コネチカット州
コネチカット州(コネチカットしゅう、英: State of Connecticutは、アメリカ合衆国北東部にあるニューイングランド地方では最南の州。州の北はマサチューセッツ州に接し、東はロードアイランド州に、西はニューヨーク州、南は大西洋に続くロングアイランド湾に接している。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。日本語ではコネティカット州と書く場合もある。
概要[編集]
州都は保険の首都というニックネームを持つハートフォードだが、人口ではブリッジポート市が最多である。州の南部と西部はニューヨーク大都市圏に入っている。州内8郡のうち3郡は統計上ニューヨーク広域都市圏に含まれている。この広域都市圏は3州地域とも呼ばれる。コネチカット州の人口重心は、ニューヘイブン郡のチェシャーにあり、その地点も3州地域に含まれている。
州名は、州をほぼ東西に二分するコネチカット川から採られており、「コネチカット」という言葉はこの地に先住したモヒガン族の言葉で、「長い川が流れる土地(Quinnehtukqut)」という意味である。
アメリカ合衆国50州の中で、人口では第29位だが、陸地面積では第48位(ロードアイランド州、デラウェア州に次いで3番目に小さい)であり、人口密度はニュージャージー州、ロードアイランド州、マサチューセッツ州に次いで第4位である。世帯当たり収入の中央値では第2位である。ニックネームは「憲法の州」、「ナツメグの州」、「堅い習慣の土地」と呼ばれ、アメリカ合衆国連邦政府の発展に大きな影響を残した。
コネチカットとなった領域に最初に入ったヨーロッパ人はオランダ人であり、パーク川とコネチカット川の合流点、現在のハートフォードにフープ砦と呼ぶ小さな短命の開拓地を造った。当初、コネチカットの半分は、コネチカット川からデラウェア川までの大半を含むオランダ領ニューネーデルラントに属していた。
最初にできた大きな開拓地は1630年代のイングランドによるものだった。トマス・フッカーがマサチューセッツ湾植民地から1隊の追随者を陸路率いてきて、後にコネチカット植民地となるものを設立した。マサチューセッツからは別の開拓者がセイブルック植民地やニューヘイブン植民地を築いた。コネチカットとニューヘイブン両植民地は「基本的秩序」という文書を作成しており、これらは北アメリカで最初の憲法と考えられている。1662年、3つの植民地は王室チャーターの下に合併し、コネチカットを王室領植民地とした。
コネチカット川、テムズ川およびロングアイランド湾沿いの港によって強力な海洋国家が作られ、今日に至っている。その他の伝統的な産業は金融業であり、ハートフォードの保険会社やフェアフィールド郡のヘッジファンドが著名である。2010年国勢調査で、国内でも最大の一人当たり年収、0.962という高い人間開発指数、最大の世帯当たり収入中央値を示していた。コネチカットは大半の指標で裕福な州だが、都市部と郊外部の収入格差が広がっている。
重要な都市と町[編集]
都市・町名の後の数字は2020年国勢調査による人口(人)
人口50,000人以上の都市
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人口50,000人以上の町
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経済[編集]
アメリカ合衆国商務省経済分析局はコネチカット州の2010年総生産が2,370億米ドルだったと推計している。2007年の一人当たり年収は64,833米ドルであり、国内第4位だった(上位はワシントンD.C.、デラウェア州、アラスカ州)。しかし州全体では所得格差が大きい。ニューケイナンは国内でも所得が高い町だが、ハートフォードは低い方の10傑に入る都市である。ブリッジポート、ニューヘイブンなどと同様、ハートフォードは裕福な郊外に囲まれている。2011年8月時点で州内の失業率は9.0%だった。
ニューケイナンの一人当たり年収は85,459米ドルと州内最高であり、ダリアン、グリニッジ、ウェストン、ウェストポート、ウィルトンも65,000米ドル以上となっている。ハートフォードの一人当たり年収は2000年で13,428米ドルと州内最低だった。州東部には収入の低いブルーカラーの町がある。
主な会社など[編集]
コネチカット州に本拠地のある企業には以下のものがある。
- 上場企業
- ゼネラル・エレクトリック(NYSE: GE)
- ゼロックス(NYSE: XRX)
- ハートフォード生命保険(NYSE: HIG)
- ブッキング・ホールディングス(NASDAQ: BKNG)
- 非上場企業
- ESPN
- サブウェイ
- シコルスキー・エアクラフト
- ワールド・レスリング・エンターテイメント
税[編集]
コネチカット州は1991年まで投資のみに所得税が掛かった。被雇用者の収入は非課税だが、投資からの収入には13%が課され、国内最高だった。借入金に対する支払利子など投資のコストは控除されなかった。
1991年、独立党の州知事ローウェル・P・ワイカー・ジュニアがこの税制を変更し、被雇用者の収入も投資の収入も一律最大4%とした。このときからグリニッジはアメリカ最大の多くのヘッジファンドの拠点になった。2011年時点で所得税は3%から6.7%までの6段階累進課税となっている。州民が得た賃金は、それが州外から稼いだものでも所得税の対象になる。しかし、他州で課される税額をコネチカット州の税額が超えるときのみ課税される。ニューヨーク州やマサチューセッツ州はコネチカット州より税率が高いので、他州で働く州民はコネチカット州の所得税を払わなくて済むことになる。コネチカット州は他州に支払った税の控除を認めているが、他州で支払った税額がコネチカット州の税額を超えない場合はコネチカット州の所得税を支払わなければならない。
消費税は6.35%であり、大半の商品の販売、リース、レンタルに課される。特定商品とサービスは、法によって課税対象とされていない限り免税である。50米ドル未満の衣類は免税だったが2011年7月に撤廃された。地方政府が消費税を付加することはない。夏季に、学校へ戻る子供達を支援するために、特定アイテムと量の衣料は1週間のみ非課税である。
州内にある全ての不動産個人資産は、法によって免税とされない限り資産税の対象である。評価額は公平市場価値の70%である。ただし、地方政府からさらに20%が加算されることもある。最大控除額は500米ドルであり、過剰額が返還されたり先送りされたりすることはない。税務基金に拠れば、2010年国勢調査で、コネチカット州民はニュージャージー州に次いで2番目に高い資産税を支払っている。
不動産[編集]
コネチカット州の住宅は高低の差が広いが、中央値は約226,000米ドルである。例えばフェアフィールド郡の住宅価格中央値は約37万米ドルである。北東部では最も数百万ドルの住宅が多く、国内ではカリフォルニア州に次いで多い。2003年で100万ドルを超える住宅は3.3%だった。
産業[編集]
州内の農水産物としては、苗、卵、ハマグリとロブスター(甲殻類)、酪製品、牛、タバコがある。工業製品としては輸送機器、特にヘリコプター、航空機部品、原子力潜水艦、重工業機械と電気機器、兵器、加工金属製品、化学品と薬品、計測機器がある。昔から銃製造の中心地であり、2012年12月時点で銃メーカー4社、すなわちコルト、スタッグ、ルガー、モスバーグがあり、2,000人を雇用し、操業を続けている。レミントンが所有していたマーリンは2011年4月に閉鎖された。
州内で航空産業が盛んなので、州の公式航空機はF4U コルセア、公式飛行機パイオニアはイーゴリ・シコールスキイになっている。1901年にブリッジポート市で動力飛行をおこなったグスターヴ・ホワイトヘッドは「コネチカット航空術の父」と認定されている。1964年8月15日(ホワイトヘッドの墓に記念の墓石を置いたとき)、また1968年8月14日(ホワイトヘッドの最初の動力飛行の日を認定するために)、ジョン・デンプシー州知事が「グスタブ・ホワイトヘッドの日」を宣言した。
コネチカット州の海岸町では牡蠣が重要な収入源だった。19世紀、ニューヘイブン、ブリッジポート、ノーウォークで牡蠣漁が最盛期となり、近くの町でもそこそこの成功を収めた。1911年、牡蠣の生産量がピークとなり、牡蠣の肉だけで年間2,500万ポンド (11,000 トン) 近くになった。当時はニューヨーク州、ロードアイランド州、マサチューセッツ州の生産高よりも多かった。このころ、コネチカット州の海岸は「世界の牡蠣の首都」と呼ばれた。1969年まで、第一次世界大戦前に成立したコネチカット州法で、州が所有する岩礁での牡蠣収穫量を制限していた。この法によってスループ船の建造が促進された。1948年にグリニッジで建造されたスループ船ホープは、コネチカット州で建造された最後の牡蠣用スループ船と見られている。
2006年12月7日にコネチカット州文化観光委員会が発行した報告書では、芸術、映画、歴史観光で生みだされた経済効果は140億米ドル以上となり、年間17万人の職を維持していた。このことで個人所得に90億米ドル、州や地方政府の歳入に17億米ドルが入った。