クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド(Clint Eastwood, 1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国出身の俳優、映画監督、映画プロデューサー、作曲家、元政治家。
俳優として数多くの西部劇やアクション映画に出演。自身最大の当たり役であるハリー・キャラハン役を演じた『ダーティハリー』シリーズでスーパースターの地位を不動のものとした。監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を2度受賞するなど、ハリウッドで長年活躍してきた俳優、映画監督である。また、カリフォルニア州カーメル市市長を1期(2年間)務めた。
来歴[編集]
幼少期[編集]
カリフォルニア州サンフランシスコのサンフランシスコ記念病院(英語版)で、クリントン・イーストウッド・シニアとマーガレット・ルースの息子として生まれる。体重が5.16キログラムの大きな赤ん坊だったため、看護師たちから「サムソン」と名付けられた。イーストウッドはイングランド・アイルランド・スコットランド・オランダの血を引いている。国勢調査の記録によると、父クリントン・シニアは1930年代に西海岸の各地で、セールスマンや探偵などの仕事を転々としながら家族を養っていたという。1940年にイーストウッド家はサンフランシスコ郡ピートモンドに移住し、イーストウッドが成人するまで同地で生活した。イーストウッドはインタビューで、世界恐慌を引き合いに出して幼少期の生活が苦しかったことを度々示唆しているが、ソンドラ・ロックはこれに対して「彼の家は決して貧しくはありませんでした。イーストウッド家は町の豊かな地区に暮らし、家にはプールがあり、家族一人一人が車を所有しており、カントリークラブにも加入していました」と主張している。
イーストウッドは、成績不良でサマースクールに通う必要があったという。彼は運動能力と音楽の才能は高く評価されていたが、成績不振のために転校を余儀なくされている。学校ではバスケットボール選手としての能力を期待されるほどだったが、イーストウッド自身はテニスやゴルフなどの個人競技に興味があり、現在でもこれらを趣味としている。オークランド・テクニカル・ハイスクール(英語版)に転校したイーストウッドは、そこで教師から演劇サークルに参加するように勧められたが、彼は演劇に興味がなかったため断っている。イーストウッドは、この頃は「速い車と尻軽女にしか興味がなかった」と語っている。ハイスクールでは自動車整備コースを受講し、自動車と航空機のエンジンの組み立てと航空機のメンテナンスを研究していた。イーストウッドは1949年1月に卒業する予定だったが、実際に卒業したかは不明である。伝記作家のパトリック・マクギリガン(英語版)は、「卒業記録は厳格な守秘義務に守られている」と述べている。イーストウッドの友人たちも「彼が学校の中で過ごしていたとは思わない。彼は他の場所で楽しい時間を過ごしていた」「彼が卒業したとは思えない」と語っている。
叙勲[編集]
2007年2月17日、監督としての功績が認められ、フランス大統領ジャック・シラクからレジオンドヌール勲章を授与された。また2009年4月29日、「春の外国人叙勲」で日本国政府より「映画製作を通じた日本とアメリカ合衆国との相互理解の促進に寄与」とした功績により、旭日中綬章を授与された。
私生活・その他[編集]
- 1997年にファッションブランド「テハマ」(アメリカ・インディアンの言語で「大自然」の意と宣伝しているが、由来については異論もある)を共同経営者名義で設立。同名のゴルフコースも所有している。2003年から住友商事㈱が日本、アジアでのブランド使用ライセンス契約を締結し、日本全国の「洋服の青山」でメンズスーツ、カジュアルウエア等が販売が行われた。店頭では映画『ミリオンダラー・ベイビー』のプロモーションが行われるなど、ファッションと映画の共同プロモーションという試みも行われた。
- 自分の監督作品で、2年連続でアカデミー賞・助演男優賞受賞者を輩出した。『ミスティック・リバー』のティム・ロビンス(第76回・2003年)と、『ミリオンダラー・ベイビー』のモーガン・フリーマン(第77回・2004年)である。
- 1953年に結婚したマギー・ジョンスン(1985年離婚)との間に1男1女をもうけ(兄のカイル・イーストウッドはジャズミュージシャン、妹のアリソン・イーストウッドはモデル・女優)、1954年生まれで実質"長女"となるローリー・マレー(ローリー・イーストウッドとも)、フランシス・フィッシャーとの間に1女(フランチェスカ、1993年生まれ)、二度目の妻ディナ・ルイス(2013年離婚)との間に1女(モーガン、1996年生まれ)、婚外子としてロクサンヌ・トゥニスとの間に1女(キンバー・リン、1964年生まれ)、ジョスリン・リーヴスとの間に1男1女(息子は俳優のスコット・リーヴス)、と合計6人の女性との間に8人の子供がいるとされる。1996年のディナ・ルイスとの再婚の際は、初婚のときに生まれた娘と同年代だということで話題になった。愛人だったソンドラ・ロックから慰謝料を求める訴訟を起こされたり、誹謗に満ちた自伝を出版されたりしたこともマスコミを賑わせた。
- また健康に関して熱心であり、これまでの人生で映画の役柄以外では一切タバコを吸わない。1970年頃から超越瞑想(TM瞑想)を毎日行っている。また食事では野菜類を用いたダイエットを長年継続しており、スプラウトなど、多種類の野菜や果物や豆腐、その他大豆製品を多く摂ることを心がけているという。
- 2013年に離婚した二度目の妻であるディナ・イーストウッド(旧姓ルイス)は、父がアフリカ系アメリカ人と日本人の、母がアイルランド・イングランド・ドイツの血を引く。
- カンヌ国際映画祭で黒澤明監督の『夢』の上映の際、会場に入ろうとした黒澤に対し突然群衆の中から現れ、「mr.kurosawa」と言いながら頬にキスをし、「あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を告げたという。これはデビュー作となった『荒野の用心棒』が『用心棒』の非公式なリメイクであったことが関係している。
- 2012年、イーストウッド一家を追ったリアリティ番組Mrs. Eastwood & Companyが放映された。
- ジャズに対する造詣が深く、ジャズの巨匠であるチャーリー・パーカーを題材とした『バード』を監督、プロデューサーとして『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』を製作している。イーストウッド家は代々ジャズを嗜好しており、クリントの祖母の代から始まり、クリントの息子カイル・イーストウッドはジャズ・ベーシストとして活躍している。また彼は、キャリア初期から時折ではあるが、歌手としてレコードを出したり、出演作品の中で、その歌声を披露している。1984年頃からは、彼が作曲したスコアを自身の映画で使用しており、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』などでは、音楽担当のクレジットにもその名を連ねている。『さよなら。いつかわかること』では初めて音楽のみを担当した。
- クリント・イーストウッド・ディスコグラフィ
主な出演・監督・製作作品[編集]
★印はセルジオ・レオーネ監督作品。☆印はドン・シーゲル監督作品。
公開年 | 日本語題 | 原題 | 役職 | 日本語吹替 | 備考 | |||
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監督 | 製作 | 音楽 | 出演 | |||||
1959年–1965年 | ローハイド | Rawhide | ○ | 山田康雄(NETテレビ版) | テレビドラマ | |||
1964年 | 荒野の用心棒 | 伊: Per un pugno di Dollari
英: A Fistful of Dollars |
○ | 納谷悟朗(NETテレビ版)
夏八木勲(TBS旧録版) 山田康雄(TBS新録版) 山田康雄(テレビ朝日版) 多田野曜平(完声版追録部分) |
★ | |||
1965年 | 夕陽のガンマン | 伊: Per qualche Dollaro in più
英: For a Few Dollars More |
○ | 山田康雄(NETテレビ版)
多田野曜平(完声版追録部分) 山路和弘(DVD版) |
★ | |||
1966年 | 続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 | 伊: Il buono, il brutto, il cattivo
英: The Good, The Bad and The Ugly |
○ | 山田康雄(NETテレビ版)
多田野曜平(完声版追録部分) |
★ | |||
1967年 | 華やかな魔女たち | 伊: Le Streghe
仏: Les Sorcières : segment "Una serata come le altre" |
○ | 山田康雄(TBS版) | オムニバス映画
第5話「またもやいつもの通りの夜」 | |||
1968年 | 奴らを高く吊るせ! | Hang 'em High | ○ | 山田康雄(NETテレビ版) | ||||
マンハッタン無宿 | Coogan's Bluff | ○ | 山田康雄(フジテレビ版)
山田康雄(日本テレビ版) |
☆ | ||||
荒鷲の要塞 | Where Eagles Dare | ○ | 山田康雄(日本テレビ旧版)
山田康雄(日本テレビ新版) 多田野曜平(吹替追録版) |
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1969年 | ペンチャー・ワゴン | Paint Your Wagon | ○ | ○ | 山田康雄 | |||
1970年 | 真昼の死闘 | Two Mules for Sister Sara | ○ | 山田康雄(NETテレビ版)
山田康雄(東京12ch版) |
☆ | |||
戦略大作戦 | Kelly's Heroes | ○ | 山田康雄(フジテレビ版)
多田野曜平(吹替完全版) |
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1971年 | 白い肌の異常な夜 | The Beguiled | ○ | 山田康雄(日本テレビ版)
山田康雄(テレビ東京版) 多田野曜平(VOD版) |
☆ | |||
恐怖のメロディ | Play Misty for Me | ○ | ○ | 山田康雄(日本テレビ版) | ||||
ダーティハリー | Dirty Harry | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版)
多田野曜平(追加録音版) |
☆ | ||||
1972年 | シノーラ | Joe Kidd | ○ | 山田康雄(日本テレビ版) | ||||
1973年 | 荒野のストレンジャー | High Plains Drifter | ○ | ○ | 山田康雄(NETテレビ旧版)
山田康雄(日本テレビ版) |
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愛のそよ風 | Breezy | ○ | ○ | クレジットなし | ||||
ダーティハリー2 | Magnum Force | ○ | 山田康雄(フジテレビ版)
山田康雄(テレビ朝日版) 多田野曜平(追加録音版) |
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1974年 | サンダーボルト | Thunderbolt and Lightfoot | ○ | 山田康雄(TBS版)
山田康雄(機内上映版) |
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1975年 | アイガー・サンクション | The Eiger Sanction | ○ | ○ | 山田康雄(フジテレビ版) | |||
1976年 | アウトロー | The Outlaw Josey Wales | ○ | ○ | 山田康雄(TBS版)
山田康雄(テレビ朝日版) |
|||
ダーティハリー3 | The Enforcer | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版)
多田野曜平(追加録音版) |
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1977年 | ガントレット | The Gauntlet | ○ | ○ | 山田康雄(フジテレビ版) | |||
1978年 | ダーティファイター | Every Which Way But Loose | ○ | 山田康雄(日本テレビ版) | ||||
1979年 | アルカトラズからの脱出 | Escape from Alcatraz | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版)
山路和弘(VOD版) |
☆ | |||
1980年 | ダーティファイター 燃えよ鉄拳 | Any Which Way You Can | ○ | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版) | 挿入歌「Beers to You」
レイ・チャールズとのデュエット | ||
ブロンコ・ビリー | Bronco Billy | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版) | 挿入歌「バールーム・バディーズ」
マール・ハガードとデュエット | ||
1982年 | ファイヤーフォックス | Firefox | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(テレビ朝日版)
山田康雄(TBS版) |
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センチメンタル・アドベンチャー | Honkytonk Man | ○ | ○ | ○ | ○ | 津嘉山正種(テレビ版) | ||
1983年 | ダーティハリー4 | Sudden Impact | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(TBS版)
多田野曜平(追加録音版) |
イメージソング「Go Ahead Make My Day」
T.G.シェパードとのデュエット | |
1984年 | タイトロープ | Tightrope | ○ | ○ | 山田康雄(フジテレビ版)
山田康雄(テレビ朝日版) |
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シティヒート | City Heat | ○ | ○ | 山田康雄(フジテレビ版)
山田康雄(テレビ朝日版) |
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1985年 | 世にも不思議なアメージング・ストーリー | Amazing Stories: segment "Vanessa in the Garden" | ○ | N/A | テレビシリーズ
シーズン1 第12話「ヴァネッサの肖像」 | |||
ペイルライダー | Pale Rider | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(TBS版) | |||
1986年 | ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 | Heartbreak Ridge | ○ | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(TBS版)
山田康雄(テレビ朝日版) |
|
1988年 | ダーティハリー5 | The Dead Pool | ○ | 山田康雄(TBS版) | ||||
バード | Bird | ○ | ○ | N/A | ||||
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー | Thelonious Monk: Straight, No Chaser | ○ | N/A | セロニアス・モンクの記録映画 | ||||
1989年 | ピンク・キャデラック | Pink Cadillac | ○ | 山田康雄(ソフト版)
山田康雄(TBS版) 納谷六朗(機内上映版) |
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1990年 | ホワイトハンター ブラックハート | White Hunter Black Heart | ○ | ○ | ○ | 山田康雄 | ||
ルーキー | The Rookie | ○ | ○ | 山田康雄(ソフト版)
山田康雄(TBS版) |
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1992年 | 許されざる者 | Unforgiven | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(ソフト版)
瑳川哲朗(テレビ朝日版) |
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1993年 | ザ・シークレット・サービス | In the Line of Fire | ○ | 山田康雄(ソフト版)
野沢那智(テレビ朝日版) |
||||
パーフェクト・ワールド | A Perfect World | ○ | ○ | ○ | 山田康雄(ソフト版)
黒沢年雄(テレビ東京版) |
|||
1995年 | キャスパー | Casper | ○ | 後藤哲夫(DVD・BD版)
仲野裕(VHS版) TBA(日本テレビ版) |
カメオ出演 | |||
マディソン郡の橋 | The Bridges of Madison County | ○ | ○ | ○ | ○ | 夏八木勲(ソフト版)
伊藤孝雄(日本テレビ版) |
||
ヘンリエッタに降る星 | The Stars Fell on Henrietta | ○ | N/A | |||||
1997年 | 真夜中のサバナ | Midnight in the Garden of Good and Evil | ○ | ○ | N/A | |||
目撃 | Absolute Power | ○ | ○ | ○ | ○ | 納谷悟朗(ソフト版)
野沢那智(テレビ朝日版) |
||
1999年 | トゥルー・クライム | True Crime | ○ | ○ | ○ | ○ | 小林清志(ソフト版)
野沢那智(日本テレビ版) |
主題歌「ホワイ・シュッド・アイ・ケア」作曲 |
2000年 | スペース カウボーイ | Space Cowboys | ○ | ○ | ○ | 小林清志(ソフト版)
野沢那智(日本テレビ版) |
||
2002年 | ブラッド・ワーク | Blood Work | ○ | ○ | ○ | 小林清志(ソフト版)
瑳川哲朗(テレビ東京版) |
||
2003年 | ミスティック・リバー | Mystic River | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
ピアノ・ブルース | Piano Blues | ○ | ○ | N/A | テレビミニ・シリーズ | |||
2004年 | ミリオンダラー・ベイビー | Million Dollar Baby | ○ | ○ | ○ | ○ | N/A | |
2006年 | 父親たちの星条旗 | Flags of Our Fathers | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
硫黄島からの手紙 | Letters from Iwo Jima | ○ | ○ | N/A | ||||
2007年 | さよなら。いつかわかること | Grace is Gone | ○ | N/A | 音楽・主題歌のみ担当 | |||
2008年 | チェンジリング | Changeling | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
グラン・トリノ | Gran Torino | ○ | ○ | ○ | ○ | 滝田裕介 | ||
2009年 | インビクタス/負けざる者たち | Invictus | ○ | ○ | N/A | |||
2010年 | ヒア アフター | Hereafter | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
2011年 | J・エドガー | J. Edgar | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
2012年 | 人生の特等席 | Trouble with the Curve | ○ | ○ | 納谷六朗 | |||
2014年 | ジャージー・ボーイズ | Jersey Boys | ○ | N/A | 劇中でローハイドが放送されているテレビ画面にイーストウッドが映る形でカメオ出演している。 | |||
アメリカン・スナイパー | American Sniper | ○ | ○ | ○ | N/A | |||
2016年 | ハドソン川の奇跡 | Sully | ○ | ○ | ○ | N/A | ||
2017年 | 15時17分、パリ行き | The 15:17 to Paris | ○ | ○ | N/A | 「タリス銃乱射事件」の映画化 | ||
2018年 | 運び屋 | The Mule | ○ | ○ | ○ | 多田野曜平(ソフト版)
伊武雅刀(BSテレ東版) |
||
2019年 | リチャード・ジュエル | Richard Jewell | ○ | ○ | N/A | |||
2021年 | クライ・マッチョ | Cry Macho | ○ | ○ | ○ | 多田野曜平 | ||
TBA | Juror #2 | ◯ | 引退作 |
- I 演奏者で参加
- II 作詞で参加
- III 作曲で参加
- IV 音楽を担当
端役出演作品[編集]
1954年
- 『半魚人の逆襲/REVENGE OF THE CREATURE』...研究員ジェニングス役(uncredited)◇俳優デビュー <DVD化>
1955年
- TV.movie『Allen in Movieland』...Orderly役
- 『Francis in the Navy』...水夫ジョネシー役
- 『Lady Godiva of Coventry』...サクソン人役(uncredited)
- 『世紀の怪物/タランチュラの襲撃/TARANTULA!』...空軍戦闘機の隊長役(uncredited)<DVD化>
1956年
- 『Never Say Goodbye』...X線研究所の助手役(uncredited)
- TV『ハイウェイ・パトロール Season1:#27.Motorcycle A』
- 『Star in the Dust』...牧童役(uncredited)
- 『最初の女セールスマン/THE FIRST TRAVELING SALESLADY』...兵隊ジャック・ライス役
- 『全艦発進せよ/Away All Boats』軍医兵役(uncredited)
- TV『Death Valley Days Season5:#07.The Last Letter』
- 『底抜け西部へ行く/PARDNERS』...町の青年役 ◇「夕陽のガンマン」コンビ、リーバン・V・クリーフも脇役出演。
1957年
- TV『West Point Season1:#22.White Fury』
- 『二人の可愛い逃亡者/ESCAPADE IN JAPAN』...パイロット:ダンボ役
- TV『Navy Log Season3:#17.The Lonely Watch』
1958年
- 『壮烈!外人部隊/LAFAYETTE ESCADRILLE』...パイロット役
- 『Ambush at Cimarron Pass』...キース・ウィリアムズ役
1959年
- TV『マーベリック Season2:#19.Duel at Sundown』
1962年
- TV『ミスター・エド Season2:#25.Clint Eastwood Meets Mister Ed』
受賞歴[編集]
賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
---|---|---|---|---|
ゴールデングローブ賞 | 1970年 | ヘンリエッタ賞 | - | 受賞 |
1987年 | セシル・B・デミル賞 | - | 受賞 | |
1988年 | 監督賞 | 『バード』 | 受賞 | |
1992年 | 作品賞 (ドラマ部門) | 『許されざる者』 | ノミネート | |
監督賞 | 受賞 | |||
2003年 | 作品賞 (ドラマ部門) | 『ミスティック・リバー』 | ノミネート | |
監督賞 | ノミネート | |||
2004年 | 作品賞 (ドラマ部門) | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | ノミネート | |
監督賞 | 受賞 | |||
作曲賞 | ノミネート | |||
2006年 | 監督賞 | 『父親たちの星条旗』 | ノミネート | |
『硫黄島からの手紙』 | ノミネート | |||
外国語映画賞 | 受賞 | |||
2007年 | 作曲賞 | 『さよなら。いつかわかること』 | ノミネート | |
2008年 | 作曲賞 | 『チェンジリング』 | ノミネート | |
2009年 | 監督賞 | 『インビクタス/負けざる者たち』 | ノミネート | |
カンヌ国際映画祭 | 1988年 | フランス映画高等技術委員会賞 | 『バード』 | 受賞 |
2003年 | 金の馬車賞 | - | 受賞 | |
2008年 | 特別賞 | - | 受賞 | |
2009年 | パルム・ドール・ドヌール | - | 受賞 | |
ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1988年 | 監督賞 | 『バード』 | 次点 |
1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 次点 | |
監督賞 | 次点 | |||
2003年 | 作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | 次点 | |
2004年 | 作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 次点 | |
監督賞 | 受賞 | |||
主演男優賞 | 次点 | |||
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 次点 | |
2008年 | 主演男優賞 | 『グラン・トリノ』 | 次点 | |
セザール賞 | 1989年 | 外国映画賞 | 『バード』 | ノミネート |
1996年 | 外国映画賞 | 『マディソン郡の橋』 | ノミネート | |
1998年 | 名誉賞 | - | 受賞 | |
2004年 | 外国映画賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
2006年 | 外国映画賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
2010年 | 外国映画賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2011年 | 外国映画賞 | 『インビクタス/負けざる者たち』 | ノミネート | |
アカデミー賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 | |||
主演男優賞 | ノミネート | |||
1994年 | アービング・G・タルバーグ賞 | - | 受賞 | |
2003年 | 作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | ノミネート | |
監督賞 | ノミネート | |||
2004年 | 作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
監督賞 | 受賞 | |||
主演男優賞 | ノミネート | |||
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | ノミネート | |
監督賞 | ノミネート | |||
2014年 | 作品賞 | 『アメリカン・スナイパー』 | ノミネート | |
英国アカデミー賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | ノミネート |
監督賞 | ノミネート | |||
2008年 | 監督賞 | 『チェンジリング』 | ノミネート | |
全米監督協会賞 | 1992年 | 長編映画監督賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
2003年 | 長編映画監督賞 | 『ミスティック・リバー』 | ノミネート | |
2004年 | 長編映画監督賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
2006年 | 生涯功労賞 | - | 受賞 | |
2014年 | 長編映画監督賞 | 『アメリカン・スナイパー』 | ノミネート | |
全米映画批評家協会賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 | |||
主演男優賞 | 2位 | |||
2003年 | 作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | 2位 | |
監督賞 | 受賞 | |||
2004年 | 作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
監督賞 | 3位 | |||
主演男優賞 | 3位 | |||
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 3位 | |
2008年 | 主演男優賞 | 『グラン・トリノ』 | 3位 | |
ロサンゼルス映画批評家協会賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 | |||
主演男優賞 | 受賞 | |||
2003年 | 監督賞 | 『ミスティック・リバー』 | 次点 | |
2004年 | 作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 次点 | |
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
監督賞 | 『硫黄島からの手紙』
『父親たちの星条旗』 |
ノミネート | ||
ボストン映画批評家協会賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
2003年 | 作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 | |||
2004年 | 作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
ロンドン映画批評家協会賞 | 1992年 | 作品賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
2003年 | 監督賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
フォトグラマス・デ・プラータ | 1992年 | 外国語映画賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
1995年 | 外国語映画賞 | 『マディソン郡の橋』 | 受賞 | |
2003年 | 外国語映画賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
2005年 | 外国語映画賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
2009年 | 外国語映画賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
キネマ旬報ベスト・テン | 1993年 | 外国映画ベスト・テン | 『許されざる者』 | 1位 |
外国映画監督賞 | 受賞 | |||
1995年 | 外国映画監督賞 | 『マディソン郡の橋』 | 受賞 | |
2000年 | 外国映画ベスト・テン | 『スペース・カウボーイ』 | 1位 | |
2004年 | 外国映画ベスト・テン | 『ミスティック・リバー』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 受賞 | |||
2005年 | 外国映画ベスト・テン | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 受賞 | |||
2006年 | 外国映画ベスト・テン | 『父親たちの星条旗』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 『父親たちの星条旗』
『硫黄島からの手紙』 |
受賞 | ||
2009年 | 外国映画ベスト・テン | 『グラン・トリノ』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 『グラン・トリノ』
『チェンジリング』 |
受賞 | ||
2014年 | 外国映画ベスト・テン | 『ジャージー・ボーイズ』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 受賞 | |||
2016年 | 外国映画ベスト・テン | 『ハドソン川の奇跡』 | 1位 | |
外国映画監督賞 | 受賞 | |||
毎日映画コンクール | 1993年 | 外国映画ベストワン賞 | 『許されざる者』 | 受賞 |
2000年 | 外国映画ベストワン賞 | 『スペース・カウボーイ』 | 受賞 | |
2004年 | 外国映画ベストワン賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
2006年 | 外国映画ベストワン賞 | 『父親たちの星条旗』 | 受賞 | |
2009年 | 外国映画ベストワン賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2016年 | 外国映画ベストワン賞 | 『ハドソン川の奇跡』 | 受賞 | |
英国映画協会 | 1993年 | BFIフェローシップ賞 | - | 受賞 |
ブルーリボン賞 | 1995年 | 外国作品賞 | 『マディソン郡の橋』 | 受賞 |
2004年 | 外国作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
2005年 | 外国作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
AFI賞 | 1996年 | 生涯功労賞 | - | 受賞 |
リンカーン・センター映画協会 | 1996年 | チャップリン賞 | - | 受賞 |
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 | 1999年 | 功労賞 | - | 受賞 |
2003年 | 作品賞 | 『ミスティック・リバー』 | 受賞 | |
2004年 | 特別業績賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 | |
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
2008年 | 男優賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2009年 | 監督賞 | 『インビクタス/負けざる者たち』 | 受賞 | |
2014年 | 監督賞 | 『アメリカン・スナイパー』 | 受賞 | |
ヴェネツィア国際映画祭 | 2000年 | 栄誉金獅子賞 | - | 受賞 |
サンフランシスコ国際映画祭 | 2001年 | 黒澤明賞 | - | 受賞 |
全米映画俳優組合賞 | 2002年 | 生涯功労賞 | - | 受賞 |
2004年 | キャスト賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | ノミネート | |
クリティクス・チョイス・アワード | 2003年 | 生涯功労賞 | - | 受賞 |
2006年 | 外国語映画賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
シカゴ映画批評家協会賞 | 2004年 | 監督賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 |
サンディエゴ映画批評家協会賞 | 2004年 | 監督賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 |
作曲賞 | 受賞 | |||
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
監督賞 | 受賞 | |||
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 | 2005年 | 外国映画賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 |
2009年 | 外国映画賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2011年 | 外国映画賞 | 『ヒア アフター』 | 受賞 | |
ナストロ・ダルジェント賞 | 2006年 | 外国監督賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 |
2007年 | 非ヨーロッパ映画賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
2009年 | 非ヨーロッパ映画賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2011年 | 非ヨーロッパ映画賞 | 『ヒア アフター』 | 受賞 | |
日本アカデミー賞 | 2006年 | 外国作品賞 | 『ミリオンダラー・ベイビー』 | 受賞 |
2007年 | 外国作品賞 | 『父親たちの星条旗』 | 受賞 | |
2008年 | 外国作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 | |
2010年 | 外国作品賞 | 『グラン・トリノ』 | 受賞 | |
2016年 | 外国作品賞 | 『アメリカン・スナイパー』 | 受賞 | |
2017年 | 外国作品賞 | 『ハドソン川の奇跡』 | 受賞 | |
ボディル賞 | 2008年 | アメリカ映画賞 | 『硫黄島からの手紙』 | 受賞 |
京都国際映画祭 | 2014年 | モスト・リスペクト賞 | - | 受賞 |
日本語吹き替え[編集]
専属声優(フィックス)[編集]
- 山田康雄 (イーストウッド公認の専属声優)
- 1959年の『ローハイド』放送開始時にイーストウッド演じるロディの吹き替えに抜擢されて以降、死去する1995年まで専属で担当。本人曰く『ローハイド』は「オーディションで決まった」とのこと。死後においても「クリント・イーストウッドといえば山田康雄」と世間から認知されるほど有名になる。1962年のイーストウッド来日時には対面・対談が実現、その際には本人からも公認されており、その後しばらくは文通もしていたりと交流もあったといい、テレビ放送だけではなく、ビデオソフト用の吹き替えも初期から担当していた。最後に担当した作品はソフトでは『パーフェクト・ワールド』、テレビ放送では『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(テレビ朝日版。初回放送日である1995年2月26日の直前である2月17日に脳出血で倒れ、意識不明のまま3月19日に死去)となった。
山田の没後、暫くの間は正式な専属吹き替え声優は決められず、作品ごとに全く異なる声優が担当する状況へとなっていたが、現在のところ山田と声質や演技が似ており、同じテアトル・エコーに所属する多田野曜平が担当する機会が増えている。以下は複数の作品で吹き替えを務めた人物を列挙する。
その他の担当声優[編集]
- 多田野曜平
- 山田と声質が似ており、2009年に発売された『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』のソフトにテレビ版吹き替えが収録される際、放送時にカットされた部分の代役として抜擢されて以降、『ダーティハリー』シリーズ、『荒野の用心棒』、『ガントレット』、『荒鷲の要塞』でもカット部分の代役として起用。その後2017年放送の『白い肌の異常な夜』イマジカBS版では全編の吹き替えを担当し、2018年公開の映画『運び屋』で予告編ナレーションを担当後、初めて新作の吹替に起用された。2021年の映画『クライ・マッチョ』でも同じく予告編ナレーションを担当し、吹替も担当した。イーストウッドを演じる際については「活き活きしている頃のイーストウッドよりも、年齢を重ねたイーストウッドの方がやりやすかったです」と話している。また、「山田さんの代役として参加した追加収録の方が、よっぽど辛いです」とも話している。
- 小林清志
- イーストウッドの吹き替えを専任していた山田が死去して以降、『トゥルー・クライム』、『スペース・カウボーイ』など何作かのワーナー・ブラザースの配給する主演作の映像ソフト用の吹き替えを引き継いだ。山田とは『ルパン三世』など共演作が多く、山田と同様に『ローハイド』の頃から洋画吹き替えの仕事を初めており、同番組でイーストウッドの声を担当していた山田の仕事ぶりを当時からよく知っていたという。山田の持ち役だったイーストウッドを担当したことについて小林は「彼(山田)は息で喋るような人なんですよね、イーストウッドの時は。俺みたいに喉から声を出すタイプの役者じゃないんだ。あいつ(山田)の声が耳についてね…何とか彼の特徴や近い音程で喋ろうと思って苦労しましたよ」と山田の築き上げたイーストウッドの日本語版のイメージを崩さないように意識して演じたという収録当時の苦悩を『ルパン三世 Master File』Blu-ray特典映像にて回顧している。2016年、BSジャパンでイーストウッドの主演作・監督作約40本を1年半にわたり製作年順に日本語吹替で放送する企画「イーストウッド無双」が行われた際には予告・番宣のナレーションを小林が務めた。
- 野沢那智
- 1996年に『ザ・シークレット・サービス』が『日曜洋画劇場』で放送されて以降、2004年の『金曜ロードショー』で放映された『スペース・カウボーイ』までのテレビ放送版の吹き替えを担当していた。また、山田の代役として初めて吹き替えを務める際、山田の声にそっくり真似てほしいとスタッフに要求され、困惑したという逸話がある。また、上記の他に2006年11月16日に放映された『NHK クローズアップ現代+ 76歳・映画にかける 〜クリント・イーストウッド監督に聞く〜』ではイーストウッド本人のボイスオーバーを、オリンピアから発売されている『夕陽のガンマン』をベースにしたパチンコ『CR夕陽のガンマン 荒野の仕掛人』ではモンコの声を演じた。
- 瑳川哲朗
- 1996年に『許されざる者』が『日曜洋画劇場』で放送された際に新たなイーストウッドの吹替声優として抜擢されるも、1ヶ月後に放送された『ザ・シークレット・サービス』で新たに起用された野沢が一時的に定着した事によって、その後イーストウッドの吹替には起用されなかったものの、2006年に『ミリオンダラー・ベイビー』がテレビ東京で新録される際に10年越しの再登板を果たす。翌2007年の『ブラッド・ワーク』のテレビ東京版の新録でも担当。計3作でイーストウッドの吹替を担当した。
このほかにも、納谷悟朗(『荒野の用心棒』のNET初回放送版も担当。小林や野沢と同様に生前、山田とは親交が深かった)や夏八木勲(『荒野の用心棒』のTBS旧録版も担当、後に同局で本作品が放送された際には山田で新録された)、伊武雅刀(『運び屋』のBSテレ東新録版を担当)、納谷六朗、滝田裕介、樋浦勉、山路和弘なども声を当てている。
- 『クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー』ドキュメンタリー作品(ワーナー・ブラザース、監督ブルース・リッカー、2000年)
インタビュー・伝記[編集]
- 『クリント・イーストウッド レトロスペクティブ』、序文はイーストウッド自身、公認本
- リチャード・シッケル、新藤純子訳、キネマ旬報社、2010年
- 『クリント・イーストウッド 孤高の騎士』、イーストウッドの自伝インタビュー
- マイケル・ヘンリー・ウィルソン編、石原陽一郎訳、「映画作家が自身を語る」フィルムアート社、2008年
- ダグラス・トンプソン『クリント・イーストウッド伝説』奥田祐士訳、白夜書房、2005年
- マーク・エリオット『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』笹森みわこ・早川麻百合訳、早川書房、2010年
- 中条省平『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男』朝日新聞社、2001年/ちくま文庫、2007年
- 『クリント・イーストウッド キネ旬ムック フィルムメーカーズ13』キネマ旬報社、2000年
- 『クリント・イーストウッド 総特集 同時代を生きる英雄』「KAWADE夢ムック」河出書房新社、2014年