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オムライス

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オムライス (Omurice) は、調理済みの米飯を鶏卵でオムレツのように包んだ日本発祥の洋食。英語のOmelet(あるいはフランス語のOmelette)とRiceを組み合わせた和製外来語である。

チキンライスをオムレツで包んだものは日本独特の洋食であり、アメリカやヨーロッパには存在しないとされる。

形態[編集]

溶き卵をフライパンで薄く焼き、味付けされたライスを包む。チキンライスを代表とするケチャップライスが用いられることが大半だが、ケチャップを用いないピラフやチャーハン、バターライスなどが使用される例もある。紡錘型に成形し、トマトケチャップやデミグラスソース、ベシャメルソースなどをかけるスタイルが一般的である。オムライスにカレーやハッシュドビーフ、シチューなどをかけたものは、「オムカレー」や「オムハヤシ」「オムシチュー」などと呼称される(「シチューオムライス」のような呼び方もある)。

洋食店のみならず一般の食堂でも、また家庭料理としてもよく作られており、創作オムライス店による様々な派生品も存在する。

歴史[編集]

「オムライス発祥の店」を自称する店はいくつかあるが、東京銀座の「煉瓦亭」、大阪心斎橋の「北極星」が有名である。

煉瓦亭では1900年(明治33年)に賄い料理として誕生した。溶き卵に白飯とみじん切りの具材、調味料を混ぜ込んで焼いたもので、現在一般的に認知されているオムライスとは異なるスタイルのものである。忙しい厨房でもスプーン一つで食べられるようにと考案されたものであったが、客が食べたいと所望したため、翌1901年(明治34年)より「ライスオムレツ」という名称でメニューに載せるようになり、現在も「元祖オムライス」という名前で提供されている。報知新聞に1903年(明治36年)より掲載された村井弦斎の小説『食道楽』には「米のオムレツ」として煉瓦亭のライスオムレツによく似た料理が掲載されており、これを食した上での執筆の可能性が示唆されている。なお、現在の「元祖オムライス」はトマトケチャップをかけた状態で提供されるが、ケチャップが日本で普及するのは1908年(明治41年)以降のことであるため、当時のライスオムレツにケチャップは使用されていない。

北極星のオムライスは、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだ、現在一般的となっているスタイルのものである。1925年(大正14年)に大阪市難波の汐見橋にあった大衆洋食屋「パンヤの食堂」(「北極星」の前身)の主人・北橋茂男が、いつも白飯とオムレツを頼んでいた胃の弱い常連客に「くる日もくる日も同じものではかわいそうだ」とケチャップライスを薄焼き卵で包んだものを提供し、「オムライス」と命名したとされる。

築地精養軒の料理長であった鈴本敏雄が1920年(大正9年)に著した『仏蘭西料理献立書及調理法解説』には、「味附米飯を詰めて調製し、赤茄子ソースを添へる」オムレツが「Omelette Mireille」として紹介されている。1926年(大正15年)に出版された『手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理』にも、トマトソースで調味したチャーハンを薄焼き卵で包むレシピが「オム、ライス(卵と肉の飯)」として紹介されており、大正時代には現在と変わらない様式のオムライスが出現していたことがわかる。

料理研究家の小菅桂子は「オムライスはチャブ屋(小規模な庶民向けの洋食屋)から生まれた」とする東京・日比谷の松本楼の料理長であった辻村の証言を紹介している。チャブ屋で誕生したオムライスが、後に西洋料理店に逆移入したものであろうという説である。詩人のサトウハチローは『改造』に浅草のなじみの屋台でオムライスを食べる旨の文を掲載している。なお、この「オムライス」がライスオムレツなのか、中の飯が白飯なのかケチャップライスなのかは不明。

その他の説として、煉瓦亭を含む銀座の4軒ほどの洋食屋同士で話し合いながら研究が行われ、現在のオムライスに近いものが作られたという話もある。

『手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理』(1926年、小林定美、文僊堂)にはオムライスの記載がある。こちらでは牛肉とトマトソース他の具材を炒めて焼き飯を作り、薄焼き卵で包んだものとなっている。ケチャップの記載は無い。



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