エルヴィス・プレスリー
エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aron Presley、1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロック歌手、ミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている、史上最も売れた音楽家の一人。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。ミドルネームは公文書、サイン共にAronだが、墓石にはAaronと表記されている。
概要[編集]
1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーら と共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、テリー・スタッフォードなど、多くのロック、ポップのミュージシャンたちが憧れたことでも知られる(下段・フォロワーを参照)。
初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。
その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は保守層から「プレスリーはセックス狂」や「彼は白人を黒人に陥れる」など、凄まじい批判を受けた。「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、「骨盤ダンス」も問題となり、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWK FM & AMラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。
そんな激しい批判の中でもプレスリーは激しいパフォーマンスをやめず、若者を釘付けにしていった。当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」とも答えている。また、プレスリーは自身のロックンロールについて「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」「オレは人々に悪影響を与えているとは思わない。もしそう思ったら、オレはトラック運転手に戻るよ。本気でそう思っている」と答えている。
プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去した。
プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。
生い立ち[編集]
プレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロの小さな家(トイレも水道も無い掘立小屋)で生まれた。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー(1916〜79)、母グラディス・ラブ・プレスリー(1912〜58)の3人家族であった(プレスリーには双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している)。父ヴァーノンが不渡小切手で服役するなど非常に貧しい幼少時代であったが、両親はエルヴィスを大事に育てた。
熱心なキリスト教プロテスタント(新教)の信者 で、ペンテコステ派であり、9歳の時に洗礼を受けた。11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのがギターであった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に傾倒していった。
1948年、プレスリーが13歳の時にテネシー州メンフィスへと引っ越した。下宿生活を経て、1949年に一家はメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った。エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていた。ある日、毎回欠かさず観に来ていたエルヴィスだったが、入場料を払えないとの理由で1度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができた(1970年代のコンサートではJ.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテットをコーラス隊として迎えている)。このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えたとされる。プレスリーは高校卒業後、精密金型会社で働いた後にクラウン・エレクトリック社に転職しトラック運転手として働いていた。
記録[編集]
プレスリーの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。
ギネス・ワールド・レコーズ編[編集]
- 世界で最も成功したソロ・アーティスト
- 全米No.1シングル18曲(歴代3位)/全英18曲(歴代1位)
- 最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
- 全米No.1アルバム9作/全英6作
- 全米チャート入りレコード149作/全英98作
- シングル発売133枚
- 最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956〜2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
- 最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
- 1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。プレスリーの死の衝撃が物語れる。
- 世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。
- 世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。
統計、評論家などによる投票[編集]
- ロックの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1986年)
- 1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。
- UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(エルヴィス・プレスリー/英2004年)
- 2004年、イギリスで始まった、UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため、廃止された。
- カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年)
- 1998年、カントリー・ミュージック協会により、カントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、プレスリーの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、テネシー州、ナッシュビルのグランド・オール・オープリー・ハウスで授賞式が行なわれた。
- ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年)
- 2001年、ゴスペル・ミュージック協会により、ゴスペルの殿堂入りを果たした。11月27日に、テネシー州、フランクリンのピープルズ・チャーチで授賞式が行われた。ちなみにロックとカントリー、ゴスペルの3つの殿堂入りを果たしたのは、プレスリーとジョニー・キャッシュだけである。
- 世界の音楽を最も変えた曲(エルヴィス・プレスリー/That's All Right)
- イギリスの雑誌『Q』によって発表。音楽のジャーナリスト達の投票により決定。プレスリーの音楽の始まりであり、ロックの原点とも言われる曲「ザッツ・オール・ライト」が、「音楽と世界を永遠に変えた革新的な100曲」の第1位に選ばれた。2位はビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」。
- 死後、最も売り上げが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
- 経済誌「Forbes」により毎年(10月下旬)発表。死んだ著名人の1年度の売り上げを順位付けしたものである。2001年から発表が始まり、プレスリーは2005年まで5年連続1位に輝いた。2006年は、カート・コバーンの著作権が売却されたことにより2位になったが、翌2007年には4900万ドル(約56億円)で再び首位を奪回し、2008年度も5200万ドル(約51億円)で1位になった。毎年大体50億〜60億あたりの売り上げを誇っている。
- イギリスで最もヒットしたアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
- 「The Book Of British Hit Singles & Albums」が発表。プレスリーが「イギリスで1番売れたアーティスト・トップ100リスト」の第1位になった。1952年からのチャート・イン週間数の総計を基準としたものである。毎年発表される。上位にはクイーンやクリフ・リチャードらがいる。
雑誌や一般による投票[編集]
- ロック史上最高の服装(エルヴィス・プレスリー/白いジャンプ・スーツ)
- 約1万2千人の音楽ファンによって投票。「最高のロック・アウトフィットtop10」での投票で、プレスリーの「白いジャンプ・スーツ」が、ロック史上最高の服装として歴代第1位に選ばれた。2位は、カイリー・ミノーグの「ゴールドのホット・パンツ」。
- 最もサインに価値があるロック・ミュージシャン(エルヴィス・プレスリー)
- カリフォルニア州のサイン専門誌「Autograph Magazine」により発表。最もサインに価値のあるロック・ミュージシャン第1位に、プレスリーが選ばれた。2位はビートルズのポール・マッカートニー。
ディスコグラフィ:アルバム[編集]
公式リリース音源の数は800曲を超える。
Follow That Dreamレーベル[編集]
プレスリーがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたプレスリーの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたのが、主演映画のタイトルから引用したFollow That Dreamレーベルである。
このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファンクラブに優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾 Barbank'68(1968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴くことが出来たり、コンサートアルバムはプレスリーのコンサートを体験することが出来なかったファンにも追体験出来るような内容になっている。
オリジナルアルバム[編集]
発売年 | アルバムタイトル | 最高位 | RIAA | ||
---|---|---|---|---|---|
US Country | US | UK | |||
1956 | エルヴィス・プレスリー登場!(Elvis Presley) | 1 | 1 | Gold | |
エルヴィス(Elvis) | 1 | 3 | Gold | ||
1957 | エルヴィス・クリスマス・アルバム(Elvis' Christmas Album) | 1 | 2 | 3× Multi-Platinum | |
1960 | エルヴィス・イズ・バック(Elvis Is Back!) | 2 | 1 | Gold | |
心のふるさと(His Hand in Mine) | 7 | 13 | 3 | Platinum | |
1961 | 歌の贈り物(Something for Everybody) | 1 | 2 | Gold | |
1962 | ポット・ラック(Pot Luck) | 4 | 1 | ||
1967 | ゴールデン・ヒム(How Great Thou Art) | 7 | 18 | 11 | 2× Multi-Platinum |
1969 | エルヴィス・イン・メンフィス(From Elvis in Memphis) | 2 | 13 | 1 | Gold |
1970 | バック・イン・メンフィス(Back in Memphis) | ||||
1971 | エルヴィス・カントリー(Elvis Country (I'm 10,000 Years Old)) | 6 | 12 | 6 | Gold |
ラヴ・レター・フロム・エルヴィス(Love Letters from Elvis) | 12 | 33 | 7 | ||
初めてのクリスマス(Elvis Sings the Wonderful World of Christmas) | 13 | 3× Multi-Platinum | |||
1972 | エルヴィス・ナウ(Elvis Now) | 45 | 43 | 12 | Gold |
至上の愛(He Touched Me) | 32 | 79 | 38 | Platinum | |
1973 | フール(Elvis) | 8 | 52 | 16 | |
ロックン・ロール魂(Raised on Rock/For Ol' Times Sake) | 50 | ||||
1974 | グッド・タイムス(Good Times) | 5 | 90 | 42 | |
1975 | 約束の地(Promised Land) | 1 | 47 | 21 | |
エルヴィス・トゥデイ(Today) | 4 | 57 | 48 | ||
1976 | メンフィスより愛をこめて(From Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee) | 1 | 41 | 29 | Gold |
1977 | ムーディ・ブルー(Moody Blue) | 1 | 3 | 3 | 2× Multi-Platinum |
ライブ・アルバム[編集]
発売年 | タイトル | 最高位 | RIAA | |
---|---|---|---|---|
US Country | US | |||
1968 | エルヴィスNBC TVスペシャル(Elvis NBC-TV Special) | 8 | プラチナ | |
1970 | エルヴィス・オン・ステージVol.3(Elvis in Person at the International Hotel) | ゴールド | ||
エルヴィス・オン・ステージVol.2(On Stage: February 1970) | 13 | 13 | プラチナ | |
エルヴィス・オン・ステージVol.1(That's the Way It Is) | 8 | 21 | ゴールド | |
1972 | エルヴィス・イン・ニューヨーク(Elvis: As Recorded at Madison Square Garden) | 22 | 11 | 3× マルチ-プラチナ |
1973 | エルヴィス・イン・ハワイ(Aloha from Hawaii: Via Satellite) | 1 | 1 | 5× マルチ-プラチナ |
1974 | ライヴ・イン・メンフィス(Elvis: As Recorded Live on Stage in Memphis) | 2 | 33 | ゴールド |
1977 | エルヴィス・イン・コンサート′77(Elvis in Concert) | 1 | 5 | 3× マルチ-プラチナ |
1997 | アフタヌーン・イン・ザ・ガーデン(An Afternoon in the Garden) | |||
1998 | アロハ・フロム・ハワイ(Aloha From Hawaii - Via Satellite) | |||
タイガーマン〜NBC・ライヴ 1968(Tiger Man) | ||||
メモリーズ〜'68カムバック・スペシャル(Memories: The '68 Comeback Special) | ||||
1999 | エルヴィス・ザ・コンサート〜1999ワールド・ツアー(Concert 1999 World Tour) | |||
2001 | グレイテスト・ヒッツ・ライヴ(The Live Greatest Hits) | |||
エルヴィス・ライヴ・イン・ラスベガス(Live In Las Vegas) | ||||
2007 | VIVA LAS VEGAS グレイテスト・ラスヴェガス・パフォーマンス(Elvis: Viva Las Vegas) | 54 | ||
2008 | 68カムバック・スペシャル・ボックス 40周年記念エディション(The Complete '68 Comeback Special: 40th Anniversary Edition) | |||
2012 | エルヴィス・イン・ニューヨーク 40周年記念エディション(Prince from Another Planet) | 187 |
シングル・ディスコグラフィー[編集]
プレスリーが1977年に亡くなるまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にプレスリーは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「プレスリーの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。
1970年代においてはプレスリーは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンヴァセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計79週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉、マライア・キャリーの19作〈計82週間〉に次ぐ歴代3位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。
ロックン・ロール(1986年殿堂入り)、カントリー(1998年殿堂入り)、ゴスペル・ミュージック(2001年殿堂入り)の3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ楽曲においては3回(通算5回)グラミー賞を受賞しているが、3回ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、プレスリーは終生この事を誇りにした。
全米ナンバー1獲得曲[編集]
ナンバー1ヒットは全18曲、合計79週間である。曲数はビートルズ、マライア・キャリーに次ぐ歴代3位である。週間数に関してはマライア・キャリーに次ぐ歴代2位である。(en:List of Billboard Hot 100 chart achievements and milestones#Most cumulative weeks at number one)
- ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)1956年 7週間連続1位
- アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー(I Want You,I Need You,I Love You)1956年 1週間1位
- ハウンド・ドッグ(Hound Dog)1956年 11週間連続1位
- 冷たくしないで(Don’t Be Cruel)1956年 11週間連続1位(Hound DogのB面)
- ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender)1956年 5週間連続1位
- トゥー・マッチ(Too Much)1957年 3週間連続1位
- 恋にしびれて(All Shook Up)1957年 8週間連続1位
- テディ・ベア((Let Me Be Your) Teddy Bear)1957年 7週間連続1位。エルヴィスは「なぜこんな曲が7週もNo.1になったのか」と疑問に思ったという。
- 監獄ロック(Jailhouse Rock)1957年 7週間連続1位
- ドントまずいぜ(Don’t)1957年 5週間連続1位
- 冷たい女(Hard Headed Woman)1958年 1週間1位
- 恋の大穴(A Big Hunk o’ Love)1959年 2週間連続1位
- 本命はお前だ(Stuck On You)1960年 4週間連続1位
- イッツ・ナウ・オア・ネバー(It’s Now or Never)1960年 5週間連続1位
- 今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?)1960年 6週間連続1位
- サレンダー(Surrender)1960年 2週間連続1位
- グッド・ラック・チャーム(Good Luck Charm)1961年 2週間連続1位
- サスピシャス・マインド(Suspicious Minds)1969年 1週間1位
主なシングル[編集]
- フール・サッチ・アズ・アイ((Now and Then There's) A Fool Such as I)1959年 全米2位、全英1位
- アイ・ニード・ユア・ラヴ・トゥナイト、全米4位
- 思い出の指輪
- ワン・ナイト
- 悲しき悪魔、1963年、全米3位
- ラブ・ミー
- アイ・ガット・スタング
- ドント・クライ・ダディ
- あの娘が君なら
- リトル・シスター
- 望みがかなった
- マリーは恋人
- 破れたハートを売り物に
- アスク・ミー
- 明日への願い
- 好きにならずにいられない(Can’t Help Falling in Love)1961年 全米2位、全英1位
- 心の届かぬラヴ・レター(リターン・トゥ・センダー)(Return to Sender)1962年 全米2位、全英1位
- クライング・イン・ザ・チャペル、1965年、全米3位
- イン・ザ・ゲットー(In the Ghetto)1969年 全米3位、全英1位
- ワンダー・オブ・ユー、1970年
- バーニング・ラヴ(Burning Love)1972年 全米2位、全英7位
- オールウェイズ・オン・マイ・マインド(Always on My Mind)1972年 全英9位
- アメリカの祈り(アメリカン・トリロジー)、1973年、全米26位
- ロックンロール魂
その他の楽曲[編集]
- ブルー・ハワイ
- ビバ・ラスベガス
- GIブルース
- サスピション
フィルモグラフィ[編集]
映画は駄作がほとんどである。ただし「オン・ステージ」「オン・ツアー」の2作のライブ映画だけは、内容が充実している。32本の映画出演作(ドキュメンタリーを除く)全てが主役。
- やさしく愛して Love Me Tender(1956年)
- さまよう青春 Loving You(1957年)
- 監獄ロック Jailhouse Rock(1957年)
- 闇に響く声 King Creole(1958年)
- G.I.ブルース G.I. Blues(1960年)
- 燃える平原児 Flaming Star(1960年)
- 嵐の季節 Wild in the Country(1961年)
- ブルー・ハワイ Blue Hawaii(1961年)
- 夢の渚 Follow That Dream(1962年)
- 恋のKOパンチ Kid Galahad(1962年)
- ガール!ガール!ガール! Girls! Girls! Girls!(1962年)
- ヤング・ヤング・パレード It Happened at the World's Fair(1963年)
- アカプルコの海 Fun in Acapulco(1963年)
- キッスン・カズン Kissin' Cousins(1963年)
- ラスベガス万才 Viva Las Vegas(1964年)
- 青春カーニバル Roustabout(1964年)
- フロリダ万才 Girl Happy(1965年)
- いかすぜ!この恋 Tickle Me(1965年)
- ハレム万才 Harum Scarum(1965年)
- フランキーandジョニー Frankie and Johnny(1966年)
- ハワイアン・パラダイス Paradise, Hawaiian Style(1966年)
- カリフォルニア万才 Spinout(1966年)
- ゴー!ゴー!ゴー! Easy Come, Easy Go(1967年)
- ダブル・トラブル Double Trouble(1967年)
- ブルー・マイアミ Clambake(1967年)
- ステイ・アウェイ・ジョー Stay Away, Joe(1968年)
- スピードウェイ Speedway(1968年)
- バギー万才!! Live a Little, Love a Little(1968年)
- 殺し屋の烙印 Charro!(1969年)
- トラブル・ウィズ・ガール The Trouble with Girls(1969年)
- チェンジ・オブ・ハビット Change of Habit(1969年)
- エルビス・オン・ステージ Elvis: That's the Way It Is(1970年)、ライブ・ドキュメンタリー映画
- エルビス・オン・ツアー Elvis on Tour(1972年)、ライブ・ドキュメンタリー映画
プレスリーを扱った作品[編集]
プレスリー本人が描かれた作品[編集]
- TV映画『ザ・シンガー』Elvis(1979年) - 彼の生涯を描いたストレートな伝記作品。プレスリーをカート・ラッセルが演じる。
- 舞台『ACT ELVIS PRESLEY』(1997年) - 加藤直の演出で、主演・沢田研二の一人芝居でプレスリーの生涯を描く。
- 映画『エルヴィスとニクソン』Elvis Meets Nixon(1997年) - プレスリーとニクソン大統領との会合を描いた作品。プレスリーをリック・ピータースが演じる。
- TV映画『ELVIS エルヴィス』Elvis(2005年) - スターになる以前のプレスリーから描いた伝記映画。プレスリーを演じたジョナサン・リース=マイヤーズはゴールデン・グローブ賞 主演男優賞(ミニシリーズ部門)を受賞。
- Viva Elvis(ビバ・エルビス) - 2010年2月19日から2012年8月31日までラスベガスのアライアで公演されていたシルク・ドゥ・ソレイユのショー。約30曲の代表曲と生前のプレスリーの映像とパフォーマンスを組み合わせた構成となっていた。
- 映画『エルヴィスとニクソン 〜写真に隠された真実〜』Elvis & Nixon(2016年) - プレスリーとニクソン大統領との会合を描いた作品。プレスリーをマイケル・シャノンが演じる。
- ドキュメンタリー映画『The King(原題)』(2017年) - プレスリーのドキュメンタリー。日本未公開。
- 映画『エルヴィス』 Elvis(2017年) - プレスリーの伝記映画。オースティン・バトラーがプレスリーを演じる。
- 映画Priscilla (2023年) - 、プリシラ・プレスリーの自伝『私のエルヴィス』を原作とした映画。ジェイコブ・エロルディがプレスリーを演じる。
プレスリーに関連した作品[編集]
- 映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』 - 無名時代のプレスリーがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだりがある。また、劇中でガンプの母親が「子どもの見るものではない」と当時のプレスリーに対する親の考えが表されている。
- 映画『ミステリー・トレイン』(ジム・ジャームッシュ) - プレスリーのゆかりの地としてメンフィスを訪れる若い日本人観光客のカップルのエピソードが含まれている。女の子のミツコはプレスリーに心酔している。プレスリーの亡霊が登場したり、ラジオからプレスリーの曲が流れたりもする。
- 映画『プレスリーVSミイラ男』Bubba Ho-Tep(2006年) - 主人公はブルース・キャンベルが演ずるプレスリー。プレスリーは現在も、人知れず南部のとある老人ホームで余生を送っており、1977年に亡くなったのは実はそっくりさんだったという設定。
- ポール・サイモン - 1986年に発表されたアルバム『グレイスランド』、及びそのタイトル曲は、エルヴィスの家の影響を受けている。タイトル曲は、後にグラミー賞を獲得した。
- TVシリーズ『フルハウス』 - 大のプレスリー・ファンであるジェシー・カツォポリス(Jesse Katsopolis)が主役。作品の随所にプレスリー関連のネタが登場する。1度だがラスベガスへ行ったときには「ラスベガス万才」と同じ空撮の映像にジョン・ステイモスが歌った「Viva Las Vegas」が流れる。また、まだ母体の中に居る段階の子供に生まれるまでずっとプレスリーの曲を聞かせようとしたり、子供部屋の装飾を全てプレスリーグッズにしようとするエピソードもあった(結果的には未遂に終わるが)。また初期はプレスリーを模した髪形をしていた。
- TVシリーズ『俺がハマーだ!』- プレスリー似た者コンテストの優勝者が次々と撲殺される事件が起き、おとり捜査のために主人公ハマー刑事がコンテストに出場するエピソードがある。
- ジャック・ウォマックの小説AmbientやElvissey(ともに未訳)で描かれる近未来世界では、プレスリーの復活を信じるE教会(the Chirch of E)という宗教が登場する。Elvisseyでは、E教会の信者たちが、プレスリーのそっくりさんファッションに身を固めて、Elconという集会を開催するシーンがある。
- 映画『トゥルー・ロマンス』True Romance(1993年) - プレスリーのファンである主人公を励ます幻影として登場する。ヴァル・キルマーが演じた。
- 映画『メン・イン・ブラック』 - トミー・リー・ジョーンズが車内でプレスリーの歌をかけるシーンでウィル・スミスが「エルヴィスは死んだんだぞ」と言うと「死んでないよ、故郷の星に帰ったのさ」と返すシーンがある。
- 映画『トラブル IN ベガス』Elvis Has Left the Building(2004年) - エルヴィス・プレスリーのコスプレをした人物が次々に登場し、次々に死んでいく。
- 映画『エルヴィス、我が心の歌』The Last Elvis(2012年) - プレスリーのトリビュートアーティストの物語。
- 映画『スティーラーズ 』Pawn Shop Chronicles(2013年) - プレスリーのトリビュートアーティストが主要人物として登場する。
- 映画『ボス・ベイビー』The Boss Baby(2017年) - プレスリーに扮した何十人もの男が登場する。
- 能『Blue Moon Over Memphis』 - 米国人劇作家Deborah Brevoortによる2001年の英語能作品。エルビスの邸宅グレイスランドを訪れた熱烈な女性ファンの前にエルビスの霊が現れるという作品で、日本語を母語としない能の研究者を中心に結成されている「シアター能楽」により2000年代より米国で演じられている。日本の能面師が制作したエルビスの面を使用。
- 映画『リロ・アンド・スティッチ』Lilo & Stitch(2003年) - 主人公リロがプレスリーのファンであり、劇中音楽にプレスリーの楽曲が使用され、スティッチが鬘とファッションでプレスリーに扮してギターを披露する場面がある。
日本語文献[編集]
- ※近年刊行の一部。
- ピーター・グラルニック 『エルヴィス伝 復活後の軌跡 1958-1977』三井徹訳 みすず書房、2007年 大著
- アルフレッド・ワートハイマー撮影・文 『エルヴィス・プレスリー 21歳の肖像』夏目大訳 青志社 2007年 大著の写真集
- 『SCREEN特別編集 エルヴィス・プレスリーの伝説』 近代映画社 2005年
- 『文藝別冊 エルヴィス・プレスリー』 <KAWADE夢ムック>河出書房新社 2003年
- ボビー・アン・メイソン 『エルヴィス・プレスリー』外岡尚美訳<ペンギン評伝双書>岩波書店 2005年
- 前田絢子『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』角川選書 2007年