品により使い分けられているが、最近は省エネをアピールする製品が多いため「エコロジークラスでいきましょう。シャープ」がよく用いられる。また過去のスローガンには「New Life Now」(業務用製品では「New Business Now」。どちらも70年代後半〜80年代前半)「New Life SHARP」「New Life People」(どちらも80年代後半)が存在した。

三洋電機同様、博覧会への出展には消極的で、国際博覧会に出展したのは1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博、本社所在地の大阪市で開催)が唯一である。地方博を含めても1987年に本社がある阿倍野区に隣接する天王寺区で開催された天王寺博覧会のケースがあるのみである。大阪府吹田市で1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)にも出展していない(シャープが属する三和グループは日本万国博覧会に出展したが、シャープはその共同出展企業に名を連ねていない)。これは奈良県天理市の総合開発センター立ち上げを優先させたもので、「千里より天理」というフレーズで語られている。また、地球環境問題が主なテーマとなった2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛・地球博)への出展もなかった。太陽発電モジュールが設置された可能性はあるが発表されていない。

4代目社長の町田勝彦までは血縁者(会長、社長の娘婿)が歴代社長を務めていて「見えない血縁企業」と揶揄されていた。

工場[編集]

名阪国道および伊勢自動車道沿いに天理研究所と多気工場があり、亀山工場と併せて、液晶関連の主要拠点をなしている。近年では液晶テレビ専門工場であるシャープ亀山工場の所在地三重県亀山市に因んで「亀山産」の表記をしたところ安心感が買われ、爆発的に販売数を伸ばすなど地域名を活かした販売戦略でも名を馳せている(AQUOSのテレビCMなどで「世界の亀山モデル」を表記していた)。同工場の誘致にあたり、三重県90億円・亀山市45億円を15年分割で補助することになり、地方自治体による工場誘致政策に大きな影響を与えた(参考:クリスタルバレー構想)。2008年に入り液晶需要が減少すると、液晶生産を行う天理工場と多気工場の閉鎖と、それに伴う非正規従業員380名の削減を表明。12月12日の記者会見で、副社長井淵良明は「現在の市況の環境は厳しく、工場の再編に着手するには絶好のチャンスだ」と説明した。

しかし、2009年10月には、堺市に世界最大規模で第10世代マザーガラスに対応する液晶パネル工場を含む「グリーンフロント堺」を稼動させ、世界的に回復拡大する液晶関連需要に対応している。「グリーンフロント堺」には、旭硝子(現・AGC)、大日本印刷やコーニングなど液晶パネル関連部品を供給する企業19社も進出し、業種、業態を超えた「21世紀型コンビナート」を形成。高効率と省エネ、太陽光発電などによる「世界最先端環境工場」を謳っている。また、2010年3月には、同じ敷地内に薄膜シリコン太陽電池工場も稼動させ、急拡大が見込まれる世界的な太陽電池の需要拡大への対応を図っている。

代理店[編集]

RS Technologies、因幡電機産業 、明治電機工業 、菱洋エレクトロ 、スズデン 、鳥羽洋行等が上場している代理店である。

通常版[編集]

  • 2009年3月まで、地上波レギュラーで提供していたテレビ番組は「土曜プレミアム」(フジテレビ・筆頭スポンサー)と「報道ステーション」(テレビ朝日)の毎週月曜日のみであった(以前「大改造!!劇的ビフォーアフター」を提供していたが、ウッドワンの提供枠拡大と交換に一時毎週水曜日にも提供していたが、2006年3月末で一時降板)。しかし、2009年3月期の決算で業績を大幅に落としたため、「土曜プレミアム」・「報道ステーション」ともスポンサーを降板。
  • 一社提供枠消滅後、数年間はお正月3が日を中心に吉永小百合をCMタレントで起用した長秒CMだけを流していた時期もあったり、「NNNきょうの出来事」(日本テレビ)のスポンサーとして提供していた時期もあった(2002年頃 - 2004年3月)。フジテレビ系では、「クイズ!ヘキサゴンII」、「クイズ$ミリオネア」(PT扱い)などの番組で提供される。フジ系で30秒枠の場合、提供クレジットが表示されない事が多い。
  • 2009年4月からは当面スポットCMやPT(パーティシベーション)でCM契約を続け、2010年10月頃からは1年半ぶりのレギュラーとして、テレビ東京が放送する『ワールドビジネスサテライト』のスポンサーとなった。
  • スポットCMは2週間で集中的に放送されており、1週目は30秒で、2週目は15秒で放映されていることが多い(一部例外もあり)。
  • 2009年頃、佐藤隆太と水川あさみが登場するプラズマクラスターエアコンのCMで、放映時間が5秒という非常に短いものが放映されていた。
    • 5秒CMは、「本編1 → 民放各局のイベント等の宣伝(地上デジタルテレビ放送告知CMが中心) → 本編2」という、合計15秒構成で放送される。

特別版[編集]

  • 「納得コマーシャル 日本一短いクイズSHOW シャープに答えて!」(「納得コマーシャル シャープに答えて!」)
    • 『笑っていいとも!増刊号』(2003年4月〜2006年9月、フジテレビ系)、『笑っていいとも!』(2006年11月から金曜日、同)、土曜プレミアム(同)など一部の番組内においてクイズ番組形式の60秒(2003年4月〜2006年9月は90秒)CM「日本一短いクイズSHOW シャープに答えて!」が放送されていた。司会はラサール石井(ピンク)で、解答者は磯野貴理(赤)、伊集院光(オレンジ)、山口もえ(緑)、さまぁ〜ずの三村マサカズ(青)の4名(山口もえが産休の時は緑の席にさまぁ〜ずの大竹一樹がピンチヒッターとして登場する)。因みに後ろに居る観客席は48名。クイズ形式で自社の家電製品をプレゼンテーションする。内容は1カ月ごとに更新される。また、このCMの完全版はUSENが展開するパソコンテレビ『GyaO』のコンテンツの一つにもなっており、「日本一短いクイズSHOW シャープに答えて!オリジナル完パケ版」(放送時間5分)として随時更新されていた。ナレーターは真地勇志(2003年4月〜2005年3月は大森章督)。2008年10月からはハイビジョン製作。
  • 「日本一縦に長いクイズSHOW シャープに答えて!」(店頭限定)
    • 前述の応用編として、店頭向けにラサール石井と磯野貴理のみが登場するバージョンもある。タイトル通り、テレビを縦長にして映像を流している。こちらでは、最初にクイズが出されて(問題は紹介する商品に関連する物で4択)正解を発表した後、「日本一SHARPなタッチモニター」の磯野が司会のラサールに商品を説明する設定になっており、2007年3月現在は「愛情ホット庫搭載冷蔵庫編」「愛情Ag+ドラム洗濯機編」「愛情気流エアコン編」の3バージョンを一部家電店のシャープ商品設置コーナーで見ることができた。
  • 「シャープ なるほど劇場」
    • 2008年12月から出演は佐藤隆太、水川あさみの2人

提供番組[編集]

  • ZIP! - 日テレ系列・水曜7時最終ネットセールス枠

※上記以外にも、不定期・週替わりとして他の番組提供する事がある。

過去の提供番組[編集]

(1社提供・複数社提供含む)

  • 金の歌銀の歌 - 民放ラジオ局、テレビ局による企画ネット番組。
  • シャープ劇場 あしたは日曜日 - 日本テレビ系列
  • 薩摩飛脚 - ytv制作、日本テレビ系列
  • シャープクライマックス 人生はドラマだ - 日本テレビ系列
  • しゃっくり寛太→続しゃっくり寛太 - ytv制作、日本テレビ系列
  • うちの奥さん 隣のママさん - ytv制作、日本テレビ系列
  • 月曜スター劇場 - 日本テレビ系列
  • シャープコミカルス・ちゃりんぼ兄弟 - 関西テレビ製作・フジテレビ系全国ネット
  • みんなで夢を! - フジテレビ系列全国ネット
  • あなた出番です! - 日本テレビ系列全国ネット
  • まわる!まわる!クッキング - 毎日放送制作・TBS系列全国ネット
  • 水曜10時ドラマ (第1期) - 毎日放送全国ネット
  • 月曜ロードショー - TBS系列全国ネット
  • 水曜ロードショー - TBS系列全国ネット PT扱い後、提供クレジット表示
  • 土曜ワイド劇場 - テレビ朝日系列全国ネット
  • シャープ・スターアクション - 日本テレビ系列全国ネット
  • SHARPクイズでクイズ - 日本テレビ系列全国ネット
  • SHARPワールドドキュメント・世界のこれがNo'1 - 日本テレビ系列全国ネット
  • ワールドビジネスサテライト - テレビ東京系列ネット
  • パソコンサンデー - テレビ大阪制作、テレビ東京系列ネット
  • ist登場 - テレビ大阪制作、テレビ東京系列ネット
  • SHARPワールドクイズ・カンカンガク学 - 日本テレビ系列全国ネット
  • SMAP×SMAP - フジテレビ系列全国ネット
  • シャープと共に - ラジオ沖縄で放送された番組。系列家電卸売会社「沖縄シャープ電機」の一社提供
  • 報道ステーション - テレビ朝日系列全国ネット(木曜、以前は月曜に提供時期あり)
  • 平成仮面ライダーシリーズ - テレビ朝日系列全国ネット
  • バイキング-フジテレビ系列
  • JNNニュースの森(土曜日、1990年頃、PT) - TBS系列
  • FNNニュースレポート23:00(土曜日のみ23:30) - フジテレビ系列、PT

など多数。

企業キャラクター(マスコットキャラクター)[編集]

社名が早川電機だった昭和30年代に「シャープ坊や」がおり、シャープテレビの琺瑯看板やカタログに登場していたが間も無く姿を消した。1990年代より「リッキーくん」というキャラクターが登場し、2003年頃に方針の変更により表舞台から姿を消したが、その後もメビウスのマニュアルやEVAアニメータなどで姿を確認する事ができる。因みに父親や母親などの家族も設定されていた。



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