サハラ砂漠
サハラ砂漠(サハラさばく、الصحراء الكبرى, al-Ṣaḥrāʾ al-Kubrā, アッ=サフラー・アル=クブラー)または単にサハラ は、アフリカ大陸北部にある砂漠で、氷雪気候の南極を除くと世界最大級の砂漠である。
南北1,700キロメートルにわたる。面積は約1,000万平方キロメートルであり、アフリカ大陸の3分の1近くを占め、アメリカ合衆国とほぼ同じ面積である。
名称[編集]
サハラは「砂漠」を意味するアラビア語の女性名詞名詞 صَحْرَاءُ(文語アラビア語休止形発音:ṣaḥrāʾ, サフラーッ/サハラーッ・サフラーゥ/サハラーゥ・サフラーァ/サハラーァを混ぜたような発音、口語アラビア語発音:ṣaḥrā, サフラー/サハラー ないし ṣaḥra, サフラ/サハラ)が由来である。
元来アラビア語辞典で
- 岩石の無い柔らかもしくは粗く平坦な場所(اَلْمُسْتَوِيَةُ فِي لِينٍ وغِلَظٍ دُونَ الْقُفِّ, al-mustawiya(h) fī līn wa-ghilaẓ dūna al-quff, アル=ムスタウィヤ・フィー・リーン・ワ・ギラズ・ドゥーナ・アル=クッフ)
- 何も無い広大な場所、広大なる空虚(اَلْفَضَاء الْوَاسِع, al-faḍāʾ al-wāsiʿ, アル=ファダー・アル=ワースィウ)
- 植物が全く生えていない何も無い広大な場所、広大なる空虚(اَلْفَضَاءُ الْوَاسِعُ لَا نَبَاتَ بِهِ, al-faḍāʾ al-wāsiʿ lā nabāt bi-hi, アル=ファダー・アル=ワースィウ・ラー・ナバート・ビ・ヒ)」
などと定義されてきた空間のことで、具体的には「砂漠」「土漠」を意味。特に北アフリカなどでは日常的にサハラ砂漠を指すことから、そのまま固有名詞としてヨーロッパの言語に定着した。
アラビア語で明示的にサハラ砂漠を指す時には最上級の形容詞「最も大きな、最大の(كُبْرَى, kubrā)」を後置修飾させ、اَلصَّحْرَاءُ الْكُبْرَى(転写:al-ṣaḥrāʾ al-kubrā, アッ=サフラー・アル=クブラー、実際の発音:ʾaṣ-ṣaḥrāʾu-l-kubrā, アッ=サフラーウ・ル=クブラー、直訳は「最大なる砂漠」)としたものが砂漠の名称として用いられている。
このように名称自体に「砂漠」の意味を含むことから、英語やフランス語では砂漠を意味する語(Desert/Désert)は添えず、単に The Sahara、Le Sahara と呼ぶのが正式である。
慣用的に日本語では「サハラ砂漠」、英語では「Sahara desert」などと呼びならわしているが、これらはいずれも「砂漠砂漠」となる重言に当たる。
概要[編集]
サハラ砂漠全体の人口は約2,500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住む。サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットである。そのほかに重要な都市としては、ヌアディブー、タマンラセト、アガデズ、セブハ、インサラーが挙げられる。
サハラ砂漠は大西洋に接する。東側はエジプトに面し、スーダンとニジェール川を南の境とする。標高300メートル程度の台地が広がり、中央部にはホガール山地(アルジェリア南部)、アイル山地(ニジェール北部)、ティベスティ山地(チャド北部)がある。サハラ砂漠の最高点は、ティベスティ山地のエミクーシ山(3,415メートル)である。約70パーセントは礫砂漠で、残りが砂砂漠と山岳・岩石砂漠である。
サハラ砂漠は、アフリカ大陸を北アフリカとサブサハラ(サハラ以南)に分割している。2つの地域は気候の上でも文化の上でも大幅に異なっている。サハラ砂漠より北は地中海性気候であるのに対し、砂漠の中は砂漠気候(BWh)である。一方、砂漠の南端はステップ気候帯に隣接している。南部限界は、年150ミリの降水量線に相当している。
サハラ砂漠の成因はハドレー循環による北緯20度から30度にかけての亜熱帯高圧帯の直下に位置し、年中アゾレス高気圧に覆われることによって降雨が起こらないことである。インドや中国南部のようにこの緯度にあっても地形の関係で大量の降雨がある地域もあるが、サハラ砂漠はアジアのヒマラヤ山脈のような広域気象に影響を与えるような大山脈が存在せず、北のアトラス山脈を除いてはほぼ平坦な地形であることから緯度がそのまま乾燥度に関係し、広大な砂漠を形成している。しかし、亜熱帯高圧帯は地球全体の気象の変化によって数千年単位で北上・南下を繰り返すため、過去には何度も湿潤地帯となったことがあった。
資源[編集]
サハラ砂漠はさほど鉱物資源の多い地域ではないが、それでもいくつかの大規模鉱山が存在する。もっとも豊富で価値のある資源は石油である。特に砂漠北部のアルジェリアとリビアには豊富な石油と天然ガスが埋蔵されており、アルジェリアのハシメサウド油田やハシルメルガス田、リビアのゼルテン油田、サリール油田、アマル油田などの巨大油田が開発され、両国の経済を支えている。
また、モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵されている。西サハラのブーカラーで採掘されるリン鉱石は、全長約90キロメートル以上のベルトコンベアーで首都アイウンまで運ばれ、船に積み込まれる。この採掘は、全域が砂漠の西サハラにおいて最大の産業となっている。
このほか、砂漠西部のモーリタニア北部、ズエラットには巨大な鉄鉱床が存在し、ここで採掘される鉄鉱石は近年大西洋沖合いにて石油が発見されるまでモーリタニア経済の柱となってきた。
また、砂漠中央部、ニジェール領アーリットにはウランの鉱床があり、アクータ鉱山とアーリット鉱山の2つの鉱山が開発されて、ほかに見るべき産物のないニジェール経済の牽引車となってきた。
北東部のリビア砂漠においては、リビアングラスという天然ガラスが埋蔵され、古代エジプト時代より宝石として珍重されてきた。また、サハラ北部には砂漠のバラが多数存在し、土産物となっている。
歴史上においては、サハラ砂漠でもっとも貴重な鉱物は塩であった。1030年ごろ、現在のマリの最北端にタガザ塩鉱が開かれ、サハラ交易の最重要拠点のひとつとなり、ここをめぐってモロッコのサアド朝がタガザの支配権を握っていたソンガイ帝国を滅ぼしている。タガザ塩鉱はこのころには枯渇していたが、その160キロ南にあるタウデニの塩鉱が代わって開かれ、現在でも重要な塩の産地となっている。タウデニから南のトンブクトゥまでは、現在でもラクダのキャラバンによって塩の板が運ばれていく。
サハラ砂漠においてもっとも希少な資源は水であるが、サハラは数千年前までは湿潤な土地であり、そのころに蓄積された化石水が地底奥深くに眠っている。それに目をつけたのがリビアのカダフィ大佐であり、1984年にリビア大人工河川計画を発表した。これはフェザーンやキレナイカ南部の化石水をくみ上げてトリポリやベンガジといった海岸部の大都市に供給するものであり、計画は一部完成して1993年にはベンガジに、1996年にはトリポリに送水が開始された。しかし、この化石水は現在の気候条件下では再生不可能なものであり、使用しきってしまえば一瞬にして無用の長物と化すため、浪費であるとの批判もある。また、地下帯水層の枯渇によってリビア南部のオアシスに重大な影響が出る恐れがあるなど、環境破壊の観点からも批判がある。